隻腕の狼、ダートに駆ける。【SEKIRO×ウマ娘】   作:hynobius

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 明くる日。エマは常の通り来た迎えの車の中に、普段はない人の姿を認めた。弦一郎だ。乗り込んだ彼女に、弦一郎は開口一番に問うた。

「調べは進んだか」

「いえ。確かなことは、何も」

「確かでなければ、あるのだな」

 即座に切り返してくる弦一郎に、エマは僅かに眉を顰める。怨嗟の炎について分かったことのほとんどは、狼を介した前世に纏わることばかりで、狼の退院以来大して進んではいない。その源泉が、戦の死者でなくレースの敗者の心残りであろう、というのがある程度確からしい推論だ。とはいえ、これも防ぐ手立てには結びつかない。

『何のために斬っていたか、それすら忘れ、ただ斬る悦びに心を囚われる』

 狼のもはや遠い記憶から拾い上げたこの言葉が、今残る唯一の手がかりである。目的を忘れさえしなければ、修羅に落ちることはない、というところか。あまりに曖昧で、不確かな情報。エマは、もう二度とそんなものに縋るつもりはなかった。

 

 そもそも。

「セキロ殿が、まだレースに出るとでも思うのですか」

 在り得ぬことだ、と切り捨てようとしたエマに、弦一郎は口元を歪めてみせた。

「その目はある。あの娘(アグネスデジタル)が上手く焚き付けてくれたようだ」

「焚き付ける、とは。……ウマ娘の本能、ですか」

 曰く、ウマ娘は本能的に走ること、競うことを好むという。それは、およそ七割のウマ娘が勝ち星を一つも掴めないという、あまりに厳しい現実を知りながらも、中央トレセン学園の門を叩くものが途絶えないほどに。種族レベルの抗いがたい衝動、それを当てにしているのか。だが、弦一郎の言葉はエマの予想からは外れていた。

「否。それも多少はあろうが……もっと前から、あれはそういう性質(たち)だろう」

 その言葉にエマは首を傾げた。狼の振舞いも、語られた前世の生き方も、そういった印象からはほど遠かったからだ。きっと解らぬだろう、と弦一郎は思う。あの戦の日を本当の意味では知らぬ、この女では。

 かつての狼は、あらゆる技でもって弦一郎と斬り合い、殺し尽くした。忍びの技、葦名流の技、仙峯寺の坊主共の技、果ては巴流の技に至るまで。全て、戦の中で身に着けてきたのだろう。敵の全てを吞み込むようなそれは、葦名一心のそれと同じだ。

 瞳に、修羅の影があると。狼はかつて、一心に言われたのだという。相手に挑み、勝ろうとする執念。人斬りの才。そう呼ぶべきものが狼にはあり、……きっと、弦一郎には無かった。使命のために人を斬ることと、人斬りのために人を斬ること。その危うい端境にまで踏み込める、数少ない人間。或いは狂人と称されても仕方ないその資質が、狼にはあった。

「……そうでなければ。葦名一心(剣聖)になど、勝れるはずもない」

 エマには聴き取れぬほど低く、弦一郎は呟いた。

 

「ですが、それでも。九郎殿が望まない限り、それは在り得ません」

 仮に、弦一郎の言葉が真実であったとして。それでも狼を動かすには至らないと、エマは断じる。走ること、走らぬこと。両者を較べる天秤には、九郎という、狼にとってはあまりにも大きな(おもり)が乗っている。

「どうかな。なら、あれが現在(いま)に満足していると、そう思うか」

「……それは」

 答えは、明確に否。敬愛する主に突き放された狼の様子は、傍から見ても酷いものだ。まして、九郎は今までの暮らしを全て棄てざるを得なかった。――良き関係にあった級友たちにも、何も告げられぬままに去ったのだ。そうさせてしまった事実は、間違いなく狼を憔悴させていた。

「御子は取り戻す。行く先の当てはまだ掴めていないが、必ずだ」

「……それで、また盾に取ろうというのですか。九郎殿が従う理由など無いでしょう。それに、仮に何かしようとしたのなら。セキロ殿も、私もきっと許しませぬ」

「もうそれが使えんのは承知の上だ。……安い手に頼った()()だな」

「なら、どうすると?」

「まだ手が一つだけある。正真正銘、最後の手だ」

 

 

 

『――アグネスデジタル捉えたか、捉えた捉えたゴールイン!』

 雨の中、ゴール板を駆け抜ける彼女の姿を、何度も繰り返す。いつか自分と走ったよりも、更に進化したであろう力強い末脚。ダートに共に立ったとして、如何に勝つか。そんな無意味な思考を自覚して、狼は頭を振った。

 ……知らぬうちに、己は余程、レースというものに魅入られていたらしい。レース場に詰め掛けた観衆の歓声(こえ)を思う。『走りたい』と言った、アグネスデジタルの表情を思う。自分の胸に熾った、静かな熱を思う。だが、それらを束ねてなお、狼の心の天秤は動かない。周りが、己が走りたいと望んだとしても。それが主の心を苛むのなら、そうする()()()()()()のだ。

 

 画面を流れる映像が切り替わる。もうひとつ前のレース。即ち、アグネスデジタルとセキロが競い、敗れ去ったレースだ。ひとつ前に見た映像では芝を駆け抜けていた彼女が、今度はダートを巻き上げながら力強く駆けている。奔放極まりない、欲望のままに走る少女の姿を、狼はほんの僅かに羨んだ。視点が変わって、先頭を駆けるセキロ自身の姿が映る。感情の色の薄い顔に、しかしはっきりと解るほどには不安が浮かび上がっていた。

 

 ――九郎の目に、己の姿はどう映っていただろうか。勝てば、喜んではいたはずだ。弦一郎との約定など知らぬ、あの頃は。間違いなく幸福だった。たとえそれが、薄氷の上の偽りであったとしても。

 ふと思い立った狼は画面を離れて、九郎の私室を訪れた。私物の類がほとんど無くなったその部屋のに、九郎が置いていったものがいくつかある。そのうちの一つは押し入れにしまい込まれたセキロのぬいぐるみであり、もう一つは文机の抽斗の中にあるグッズの類であった。その抽斗を、狼は引き開ける。狼が退院した日。九郎がいなくなったことを知ったその日のまま、引き出しの中には幾種類かの缶バッジが並べられている。弦一郎か狼に求めれば手に入るかもしれないそれを、九郎は態々買って集めていた。何とはなしに、それを指先でなぞる。嬉し気に見せる九郎の笑顔ばかりが、脳裏にちらついた。

 無為な感傷に浸食されていた狼が、我に帰ろうとした矢先。……指先に、こつりと何かが触れた。バッジではない、いくらか大きく、硬い何か。抽斗の開ききらない奥側に隠れていたらしいそれを、狼の指はつまみ、引き出す。

「……九郎様、」

 その目で見て。指先で、形を確かめて。ひどく馴染みのあるその形に思わず、狼は声を震わせた。

 

 

「ここにいたか」

 弦一郎の声。振り返れば、エマも隣に佇んでいた。ウマ娘の耳と忍びの感覚を備えておきながら、今に至るまで気付かなかった己の自失ぶりに呆れる。

「話がある」

「話すことなどないだろう。……どうあれ、明日には出ていく」

 そう。明日には、義母が迎えに来る。狼は、それで去るつもりであった。次の、弦一郎の行動を目にするまでは。

 

()

 弦一郎が、常と違う名で呼ぶ。微かに目を瞠った狼の眼前で、弦一郎は背筋を正してゆっくりと膝を折った。人前に出ていないためか括られぬままに伸びた、男にしては長い髪が畳を摺って、次いでその額が床に付けられる。エマの喉が、驚きのあまりに声にならない掠れた音を立てた。

「……何の、つもりだ」

 

「レースに、出て貰えぬだろうか」

 それは、見事な土下座だった。

 

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