隻腕の狼、ダートに駆ける。【SEKIRO×ウマ娘】   作:hynobius

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「重に、なるかもしれんな」

「ああ」

 葦名弦一郎とセキロの二人は、スタンドの一角にある関係者席から空を見上げていた。昼過ぎから弱く降り出した雨はダートコースを湿らせ、第6レースからはバ場状態は稍重へと推移した。時折止んではまた降り始めることを繰り返しており、セキロの出走するメインレースまではまだ少し時間がある。コース状況のさらなる悪化は十分に考えられた。過去のレースで重バ場を走ったことはあるが、良バ場と比べれば練習機会も少なく()()が起こりうる。確実に勝ちに行きたい二人としては、あまり歓迎できる状態ではなかった。とはいえ、案じても天気は変わらぬ。体を冷やすなとの弦一郎の言に従って、狼は早くに控室へと引っ込んだ。

 

 残された弦一郎は、見るともなくスタンドを眺める。ちょうど2つ前のレースの出走直前、パドックから観客がスタンドの方へと移動してくるタイミングだ。重賞レースを控えているだけあって、普段よりも人の入りが大分いい。その中に、ひときわ目立つ影を弦一郎は見つけた。最前列にかぶりつくようにして、鞄から引っ張り出した飾り付きのうちわを振り回す、小柄なウマ娘だ。先ほどまではパドックのほうでも最前に陣取っていたはずで、余程の熱量を観戦に賭けているのが窺える。ああした熱心なファンがいるのは喜ばしいことだ、と弦一郎は思う。なぜか怪しさ満点の耳出しニット帽とサングラスをつけているのが気になるところではあるが。

 

「……しかし、どこかで見たような」

 少しの間考えて、弦一郎は思い出すのを諦めた。遠目のことでもあるし、それ以上に柵にかじりついて口の端からよだれを垂らしている姿から何かを思い出せる気がしなかったためである。ゲートが開く音に、弦一郎の視線はコースへと引き戻された。

 

 

 葦名レース場では、出走のおよそ30分前にパドックでのお披露目が行われる。場内のアナウンスに従って、本日のメインレースに出走する面々が次々とパドックの方へと向かっていた。パドックの観覧席部分は、コースから地続きの広場を柵で仕切っただけの狭い空間だ。観戦者の中でも比較的熱心なものだけが集まるはずのそこをいっぱいに埋めた観客たちは、微かにざわめきながら主役の登場を待っていた。

 

 今日の狼は最内枠であり、パドックでの順序も先頭となっていた。中央のそれとは違いただ台があるのみの簡素な舞台に登った狼は、瞑目して一つ深く息を吸う。そして、羽織っていたジャージの上着を慣例通りに脱ぎ捨てた。集まっていた観客たちが抑えきれぬとばかりに叫ぶ。これまで出てきたレースの中でも一番の歓声だった。11戦目でも伝説が続くことを、皆期待しているのだ。

 

 軽く手を挙げて応えた狼は、その中に少し聞き覚えのある奇声が混じっていることに気が付いた。視線を向けると、あまり有効とは言い難い謎の変装をしている、昨日見たウマ娘の姿。あの一件のことを気にして気付かれないようにしているのだろうか。しかしその割に手に持っているうちわには『こっち見て』『手を振って』のラメ文字が輝いていた。とりあえずうちわの文字のとおり、軽く手を振ると「はひゅっ」という奇声とともにその場で完全に硬直し動かなくなる。大丈夫だろうか。そう案じる狼だったが、どうやらここでお披露目時間の上限が来たらしい。身振り手振りで合図する係員に従って、狼は台を降りた。

 

 一通りのお披露目を終えて先頭で足を踏み入れたバ場は、独特の雨の匂いを漂わせていた。返しウマと呼ばれる軽い準備運動で、足元の感触を確かめる。濡れて堅く、しかし場所によっては凸凹に荒らされた地面。雨は既に止み、場内のアナウンスでは稍重と発表されたが、実態としては重に近い感触だ。乾いているうちはトラクターと砕土機(ババヲナラスクルマ)を走らせればかなり整うが、雨となってはそれにも限度がある。既に10レースを終えた今は、インコースを中心に見てわかるほど掘り返されている様子だった。全て、狼にとっては逆風といってよい。深く息を吐き、狼は黙ってスターティングゲートへと歩き出した。

 

『まもなく本日メインレース、白蛇賞の出走となります。ゲート入りが進んでおります――』

 場内アナウンスでも流れているこのレースの名は、葦名の土着信仰に見られる白蛇が由来だ。実物に幾度か遭遇した狼としてはぞっとしない命名であった。そんなこのレースの距離は1600m。第3コーナー近くのポケットが、今日のスタート地点となる。

「セキロ。いいレースにしような」

 そう声をかけてきたオニカゲは2枠3番、狼の二つ隣だ。……これも運がない、と枠順決定を見た弦一郎は顔を険しくしたものだった。二人の間にもウマ娘が収まって、全ウマ娘がゲートの中。ぴり、とした空気の中で、

『今、スタートしました!』

 がしゃりと開いたゲートから12人、全てのウマ娘が飛び出した。

 

『これは綺麗にそろったスタート、先行争いはまず1番セキロから』

 例によって好スタートを切った狼は真っ先にコーナーを目指す。常になくテンから全速で飛ばす走りには、このコースで最内枠を走らされるが故の焦りが滲んでいた。第3コーナー付近のポケットから始まるこのコースは、スタート直後に急角度の第4コーナーを迎える。インを先行しやすい内枠が有利に見えて、外から切り込む形の方がコーナーを回りやすくスピードに乗れる。外から被せられると途端に動きにくくなり苦しくなるコースでもあった。まして内が荒れて有利の少なくなる重馬場、開催後半のレースともなれば猶更のことだ。故に、普段であれば先行抜け出しや好意差しを苦にしない狼も、多少の無理を承知でハナを切ろうとする。そして、その利を決して見逃さない敵が一人、この戦場にいた。

 

『さあ外から3番オニカゲ競りかけてこれは激しい先行争い、正面スタンド前へと入っていきます』

 セキロを抑えるには絶好の位置から、このコースを知り尽くした古豪が迫る。固く締まった地面を自慢の豪脚で叩き伏せながら狼を内に閉じ込めた彼女は、小回りを強いられる狼をあっさりと抜き去って斜め前の立ち位置を確保した。

 外はぴったりと抑えられ、荒れた足場ではまっすぐ抜き去るのは至難、位置を下げればバ群の中に沈む。間違いなく最大の警戒対象であるセキロは、一度囲まれれば容易に抜け出させてはもらえないだろう。完全に選択肢を奪われた狼の体力を、荒れに荒れた直線の最内がじわりと削る。スタンドの歓声に紛れるように、オニカゲはにやりと口元を歪めて嘯いた。

「楽しみにしていた、と言ったろう?」

 

『さてコーナーを回って向こう正面へ。短めの隊列、オニカゲが先頭で前半1000mは62秒4、やや遅めのペースか』

 隊列が動かないまま通過した第1コーナーと第2コーナー。オニカゲが少しでも膨れたなら即座に仕掛けるつもりの狼だったが、オニカゲはきっちりと速度を落として綺麗なコーナリングを魅せていた。その代償として中団バ群との差は縮み、一人は外から捲り上げて狼に迫ろうかという勢いを見せている。とはいえ、と狼はちらりと横を盗み見た。視線の先のウマ娘の捲りは、完全なオーバーペースだ。最終コーナーまでに振り切れる。そう結論付けた狼は、オニカゲ以外の敵を一旦脳裏から消し去った。まもなく第3コーナー。決して長くない直線に入るまでに、前か外。戦える位置を奪っておかなければならない。

 狼はあくまで静かに、少しずつ速度を上げる。勝負の気配を感じ取ってか、その姿を視界の端で捉えたオニカゲは楽しげに、獰猛な笑みを浮かべた。

 

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