隻腕の狼、ダートに駆ける。【SEKIRO×ウマ娘】 作:hynobius
情報屋と物売り
重賞、白蛇賞を間近に控えた葦名レース場の中は、少しばかり慌ただしい。出走するウマ娘たちがトレーニングに励むだけでなく、開催者たる葦名レース場の職員たちがコースや設備の整備、ライブや並行して行われるイベント等の準備に走り回っている。その只中にあって、いくつかの打ち合わせを片付けた弦一郎は携帯端末の画面を見て溜息を溢した。チャットアプリのメッセージに既読のマークのみを付けて、ポケットの中へとしまい込む。
事務棟を離れて、弦一郎が足を運んだのは関係者用の通用口だった。警備員と並んで弦一郎を待っていたらしい、それなりに仕立ての良いスーツに身を包んだ男が、気さくな笑みとともに片手を上げる。この日は開場日でも、取材のための公開練習日でもない。それ故に、その男が通用口で足止めを喰らっているのは当然のことではあった。
「よお、弦一郎の旦那」
「また勝手に入ろうとしたのか、藤岡。悪癖は控えろと言ったはずだが」
「まあ、そう言わないでくれよ。今日は商いに来たのさ。まあ、その前に中を見れたら儲けものとは思っていたがな」
そう言って、雑誌記者である男はにやりと弦一郎に笑いかけた。いささか軽薄にも思える態度に、弦一郎は渋面を浮かべる。何かと役に立つ男ではあるが、こういうところはどうにも合わなかった。
「こんなところで話すのもなんだ。座れるところに行かないか?」
そんなことを宣う藤岡だったが、場外にそう都合のいい場所があるわけもない。要は中に入れろということだ。こちらの顔を伺ってくる警備員に、弦一郎は煩わしげに指示を投げた。
「……臨時の関係者証を出してやれ。知り合いの記者だ。俺が通したと言っておけばいい」
「助かるぜ、旦那。これ無しじゃ、あんまり腰を据えて見物するわけにもいかないしなあ。堅物職員に見つかっちゃあ面倒だ」
「言っておくが話の間だけだ。コースに入れるつもりはない、終わったらさっさと帰れ」
「つれないねえ、旦那は」
軽口を叩く藤岡を引き連れて向かったのは事務棟の一室。腰を下ろした藤岡は、提げていた鞄からタブレットを取り出した。対面に座る弦一郎に目線を飛ばして問いかける。
「で、どれが入用かね?」
「何がある」
「そうさなあ……まずは葦名グランプリの出走表明者連中のトレーニング映像かね。公表してるのはもちろんだが、残り枠にねじ込んできそうな連中の有力どころも足してある」
差し出したタブレットの画面にはウマ娘の名前と所属、トレーナー等の情報がずらりと並ぶ。ここまでなら普通に集められる情報だが、この男が売り物にするのはそのリストにある娘のトレーニング情報だ。公開練習以外は、通常他のトレーナー、まして別所属に開示される代物ではない。
「……ふむ」
「中央についちゃ
しれっとした態度でそんなことを言ってのける藤岡に、弦一郎は僅かに眉を上げた。この男は本業を差し置いて『情報屋』を自称するだけあり、こういうところが侮れぬ。不法侵入だなんだと面倒を起こされながらも、貴重な中央に関わるコネでもあり簡単には切って捨てられない相手であった。
「南部杯の方はどうだ」
「そっちは流石にまだ何とも言えねえなあ。ま、分かれば持ってくるぜ。お得意様は大事にしなきゃならねえからな」
「一応船橋も候補だ。日本テレビ盃はどうだ?」
「はいはい、日テレ盃もあるぜ。とはいっても大方は葦名のほうと重なってるがな」
「ならそちらは要らん。葦名グランプリの分を送ってくれ」
その言葉を聞いた藤岡はにやりと口元を歪め、眉をしかめる弦一郎にこう切り出した。
「で、お代の話だが」
「……何がいる」
「まずは白蛇賞の戦後インタビューだな。公開分の後に独占で時間が欲しい。旦那は気前がいいから色んなとこにやらせてるが、今回はうちだけで貰わせてくれ」
雑誌取材は当然宣伝として重要だ。藤岡の言うとおり、弦一郎は機会があれば割と見境なく引き受けている。そのせいでたまに狼のスケジュールが殺人的なものになったりしているが。それを制限するのは少し勿体ないが、藤岡の属する雑誌はウマ娘界隈では中々の大手だ。独占にしてもそこまで痛手ではあるまい、と弦一郎は結論する。
「あとはここら辺の娘の情報だな。トレーニング映像か、タイムがあるとなおいい」
そう言って差し出したタブレットには葦名所属のウマ娘の名が幾つか。どれも近日中に他所のレースに出走表明をしているメンバーだ。弦一郎はレース場職員を使ってこれらの情報を集められる。普通に越権行為だが、弦一郎に躊躇いはなかった。
「掛け合っておこう」
「まいどあり。……これでよし、と。じゃあな、旦那」
藤岡はタブレットを弄ってデータを送り付けると、早々に通用口の方へと向かっていった。弦一郎はそれを見て一つ息を吐く。あの男にセキロの練習風景を抜かれたら、どこに売られるか分かったものではない。それだけでどうこうなるとは思わないが、不安要素はなるべく避けておきたかった。
――なお、藤岡がその後「忘れ物をした」と誤魔化して通用門を通してもらい、人のいないスタンドで堂々とカメラを回していたことを、弦一郎は知らない。
――――
それは、セキロがシニア級混合戦を初めて制した次の週のことだった。夕刻、いつもの通りにレース場外でのトレーニングを終えて家に帰りついた狼は、普段聞き慣れぬ男の声を耳にした。屋敷の客間で話しているらしく、弦一郎の声が時折混じる。玄関に出迎えに来た九郎が、目を輝かせながら小声で狼に耳打ちしてきた。
「セキロ、そなたの客人だぞ。弦一郎殿と今お話している。早く、早く」
はて、そのような話があっただろうか。いつになく浮ついた様子の九郎にぐいぐいと手を引かれて、客間の襖の前にたどり着く。
「只今戻りました」
「セキロか。ちょうどいい、入れ」
「弦一郎殿、わたしも同席してはだめだろうか?」
襖を開けようとする狼の横から九郎が口を挟む。襖の向こうが少し沈黙して、弦一郎の声が返ってきた。
「いや、仕事の話だ。外しておけ」
「へえ、あっしは全然かまいやせんがね。むしろファンの声が聞けると考えりゃ、有難いくらいでさ」
「……そうか。ならいい、二人とも入れ」
襖を引き開けると、弦一郎と大きい卓を挟んで対座する男が一人。卓上にはキーホルダーやらポストカードやら、雑多にものが並べられている。スーツ姿に禿頭と些か怪しい風体の男はセキロを見ると立ち上がり、ぺこりといまいち姿勢のよろしくないお辞儀をしてみせる。
「どうも、初めやして。あっしはこういうもんでさ、よろしくお願いしやすぜ」
差し出された名刺には、会社の名前と共に『穴山又兵衛』の文字が並んでいた。
「……グッズ、か」
「そうだ。そろそろ頃合いだ。レース場自体で稼ぎたければ、物販を拡充せねば限界がある。それで一通り試作させた」
成程、机の上のグッズたちはどれもセキロを描いたものばかりだ。ストラップのような小さなものからTシャツなどの大きなものまで。未だに自分として受け入れにくい姿が並ぶさまに狼は眩暈を覚えるが、その隣の九郎は対照的に目を輝かせていた。
「ま、あっしのお勧めは印刷で済む類のものですねえ。例えばこれ」
そう言って摘まみ上げた缶バッジにもセキロの顔。レースのもの、ライブのもの、トレーニングのものなど種類も幾つか並べられている。
「缶バッジなんかは元値が安い。種類を並べるのも簡単だから捌きやすい商品でさ。安いと言えばポストカードなんかもそうだが、売値が安いし数を捌くのにも向きやせん。あっしはあんまり好きじゃあありやせんが、特典に配る方がいいでしょうねえ」
「そうか。なら、ポスターは」
「単価はいいが、飾り場所もあって買う奴が限られる。とはいえ割はいいですから、まずは数を絞って限定で売るのがいい。今ならプレミアも付くでしょう」
どれを幾らで売るか、幾つ売るか。時期をずらしていついつから売ろう。それは割に合わないからもっと後がいい。電卓を弾きながらあれやこれやと話を進める二人に、狼は当事者ながら完全に置いて行かれていた。時折、デザインについて確認を求められては「ああ」と肯えるだけである。おそらくは後から揉めてほしくない穴山が、確認のために同席を求めただけなのだろう。
ふと、狼は気が付いた。計算を進める二人を他所に、九郎の視線が一点に釘付けられている。それは穴山の隣に置かれた、妙に存在感を放つ紙袋。正確には、そこからはみ出しているなにかの端であった。
「キーホルダー、こいつは形を凝ると別のを作るのが面倒でね、四角か丸でイラストを刷るだけにしといた方がいい……どうしやした、坊ちゃん」
穴が開くほどに見つめられて流石に不審がったらしく、穴山が九郎に問いかける。
「その、紙袋の中が気になってな。もしや、と思うのだが……」
「ああ、坊ちゃんと嬢ちゃんには見せていやせんでしたねえ。お察しのとおり、これでさあ」
そう言って穴山は紙袋をひっくり返した。九郎がおお、と声を上げる。穴山の手の中にまろび出てきたのは、セキロをモデルとしたぬいぐるみ、いわゆるぱかプチと呼ばれる類のものであった。目を輝かせる九郎とは裏腹に、穴山は苦笑を浮かべる。
「一応持っては来ましたが、これはお勧めしませんねえ。何せ銭がかかる。もっと後から、中央の連中に作らせて吹っ掛ける方が稼げまさあ」
弦一郎も苦い顔をしつつ頷く。どうも、そういうことらしい。当面これが世の中に出ることがないとわかって、狼はほんの少し安堵した。だが、その直後。
「穴山殿。それを譲っていただけないだろうか」
九郎がやけに真剣な目つきでこんなことを言い出す。、
「まあ、試作ですからねえ。どうしたって構やしねえんですが……ただってのは面白くない。そうですねえ、坊ちゃんはお小遣いも多そうだ。さて、幾らにしやしょうか?」
「俺は出さんぞ。小遣いで買え」
わざとらしく顎に手を当てる穴山と、冷たく切って捨てる弦一郎。九郎は俯き、真剣に残りのお小遣いを勘定し始めた。そんな様子を見て、穴山は堪えきれぬとばかりに大笑する。
「なあんて、冗談でさ。100円とでもしておきやしょう」
ぱあ、と表情を明るくする九郎。一方で弦一郎は顔をさらに渋くする。
「言っておくが、それに甘い顔をしたところで貸しにはせんぞ」
「……へへ、弦一郎の旦那はそうでしょうねえ。でもセキロの嬢ちゃんはそうでもなさそうだ」
言われて狼は己の顔に手をやる。口元が、緩んでいた。ますます渋くなる弦一郎の顔を見て穴山が笑う。
「なあに、無理なことはいいやせんから安心して下せえ。これからもごひいきにしていただけりゃ、それで十分でさ」
たとえ死んでも、どうにも商いは止められぬ。どうやら、そういうことであるらしい。
書き溜め作成中のため、本編は今しばらくお待ちください。