隻腕の狼、ダートに駆ける。【SEKIRO×ウマ娘】   作:hynobius

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「3か月か。次が厳しいな」

 狼の予後について本人の口から伝えられた弦一郎の、開口一番の言葉がこれであった。時は十月の初め、南部杯から2日が過ぎた後のことである。完治してから走れる程度に仕上げる時間を考えると、冬の間は丸々休養に充てねばならない勘定になる。復帰を期待するファンは多いだろうが、果たしてどこまで熱量を維持できるか。とはいえ、弦一郎にこの時間を縮める術はない。出来るのは、信頼に値する医療技術者を恃むことだけだ。そして都合よく、この場にはリハビリテーションの専門家が存在している。

「貴様には専属に近い形で付いて貰う。雑事と代わりの人手はこちらで回しておこう」

 エマは元々、ウマ娘の運動能力回復を専門とした技術者であり、研究者でもある。中央のトレセンでの修行経験もあり、若くはあるが弦一郎の知る限り最高の適格者であった。当然の人選である。

 

 が、それが当然に受け入れられるとは限らない。それは、静かな声色であった。だが、その背後に孕んだ熱は隠しようもなかった。

「まだ、走るつもりなのですか」

「無論だ」

 即答した弦一郎に、エマの右手が閃いた。意外な素早さで襟首へ動いた手は、しかしあっさりと弦一郎の硬い掌に掴みとられる。

「何の真似だ」

「まだそのような戯言をっ……!」

「戯言なものか」

 狼の横たわるベッドの脇で、二人がにらみ合う。ぎり、とエマの腕に力が籠るが、剣術など修めているわけもない今世のエマでは、弦一郎の手を振りほどくことはできなかった。

「ウマ娘が故障から復帰して、また走る。それは、よいのです。私はそのためにこの道に進んだのですから」

 ウマ娘の脚は、一般的に出力に比して耐久性に欠く。レースと故障とは不可分の関係にあり、ある種望んで己を壊しに行く、愚かしい行為とも言えなくはない。だが、エマはその行いまでは否定しない。その助けとなるのが、己の仕事であると任じているためだ。

「ですが、これは見過ごせない。原因は明らかで、またこうなることが分かり切っているのに走らせるなど」

 弦一郎が握っていた手首を押しのけ、離す。怒りに揺れるエマの声とは対照的に、弦一郎の声はあくまで冷たく、固かった。

「次はこうならぬように努める。怨嗟の炎についても、調べに最も詳しいのは貴様だ。次も考えてもらおう」

「どんな対策()を打ったところでっ」

 思わず出た、といった風情の大きな声にエマは一度息を吐き、努めて落ち着いた声で続けた。

「レースに絶対はない。その言葉の重さを此度、思い知りました。……初めから、走らせるべきではなかった」

「エマ殿」

 割って入ったのは、狼であった。静かな、しかし強い視線が、エマの双眸を見据えている。

「俺は走る」

 エマの喉が、微かに鳴った。弦一郎は小さく口元を歪める。

「本人は、こう言っているが」

「……最善は尽くします。走ろうと走るまいと、治すのが私の仕事です」

「決まりだな」

 肩を落としたエマに一瞬だけ目をくれて、弦一郎は病室を後にする。長い沈黙が下りた。

 

 先に空気を揺らしたのは、エマの呟くように小さな声であった。

「……セキロ殿」

「……なんだ」

「貴女がそうするというのなら、止める術を私は持ちません。ですが、その代わりに約してもらいたいことがあります」

 狼の肩を、エマの掌が掴む。

「貴女の全てを話してください」

「……どういう、意味だ」

 エマの瞳の強さに、狼はわずかにたじろいだ。肩に置かれた指が、狼を逃すまいとするかのように食い込む。何かは解らずとも、何かを秘していることは確信している。そういった目であった。

「どれほどのことができるかはわかりませんが。もう、怨嗟の炎の洩れぬよう、考えることしか出来ません。……話してください。貴女と、猩々だけが持つ特別が何なのか、知らなければならないのです。……どうか」

 

 まるで、縋るかのようであった。助ける立場がエマで、助けられる立場が狼であるというのに。長い瞬きを一つして、狼は心を決めた。

 

「――長い話になる」

「ええ」

「話すのも得手ではない。それでも良ければ、話そう」

「……是非」

 

 かくして、エマは只人として初めて知ることとなった。血腥い風に満ちた、戦国の世の葦名。その地に在った常ならざる力と、それを巡る戦について。

 長い、長い話を終えて、病室には赤い夕陽が差し込んでいた。エマは狼の辿々しい語りを遮ることなく、静かに手元の紙片に書き留めていた。

「……今少し、考える時間を頂きます」

 狼の声が止み、静寂が満ちた部屋に、エマの呟きが響く。狼はただ頷いた。

 

 

 

 術後の経過は、順調そのものであった。適切な処置を受けて、セキロの強壮そのものの肉体は期待以上の早さで回復を見せている。リハビリテーションの経過も、車いすと歩行器を経て既に松葉杖を扱える段階……即ち、退院も間近になっていた。酷く壊れていた義手も早々に直され、狼の左腕に収まっている。念のため、とエマが一から検めたが、この腕自体に何かある様子は見られなかった。

 そのエマであるが。狼が全てを打ち明けてからの数日は、流石に平静とは行かない様子であった。しかしながら、本来の職責を忘れることもなかった。終始何かしらを考え込む様子を見せつつも、必要な仕事は確実にこなす。そしてここ数日は、彼女なりに話を呑み込んだか、何かと狼に訊ねてくるようになっていた。

「怨嗟が積もり、鬼に変ずる。それを、見たのですね」

「……ああ」

 多くを殺してきた忍びが、死者の怨嗟を集めて炎を発し鬼となる。

 仏師の語った言葉と、その成れ果てた姿。加えて、大手門の櫓で出会った老婆の言葉から狼が組み上げていた推察がそれである。身体が変じたとて、狼の積み重ねた死が無くなるわけではない。因果は引き継がれ、また炎を呼んだ。しかしこの仮説に対して、エマの態度は懐疑的であった。

「だが、それではおかしい。戦が怨嗟を生むというのなら、今の世では燃え上がる道理などないはず。……それに、もう一つ。前世の業というならば、なぜ貴女は()()()()()()のですか?」

 微かに目を瞠る。確かに、あの炎に呑まれた狼は、あくまでも勝利に執着していた。人斬りでなく、かつての世には影も形もなかったレースにだ。

「恐らくですが。貴女の想像とは、似て非なるものではないでしょうか」

 

 

「恐らくじゃがな。お前さんが前に見たのとは、少しばかり違うものじゃろう」

 そう、低く呟くように告げたのは猩々だ。九郎が身を寄せてから数日。猩々がトレーニングスタッフとして努めるトレセン学園の職員寮の一室で、二人は炬燵を挟んで座っていた。ならば何であるのか。そんな疑問を乗せた九郎の瞳が、猩々に注がれる。

「忍びというのは、因果なものじゃ。殺したその血飛沫さえ、次を斬るのに使おうとする……形代というのを、見たことはあるか」

「……いや。ない」

「無いなら、無いほうがいい。死んだ連中の、心残りがそれじゃ」

 業深き忍びは形代を多く憑け、それすらも利用して殺す。己の身に、誰かの無念を寄せるのだ。変わらぬのは、かつての因果ではなく忍びの習いであった。

「ということは、今の世でも」

「形を為すほどのものこそ無いが、薄っすらと、感じることはある。知らぬうちに、()()()おるのよ」

 死者でなくとも、無念は残る。それが競う場であれば、特に。ダートのコースには、いったいどれほどのウマ娘の心残りが浸み込んでいるのだろうか。九郎の目元に、暗い影が落ちる。

「では、猩々殿も」

「ふん。その通りじゃ」

 猩々は視線を遠くに投げて、鼻を鳴らす。

「儂も昔、そうなった。儂のことは、一心様から少しは聞いて居よう」

 九郎は、ただ首肯した。それをちらりとだけ見やって、猩々は言葉をつづける。

「ようやく、恩を返せると思うた。今度こそ、しがらみもなくやれるとな。一心様が憶えておらずとも、そうしようとして……結局はまた、呑まれた」

 無意識にか、その右手は脚を摩っている。動くが、走れない。猩々はそう言った。

「また、止めていただいたのよ。コースに走りこんで、儂を引き倒した。当然レースは丸潰れ。トレーナーの職は辞するしかなかった。死なんかっただけ、幸運だったろうな」

 一言口に出すたびに、己の身を抉っているような。苦々しい語り口であった。その姿を正視するのに堪えかねて、九郎は視線を俯かせる。

「なら、やはり、これでよかったのだな」

「……さあな。儂には、どうとも言えぬ」

 そろそろ、狼の退院も近いころだろう。治るのはまだ先だが、レースもなければ焦る必要などない。猩々の煮え切らぬ答えに心揺らされながらも、九郎は願う。狼が、今度こそ人として生きられるように、と。

 

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