隻腕の狼、ダートに駆ける。【SEKIRO×ウマ娘】 作:hynobius
翌日。
「はいオッケーでーす、お疲れ様でーす」
大仰なカメラを構えた男がそう言うや否や、狼はすいとその身体を弦一郎から遠ざける。確認のために示された画面には、狼の両肩に手を置いた弦一郎がいやに爽やかな笑みを浮かべている様が映っていた。セキロの10連勝に合わせて取材に訪れたこの雑誌は、どうやら二人をセットで売り出したいらしい。ウマ娘の例に漏れず秀麗な顔立ちのセキロと、若く、些か強面であるが精悍ともいえる容貌のトレーナーの組合せという訳だ。要素としては理解の外にある訳ではないが、狼からすればにこやかな弦一郎の顔を見るだけでも違和感が凄まじい。幾日かしてこの写真がどこぞの店頭に並んでいる光景を思い浮かべると、狼の背に些かの怖気が走った。
「次はスポーツ紙取材、質問は前に渡した通りだ。回答は作ってあるな?」
「……一応は」
ウマ娘の脚は人間より遥かに速いが、その耐久力は速さに正比例しているとは言い難い。強い負荷のかかるレースの翌日などはトレーニングを控えて休養に充てるのが一般的だ。普通のウマ娘であれば文字通りの休みとして趣味なりに時間を費やすところだが、弦一郎はこの日一杯に取材の類の予定を詰め込んでいた。ウマ娘はアスリートであると同時にアイドル的な側面を併せ持つ。トレーニングの時間を確保しつつ、メディア露出も進めたい弦一郎の思惑である。一般的なウマ娘であれば、余りに過密なスケジュールを立てたところで反抗されて終わりだ。狼と弦一郎の立場故に通る無法であった。狼としても、今更否やはない。とはいえ。
「話すのは、やはり得手でないが」
「最低限は答えろ。ようやく来た全国区での枠だ、いつぞやの様に黙り込んでばかりでは困る。そこまで長くはならんはずだが喉は潤しておけ」
前世より筋金入りの口下手である狼の言をにべもなく切り捨てて、弦一郎はペットボトルの茶を投げ渡す。走ることはさしたる苦ではないが、段々と増えてくるこの手の仕事が狼の目下の悩みの種であった。ままならぬものだと思いながら、狼は茶を一口啜った。
そもそも、狼は競走ウマ娘として身を立てるつもりなどなかった。といっても、他に何をして生きるという指針があったわけでもないが。遥か昔の葦名城の外れ、朝焼けの薄野原で彼の使命は終わった。それから随分と長く生き、あまつさえもう一度の命まで得てしまったが、それを使って為すべきことなどもう持ち合わせていなかったのだ。
幼少の頃から走りを鍛えてはいたが、それはただ
かつての主を探すことにしたのは、そんなことから目を逸らすためであったかもしれない。容姿と名前という僅かな、しかも己のようにまるきり変わっているかもしれない情報を頼っての人探し。そうそう結果は出そうになかった。それでも特に構わない。時間は無駄に存在し、見つけてどうしなければならないこともないのだから。現代における只人らしく、平穏な生を過ごせているのなら、それでよい。
果たして。かつての主の所在は、想像だにしなかった方向から明かされることとなる。無数の人の中から少年一人を探し出すよりも、ひどく足の速いウマ娘がいるという噂が一人の元に届く方が、遥かに速かったのだ。その日、使い慣れた公園の練習コースに現れた男は、開口一番にこう名乗った。
「葦名市地域振興部産業振興課課長代理の葦名弦一郎だ」
「……なんだと」
やたらと長く聞きなじみのない肩書と、前世から記憶に染みついた名前。ほんのわずかに眉を顰めて困惑を表す狼に、男は更なる爆弾を投げ落とした。
「久しいな、
「……なんだと」
「やはり、覚えているか」
目を見開いた狼は、続く言葉から鎌掛けであったと気付いて臍を噛む。その姿に、葦名弦一郎は口の端を釣り上げた。
「御子は当家で預かっている。俺に従え、狼」
会話の場を公園から市役所の一室に移し、無駄に出来の良いスライド付きで説明された状況はこうだった。曰く、葦名は衰退の危機にある。人口減少及び少子高齢化。基幹産業の縮小、それに伴う財政難。企業撤退による雇用減少、それが更なる人口流出を招く悪循環だ。地方のどこであれ大なり小なり起きているそれが、山深い葦名では顕著であった。弦一郎曰く。
「軍勢こそないがあの時と変わらぬ。
無論、それを黙って見過ごす弦一郎ではなかった。地元の名士という立場を利用して行政機関の振興策を事実上牛耳れる位置に己をねじ込み、考えうる限りの策を打った。産業保護に農産物のブランディング、遊休資産を利用した企業誘致、観光資源の開発にイベント企画。多少の無理を押して進めた結果、弦一郎の結論は『金と時間が足りない』だった。長期的な策が実るまで地域経済を保たせられるのかどうか。短期的かつ大規模な企画には金が足りず、また外れた場合のリスクが甚大だ。さらに、長い目で見れば高規格の鉄道と道路もほぼ必須。開通までの時間を、なんとか捻出しなければならない。
「それで、レースか」
「そうだ。今のままでは赤字を垂れ流すだけ。支出を絞りながら早期に閉める手も考えていた」
葦名レース場。弦一郎の家も支援者として重要な位置を占めており、トレーナーも多く輩出するなじみ深い存在だ。とはいえ人口減に伴って売上も集客も落ちる一方であり、財政を圧迫するのみの存在となりかかっている。貴重な資産ではあれど、廃止の論が出るのも自然ではあった。だが、そんな中でも希望――妄念の類に近いかもしれない――が、関係する誰の胸にもあった。
『ここにも、
かのシンデレラは中央へと移ってしまったが、地方と中央の交流が強化された今ならば地方もその恩恵を十分に享受できるはずだ。とはいえ、いれば、の話である。育成環境で劣り、高い能力のウマ娘やトレーナーを引き留める利益、すなわち賞金で劣る地方からそのようなウマ娘が出るというのは、少なくともそれに賭けられるほど現実的なものではなかった。
だが、ここに例外が存在する。金を使わずに葦名に縛り付けることができる、能力に期待のできるウマ娘。楔となるかつての竜胤の御子――九郎は早くに親を亡くし、縁戚をたどって弦一郎の家に預けられていた。改めて確保に労することもない。今世では特段益もない存在と考えていたが、こうなっては悪くない拾い物だった。
「勝ち続ければ話題と人を呼べる。経営が上向けば行政の負担は減って他に金が回る。賞金を寄付還元すれば支出も絞れる」
「……その手口、まさか」
「なんだ?……ああ、八百長はなしだ。ただでさえ地方のレースは癒着が疑われやすい。やれば週刊誌あたりの恰好の獲物だ」
弦一郎は狼の危惧を察して言下に否定した。地元の有力者との結びつきが深い地方のレース場では、プロレスじみた順位操作が行われているのではないか、と疑いを掛けるものもいるし、事実それが問題となったケースも存在する。当然、露見すれば逆効果どころの騒ぎではない。
「それに、他所からも客を寄せるならいずれは他のレース場にも打って出る必要がある。能力で勝て。……無論、貴様が必ず
とはいえ、と弦一郎は口元を歪めた。
「俺にとってはそうでも、貴様にとっては外れてもいい話ではないと心得ろ。期間は少なくとも5年。その間、貴様が衆目と金を繋ぎとめろ。具体的にはG1級競走での勝ち負けだ。まずはそこまで無敗で駆け上がる。これを満たせなければ、御子の処遇は保証されぬと思え」
過酷を通り越した、いっそ妄想でしかありえないような要求だ。だが、如何な無謀であっても、頷く以外の選択肢は狼に残されていなかった。