隻腕の狼、ダートに駆ける。【SEKIRO×ウマ娘】   作:hynobius

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お待たせいたしました。
ダイタクヘリオス実装に心乱れる


破:炎
8.


 朝一番の地面は、前日の雨の影響を幾らか残していた。所々に浅い水たまりを残したアスファルトを、脚に響かない程度に柔らかく蹴る。都心などとは違ってウマ娘専用レーンの整備が十分でない葦名の細い道を、路側帯や歩道を縫いながらジャージ姿の狼は走っていた。目的地は葦名レース場。家からレース場までの、ウマ娘の脚からすればさして遠くない道を、ウォーミングアップも兼ねてスローペースで走り抜ける。

 

 弦一郎はこの日まで、普段より長めの休養を狼に命じていた。故障に至るほどではなかったとはいえ、脚への負担は軽視できない。弦一郎に渡された映像の研究やイメトレ、学園の必修授業やらをこなしつつ九郎の遊びに付き合ったりしているうちに、数日間の休養はあっという間に過ぎていた。

 休養明けの狼が早々にレース場に向かっているのは、弦一郎の指示である。詳細を聞かされたわけではないが、前走で見えた弱点の補強のためとのことだ。ただ、そう言った当の弦一郎は朝から別件で出かけてしまっている。指導を誰かに頼んであるのか、と狼は以前に指南を受けたことのあるトレーナー達の姿を思い浮かべた。それなりの経験のあるトレーナーもいたが、果たしてそんな対策になるような技術を持っていただろうか。鬼庭かとも思ったが、同レースに出る気満々の教え子を差し置いて指導することもあるまい。疑問を抱きながらも、狼の脚は淡々とペースを刻む。

 

 そうするうちに、狼は葦名レース場の門にたどり着いた。関係者向けの通用門へと回って身分証を提示し、コース予約表を確認した係員の了承を受けて場内へと向かう。選手用の更衣室に背負ってきた鞄を放り込んでコースへと出た狼は、思わず眼を瞬かせた。

 

「来たか、セキロ」

 ジャージの上下を着た、背の高い白髪の男性。コース上にひとり佇んでいたそれが、狼の足音を聞きつけてか振り返る。振り向いたその顔には、赤い、鼻の長い面が被せられていた。珍妙な、だが酷く見覚えのある姿に戸惑いながらも、狼は喉から言葉を絞り出した。

「……一心様」

「否。天狗じゃ」

「……天狗殿。なぜここに」

「無論、お主のトレーニングよ」

 葦名一心。前世では『剣聖』と称された老人は、変わらぬ矍鑠とした立ち姿でそこにいた。

 

 古くからの、そしてマニアックなウマ娘ファンであれば、葦名一心の名を聞いたことがある筈だ。かつて葦名のローカルシリーズで幾人もの重賞ウマ娘を指導し、中央に挑戦するウマ娘も生み出したトレーナーである。何分昔の話であり、活動期間も短かったため一般的な知名度こそ高くないものの、実績という意味では成程申し分ない。長く病に臥せっていると聞いていたが、もとより前世でも、病人の身ながらあちらこちらで鼠狩りなどしていたのだ。そこは今更であろう。果たして、その指導は如何なるものか。今世では初めて顔を合わせる狼は、その指示を聞き漏らさぬように身構えた。

「さて、ウォーミングアップも十分のようじゃ。まずは軽く1周。ただし、終いの1ハロンは全力でな」

 

 

 

「踏み込みが足らん」

 ダートコース1周、1200m。回り切った狼に一心が端的に告げたのはそんな言葉だった。休み明け故に抑え気味のペース、終いの直線も本調子には程遠かったが、この老人にはそれで十分だったらしい。無言で続きを促す狼に一度目をやって、一心は狼の走りについて指摘する。

「癖か弦一郎の責かは分からんが、お主の走りは丁寧に過ぎる。音も立たんような柔らかい着地に、足裏で丁寧に地面をとらえた蹴り出し。成程沈みやすい良バ場ならば、力任せに脚を抜く他の娘よりも良かろうな」

 己か、教えか。両方であろう、と狼は思った。礎にあるのは狼の、忍びとしての歩法だ。純粋な速力を求めるのではなく、あらゆる地形を踏破し、音を殺して忍ぶための歩法。そして弦一郎が教えた走りは、おそらくは巴と呼ばれた女武者の技が源流である。無骨な力強さでなく流麗な足運びを基調とするそれが、狼の走りにも大いに影響している。

 

「だがそれでは足らぬ場面がある。固く締まったバ場と、スタートの二つ。土が締まれば、他の娘と比べての有利は少なくなる。そしてスタートはただ一歩で誰より前に出ねばならん。お主の走りは、その一歩に欠ける。ゲートへの反応で補っているが、飛び出しでは劣る相手もいよう」

 この指摘は、まさしく先のレースの通りだった。枠順という不利こそあれ、それを凌駕するほどのスタートの良さがあれば、初手で内に閉じ込められる展開を免れたかも知れぬ。そして、重に近いバ場状態。これは明らかに、豪力自慢のオニカゲに利していた。次走は季節柄、秋雨の只中だ。晴天に期待するのは些か無理があった。

「どうすればよい」

 短く単純な問いかけは、同じく単純な言葉でもって返された。

「強く踏む。それだけよ。他は忘れて、ただ一歩に専心する。――さて」

 ゴール板の前で、老人は軽く屈伸すると右脚を引く。

「手本を見せてやろう」

 一歩。踏み込みとともに、濡れた地面が大きく抉れて飛んだ。

 

 疾い。

 自称天狗の走りは、その名に恥じぬものであった。ウマ娘の巡航速度にはやや及ばないものの、どこまでも無駄なく突き詰められたその走りは、人間としては理外の速度に達していた。狼の脳裏にいつぞや聞いた、真偽不明ながらも有名な噂話が去来する。曰く、『ウマ娘のレースに乱入して勝った男がいる』と。目の前の老人がさらに少壮気鋭の頃であれば、或いは。全く体幹の揺らがない力感溢れる走りは、そう思わせるだけのものを持っていた。直線分、200m少々を走り切った一心は、息を切らすでもなく狼の前まで戻ってくる。

「これが儂の、葦名流よ」

 後は実践するのみ。天狗面の視線が促すままに、狼はダートを蹴った。

 

 

 

 黙々と走り、手本を見て、また走る。時折短い距離を併走して感触を確かめ、また走る。そんなことを繰り返すうちに日は高く昇って、汗を大いに流した狼にボトルが投げ渡された。休憩ということらしい。自分もドリンクを呷って、一心はぷはぁ、と息を溢した。

「酒があれば良いのじゃがな」

「……未成年に、御座いますれば」

 狼の真面目くさった返しがツボに入ったか、一心は身体を揺らして笑う。前世と変わらぬように見えるその姿に、狼はふと尋ねたくなった。この世界で、『剣聖』は如何なる生を歩んだのか。

「天狗殿。ある、噂をご存知でしょうか。」

「ほう?」

「ウマ娘のレースに乱入して、走り勝った人間がいると聞きました」

 そう訊く。一心の顔に一瞬、陰が走った。

「それはまた、随分と尾ひれが付いたものじゃ。……勝ったなどとはな。ゴール板を越えたのは、言われてみれば先頭だったかもしれんが」

 何かを誤魔化すように、飲料をさらに一口含む。酒精を含まないそれは代役には些か足りなかったらしく、老人の顔には苦みが残ったままだった。

 

「のう、セキロ。お主は、何故走る」

 唐突な問いに、狼は沈黙する。目の前の老人が、人として信用に足ることは知っている。だが、ここで馬鹿正直に己の事情を曝け出したところで何となる。徒らに主人の身辺を騒がせて、得られるのはただ己が()()()()()()()()というだけ。他に、何をするあても無いというのに。狼の無言に、一心は静かに首を振った。

「言えぬか。……いや、何でも構わぬ。ただ、見失わぬことだ」

「……見失わぬこと」

「迷わぬこと、じゃな。迷えば、敗れる。戦の常よ」

 狼は静かに瞠目した。その言葉は、嘗て幾度も聞いた。それを口にしたのは、決して敗れなかった剣聖だった。だが、この口振りには違和感が拭えない。これでは、まるで。

「儂は迷うた。……その結果が、この()()な脚じゃ。頂きには、ほど遠い……そしてトレーナーとして歩んで……また、迷うた」

 狼には、目の前の老人が急に、見も知らぬ別人のように映った。きっと根本は変わらないままで、でもどうしようもなく折れていた。この世界で人として……ウマ娘に届かぬ種として生まれた故か。それとも、葦名一心の天稟はあくまで、()()()でしかなかったのか。それは、神仏でもなくば知りえぬことだろう。

 

「つまらぬことを話した。やはり、酒もなしに昔話などするものではないわ」

 天狗面を被りなおしたその表情は、もう窺えない。立ち上がり、肩を押される。残る時間を、狼はただ黙って走ることに費やした。

 




葦名一文字

スタート直後に加速力がちょっと上がる
また、「稍重」「重」「不良」のバ場状態の時、レース終盤にスピードがわずかに上がる

武骨に、強く踏み込む
ただ、それだけを一意に専心した技
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