ソードアート・オンライン 儚き虚夢のラスベリー   作:神矢レイラ

15 / 26
どうもお疲れ様です、神矢レイラです。
大変お待たせいたしました。
それも二重の意味で……

今回ようやく、彼女が再登場します。
そしてここまでずっと描かれていなかった、彼女の抱えてたものも……

正直自信があるかないかでいうとありませんが、そこはどうか温かい目で見てくださると!!(汗)


第10話『親友=正面衝突/05』

 

 

――遥か頭上を覆う雲が時間に従って視界から失せていくように、ずっと認識出来なかったものが少しずつ鮮明になっていく。

 

適当にかき混ぜられた絵の具を思わせるそれは、何色とも言い表せなかった。

いやそもそも、形があるのかすら判断しきれなかっただろう。

今この瞬間、明確な表情をつけて浮かび上がってくるまでは。

 

ずっしりした瞼をゆっくりと持ち上げる。

無機質な白い天井に、都会の喧騒とは無縁な真逆とも言える心地よい静寂。

微かに鼻をつく薬の匂いと、身体を満遍なく包み込む温もり。

この場所が病院であると理解するのとほぼ同じタイミングで、左隣から息を呑む音が聞こえた。

 

「っ……晴輝、さん」

 

「深澄、ちゃん」

 

我ながら、なんとも力のない声でその名前を呼んだものだ。

横を向いた視線の先にいた紫髪の少女、兎沢深澄は言葉を失った表情のままこちらを見ていた。

吸い込まれそうなほど深い緑色の瞳から流れている涙はすでに頬を伝い、ちょうど見下ろす位置にある晴輝の顔を濡らしている。

 

「良かった、晴輝さんっ……晴輝さん!!」

 

数秒の間を置いたあと、ようやく絞り出した言葉とともに深澄は目の前の男の胸に飛び込んだ。

尤も、晴輝はまだ目覚めただけで仰向けのままであるため、上半身をそのまま倒すだけの形ではあるが。

 

未だ力の入り切らない身体で拒絶するでもなく、そのまま力強く抱き締め返すでもなく、啜り泣く深澄をあやすようにしてそっと右手でその長い髪を撫でる。

少しでも力を加えてしまえば壊れてしまうような、とても大事なものを扱うように優しく。

それでも彼女の嗚咽は止まず、顔を病衣に埋めたままだ。

 

「怖かった……もしかしたら、目を覚まさないんじゃないかって。

私の前から、いなくなっちゃうんじゃって!」

 

「……バカだな、俺ァ消えねぇよ。

ちょっと事故った程度、大したことねぇっての」

 

「けど、晴輝さんは……私を助けたせいで」

 

「深澄ちゃんのせいって言いてぇのかぃ?

……もしそうなら、怒るぞ」

 

口では強い言葉を述べてはいるものの、その声音には終始圧はかかっていなかった。

起床してすぐ深澄がそこにいて、いきなり倒れかかってきたことには無論驚いた。

だがそれ以上に晴輝は自分の意識が戻るまでここにいて、自分のために泣いてくれる彼女の優しさに感謝しているのだ。

 

だからこそ、そんな深澄には己を責めないでほしい。

あの時突っ込んでくる車から彼女らを助けたのは、間違いなく晴輝自身が望んでやったことなのだから。

寧ろ彼は、どうすればこの娘を悲しませずに助けられたのかと、逆に自己嫌悪に陥るほどである。

 

「……ごめんなさぃ」

 

「なんで謝るんだよ、そりゃ俺のセリフだろ。

こんな泣かせてごめんとか、目が覚めるまで待っててくれてありがとうなとか。

……真っ先に、言わなきゃいけなかっただろうに」

 

「なんで、そんなに優しいのよぉ……」

 

正直晴輝自身、ここまで感情を表に出している深澄は初めて見る。

彼女との付き合いはそこまで長いわけではないし、なんならここまで慕ってもらえるとは露ほども考えていなかった。

 

明日奈のような、女の子の同級生のほうが話しやすいだろうというのが最初の理由。

もう一つは、深澄の人間性。

彼女と過ごしてみて判ったことだが、最初に聞いていた印象とは真逆なほど優しい性格をしている。

それこそ誰とでも仲良くなれそうなくらいには。

 

それが晴輝にとっては、不思議でならなかった。

 

「……なぁ、深澄ちゃん。

こんな時に聞くことじゃないかもしれねぇがよ。

その……なんで深澄ちゃんは、俺みたいなヤツにここまで構ってくれるんだ?」

 

「っ……」

 

「ぁいや、別に悪い意味で言ったんじゃねぇよ?

深澄ちゃんにはほら、明日奈いるし……それに友だちだって、何人いてもおかしくなさそうなのにさ。

わざわざ俺に声かけなくたって……」

 

「……私、友だちいないの」

 

晴輝の胸に突っ伏したまま、深澄は震えた声で語り始める。

今でも鮮明に残り続ける、思い返す度に胸の奥が抉られるような感覚が襲ってくる幼き日の記憶を。

 

当時二人の親友と一緒に遊んでいた、携帯機用のハンティングアクションRPG。

晴輝はもちろん、あまりゲームに触れたことのない人種でも知っているほど有名なそれの中で、彼女たちは武器や防具を作成するための素材を集めていた。

 

深澄の役割は端的に言えばアタッカーだった。

仲間内でも特にゲームの上手かった彼女がボスモンスターのHPを削り、他のメンバーたちがそのサポートを行う。

至って自然な役割分担。

だが子どもというものはとても理性的には生きられないものであり、自分も良いところを見せようと迂闊に飛び出してしまうこともあり、前線に出ることの多かった深澄は可能な限りそのフォローを行っていた。

 

その甲斐あって、見事クエストはクリアされた。

尤もその時、生き残っていたのは深澄のキャラクターのみであったが。

一番強い深澄でもカバー出来る範囲に限界はあるし、結果守りきれなかったとしても全滅するより一人でも生存したほうがマシだろう。

少なくとも彼女はそう思っていた、しかし親友であった二人は違った。

 

《深澄ちゃんはゲーム上手だから楽しいかもしれないけどさ。

いっつも一人だけ生き残るんだもん》

 

《私たちのことはもう放っておいてよ》

 

――突然告げられた、絶交の言葉。

一緒にゲームを楽しんでいるのだと無邪気に信じ切っていた深澄からすれば、それは落雷そのもの。

立っていることすら辛くなるほどのショックを受け、フラフラと帰ってから熱を出してしばらく寝込んでしまったほどに。

 

それがきっかけだった。

元々家庭環境は冷え切り、友だちすら失ったとしてもそこにあったもの――ゲームへの渇望だけは断ち切れなかった彼女は、いつからか協力プレイと名のつくものに手を出さなくなった。

代わりにリアルでは一対一の対戦格闘ゲーム、ネットでは対人戦推奨のMMORPGを中心に遊ぶようになり、赤の他人を叩きのめし続ける荒んだ日々を送るようになってしまった。

 

ただ心の孤独を埋めたかった、渇きを潤そうとした。

しかし何度凄腕のプレイヤーを打ちのめしても、癒やされることなどなかった。

中学2年生となってしばらく経ったあの日、明日奈と出会うまでは。

 

校則で禁止されていたゲームセンターへ出入りしていたことの口封じをするつもりで近づき、ひょんなことから友好関係となり、明日奈からの紹介で晴輝と出会って。

深澄の日常は、光を取り戻し始めた。

 

彼女にとって明日奈と晴輝は、‘いつも通り’の象徴。

独りだった自分に無償の優しさをくれて、くだらないことで一緒に笑ってくれる。

どんなに自分が先を行っていても、二人とも嫌な顔一つせず付き合ってくれる。

 

傍にいてくれるだけで、その声を聞けるだけで。

深澄の心は満たされていた。

今だって晴輝が目を覚ました事実に、これ以上ない安心感を覚えている。

その嬉しさのあまり、涙が止まらないぐらいには。

 

「私にはもう、あなたと明日奈しかいないの……!

だから、だからっ……」

 

「……顔あげてくれや、深澄ちゃん」

 

「ぇ……?」

 

ようやく活力の戻ってきた声で、優しく晴輝が言う。

そっと顔を上げた彼女が目にしたのは、今でもも自身に向けてくれた屈託のない表情。

消えないでほしいと願った笑顔が、そこにはあった。

 

「俺ァまだ、一度も深澄ちゃんに勝ててねぇんだ。

それまでは友だち止めたくねぇし、お前さんが望む限り傍にいてやる。

……だからよ、笑ってくれねぇかな」

 

「本当に……?

まだ、私といてくれるの?」

 

「離れねぇよ、少なくとも俺からは。

勉強もスポーツもゲームも上手い、そんな凄ェ友だちを持てて、俺ァ誇らしいんだ。

それにさ……」

 

照れくさそうに言葉を区切り、少しの間沈黙が訪れる。

それまでは真っ直ぐ目を見ていたのに、その時だけは視線を逸らされた。

――もしかして、ちょっとでも意識してくれてるのかな。

そんな淡い思考が深澄に過ぎった時、遮るようにしてやっと晴輝が口を開く。

 

「……やっぱ、なんでもねぇや」

 

「何よ、どうせならハッキリ言いなさいよ。

私の情けないところ見ておいて、それはないんじゃない?」

 

「バカ、情けなくなんかねぇよ。

誰だって怒ったり泣きもするさ。

……けどやっぱ、そうやって笑ってる方が似合うぜ。

深澄ちゃんは」

 

「っ……ありがとう、晴輝さん」

 

――こんな可愛い娘を放っておけない。

その一言を喉の奥底に閉じ込めたまま、儚き少女との一時が終わりを告げた。

 

 

 

どこまでも広がる青空に浮かぶ巨大な石と鉄の城。

それがこの世界のほとんどを構成するものだ。

 

職人クラスの物好きな者たちがひと月がかりで測った結果、基部フロアの直径はおよそ十キロメートルにも及ぶらしい。

 

その上に百もの階層が存在するというのだから、想像を絶するような膨大な空間がどこまでも広がっているのだろう。

この世界を構成するデータの総量など、いったい誰が推し量れるのか。

いやそもそも、そのすべてを目にすることなど叶うはずもないか。

 

中にはいくつかの都市と小規模な街や村、森に草原、はてには湖まで存在する。

 

直近のフロアを繋ぐ階段は各層にひとつのみ。

そのすべてが怪物のうろつく危険な迷宮区に存在する以上発見も踏破も困難を極めるが、一度でも誰かが突破して上の都市にたどり着けば、すでに攻略された層に点在する各都市の《転移門》がそこと連結されるため、誰もが自由に移動可能となる。

 

そのようにしてこの巨城は、二年近い時を経て少しずつ攻略されてきた。

 

名を《浮遊城アインクラッド》。

約六千もの人間を閉じ込め浮かび続ける、ある男が夢想した世界。

彼はこの空間のことを、こう称した。

 

《ソードアート・オンライン》、と。

 

これは、ゲームであっても遊びではない。

 

HP0=現実の死。

各地の人々を巻き込んだ、前代未聞のデスゲームなのだ。

 

――2024年、8月の初頭。

すでに半数ほどの命の散ったこの世界の中心に近い階層、第48層の主街区『リンダース』にある大きな水車のついた家に二人の男女がいた。

 

一人は赤みがかった黒という一風変わった髪色を持つ端正な顔立ちの青年、ラスベリー。

いや、この世界に呑み込まれてからすでに経った時間を考えればもう立派な男性か。

本人的にはまだお兄さんだと自称したいところだが、すでに歳は23。

だいぶ苦しい年齢となってきた。

 

そんな彼は今、子供のような寝息を立てながら夢の中にいる。

67層での一件から絶え間なく戦いに誘われ続け、深夜には多くのプレイヤーたちの未来をかけた大激闘を繰り広げた疲労感がその瞼をより重くしている以上、些細なことでは覚醒しないだろう。

 

仰向けで眠っていたラスベリーが無意識のうちに横に寝転んだ拍子に、その顔が枕や布団とは異なる柔らかい感触にぶつかる。

彼の隣にあったのは就寝用のアイテムや置きっぱなしの荷物などではなく、先ほども触れたもう一人の少女――リズベットだ。

 

(意外と可愛い顔して寝るじゃないの)

 

今ラスベリーの頭は、彼女の胸と腕の中にある。

今年5月に誕生日を迎え17歳となった少女にしては豊かな弾力あるそれに一人の男が埋まっているこの状態は、不思議と嫌ではない。

寧ろどこか嬉しそうに、リズの頬はその髪と同じぐらいの色に染まっていた。

 

彼は誰のことを見つめているんだろう、未だに惰眠をむさぼるこの男の顔を覗きそんなことを考える。

別に肉眼のことを言っているのではない、好きな人がいるのかどうかということだ。

 

ラスベリーはアスナのことを突き放した今でも大事だと断言したし、ミトのことも諦めてはいない。

特に前者に関しては、本人から直接彼のことを想っていると聞かされている。

それにコンビを解消したあの日から、すでに1年半近い時間が過ぎている。

もしかしたらその間に魅力的な女の子と会っているかもしれないし、いっそ誰かと恋仲になっている可能性だってある。

 

いくつもの不安がリズの心を蝕む。

仮に他の誰かのことが好きだったら、もうその人に取られていたら。

自分はこんなことをしていても大丈夫なんだろうか。

そっと彼から離れようとした時、その身は独りでに動き出した。

 

「ん……りず?」

 

「ぁ……おはよう、ラス」

 

寝起きで呂律の回っていない弱々しい声で、目の前にいる少女に対して疑問符を露わにするラスベリー。

ようやく扉を開いた灰色の瞳に思考を遮られ、リズはありきたりな返答しか出来なかった。

 

「……ぁれ、俺なんで布団に。

っつかお前、なんで一緒に寝てんだ?」

 

「ッ!?

それは、その……お、起こしに来たのよ!!」

 

「にしてもこりゃダイナミックモーニングすぎねぇか……?」

 

羞恥からパニックに陥ったことで放たれた大声を眼前に浴びながら、ラスベリーが身体を起こしながら呆れたように言う。

 

実のところ、リズの発言は半分嘘である。

一足先に起きた彼女は何度かラスベリーに声をかけたのだが、先の戦で疲れ切っていた彼の意識は夢の奥へと沈んでいた。

どうしても起きてくれないこの男に呆れ、リズはいたずら心からとりあえず頬をつつき始めた。

それがだんだん面白くなって、今なら何をしてもバレないのではないかという甘い誘惑に負け、布団の中に潜り込んだというわけである。

 

「いや、つかそもそも。

まさかとは思うが、リズがここまで運んでくれたのかよ?」

 

「他に誰がいるのよ。

先に帰って寝とけとは言ったけど、まさか床に倒れてるとは思わなかったわよ」

 

「仕方ねぇだろ、女の子の部屋勝手に入ってベッドに潜るわけにはいかなかったし。

それに……あのあともさ、色々あったんだ」

 

 

 

ポツポツとラスベリーが語りだしたのは、彼が深い眠りに落ちる直前に起こった出来事。

このアインクラッドの運命を左右すると言っても過言ではない戦いを終えたばかりで身を休めようとした時、いきなり声をかけてきた人物がいた。

それこそがゲーム内一番の情報屋、鼠のアルゴ。

ラスベリーとは訳あって契約関係にある、一風変わった雰囲気の少女だ。

 

目深に被ったフードから僅かに見える金褐色の髪と琥珀色の瞳に、他のプレイヤーと比較してもかなり小柄なその容姿は最後に会った日からあまり変わってはいなかった。

戦時ともなればもっと強そうな装備にしてくるのだろうが、見慣れた格好で来るということはあくまで情報屋としてラスベリーを待っていたのだろう。

事実彼女は、偶然とは思えない絶妙なタイミングで声をかけてきたのだから。

 

しかもその内容は、彼にとって決して無視出来ない――否、ここまでの冒険の発端となったことだった。

 

「ミトの、って……本当なのか、それ!?」

 

「あぁ、判ったのはほんの少し前……それこそラー坊が、九の懐を退けたあとぐらいダ。

ミトは今、第5層の街で防具屋を経営していル。

人通りの少ない裏路地みたいだから、見つけにくいようだがナ」

 

「知る人ぞ知るお店ってことか。

けどなんで、こんなタイミングで……?」

 

「……それは」

 

当然の疑問をぶつけた途端、アルゴが口籠る。

どうしてか彼女は声をかけてきてからというものの、まったく目線を向けようとはしない。

 

声色もどこか迷いを含んでいて、朝日の照らす彼女の表情も含めてラスベリーのよく知る陽気さとはかけ離れていた。

 

「……と、とにかく良かったじゃないカ。

やっとミトに会えるんだからサ」

 

「そりゃあ、確かに嬉しいけどよ。

お前さん、なんでそんな顔してんだ」

 

「まぁ、その……アレダ。

ラー坊との契約関係も、もう終わりなのかなっテ。

柄にもなく寂しくなってるだけだヨ」

 

やっと見せてくれたその笑顔はどこかぎこちなくて、それが言葉を詰まらせた理由のすべてではないことはすぐに理解できた。

 

尤も、この場で適当に思いついた嘘でもないようだが。

 

「これは直接確かめてないんだガ……ラー坊、アーちゃんと接触したナ?」

 

「あぁ、やっぱりお前さんなら勘付くよな。

……メッセージも送ったよ。

お互い落ち着いてきた頃に、時間作って会おうって。

まだ返事は来てないけど」

 

「そうカ……

ならオレっちがいくら庇ったとしてモ、無意味になるナ」

 

SAO最強ギルド・血盟騎士団の副団長、《閃光》のアスナ。

彼女がどういう人間か、この二人はとてもよく知っている。

それだけに一度でも生存を確認されれば、諦めという文字は完全に消え去るだろう。

 

矛先は当然、アルゴにも向けられる。

今やナンバーワンの情報屋となった以上、どれだけマイナーなことだろうと最低限は押さえておくのがセオリーであり、まして《黒い流星》などという異名が広まってしまった現状、一致する点の多いラスベリーに目をつけていないのは冷静に考えておかしい。

間違いなく、出会い頭に問い詰められるのは言うまでもないだろう。

 

思えば彼女には、かなり無茶な協力をさせてきた。

支払う対価も未来の情報などという正気を疑うものだったし、手を貸してもらえるとさえ思わなかった。

それでも尽力してくれたアルゴに対する仕打ちが怒声だとすれば、あまりに申し訳ないというもの。

だからこそラスベリーは、この関係に切り込むことにした。

 

「……俺たちには、もう契約なんて要らねぇのかもな」

 

「ラー坊?」

 

「理由はたった一つ、俺たちもいい加減長ェ付き合いだ。

友だちとまでは行かずとも、取引抜きでも助け合っていけるだろ。

まぁ、俺ばっか世話かけるかもしれねぇが」

 

実際今までもそうだったしなと、心の中で自嘲しつつ情けない笑みを浮かべる。

アルゴが協力してくれなければ、これまで自分が辿ってきた道はきっと存在していないだろう。

そう思わずにはいられないほど、彼女には助けられてきた。

 

対価は払ってはいるものの、これは一方的な協力関係でしかない。

罪悪感にも近い感情をアルゴに対して抱いていたのだが、そんな後ろ向きな思考を彼女の笑い声が切り裂く。

 

「な、なんでそこで笑うんだよ」

 

「いや何、やっぱりラー坊は退屈しないと思ってサ。

……オレっちは楽しいヨ、ラー坊と過ごす時間。

文面でのやり取りの方が多かったけド、契約とか関係なく色んなこと話してくれたよナ。

これでもけっこう支えられてたんだゼ?」

 

「アルゴ……」

 

「友だち、良いじゃないカ。

これからは情報屋としてだけじゃなく、友だちとしてラー坊をサポートしていくことにするヨ。

キー坊たちにはこんなこと、言ってないんだからナ?」

 

照れくさそうに、だが彼女らしい気さくな声を発しながら、ようやくこちらを向いてくれた。

 

朝の日差しのせいか、微妙に赤味を帯びたその表情は決して他人は見たことのない――否、可能なら見せたくないただ一つのお宝。

アルゴ風に言うのなら、超貴重な情報だろうか。

 

その顔を見て、ラスベリーは小さく微笑む。

 

「しっかり記憶したぜ、今の言葉。

ならこれからも、友だちとしてよろしく頼むな」

 

「こちらこそ、ダ。

そう言えばラー坊、ずっと気になっていたんだガ。

ミトに会って、何をするつもりなんダ?」

 

契約関係であった頃は、情報屋としての線引きがあったためそこまでの領域には踏み込まなかった。

しかしお互いハッキリと友だちとして認めあった今なら聞いても良いだろうと、アルゴは判断した。

 

新たな友だちの真剣な声音に応えないわけにも行かず、ラスベリーは彼女のことを信頼して琥珀色に輝くその目を見据える。

 

「話したいことがあるんだ、色々。

けどたぶん、言葉だけじゃダメんなると思う。

だからアルゴ、早速だが情報を買わせてくれ」

 

「判った、ラー坊には特別価格!

どんな情報でも提供させてもらうヨ」

 

「……ありがとうな、アルゴ」

 

 

 

――求めたのはそう珍しくもない、喧騒溢れるこの世界ではありふれた情報。

だがそれは戦士たちの命を拾うには充分すぎる代物であり、たった一つ足りないだけで大事な明日を手放す可能性すらある。

 

場合によっては武器以上に重要度の高い知識ではあるが、すでにラスベリーの眠気は限界に達していた。

そこで気を利かせたアルゴが必要分の情報をまとめたカタログをオブジェクト化し、彼に手渡してから48層を後にした。

 

それから武具店へと入り、耐えきれなくなってバタンとうつ伏せに倒れたところを数十分ほど経過してから帰ってきたリズに見つかったことで寝室に運ばれ、一緒の布団に入っていたというわけである。

 

アルゴとのやり取りを話し終えた現在、二人は小さなテーブルを挟んでかなり遅めの朝食を取っている。

時刻はすでに昼を過ぎており、リズベット武具店は当然休業。

昨日の壮絶な戦いの疲れはぐっすり眠ったことで幾分か取れたものの、それぞれの時間を大幅に遅らせる結果となった。

 

目が覚めて早々に絶え間なく喉を使ったのもあり、ラスベリーは脇にあるコップを口にまで運ぶ。

ゲームの中なので実際に疲労するわけではないが、いわゆる習慣というやつだ。

適度な水分を取ったあとは白米をかきこみ、呑み込んでいるうちに箸を魚へと向けた。

 

回想が進むうちに半分近く消えていたそれらの料理は言うまでもなくリズが用意したものであり、親友の手ほどきもあっていずれも並以上の味を誇る。

ところが当の本人は直前までの話を理解するのに真剣なようで、箸を置いたまま頬杖をついて虚空を見つめていた。

 

数秒間の沈黙を経て、ようやく食事に手を付け始めたリズは多少の咀嚼音を鳴らした後、瞳を閉じたまま神妙な声を発する。

 

「……だいたいは判ったわ。

行くんだね、ミトさんのところに」

 

「あぁ、ようやくだ。

たくさん回り道してきたが、それも今日まで。

確かめたいんだ、アイツの気持ちを」

 

ミトの名前を出すと同時にこちらを真っ直ぐ見つめてきた赤い瞳に、ラスベリーは確固たる想いを持って返答する。

 

あの日からずっと気になっていた。

まだ第1層すら突破されていなかった頃、彼女はいったいどんな気持ちでパーティを抜けてしまったのだろうと。

それ自体は第2層でパルディアたちに話した時から一切変わっていない。

 

レアドロップのレイピアをアスナに渡せたらしいところまでは判った、でもその先をラスベリーはまったく知らない。

いったいどういう経緯があって現在下層で防具屋を営むに至ったのか、何よりその本心はどこにあるのか、会って直接確かめる必要がある。

そしてそれは今、叶えられる寸前まで来た。

 

「もしかしたら、余計なお世話かもしれない。

……それでも俺は、ミトを放っとけねぇんだ。

アスナを見捨てたことを、あの娘はいつまでも引きずっちまうと思う……もしそうなら俺は!」

 

「だから助けたいって言うんでしょ?」

 

ラスベリーは知っている、自分たちを導いてくれた少女の持つ優しさを。

それ故に彼女は抱え込んでしまう。

もし自分が見ていない間に二人が寄り添い合い、アスナが抱き締めてあげたとしても、生きている限り過去は足枷となるだろう。

それが彼の知るミトという女の子だ。

 

そしてリズもまた、ラスベリーという男のことを知っている。

だからこそ彼の声に被せるようにして、その気持ちを代弁した。

相棒として、何より恋してしまった者として。

迷いのない想いを肯定する。

 

「そのぐらいお見通しよ。

だってあたし、アンタの相棒よ?

……アンタの気持ちは理解してるつもり。

だから、思いっきりぶつけてきなさい!

何があっても、後悔しないように」

 

「リズ……ヘヘッ、そうだな。

せっかくここまで来たんだ、あの娘が何を言ってきても受け止めるさ」

 

「……よし、ならとっととご飯食べちゃいましょ!

そのあとは何があっても良いように準備!

せっかくあたしがあげた盾もないみたいだし、お店のもの持っていきなさいよ」

 

「お、そりゃありがてぇな。

昨日はろくに見れなかったし、じっくりと拝見させてもらうぜ」

 

いつか話していた時のような雰囲気で、かつては出来なかった会話をたくさんしながら、二人はその後も食事を楽しんだ。

 

それから数十分ほど経った頃、ラスベリーは店内に並べられた様々な武具に目を通していた。

片手直剣や細剣といったメジャーなものから大鎌に曲刀などのマイナーな得物に至るまで、洗練された完璧な仕上がりのものばかりであり、値段は張るがそれ相応の性能を有しているのだろう。

 

当然それは盾も例外ではなく、最前線で使われているものと遜色ないものが大半であった。

ここにあるすべての品はリズが積み上げてきた努力の象徴、そう理解していてもいざ実物を見た途端目頭が熱くなる。

 

いずれも要求値自体は高かったものの、現在ラスベリーのレベルは76。

攻略組には一歩劣るかもしれないが、充分装備出来る実力を持っていた。

 

あれこれ試しつつ青いひし形の盾を手に取った時、頬杖をついてその様子を見ていたリズが声をかける。

 

「そう言えばさ、ラス。

さっきは適当に用意したけど、好きな食べ物とかあるの?」

 

「好きなモンかぁ……

特に好き嫌いとかはねぇけど、強いて言えばカレーとかかなぁ」

 

「じゃあ、今度作るから食べてよ。

それまでに料理スキル上げるからさ」

 

何気なく投げかけた問いだったが、結果としてそれはささやかな約束を結ぶこととなった。

 

やがて盾を選び終わり、いつのまにか時刻は午後3時半を過ぎていた。

今リズは自身の店を背に、向かい側に立つラスベリーを見つめている。

 

これから彼は長かった旅を終わらせるために、第5層へと向かう。

その見送りに来たリズだったが、心のうちは自分でも嫌悪感を抱くほどに穏やかではなかった。

本音を言えばまだ一緒にいたいし、相棒として――否、それ以上の存在として支えるため、何より昨日それが叶ったように力になりたい。

 

でもこれからラスベリーは、自らの抱えてきたものに一つの区切りをつけに行く。

きっとミトと二人でしか話せないことだってあるだろう。

相棒のことを誰より理解しているからこそ、リズは自ら身を引いた。

それを口にするまでもなく、まして彼からそう言われたわけでもなく。

 

複雑な想いが心を曇らせる。

だが心配などさせてしまえば、この男は間違いなく気を遣う。

判ってしまうからこそ、可能な限りの笑顔を浮かべていた。

 

「何から何まで悪ぃな、ホント」

 

「ううん、気にしないで。

このぐらい当然というか、あたしがしたかったから。

……あたしたち二人とも、意外と寂しがり屋だし」

 

「あぁ……そうだな」

 

この世界の片隅で出会ってから当たり前のように傍にいて、幾度も苦楽を共にしてきたからこそ、お互いの弱さを強さと同じぐらい理解している。

そんな彼らだからこそ、僅かな名残惜しささえ我慢しきれないのだ。

 

ラスベリーは彼女が鍛治師見習いとして旅立とうとした時に、リズは努力の結晶とも言える自身のお店に彼が来訪して来た時に、それぞれ涙を見せている。

 

心の孤独を抱え、お互い補い合える存在を見つけて。

独りが怖いことぐらい、とっくにお見通しなのだ。

それが例え、ほんのひと時の空白だとしても。

 

「頭では判ってんだ、これは俺だけでやんなきゃならねぇって。

でももしリズがいてくれりゃあ……いいや、いなきゃダメだって思っちまう。

おかしいよな。お前と離れてから、ずっと一人で旅してたはずなのに。

また一緒にパーティ組めた時、なんでも出来るって気がした。

けどリズがいなきゃって、不安に潰されそうになる。

……弱ェな、俺は」

 

「そうだね、弱い。

アンタも、あたしも。

だから気持ちだけは、ずっと隣にいるよ」

 

普段の快活な声とは真逆に、柔らかくささやくようなその音色とともに、リズは何かを手渡してくれた。

 

鋭利な刃が幾つにも連なった漆黒の片手棍、その名を『アラインド・パワー』。

攻略組の面々を救うための戦いをともに潜り抜けた、マスタースミス渾身の一作にして彼女の持つ最強の得物であった。

 

「これって……!」

 

「言っとくけど、貸すだけよ?

大切なものなんだから、絶対返しに来ること!

別に今生の別れってわけじゃないんだから、それぐらい出来るでしょ?」

 

「……判った、必ず返す。

返しに来るよ」

 

一言ずつ大事にしながら声にして、ラスベリーはリズから託された想いとともに黒い戦棍をアイテムストレージに収納する。

 

これ以上話していたら、一生ここから離れられないような気がする。

故にラスベリーはそこで完全に口を閉じ、静かに目を閉じて背を向けた。

 

一歩ずつ、彼との距離が遠くなる。

あの日自分が旅立った時も、こんな景色を見ていたのだろうか。

リズの脳裏にまだ茶髪だった少女が、今と変わらない姿の男性とともに冒険している姿が浮かぶ。

 

二人の距離が一メートルほどに達した時、リズは両の拳を握り締めた。

 

「ラスベリー!」

 

愛しい名前を呼んで、無我夢中に走り出して。

『どうした』と言いたげな表情で振り返った直後、その頬にフワリとしたものがそっと触れる。

 

「忘れないで。

あたしがいつでも、傍にいるってこと」

 

夢か現か幻か、耳元に何度も反響するその言葉は、不安に押し潰されそうな彼の心に輝きを灯した。

 

 

 

同日、午後4時より僅かに前の現在。

夕暮れに呑まれた古めかしい街並みが少しずつ色を失い、石畳を見下ろす太陽も姿を消す頃。

歴史の中に埋もれ、誰からも忘れられた寂しい都とも呼べるその場所に、一人の男が降り立った。

 

浮遊城アインクラッド、第5層。

その主街区の名前は『カルルイン』。

もし現時刻が夕方でなければ闇に包まれていたであろうほどに照明が薄く、テーマが『遺跡』となっている層だけあってただならぬ不気味さを感じさせる。

 

吹き抜ける風がどこか冷たい。

昨日駆け抜けた雪山ほどではないにせよ、その気温は現実の時期とは噛み合わないほど冷えていた。

石の街がまとう寂れた空気のせいか、あるいはこの先に待つ‘彼女’のせいなのか。

色とりどりの天幕に目をやりながら、活気のない市街を回っていた。

 

「気、遣わせちまったかな」

 

第5層に降りて、初めて口にした言葉だった。

というのもこの男、ラスベリーは直前にあったことがずっと頭から離れなかったのだ。

まるでリズが今でも近くにいて、自分の頬に触れているような、そんな感覚に陥るほどに。

 

心配させるつもりではなかったし、ましてや狙ったわけでもない。

自信がなかったのは真実だし、確かに隣で一緒に戦ってほしいとも願った。

だからこそ、あんな形で鼓舞されるとは思わなかったのだ。

 

かつてラスベリーが第2層で弱気になっていた時、リズが喝を入れるために拳を突き出してきたことがあった。

自分を助けたことの意味を知ってもらう、彼女はそう言っていた。

助けられたことに対する恩を律儀にも返そうと、心から力になろうとしてくれた。

 

その際お互いに冗談を飛ばし合っていたのだが、『なんならもう一発殴られてみるか』というリズに対してラスベリーが返したのが『代わりにキスでもしてくれるのか』というものだった。

 

まさかとは思いつつ、当時のことを思い出す。

いくらともに旅をしてきた仲とはいえ、大きく歳の離れた自分なんかにそんな感情を抱くものかと、否定したかった。

だがラスベリーは、その正体に気がつけないほどバカではない。

彼女の向けてくれる想いは、本物なのだ。

 

ラスベリーが辛うじて絞り出したその言葉も、所詮は誤魔化しに過ぎない。

 

「……人通りの少ない裏路地、だったか」

 

微妙にざわついたままの気持ちをどうにか切り替えつつ、アルゴからの情報を頼りに廃都を彷徨う。

ずっと会いたかったあの娘の元気な姿を、心の片隅で願いながら。

 

 

 

―――――

 

 

 

夢を見る。

何度も何度も、少女の明日と同様繰り返し続ける。

どれだけ力を手に入れても、例え許されていたとしても。

胸の奥にずっと巣食う暗い感情が、心を蝕む幻想を作り出して止まない。

 

そもそも何故瞼の裏にそんなものが映るのか、正直判らない。

日常の中で起きた出来事や脳に蓄積された様々な情報、それを整理するために見るのが夢であると言われている。

積み重なった過去や直近の記憶が結びつき、眠りについた際に処理され、一人きりの映画館が始まる。

 

けどそんなもの、結局正解ではない。

どこまで行っても仮説でしかないのだ。

阿鼻叫喚の嵐が巻き起こったあの日から間もなく、自分が犯してしまった罪に関してもそう。

諦めなければ助けられたのか、すぐに連絡でもしていれば変わっただろうか。

過ぎたことをどれだけ考えても、それはタラレバの域を出ない。

 

もはや慣れきってしまった日々を生きて、親友の言葉と想いに触れた。

再びともに戦い、新たな約束も交わした。

彼女を取り巻く環境は、少しずつ変化していった。

もしかしたらもう自分は許されているのかもしれない、時々そんな哀れなことを考える。

 

でも自分の過去はどこまで行っても自分だけのもの。

己が許さない限り、その楔は深く突き刺さったまま。

幼き日からずっと変わらず自分本位で、いつも肝心な時に助けられなくて。

命を天秤にかけた時、必ず優先するのは手元にあるもので。

 

息絶えぬ無限の後悔が、森での裏切りから今に至るまでずっと縛り付けてくる。

きっと誰かに解かれることも、まして手を差し伸べてもらうこともない。

 

幾度も繰り返してきたはずの自問自答をしながら、その少女は指を動かしていた。

彼女以外に誰もいない、静まり返った一室の片隅で。

攻略組と呼ばれる上位プレイヤーたちもほとんどは疲れ切っている頃だし、時間的にもそこまで繁盛するわけではない。

そもそも目立たない場所にあるこの店に団体の客が来ること自体が稀で、どれだけ多くても二桁は行かない程度。

 

それでも彼女の造る装備の質の高さから足を運ぶプレイヤーが確かにいるのも事実で、まさに知る人ぞ知る名店と言える。

そんな隠れた穴場の扉を開く音が、紫髪の少女の耳に響く。

 

「いらっしゃい、ま……」

 

「へぇ、良い店じゃんか。

儲かってるみてぇだな」

 

お客様が来店した際には必ず言わなければならない常套句が、あと一文字を残して途切れる。

その赤い瞳に映った人物が彼女にとって、あまりに衝撃的だったからだ。

 

覚悟自体はしていたはずなのに、それでもいつか親友がやって来た時のように怯んでしまう。

そんなこととは露知らず、目の前の男は店内に並べられた商品を見回して感心しているが。

 

でもそれはあくまで、言葉を切り出すために辛うじて捻り出したものに過ぎないのだろう。

事実彼は、目を合わせた途端黙ってしまった。

 

少しクセ毛だが何か特徴があるわけでもない髪型に、それとは真反対に目立つ赤混じりの黒色。

細すぎない灰色の瞳に、誰が見ても一定以上はあると認めるほど整った顔立ち。

灰色を中心に青の差し色のコートを身にまとったその男は、少女の記憶の中に残る面影と何ら変わらなかった。

 

やがて両手の指では数えられないぐらいの沈黙を経て、男性の方から口を開く。

 

「……久しぶりだな、ミト」

 

「えぇ、そうね……ラスベリー」

 

残光晴輝(ラスベリー)兎沢深澄(ミト)

デスゲームが始まって間もない頃、アスナとともに冒険をしていた二人。

2年弱ほどの空白が過ぎ去り、ようやく交わした言葉はあまりにもシンプルだった。

お互い喜ぶでもなく、まして怒るわけでもなく。

 

「……その、なんだ」

 

――否、言葉が見つからないだけだった。

 

「色々、言いてぇこと……あったはずなのにさ。

いざお前さんの顔見たら……何から話せばいいか、判んねぇや」

 

困ったように笑うラスベリーに対し、沈黙のみが返ってくる。

ミトは目線を逸し、黙々と作業に勤しんでいた。

 

「……無事で良かったよ、ミト」

 

「っ!」

 

他意のない笑顔を浮かべて放たれた言葉を聞いた時、小さな針がミトの指に掠った。

防具屋を始めてからすでに長い時が経った今、もう裁縫スキルは充分高いはずなのに。

その優しい声に触れた途端、誤って鋭利なものをぶつけてしまったのだ。

 

「……なんで、なの」

 

「ミト?」

 

思わず、うちに秘めていたはずの感情が漏れ出てしまう。

疑問符、怒り、悲しみ、そして……。

あらゆる想いの入り混じった声とともに、ようやく彼女はラスベリーの方を向いた。

 

「なんで怒らないの?

私はあの日、あなたたちを……」

 

「……そりゃあ、なんでって思ってるさ。

でもお前さんは、なんの理由もなくアスナを見捨てるような娘じゃあねぇ。

怒るかどうかは、話を聞いてからかな」

 

ぎこちない声に絞り出したような想いを乗せた途端、ミトはテーブルを力強く叩いた。

見れば彼女は、物凄い形相でこちらを睨んでいる。

 

「……ミト?」

 

「‘俺たち’じゃなくて、アスナなのね。

せめて、せめて素直に……素直に憎しみをぶつけてくれたら、どれだけ楽だったか」

 

途切れ途切れに、終始苦しそうな息を吐く。

最後に会った時と何も変わらない可憐な容姿なのに、その表情は一切笑わず曇ったまま。

まるで初めて会った日――アスナが彼女を紹介してくれた際のような、いや、それ以上に辛そうな瞳をしていた。

 

あんな出来事があった以上、優しいあの娘はいつまでも引きずる。

リズに対して放ったその言葉は、幸か不幸か当たっていた。

それもラスベリーが考えていたよりも、遥かに深い苦しみに囚われている。

 

そんなミトに対して変わらずに優しい声色で、自身の気持ちを素直にぶつける。

 

「……見ての通りだが、俺はアスナの傍にはいねぇ。

今さら言わなくても良いとは思うが……理由はどうであれ、俺もアイツから離れた身だ。

だから、お前さんのことは憎めない」

 

「そう、弁えてはいるようね……」

 

「話してくれないか。

お前さんに何があったのか。

あのあと、どうしたのかを」

 

色々と言いたいことや聞きたいことはあるが、まずは時を遡らなければ何も始まらない。

そもそもラスベリーが始めた旅の原点はすべてここにあり、彼女の本心を知るべくここまで長い時間をかけてやって来た。

 

その結果自分がどうなろうとも、本当のことをハッキリさせて在るべき結末へと導けるのなら。

そう思っていた。

 

ひたすらに真っ直ぐな気持ちで進んできた以上、今さら退くことは出来ない。

これは他でもないラスベリー自身の意地だ。

 

とはいえここでミトが無言を貫くのならそれでいいし、自分は大人しく引き下がるつもりでいる。

あくまで話を聞きたいのは願望であって、特にアポイントメントもなく突然来訪した立場の自分には、厚かましい要求など出来ないから。

 

だが簡単には引き下がれない。

彼の性格をよく知っているミトは、数十秒ほどの沈黙を破りボソボソとした声を返す。

 

「今夜23時、崩塔の遺跡群の広場。

そこでなら、いくらでも答えてあげる」

 

「……本当なんだな」

 

「えぇ、会うのはその時だけよ」

 

早すぎても遅すぎてもいけない、たった一度のチャンス。

しかしこれまでの旅路を思えば、それは大きな意味を持つ。

まずは第一段階を突破――喜びたい気持ちを抑え、真面目な表情のまま彼女の冷たい横顔を見据える。

 

「判った、23時にそこへ向かうよ。

それと……商品を見てみても良いかな。

いきなり訪ねといて何様だって感じだが、客としての体裁は保たねぇとな」

 

「……判りました。

ではお決まりでしたら、お声掛けください」

 

どうやらミトは営業モードに入ったらしい。

つまりこれは、ラスベリーをお客様として認めた証拠。

だが先ほどの話の直後というのもあって、欠片ほどの愛想も見せてくれない。

どうやらあまり長居は出来無さそうだ。

尤もラスベリー自身、買い物さえ終われば早々に立ち去るつもりでいたが。

 

幸い、衣服の類いは現状でも充実しているので、今すぐ購入するならアクセサリーだろうか。

指輪に腕輪、ネックレスなど色々あるが、それらは防御力を強化するものは少ない代わりに、強力な耐性効果を付与することが出来る。

 

ラスベリーが咄嗟に見つけたのは、青いラインの走ったシンプルな形状の腕輪だった。

指を振った途端表示されたカタログには『デバフ効果を軽減する』と簡単な性能が記されていて、一度顎に手を添えて考えた後、振り返らないままミトを呼んだ。

 

「決まったぜ、これを一つで頼む」

 

「あぁ、『ピュアマインド・ラウンド』ですね。

そちら二万コルになります」

 

「割りと高ェな、それだけの性能があるっつーことか。

よし、買った」

 

振り返りつつ彼女のいる場所まで真っ直ぐ歩き、台の上に対価であるコルを具象化させる。

システムによって自動的に取引してくれるとはいえ、お店を開いてからすっかり習慣となった金額の計算を行うと、ミトは目を見開いた。

 

「……どういうつもり?」

 

「まぁ、迷惑料ってヤツだな。

こんなんで許せっつーわけじゃあねぇが」

 

「別に、気にしてない。

料金分だけいただくわ」

 

「そうかぃ、悪ぃことしたな」

 

それは何に対しての謝罪なのだろうか。

もしかしたら複数の意味があるのかもしれない言葉を告げた直後、ラスベリーは小さな笑顔を見せてお店を後にした。

 

 

 

――ずっと認識出来なかったものが少しずつ鮮明になっていくように、遥か頭上を覆う雲が時間に従って視界から失せていく。

キラキラとした幻想的な額縁の中で再生されているそれは、一言で表すなら夢。

 

もう二年近くも帰っていない、懐かしい家の中。

様々な作品のキャラクターが枠組みを超えて共演し戦う、愉快なパーティゲームをいつか二人で遊んだ部屋。

だが今映し出されている光景の中には、あの時と違って明日奈はいなかった。

当時大学生の晴輝と中学二年生の深澄、完全に二人きりだ。

 

「ちっくしょぉ、また負けたァ!

2ストック取れたから、今度こそ行けるって思ったのにッ!!」

 

「フフッ、どうしたの晴輝さん。

もう終わり?

だらしないわね」

 

「言ったなコラ。

だったら次はとっておきのキャラ使って勝負だ!

覚悟しやがれ深澄ちゃん!」

 

「ハイハイ、かかってきなさい」

 

事故に遭った日から一月程度の時間が経った頃。

医者いわく『想像よりも軽症』だった晴輝は大した時間を要することもなく退院し、再会した明日奈に泣きつかれるというアクシデントこそあったものの、特に何事もなく日常へと帰って行った。

 

だが大きな変化が一つある。

晴輝と深澄の距離が、目に見えて縮まったのだ。

 

深澄は暇があれば積極的にメッセージを送ったし、晴輝の方も卒業を間近に控えている状況ではあったものの、可能な限り彼女との時間を作った。

事故が仲良くなるきっかけというのも中々変なものだが、その日のように二人だけでどこかへ出掛けたり、彼の家で一緒にゲームをしたり、それらはすべて深澄の希望で繰り返されてきた。

もちろん明日奈が混じることも多々あったが、二人きりで過ごすことが増えたのは言うまでもない。

 

そうしてこの日も、何百戦目か判らないゲームでの対決をしていた。

初対面の時のような横技の癖はもうなく、特に分析せずとも彼女を追い詰められるにまで操作技術を上げていた晴輝だったが、それでも一向に敵わない。

 

というよりも、深澄の方もまた腕を上げているといったほうが良いだろう。

成長するのはお互い当然ではあるのだが、彼女には晴輝に負けたくない理由があった。

だからあの日以来、いつにもましてゲームの時間を増やして練習を重ねるようになったのだ。

 

「くっそ、連打早すぎんだろ。

レバガチャしたって絶対負けるし……」

 

「今のは危なかったけどね。

間に合わなかったら負けてたわ」

 

「よく言うぜまったくよぅ……

俺なんか必死にやってんのに、深澄ちゃんずっと涼しい顔してさ」

 

悔しさのあまり、ソファーにぐったりともたれかかる晴輝。

首を後ろに曲げて頭をぶら下げているあたり、完全に撃沈しているようだ。

 

しかし深澄自身、肝を冷やしたのは事実だった。

彼女がどうしても晴輝に負けたくないのは、この関係をずっと続けたいから。

 

彼はあの日言った。

『まだ深澄に勝ててないから、その時まで友だちは止めたくない』と。

 

それは裏を返せば、自分が彼を負かし続ける限り構ってくれるということ。

勝つために挑んで来て、その度に負ける。

延々とそれを繰り返していくことで、深澄は彼との時間をいつまでも作ることが出来る。

 

敵わないと思った親友から、僅かな間だとしてもこの男を奪える。

この瞬間は深澄にとって、明日奈と過ごすのと同じぐらいささやかな希望なのだ。

 

「っつか深澄ちゃん、時間大丈夫かよ。

そろそろ親御さん、心配すんじゃねぇか?」

 

「あっ……もうあんなに暗くなってる」

 

「その、アレだ。

気づかなかった俺も悪ぃし、車出すよ。

申し訳ねぇが、案内頼めるかぃ?」

 

「……判った」

 

それまでの明るさが嘘のように、つまらなさそうな表情を浮かべる深澄。

以前より距離は縮まったものの、やはり子どもと大人。

それぞれに与えられた時間と責任の前には逆らいようもない。

 

だが、それでも。

この時が止まってほしいと願っていた。

 

「もうちょっとだけ、いたかったな」

 

微かに息を呑むような、彼女にしか聞こえない小さくか弱い声が、フワリとこぼれ落ちた。

 

 

 

暗闇が視界を覆い尽くし、やがて新たな光が異なる景色を映し出す。

背の高い木製の板――要するにテーブルと顔を合わせる形で目を覚まし、真横の分厚い本を見て状況を理解する。

 

ミトのお店を出たあと、ラスベリーは主街区中央付近の旅館の一室を借り、昨日アルゴから受け取っていた情報に目を通していた。

得られたものは僅かではあるが、それでもかなりの情報量を前に熱中して読み進めていたところ、いつのまにか寝落ちしてしまったらしい。

 

その間に夢を見ていたこともあり、覚えている内容はごく僅か。

今ラスベリーの脳内を支配しているのは、ミトのことだ。

 

「……あの娘、笑わなかったな」

 

鮮明に思い出せる――というよりは、頭に焼き付いて離れないと表現したほうが正確だろうか。

久しぶりに出会ったあの少女は、昔のような笑顔を見せることはなかった。

 

無論笑えるような状況ではなかったし、自分にそれを向けてもらう資格さえないのかもしれない。

でもあの夢を見せられて、一緒に遊んでいた頃の深澄を‘思い出して’。

ついあんな風に笑ってほしいと願ってしまった。

 

「まだ、時間はあるな。

場所を変えてもう一度最初から読むかな」

 

現在、時刻は午後9時前。

約束の時間まであと約2時間ほど。

ミトが言っていた崩塔の遺跡群というのがどういった場所かはほとんど情報がないものの、すでに最下層扱いとなっている5層のモンスターなら容易く突破出来るはず。

よほどのことがない限りは間に合うだろう。

 

適度に情報誌の内容を流し読みしつつ、ラスベリーは屋外にあるレストランへと足を運んだ。

夕方に訪れた防具屋ではないが、どうやらここは隠れた名店らしく、《遺物》と呼ばれる換金アイテムを探すのに役立つ名物メニュー『ブルーブルーベリータルト』があるという。

 

一日30個限定しか販売しないレア物ではあるが、幸運にもラスベリーは最後の人品を注文することに成功。

洋菓子が運ばれてくるのを待ちつつ、すっかり冥き夕闇に覆われた街を眺めていた。

 

遺跡の街というだけあって、視界に映ったそれは正しく絶景だった。

言葉にしきれない不気味さと美しさが混ざり合った風情あるその様を、可能なことなら写真に収めて現実世界に持ち帰りたい。

そう思えるほどに。

 

だが今回は観光に来たわけではない。

様々な困難を乗り越えながらも、長い間ずっと抱き続けた宿願を叶えに来たのだ。

その時はすでに手の届く位置にある。

緊張で本に添えられた指が震え始めた時、頼んでいたメニューが到着した。

 

独特の甘酸っぱさを味わいつつ、今度は一行ずつ丁寧にカタログを読み進める。

それまでは一度目を通していたこともあって流し読みでも良かったのだが、今見ているのは完全に初見――寝落ちする直前まで開かれていたページから先である。

 

崩塔の遺跡群というのは名前からして間違いなく圏内ではないだろう。

わざわざそんな場所を指定して来た意味を、ラスベリーは薄々勘付いていた。

だからこそこの先の未来を左右するかもしれないその情報を、脳の限界まで詰め込もうとしているのだ。

 

そうして可能な限り時間を使い、気がつけば午後10時過ぎ。

気持ちを引き締め、主街区とフィールドを隔てる大門の前を神妙な面持ちで見上げる。

ここを潜ったが最後、もう後戻りは出来ない。

良い結果にしても悪い結果にしても、自身の運命は今日決まることになる。

根拠はないが、そんな予感がする。

 

「……ミト」

 

複雑な気持ちの入り混じった声を合図に、重々しい音を奏でながら扉が開かれる。

 

向こう側に広がるのは闇色の空に染められた石畳。

戦争の跡のような瓦礫の山や欠けた塔なども確認出来、主街区を構成するそれよりも遥かに忘れられた廃都と呼ぶに相応しい。

 

足を踏み入れた瞬間、悪魔や亡霊でも飛び出すんじゃないか。

もしここにアスナがいたらどんな反応をしていたのだろうか。

様々なことを夢想しつつ、ついにラスベリーはフィールドへと侵入した。

 

ひたすら歩く。

何者に阻まれるわけでもなく、ただ真っ直ぐ暗闇の中を進む。

何一つ変化がないまま30分近い時間が経過した頃、明らかにおかしな点に気がついた。

 

彼はここに至るまで、モンスターを見ていない。

交戦しないことは極稀にあったとしても、まったく姿がないというのはさすがに不自然極まりない。

 

デスゲーム開始直後ならまだしも、今の最前線は70層付近。

こんな時期にリソース狩りを、それも日が完全に落ちた今行う意味などないのだ。

 

この層に残っているプレイヤーも、精々攻略とは縁遠い者たちばかり。

如何に弱いモンスターばかりであろうと、それは自分たち中層以上のプレイヤーから見た認識。

彼らもそうだとは限らない。

 

では逆に、どんな人物ならこの状況を作り出そうとするのか。

この辺りないしは近くのフィールドに用があって、一切姿を見かけないほどまでモンスターを狩り尽くす意味のある存在。

ラスベリーにはたった一人だけ、心当たりがある。

 

「……片付けてくれたってのかよ」

 

このゲームのモンスターたちはレベル差に関係なく、そのほとんどが視界に捉えたプレイヤーを襲ってくる。

一体一体は弱くとも、大量に襲ってくる――ないしは続けざまに現れてしまえば大幅に時間を消費してしまうことだろう。

 

だが今の状況はラスベリーにとって都合が良すぎる。

まるで彼のためだけに舗装された道、それを用意するとすればミトしかいない。

そう確信に至ったところで、少し離れた位置にある岩陰に何かが光るのが見えた。

 

「っ、あれは」

 

近づいて手に取ったそれは、なんてことのない銅貨。

騎士の剣が中心に描かれた不思議なデザインの小さな光り物という特徴に、これが例の遺物こと《カルルコイン》であると気がつく。

 

銀や金ならまだ価値があったかもしれないが、今手のひらにあるのは最低クラスの銅色。

時間のない身なので宝探しに熱中している暇のないラスベリーからすれば、どうせなら高価なものを見つけたかったというのが本音だ。

尤も、入手しただけ全然マシではあるが。

 

しばらくそれを見つめたあと、左手でつまみ右の親指の上へと乗せた。

 

「……俺たちの未来は、どっちに傾く」

 

祈るように、そして願うように。

鈴のような音を響かせつつ、弾かれたコインが宙を舞った。

 

 

 

――あの蝶はどこへ行くのだろう。

あの雲はどこから来て、いつ消えてしまうのだろう。

あの太陽はあと何回この星を回って、あの夜空はどれだけ多く人を照らしたのだろう。

そんな当たり前なことさえ尊く感じたのは、いったいいつの頃からだったか、兎沢深澄――ミトは思い出せないでいた。

 

ところどころ破れた跡のついた真っ黒なローブをマントのようにして羽織り、その下には彼女を象徴する色とも言える紫を中心にした、かつて親友や想い人とともにあった頃を彷彿とさせる黒衣を身にまとっている。

 

三角状に切れ目の入ったフードを脱ぐ。

瞬間彼女の見事な長髪が布の中から飛び出し、それをひとまとめにして後ろで括った。

 

このゲームにおいて、髪型を変えるだけならメニュー操作一つで可能であり、本来手動でやる意味はない。

そのことは長い間この世界にいて――いや、それ以前からゲーマーとして理解していたはずなのに。

一緒にいた頃、親友にやってもらった時の思い出が蘇る。浮かび上がってしまう。

 

今はもうすっかり慣れてしまった髪型――長いポニーテールの下に、親友とお揃いのクラウンハーフアップ。

以前は自分に似合わないと思っていたそれも、不思議と今では悪くない気がする。

 

実際、防具屋の店主として表に出る時もこれだ。

あの男に会った時も、この髪型だった。

では何故今、わざわざ結び直したのか。

正直、ミト自身も判っていない。

ただなんとなく気になったから、としか言い表せないのだ。

 

心がざわついている。

思考が揺らぐ。

自分は今、何に取り憑かれているのか。

それを上手く表現出来ないでいるうちに、一歩ずつ足音が迫ってきた。

 

時刻は午後11時。

彼女が指定した約束の瞬間。

 

その男の顔を見て、一度瞬きをしてから鋭い視線を向ける。

 

「ちょうど、か。

さすがラスベリー、時間には正確ね」

 

「まぁ、社会人にもなると最低10分前行動が常識だからな。

今回みたくちょっきしっつーのは、さすがにキツいが。

……約束通り来たぜ、ミト」

 

「えぇ、あなたはちゃんと来てくれた。

だから話すわ、あなたの知りたいことを」

 

ミトの赤い瞳が真っ直ぐ突き刺さった途端、身体中に緊張が走る。

まるで細胞の一つ一つに至るまで、瞬時に電撃が通ったかのような気分だ。

 

だが、ようやく彼女と面と向かって話ができる。

振り返りそうになる気持ちを必死に堪え、ラスベリーは重たくなった口をゆっくりと動かす。

 

「まず、気になったことなんだが。

フレンドリストに、そいつの簡単な現在地が表示されることは知ってるな?

まぁ現在地って言っても、どの層のどのエリアかってぐらいだが。

……お前さんのそれは、どうしてか塗り潰されてた。

情報屋の友だちによれば、前例がねぇらしい。

常に最適化され続けるこの世界で、バグってこともねぇだろう。

ミト、お前さん何したんだ?」

 

「あぁ、そのことね。

そういうアクセサリーを作ったのよ。

戦闘に関する能力を持たない代わりに、あらゆるマップデータにジャミングをかけて、装備者の位置を隠せる効果のね。

私自身、これが出来上がった時は驚いたけど」

 

「なるほど、偶然の産物ってことか。

今さらながら、店の商品がどれも高かったのに納得がいったよ。

お前さんの積み重ねが、そんだけの代物を生み出すに至っちまったんだからな」

 

生半可な努力であんな凄いものを、それも店内に並べられるぐらい作れるわけがない。

そのことはラスベリー自身、相棒である少女の成果を実際に見てきたからこそ判る。

 

そしてそこまでの成果を出すためには無論継続も大事だが、最高の装備品を作りたいと思った動機や、生産職を志すきっかけなるものがあるはず。

次は、そこを聞いてみることにした。

 

「……実はな。

お前さんが店やってるってのは、さっき言ってた友だちから聞いたんだ。

驚いたよ……あの日いなくなっちまったお前さんが、いつの間にか防具屋の店長なんだもんな。

どうしてそうしようと思ったのか、聞いてもいいか?」

 

「……そうね。

あえて言うなら、前に立つ資格がないからかしら。

誰も傷つけない、誰を裏切ることもない。

後ろからサポートするぐらいで良いのよ」

 

「そいつァ……例の件と、関係あんのか?」

 

「まぁ、ここまで言えば気づくよね」

 

ミトの表情が一気に暗くなる。

たった今放たれた発言は、戦いたくないとも捉えられるようなもの。

 

事実彼女が最前線で戦い、アインクラッド攻略に貢献したなどという話は第1層の時を除きまったくない。

もしそうなっていたなら、アルゴがミトを発見することなど容易くなっていただろう。

ラスベリーがわざわざ足を使うまでもなく、簡単に行方を終えていたに違いない。

 

「ミト……

正直に、話してくれ。

あの時……なんであの時、パーティを抜けちまったんだ?」

 

「……怖かった。

アスナが、あなたが……HPが0になって、死んでしまうことが確定する瞬間を。

私は、見たくなかった」

 

リズやキリトとともパーティを組んでいたからもはや常識的なことだが、同じパーティに属しているプレイヤーの名前は残りHPを示す緑色のバーとともに、左上に見える自分の表示の下に現れる。

でもそれは逆に言えば、いつでも仲間の状態が見えてしまうということ。

HPが砂時計のように消えていく様ですらも。

 

今まで考えもしなかった。

いや、発想自体はあったのに、自分でも気づかないうちに目を瞑っていたのかもしれない。

自分の、そしてアスナの命が削れていく光景をただ一人見せられ続け、それでも必死に二人の元へ戻ろうと抗い、押し寄せる波に道を阻まれてしまった少女の気持ちを。

 

もし自分がその立場なら。

あの日アスナと一緒に残されていたのがミトだったら。

一秒でも早く合流して二人を助けなければならないのに、無尽蔵にモンスターが湧いてきて妨害してくる。

そこに時間をかけている間にも彼女らの命は食われていき、足を止めてしまえば二人は天へと旅立つ。

 

大人の自分なら多少マシかもしれない、だが当時ただの中学三年生でしかないミトはどうだろうか。

 

答えは決まっている。

耐えられるわけがない。

その瞬間を見てしまえば、きっと彼女の心は壊れてしまう。

だから、目を閉じたのだ。

 

「……けど、すぐに思い知った」

 

暗い表情を崩さないまま、さらに沈んだ声で言葉を紡ぐ。

 

「私は、私を守っただけだった。

私にはあなたたちしかいなかったのに、それを見殺しにして……

結局私は、自分しか守れない無力な存在」

 

「本当にミトが無力なら、俺ァとっくに第1層の適当なところでくたばってるだろ。

それはきっと、アスナも同じ……お前さんがいたから強くなれた。

一緒に戦ったんなら、ソイツぁ判ってるはずだぜ」

 

「えぇ、あの娘は呑み込みが早いから。

けどそれは裏を返せば、いずれ私が要らなくなるということでもある。

私なんかいなくても、色んな人から影響を受けて……きっとどこまでも成長出来る。

それを思い知ったのは、あの日のボス部屋だった」

 

師走の月が4回目の時を刻んだその日、二人の道は完全に分かたれた。

亀裂が入り始めたのは間違いなく、大切な人たちが失われようという状況から逃げ出した瞬間だろう。

 

それから彼女の苦しみは始まった。

 

メッセージ機能。

このゲームにおいて、他のプレイヤーと連絡を取るために用意された手段の一つ。

誰に対しても送信可能ではあるが、その中でも特に手軽なのがフレンド登録された相手に対してのもの。

実際ラスベリーがアスナに協力を持ちかけた際にも使われた方法であり、ただフレンドリストからプレイヤーを選択してメッセージを打ち込み、送信ボタンを押すのみでいい。

 

あの日のミトも、同じようにウインドウを開いていた。

本文は空欄ではあったが、システム上はこれでも送信可能である。

言わばこれは生存確認。

返信が来なくとも、メールを送れたという事実がそれを報せてくれる。

 

だが彼女は直前、耐え難い過ちを犯してしまったばかり。

ボタンの上に添えられたか細い指をたった一センチ落とすことさえ、当時は叶わなかった。

 

恐怖の理由は『エラーメッセージ』。

送信先――つまりプレイヤーが存在していなければ、メッセージは無効となる。

誰もいない場所に対して、一方的に手紙を押し付けるようなものだ。

そしてこのゲームにおけるそれは、すでにSAOから永久退場していることを意味する。

 

二人はもう、死んでいる。

そのことを告げるメッセージが表示されるのを恐れ、ミトは最初の段階で折れてしまったのだ。

 

――私が、殺したんだ。

呪詛のように繰り返し続けた。

彼らがいた場所で同じように果てようかとも考えたが、人間ならば誰しもが持っている死の恐怖には敵わなかった。

最初こそは迷わずそうしようと思えたのに、一度頭が冷えた瞬間これだ。

心だけは抗えなかったことに、自分自身の弱さに辟易した。

 

『自分にはもう晴輝さんと明日奈しかいない』。

かつて自分で放った言葉が重く伸し掛かる。

彼らを失ったミトは生きる意味を無くし、いついかなる時も思考を自殺のことへと染めていた。

でも彼女は二人のことをよく知っているからこそ、さらに苦しむ。

自殺なんてしたら、いやそもそもしようとしたら。

晴輝も明日奈も絶対に自分を許さないだろう。

それが判ってしまうから。

 

自身の願望と思い出の中に生きる二人。

二律背反で惑い揺れ動く気持ちは、宙ぶらりんそのもの。

そんなミトには、正常な行動など不可能だった。

自らの命などドブに捨てたような、自棄にもほどがある戦闘を繰り返すようになったのだ。

 

結果として彼女はある二人の人物と知り合い、一時の交流を経て『二人の死を無駄にしないためにも、行けるところまで行って楽になる』ことを心に決める。

 

しかしその決意すらも、容易く霞む。

何故なら最前線での戦いの中、今まで死んだと思っていたアスナと再会してしまったから。

言葉が出なかった、謝ろうと思っても口が言うことを効かなかった。

 

でも彼女はミトを恨んだりはせず、共闘を願ってくれた。

ミトや第1層ボス攻略メンバーの尽力もあり、無事にその部屋の主――《イルファング・ザ・コボルドロード》は倒れた。

 

ところがそこで、ラスベリーが知っている出来事の一つが起こる。

 

初めてのフロアボス撃破に皆が喜び打ちひしがれる中、キバオウと呼ばれるプレイヤーが癇癪を起こしたのだ。

 

攻略メンバーに属していたうちの一人――キリトがそれまで誰も知らなかった攻撃パターンを知っていて、それを意図的に隠したためにリーダーであるディアベルが死ぬことになった。

彼はディアベルを見殺しにしたのだと、そう主張したのである。

 

そしてあろうことか、そこに居合わせた一人のプレイヤーがキリトを元ベータテスターと断定。

だからボスの行動パターンを知り尽くしているとのたまい、よりにもよって隣にいたアスナのことも同族扱い。

 

その後も彼の非難は続き、どんどん元ベータテスターへの憎悪がプレイヤーたちに募っていく。

当然同じくテスターであったミトには無視できるものではなく、誰にも気づかれないよう後退りをしてしまう。

 

『ベータテスターたちは自分たちの利益のために、有力な情報を隠しニュービーたちを騙していた』

そんな言いがかりにも近い発言は、人が実際に死に、かつキリトらが他のプレイヤーよりも抜きん出て動いてしまった状況では、有象無象が受け入れるには充分になる。

 

――自分はアスナを騙してなんかいない

そのはずなのに、釈明することが出来なかったことで否定材料さえ失う。

事実彼女は、誰一人として守り切れていないのだから。

 

でもその時、キリトが動いた。

自ら悪役を演じることで、すべてのベータテスターたちを庇ったのだ。

常に誰よりも先に行き、あらゆるモンスターたちと戦ったことで得た、情報屋など必要としないほどの知識。

それを持っていると大々的に発言したことで、もはやテスターどころではないとして一気にヘイトが集中――彼はビーターと呼ばれるようになった。

 

すべての業を背負ったキリトの意図を理解し、アスナは道をともにすることを決めた。

そのことを話してくれた際、彼女はまたねと言ってくれた。

でもミトは相槌さえ返すことが出来ず、ただ一人の静寂の中で『さよなら』と呟いた。

もう自分はアスナには必要ない、そのことを強く実感したから。

 

並び立つ資格も、あの日に燃え尽きた。

今の彼女には追うべき目標だってある。

大事な時に親友たちを見殺しにしてしまうような自分が、それを応援する権利はない。

どうせ誰も守れないのなら、もう前線から離れて、いっそのんびり過ごしてみるのも悪くないかもしれない。

 

そう、ここまでならそれでも良かった。

ミトをそうさせなかったのは、ラスベリーの存在だった。

大量のネペントたちに囲まれたあの日、間違いなく傍にいたはずの男は、第1層のボス部屋にはいなかった。

 

まさか、死んだのだろうか。

仮にそうでないなら、何故彼はアスナの元から離れなければならないのか。

少なくともミトには、それは判らなかった。

ラスベリーが――晴輝が彼女のことをどれだけ大切に思っているか、痛いほど知っているから。

あの場で自らを盾にアスナを辛うじて逃した、そう考えるのがまだ自然だ。

 

戦場を去ることを決めたミトは、それから少しずつコマを進めた。

消息の判らないラスベリーのことを想いながら、時にはモンスターに襲われるプレイヤーを助け、時には生産職への興味を抱き、時には手探りながら作ってみたアイテムが人を救うことになり、前線には決して立たなかったものの、間違いなく攻略組には貢献していた影の立役者と言える。

 

特に自身が作成したものがプレイヤーの一助となったことは、ミトにとって大きな出来事だった。

最前線から身を引いた自分に出来る、人を支えられる手段。

こういう道もありかもしれない、そう思い生産職――その中でもとりわけ身を守る防具を作る側を本格的に目指すことにした。

これをラスベリーが装備したらどんな感じだろう、そんなことを度々考えながら。

彼のことを想って初めて生まれたアクセサリーは、真夏の海のように青かった。

 

やがて防具の生成が軌道に乗り始めてきた頃、ミトにとって予期せぬ出来事が起こる。

 

再びアスナが、彼女の前に姿を現したのだ。

また姿を見られただけでも嬉しいというのに、聞けば情報屋を頼って自分を探していたという。

 

ラスベリーはそれがアルゴのことだとすぐに判った。

すでに第2層の時点で依頼を受けていたと、アルゴがそう言及していたから。

いつかメッセージで言っていた『一度は発見したがその時はアスナを優先した』というのは、この時のことだったのだろう。

 

さて、アスナがミトの元を訪れた理由だが、とある事情で少数メンバーのみで当時最前線であった第5層のボス攻略を行うために、戦力として加わってほしいというものだった。

理由は聞かなかったものの、ただごとではないことは容易に察しがついた。

 

だが前線を離れて久しいミトは、実力不足を理由に誘いを断った。

それに自分は危険が目前に迫った時、他者を見捨てて保身に走るような人間でもある。

そう、あの日のように。

そんなプレイヤーがいれば攻略メンバーの指揮に関わるからと、さらに彼女を突き放す。

 

それでもアスナは引き下がらなかった。

諦めの悪さはいったい誰に似たのかと呆れつつも、彼女から突き出されたデュエル申請を仕方なく呑んだ。

 

これに負ければミトは攻略メンバーに加わり、ともに5層ボスを相手に戦う。

そういった条件の元提案された真剣勝負だが、アスナにとっては『もうミトに守ってもらうだけの初心者じゃない』ことを証明するためのものでもある。

 

初めてフロアボスが倒されてから一月近く、あれからアスナがどれだけ強くなっているのか気にならないと言えば嘘になる。

しかし自分はすでに彼女と袂を分かってしまった身。

向こうからすればそうでなくても、ミトにとっては、また一緒に歩いていけるなど到底思えない。

 

だからこそ、ここで負けるわけには行かない。

容赦なく振るわれたその一閃は、アスナのHPを容易く刈り取った。

これにてデュエルは決着、攻略に参加するという話は水泡に帰した。

 

叩きつけられた結果を受け入れ、この場を去ろうとするアスナをミトは引き止めた。

何故かは正直判らない、気がつけばその声を発していた。

強いて理由をあげるとするなら、ずっと気になっていたこと――答えを知るのが怖くて、いっそ判らないままの方が良いのかもしれないとさえ思った、自分とアスナの傍にいたあの男、ラスベリーのことだろう。

 

そのことを察知したアスナは、寂しそうなのにどこか澄んだ表情で話してくれた。

第1層ボス攻略会議が行われたまさにあの日、彼が突然一方的に突き放して姿を消したということを。

思ってもいない罵詈雑言を吐き、それまで使っていた得物を餞別として置いていったことを。

 

彼女は、自分が弱かったからいけなかったと言った。

でもそんな理由でラスベリーが、あの晴輝がアスナを見捨てるなど、とてもじゃないが信じたくなかった。

でもアスナは今こうして一人だし、ボス部屋の時だって彼の姿はどこにもなかった。

いっそ死んでいた方がマシだった現実というのは、ある意味こういうことを言うのだろうか。

 

『いずれ私はあの人を取り戻す』

儚い決意を告げたあと、アスナは今度こそ去って行った。

 

――一人になって十分、呆然と立ち尽くした。

誰よりもあの娘を大事にしていたラスベリーが?

いつそういった仲になってもおかしくなかった晴輝さんが?

困惑、疑心、憤怒、失望、悲嘆、絶望。

今自分が、どんな感情を抱いているか判らなかった。

 

再び思考が動き出したのは、微かなノイズが生じた時。

彼女の索敵スキルに、一人のプレイヤーが引っかかったのだ。

その人物は当時アスナとパーティを組んでいた通称‘ビーター’こと、キリトだった。

 

彼もまた作戦への参加を促したが、これもミトは一蹴。

すぐにでもその場を去ろうとしたが、寸前でキリトの放った言葉が彼女の足を重くした。

 

『アスナが使っている‘シバルリック・レイピア’は、ミトが渡したウィンド・フルーレと、もう一人の男から受け取ったスモール・レイピアを合わせた業物である』

 

正確にはウィンド・フルーレを素材にシバルリック・レイピアを作った後、強化用インゴットとなったスモール・レイピアを取り込ませたらしい。

 

性能など度外視に、何故わざわざその武器を使いたがったのか――その意味を理解した時、身が震えた。

自分の親友であった少女がどういう人間であったかを改めて痛感したことに。

そして何より、アスナとの付き合いが短いはずのキリトが、自分よりもそれを理解していたことに。

 

悔しかったし、気に食わなかった。

でも、一番腹が立ったのは――

 

ラスベリーではない男が、アスナの隣にいることだ。

 

その男が彼のことを口にしたのが引き金となり、それまで堰き止められていた感情の波が炎となって燃え上がる。

 

 

 

――なんであなたなの……

 

――どうしてあの人じゃないの!?

 

――あの娘が必要としているのは、今も想い続けているのは……!!

 

 

 

判っている、キリトは何も悪くないなんてことは。

だって彼は自分に出来る方法で、ここまでアスナを支え続けてくれたのだから。

この時だって、彼女のフォローに来たに過ぎない。

 

それでもミトは、憎悪とも嫉妬とも取れない、一言では表現しきれない複雑な想いを、怒号として浴びせてしまった。

理屈などではなく、心からキリトのことを嫌った。

もう、何も考えたくなかった。

このまま何もせず、3人で一緒に冒険していた日々を夢想していようかとも思った。

 

でも結局、二人の誘いに乗る形となった。

色々と思うところはあるが、アスナの背負ったものや秘めた想いを知ってしまった以上、助けないわけには行かなかったのだ。

 

それに彼女は、自分を頼ってきてくれた。

恨みもせず、責めるわけでもなく。

今でも大事な親友だと思ってくれている。

 

もはや自分が許せないとか、過去の罪がとは言ってられない。

全力を賭して、ただ『親友』のために戦い、皆で第5層のボスを撃破した。

 

キリトたちの目的は果たされ、アスナの思いにも直接触れられた。

『もう守ってもらうだけの初心者じゃない』

偽らざるその言葉通り、彼女はとっくにあの日を乗り越え、ミトは受け入れられた。

何より大事な親友のため動いたその時点で、ミトを阻んでいた心の壁は一つ消えていた。

 

これからは、アスナのために動ける。

 

その想いを早速叶えるかのように、彼女からある意味予想通りの依頼をされた。

『ミトもラスベリーを探してほしい』、と。

 

当然これを承諾。

親友に出来る唯一の罪滅ぼしの手段として、ミトは各地を駆け回ることとなった。

 

無論ミト自身、ラスベリーに会いたい気持ちも大きい。

 

何故アスナを見捨てる形となったのか、今どこで何をしているのか。

自分がどんな気持ちでずっと傍にいたのか、あの夜の会話はなんだったのか。

 

怒りや悲しみ、様々な感情が絡み合う。

あの人を親友の元へ連れ戻す、たったそれだけのことのはずなのに。

 

もしそれを達成してしまえば、二人との関係が続けられなくなる。

そう思ってしまった。

 

アスナは自分を許してくれた、そんなの判っている。

でもミトは、兎沢深澄という少女は、今に至っても自分のしたことを許せないでいた。

親友のくれた優しさは、却って彼女の心を追い詰めてしまう結果となったのだ。

 

それに自分はアスナだけでなく、ラスベリーも見捨てた。

怒りはもちろんあるが、それ以上に罪悪感もある。

先に同じことをしてしまった自分が、今さらどんな顔をして会えばいいのか判らない。

最初こそは力強かった足踏みも、時間が経つに連れて目的から遠のいてしまっていた。

 

しかもさらに追い打ちをかけるようにして、九の懐がこの頃になって活動を本格化。

当然ミトの前にも現れ、否が応でも戦闘を繰り返していくことになる。

時にメイス使いの老将や同じ鎌使いの女性と交戦し、彼らの計画を阻止したこともあった。

 

やがて現実では桜舞う季節となった頃、ミトはついにラスベリーを発見する。

すぐにでも声をかけようかとも思ったが、直後彼の隣に見慣れない一人の少女がいることに気が付き、あまりに楽しそうなそのやり取りに入っていくことが出来なかった。

 

足が竦んでいるうちに彼らは別行動を取り、当然ミトはラスベリーを追跡するが、それでも姿を現す勇気は出ず、気付けば彼はメッセージに反応して飛び出して行ってしまった。

 

――自分はあの人に対して怒りたいのか、謝りたいのか。

未だまとまり切っていない感情が、ミトの勇気を曇らせていた。

 

それから彼女は、以前から準備を進めていた防具屋をついに開店。

心の整理が着くまでは商売に励み、ある程度経ったらまた捜索に戻ろうと決めてここに至ったのだが、思いの外出だしは好調だった。

 

様々なプレイヤーが訪れてくれることもあって特に動かずとも情報が勝手にやって来ては、最前線で活躍するKoB――つまりアスナのことに安堵して、でも同時に今までのことがフラッシュバックして気持ちが沈んだりと、店から出ずとも一喜一憂する日々が続いた。

 

新しい商品を生成するための素材集めに出て、並行してラスベリーの捜索を行い、九の懐と遭遇すれば撃退する。

営業時間中はらしくもない愛想を振り撒いて、何事もなかったかのように過ごさなくてはならない。

 

心も定まらないまま過去の罪ばかりが重くなっていき、虚夢にも等しい毎日を今に至るまでずっと繰り返してきた。

 

ここまでが、ラスベリーに対してミトが語ってくれた話の内容である。

 

 

 

「……ごめん、ごめんなぁ」

 

目線を逸らし、暗い表情のまま虚空を見つめるミトに対してラスベリーが深々と頭を下げる。

 

90度、いやもっと低いだろうか。

そこまで柔らかい方ではない身体を限界まで曲げて、震えた声で続きを話す。

 

「そんな辛い想いさせて……ミトがずっと苦しんでるのに、なんにもしてやれねぇで。

それどころかっ……俺ァ勝手にアスナほっぽって、お前の苦しみを増やしてただけだったッ!

……もっと、もっと早く会えてたら……!!」

 

少しずつ、震える声がさらに濁る。

この世界ではデータでしかないが、可能な限りリアルに再現された涙がアバターから流れ出て、発せられる声にも影響してしまうのだ。

 

数秒間の沈黙を経て、未だ下を向いたままのラスベリーとは対象的に切なげな顔を浮かべるミトがようやく口を開き、悲しそうなため息が漏れ出る。

 

「その優しさがあるなら、なんでアスナの傍にいてあげなかったの。

あの娘が必要としているのは、他でもないあなたなのに」

 

「ソイツァ……」

 

「なんて、私が言えた立場じゃないわね。

それにあなたのことだから、そうしなきゃならない理由があったんでしょう。

……あなたたちの仲は、私がよく知ってるもの」

 

一緒に旅をしていた頃なら、その言葉に何かを返すことは出来なかった。

あの頃は彼女たちと過ごした思い出などなくて、状況を呑み込むのに必死だったから。

 

でも今なら、ミトの表情の奥に秘められた気持ちが判る。

ここまでの長い冒険の中で、ちょっとずつではあるが欠けていたピースを取り戻した彼なら。

 

だからといって、この先に待ち受ける未来を変えていい理由にはならないが。

ゆっくりと身体を起こし、神妙な面持ちのラスベリーがようやくミトの瞳を見た。

 

「……あの娘の幸せは、俺との先にはない。

そう思っただけだ」

 

「ふざけないでよ!!」

 

瞬間、落雷のような怒声が響き渡る。

その少女の赤い瞳は、目尻に涙を潤ませこちらを睨みつけていた。

 

「じゃああの娘の、アスナの幸せはどこにあるのよ……!

ずっとあなたたちを見てきた、この二人はいつまでも笑い合えるんだろうって思ってた!

……なのにあなたは、そんな身勝手な理由でそれをブチ壊した!!

アスナの気持ちなんて、これっぽっちも知らずにッ!!」

 

「そう言われちゃ、返す言葉もねぇがよ……

それでも俺は、この道を選択しちまった。

今さら引き返せねぇんだ」

 

「……そう、なら」

 

ジャキンッ、と。

鋭い金属音を奏で、それは一瞬にして現れた。

触れるものすべてを瞬く間に引き裂いてしまいそうなほど鋭利な刃を持った、大きく口を開いた銀色の凶刃。

長く伸びた柄がそれを支え、圧倒的なリーチからなるその得物の名前は大鎌。

――ミトを象徴する武器だ。

 

その刃を静かに、そしてゆっくりとラスベリーに向けた。

 

「あの娘は今でも、あなたに帰ってきてほしいと想ってる。

ずっと一緒にいたいから、大好きだから。

私はその想いを、ずっと近くで見てきた。

……ラスベリー。

あなたをアスナの元へ、連れ戻す」

 

「……やっぱり、こうなるよな」

 

凶器を眼前に向けられて怒るでもなく、まして驚くわけでもなく。

ただ冷静に、覚悟を決めたその瞳を見据える。

 

一言で表すならそれは、炎。

赤い色も相まって、今から自分を倒すのだと闘志を燃やしているのを感じる。

しかしその奥に秘められた何かが微かに揺れているのを、ラスベリーは見逃さなかった。

 

「……一つ聞くが。

お前さんは俺をアスナに突き出したあと、どうするつもりだ?」

 

「っ……」

 

その時、僅かだがミトの目に宿る決意が揺らいだ気がした。

もちろん彼女のことだから明確なビジョンはあるだろうとラスベリーは考えているが、この反応は正直予想外だった。

 

元々ここへ会いに来たのは、彼女の本心を知るためでもある。

この機会を逃せば、きっと罪と自己嫌悪の中に隠されたそれを突き止めることは出来なくなるだろう。

そう思い、切り込むことを決める。

 

「俺も、お前さんのことはよく知ってる。

……というより、思い出したんだ。

誰かのために涙を流せる、優しい娘なんだって。

そして何よりも……独りになっちまうのが、何より怖い娘だってことも。

本当はまた最初みたいに、3人で遊びたいんじゃねぇか?」

 

「それ、は……」

 

「でも俺たちを裏切ったことが足枷になって、一緒にいる資格はないって思い込んじまってる。

そしてアスナを笑顔に出来るのは、俺だけだ。

……だから俺たちを二人きりにしたあとは、自分だけ消えてサヨナラ……こんなところか?」

 

あくまでこれは予想、当たっているとはまったく思っていない。

ラスベリーが知っている限りのミトという女の子を必死に考え、導き出した仮定でしかないからだ。

 

だがこれを聞いて、ミトは明らかに動揺している。

図星だったのか、あるいは少なからずそういった感情が残っていたのか。

その答えを、彼女は一切表に出そうとはしない。

 

「……私は。

私は、ずっとここにいる。

命尽きるか、このゲームが終わるまで。

ずっと静かに、独りで過ごすの」

 

「お前……」

 

「ラスベリー、私はね?

一緒にいるだけで誰かを不幸にする死神なの。

誰かのためにって頑張っても、結局自分本位になっちゃって……

そして必ず、みんなを傷つける。

あなたたちだって、殺しかけた……

呪われた私には、檻が必要じゃない?」

 

皮肉たっぷりに笑うその表情は、ただひたすらに悲しかった。

 

思えばずっと、何故わざわざこの第5層に防具屋を構えたのか気になっていた。

アスナたちに手を貸した場所だからなのか、それとも特に理由なく適当に選んだのか。

 

どちらでもない。

ミトはこの層を、自分の墓場に決めたのだ。

 

ラスベリーやアスナの友だちであった兎沢深澄も、ヘビーゲーマーのミトとしても。

この場所で完全に終わりにする。

例えゲームがクリアされようと、HPが0になって死のうとも。

もはや今の彼女にとっては、どちらであろうとそこまで重要なことではないのだろう。

 

そしていずれ朽ち果てた時、この忘れられた都のように、自分という存在が埋もれていく。

それをミトは望んでいるのだろう。

 

――悲しく笑うミトの瞳を見て、ラスベリーは唇を噛んだ。

 

「……見てられねぇな」

 

風にもかき消されるほど小さな声をこぼした直後、自らも得物を引き抜く。

進化せし純白の刃、メサイア。

 

救世主を意味するその武器は自分には不相応ではないかとも思ったが、この時ばかりは少しばかりありがたいと思う。

 

何故なら、この場所で自分がすべきことが、完全に決まったから。

 

「なぁ、ミト……覚えてるか。

学校で会った時、お前さんが言ったこと。

再挑戦ならいつでも受けるって……SAO内でも良いって、お前さんは言った。

今がその時だ」

 

「……えぇ、そうね。

今回も私が勝つ。

そして……あなたたちとの関係を、終わりにする」

 

「……お前が勝ったら、俺をアスナに突き出すなり好きにすりゃあ良い。

けど、俺が勝ったら……その時は。

ミト……お前は、俺がもらう」

 

時間が凍りついたかのように、つかの間の静寂が訪れた。

震えていた身体も、溢れそうになっていた滴もピタリと止み、ポカンとした表情でミトはラスベリーを見つめている。

 

今この男がなんと言ったのか、すぐに理解出来なかった。

『お前は俺がもらう』

何度も何度も、頭の中で復唱する。

だんだんと熱くなってくる顔をブンブンと振り、問い詰めようとした矢先に発言した本人がミトの思考を遮った。

 

「これ以上お前さんを独りにしちゃおけねぇ……

どうせこのまま果てるくらいなら、俺と一緒に来てもらうぜ」

 

目の前に現れるデュエル申請を告げる小さな窓。

しかもそこに記されていたのは一般的な初撃決着モードではなく、制限時間モード。

 

これは文字通り試合時間をお互い相談した上で設け、その中で限界まで戦い、最終的に残りHPが多いほうが勝利となる。

 

このルールにおける最大の特徴は、制限時間以内であればいくらでも相手のHPを削れるということ。

つまり、ルールに乗っ取ったPKが可能となる。

システムが止めてくれるわけでもない、完全に自らの命をかなぐり捨てた全力の勝負を、ラスベリーは申し込んだのだ。

 

「あなた、本気……!?」

 

「本気さ。

きっと俺もお前も、全力を出し合えなきゃ納得出来ない……そう思っただけだ。

俺はこのデュエル、すべてを賭けるぜ」

 

「……判った。

そこまで言うのなら、断るわけにはいかない」

 

――交渉成立。

 

制限時間は30分。

その間アイテムの使用や武器の変更など、なんでもアリ。

また、今回はお互い相手を殺したいわけではないこともあり、HPが3桁となった時点で敗北を認め降参するという特別ルールとなった。

 

星々が連なる夜空に二人の名前がHPバーとともに表示される。

思い返せば、初めてデュエルを行ったのは第2層――カトーとやり合った時。

あの時は二対一だったが、今は一人だけ。

誰の手も借りず、この勝負を超えなければならない。

 

あの日一緒に戦ったたった一人の相棒の笑顔を思い浮かべ、得物を握る手に力が籠もる。

 

(絶対、戻るからな)

 

あの少女が自分を孤独から救ってくれたように、今目の前で暗闇に沈もうとする女の子を助けて見せる。

 

会いに来て良かった、まだ引っ張れる手がそこにあったから。

独りになんてさせはしない、そう思えるだけの理由が心の中で叫んでいる。

 

――カウントダウンが、5を切った。

 

「今までミトには、一度も勝ったことなかったな」

 

「今回だって、私の勝ちよ。

ううん、あなたには絶対勝たせない」

 

――4

 

「あなたたち二人が幸せに過ごす、たったそれだけで良いの」

 

――3

 

「それ以上は私、何も望まないわ」

 

「……本当にそうか?」

 

――2

 

「なんでお前さんは、そこにいようとしねぇ?」

 

「だって私は、許されないから……!

でもあなたは、アスナに求められてる……その資格があるの!」

 

――1

 

「許す許さないを聞いてんじゃねぇ、お前がどうしてぇかだよ」

 

「いい加減、しつこい!」

 

「……ならこの先は、こいつで語るとしようや」

 

――0

 

「……腹ァ括るか。

行くぜ、ミトッ!!」

 

 

 

先に飛び出したのはラスベリーだった。

恐ろしいほどの踏み込みで驚異的なスピードを叩き出し、流星のような一閃を突き出す。

 

しかし軌道自体は単純だったため、これにミトは容易く対応。

それまで大鎌だったものが突然異様な音を奏でて変形し始め、短剣程度の大きさを持つ刃へと切り替わったのだ。

 

これを用いて一薙ぎのみで突進攻撃を受け流し、速攻で背後を取る。

無防備な背中に向けて手鎌を容赦なく振るうが、当然読んでいたラスベリーがミトの背に向かって高く飛び上がり、逆に後ろを取られてしまう。

 

メサイアが瞬間変形、3つの牙を持つ魔剣となり対象を喰らおうとするが、直撃の寸前元の形へと戻った大鎌が噛み付き、鍔迫り合いの状態にもつれ込む。

 

使用している武器種の都合、単純な攻撃力なら明らかに有利なのはミトの方。

このままでは競り負けると踏んでラスベリーは刃をかち上げ、その高い跳躍力を生かして大きく後退。

すぐにミトが距離を詰めてくるが、その時すでに左右の刃を畳んでいたメサイアに光が宿っていた。

 

「見やがれミト!

これが俺の、今の力だ!

アーク……リニアーッ!!」

 

「っ!」

 

単なるリニアーではない、ジェット機のように真っ直ぐ飛んでくるエネルギーが正面に現れる。

距離を取ってきた以上何かを投げて来るとは考えたが、まさかピックなどの類いではなくソードスキルそのものを飛ばしてくるとは予想もしなかったミトは、咄嗟に姿勢を下げて回避する。

 

だが思考を鈍らされてしまったことで、目の前にいた標的に明確な隙を晒してしまった。

ラスベリーは今、ミトの頭上に飛び上がっていた。

 

「もらったぜ!!」

 

「くっ……!」

 

上手く攻撃のチャンスを作ったと思った。

しかし隙を見せたのはラスベリーも同じ。

跳躍力を生かしたいがために、一番逃げ場のない空中を選択したことを、ミトは見逃さなかった。

 

斜めに斬撃を放つ大鎌ソードスキル《フェーブル》が、落下してくるラスベリーを呑み込もうと光り輝いた。

このままでは刃が自分の身を噛み砕くという寸前で、彼はその剣を突然翻す。

 

「スピニング・シールドだ!」

 

手首のスナップを効かせ、刃が風車のように素早く回転――風圧をまき散らす盾となったことでミトの攻撃は弾かれ、直後ラスベリーが地に足をつける。

 

スピニング・シールドは防御用ではあるが、分類上は片手剣のソードスキル。

すでにリニアーを使っている今、その条件は満たされた。

 

「クロスオーバー!

ディメンション・ソード!!」

 

ラスベリーの背に広がる光景が中心から突如として引き裂かれ、開かれた亜空間から魔神を思わせる狂気の大剣が姿を現す。

彼と完全にシンクロしたそれは力強く振り下ろされ、耳を引き裂くほどの音を鳴らしながら迫りくる。

 

「やはり、でも……!」

 

あろうことかミトは、クロスオーバースキルに対応。

ギロチンを思わせるほどの重さで放たれる三連撃のソードスキル《ファントム・ペイン》が、ディメンション・ソードをズタズタに引き裂いたのだ。

 

しかしこの事態すらも、ラスベリーは読んでいた。

 

「そう来ると思ったぜ!」

 

「なっ……!?」

 

いつからそこにいたのか、そんなことを思考するよりも早く強烈な刺突がミトの脇腹に直撃する。

すぐに大鎌を薙ぎ払って反撃するも、それすら瞬間的に回避。

 

そのスピードはもはや、常人の域ではない達人級のもの。

ミトには彼の持つ速さに、大事な女の子の戦いぶりを重ねていた。

 

「さすが、流星なんて呼ばれてるだけはあるわね。

私の知る限り、あなた以上にアスナに匹敵するプレイヤーはいない」

 

「ヘヘッ、そりゃ恐れ多いと言いたいところだが。

それなら、ちゃんと名乗れそうだな」

 

「名乗る……?」

 

僅かにミトの手が止まったその時、ラスベリーが瞬間移動のような速度で切り込んでくる。

刃と刃がぶつかり合い、金属音がけたたましく響き続け、またしても鍔迫り合いの状態となった。

 

「俺は……閃光。

幻夢の閃光、ラスベリーだ!!」

 

高らかに宣言すると同時に、今度は真正面から競り勝ってミトを吹っ飛ばしてみせた。

 

イシュからその名前を提案された時は、心底不服だった。

でもその後にアスナと遭遇して、彼女と戦い運命を正すと決断したことで、ラスベリーの心の有り様が少しずつ変わって行った。

 

目には目を、歯には歯を。

この世界で唯一閃光を打倒する者。

自身への願掛けも兼ねて、今この瞬間より黒い流星は幻夢の閃光となったのだ。

 

「……閃光、か」

 

うつ伏せとなっていたミトが、静かにそう呟き立ち上がった。

地に落ちた鎌を拾い上げ、軽くいじりつつ言葉を紡ぐ。

 

「そう名乗りながら、あなたはアスナを遠ざけるのね。

……私の気持ちも、知らないで」

 

「ミト……?」

 

「ラスベリー、後悔させてあげるわ。

あなたは今、私を本気にさせたッ!!」

 

青天の霹靂。

そう表現するのに相応しいほどの声を張り上げるとともに、戦場に現れるはずのないものが降臨した。

 

「なっ……!?」

 

長い胴体に、手も足もなく獰猛な顔だけがついたその生物。

翼なくして空を駆け回る凶暴な神獣、龍以外の何者でもないそれは間違いなく、ラスベリーの目の前にいた。

 

どうしてミトとのデュエル中、突然モンスターが乱入してくるのか。

その答えを探るよりも先に、龍がその口を開けて襲いかかってくる。

 

「スピニング……うぉっ!?」

 

ソードスキルの発動すら間に合わず、龍の顎をモロに食らってしまう。

まるで腹を中心から貫かれたかのような感覚に、きっとリアルなら肋骨が完全に粉砕されているだろうとさえ思えた。

 

しかし同時に浮かび上がる疑問符。

ダメージを受けた時、大幅にHPを削ったそれの感触は決して鋭利なものではなかった。

寧ろ重たく大きい鈍器が勢いよくぶつかったような、それこそリズの使うメイスに近いものだったのだ。

 

頭が直接激突したのならまだ判るが、あの時龍は確かに牙を覗かせていた。

普通ならあの場で噛み付かれ、呑み込まれていても良いはず。

脳が正常に働き始めた時、ラスベリーの視界に映る龍はやがてまったく異なる姿を映し出し始める。

 

「……鎖、だと」

 

絶え間なく突っ込んでくる『龍に見えたもの』。

二度目となる今回はさすがに対応し見事いなしてみせるが、さらに謎の鎖は突撃を繰り返して来る。

 

何度も攻撃を防ぎ続けたことで、ようやく目が慣れて来たラスベリーは鎖の先端についた分銅を目撃。

この時点で完全に人為的なものであると気が付き、この場に唯一いる対戦相手の方に視線を向けた。

 

そこには、刃の反対側から伸びた鎖を自在に操作しているミトの姿があった。

あの龍は、彼女が操っていたのである。

 

「鎖、鎌……!?」

 

まさか、このSAOに実在したとは。

無論そのような驚きもあるが、ラスベリーを酷く動揺させていたのはもっと別の理由。

 

何故ならこの時彼の脳裏には、初めて戦った際シオウが口にしていた言葉が蘇っていたのだ。

 

龍は龍でも、蛇竜を駆る。

 

手足や翼を持たず、縦横無尽に駆け回る胴体のみの龍のことをそう呼ぶ。

いっそ単純に蛇とか、海竜と言ったほうが通りが良いかもしれない。

 

先ほど見えた幻覚では、鎖はまさにその姿をしていた。

 

そして先ほどミトは、何故か流星という名前を違和感なく口にした。

というよりも、黒い流星の異名を知っていた。

その正体がラスベリーであることも。

 

それにクロスオーバースキルどころか、メサイアが変形したことも、細剣と片手剣のソードスキルを併用したことにさえ驚きを見せなかった。

マトモに反応を示したのは、唯一アークリニアーのみ。

 

瞬間、激しい動悸がその身を襲う。

耳を済まさずとも聞こえてくる鼓動音の正体は、これ以上ないほどの衝撃。

それはラスベリーの戦意を一時的に削ぐには、充分すぎた。

 

「……まさか、ミト。

お前が、お前が……

あの時、俺を……助けてくれたのか」

 

「あぁ、気付いちゃった?」

 

マントの背にあるフードを目深に被り、ちょうど戻ってきていた分銅を鎖ごと収納する。

彼女の身長を追い越すほどの長さの大鎌を構えたその様は、死神そのもの。

 

というよりも、あの日死の淵に立たされたラスベリーを救った謎の人物――それまで正体不明とされていた存在だった。

 

「そう、私が‘滅龍’

気が付いたらこんな変な名前で呼ばれてて、恐れられてた。

……どう?滑稽でしょ」

 

「ミト……!」

 

「私は、恐れられる存在で良い。

誰も傷つけず、誰も裏切らずに済むのなら。

……滅びをもたらす龍は、ずっとこの牢獄に封じられるの。

あなたを、アスナの元に返してからね!!」

 

元攻略組・ソロプレイヤー

《滅龍》ミト。

 

罪という名の黒に染まったベールが剥がれ、その赤い瞳は悲しみを帯びていた。

 

 

 

 




【現在のラスベリーたちのレベル】

ラスベリー Lv76
リズベット Lv73(離脱時)



あとがき

どうも皆様、神矢レイラです。
儚き虚夢のラスベリー、第10話を読んでくださりありがとうございます。

スケルツォのあと、ミトがどうなったのかは未だ詳細ではありませんので、あくまで私の想像であることはご了承ください(ラスベリーってヤツもいるしね)。

自分なりに彼女の気持ちを表現してみたつもりですが、どうでしょうか?
私は正直、不安でいっぱいです(汗)

ですが実のところ、この展開ははじめから決めていました。
ラスベリーにはミトの悲劇を事前に防いだり、なかったことにするのではなく、真正面から受け止めて行って欲しいなと。
そんなことを考え、今回の対決に至っています。

そういった想いを本格的にぶつけ合うのは次回、前半戦の最終回になりますね。
今回は戦闘の導入に過ぎないので……(汗)

というわけで、今回はここまで。
果たして、勝負の行方は如何に……




【VS 滅龍ミト】

大切な人たちを裏切り、自らの無力さに嘆き、
鎖に囚われし龍は、闇の遺跡の中で啜り泣く。
親友のため凶刃を振るい、少女はその気持ちを圧し殺す。
孤独に沈もうとする彼女に、救いの手を――!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。