隻腕の狼、ダートに駆ける。【SEKIRO×ウマ娘】   作:hynobius

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 葦名市の、一応は中心市街と呼ばれる区域。旧城下らしく細い道が入り組んだそのただなかに、中々に立派な構えをした古風な邸宅がある。随所の増改築を繰り返しながらも、江戸以前より存在していたというその屋敷は、地元の名家である葦名家の本邸だ。その門前に自動車が止まり、一人のウマ娘だけをそこに放り出して走り去っていった。セキロである。細い道の横幅一杯を使って走り去っていく車を見送って、彼女は門をくぐった。

 

 弦一郎は市役所でまたぞろ所用があるらしく、彼女のみが先に家へと帰された形だった。当初は『安い手』と語った通りに狼を寮の一室に放り込み、トレーナーの実務も都合の付いた二流未満のトレーナーに丸投げとしていた弦一郎であったが、実際にセキロが勝ち上がるのに従って本腰を入れる価値があると認めたらしい。自身の邸宅と使用人を貸し与えて、トレーナー業務にも自ら携わるようになった。とはいえ本職とは言えないトレーニング自体はほとんど狼の自由裁量であり、弦一郎の領分は主に事務手続きとアイドル的な売り出しの方面だったが。ともかくセキロのトレーナーという立場になるにあたって、表向き役人としての立場は手放した弦一郎だったが、実のところ今も相談役などという名目で業務を続けている。こういった形になる日も決して少なくなかった。

 

「只今、戻りました」

 暗い玄関からそう声を投げて、狼は靴を脱いだ。この時間帯であれば、使用人は夕食の準備にかかりきりで声の届く範囲には居ないだろう。そう考えていた忍びの、ウマ娘となってより鋭くなった耳に、はたはたと軽い足音が響いた。廊下を曲がって近づいてきた足音の主がほど近い位置で立ち止まる。ほどなく電灯がぱちりと音を立てて点き、その人影を照らした。

「待っておったぞ、セキロ!」

 まだ幼く中性的な顔立ちに、艶やかな黒髪を短く切り揃えた少年。現在の彼女の同居人の一人であり、かつての竜胤の御子。九郎が、面を輝かせて立っていた。

 

「今日は朝から賑やかだったぞ。久しぶりのプールだけあって皆浮かれていてな、こーんな大きな水鉄砲を担いで来たのまでいた!まあすぐ先生に没収されてしまってたがな」

 軽快な足音を立てる小さな両足の後ろを、僅かな音もたてずに狼の足が追う。狼の手を引いて居間へと向かいながら、九郎はにこにこと学校での出来事を語っていた。今は夏休み期間だが、ちょうど今日は登校日であったらしい。久しぶりに級友や教師と過ごす時間を楽しんだことが、存分に伝わってくる。狼は僅かに相槌を返すのみだったが、九郎は気にするでもなく楽し気に喋り続けていた。狼の口の少なさは知れている。同じ家に住み始めてから一年足らずではあるが、互いの距離は十分に理解していた。

 やがて居間に着き、狼がソファに腰掛けると九郎はその膝に飛び乗った。本を読むにせよテレビを眺めるにせよ、この場所が九郎のお気に入りであるらしかった。

 

「ほら、一日で随分焼けてしまった。真っ黒だ」

 そういって九郎が差し出した腕は言葉通りに黒く焼けている。その指先に小さな擦り傷があるのを、狼は目敏く見咎めた。

「……それは」

「ん?ああ、これは壁で少し擦ってしまってな。手当は済んでいるから心配は要らないぞ」

「ですが」

「相変わらず心配性だな、セキロ」

 そう言って笑う九郎に、狼はそっと目を伏せた。今世の普通の子供は傷を負うとしても精々この程度。竜胤の呪いから解き放たれた主は、忍びの手が護らずとも、平穏で普通の日常が約束されている。ただし、狼を繋ぎとめる楔としての役を担わされていなければ、だ。何も知らぬ主に気取られぬよう、狼は静かに唇を噛み締めた。

 

 

 

 狼が九郎と初めて引き合わされたのは、彼女がレースにおいて三勝目を数えた後のことだった。大した説明もなく寮を引き払うよう言い渡された彼女は、少ない荷物を持って車へ放り込まれた。長くもない移動の後に門前に降ろされて戸惑う狼に、弦一郎は短く告げた。

「俺の屋敷だ。今日からはここに住め。使用人には話を通してある」

「……どういうことだ」

「雑事は全て任せればいい。今後は走ることのみに注力しろ」

 

 それだけ言って邸内へと歩みを進める弦一郎に、狼は鞄を抱えて追随した。家はしんと静まり返っており、構えの割に少ない、最低限の人しか置いていないことは明らかだ。十分に整えられた広い前庭を横切る最中、弦一郎が思い出したように呟いた。

「ああ、それと。御子もここに住まわせている」

「……なんだと」

「あれには自由にさせている。貴様も、本分を忘れん限り好きに過ごして構わん」

 

 その言葉を拾ってから玄関にたどり着くまでの短い時間に、狼の心中は大いに波立った。契約時には遠くから僅かに姿を見たのみで、今世での九郎がどのように在るか、狼はまるで知らない。義母と弦一郎の例を見るに、為人が大きく変わることはないのだろう。だが、義母は前世を知らなかった。弦一郎は知っていた。九郎は、果たしていずれだろうか。

 

 ――己は、どちらであってほしいのだろうか?

 心中に浮かんだ下らぬ問いを、狼は直ぐに心の奥へと押し込めた。己の望みなど考えるまでもない。主にとって望ましければ、それで良い筈だ。では、九郎にとって、竜胤の御子としての生は如何なるものだったろうか?これも考えるまでもなかった。呪いと人の死に塗れた、忌まわしい記憶に他なるまい。只人として生きるには重く、何の益にもならぬ。であれば、きっと、知らぬ方が良い。

 

 そう心を定めた狼の前で、弦一郎が玄関戸を引き開けた。まず目に入ったのは年嵩の女性。おかえりなさいませ、と深く頭を下げる姿に、こちらが使用人であると察する。そしてもう一人、やや後ろに佇みこちらを見上げてくる少年の姿があった。一瞬、微かに瞠目した彼は、すぐに笑顔で口を開いた。

「おお、そなたがセキロだな。弦一郎殿から話は聞いているぞ。私は九郎だ。これからよろしく頼む」

「九郎、様。……お初に、お目にかかりまする」

 

 前世では決して呼ばれることの無かった名に、拭い難い違和感を覚えながらも安堵する。それで良いのだと、狼は微かな胸の痛みを押し殺すようにして答えた。




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