隻腕の狼、ダートに駆ける。【SEKIRO×ウマ娘】   作:hynobius

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 セキロは、非常に多彩な技術を持ち合わせたウマ娘である。過去のレース映像を穴が開くほど眺め、共に走りもしたアグネスデジタルの目には、そう映っている。

 例えば、スタートの飛び出し。反応が早いだけでなく、強烈な踏み込みによる一瞬の加速は、ただの身体能力だけでは為し得ない。例えば、良バ場で見せる独特の走法。他のウマ娘と比べて極端に沈み込みの少ないあの走りも、やはり他に例のない技術だ。他にも、オニカゲとの競り合いで見せたターン。直線で見せる異常な伸び脚。そして、目覚めたばかりの領域。

 アグネスデジタルは、セキロがその全てを()()()()()と思った。この時点で、差はおよそ半バ身。唯一、葦名グランプリ以前に見せた伸び脚こそなかったが、目前で見た炎を考え合わせれば、あれは未熟な『領域』の萌芽であると考えてよいだろう。無論、油断はしない。顔を向けるようなことはしないが、全身の神経はすぐ左後ろに立つ強敵に向けられている。

 だからこそ、理解できなかった。その気配が、一瞬掻き消えたように感じられたのが。

 

 

 

『その目。……否。何でもない……来るか、セキロよ』

 セキロにとって。義母とは、不可解の象徴とも言うべきものであった。

 かつて、義父が己に働いた裏切りを憶えている。そしてその果てに、その因果を返したことも。もとより義父の心など、幾らも知らぬまま生きていた。忍びの父子とは、そういうものだ。あのような野望の炎を燃やしていたなどとは、彼を己の手で殺めるまで知りようもなかった。そして、最期までやはり解らなかった。『見事なり』と言い遺して死んだ、梟の心中は。

 新たな生で出会った義母は、それ以上に解らなかった。時折山野の獣を狩る程度で、どのように生計を立てているのかも知らぬ。昔のことも、これからのことも語ることはなく、セキロに走りを教えるだけ教えて、何を望むこともない。勿論、現代で忍びの父子の真似事などしていればそれは異常であろう。だがその方が、まだ解りやすかった。また、何某かの野心を果たすため、手足として育てているのなら。そうでもなく、何故所縁もない子供を拾って、育てているのか。義父と同じように見えて、その実その根本が何処にあるかが掴めない義母を、セキロは常に戸惑いとともに見ていた。

 

 フェブラリーステークスを間近に控えたある日であった。その義母が、唐突に練習中のコースに現れたのは。めったに見ぬジャージに身を包んだ姿で、彼女はさらりと口を開く。

「さて、走ろうか」

「……それは、どういう意味で」

「コースを一周、儂がコーナーまで先に走る。お前のトレーナーから許しは得た」

 やろうか。そう言って、梟は走り出した。意図は何もわからぬまま、だが弦一郎には確かめたという。セキロは取り敢えず、コーナーまで差し掛かった梟を追って走り出した。

 現役の競走ウマ娘ではない割には、随分と早い。それが、セキロの抱く感想だった。割には、というのが全てである。かつて教えられていた時には、もっと早く感じられたはずだった。セキロが育ったのか、梟が衰えたのか。どちらも真実であろう。一周。梟を軽く数バ身は突き放して、セキロは駆け抜けた。どちらも、全力ではない。軽く上気した息を吐いて、義母が言う。

「やはり。よく、育った」

 訝し気に視線だけを寄越したセキロに、梟は更に言葉を重ねた。

「もう一度だ。ゆくぞ」

 

 

 梟は走る。一度目よりもほんの少し早く、コーナーを回る。後ろで鳴った足音が、セキロのスタートを告げる。

――生まれるより前から、ずっと何かに焦がれていた。

 ウマ娘には共通して、走り競うことへの欲求があるとされる。だが時に、それだけでなく特定のレースなどに執着を示すものがいる。それも、憧れた人や衝撃的なレース光景などといった、人の子供のような切欠の一つもないうちから。その現象は、ウマ娘が異世界の魂を受け継ぐとされる所以の一つでもあった。

 だとすれば、己の魂の源となったのは、いかなる存在だったのだろう。ひたすらに、『名を響かせよ』と叫んで止まない、この声の主は。

 

 トレセン学園の門戸は、広く開かれている。生まれ次第で生き方のほとんどが決まるような戦国の世と違い、寒門の出であっても門を叩くことはできるのだ。秀でた才を示しさえすれば、の話だが。梟には才があった。近しい才を持ちながら、「恩義がある」と言って地方のトレーナーに師事した同朋を、彼女は内心嘲った。当時の地方と中央の間には、広く深い溝が横たわっていたからだ。得られる金も名声も比にならず、今と違って地方出身者が中央へ乗り出す道も乏しい。選ぶならば、中央に決まっていた。

 トレーナーは己で選んだ。若く自信と、それに見合う才に溢れた男だった。名家の者たちと較べれば不満は残るものの、十分な伝手を持たぬ梟としては最良の条件であった。入念な分析に基づく脚質自在の走りで勝ち星を積み重ね、クラシック戦線に名乗りを上げ。

 

 そして、そこで本物の怪物を見た。

 後に、神にすら擬えられた神域の才。如何に走りで惑わしても、他のウマ娘を動かし争わせても、全てを斬り飛ばして叩き潰す、大鉈の如き走りの王者。彼女の一番欲しかった頂には、決して手が届くことはなく。入着賞金ばかりが、ただ積み上げられていく。……報われず走る日々に、ついに音を上げたのは、梟でもトレーナーでもなく彼女の身体だった。

 

 

 

 こうして梟の夢は終わり。故郷で彼女は、ウマ娘の幼子と出会った。

 生きるということの全てを諦めたような、澱んだ瞳。初めて出会ったはずの幼子のそれを、梟は何故か()()()()()と思った。故に拾った。そして、他に何も知らぬ故に鍛えた。……素直に教えを呑み込んでいくそれに感じる、胸の奥の熾火が爆ぜるような心地に戸惑いながら。

 

 気付けばゴール間近。軽々と自分を捉え、追い抜いていくセキロを見る。瞳には、強い意志の光。勝利を見据える、飢えた狼の瞳だ。……本当に、よく育った。己の脚が、全盛のものでさえあれば。真の戦いも叶っただろうか。神仏の力でも無くば届かぬ願いを、梟は振り捨てる。今為すべきことは、他にある。

 ――梟とは、綽名である。本当の名はとうに棄てた。世界に響かせられなかった、誰も知らぬ名前などは。

「セキロよ。我が名の所以、見せてやろう」

 風が、吹き抜けた。

 

 

 

 その場の殆どが、一瞬の間、セキロの姿を見失った。観客も、ウマ娘たちも、アグネスデジタルでさえ。……デジタルの領域は、他ウマ娘の魅力を源として湧き出す力。見惚れるべき相手を見失って、その力が寸の間、揺らぐ。

 深く深く沈み込んだ身体は力を蓄えて、一本の刀、その切っ先のように一息に突き出された。アグネスデジタルの右隣。意識の外へ唐突に現れたそれに、彼女は一拍遅れてその姿を知覚する。

 ゴールまで僅か一完歩の距離。二人の身体が完全に並ぶ。まだ、並んでいる。セキロの肉体は、放たれた矢の如き状態。伸び切って、止まる。そう思われたその身体が。更に一歩、()()()

 

 大忍び()()

 

 あらゆる技を積み重ねて。セキロがほんの僅か、先にゴール板を駆け抜けた。

 

 

 

「教官など、と思っておったが。……猩々の気持ちも、少しは分かった」

 スタンドの最後方。梟の、猛禽の如き鋭敏な視力は、ゴール直前の攻防を余すことなく捉えていた。己の技で最後の一歩を制してみせた娘。その姿に、知らず、口元を歪めて彼女は笑っていた。

「……これは存外に、心地よいものだ」

 




大忍び差し

レース終盤に他のウマ娘の視野から外れ、大きく一歩踏み込み、さらに一歩差す
その様は猛禽の狩りに似る
若き梟が磨き上げ、その代名詞とした技
これは、強敵を仕留める最後の爪となる筈であった


明日、最終話です。
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