隻腕の狼、ダートに駆ける。【SEKIRO×ウマ娘】   作:hynobius

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 アグネスデジタルの次のレースは、フェブラリーステークスを予定しているらしい。天皇賞、香港カップと芝のレースを連戦してからの目標としては些か奇妙ではある。ダートから芝、芝からダートと路線変更を繰り返す彼女のレース選択を、ファンの多くはもう『そういうもの』と理解を諦めている風だったが、狼の視点からは別のメッセージが浮かんでくる。待っている、と。そういうことなのだろう。

 狼としても否やはない。だが、ここで一つの問題が浮上した。出走権である。

 中央で施行されるGⅠ競走であるフェブラリーステークスは地方との交流競走となってはいるものの、地方ウマ娘専用の出走枠が設けられているわけではない。中央のウマ娘も含めて、出走したければ収得賞金額での争いを制する必要があるのだ。

 ここまで多くのレースを勝ち抜いてきたセキロではあるが、何年と走り続けるウマ娘も少なくないダート戦線において、その数は絶対的なものではない。しかもその殆どは葦名主催。中央と比べれば、賞金額としては控えめになっている。重賞、JpnⅡの勝ちはあるものの、唯一のJpnⅠレースである南部杯は競走中止。せめて2着で入線していれば賞金を積み上げることもできたのだが、言っても詮無い話だ。

 現在の賞金額で、果たして出走できるのか。弦一郎の下した判断は、除外を受けてもおかしくないというものだった。されたらされたで不運と諦め、次を待つという選択肢もある。だが狼が選んだのは、確実に出走する方法。即ち、ステップレースである根岸ステークス、その1着と2着に与えられる優先出走権を獲得する道であった。

 

 

 

『さあ、この後45分から行われます根岸ステークスのパドックです――』

 居間から微かに流れてくるテレビの音に、九郎は背を向けて布団へと逃げ込んだ。元々一人暮らしの家に無理を言って置いてもらっている都合上、さして広くない部屋の中でそれを聞かずに済む方法は、自分の耳を塞ぐ以外にない。行儀が悪いとは思いながらも、布団の中で目を瞑った九郎は小さく息を漏らした。

 セキロが、根岸ステークスへの出走を表明した。その報を受けてから、九郎の心はずっと波立っている。もう、己という枷は無くなったはずなのに。あの悍ましい修羅の炎を抱えながら、いったいなぜ走るのか、九郎にはわからない。

 くぐもった、低い声が聴こえる。猩々が、いつの間にか寝台のすぐ傍らにまで来ていたらしい。元忍びらしい密やかな足取りは、九郎の耳では布団越しに聞き分けられない程度には抑えられていた。

「本当に、見には行かんのじゃな。大した距離でもないが」

「行かぬ」

 東京レース場は、トレセン学園のすぐ近くにある。教官としてトレセン学園に勤める猩々の家からレース場までも当然ごく近く、今から家を出ても、出走までに余裕をもって観客席を確保できるはずだ。とはいえ、九郎の答えは猩々からしても予想の通り。彼は頑なに、狼のレースを見ようとしなかった。

「セキロと私とはもう、赤の他人だ。見には行かぬ」

「ふん。お前さんがそうでも、向こうがどう思っているか知らんがな。そう言うなら好きにしな。儂は見に行くとしよう」

 そう言って、さっさと居間へと戻ってしまう。漏れ聞こえるテレビの声を拾ってしまわないよう、九郎は布団を強く握った。

 

 

 

『さあ、偶数番から順に、枠入り順調に進んでいます』

 良く晴れた空の下で、スターティングゲートを目の前にした狼は小さく足を動かし、その感触を確かめた。足元の砂はよく乾き、柔らかい感触を足裏に返してくる。特別に荒れた場所もなく、絶好と言ってよいバ場状態であった。ゲート入りが進むごとに、観客席の緊張がいや増していく。

 根岸ステークス。東京レース場、ダート1400mで行われるGⅢ競走だ。かつて出走した葦名グランプリや南部杯と比して、格付けとしては落ちることとなるこのレースであるが、場内の喧騒はその南部杯に引けを取らぬほどであった。初めての東京。盛岡では平然としていた――今も、傍目には平然として見える――セキロであったが、些か気圧されるような部分があるのは否めない。

 これが、中央か。心中でそう漏らした彼女は、この日の4番人気に推されていた。より上の人気には、以前南部杯で戦ったウマ娘の名もある。最後の瞬間までは完全に抑え込んでいたと言ってよい結果ではあったが、故障明けで間もないため致し方ないところか。実際、人気の数字を気にしたところで意味はない。あくまでも、観客から見た印象でしかないのだから。

 

 ゲート入りが完了した。目を閉じることなく、ゲートの開く瞬間に集中する。音とともに、狼はとん、と()()地面を蹴って走り出した。

『さあ一斉揃ったスタート、おっとこれはセキロやや遅れたか』

 出足はさほど良くせず、すっと控える形をとる。警戒されていたのか、幾人か勢いよく飛び出したウマ娘がセキロのほうを見て、肩透かしと言わんばかりの表情を見せた。やはり、ウマ娘とそのトレーナーの目には、セキロは要注意対象として映っていたらしい。内枠をとなったセキロの前と横を固めようという腹だったのだろう。構わずするすると位置を下げて最後方へ。隣に並ばれた今日の上位人気二人がそろって動揺をあらわにする。どちらも追込みを得意とするウマ娘だが、いままで先行策を主として来たセキロのこの動きは予想外で、それ以上に不気味であるようだった。

 

 有力者を後ろに固めたまま、レースは控え目の展開で進む。とはいえ僅か1400m、分類としてはスプリント戦となるこのレースはあっという間に佳境を迎える。即ち最終直線の入り口、全員が速度を上げて走り抜けようとする。後方から動いたのは3人。内を突いて足を伸ばそうとするもの、大外から豪快な差し脚を伸ばすべく位置を取るもの、そして。

 それにぴったりと身体を合わせるようにして、競り合う体勢のセキロ。先手を無理やり奪う方法もあった。確実、というならそちらだったろう。だが、ここで狼は勝負に出た。このレースの、ではなく、この後走り続けるための、逃れられぬ賭け。

 

 左腕から溢れる炎。色の抜けた視界と響く声が、狼に、勝利のために全てを(なげう)てと命じてくる。それを無視して、狼は右掌にあるものを握りこんだ。

 右手首に紐でもって括りつけられた、セキロの小さな掌にはやや大きいそれは、狼にとってひどく馴染み深い形をしている。武骨な姿の刀匠鍔。樹脂粘土で形作られたそれは、本物と比べればはるかに軽い。だが、その作り手の込めた思いはと言えば、けして劣らぬ重さであろう。

 楔丸。その名に込められた祈りは、確かに主を繋ぎ止めた。ただ一時の勝利のためでなく、もっと遠くある目的のために。

 

 セキロと並んで走るウマ娘は幻視した。左腕から噴き出た炎が逆巻き、セキロの身体を覆い、また右腕へと吸い込まれるようにして消える。身を焦がすことなく、巡る炎。類稀なる強者とのレースの経験が、彼女にその幻視の正体を告げる。これこそ、セキロの完成した『領域』であると。

 一歩踏み込むごとに、差が開いていく。南部杯で見せた暴虐的な加速と比べれば一歩毎は控えめで、その代わり揺らぐことのない走り。遠ざかるその背中を、彼女はただ見送ることしかできなかった。

 

 

 

『――セキロ、セキロだっ!セキロ復活!大外一閃、驚異の末脚でセキロ一着!』

 

 

 老人は、病室でその声を聞き、呵々と笑った。いつの間に持ち込んだか解らぬ酒杯を煽り、飲み干す。

「カカカッ、怨嗟すら呑んで見せるか!見事じゃ、セキロ」

 かつて己の担当を苛んだ炎。それを捻じ伏せてみせたウマ娘に、老人は賛辞を贈る。その瞳に映る色は、感歎か、羨望か。その無粋な切り分けの境界は、もう一杯、と飲み干した酒精に蕩かされた。

「さあ、迷わず行け。……迷えば、敗れるぞ」

 

 壮年のウマ娘は、大観衆のどよめきの中でその声を聞いた。

「……よくやったな、お前さん」

 無意識のうちに脚を擦る。動きはするが、嘗てのようにはもう走れなくなった脚。二度目の生でも彼女を捕らえた炎は、また同じ相手によって終わりを齎された。感謝の念とともに彼女は祈る。願わくは、あの不器用な元忍びの行く先に幸いがあるように。

「……あとは、あの子次第じゃろうな」

 

 

 

 ――少年は、テレビ越しにその声を聞いていた。

 




秘伝・炎纏い

怨嗟の炎を昇華した領域
レース終盤に競り合うと、総身に炎を纏い速度がゆっくりと上がり続ける
勝利を渇望し、然して呑まれず。己を繋ぎ止める楔があってこそ、叶う技
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