ソードアート・オンライン 儚き虚夢のラスベリー   作:神矢レイラ

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お疲れ様です、神矢レイラです。
ついに幕間編も最終回。
ようやくラスベリーの秘密が判明します。

振り返りとしても幕間編から入った人にとっても、最初からずっと読んでくださっている方にとっても非常に重要な回となります。

それでは、どうぞ!


♯4『覚悟=これまでとこれから/01』

この世界にとって、存在しないものとはなんなのだろうか。

 

誰かの妄想が描いた偶像か、神話に語られる幻の獣たちか。

あるいは、漫画やアニメに出てくるようなキャラクターのことだろうか。

 

だとしたら今目の前に広がる景色は、ここに生きる人々がなんなのか判らなくなる。

少なくともこの男、ラスベリーはそうだ。

 

本来この世界は彼にとって、空想のものであるはずだった。

 

記憶の片隅に残る微かな残滓。

その中には、ある子どもが食い入るようにテレビや本を見つめている映像があった。

 

少年が夢中になっていたのは、ソードアート・オンライン。

何を隠そう、ラスベリーが生きているこの世界――

多くのプレイヤーたちを巻き込んだデスゲームの名前である。

 

果てない光景も、触れるものも、出会う人々に至るまで。

あらゆるものがすでに頭の中にある。

ラスベリーはそれらを、最初の段階で知っていたのだ。

 

最初からこちら側の住人であったのなら、数々の既存知識も半数は頷けるものだっただろう。

 

しかしそうではないために、彼は悩んだ。

どうして自分はこの世に生きて、あの者たちと言葉を交わしているのか。

そして、何故自分に愛を向けてくれる者がいるのか。

 

その理由も、記憶も持たないラスベリーにとっては判らない。

にも関わらず、自らを取り巻く者たちは皆それを理解している。

 

本来存在し得ない者。

ある意味それこそがラスベリーの正体であり、誰にも明かせない最大の秘密。

 

何人か事情を知る仲間はいるが、果たしてこの話を信じている者はいったいどれだけいるのか。

そもそも自分自身でさえ、なにが真実なのか判っていないのだ。

 

いわば彼は孤独。

本当の意味で寄り添える相手がいないのだ。

 

本来なら自分は部外者である。

そのことを理解しながら、この世界に順応し続けるラスベリーは、儚き存在そのもの。

歩く矛盾と言ってもいい。

 

幻夢の閃光――

その名そのものが、彼を的確に表現しているのだ。

 

 

 

――ラスベリーの朝は、闇の面影が光に呑み込まれかけた頃に始まる。

最初に決まって目にするのは褪色の天井。

腹まで覆う薄い布を優しく捲るようにして取り除き、決して小さくない段差から足を下ろす。

 

午前6時前。

画面の隅に表示された数字はそう示していた。

しかしここは日差し一つ入らない閉鎖空間であり、外の音も頼りにならないことから、現時刻を知る手段はシステムが規律正しく刻むこれしかない。

 

少し前までここは、リズベット武具店の物置き部屋だった。

いつ使うかも判らないようなものを溜め込み、時の流れとともにそれすらも忘れられた場所。

商売をする上でありがちな、売れ残った夢の跡だ。

 

それを利用したのが現在の状態。

幸いにも多くはなかった置き物を回収し、ラスベリーの仮住まいとしたのだ。

 

一人用のベッドに地味なテーブルが端にあるだけの質素なものではあるが、寝室としてしかここを使わないラスベリーにとってはそのほうがありがたい。

 

今の生業――裏解決屋を始める頃には、その寝心地にも慣れた。

日にもよるが、夢見も悪いわけではない。

 

しかし今日に限って、ラスベリーの目覚めはあまり良いものではなかった。

というよりも、あまり寝付けなかったのだ。

 

彼にとって昨日の出来事はあまりに大きくて、思考を強く支配していたから。

 

意識をずっと握り締められているような、鎖で繋ぎ止められているような感覚。

そのせいで彼は長い間、文字通り目を閉じているだけの状態だった。

 

重い瞼をくすぐり、ベッドからそっと足を下ろす。

未だ覚醒しきっていない瞳の中に映し出された白色の四角形を操作し、自らを包む寝巻をいつも装備しているコートに変える。

 

薄い黒地に青色が稲妻のように刻まれたその衣服は、この時期には暑すぎるもの。

このゲームが季節ごとの気象を反映していたら、間違いなく普段着にはしていなかっただろう。

 

仄暗い視野の中、淡く光を放つそれを使って次に行ったのは‘ある名前’の確認。

 

この行為自体何か意味のあるものではない。

しかしその人物こそ、ラスベリーが昨日遭遇した少女。

今も頭から離れない一連の出来事は、彼女を意識させるには充分すぎたのだ。

 

「……アスナ」

 

乾いた声でポツリと呟き、沈黙。

何をするでもなく虚空を見つめ続けること約十秒。

回りきらない思考のまま、ようやく扉に手をかける。

 

漏れ出た光をその身に浴びながら彼が向かうのは武具店に当たる上の階。

地下の自室からそこまでは少し歩く必要があるが、すでに二週間近く過ごした今となっては慣れたものだ。

 

作業部屋を経て、ものの数分で目的地にたどり着いたラスベリーが始めたのは開店準備。

 

立場上居候である彼は対価としていくつかの仕事を請け負っており、今行っているのもその一つ。

並べられた商品の状態のチェックや室内の掃除に至るまで、毎朝欠かさずこなしている。

 

7時を迎える頃には必要な作業はすべて完了し、あとは店主を待つのみ。

徐ろに呼び出した正方形が映す大量の文字列を眺めること数分、静寂を破ったのは鈍い音だった。

 

「おはよラス、いつもありがとね」

 

やや活力のない声に視線を向けると、そこには眠そうな様子のリズがいた。

大きくあくびをしながら歩み寄って来る彼女に、優しく微笑みかける。

 

「遅かったなリズ、昨日もそうだったが」

 

「うん、ちょっと大事な作業があってね。

一日で済めば良かったんだけど、なかなか上手くいかなくてさ」

 

「なんか音がすると思ったらそういうことか。

頑張るのは良いが、無理すんなよ?

夜更かしは美容の敵だぜ」

 

「いやあたしたちアバターだから」

 

毎朝顔を合わせて何でもない会話をするのが、彼らの楽しみの一つ。

とっくに慣れたはずのやり取りだが、今日ばかりは一段と特別なものに感じる。

 

まるで当たり前のことがもうすぐ失われてしまうかのような、表現し難い感情。

残り少ないお菓子ならまた買えば済む話だが、人との関係や時間はそんな風には行かない。

 

このように考えてしまうのは、明確な変化が起こると感じているからだろうか。

 

きっかけは当然、昨日の出来事。

あの少女をその目で見たからこそ、その時が近いと思わずにはいられないのだ。

 

――それから少しあと。

部屋を移動した二人は小さなテーブルを挟み、リズの作った朝食を口にしていた。

比較的簡素ながらもバランスの良いメニューといったところだ。

 

本当ならこれも用意出来れば良かったのだが、彼女と違い料理スキルを取っていない以上ラスベリーは感謝を覚える他ない。

 

「ねぇラス。

今日は確か、シリカたちに仕事のこと教えるんだったわよね」

 

茶碗の中身が半分にも満たなくなってきた頃、フワッとした声でリズがそう聞いてきた。

箸を置いた右手で頬杖をつき、つぶらな瞳でこちらを見つめてくる。

 

「そのはずだったんだが、ちょっと別件が入ってな。

終わってからなら付き合えるんだが……

リズは例の作業があるし、ミトも空いてるかどうか」

 

「あの娘なら予定があっても二つ返事でOKしそうだけどね。

なんならあたしから声かけとくわよ」

 

「本当か!?

助かるぜリズ!」

 

まるで子どものように、ラスベリーが無邪気に喜ぶ。

あまりにも元気にその声を発したために、直前まで口に含んでいた米がいくつか飛んだ。

 

直後、彼を黙らせるようにして白い塊が押し込まれる。

 

「はいはい、喋るか食べるかどっちかにしなさい」

 

「フゴゴ……」

 

目の前にいる少女は母親か何かだろうか。

尤も、実際の年齢は逆なのだが。

 

脇にあった水を米ごと喉の奥に流し込み、落ち着いて食事を続ける。

それからは淡々と時間が流れていき、リズにこれから向かう場所を伝えた後に、ラスベリーは店を――

48層をあとにした。

 

転移門を潜り抜けて見えてきた景色。

今となってはもぬけの殻とも表現出来るその場所は、すべてのプレイヤーが一度は訪れる旅立ちの地。

 

「……懐かしいな」

 

あの11月6日と、今の8月13日。

二年近い歳月が経ち、ここから感じ取るものも大きく変わった。

 

すでにほとんどのプレイヤーが立ち去り、残されているのは戦う術を持たない者や軍と呼ばれる組織のみで、見かけるのはNPCばかり。

 

アインクラッド第1層、はじまりの街だ。

 

「この広場だけでも、色んなことがあったよな。

あの時は相当ビビったっけ」

 

今ラスベリーがいるのは、ログイン直後に降り立つことになる中央広場。

ここで当時起こった出来事を、彼は苦笑気味に思い返す。

 

不思議な名前を授かって目を覚ましたこの世界で、最初に会ったのがアスナだった。

 

記憶の中にある見知ったものと何一つ変わらぬ姿の彼女は、あろうことかNPCの女性に対してラスベリーの本名をぶちまけていたのだ。

 

――残光晴輝。

アスナこと結城明日奈によればすでに十年来の付き合いにもなる、彼女にとってもう一人の兄のような存在らしい。

 

何故、『らしい』などという曖昧な表現なのか。

それはラスベリーがこのことを認識したのが11月の4日、つまりデスゲーム開始の二日前だからである。

 

自身の名前と、早朝に目を覚ました際遭遇した人物が誰なのか。

そしてこの世界で最も注目を集めているゲーム『ソードアート・オンライン』。

理解出来たのはこの三点のみで、それ以外は何もかもが未知の領域だった。

 

にも関わらず、晴輝を取り巻く環境はアッサリと彼を受け入れていた。

まるで最初からそこにいたかのように、皆これまでにあったという思い出を語る。

 

その刻まれてきた歴史はその者らにとっては当たり前なのだろう。

ともに過ごした日々も、交わした言葉も。

誓い合った約束に、抱いた恋情も。

 

しかし晴輝にとってそれらは『歪』そのもの。

例えるなら彼は突然見知らぬ舞台の上に立たされ、役割を押し付けられた道化。

それが勇者ならばすでにそこにいた騎士や姫は彼のことをそう呼び、事実だと信じて疑わない。

この世界にとっては当然のことだと言わんばかりに。

 

だがそれらに相当する記憶を持たない晴輝からすれば、戸惑いの連続だった。

 

これがまだ『目が覚めたら別の世界にいた』程度だったら、少しはマシだったかもしれない。

彼の記憶に倣った言い方をするなら、‘異世界転生’というやつだ。

 

不慮の事故から命を落とし、常識では計れないような夢の世界に新たな生を受ける。

そこで最強と言って差し支えない力を得て、多くの運命を変えていくという物語が、彼の覚えている限り一定の需要を得ていた。

 

それに当て嵌めるのなら、晴輝が生まれ落ちたのは『ソードアート・オンライン』の世界。

ゲームとしてのSAOではなく、一作品としてのSAOに。

 

ところがそうした場合、あまりにもおかしな点が多すぎる。

 

『転生』と呼ぶには11月4日以前の記憶がなく、目覚めたのはその当日。

心身ともに二十二歳そのもので、元々の世界と思われる場所の記憶も持つが、断片的とすら呼べないほど細々としたもの。

こう言った事情から、『転生』には当て嵌まらないだろう。

 

『転移』とした場合はどうだろうか。

目を覚ましたその日以前におけるこの世界の記憶を持たないことや、すでに成長していた肉体など、納得出来る点はいくつかある。

 

しかしこれではアスナをはじめとするこちら側の人間が、晴輝と旧知の仲であることの説明がつかない。

 

そもそも何故晴輝の存在が、この世界で『当たり前』であると認識されているのか。

もはやこれがデータで、大規模な改竄を受けているレベルである。

 

言うなればこれは『介入』。

『作品としてのSAO』を知る残光晴輝という人間が、この世に組み込まれた。

そう例えるのが現状、最も適切だろうか。

と言っても、これも正確とは言い難いが。

 

「ここで起きたことは、紛れもない事実。

俺が知っているものと、何一つ変わらなかった」

 

神妙な面持ちで見上げる空は、かつて真っ赤に染まった。

システムが告げる警告が頭上を覆い尽くし、そこから真紅の異形が現れたあの日――

 

プレイヤーたちは告げられた。

自分たちが飛び込んだ空間が、約一万人を巻き込んだデスゲームであるということを。

 

しかしラスベリーはそれを予め知っていた。

いや正確には、頭の中にあったというべきか。

記憶の中に浮かぶ断片的な知識が、この先ゲーム内で起こることを伝えていたのだ。

 

無論どうしてこのような状態なのかは判らない。

自分は何故この世界にいて、多くの人物に受け入れられているのか。

 

どれだけ乞い願っても、答えは見つからない。

現在に至ってもそれは同じことだ。

 

「……思えば、この街にいた時間はいつも短かったな」

 

事前にあったのはあくまで知識のみ。

自らの強さを示すレベルも他のプレイヤーと大して変わらなかったために、力を求める心理も同じだった。

 

ましてこのゲームはすでにリアルと繋がった状態――

HPという本来ならデータでしかないはずの数値が尽きた瞬間、実際に命を奪われてしまう。

そうならないためには、誰よりも早く強くなる必要がある。

 

そうなればプレイヤーたちが行うのはレベリング。

例え無茶でも一つでも多く階段を登らなければ、死との距離はいつまでも離れないまま。

 

だからこそラスベリーとアスナ、そしてあとから合流したミトは先を急いだ。

他のプレイヤーたちと食い合わないように狩り場を転々とし、時には訪れた先々で息抜きをしながら、少しずつこのゲームに適応していった。

 

「……ぁ」

 

回想を進めつつ歩を進めていたラスベリーが次に足を踏み入れたのは、薄暗い洞窟の中。

神秘的な雰囲気さえ感じるその場所もまた、アスナたちとともに探索したダンジョンの一つ。

 

ここの中腹エリアで彼女たちと連携し、エレメンタル系のモンスターを葬ったことを今でも鮮明に覚えている。

 

「あの時までは、アスナは俺たちのあとを着いて来てたんだよな」

 

当時から『閃光』の片鱗を何度か覗かせてはいたものの、その頃のアスナは三人の中で一番下の実力だった。

 

ラスベリーも彼女よりちょっと上ぐらいの立ち位置であったため、元ベータテスターのミトに二人とも守ってもらう立場にあった。

 

だがそのミトこそ、彼にとって最大の悩みでもあったのだ。

 

ソードアート・オンラインやアスナのことは元々頭の中にあったのもあって比較的早く受け入れていたのだが、ミトこと兎沢深澄という少女に関してはまるで知らなかったのだ。

 

何を隠そう彼女は、ラスベリーの知る物語には存在しない人物なのだから。

 

最初はミトに対して、どうアスナから遠ざけようかと考えていた。

未知の人物が干渉することで、自身の認知する彼女の未来にどのような影響があるか判らなかったからだ。

 

もちろん自分もいずれは離れなければならないとは思っていたので、ミトを引き離す手段も合わせてずっと考えていた。

 

しかし時の流れは不思議なもので、この洞窟を訪れる頃には二人に対して心を許していた。

特にミトへは『引き離したくない』と本気で思ってしまうほどの感情を抱くようになり、アスナといつまでも仲良くしている姿を見守りたいと願う彼がそこにいた。

 

部外者である自分が許されるのはそこまでだろうと、一定の距離を置きながら。

 

「思えばもっと早く、アイツらから離れることも出来たんだよな。

あの頃なら死を偽装することも簡単で、本来の道を歩ませることも……」

 

もはや意味のないたらればに想いを馳せ、暗い声を落としたその時だった。

ラスベリーを取り囲むようにして、得物を携えた獣たちが現れたのだ。

 

数はざっと八体。

それだけならさして問題はなかったが、今の彼にとって重要なのはその姿。

当時三人で探索していた際に戦ったコボルド種である。

 

「……」

 

所詮このエリアが自動生成するデータの別物とはいえ、思わぬ再会にラスベリーは言葉を失う。

 

かつてこの洞窟で罠にかかったプレイヤーたちを助けたことがあったのだが、その際彼らを襲っていたのがこのモンスターたち。

それも今回なんて比にならないほど大量の、袋叩きという言葉すら可愛く見えるほどの数だった。

 

これにはさすがのミトも手を引こうとしたが、その際ラスベリーが見ず知らずの男たちのために無茶をやらかしたことで戦闘に発展。

一人の犠牲こそ出てしまったものの、全員で力を合わせてなんとか生き延びることが出来たのだ。

 

「なぁお前ら。

あの時、見て見ぬふりするのが正解だったのかな。

……って、答えてくれるワケねぇか」

 

例えるならそれは、壁に問いかけるのと同じ。

大海に沈んだ一本の針を掬い上げるかのような、到底叶うはずもないこと。

 

虚しさを噛み潰しながら、ラスベリーは無表情でその刃を走らせる。

たった一閃。

それのみで魔物たちは無に溶けた。

 

あの時は三人で手を取り合ってなんとか逃げ延びたほどの相手が、今となってはこれだけで簡単に倒せてしまう。

実際に確かめたその事実に、なんとも言えぬ寂しさを感じる。

 

「……行くか、あの場所に」

 

自らの足を使って各地を巡ることで、三人で過ごした様々な日々を振り返ることが出来た。

だがそれらは楽しかったり甘酸っぱいものが大半を占めており、これから向かうのは真逆の場所。

 

ミトが行方を晦まし、自身もアスナと袂を分かつきっかけとなったターニングポイント。

それまで愚かにも夢を見ていた目を覚まさせる出来事が起きた、運命の地。

 

「ホルンカの、森」

 

己にしか聞こえないほどの声量で、たった今立っている場所の名前をポツリと呟く。

 

強い日差しが緑の間を貫き、明るく大地を照らす正午。

僅かに形成された日陰の中、ラスベリーは無数にも近い木の一つに身を寄せていた。

 

「あの時俺に、力があれば。

キリトが来てくれなければ。

……アスナは今頃」

 

視線の先がちょうど、彼が思い起こしている風景の舞台。

はじまりの街を発ってからしばらく続いた三人の冒険における終着点であり、変わることのない現実を突きつけられた場所でもある。

 

目を覆いたくなるようなおびただしい数の植物系モンスターに、フィールドボスと呼ばれる怪物との激戦。

それらが如何にして起こったのか、今一度振り返ろうとしたその時だった。

 

「ん、あれ……」

 

突如として目に見えるものが揺らいでいく。

グラデーションのように少しずつ色を変えていき、焦点すら曖昧になり始める。

時を同じくして全身から力が抜けていき、どんどん吸い込まれるようにして地面に崩れ落ちてしまう。

 

何故このようなタイミングなのか――

その答えが出ることなく、意識は闇に沈んでいく。

 

 

 

69……

 

 

 

 

 

55……

 

 

 

 

 

30……

 

 

 

 

 

1……

 

 

 

 

 

カウントとともに景色が、時間が巻き戻っていく。

 

暗くなっていく視界、遠のく意識。

 

ついには音さえも消えていき、入れ替わるようにして何か別の声が聞こえてくる。

 

耳に入ってくる言葉を認識しきれないものの、少なからずそれが自らに向けられたものであることは判った。

 

朦朧とする意識がやがてハッキリしてくると、重かった瞼がだんだん上がっていく。

 

最初はぼやけていた視界が徐々に鮮明になってくると、目の前に誰かがいるのが見えた。

 

直前に聞こえた声の主だろうか、とても可憐な印象を受ける少女だった。

 

このような体験をラスベリーは知っている。

自らを呼ぶこの声を、すぐそこにいる女の子を。

 

確信を得た彼は、呼びかけに応じるようにして完全に意識を覚醒させる。

 

「ラスベリー?

ちょっと、ラスベリーってば!」

 

「……アスナ」

 

頬の柔らかい感触の正体は、覗き込むようにしてラスベリーの顔を見上げる少女の手だった。

 

心配そうにこちらを見つめてくる特徴的な榛色の瞳は、彼女が正真正銘アスナ本人である何よりの証明。

 

では何故ここにアスナがいるのか。

そんな当然の疑問が浮かび上がるが、口を動かす間もなく添えられた手がゆっくりと離れる。

 

「急に立ち止まるから心配したよ。

まだ昨日の疲れが残ってるなら、宿に戻って休んだほうが……」

 

「いや、大丈夫だ。

それよりアスナ、お前さんどうしてここに?

というか昨日って」

 

そこまで言ったところでようやく違和感に気がつき、言葉を失った。

よく見ればアスナの身にまとう衣服が血盟騎士団としてのそれではなく、ともに第1層を駆け抜けていた頃のものだった。

 

今二人がいるのもかつて彼女たちと一緒訪れたとある街であり、その際ここの宿を利用したことをラスベリーはちゃんと覚えている。

 

何せそこは例の洞窟で激闘を繰り広げたあと、ミトに泣きつかれた場所なのだから。

 

「えっと、ラスベリー?

ど……どうしたの?」

 

「え!?

えぇっと、その……

悪ぃな、なんでもねぇよ」

 

どうやら思考を巡らせているうちに、アスナのことをジッと凝視してしまっていたようだ。

不思議そうに首を傾げる彼女に対し反射的に謝罪し、ぎこちなく笑う。

 

目を逸らす寸前に見たアスナの表情は、少しだけ赤みを帯びていた。

 

「そう、なら良かったわ。

ミトを待たせちゃってるし、早く行きましょ」

 

「ミト……?

ミトもいるのか!?」

 

「え……?

ラスベリー、本当どうしちゃったの?

私たち、ずっと三人で行動してきたじゃない」

 

信じられない名前が飛び出したことで驚愕するラスベリーに対する返答は、またしても不可解なもの。

それも訝しげな表情で、さも当たり前かのように告げられたのだから異様という他ない。

 

ミトのことに関しては早朝に話したばかりであり、用事が片付くまでの間仕事を代わってもらうようリズが掛け合ってくれたはず。

 

仮に断られたとしても彼女は自らのお店を経営する身なので、てっきりそちらに専念しているものとばかり思っていた。

 

しかしそうではない、少なくとも‘この場所’においては。

この一点を理解したことで、ラスベリーの中にある仮説が浮上してきた。

 

「まぁ良いわ、問題なさそうなら行きましょう。

ミトのことだから、もう視察を終えていてもおかしくないし」

 

「あ、あぁ……」

 

長い髪を靡かせる彼女の背中を追いつつ、ラスベリーはこの状況がなんなのかを考える。

 

直前に仮説と称したが、正確には最初から『まさか』とは思っていた。

しかしそれを片隅に追いやっていたのは、可能性を疑う段階ではなかったためである。

 

小さな欠片が形を成したのもパズルの絵が僅かに見えてきたからにすぎず、それが明確になんなのかまでは判らない。

 

答えを見出すためのヒントはアスナだ。

身にまとうものや言動などから、いくつか読み取れたのだ。

 

第1層時点での装備に、ミトも含めた三人でずっと冒険をしてきたということ。

前日には相当疲弊するような出来事があったらしく、自分たちはこの街の宿を利用したらしいこと。

 

そして何よりラスベリーが引っかかったのは、自分を前にしても一切反応を示さないアスナの態度。

 

彼女にしたことを思えば恨み言の一つや二つぶつけられてもおかしくはないはずなのに、それすらない。

 

これらが同時に成立するなど本来ならあり得ない。

しかし現状がそれだとするなら、考えられることは一つ。

 

‘その事象’も普通は決して起こるはずは無い。

そもそも実在するかすら怪しいが、そうでなければ説明のつかないことがあまりに多すぎる。

 

半信半疑だったその思考は、街を出たその瞬間大きく色づくことになる。

 

「やっと来たわね二人とも、待ってたわよ」

 

「ミト……」

 

壁に背を預けていたのは間違いなく、自身のよく知るミトその人。

なのだが彼女もアスナ同様、その服装は見覚えのあるものだった。

 

滅龍としての黒衣とはまったく真逆の、華奢な身体を包む紫色とそれを覆い隠す白い外套。

第1層を冒険していた頃からそのまま引っ張ってきたような姿に、思わず目を奪われてしまう。

 

「どうしたのよラスベリー、私の顔に何かついてる?」

 

「え?

あ、いや……その。

ミト、それってさ」

 

「ぁ……」

 

ニックネームを使わず直接名前を呼んだミトは、彼の指摘を受けて薄っすらと頬を赤らめる。

 

それは衣服に指して放たれたものだったが、当然そんなこととは思わないミトはそれを『自身の変化』と解釈した。

 

今でこそラスベリーは見慣れているが、彼女の髪型が一部アスナとお揃いになったのは、この日が初めてなのだ。

 

「えっと……似合う、かな?」

 

「……あぁ、すげぇ良いや」

 

「ほ、本当!?」

 

心底嬉しかったのか、グイッと距離を詰めて嬉しそうな顔を見せつけてくる。

ラスベリーはそれを情けなくも直視することが出来ず、つい顔を逸らしてしまった。

 

無邪気に笑うミトが可愛らしくて心臓が高鳴ったというのもあるが、それ以上にやりづらいのだ。

今自分が話しているのは、いつもの彼女とは少し違っているから。

いや、ある意味ではこれが正常だったというべきか。

 

そんな写真の中のままのような懐かしさに浸っている時だった。

 

「ラぁスベリー?」

 

微かに漂っていた甘い空気は、隣から刺し込まれた冷たい音色によって切り裂かれた。

その声の主はやはりというべきか、一人だけ蚊帳の外でご立腹な様子のアスナである。

 

「最近は自重してると思ったのに、油断するとすぐコレだよねー」

 

「悪かった、悪かったから機嫌直してくれっ。

それでミトは、これから行く場所の情報を集めてきてくれたんだよな」

 

「えぇ、ベータテスト通りとも限らないからね。

定石通りに行ければ、今回も問題なく行けるはず。

二人とも、充分に注意して行くわよ」

 

「うん!」

 

――やっと確信した、これは過去だ。

アスナがラスベリーを見てもなんとも思わない点や、二人の衣服。

昨日あったという大変なことに、既視感しかないやり取り。

 

これらは間違いなく彼が振り返ろうとした、ホルンカの森に行った日のものだ。

 

ここまで行くと、自身のステータスも当時のものに戻されているのではないか。

そう思い徐ろにシステムウインドウを開いてみたが、そこに記されていたのは衝撃の数値。

 

何も変わっていないのだ。

第1層時点からという意味ではなく、彼がこの状況に引き込まれる前から。

レベルも78あるし、なんなら装備している武器や防具もそのまま。

 

自分だけがタイムスリップしてしまったような事態もそうだが、さらに違和感を走らせたのはアスナもミトもそれに対して疑問も感じていないということ。

 

この頃はまだルーキーだったアスナはまだ判るが、何故自他ともに認めるゲーマーであるミトがラスベリーの装備について触れてこないのか。

もしかしたらタイムスリップという例えすら間違いで、現在の自分があの時代に‘組み込まれた’のだろうか。

 

見えない答えを求めて思考を巡らせていると、だんだんと歩幅が狭くなっていく。

そのことに気づいたのは、アスナに手を引かれた時だった。

 

自分のことを真っ直ぐに見つめてくるこの目だ。

いつもこれに困っていた。

屈託のない気持ちを一直線に向けてくるから。

 

その愛情を受け取る相手はもう決まっているのに――

頭の中に居座る断片的な記憶が、諦めの言葉を紡がせる。

 

とはいえこの感覚も今はすでに消え去ってしまったもの。

この少女の元を離れ、日の当たる道を外れてからいったいどれだけの時が経ったのだろうか。

 

取り戻そうなどという発想すらなかった懐かしさに浸っていたその時、僅かに世界が揺らいだ。

 

外周をピンクと緑のウネウネしたものが螺旋状に絡まり合いながら旋回し、中央から外にかけて紫の粒子がグラデーションのように広がる不思議な光景。

 

実はこうなる以前にも、ずっと景色がモヤモヤとしてはいた。

どこか淡い色をまとった世界は不気味なほどに幻想的で、まるで異世界のようだった。

いやそれよりも、もっと適切な言葉が――

 

そこまで浮かび上がりかけたところで、視線は隣を歩いていたアスナの方に向く。

この時長かった沈黙が、足元を崩した彼女を支える形で破られた。

 

「オイオイ、大丈夫かよ」

 

「うん、ありがとう」

 

「モンスターにも気をつけてね。

この辺りは、リトルネペントの上位種が出るから」

 

ネペント――つまりはネペンテス。

肉食植物のウツボカズラ型のモンスター、その上位種ともなれば大層気味の悪い姿なのだろう。

 

人によっては生理的に受け付けなさそうだが、この二人は平気なのだろうか。

以前にも思った感想を余所に、ミトが話を続ける。

 

「レベルも上がってきたし大して危険な相手じゃないけど、足場が悪いから注意しないと。

あとたまに丸い実のついた個体が出るけど、そいつは絶対に攻撃しちゃダメ」

 

「実を傷つけたら、大量の仲間が湧いてくるんだよな」

 

無意識のうちに飛び出たその言葉に目を丸くするミトを見て、ラスベリーはたった今自分が口にしたことに気がつく。

 

本来それは、これから彼女が説明するはずだったもの。

すでにここを訪れ実際に体験するか、なんらかの方法で情報を入手していなければ知り得ない事実。

この男はそれを、思考を読んだかのように語ったのだ。

 

だが彼にとってこのシチュエーションは、何度も繰り返し見た映画のようなもの。

些細なセリフすらも完璧に覚えた者にとって、次の展開を予想することなど容易いのだ。

 

「え、えぇ。

そうなったら最後、逃げられなくなる。

これに引っかかってやられたプレイヤーが、ベータ時代に何人もいたの」

 

「こんな状況なら、なおさら気をつけないといけないね。

でもラスベリー、どうして判ったの?」

 

「いや、まぁ……その。

最初からデスゲームにするつもりだったなら、そういうトラップがあってもおかしくないかなって思っただけだよ」

 

尤もらしいことを言っているが、これはその場しのぎにすぎない。

この舞台が時代劇のような過去の再現だとすれば、先ほどの失言は流れを乱すものに他ならないからだ。

 

ましてタイムスリップに類するものなら、それこそ大問題だろう。

小さな変化が綻びを生み、もしも未来が黒く染まってしまったら。

もちろん逆もあり得るが、必ずプラスに繋がるなどという保証もない。

 

この男――ラスベリーはそういったことを特に恐れている。

『作品』という形を通して先の出来事を知っているからこそ、余計なレールを増やしてはならない。

少なくとも彼の理性は、そう訴えている。

 

「っ……

ねぇミト、あれがそのネペント?」

 

アスナが指差したのは、一キロほど先に見える森林地帯。

ちょうど三人が確認出来る範囲内に、ゆっくりと移動する植物系のモンスターが数体見えた。

 

「いい?実付きが出ても絶対に攻撃しないこと!」

 

「おっけー!」

 

「……あぁ!」

 

各々得物を構え、そのまま一斉に駆け出す。

 

ネペントの群れに突撃して真っ先に仕掛けたのはアスナで、恐るべきスピードで放たれたリニアーが容赦なくモンスターの胴体を貫く。

 

直後彼女の背後に別の個体が襲いかかるが、刹那の速さでラスベリーがそれらを切り裂く。

 

そんな二人に遅れは取るまいとミトも大鎌ソードスキル《クロス・スラッシュ》を以て、一度に4体ものネペントを葬ってみせた。

 

三人はその後も順調に戦況を支配していく。

全滅を目前に迎えたこのタイミングで、ミトの視線が突如として外れた。

 

大群の奥に、明らかに場違いな鼠が一匹佇んでいたのだ。

 

「あれは、スプリー・シュルーマン!」

 

「そっちに一匹行ったよ!」

 

「ッ!」

 

アスナの声がなければ気付けなかったであろう肉食植物に対して三連撃を浴びせ、HPを赤にまで追い詰める。

 

だがそんなことをしているうちに、シュルーマンは移動を開始してしまっているのが見えた。

 

そのモンスターの価値をよく知っているミトは、ネペントたちへの攻撃をピタッと止める。

 

「二人とも、ちょっとだけ任せていい?」

 

「どうしたの?」

 

「一層では滅多に遭遇しないモンスターがいたの。

レア装備を落とすから、倒しておきたい!」

 

ここまでは本来の流れ通り。

本来ならここでラスベリーが彼女の提案を受け入れ、アスナとともにモンスターたちを相手取ることになる。

 

その時はミトに良いところを見せようと気持ちが浮ついていたのもあるが、ひとえにこの場を任せてもらえるほど戦力として信頼されていると思えた。

それに彼女ならば問題なく目的を達成するだろうという確信もあったため、許諾したのだ。

 

だがその先で起こったことをラスベリーは知っている。

 

ミトがいない状況下でネペントたちを次々と葬り、いよいよ残り僅かというところで彼女が合流。

もう勝ったも同然――そんな安心もつかの間、先述した実つきの個体をアスナが運悪く攻撃してしまう。

 

結果三人は目を覆いたくなるほどのモンスターに囲まれることになり、これが原因でミトが崖から転落する。

 

彼女の帰還を信じてラスベリーとアスナは限界を引き出して応戦を続けるのだが、直後に突きつけられた一つのメッセージが二人を絶望に叩き落とした。

 

《Mitoがパーティを離脱しました》

 

――思考を巡らせる。

あの事態に陥ってしまった要因は何かと。

 

このシチュエーションはラスベリーにとって、いわば『過去のやり直し』。

こうなった理由は不明ではあるが、彼がここにいること自体が甘い誘惑のようなもの。

 

握られているいくつかの手札。

それ次第で自身の知っている結末にも出来るし、それを砕くことも出来るような。

 

確証はない。

だが自分たちの心に暗い影を落としたあの出来事が、また目の前で起こるかもしれない。

 

自分とともに戦っているアスナとミトに、深い絶望を刻むかもしれない。

そう思うだけで、ラスベリーの心は大きく揺れた。

 

「……判った、こっちは任せろ!」

 

長かった回想を経て下した決断。

躊躇いを微かに残した表情のまま、ラスベリーはミトを見送った。

 

これ自体は悲劇の引き金ではない――

本命はもっと先の、直接的な部分にあるはず。

そう判断してのことだ。

 

シュルーマンを追うミトの姿が見えなくなったところで、ラスベリーはネペントたちを一気に蹴散らす。

 

一発一発の威力で殲滅を図るのがラスベリーなら、それらを速度で上回り手数で全滅させるのがアスナ。

 

途中ソードスキルを何度か絡ませてはいるものの、最早使わずとも一人でモンスターたちを相手に圧倒出来ている。

 

この時点で閃光としての素質が見え隠れしていることに笑みを溢すラスベリー。

少しして彼の耳に届いたのは、喜びに満ちたミトの声。

 

「アイテム、ゲットしたよ!」

 

「やったね!」

 

「さすがはミトセンセ」

 

懐かしいくだりをするラスベリーにやや苦笑しながらも、ミトはゆっくりと二人の元へ戻る。

 

その間にアスナはソードスキル発動の構えを取り、目の前にいるネペント2匹を標的としていた。

 

――ここだ、ターニングポイントは。

大量のネペントに捕まったから、あの悲劇は起きてしまったのだ。

確信を得たラスベリーは電光石火の動きを見せる。

 

「ラスベリー?」

 

「はぁっ!」

 

その瞬間の出来事を、アスナたちは捉えることが出来なかった。

 

シチュエーションとともに再現されたのは、彼女たちのレベルも同じ。

故に一人だけ現代そのままのラスベリーに追いつけないのは、夜になると空が暗くなるのと同じぐらい必然のことだろう。

 

「危なかったなアスナ、実つきが後ろにいたぜ」

 

「ぇ……?」

 

「信じられない……あんな一瞬で、しかも実を傷つけずに倒すなんて」

 

二人がようやく違和感に気付いたようだが、ラスベリーにとって重要なのはそこではない。

 

大量のネペントたちを呼び寄せる元凶を始末した。

彼がやったことはそれのみではあるが、この行動がもたらすものはいくつもある。

 

アスナが窮地に陥ることもなければ、ミトがパーティを抜ける要因もない。

あの日突然終わりを告げた三人の旅は続き、滞りなく次の街へ向かう。

そこで攻略会議に参加して、多くのプレイヤーとともにフロアボスを倒す。

 

それはすなわち、ラスベリーがアスナの元を離れる理由の消滅を意味していた。

 

もはや現実逃避に等しい。

だが今彼は、そのことに脳裏を支配されていた。

 

「よし、先を急ごうぜ。

今の戦いでだいぶ消耗しちまっただろうし、早いとこ街に行って休まねぇと」

 

「それは賛成だけど……

ラスベリーその、何か焦ってない?」

 

アスナを心配させるその感情は、判りやすいほど瞳の色に現れていた。

HPをかすりもしていないにも関わらず呼吸は乱れ、その左右は無意識のうちに彼女たちの手を引いている。

 

「いつまでもこんなとこにいたら、また実つきが湧くかもしれねぇからな。

用事はまた今度にして、一旦退こうぜ」

 

「ちょ、ちょっとラスベリー!」

 

あまりにも強引な彼の様子にミトは戸惑いを隠せず、その名を叫ぶ。

しかしその直後、彼女の声をかき消すようにして重苦しい音が背後から鳴り響いた。

 

その正体は落下音。

青い毛皮に覆われた、ワニのように大きく突き出た口を持つ巨大な獣――

フィールドボス《ジャイアント・アンスロソー》が、そこにはいた。

 

「嘘だろ、なんでこんな早く!?」

 

驚愕しながらも、ラスベリーは二人の少女から手を離し閃光の速さで突進する。

瞬時に抜刀された白い刃は一瞬のみで巨体を切り裂き、その存在を無に帰す。

 

かつて苦戦し死の淵まで追いやられたフィールドボスですら、レベル差の前にはアッサリと沈む。

そんな安心感を嘲笑うようにして、直後背後から響く悲鳴。

 

「何っ!?」

 

振り向いた先には、アスナたちの前に立ち塞がるようにしてアンスロソーがいた。

 

これがまだネペントたちのような普通のモンスターなら良い。

しかし今三人を襲っているのはフィールドボス。

普通はこんな頻度で再出現などするはずはない。

 

故にこそ、ラスベリーの浮かべる表情は常軌を逸した衝撃を示していた。

 

「くっ……

アスナ、下がって!」

 

「う、うん!」

 

咄嗟にミトがアスナを逃がし、降り注ぐ剛腕を受け止める。

彼女の振るう大鎌のパワーはかなりのものではあるが、目の前のモンスターとは雲泥の差。

 

少しずつヒビを入れられていく度に得物が悲鳴を上げ、間もなく重い拳が押しつぶして来ようという時だった。

 

「さぁせぇるかぁぁぁぁァア!!」

 

ラスベリーが発射したエネルギーの針――アークリニアーがアンスロソーの右腕を貫き、その一発のみで巨体は粒子へと変わった。

 

ガラスが砕け散る音とともにモンスターは消滅。

しかし絶望は終わらない。

 

「っ!

ラスベリー、ミト!!」

 

「三体目……!?」

 

「くっ……ダアァァァアアッ!!」

 

もはやそれは果たして正気なのか。

発狂しながら連続で放たれるソードスキルはたった今現れたモンスターを、さらに続けて現れた四体目、五体目を容赦なく葬り去っていく。

 

「いったい、何がどうなって……

ッ!?!?」

 

舞い降りたさらなる恐怖。

瞬きとともにラスベリーの視界に映り込んだのは、ジャイアント・アンスロソー‘たち’。

 

五体ものフィールドボスが、三人を取り囲んでいたのである。

 

「どうして……どうしてフィールドボスがこんな大量に!?」

 

「ミト!

このモンスター、普通のとは違うの!?」

 

生死を分ける状況の中アスナが冷静に疑問を投げかけるも、動揺を隠しきれていないミトはそれに答えを返すことが出来なかった。

 

フィールドボスとは文字通り、そこら一帯を牛耳るモンスターと言ってもいい。

より正確に言うならいわゆる雑魚モンスターと比べてレベルも高く、一際強く設定された『中ボス』のような存在である。

 

だからこそ、本来このような事態はあってはならない。

天才と謳われる人物の開発したデスゲームだとしても、あまりにも容赦が無さすぎるのだ。

 

いやそもそも、これは本当に‘あの人物’の生み出したものなのか。

その問いを投げるよりも早く、モンスターたちが一斉に襲いかかってくる。

 

「くそっ……

アスナ、ミトを頼む!

モンスターどもは俺が!!」

 

「わ、判った!」

 

「クロスオーバー!

ディメンション・ソード!!」

 

当時には無かった‘最強のチカラ’であるクロスオーバースキルを行使することで、一撃ですべての魔物を消し炭へと変える。

これをアンスロソーたちが姿を見せなくなるまで、幾度も繰り返していく。

 

その度にラスベリーの精神は摩耗していき、徐々に正気が薄れていってしまう。

すでに撃破数は五十を超えたはずだが、モンスターたちは十体も残っている。

 

「くっそ……くそっ、くそぉ!!」

 

「ラスベリー……!」

 

――なんでだ!?

なんで二人がこんな目に遭わなきゃならない!?

 

その叫びは、心の中で虚しく響き渡る。

 

「アスナもミトも、死なせない……

あんな悲劇、繰り返しちゃ駄目なんだ!!」

 

ここで退けば二人は死ぬ。

そのことは今もラスベリーに蹂躙されていくアンスロソーたちの数を見れば、容易に理解出来るだろう。

 

たしかに彼は強い。

特に第1層の頃の時間が流れているこの場所においては、間違いなく最強のプレイヤーと言えるだろう。

 

この層のどんなモンスターが束になってかかっても、倒されるのはデータの方。

 

しかしラスベリーは、か弱い少女たちを置いていくことなど出来ない。

アスナとミトをたった一人で守りながら、モンスターたちが現れなくなるまで戦い続ける。

 

それがどれほど過酷で苦しいことか、実戦を経験した者でなくても首を縦に振ることだろう。

 

「これで、最後だッ……!」

 

クロスオーバースキル《リヴァーテイル》の一閃がアンスロソーの背中を引き裂き、光の中へと放り込む。

 

これでようやく嵐は去った――

そう断言して欲しいラスベリーの気持ちとは裏腹に忍び寄る、黒い影が一つ。

 

「ぐぁ……!」

 

「ミト!」

 

長い蔓でミトを捕まえていたのは、ネペントたちとはまた異なる植物系の中型モンスター。

その名を《インディスクリミナント・グラットン》。

 

これもまた、低確率で出現するとされるフィールドボスの一種。

いつの間にか現れていたそのモンスターは二人の不意を突き、終わらない悪夢を証明して見せた。

 

「ミトォォオ!!」

 

突風の如き速さで眼前に迫るも、その時にはグラットンの腕がミトを放り投げてしまい、思わず視線が逸れる。

その隙を目の前のモンスターは逃さず、しなるムチでラスベリーを打ち落とした。

 

「がはっ……!?」

 

「ラスベリー!」

 

叩きつけられた衝撃で腹の中のものが吹き出る感覚が襲い、同時にアスナが駆け寄る。

すでにその表情は困惑と恐怖で染まり上がっているが、まだ微かに正常さを保っているようだつた。

 

「大丈夫!?

すぐに回復を!」

 

「必要ねぇ!

貴重なアイテムだ、自分のために使え」

 

「でも!」

 

突けつけられたポーションを押し退け、再びラスベリーは白い刃を構えて立ち上がる。

 

回復を拒んだ理由はもちろんアスナを心配してのことではある。

だがそれ以上に現代のレベルを引き継いでしまったことでHPがアスナの比にならないほど多く、初期のポーションで癒せる傷などたかが知れているのだ。

 

「安心しろ、お前は俺が守る」

 

「……ううん、私も戦う。

絶対にラスベリーを一人にはしないよ」

 

「っ……判った。

でも無茶はすんなよ!」

 

「うん!」

 

アスナの身を案じつつ、ラスベリーはその言葉を信じてともに戦うことを認めた。

 

その瞬間双刃が舞う。

まるで土砂降りの雨粒か、あるいは流れ星のような速さか。

 

真実は両方――

異次元の速さで、大量の刺突が二人によって繰り出されているのだ。

 

レベルや経験の差でラスベリーのほうがスピードも数も勝ってはいるが、アスナも負けてはいない。

 

「ラスベリー、見て!」

 

「くっ、やっぱりこうなるか!」

 

先ほどのアンスロソー同様に、同時に五体出現したグラットンが二人を囲み込む。

 

それまでは一体ずつ出現していたのでアスナが隣りにいてもフォロー出来ていたのだが、さすがに数で来られてはそれも不可能になる。

 

苦渋の決断ではあるが、ラスベリーは背を預ける彼女に告げることにした。

 

「アスナ、ここからは俺一人で戦う。

隙を見つけて逃げてくれ」

 

「そんなの駄目だよ!

私、ラスベリーを置いていけない!」

 

予想通りの反応を見せるアスナに対して身を翻し、そのまま彼女の両肩をがっしりと掴む。

その時アスナが目にしたのは、鬼気迫る表情。

 

「死んじまうかもしれねぇんだぞ!!」

 

「っ……」

 

眼前で繰り出された怒号に言葉を失うしかなく、それまで構えていた刃を下ろすアスナ。

ラスベリーはそれを尻目に、再び魔物たちへと向き直る。

 

「早くミトを探しに行けって言ってんだ。

俺たちは、三人で帰るんだから」

 

言葉では平静を保っているが、その実彼は今とても冷静な状態ではない。

 

せっかく守ったミトも投げ飛ばされ、すでに七十を超える数を倒したにも関わらず現れ続けるモンスターに、擦り減っていく己の精神。

 

このような極限の戦闘で、正しい判断など出来るはずもない。

ラスベリーはアスナの返事を待つことなく、数々の技を駆使して敵を塵へと変えていく。

 

しかし彼は焦った。

早く全滅させなければと急ぐあまり、すでに彼女は逃げ出したのだと思ってしまったばかりに。

 

アスナの傍にまで迫っていた個体に気付けなかった。

 

「っ……」

 

「アスナ、避けろッ!!」

 

――望み叶わず。

叫んだ声とは反対に、突き出された蔓が腹を抉った。

 

「ッッ……」

 

あえなく飛ばされたその身は地に落ち、HPが赤く染まる。

気絶してしまったのか完全に瞳を閉じ切り、身動き一つない状態。

 

それはまさにグラットンたちにとって、格好の的そのもの。

 

緑の悪魔たちがジワジワと、窮地の姫へと迫る。

 

「……ガアァァアぁあァアァあアァァァァア!!!

 

声にならない雄叫び。

真っ赤に染まる視界。

神々しく輝く瞳。

そのすべてがまさしく異形。

 

心意のすべてとはこのことを言うのだろうか、それとも邪神の降臨か。

もはや人智すら超えた動きを見せたラスベリーは、光まとう刃ですべての敵を殲滅してみせた。

 

「はぁ……はぁ……ぐぅっ」

 

枯れ切った声はもう、息を切らすことしか出来ない。

すでに元の色を取り戻した瞳で周囲を見ると、魔物の姿は一切無かった。

 

すでにグラットンも三十は倒した。

フィールドボスが合計で九十体も襲いかかってくるという前代未聞の事態を、ラスベリーは死力を尽くして乗り越えてみせたのだ。

 

「アスナ……」

 

ようやく言葉を取り戻したラスベリーは、残った気力で視界を動かす。

未だ倒れたままの彼女の元へ向かうため、足を運ぼうとしたその瞬間。

 

彼の朦朧とした意識は、いきなり耳に入った音に奪われた。

 

「おめでとう!」

 

何度も何度もこだまする乾いた音の正体は、静かにこちらへと歩み寄って来る人物の拍手だった。

 

一瞬で向けた視線の先に映ったその姿に、ラスベリーは頭を強く打ったような衝撃を受ける。

 

「……ミ、ト……!?」

 

声が震える。

つい先ほどグラットンによって放り投げられたばかりのミトは、何故かその場に何事もなかったかのように、無傷で立っている。

 

しかもあろうことか、彼女らしくない不敵な笑みを浮かべてラスベリーのことを見つめていた。

 

「よくぞ試練を乗り越えた。

お前には褒美をやらねばな」

 

――違う、ミトではない。

姿こそは同じだが、彼女とは別の声が同時に聞こえてくる。

 

男性のものではあるのだろうが、それにしては妙に甲高い上擦った少年のようなもの。

心胆を寒からしめるその音色は、そこはかとない不気味さを漂わせていた。

 

「お前……誰だ?」

 

「さぁ、何を望む?

富か、名声か?」

 

ラスベリーが辛うじて絞り出した問いを意に介さず、ミトの姿をした何者かは言葉を綴り出す。

貼り付けたような微笑みを邪悪に浮かべながら。

 

「……それとも、彼女か?」

 

少し間をおいて放たれたその声と同時に、ラスベリーの身を柔らかくも温かい感触が包む。

 

謎の人物が指したのは他でもない、アスナの存在。

彼女はいつの間にか目を覚ましていて、ラスベリーに抱き着いていた。

 

「生きてて良かった。

ラスベリーが死んだら、私……!」

 

「アスナ……」

 

「ラスベリー。

ううん、晴輝さん。

私ね、あなたが好き。

あなたさえいてくれたら良い」

 

ワケが判らなかった。

何故このタイミングで、今まで避けてきたはずの言葉が飛び出すのか。

そもそもアスナには、ミトの姿が見えていないのだろうか。

 

いやそもそも、思えばおかしかった。

最初からそう感じてはいたのだが、違和感はずっとそこにあった。

 

何を隠そうこのアスナ‘らしきもの’は、ほとんどミトに関心を寄せていなかったのだ。

例えるならそう、『ラスベリーにとって都合のいい存在』であろうとするかのように。

 

「ね、晴輝さん。

晴輝さんは……私が欲しくない?」

 

「……俺は」

 

「ねぇ、こっち向いて?」

 

――甘い誘惑。

今それに従えば、確実に心満たす夢が見られるだろう。

十年も自分を慕ってくれているという可愛らしい少女と結ばれて、一生幸せな日々を送ることも容易いかもしれない。

 

だがそれは、この世界の――

ソードアート・オンラインそのものの破壊へと繋がってしまう。

 

「……違う、ちがうッ!!」

 

傾倒しかけていた意識を取り戻し、抱擁を振りほどくと同時に引き抜いた刃を突き出した。

 

少女の胸を貫いた途端起こったのは、砂嵐のようなノイズ。

いくつも無数に発生したそれと重なるようにして、みるみるとアスナは姿を変えていく。

 

「グガッ……ァ。

ハルキサン、ハルキサハルキハルハハハは

 

おぞましい声を発しながらその身を光に包み、直後に起こった爆発がラスベリーを吹き飛ばす。

 

その時僅かに見えたアスナらしきものの顔は能面そのもので、なんの表情もないマネキンが彼女に見えていたようだ。

 

ここまでずっと着いて来ていたのは、アスナそっくりの人形。

変だとは感じていたが、やはり本物ではなかった。

この世界も、戦っていたモンスターたちも。

 

その絵を描いたのは、おそらく目の前にいるこの人物。

 

「まったく……楽しんでもらえたと思ったのだがね」

 

最初とは打って変わって、男性側の声が低くなる。

元々無理をして出していたのか、それとも挑発のためだったのかは定かではないものの、どうやらこれが本来の高さらしい。

 

「お前は……この世界はなんなんだ!?」

 

メサイアの剣先を向け、鬼の形相でミトの姿を睨みつける。

そんなラスベリーの様子を数秒見つめたあと、面白くなさそうに瞳を閉じたその人物は、意外にも素直に語り出した。

 

「ここはね、お前の願望の世界」

 

「願望だと……?

こんなの、俺は願ってない……!」

 

「いいや、お前は後悔しているのではないか?

あの日ミトを救えなかったこと、アスナを裏切ってしまったこと。

……チカラがあれば、そう願ったことが何度もあるはずだ」

 

その指摘を否定する材料を、ラスベリーは持ち合わせていない。

 

これが正しいのだと、仕方のないことだと何度も自分に言い聞かせてきた。

こうすることでこの世界は正常に歯車を回し、終結へと導かれると信じて。

 

アスナを見捨てたのもその一つ。

彼女は後に英雄と呼ばれる黒の剣士と出会い、彼とともにソードアート・オンラインを終わらせる。

 

ラスベリーはその事実を知っている。

だからこそアスナの重要性も判っている。

理解しているからこそ、酷な選択をするしかなかった。

自分が傍にいれば、彼女の好意は黒の剣士に向かないと思ったから。

 

しかしそのために、アスナを泣かせてしまった。

悲痛なメッセージを打たせ、自分を探すために奔走することを決断させ、果てには血盟騎士団さえも動かした。

 

たった一つの裏切りで、多くの人間を巻き込んでしまった。

これもまた彼の恐れる、小さな変化による綻びと言えよう。

 

現に今それは、罪悪感という形でラスベリーの心に巣食っている。

 

「どうだった?

チカラがあったおかげで、迫りくるモンスターをあっという間に蹂躙することが出来た。

これならアスナを裏切ることもない、ミトも傍にいられる。

そしてお前は、永久の幸せを得て……英雄となる」

 

「英雄……だと」

 

言葉の意味が理解出来ず、何度も脳裏で反芻させる。

この世界で英雄と呼ばれるのは黒の剣士のはず。

その認識が、ラスベリーを惑わせる。

 

「お前はねラスベリー、キリトを超える素質を持っているんだ。

だがそのためには、アスナの存在が必要不可欠だった。

お前という新たな英雄が、その立場に成り代わるためにね」

 

「さっきから何を……!」

 

「事実を述べているのさ。

お前は英雄になれた、だがアスナの元を離れた。

それでは都合が悪いんだよ、ラスベリー」

 

二重の声が淡々と語るその内容を、ラスベリーはまったく理解出来ないでいた。

 

少なくとも判るのは、この人物が何故か元から彼のことを知っていて、しかもアスナとそういった仲になるのを望んでいることのみ。

 

特に前者に関しては、明らかに当人たちしか知り得ないことまで把握していたほどだ。

この仮初めの過去といい、ただ者ではないことはすでに明白。

それもSAOのシステムに紛れ込むことが出来るほどの、計り知れない存在だ。

 

「俺が何者か、気になっているようだね。

そう言えば、先ほどそう問いていたな」

 

俺、という一人称。

このことから彼は男性で良いようだ。

ミトの姿を借りた男は不敵に笑ったあと、冷たい視線をラスベリーに向ける。

 

俺はお前だ、ラスベリー。

お前は俺から生まれた」

 

「ッ!?」

 

「疑問に思っているだろう?

何故この世界のことを元から知っていたのかとか、どうして自分はここにいるのかとか」

 

単なるシステムが生み出したNPCの設定だと吐き捨てたかった。

だがこの男は嫌というほど、ラスベリーという男の確信を突いてくる。

 

それも『残光晴輝』という個人に対して、一切の容赦もなく。

 

「最初に言っておくが、お前は間違いなくこの世界の生まれだ。

俗に言われる転生や転移ではないよ」

 

「なら……俺の記憶はなんだよ。

元いた場所のことを覚えてるならいい。

でもどうして!

どうして……作品としてのSAOのことだけ覚えてんだよ!!」

 

「それは俺の記憶だ。

お前が生まれる際、一部だけが引き継がれてしまったようだな」

 

「一部、って……

このデスゲームが、キリトのおかげで終わる瞬間まで」

 

そこから先は、途切れたプラレールのように先がない。

見えないとか思い出せないといったものではなく、本当に存在しないのだ。

 

ワケの判らないことばかり羅列されてイカれてしまったせいだろうか。

男の言葉には、不思議と説得力があるような気がする。

 

「その役割に、英雄にお前がなることが出来る」

 

不気味な微笑みから無感情で語られる内容に、思わず身が強張る。

 

「今からでも間に合う。

我々はそのようにして、事象を書き換えることが出来るのだから」

 

「お前は……いったい」

 

「……介入者(イントルーダー)

それが我々の名前だよ、ラスベリー」

 

雷が落ちたかのように全身を襲う衝撃。

その名前はラスベリーにとって、忘れもしないもの。

 

最初に見つけた時、それは単なるスキルの一種だと思っていた。

ミトがエクストラスキルではないかと指摘し、その後何度も窮地を救ってくれた強力なチカラ。

 

括りとしては一応パッシブスキルに当たるのだが、使用感としては寧ろアクティブスキルのそれに近いという変わったもの。

その名前こそが、たった今男の口から出た《介入者(イントルーダー)》だ。

 

「どうだろうラスベリー、考え直してはくれないかな。

アスナの気持ちを受け入れ、ともに未来へと歩むことを。

せっかくあんな娘が好意を向けてくれているんだ、これはチャンスだろう?」

 

「……ことわる」

 

かつてないほど震える声で絞り出した反撃。

その瞳は明確な敵意を持って、偽りの奥に隠れているであろう男を突き刺す。

 

「もしそんなことをしたら、このデスゲームをクリア出来る保証はなくなる。

俺は……キリトじゃあ、ないから」

 

「……だから、さっき言っただろう。

お前はなれるんだラスベリー。

キリトをも超える、英雄に」

 

呆れ気味な声に始まり、かと思えば威圧感のある低音に切り替えたりと。

一見淡々としているようで、意外と多くの感情を表現していた彼がその手に握ったのは大鎌。

 

仮初めの姿に従い、ミトの武器をそのまま持ってきたようだ。

尤も第1層の再現として使っていたものではなく、見覚えのある奇怪な形状のものだが。

 

「こうなれば仕方がない、実験のやり直しとしよう」

 

「……実験?」

 

聞き覚えしかないその単語は、何度かラスベリーの脳裏に届いたもの。

上擦った少年のような声が、いつも頭から離れなかった。

 

そこまで行って、ラスベリーはようやく気付く。

この男と自分が初対面ではないことに。

 

「まさかお前は、あの時の!」

 

「ラスベリー、お前を再構築する。

行くぞ」

 

有無を言わさず、謎の介入者が零距離にまで迫る。

眼前に現れるまでまったく彼を認識出来なかったラスベリーが反応することは当然叶わず、バドミントンのように高く打ち上げられてしまう。

 

それも大鎌で、たった一撃で。

ソードスキルにすら匹敵するほどの威力によって、再現された夢想たちとは比較にならないダメージがHPを大きく削る。

 

「くっ、嘗めるな……!」

 

しかし空中はラスベリーの得意領分。

一度そこに躍り出れば、そこは彼のフィールド。

突き飛ばされた形ではあるが、浮き上がる限界の位置に達したところで刃を引く構えを取る。

 

その直後重力に従うと同時に得物を力強く突き出し、真下の対象へと隕石の如く降り注ぐ。

 

「ライジング・ノヴァぁ!!」

 

システム外ソードスキルとも呼ばれる、ラスベリーの生み出した戦技。

それこそが超高所からの落下攻撃、ライジング・ノヴァ。

 

急降下による絶大な威力を叩き出せるのと引き換えに得物の耐久値を大きく損なうこの技だが、彼は特殊な性質を持つユニークウエポンを使うことでその弱点を打ち消している。

 

そうなれば残るのはメリットばかり。

このまま一直線に謎の介入者を貫くと思われた。

 

しかし突如として飛び出した龍が、流れる星を阻む。

 

「なんだと!?」

 

この現象をラスベリーは知っている。

何せたった今自分を打ち落としたのは他でもない、龍を幻視させた鎖なのだ。

 

それを発射したのはやはりというべきか、例の人物。

手にした大鎌の下部からは八の字を描くようにして銀色が伸びており、凄まじい速さで収納されていく。

 

これこそがミトが滅龍とされる所以。

鎖鎌を縦横無尽に操るその姿を、『龍を従えているかのようだ』と例えられたのがことの始まり。

 

まるで意思を持つかのように、ほぼ際限なく動き回る鉄の蛇はまさにその通りというべきだろう。

 

彼女の姿を借りているからまさかとは思っていたが、こんなに早く使ってくるとはラスベリー自身考えていなかった。

本人はある程度分析を終えてからだっただけに、その衝撃は大きい。

 

いや寧ろ、ラスベリーのことを知っている介入者には様子見の必要すらないということか。

 

「ふむ、中々使い勝手がいいな。

この者が第5層で使っていたものを再現したのだが、とても楽しい。

向こうのゲームにこんな代物はないから新鮮だよ」

 

「やはりヴァリアブル・シックル!

それに何を言って……!?」

 

「お前の知らない物語の舞台、こことは違う新たな仮想世界さ」

 

先を知る者と、さらに未来を見ている者。

抽象的なその言葉を合図に、二人は壮絶な切り合いを開始した。

 

各種ソードスキルに、今使用出来るすべてのクロスオーバー。

ありとあらゆる手を尽くして喰らいつこうとするが、目の前の異形は強い。

 

姿を拝借されているミトも強かった、勝てたのが奇跡と言えるほどに。

もしまたやっても同じ結果にはならないだろう。

 

だが謎の介入者はまさに別格の一言。

彼女の容姿をしてはいるものの、その中身は比べるまでもない。

先日戦ったキリトでさえ、このチカラを受けきれるかどうか判らないほどだ。

 

「そろそろ茶番も飽きたろう?

終局にしようか」

 

もはや攻防とすら呼べない一方的な蹂躙の後、介入者は鎌を大きく振り上げる。

 

得物がまとった光が強力なエネルギー刃となって相手に食らいつき、その上で術者と敵にそれぞれバフとデバフを繰り返すその技は、かつてラスベリーを苦しめたもの。

 

大鎌の奥義ソードスキル《グリムリーパー》。

それが来ると判った途端、彼は咄嗟に詠唱した。

 

「スキル発動!《介入者(イントルーダー)》!!」

 

瞬間その身を包み込むのは、儚くも優しい蒼色の光。

直後に迫りくる音速の二連撃、続け様に襲い来る三回の凶刃はあろうことかラスベリーの身体をすり抜け、最後に降り注ぐX字を描く攻撃は、バックステップで回避した。

 

これこそがラスベリーが持つ異質なスキル、《介入者》。

一定時間のみあらゆる干渉を受け付けない、SAOというゲームそのものの根幹すら揺るがしかねないチカラ。

 

どのようなジャンルにおいても無敵時間がもたらすことが大きいのは、説明するまでもないだろう。

彼の場合は四秒のみしか効果が続かないが、それでもMMOにおいては充分すぎる性能という他ない。

 

一応次の起動までは膨大なクールタイムを要するというデメリットはあるが、得られるリターンに比べれば微々たるもの。

 

大技を放った直後で今敵には明確な隙が生まれている。

このチャンスを逃すワケにはいかない。

 

「もらったッ!!

リミットオーバースキル、発動!

ディザスター……ソードォォオオオ!!!」

 

通常のクロスオーバースキルをさらに条件として指定する、文字通り限界を超えた境地。

それこそがリミットオーバースキル。

 

通常のユニークウエポンでは使用出来ず、メサイアのように新たな姿への進化を遂げたものを手にして初めて発動が許される。

 

白と黒の光が交互に何度も迸り、ラスベリーの周囲を何度も旋回し続ける。

まるで嵐を思わせる強風が同時に吹き荒れ、力が集まっていく。

 

空へ向けて高く掲げられたメサイアの刀身は混沌とした輝きを放ち、少しずつ大きくなって一つの大剣を形成した。

 

それは例えるなら、超巨大ディメンション・ソード。

 

「いっけぇぇぇええ!!!」

 

その異次元の得物を、謎の人物目掛けて力強く振り下ろす。

地面を叩き割る衝撃はもはやハンマーや斧すら敵わないほどの轟音を撒き散らし、先ほどまで自然豊かだった森はジクソーパズルのようにグチャグチャになってしまう。

 

この一撃でさすがに勝負は決しただろう、そう信じたかった。

しかし爆風の中から現れたその人物は、儚くも禍々しい紅をまとっていた。

 

「スキル発動、《介入者(イントルーダー)》」

 

「なん……だと」

 

何故最初に察することが出来なかったのだろう。

目の前の存在がその名を口にした時点で、可能性自体はあったのに。

 

光の色こそは違うものの、謎の人物が発動していたのは間違いなく、ラスベリーのものと同じ《介入者》スキルだった。

 

「何をそんなに驚いている?

これは元より我々のチカラ。

尤もラスベリー、お前のソレは少し性質が違うようだがな」

 

「《介入者》、これが……」

 

「そう!

世界のすべてを書き換えるためのチカラ、それがこのスキルだ。

そして、我々の総称でもある」

 

邪悪な笑みを浮かべた介入者が口を閉じると同時に、ラスベリーの胸から何かが突き出た。

天へと登るようにして聳え立つソレは、銀色の刃。

音もしないうちに、背中を貫かれていたのだ。

 

「フガッ……ぁ、ア」

 

「俺はねラスベリー、お前にこの世界を救ってほしいんだよ。

かの黒の剣士すら超える英雄、そうなるだけの力がお前にはあるんだ」

 

「グゥッ……っ、断る」

 

「部外者だから、この世界の流れを乱したくないからか?

なら問おう、お前は今どこにいる?」

 

完璧に思考を見透かされた上で投げかけられたその質問は、何故かラスベリーの頭を強く打った。

 

自分がいる場所はどこなのか。

この再現された虚構の夢想か、彼の語る記憶の中か。

 

――そうではない、答えはもっと単純なはずだ。

なのにその言葉が、寸前で途切れて読み取れない。

 

「お前は傍観者などではない。

そのことを、努々忘れぬことだ」

 

「な……!?」

 

「また機会があれば会おう、ラスベリー」

 

どこか優しさを見せたような声を最後に、彼の意識は途絶えた。

 

 

 

「……ぃ、おい!

大丈夫か、しっかりしろラスベリー!」

 

「くっ……う、ぅん」

 

長い間、揺りかごの中にいたような気がする。

微妙に重たい身体をそっと起こしながら瞳を開けると、そこは見覚えのない家屋の一室。

 

清潔感のあるベッドに、同じく真っ白な布団。

どうやら自分はこの場所で眠っていたらしいことをラスベリーは理解する。

 

そしておそらく彼をここまで運んできたのが、目の前の大男だろう。

 

「お前、カトー……?」

 

「よぅ、無事に目が覚めたみたいで何よりだぜ。

久しぶりだな、ラスベリー」

 

カトーと呼ばれた強面の男は、言葉をそのまま表すかのように嬉しそうな笑みを浮かべる。

 

触覚のような前髪を二本残し、その他すべてをオールバックにした、一目で悪の組織の大将だと判断出来そうな容姿のその男は、印象通りかの犯罪ギルド『九の懐』の幹部を務めている。

 

最前線がまだ第2層だった頃、ロケット隊と呼ばれる配下たちを率いてプレイヤーたちを襲撃していた彼と初めて遭遇し、ラスベリーはリズと協力して戦った。

 

カトーの圧倒的な力の前に二人は敗北寸前にまで追いやられたのだが、その際ラスベリーを助けるようにして現れたのが当時アウリオンの状態であった『メサイア』。

これを使い、彼を退けたのだ。

 

以来カトーは何かとラスベリーを付け回すようになり、何度も戦いを挑んでは敗北を繰り返している。

そうしていくうちに最初は残虐だった性格が徐々に軟化していき、67層で会った時にはすっかり人情派のプレイヤーに様変わりしていた。

 

「お前が俺を助けてくれたのか?」

 

「あぁそうよ。

のんきに森を散歩してたらお前が倒れてるのが見えたんで、ここまで連れてきたってワケさ」

 

「倒れてたって……

じゃあアレは、夢だったのか?」

 

「どんなモン見てたのかは知らねぇがよ、すげぇ魘されてたぜお前。

何度も何度も、KoBの副団長の名前呼んでた」

 

――アスナだ。

あの虚構の夢想が見せた内容からして無理もないだろう。

何せ彼女の名前は何度も出てきたのだ。

自分も、他のすべてもみんな呼んだから。

 

「助けた例にってワケじゃねぇが、聞いても良いか?

あの副団長とお前、どんな関係かってのをよ」

 

カトーはあくまでラスベリーという一人のプレイヤーを一方的にライバル視していたのみで、交友関係などはまったく把握していない。

 

それ故にどうしても気になるのだろう。

自分を打ち倒した者と、攻略組トップギルドのナンバー2の繋がりが。

 

「……俺は、アスナを見捨てた。

信頼も、思い出も。

何もかも裏切ったんだ」

 

窓から僅かに覗く青空を見上げ、物悲しそうな表情でポツポツと語り出す。

 

それはホルンカの森を通り過ぎたあと、トールバーナの街で振り返ろうとした記憶。

ラスベリーはそこで開かれるというフロアボス攻略会議にアスナを参加させるため、彼女を連れてきた。

 

行方不明になったミトが生きているとすれば、きっと最前線を目指すはず。

そう考えたためだ。

 

しかしその攻略会議こそが、ソードアート・オンラインの未来を決定付けるターニングポイント。

ここでアスナとキリトがパーティを組み、ともにボスへと挑むことをラスベリーは知っている。

それが二人にとって、大きなきっかけとなることも。

 

だからこそラスベリーは、自分がいられるのはここまでだと判断した。

思ってもない罵詈雑言を浴びせ、彼女を傷つけてまで傍を離れたのだ。

 

そうしなければきっとアスナは、キリトに気持ちを向けることはないと思ったから。

 

かなり端折った内容ではあったものの内容を聞いたカトーは少しだけ頭を抱えて唸り、少し悩んだところでようやく口を開く。

 

「んー、まぁ難しいことは判んねぇけどよ。

キリトとアスナとお前、三人で戦うんじゃダメだったのかよ?」

 

「あぁ、俺の存在はアスナの未来を変えてしまう。

そうなったが最後……この世界は、正常には行かなくなる。

アイツがこのゲームにとってどれだけ大事な存在か理解してるから、アイツが大切だから……!

俺は、あの日選んだんだ」

 

「……ふーん。

んで、ラスベリーはどうしたいんだ」

 

「アイツの目を覚まさせる。

俺っていう幻想を打ち消して、ちゃんと元のアイツに戻したいんだ。

……そのためには、アイツに負けない強さが必要だ」

 

ラスベリーが果てないチカラを求める最大の理由こそがこれであり、この世界で果たさなければならない使命のようなもの。

 

それが成されなければデスゲームがいつまでも終わらず、多くのプレイヤーたちが現実に置いてきた本物の身体が死を迎える可能性だってあり得る。

 

阻止するためにはやはり、物語を本来の軌道に戻してやる必要がある。

キリトとアスナの絆によって、この世界を終わらせてもらうしかないのだ。

 

「……でも、まだ足りない」

 

瞬間、声とともにラスベリーの表情が曇る。

 

「誰も知らないスキルに、ユニークウエポン。

そんなものがないと戦えない時点で、俺は弱い。

俺自身の強さは、どこにもないんだ」

 

そう考えるようになったきっかけは、八月の十日。

セヴァから依頼を受けたあの日、無事に助けたラガット本人から挑まれたデュエルだった。

 

彼は強かった、もしかしたら負けるかもしれないと本気で思うほどには。

明暗を分けたのはラスベリーの得物であるメサイア。

これがもたらす絶大なアドバンテージは、その力を百にも千にも見せた。

 

加えて異能のスキルである《介入者》。

これに何度窮地を救われてきたか判らないほど凄まじい性能ではあるが、そもそもこれは出処が一切不明の代物。

 

自分は武器やスキルの性能だけで戦って、勝利を重ねている。

そんな悲観的な認識をさらに助長したのが、あの悪夢。

 

クロスオーバーがなければアスナやミトを守りきれず、《介入者》スキルがなければより早く負けていた。

 

所詮、背を高く見せているだけ。

ラスベリーは自分のことを、そう認識している。

 

「そんなこと言ったらよ、俺だって弱ぇぜ」

 

「え?」

 

彼を取り巻いていた負の感情を、カトーの一言が切り裂く。

 

「両手剣や斧を握れなきゃ戦えねぇし、ニサシども……ロケット隊がいてくれなきゃ寂しい!

美味いメシ食えねぇと力が出ねぇし、給料がなきゃ贅沢出来ねぇ!

……それが判らずに俺は荒れてたんだよ、お前らと初めて会った時はな」

 

すでにラスベリーはしんみりとした顔のカトーを凝視していた。

それほどまでに珍しいのだ、彼がここまでしおらしい態度なのは。

 

十秒にも満たない間をおいて、カトーはあくまでも笑ったまま語り出す。

 

「この家な、俺が造ったんだ。

リアルで大工だったからな、その時の縁でスキルを取った。

……まぁ、その会社はとっくに潰れちまってるがな」

 

「……どうして」

 

「仕事が来なくなっちまったんだよ。

うちの会社が造る建造物には、何故か決まって死人が出る。

そんな悪評が出回り始めたのは、九月ぐらいだったな」

 

言うなればそれは、『死人作りの集まり』。

いっそ彼らは新居を求めてやってくる人々を殺すために家を造っているのではないか、そう思われても仕方のないほどの運命のイタズラ。

 

気がつけばカトーは、暗い顔を浮かべてうつむいていた。

 

「来月には倒産したよ。

世間様から好き勝手言われて仕事も無くなって、んな状態で会社を続けられるほど甘くなかった。

金もねぇ、メシもねぇ。

うちのローンだってまだ残ってたし、家族を頼ろうにも全員仏でよ。

自暴自棄になって、酒と借金まみれだった」

 

「そんなことが……」

 

「そのぐらいだったかな、偶然SAOのソフトを見かけたのは。

ゲームなんてやったこともねぇし、このまま破滅する人生ならいっそ現実逃避するのも良いかなって思ったんだよ」

 

一度でも躓けば再就職は難しいこの世の中で、カトーがその選択をしてしまうことは必然と言えるだろう。

仕事仲間ともども路頭に迷い、たった一人の家で寂しく過ごし続けて。

 

孤独の日々の中に差した一筋の光明。

少なくとも彼には、このゲームがそう見えたはずだ。

 

「もう俺の人生は詰んだ、だから何やっても良いって思っちまって九の懐に入った。

ロケット隊の何人かも、俺と同じだ」

 

「……そうか」

 

「でもさ、お前と出会った。

お前に勝つって目的を見つけてあれこれしてるうちに、頭が冷えてよ。

……思い出したんだ。

誰かと一緒に何かをする楽しさとか、その達成感。

毎日食うメシの美味しさも、何かのために頑張る生き甲斐も。

……だから感謝してるんだぜ、ラスベリーよぉ」

 

微かに瞳を潤ませながら、カトーはありったけの笑顔を見せつけてくる。

直後涙が流れ始めてきたのか慌てて彼は背を向け、サッと音を立てて立ち上がった。

 

「人間は弱ぇよ。

だから物を使ったり、他人を頼ったりするんだろ?

お前も同じだ。

弱いうちはその武器を使うなりダチを頼るなりしとけば良い。

そんでいつか、納得の行く強さになれれば良いだろうが?」

 

「カトー……」

 

それまでは見えてこなかった、この男が持つ隠された姿。

何度も交戦する度に丸くなっていったとは思っていたが、おそらくこちらが本来の彼なのだろう。

 

辛い経験によって傷ついたその背中を見つめ、ラスベリーはふと考える。

たった今カトーが飛ばしてくれた激励の数々を頭の中で復唱し、自身と照らし合わせていく。

 

無論それで解決の糸口が掴めるわけではない。

だが不思議と、気持ちが軽くなっていくのを感じた。

 

「ありがとうなカトー。

少しだけ、気が楽になったよ」

 

「ヘッ、いつまでもお前にクヨクヨされてちゃ困るからな。

さっさと元気になって、また俺と戦えってんだ」

 

「おう。

さすがに今すぐは無理だけど、その時はぜひ相手をさせてもらうよ。

……ぁ、そういえばカトー。

さっき、この家を造ったって言ってたよな?」

 

「んあ?」

 

「ものは相談なんだが……」

 

――しばらくカトーと話をしたあと、ラスベリーは第1層を離れた。

 

過去の出来事を振り返り、自身の覚悟を問い質す。

その目的は充分に、完璧と言えるほど果たされたと断言出来るだろう。

 

その後は予定通りミトやシリカたちに合流し、ともに依頼をこなして一日を終える。

彼の運命の日は、もう近い。

 

 

 

――翌日、八月十四日の早朝。

アインクラッド最前線、第69層の迷宮区を目指す男たちの姿がそこにはあった。

 

侍ギルドとも称される攻略組の主力の一つ、『風林火山』。

先頭を歩くのは当然リーダーであるクラインだ。

 

これから彼らは、間もなく行われるフロアボス討伐戦に赴く。

そのための準備もしてきた。

武器の調整や防具の新調に至るまで、出来ることはなんだってしてきた。

 

だから簡単に負けることなどないはず。

絶対にボスを倒して次の階層への扉を開く。

 

その決心を嘲笑う影が一つ、彼らの前に立ち塞がった。

 

「っ……お前は」

 

「バンダナ侍、それに風林火山のメンバー。

悪いけどアンタらには、ここでくたばってもらう」

 

幼いのにどこまでも冷たくて震え上がるような鋭い声と同時に、どす黒い闇が縦横無尽に舞う。

瞬間クラインたちはドミノのようにバタバタと倒れていき、中央に一人立つ少年を見上げる。

 

風林火山のメンバー全員を切り裂いた黒い閃光はの正体は、彼の振るった歪な剣だった。

 

「ぐっ……なんでだ。

俺たちが争う理由なんか無いだろ、ラグラス!!」

 

クラインの怒号に対し、ダークブルーの髪を肩の上ぐらいまで伸ばした赤眼の少年は鼻で笑う。

 

「アンタらは僕を強くする餌だ。

今ボス戦に行かれちゃ、その役割が果たせなくなる」

 

鋭利な刃を首に寄せ、クラインの表情を引きつらせる。

その様を見ていた少年は、悪魔のような笑みを浮かべていた。

 

「僕は強くなる。

このアインクラッドで一番、最強の存在に。

頂点に立つ者こそが、愛されるんだからねェ!」

 

血盟騎士団の構成員、ラグラス。

欲望に囚われた災厄の剣士が、ついに動き始めた。

 

 

 

 

 

ソードアート・オンライン

 

儚き虚夢のラスベリー

 

幕間『ファントム・ヒーローズ』

 

THE END




【現在のラスベリーたちのレベル】

ラスベリー Lv78
虚夢のアスナ Lv7
虚夢のミト Lv9



あとがき

どうも皆様、神矢レイラです。
儚き虚夢のラスベリー、幕間編を最後まで読んでくださり、誠にありがとうございます。

ついに幕間編も完結!
色々と感慨深いです。

今回ようやくラスベリーの秘密が断片的に明かされましたが、いかがでしたか?
予想通りかそれともハズレか、下記のアンケートにぶつけちゃってくださいな←え

さて、幕間編が終わったということは次回はいよいよ第2部。
新章開幕……そしてついに、アスナとの因縁に向き合っていくことになります。

どうかこれからも、当作品をよろしくお願いしますm(_ _)m

では今回はここまで!
また次回お会いしましょう!

ラスベリーの正体予想、どうだった?

  • 転生者かと思ってた
  • 転移者かと思ってた
  • わりと予想通りだった
  • 全然判らなかった
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