隻腕の狼、ダートに駆ける。【SEKIRO×ウマ娘】   作:hynobius

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 炎が溢れた。以前に見たよりも遥かに勢いよく噴き出したそれが、一瞬でセキロの身体を覆いつくしたように、アグネスデジタルには見えた。背筋が粟立つような感覚。条理を越えた恐怖心が、アグネスデジタルの脚を縛り付けようとする。

「っ、まだまだっ!」

 前回の走りは後悔だらけだった。出遅れたこともそうだが、最後の最後。怖れなどに縛られて、全力で走り切ることができなかった。故に、今回こそは最初から最後まで、ちゃんと走るのだ。アグネスデジタルは、そう心に定めていた。ならば、この本能に根差すような恐怖にも、屈してなどいられない。

 

 極まったウマ娘は、レースの勝負所において理外の力を発揮することがある。俗に『領域』と呼称されることもある現象。あの炎も、きっとその類だろう。であれば、恐れるべきではない。それに対抗する術、即ち己の『領域』を、既にアグネスデジタルは掌中に収めているのだから。

 

「萌えパワーチャージ、フルマックスッ!」

 それが彼女にとっての魔法の呪文。推しの姿を見据える。もっと隣を走りたい。そんな欲望を剝き出しのまま、脚を通して砂へと叩きつけた。爆発するかのような加速が、デジタルの体を前へ前へと運ぶ。

 残り200m。並ぶ。まるで、人型の炎と走っているような熱量。隣り合ったその姿を見て、聴いて。呼吸を、鼓動を感じて。アグネスデジタルは、拭い難い違和感を覚える。

 

「違う、セキロちゃんじゃないっ!?」

 

 炎が、揺らめいた。右脚を地面に叩きつける。今までの動きと比べて、異常なまでの力が砂を抉り抜く。ここまでのレースを後ろから見続けていたアグネスデジタルは、その動きを既に知っている。中盤の登りで見せていた、あの脚だ。あの時は、ほんの一瞬だけの豪脚だった。残り150m。この走りで、走り切るつもりであろうか。

 炎は次いで左脚を叩きつけた。更に、右。左。一歩ごとに異様なまでに深く足跡を刻みつけて進む。一歩を刻み込むごとに、アグネスデジタルの耳は悲鳴の如き軋みを拾ってしまう。

(ダメ、だめだめだめっ)

 残り100m。坂の頂上に向けて駆け上りながら、デジタルの脳裏を悲鳴が埋める。そんな走り方をしては、きっと――

 

「……やめてくれ」

 初め、アグネスデジタルはそれを己の声かと誤認した。それほどに、群衆の歓声の中で、その声だけが何故かはっきりと聞こえた。

 

「やめてくれ、()……!」

 

 声変りをいまだ迎えぬ少年の、絞り出すような声。引き寄せられるようにして、スタンドを見る。沸き立つ群衆の中に、そこだけ影が落ちたように、浮かび上がって。いつかのライブで見た覚えのある少年が、整った顔を悲痛に歪ませているのが見えた。

 

「そなたは、修羅ではないっ……!」

 

 その言葉で、炎が千々に乱れた。突風に巻き上げられたかのように不規則に暴れて、広がって……次の瞬間にふ、と搔き消える。セキロの肉体が、アグネスデジタルの眼前で糸が切れたように崩れ落ちた。鈍い音を立てて、地面に叩きつけられた身体が跳ねる。脚を危うくもつれさせそうにしながら、デジタルは辛うじて回避する。歪に折れ曲がった左腕を揺らして、セキロの身体は後方へと転げていった。

 

 後ろを垣間見れば、転がるセキロをなんとか躱したウマ娘が二人、後僅かの距離にまで迫っていた。慌てて前を向く。ここまで無理をしてきて、もうほぼ止まったような脚を強引に動かして、アグネスデジタルは辛うじてハナ差の勝利を守り切った。2,3着はいずれも道中デジタルの直後に付けてきたウマ娘。セキロの転倒では明らかに不利を受けていた。その分がなければ、勝敗がどうなったかは分からない。とはいえ、デジタルも他のウマ娘も全ての観客も、そのようなことを気にしている余裕などなかった。

 担架が運び込まれ、競走ウマ娘専門の医師が診断を下し、運び出されていく。実況すらも言葉を忘れた、静まり返った場内で、アグネスデジタルはそれをただ呆然と見ていた。

 

 

 

 白。薄っすらと目を開けたセキロの視野に広がったのは、如何にも病室といった風情の白い部屋だった。茫洋とした意識の中、手足を動かそうとする。力は入らなかった。辛うじて動いた喉から音を絞り出す。

「起きたか」

 声の方向に、目だけを動かした。弦一郎だ。平素から固い表情が、更に凝り固まったようであった。

「……ここは」

「盛岡の入院施設だ。痛みはあるか」

 言われるまま、全身に意識を向ける。痛みはない。ただ、脚の随所が気味の悪い違和感を訴えている。

「痛みはない。が、どうなっている」

「中足骨不完全縦骨折及び趾骨剥離骨折。手術は済ませたばかりだ、まだ麻酔が残っているようだな」

 医者を呼ぶ、そう言って弦一郎は立ち上がり、背を向けた。

「レースは、どうなった」

「……今は気にかける意味もない。捨て置け」

 言い捨てて、扉が閉められた。

 

 間もなく到着した初老の医師は、あれやこれやと診察した末に異常なし、との診断を下した。既に時刻は深夜。意識が戻り異常もないということで、翌日昼には葦名の病院へと身を移すことと相成った。この間に付き添ってきたのは弦一郎のみ。鬼庭は一足先に、九郎を引率して帰ったらしい。

 そう、九郎だ。眠るに難い夜を過ごした狼の脳裏の多くを占めていたのは、九郎の言葉であった。あの瞬間、本当に辛うじて狼の意識を現実に引き戻したのが、あの声だった。聞き間違えようのない、懐かしい呼び名。

(……戻ったら、聞かねばならぬ)

 

 葦名に戻った狼に言い渡されたのは、ニ週間の入院期間と全治3か月の診断であった。随分と綺麗に折れたらしく、故障の内容にしては比較的短い部類であるようだ。弦一郎は、レースの結果にも、これについても何を言うこともなかった。

 

 二週間のうちに、幾人かが狼の病室を訪れた。オニカゲと鬼庭は真っ先に顔を出し、幾度も離脱を経験している彼女は特別悲観するでもなくセキロの肩を叩いた。変若の御子と小太郎、それに九郎の同級生とは連れ立って現れ、米と柿を嫌というほどに置いて帰った。

 アグネスデジタルは流石に足までは運べなかったようだ。秋の天皇賞を間近に控える身であれば、当然のことではある。が、レースの翌々日にはファンからの見舞い品に紛れてやたらと上等なおはぎと千羽鶴が送られてきていた。おはぎは、いつぞやのインタビューで好物と答えたのだったか。そちらはともかくとして、千羽鶴は明らかに素人づくりであるのに彼女一人の名しかない。まさか、一人で折ったのだろうか。顔を合わせた時間はわずかながら、狼の直感はそれもありうると感じていた。

 

 最もよく顔を合わせたのはエマであった。見舞いという以上に、彼女の職責故ではあったが。ウマ娘に特化したリハビリテーションについて習熟しているらしく、退院可能になるまでだけでなく、通院での治療も彼女が主に担当することになっていた。エマとは、よく話した。治療のことだけではなく、怨嗟の炎についても。どのみち、身体を動かせない時間も多い。この後のことについて、話す時間は十分にあった。

 

 

 

 そして。この間、九郎は一度も姿を見せなかった。

 迎えた退院の日。狼が帰り着いた家に、九郎は既にいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

破:炎 完。

 




守るべき主は、もういない。
忍びよ。
ウマ娘よ。
何故、走る。
次章。

急:SHADOWS DIE TWICE






ここまで読んでいただいた方、様々な形で応援いただいた方、ありがとうございます。次章が最終章となりますが、完結までノンストップで書ききりたいと思います。よろしくお願いします。
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