ソードアート・オンライン 儚き虚夢のラスベリー 作:神矢レイラ
ギリギリ今年中に間に合いました(白目)
またまた来たスランプだったり、リアルの方でごたついたりで中々着手出来ませんでしたが、色々と予定を変更して投稿することが出来ました。
ただし後半の方は投稿当日の深夜に書いているので、もしかしたら頭がパッカーンして文章が崩壊しているかもしれません(汗)
予めご了承ください。
ではでは、2023年最後の投稿分をどうぞ。
アインクラッド、第55層。
鋼鉄の都『グランザム』。
無数の尖塔によって構成された街の中心に聳え立つ一際大きな塔の上層部にある、無機質な鉄の扉。
その先は塔の一フロアを丸々使用した真円の空間。
全面ガラス張りの壁に囲まれたその部屋に、月のような半円形のテーブルを挟んで話す者たちの姿があった。
「――なるほど、それが彼の答えか」
削いだように尖った顔立ちの男が、目の前にいる少女を見上げ笑う。
「君の提案を聞いた時は驚いたが……
これは面白いことになりそうだな、アスナ君」
「まだ、決まったワケじゃありません」
からかうような男の言葉に、アスナは顔色を変えず返答した。
それに対し、男性は机の上で両手を組み合わせて苦笑する。
「判っているさ。
だが、君ほどの剣士が選んだ男だ。
これは団長として、挨拶しておくべきかな?」
「……いえ、あはたにそこまでしてもらうことではありません。
これは私とあの人とのことですので」
「ふむ……」
団長と名乗ったその男は、座った姿勢のままアスナの瞳を覗き込む。
どこまでも真っ直ぐな、彼女らしい榛色。
一切濁りのない眼差しには、微かな揺れがあった。
「判った、この件は君に一任しよう。
良い報告を期待している」
「はい」
表情を引き締まらせ、静かに一礼。
顔を上げてすぐに身を翻したアスナは、扉へと向かい歩き始めた。
そんな彼女の足を止めたのは、よく通る男の声。
「そう言えばアスナ君。
彼に会ったということは、あの指令は撤回ということで良いだろうか?」
「えぇ、すぐにでも報せるつもりです。
……では、失礼します」
すべてを見通すような真鍮色の瞳を横目に、アスナはその場をあとにした。
重い鉄の音が響き、一時的に一つとなっていた空間が切り離される。
「はぁ……」
緊張の糸が切れたのか、アスナは閉じたばかりの扉に背を預けた。
その理由は先ほどまで話していた男の目。
不思議な雰囲気をまとう真鍮色の瞳は、最後の瞬間まで彼女の姿を捉え続けていた。
終始穏やかな口調で、外見にも威圧的なところは無い。
にも関わらず、あの男と対峙すれば誰もが萎縮してしまう。
まるでそう言った力が、彼の目に宿っているかのように。
「副団長」
「ッ……!」
その声を聞いた時、雷が落ちてきたかのような衝撃が全身を襲った。
「あなたは……ラグラス!」
いつからかそこにいたのは、闇のように深い青髪を肩につかないぐらいまで伸ばした少年。
吸血鬼を思わせるほど紅い眼に宿る光は生気ではなく、得体の知れない鋭さを宿している。
彼の身を包む装備が紅白の騎士服でなければ、誰も血盟騎士団だとは思わないだろう。
かつてアインクラッド中を震撼させた
寧ろそちらの一員ではないかと疑うような、暗く刺々しい気配を漂わせていた。
「どうして二日前は来なかったの?
今まで欠かさず参加していたのに、何かあったの?」
「二日前……あぁ、ボス攻略か」
アスナがラグラスを問い詰めているのは、純粋に同じギルドの仲間として心配しているからに他ならない。
だが彼の反応は、真冬に降り積もる雪よりも冷たいものだった。
まるで興味のない話をそのまま受け流すような、どこか眠そうな半開きの瞳。
その様を見て、アスナは血相を変える。
「みんな心配したのよ!?
それにボス戦だって……
シオウさんが頑張ってくれたから良かったけど、大変だったんだから」
「だったらどうした、僕には関係ない」
声を荒げてまでぶつけた想いは、無情な鉄仮面によって一蹴されてしまった。
あまりに自分本位な主張に、アスナは思わず言葉を失う。
「それより副団長、僕が聞きたいのは指令の撤回に関してだ。
……どういう風の吹き回しだ?」
「……ラスベリーに直接会って、護衛をしてもらうよう頼んだの。
だから、もう必要無いわ」
それは笑う棺桶の討滅戦が行われるよりも前、アスナが組織全体に出した依頼にも近い指示。
『ラスベリーを自分の元に連れてきて欲しい』。
それを叶えてくれた者には莫大な報酬や、ギルド内での昇進すら約束するというもの。
一見バカげた内容ではあるが、彼女は副団長。
組織のナンバー2である立場なら、冗談じみた見返りもおかしくはない。
事実それを鵜呑みにした一部の団員たちが取り憑かれたかのように動き出し、『過激派集団』とまで呼ばれるようになった。
私情をギルドに持ち込んでしまったことに加え、出世争いの原因を生み出したこと。
当然アスナは、時が経つ度にその胸を痛めていた。
しかしラスベリー本人とコンタクトが取れた以上、組織そのものを狂わせた呪いを放置する理由はない。
もちろん一度ぶら下げた金塊をいきなり引き上げられれば、非難の声は上がるだろう。
だがラスベリーを苦しめるものをこれ以上増やさないためにも、ここで断ち切るべきだとアスナは判断した。
「……護衛だって?」
ところが、この少年の逆鱗に触れたのはそちらではなかった。
撤回するに至った理由そのもの、それがラグラスの面に修羅を宿らせる。
「ソイツはアンタがどれだけ呼びかけても、今の今まで応えてくれなかったんだろ?
そんなヤツが、素直に護衛を引き受けてくれるとでも思ってるの?」
「それは、彼にも事情があったからで……!」
「僕は認めない。
あんなヤツがアンタの護衛になるなんて。
それにそうじゃないとしても、僕は……」
暗雲のようにドス黒い感情を醸し出しながら、ラグラスは踵を返して歩き出す。
「ラグラス!」
すぐに呼び止めるも、ラグラスは聞こえていなかったかのように去って行ってしまう。
微かに伺えたその表情は、笑っているのに怒っているような歪んだものだった。
「……幻夢の閃光。
僕はアンタを、ブっ潰す」
小さな狂気の音は、誰にも拾われないまま歩を進め始める。
八月十六日の早朝。
鋼に染まった街の中心で対談が行われるよりも前に、その時はやって来た。
眠たい目を擦り、縫い付けられたように重たい身体を力いっぱいに引っ張る。
同時に布団が歪み、彼の視界に純白の光景が広がった。
「……はぁ」
スペインで最も美しいと称された街並みのように、真っ白な空間。
新しく建てられたばかりの清潔感漂う部屋を目にしても、その心は濃霧の中から出て来ない。
「どうして、考えとくなんて言っちまったんだろうな」
70層を去る前、自らの口が吐き出した言葉。
その理由を求めても、複雑な感情が思考を遮る。
躊躇いなく断ることが出来たのなら、ここまで思い悩むことも無かっただろう。
だが再認識した少女への気持ちが、その選択肢を揺らがせた。
自分の願望と彼女の未来、その二つを天秤にかけてどちらも選べなかった。
相反する二人の自分に戸惑い、絞り出せたのはその場しのぎの答え。
何を優先すべきか判っている。
そのはずなのに問題を先延ばしにしてしまった己の行動を、彼は理解出来ないでいた。
「……とりあえず、そろそろ準備しますかね。
今日から管理人も来ることだし」
浮かない感情のまま身体を起こし、ベッドから降りるとともに右手を真下に振る。
鈴を鳴らすような効果音とともに出現したウインドウを、慣れた手付きで動かす。
あらゆるものがシステムによって管理されたこの世界では、たったこれだけで着替えが完了してしまう。
ゲームなので当然といえば当然だが、ここはVRMMO。
たった一瞬で自身のまとう衣が変わるというのは、形容し難い感覚だろう。
何度も繰り返してきたはずの彼でさえ、未だにこの違和感には慣れていない。
己の身体が現実のものと遜色ないからこそ、アバターと判っていても割り切れないのだ。
「……ぉ」
無言のままウインドウを操作していた際に目を落としたのは、一通のメッセージ。
最低限の文章で記された内容は、彼の意識を僅かに現実へと連れ戻す。
「もうすぐか。
なら、集中させてやらないとな」
起床したばかりの頭を使い、簡潔かつ優しい言葉を選び刻んでいく。
送信完了の文字を確認してウインドウを閉じ、部屋をあとにしようと扉に手を掛ける。
それを合図に、音という音がこの世から消えた。
《ラス、ベリー……》
「ぇ……」
水が滴る時のような、冷たくも優しい声。
それが耳を叩いた瞬間、景色は真逆の姿へと変貌を遂げる。
直前まで見ていた真っ白な空間とはまったく異なる、電子空間そのものとも言える辺り一面の緑色。
濁った色の粒子が放物線を描きながら周囲を飛び交い、遥か高い場所では瞳のような紋様が鈍く光を放っている。
「こいつァ……」
息吹のない世界、とでも言えばいいだろうか。
現実から完全に隔離されたその状態を彼は、ラスベリーは知っている。
「……よぉ、久しぶりだな。
どうしてあの時、声かけてくれなかったんだよ。
アウリオン」
今までそれが起きたのは、決まって自らの得物に何かあった時だった。
最初はその名前と初めて出会った時。
絶体絶命の状況の中でひたすらに逆転を願い、文字通りの奇跡を刃として手に入れた。
その剣が新たな姿となった時こそが二度目の邂逅。
ラスベリーに新たな力とその使い方を授け、闇の中へと消えて行った。
《会えて嬉しいよ、ラスベリー。
よくぞここまで回想を進めたものだ》
どちらの時も語りかけてくるのみで、決してその姿を見せることは無かった。
しかし魂にまで響くその声の持ち主は、確かにそこにいた。
「……やっと顔出してくれたのは嬉しいんだがよ、どういうことか説明しちゃくんねぇか?」
ラスベリーが聞いているのは、今彼が目にしているものに関して。
にわかには信じ難い光景を目にして、やや困惑気味に指を差す。
《それを説明するためには、あまりに時間が無い。
あえて表現するなら、姿を借りているというべきか》
「おいおい、またそのパターンかよ」
少し前にも似たようなことが起こったこともあり、ラスベリーは頭をかき苦笑する。
あの時とは違いアウリオンには一切敵意が無いと判っているからか、その表情には安心感が宿っていた。
《それでラスベリーよ。
あの時、というのは?》
「へ?
いや、ほら……その。
メサイアが出来た時みたいにさ、ディフライダーを受け取った時に来るもんだとばかり思ってたから。
……もしかして、別の武器として生まれたものだから関係ないとか?」
《……私、いや我は。
いつでも出られるワケではないからな》
何故かその返事を出すまでに、数秒の間があった。
もちろんそのこともだが、ラスベリーは先ほどからアウリオンの言動にどこか違和感を感じていた。
「なぁアウリオン。
……いや、お前さんに関しては。
この呼び方は適切じゃあ無いのか?」
《……ラスベリー、強さに迷うな》
その人物は質問に答えることはなく、代わりに返したのはラスベリーの心に巣食う闇へ向けた指摘。
先に起きた戦いを経て更に濃いものになっていた不安を見透かされ、半歩その身を引く。
《振るう武器が、ともにある仲間が力になる。
どんなものを使おうが、戦うのは自分自身だ》
「ぇ……それって、どういう」
《ラスベリー、己の強さを見失うなよ》
真っ直ぐかつ聡明なその声は、光に呑まれて消えていく。
眩しさに埋め尽くされていた視界が戻ってきた時、すでに世界は元の形を取り戻していた。
「……あいつ」
銀灰色の瞳で虚空を見つめ、力なく伸びた腕が沈黙を掴む。
氷が溶けた時の中で思い返すのは、先ほどまで話していた相手の姿。
長くて黒い髪に、シンプルなラインのワンピース。
自身の記憶の奥底に刻まれた幼き少女と、寸分違わぬ容姿だったのだ。
何故そうなのかは判らない。
そもそも、たった今起きた現象がなんだったのかさえ理解が追いついていない。
そんなラスベリーが特に引っ掛かっていたのが、最初に言われたある言葉だった。
「会えて嬉しいって、言ってたよな」
自分自身でも驚くほど落ち着いて復唱したそれにどんな意味があったのか、この時の彼には知る由もない。
同日正午、第50層。
アルゲード主街区の中に建てられた、裏解決屋事務所二階の会議室。
すでに毎日のように利用されている空間には、どんよりとした空気が充満していた。
その理由は言うまでもなく、この世の終わりのような顔をしてウインドウと対峙するプレイヤーたち。
所長兼ギルドリーダーのラスベリーと彼の相棒リズベット、そしてメンバーの一人であるシリカだ。
「……ねぇ、こんな調子で大丈夫なの?」
「大丈夫じゃあねぇ、問題だ」
息絶えそうなほど弱々しい声を絞り出したリズに、今にも死にそうな返事をするラスベリー。
シリカに至っては明後日の方向を見つめ、ブツブツと独り言を言っている始末。
内容からピナに話しかけているようだが、彼女の目は肝心の相手を捉えられていない。
「女神に抱かれたい、メイド服を入手したい、テイムモンスター捜索、夫婦喧嘩の仲裁、ハッピーセットを作りたい……
あぁもう、やってらんないわよッ!!」
「お、落ち着けリズ!?」
「無理に決まってんでしょ!
なんなのよ、このふざけた依頼たちは!?
あたしたちをなんだと思ってんのよ!?
というかテイムモンスターや夫婦喧嘩はまだしも、何よ女神って!!
クエストNPCでも中々いないわよ!?
それにハッピーセットってなんなのよ!
その頭の中がハッピーセットよ!!」
ありえないほど気持ちの良いテンポで繰り出され続ける罵詈雑言に、ラスベリーは口を縫うしかなかった。
唯一メイド服のことに関して文句をぶつけていないのは、自身がよく似た服装をしているからだろうか。
なんにせよ、相当ご立腹なようだ。
「うへへ……
ピナ見て、キレイな流れ星だよぉ」
「なぁシリカちゃん?
頼むからそろそろ正気に戻ってくれ。
このままじゃあ収拾つかねぇよ」
テーブルを二回ほど鳴らし、困り果てた顔のラスベリーが情けなく懇願する。
それを見たピナがシリカの頬をくすぐったのもあり、彼女はようやく目を覚ました。
「あ、すみませんラスベリーさん。
ぁいえ、えっと……リーダー?」
「今更呼び方はなんでも良いよ、早いとこ今日の依頼を決めちまおうぜ。
いくら九の懐が活動範囲を広げてると言っても、こうして依頼は溜まるんだし」
「そ、そうですね!
……そう言えばミトさんは?」
「もうすぐ店の移転作業が終わるってんで、今はそっちに集中してる。
終わったら合流するってよ」
上の階から響く籠もった金属音を聞き流しながら、ラスベリーは今朝確認したメールのことを話した。
彼らは体裁上ギルドという形を取ってはいるが、その活動内容は比較的自由なもの。
何か大事な用事があるのなら、そちらを優先しろというのが基本スタンスである。
「となると、普段よりレベルを落としたほうが良いかもしれませんね。
いっそ今日は依頼はお休みして、情報収集に当てるとか」
「確かにそのほうが
せっかくKoBや聖龍連合じゃなく、俺たちを頼ってくれてる人がいるんだ。
それにある程度収入が無きゃ、強い装備も整えられねぇし」
この事務所を建てるためにほとんど使っちまったし、とラスベリーは付け足す。
いくらギルドハウスといえど、この施設は六人で使うにはあまりにも贅沢すぎるのだ。
どれほど彼の懐を圧迫したのかは語るまでもない。
「一日一善、小さな積み重ねが大望を成すんだ。
九の懐を止めるためにも、やっぱり大切なことなんだよ」
「ま、それもそうね。
さっきのみたいなアホな依頼でも、片っ端から受けていくしかないのかしら」
「急に落ち着くなよ怖いから」
左隣に座る少女は怒ったり突然冷静になったり、相変わらず感情が忙しい。
だが今回は特に振れ幅が大きいのもあり、他の面々は揃って苦笑する。
「えぇっと、これなんかどうですかね?
この、『己の強さを突き詰めたい』ってやつ」
「却下よ却下、そんなの最前線でレベル上げでもしてれば良いじゃない」
「ところがですねリズさん、そんな単純な話でもないみたいですよ」
直前までとは違い真面目な口調で語るシリカ曰く、その内容はこうだ。
どうやらこの依頼の主はレベルとしての強さで戦うことに疑問を抱いているらしく、喉が詰まる想いで上位層を駆けているという。
本当に数値だけの強さを掲げて戦い続けて良いのだろうか。
このままでは人として大事なものを失ってしまうのではないか。
そこで彼はレベルに囚われない修練方法として、初めてこのゲームに来た時誰もが手にした得物、いわゆる『スモールシリーズ』を用いたデュエルを提唱。
今回の依頼では、その相手を募集しているとのことである。
「……まぁ、言わんとしてることは判らんでもねぇが」
レベルでこそないが、他のプレイヤーには無い大きな力を使って戦うラスベリーが真っ先に理解を示す。
「けど初期装備を使っての特訓でしょ?
その最中に九の懐が現れちゃ一溜まりもないわ。
依頼主のためにも、受けないのが懸命じゃない?」
「こんな状況でもなかったら、お受けしたかったですね」
ようやく良さそうな依頼を見つけただけに、保留せざるを得ない現状に三人とも表情を曇らせる。
誰かが『希望を与えられて奪われた瞬間より深い絶望が訪れる』と言うように、またしても部屋の空気が重苦しくなり始めた時だった。
「三人ともお疲れ様、精が出るわね」
「あ、ヘビマルさん」
本当に人間なのか疑わしいほど白い肌に、女性のような黒い長髪と獣のように鋭い目つき。
にも関わらず聖母を思わせるほどの慈愛を宿した表情のその男とは、一週間近く前に61層で出会った。
当時は単なる情報提供者でしかなかった彼は今、保育士が身に付けるようなエプロンを着て丸いトレーをその手に乗せている。
「おぅ、そっちもな。
改めてにはなるが、ヘビマルさん。
急な頼みだったのに、引き受けてくれてありがとな」
「気にしないで頂戴、私は元々戦うの苦手だもの。
こんなことなら喜んでやってあげるわ」
柔和な顔を見せるヘビマルは、今日この日をもって裏解決屋事務所の管理人兼窓口担当を任された。
その仕事の一環として、トレーの上に並んでいたコップをテーブルに移していく。
「はいどうぞ。
所長さんのは聞いてなかったけど、コーヒーで良かったかしら」
「あぁ、サンキューな」
「……あれ?
ヘビマルさんも休憩ですか?」
運ばれてきたオレンジジュースに口をつけたシリカがその疑問を抱いたのは、ヘビマルが持ってきたコップの数が四つだったからだ。
直後彼は小さく声を漏らし、残った一つに目を向けながら説明する。
「あらやだ、私としたことがいけないわ。
所長さん、あなたにお客さんよ。
これはその人の分ね」
「お客さん……?」
「もうそこまで来てもらってるけど、入ってもらっても良いかしら?」
「まぁ、せっかくここまで来てくれたんだ。
構わない、通してやってくれ」
コーヒーを一口分飲み込んだところで下された指示に、ヘビマルは『合点承知の助』とどこかで聞いたような返事とともに敬礼する。
そそくさと扉へ駆け寄り、向こう側で待っている客人に対し入るように促す。
「こんにちは、ラスベリー。
とっても素敵な施設ね」
「ブッ!!?
せせせ、せっせんこぉ!?」
予想外の事態とはまさにこのこと。
この場所で見ることはないと思っていたその少女は、柔らかな微笑みを浮かべていた。
あまりに突然すぎる来訪に、ラスベリーの飲んでいたコーヒーが空に旅立ったことは語るに及ばず。
無論驚いたのは彼だけではないのだが。
「アスナ、アンタどうしてここに!?」
「それはこっちのセリフよ、リズ。
まさかここで会えるなんて思わなかったわ。
ラスベリーと知り合いだったのね」
口調こそ穏やかなままだが、アスナの反応は言葉通りのものだった。
一方のリズは気まずそうに苦笑し、誤魔化すようにドリンクを飲んでいる。
「……まぁ立ち話もなんだ、とりあえず座りな。
せっかくヘビマルさんが飲み物持ってきてくれたことだし」
「えぇ、お言葉に甘えて」
知人としてではなく所長として振る舞うラスベリーに促されるまま、アスナは正面の席へと腰掛ける。
部屋全体に稲妻のような緊張感が走る中、右隣のシリカが小さく口を開く。
「あ、あの……アスナさん、で良いですか?
あたしシリカって言います、よろしくお願いしますね。
あっ、こちらは相棒のピナです」
「そっか、あなたが……
よろしくねシリカちゃん、ピナ」
アスナの柔らかな手に撫でられ、ピナがご機嫌そうに喉を鳴らす。
心を癒やす音色と愛らしい姿に少女たちの頬が緩み、張り詰めた空気が僅かに和らいだ。
ただ一人、ラスベリーだけは鉄仮面を被ったままだが。
「それでラスベリー、本題だけど。
昨日の件、考えてくれたかな」
突き刺すような瞳に臆することなく、アスナはここに来た目的を明らかにした。
それに対するラスベリーはテーブルの上で両手を組み、顔を下に向けて溜め息にも似た声を漏らす。
「……まぁ、やっぱそれだよな」
「昨日の件って……
まさかアンタ、アスナと会ってたの!?」
70層に向かうのは九の懐の捜索と、最前線の視察をするため。
そう聞いていたリズにとって、たった今判明した事実は身体を反射的に突き上げるほどのものだった。
もちろん予想していなかったワケではないが、まさかこのタイミングだとは思わなかったのだ。
だが脳裏に焼きついた前日の記憶が、二人の距離感に説得力を持たせる。
かの地に赴く直前、リズベット武具店を訪れたラスベリーはただならぬ雰囲気をまとっていた。
まるで腹を括ったような、最後の戦いに臨む勇者を彷彿とさせる表情。
おそらくその時点で彼は決断していたのだろう。
より正確にはイシュと戦った直後、仕立て屋としてのミトを頼った時からだろうか。
閃光と幻夢の再会は偶然などではないと、リズは静かに悟る。
「……あぁ、俺が呼んだんだ」
錆びついた扉を抉じ開けるように、三拍ほど間を置いてラスベリーが小さく喋りだす。
「俺とそいつの関係は、攻略組の未来を考えれば邪魔でしかない。
九の懐が幅を利かせている以上、問題を先延ばしには出来ないと思ったんだ」
続け様に繰り出された温度のない言葉に、アスナの心がチクリと痛む。
その様を間近で見たシリカは胸の奥が苦しくなるのを感じながらも、声をかけることが出来なかった。
彼女以上に穏やかではないのがリズだ。
大事な友だちを目の前で否定された上に、その少女は悲しい顔を浮かべているのだから。
しかし二人の関係性を知っている自分がここで感情的になれば、事態はもっとややこしいことになるだろう。
そう判断したリズは、冷静に切り込むことにした。
「だからアンタは、このタイミングで関係を切ろうとしたのね」
「そうだ、けど失敗した。
甘かったんだよ、色んな意味でな」
その発言は実力不足という意味だけでなく、アスナに対して非情になりきれなかったことも含まれていた。
それに対して眼前の少女は、微かな明かりを灯す。
「でもその甘さのおかげで、私とキリト君は無事だった。
九の懐の襲撃を受けた私たちを、ラスベリーが助けてくれたのよ。
そんな彼の実力を見込んで、私は護衛をお願いしたの」
「「ご、護衛ィ!?」」
ベテランのアイドルグループかと思うほどピッタリと重なった声。
お手本のようなリズとシリカのリアクションに、ラスベリーたちは逆に驚かされることになった。
「ごごご護衛って……
ままままさか、あああアスナさんのってことでずがぁ!?」
「おおお、落ち着きなさいシリカ!
ききききっと聞き間違えたのよ、そそそそうに違いないばよ!」
「お前らー、慌てすぎて色々おかしくなってんぞ。
特に語尾」
先ほどまでの緊迫した空気はなんだったのか。
妙にコメディチックになってきた雰囲気に、アスナが子どものような笑みを溢す。
「というかアリなの!?
だってKoBの副団長よ!?
その護衛よ!?
アリじゃなくて蟻よ、蟻の兵隊よ!!
いっそ引っ越しよ!!」
「ひょっとしたらアスナさん、忙しすぎて疲れてるのかもしれません!
ピナ、一緒にアスナさんを癒やしてあげよう!?
そうしたらきっと正気に戻ってくれるから!!」
もう自分たちが何を言っているのか判っていないのだろう、そのぐらい二人の言動はおかしな方向にエスカレートしていっている。
その様にさすがのアスナも引き始め、ラスベリーに至っては他人のふりをし始めている始末。
限界まで辛さを追求した激物を食べた時のような凄まじいパニックだが、そこに差し込んだ一閃の光がそれに待ったをかけた。
「あなたたち、いい加減にしなさい」
直前まで静観を貫いていたヘビマルが、いつの間にか二人の襟首を掴み上げていた。
口調こそ穏やかだが、彼が浮かべているのは文字通り鬼の形相。
二人の勢いがピタリと止まったのは言うまでもない。
「「……はぃ」」
ゆっくりと降ろされた二人は、トボトボと自分の席へと戻っていった。
緊張状態どころか微妙すら通り越した雰囲気となった中、ヘビマルは平然とした様子で口を開く。
「それでアスナちゃん、さっきのことだけど。
ラスベリー君をあなたの護衛にしたいってことで良いかしら?」
「えぇ、その認識で構いません。
すでに団長ヒースクリフからも許可をもらっています」
「ずいぶん準備がいいな。
つまりあとは俺が、この首を縦に振るだけってことか」
溜め息を漏らすラスベリーに対し、アスナが首肯する。
その姿はかつて一緒に行動していた大切な妹分としてではなく、攻略組を牽引する血盟騎士団の副団長としてのもの。
他者の領域にあっても臆することのない彼女の姿勢は、それだけで場の空気を一変させる。
「昨日の今日だし、さすがにどうかとは思ったわ。
でも、ようやく会えた。
もう勝手にいなくなるのは嫌だから」
ここまで彼女を突き動かしてきたものが一体なんなのか、その瞳が実感させる。
数えるほどしか見ていないはずの、微かに震えた榛色。
それを認識するだけで、消え入るような最後の一言の意味が理解出来た。
「……俺は」
だからこそ、目を逸らしてしまう。
いつの間にか重たくなった唇を動かし、ラスベリーは絞り出す。
彼女に会うことがあったら告げようと、今朝に決めたことを。
「悪ぃ、護衛は出来ない」
「……どうしても?」
「あぁ、どうしてもだ」
息が詰まるような罪悪感を押し殺し、言葉から熱という概念を消滅させる。
最初からこうすれば良かった、そう自分に言い聞かせる度に表情が曇っていく。
当然その様をアスナは見逃さない。
訴えかけるような視線が深く胸に突き刺さる。
今にも引き裂かれそうな気持ちに耐え切れず目を逸らすが、心の涙が増えるだけだった。
デスゲームが始まってまだ間もない頃と同じように、また彼女を拒絶することになるのだから。
それが必要なことだと判っているからこそ、ラスベリーは悪役を演じた。
この世界と少女の未来を想い、正しい進路に戻すには仕方がないと思ったから。
だが今の彼に当時のような冷酷さは欠片も無く、切なさを覆う複雑な顔を浮かべるのみだった。
「ラス……」
底無しの闇の中、微かに差し込む光明。
そうあれたらどれだけ良かっただろうか。
二人の友人として、それぞれの苦悩を知っている立場だからこそ胸が痛む。
心身ともに凍りつくような静寂の中、リズはその名前を呼ぶことしか出来なかった。
「……まぁ、簡単に引き受けてくれるとは思ってないわ」
沈黙を破り、アスナが返した反応は意外にも冷静なもの。
机の上で両手を組み、ジッと眼前の男を見つめる。
「裏解決屋ギルド、だったわね。
この際、極秘の依頼という形でも構わないわ。
教えて頂戴、あなたが望む対価は何?」
その瞬間、全員が息を呑むことになった。
先ほどまで収入に困っていたインビジブルのメンバーにとって、アスナの提案はあまりにも魅力的だったからだ。
もしこれが一般のプレイヤーなら、特段気にも止めなかっただろう。
ところが彼女は、攻略組の中でも最強と言われる血盟騎士団の副団長。
その報酬が何よりも莫大なものであることは想像に難くない。
「……どんな大金やレアアイテムを積まれようが、引き受けるつもりは無い。
この話は終わりだ」
それでもラスベリーは突き放すことを選んだ。
アスナが頼るべき相手は自分ではないという考えは、当初から微塵も変わっていないから。
拭えきれない切なさを帯びた瞳で『帰れ』と訴えるも、アスナはまったく怯む様子を見せない。
それどころか彼女は、あくまで冷静に口を動かす。
「ううん、終わりじゃない」
なんとしても会話を続けようと、ラスベリーを繋ぎ止めようとする意志。
か細くも力強い声に宿るそれは、彼の瞳を変色させた。
「あなたに提案したことは本来、私たちKoBの問題。
それをお願いする以上は、私も相応の態度を示す必要がある。
……そこでどうかしら、私があなたたちに協力するというのは」
「んなっ……!?」
「「ええぇぇぇ!?」」
ラスベリーは驚愕し、リズとシリカは百点満点中最高の反応。
ヘビマルに至っては絶句している。
先にも触れた血盟騎士団の副団長という立場。
そんなアスナが口にした内容は、この場に電流を走らせるには充分すぎるだろう。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよアスナ!
それってつまり、アンタ……
「ううん、さすがに立場上無理かな。
そもそもギルドの掛け持ちなんて出来ないし。
でもパーティを組むことなら出来る」
「なるほどね……
ラスベリー君がアスナちゃんの護衛をして、そうじゃない時はアスナちゃんがラスベリー君を手伝う。
業務提携みたいな感じかしら」
ヘビマルの言葉に全員が『あぁ』と首を振る。
肝心のラスベリーは納得と困惑が半々といった様子だが。
「リズはともかく、どこの馬の骨とも判らねぇヤツらとKoBの副団長がつるんでる……
そんな噂が立っちまうぞ?」
「言いたい人には言わせておけば良いわ。
それにあなたの身分は私が保証出来る。
そうなればギルドメンバーのみんなも、とやかく言われることは無いと思うわ」
「……そうまでして、護衛について欲しいってか」
「えぇそうよ。
私はそれほど、あなたが欲しい」
あくまで必要な戦力として。
そういった意味にしては、今の言葉に込められたものは熱が入りすぎていた。
声自体は小さいはずなのに、妙にハッキリと聞こえる程度には。
「どうするんですか、ラスベリーさん。
悪い話では無いと思うんですが……」
不安そうな声色でシリカが尋ねてくる。
リズと違い二人の事情を知らない彼女からすれば、信念に満ちたアスナの表情に戸惑うのも無理はないだろう。
その奥に燃える炎を、なんとなく感じ取ってはいるようだが。
アスナは最強ギルドのサブリーダーとしてではなく、一人の少女として出向を申し出ている。
ラスベリー自身その気持ちを読み取ってはいるものの、それ自体がより頭を抱える要因となっていた。
「そりゃ戦力としては申し分ねぇし、俺たちも人手は欲しいが……
それでもダメなもんはダメだ、もう少し立場を考えろ」
「考えてるからこそよ。
この状況だからこそ、ギルドの垣根すら超えて全員が協力し合わなければならない。
私たちもそうするべきだと言っているの」
「そいつァ……」
否定出来なかった。
現在攻略組はパルディアの指揮の下、階層攻略と九の懐の捜索を並行して行っている。
属する組織など関係無く手を取り合い、それまでソロだったプレイヤーも積極的にパーティを組むようになったと聞く。
現在プレイヤーたちが直面している壁は、それほどまでに大きく堅牢なのだ。
ここまで揚げ足を取るように様々な言葉を並べてアスナを突き放していたラスベリーも、さすがにカウンター出来ず息を詰まらせる。
「あの、アスナ?
別に反対するつもりは無いけどさ。
仮にあたしたちと組むことになったとして、ギルドとの両立は大丈夫なの?」
「今の彼らなら、私がいなくてもある程度は問題ないと思う。
まだ暴走してる人は何人かいるけど、顔を出さなくなるワケじゃないし。
それに何かあれば、団長やガラルさんが対処してくれるはずよ」
その名前はラスベリーが『幻夢の閃光』と呼ばれていなかった頃、67層のフィールドで出会った男のものだ。
血盟騎士団の一部隊を指揮する隊長であり、団長であるヒースクリフに匹敵するほどの防御力を以て仲間たちを守る猛将として知られる。
別名『聖なる獅子王』。
彼の活躍は攻略組であれば誰もが知るところだ。
最前線には無縁のラスベリーでさえ本人を前にした時、無意識に萎縮してしまうほどの説得力があった。
アスナがその名前を出した時点で、信頼に値する人物であることは疑いようがない。
「……だがな」
リズが質問を飛ばしたことで残された可能性すらも潰され、歯切れの悪い様子でラスベリーが溢す。
「ラスベリー君、そろそろ折れたらどうかしら?
アスナちゃんと色々あるんだろうけど、これ以上は可愛そうよ」
「っ……」
これ以上私情だけで粘れないことぐらい判っている。
だからこそ余計に顔が濁る。
沈黙が鈍くのしかかり、唇が張り付く。
いったいどうしたものかと思考を巡らせている時、けたたましい金属音が全員の鼓膜を打った。
「これは、戦闘音?
そう言えばさっきから聞こえていたけど……」
「あぁ、四階のバトルコートですね。
あたしたちの仲間が今利用中なんです」
「それも、特別ゲストを招いて念入りにな。
ってかもう昼過ぎだが、あいつらまだやってんのか」
ラスベリーが文句を言っている間も、上から鋭い音が繰り返し鳴り響く。
ほとんど間を置かずそれが聞こえてくることから、アスナは複数のプレイヤーが交戦しているのだと理解する。
「あの二人の意見も聞きたいし、ちょっと様子を見に行ってみましょ。
結論はそれからでも遅くないはずよ」
「それもそうだな。
悪ぃヘビマルさん、今のうちに昼飯の用意を頼めるか。
その……コイツの分も追加で」
「あら、お安いご用よ。
今日は千客万来だし、腕の見せ所だわ」
やや複雑な様子のラスベリーに対し、ヘビマルが見せたのはご機嫌の表情。
付け足されたのは言うまでもなくアスナの分であり、それも含めて注文を受けた彼は鼻歌を歌いながら立ち去っていった。
「ご飯ぐらい作ったのに」
「あのなぁ、お前さん客人だろ。
さすがにそこまでやらすワケにゃあいかねぇよ」
アスナの言葉には、突然押しかけたお詫びという意味もあったのだろう。
そのことを理解しつつ、ラスベリーは溜め息を吐く。
「とりあえず上まで案内する。
俺たちの力になるつもりなら、残りのメンバーぐらい紹介しとかないとな」
「……やっぱり、なんだかんだ優しいよね」
「うるせぇよ」
安心感を得た彼女の微笑みを、ラスベリーは直視出来なかった。
視線を逸らすと同時に席を立ち、残りの面々もそれに続く。
目的地へと向かう道中、アスナが一つの疑問を投げる。
「そう言えばラスベリー。
さっき言ってた特別ゲストって、いったい誰なの?」
「一応攻略組だ。
お前さんのことだから、多分会ったことあるんじゃあねぇかな」
「ってか紹介したの、あたしだしね」
サラッと飛び出て来たリズの発言にラスベリーは納得したように声を漏らし、シリカは小さく感心する。
一方のアスナはこれまでの記憶を遡り、合致する状況を探していた。
尤も、すぐに驚愕の表情を見せることになったが。
「嘘、彼女がここに!?」
「えぇ、よく遊びに来てくれますよ。
あたしも昨日、短剣のテクニックを教わりましたし。
ピナのことも可愛がってくれて、凄く良い人です」
「その上、今回はお供の二人も一緒よ。
今も頑張ってるうちのメンバーの要望でね」
リズが説明しているうちに、四人とも階段を登り切った。
三階はまだこれと言った役割が決まっておらず、外の景色を一望出来るほど大きな窓以外の特徴は無い。
ラスベリーを正面に据え、三階を過ぎ去る。
整えられた石段を踏み越え、ようやく最上階にたどり着いた彼らを迎えたのは飛び切り大きな衝突音。
鉄の混じり合う旋律が、部屋全体を支配していた。
「うおぉぉぉ!!」
中心で競り合う二人の元へ、一人の少年がカタナを振り被りながら走る。
裏解決屋ギルド《インビジブル》のメンバー、ラガット。
巨大な鎌を受け止める相方ことセヴァを助けるため、雷のような袈裟を落とす。
「甘ぃぜ!」
直後、歪んだ空間の中から白髪の男が飛び出した。
両の手から伸びる鉄の刃を踊らせ、ラガットを呑み込もうと襲いかかる。
「……こっちのセリフだ。
セヴァ!」
「はい、ラガットさん!」
瞬間、セヴァの力が逆回転した。
それまで押し合っていた対象が急に後退したことにより、ラベンダー色の髪をした女性の得物が垂直に足場へと突き刺さる。
その一瞬の間に、白髪の男は気を取られてしまった。
すでに眼前には短剣を構えたセヴァが、背後にはラガットがいる。
この状況に、彼は酷く顔を歪めた。
「「はあぁぁっ!!」」
鮮やかかつ、これ以上無いほど芸術的な連携。
二人同時に放たれたソードスキルが、無抵抗の男性を十字に斬り裂いた。
彼が崩れ落ちるとほぼ同時に、気持ちの良いファンファーレがどこからともなく鳴り響く。
虚空に示されたのはセヴァとラガットの勝利。
今の攻撃が大きな決め手になったのだ。
「……か、勝った?」
「や、やった。
やりましたよラガットさん、私たちの勝利ですッ!」
手にしたばかりの喜びに従うまま、セヴァがラガットに勢いよく飛びついた。
子どものようにはしゃぐ彼女を照れながらも優しく受け止めるその様は、例えるなら妹に対する兄のそれに近いか。
「お疲れ様です、クライマ。
腕が鈍りましたか?」
「セリアン、せめて労うかバカにするかどっちかにしてくれよ」
一方の敗北した側のペアであるクライマとセリアンも、彼らなりにお互いの健闘を称え合う。
「まさかお前たちが敗れるとはな。
だが、良い試合だった」
それまで奥で戦いの行く末を見守っていた少女、シオウが小さな拍手をしながら近付いてくる。
その姿を見た途端、直前まで緩かったクライマとセリアンの雰囲気が真逆のものになった。
何を隠そう、この二人は彼女に仕える身なのだ。
「申し訳ないな、シオウ様。
あんたに不甲斐ないところを」
「構わん、それも含めての訓練だ。
それにあの二人を見ろ。
こちらまで嬉しくなってくるような、気持ちの良い笑顔だ」
「フフッ、そうですわね。
私たちも相手を務めた甲斐があったというものです」
戦いとは本来、命の取り合い。
どちらか一方が潰えるまで争い、ひたすら憎しみをぶつけ合う。
シオウたちはこれまで、そういったことを何度も繰り返してきた。
それだけに今この瞬間があまりにも眩しく、輝いていた。
正面からぶつかって負けたにも関わらず、その心はとても晴れやかだった。
今までなら考えもしないような仲間たちの爽やかな表情に、彼らはより笑顔を見せる。
「よぅ、お疲れさん」
ちょうどそれぞれの会話が途切れたところで、ようやくラスベリーたちが合流。
大きく手を振る彼に応えるようにして、何人か同じ動きを返す。
「ラス、なぁ聞いてくれよラス!
俺たち、クライマとセリアンに勝ったんだぜ!」
「あぁ、見てたよ。
来た時にはもうクライマックスだったから、最初から見たかったところだがな」
「その気持ちだけでもありがたいです。
せっかく強くなりましたし、実戦でも期待しててくださいね!」
先ほど二人がしていたやり取りが兄妹のそれなら、ラスベリーも含めたこれは親子というべきだろうか。
歳の差もあるのだろうが、少なくとも今の彼の表情はただの大人としてのものではなかった。
「つっても、十回目でようやくだがな。
九対一でそこまで喜ばれてもな」
「まったく素直じゃありませんね、本当は嬉しいくせに」
機嫌の良い声で皮肉を吐くクライマと、それを笑って嗜めるセリアン。
二人はゆっくりと彼らに歩み寄りながら、然りげ無く会話に入っていく。
「ありがとうな、二人とも。
セヴァとラガットの相手してくれて」
「いえいえ、お構いなく。
あなた方への感謝は、この程度では示し切れませんから。
リズも、この前はありがとうございました。
あんなに楽しく買い物が出来たのは、随分久しぶりでした」
「それこそ、あれぐらいいつだって構わないわよ。
今度はシリカもセヴァも、アスナも一緒に盛っ大に女子会しましょ!」
リズが勢いよくシリカとアスナの肩に腕を回し、全員に見せつけるようにして笑う。
二人は突然のことに驚きこそしていたが、その提案を嫌がるような様子は無かった。
裏解決屋が発足する少し前、セリアンたちはシオウも含めた三人で出掛けていた。
特に彼女はそれまで年頃の少女らしく過ごしたことが無かったのもあり、それはとても楽しそうな様子を見せていたという。
その際の面々はともかく、現在席を外している裏解決屋メンバーにお呼びがかからなかったのは意図的なものだろう。
親友であるアスナの味方でありながら、その裏でラスベリーにも与する存在。
そんな複雑な立場故に、この場で名前が出てしまえば確実に話がややこしくなる。
リズの判断はラスベリーの心中を的確に読み取っていた。
「そうですね、アスナさんも一緒に……
ってうえぇぇええ!?
あばば、ゔぁすなざぁんっ!?」
「いや今更かよ」
リアクション芸人か何かかと疑いたくなるほどのインパクトしかない反応を見せるセヴァに、ラスベリーは『またかよ』と呆れた目を向ける。
ちなみに名前を呼ばれた本人は苦笑し、クライマとセリアンは軽く引いていた。
リズとシリカは少し前までの自分たちの様子を思い知ったのか微妙な表情を浮かべており、シオウに至っては謎に吹き出している始末だ。
「久しぶりだな、アスナ。
今日はどうしてここに?」
「ラガット君こそ、ここにいるとは思わなかったわ。
それにセヴァさんも。
私はラスベリーに、あなたたちのリーダーに頼みがあって来たの」
ラスベリー自身なんとなく予想はしていたが、案の定ラガットとセヴァはアスナとも顔見知りだったようだ。
キリトが『元々攻略組にいた二人』と言っていたので、何もおかしくはないのだが。
「お前が頼み事とは随分珍しいな。
わざわざ顔を出すぐらいだ、よほどのことと見受けるが」
仕方のないことではあるが、アスナには最強の攻略ギルドの副団長という頼もしいイメージが定着してしまっている。
その肩書きを抜きにしても、彼女は全プレイヤーの中でも特に上位の存在。
頼るよりも頼られるほうが多いという印象を抱くのは当然だろう。
直接疑問をぶつけたシオウ以外の面々も同じことを思っていたようで、小さく首を縦に振っていた。
「……そうだね、凄く大事なこと。
シオウさんは、ラガット君とセヴァさんの特訓だっけ」
「うむ、二日前に引き受けてな。
彼らの技術には目を見張るものがある、この調子なら最前線復帰も夢ではなかろうよ」
その二文字が頭をよぎった時、二人の表情が僅かに曇った。
ただ一人それに気がついたラスベリーは釈然としないながらも、明るい声をかける。
「なら勝ったばっかのとこ悪ぃが、特訓の成果ってのを見てみたいな。
ギルドの長としては、メンバーの成長を確かめときてぇし」
「全然構わねぇよ、俺も同じこと考えてたし。
セヴァはどうだ?」
「はい、大丈夫です!
ではシオウさん、お相手願えますか?」
「フフッ、それも良いが……
お前たち、ラスベリーと戦ってみるというのはどうだ?」
電流にも近い衝撃が駆け抜け、その言葉を聞いた全員がざわつく。
最も驚きを示したのは、言うまでもなくラガットとセヴァだ。
「ら、ラスベリーさんと?」
「どうせ成果を見てもらうなら、直接やり合ったほうが判りやすいだろう。
それに私自身、久しぶりにお前が戦う姿を見たくなってな」
「寧ろそっちが本題なんじゃ……」
苦笑気味に放たれたシリカのツッコミは、ワクワクした様子のシオウには一切届かない。
今か今かと返答を待っている彼女に、ラガットが疑問の声を上げる。
「ちょっと待った。
ラスと試合するのは良いんだけどさ、どういう形式にするんだ?
順番にやるってなると時間がかかる上に連戦だし、二対一ってのもちょっとな……」
「さっきまでお前たちがやっていたことこそが答えだ。
要はラスベリーも、誰かと組めば良い」
「タッグバトルってことね」
神妙な顔で呟くリズに楽しそうな笑みでシオウが首肯する。
「……私が行くわ」
数秒程度の沈黙を破り、名乗りを上げたのはアスナだった。
コツコツと足音を鳴らしながら、ラスベリーの隣へと歩み寄る。
「閃光……?」
「二人の力を知りたいのは私も同じ。
あなたたちに協力するからには、長所と短所くらい確かめておかなくちゃ」
「……まだ決まったワケじゃあねぇぞ」
口頭では突っぱねているものの、ラスベリーの手はアスナの目の前で差し出されていた。
少なくとも、この試合をともに戦うことは許諾する。
その証明と言って良いだろう。
「フッ、閃光のアスナと幻夢の閃光。
こんなコンビ、中々お目にかかれねぇぜ」
「どれほどのものか、お手並み拝見ですね。
では私たちは下がるとしましょうか」
二人が握手する様を見届けつつ、クライマとセリアンに続くようにして一斉に横に移動する。
中央に残ったのはこれから対戦することになるラガットとセヴァのペア、そして当人たちからしてみれば懐かしの閃光ペア。
そして審判兼ルール説明役のシオウの合計五人だ。
「ルールは初撃決着。
先発を当てられるか、HPが半分となった者は退場だ。
HPの共有は無し、先に脱落者が出た方のペアを敗北とする」
「どちらか片方でも負けたらダメなのね……
ラスベリー、勝算は?」
「ラガットとは一度戦ったことがあるが、アイツぁすげぇ瞬発力の持ち主だ。
このルールで特に警戒しなきゃならねぇ相手なのは確かだが、問題はセヴァかな」
虚空で指を踊らせながら、ラスベリーは冷静に語る。
手元と外を交互に見つめる彼の目から、その動作はシステムウインドウに対してのものだとすぐに判った。
「なぁ閃光、アイツら攻略組にいたんだよな。
何か知らねぇか?」
「……ラガット君のスピードは確かに脅威よ。
けど本当に危険なのは、セヴァさんの方」
「何……?」
そこでようやく、行ったり来たりを繰り返していた視線がアスナの方を向いた。
自身を映す榛色の瞳に、ラスベリーは思わず吸い込まれそうになる。
「彼女は言うなれば、攻撃偏重。
たった一人でフロアボスのHPを四割削ったことさえあるわ」
「四割って……
一つのパーティで削れるかどうかって数値じゃあねぇか!?」
それは脳天を鈍器で叩きつけるかのような恐るべき事実。
47層でラガットから聞いた話の中でも凄まじい戦闘力を持っていることが伺えたが、あのセヴァからは想像も出来ないような話に驚きを隠せなかった。
「ラスベリー、《白氷》って聞いたことある?」
「あぁ、少しだけな。
たった一人で、どんな敵も凍らせるみたいに蹂躙しちまうっていう……
まさか、アイツが!?」
「まさにそうなのよ。
それだけにどうして最前線から降りてしまったのか、みんな疑問に思っていたわ」
無論アスナが言ったこともそうなのだが、ラスベリーにとって疑問なのは『何故《紫電のラガット》と《白氷のセヴァ》がコンビとして認識されていないのか』ということ。
ひょんなことから出会った二人は、それ以降ずっと行動をともにして来た。
そのうち片方でも成り上がれば、もう一人も自然と認知されるはず。
ましてそのプレイヤーも大きな活躍を残せば尚更だ。
なのに《紫電》と《白氷》を同時に聞いたことは一度もない。
それぞれが独立した存在であるかのように、まったく異なるタイミングで耳に入ってくる。
特に後者に関してはラスベリー自身小耳に挟んだ程度であり、アスナの口から出たことでようやく名前を思い出したくらいだ。
やはりあの二人は、まだ多くのものを抱え込んでいる。
それを確信しつつ、視界に入った一通のメッセージを受理する。
「とにかく、かなりの強敵ってことには違いねぇ。
しかもアイツらはシオウに鍛えられて、さらに高まってる。
……やるぞ、閃光」
「そこ、せめてアスナって呼んでよ」
可愛らしい文句を聞き流しつつ、ラスベリーは再びウインドウを操作し始める。
ちょうど向こうも話を終えたばかりのようで、こちらと同じ動作を行っていた。
ほどなくして、空中に両チームの激突までの時間を示す数字が現れる。
独特の緊張感が走る空間の中、カウントダウンが進む度に周囲の音が消えていく。
ギャラリーが声を潜めたのではなく、彼らの神経がそれほど研ぎ澄まされているのだ。
しかし、ことここに至ってもラスベリーは得物を見せない。
他の三人がそれぞれの相棒を手にしているだけに、その姿はより異様に映った。
それを不審がっていないのは、観客の中でただ一人。
「どうしたラスベリー。
初動モーションが遅れても知らないぞ?」
「心配要らねぇよ。
そっちが強くなるんなら、俺も何かに引っ張られねぇ強さを手に入れてぇだけさ」
「……?」
アスナがその言葉から読み取ったのは、焦り。
表情や声色自体は平然としているはずなのに、どこか不安定な感覚があった。
その正体を考え始めるよりも早く、カウントダウンは五つを切った。
「始まりますよ……!」
シリカの声を合図に、観戦席の四人が一斉に静まり返る。
それぞれが
その理由は、数字が零となると同時に露わになる。
「行くぞッ!!」
「っ!?」
スタートダッシュを切ったのはラスベリー。
拳銃から飛び出した鉛玉のような速度で、あっという間にラガットとの距離を詰める。
腕を大きく振り被ったその体勢から、ラガットは斬撃が来ると予測。
即座に強烈なバックステップを踏んで距離を取るが、彼の目に映ったのは予想だにしないものだった。
「片手棍だとッ!?」
そう、バトルコートを激しく鳴らしたのは紛れもなく片手棍。
しかもリズが普段振るっている黒いメイスこと、アラインド・パワー。
一度彼女と交戦しているクライマが、それを見間違うはずはなかった。
「ほんのついさっき、アイツからメッセージが来たの。
この試合の間だけ、あたしの武器を使わせてくれってね」
「まさか、その時に渡したんですか!?」
「なるほど、返信のメッセージに添付したのですね。
そしてラスベリーさんは、クエストで報酬と同じ要領でそれを受け取った」
セリアンが解説している間にも、戦況は波のように変わり続ける。
最初こそは予想外の奇襲に戸惑ったラガットだったが、武器種の違いもあって普段よりも遅いラスベリーの動きに容易く追随。
アスナとセヴァは、互いに得意分野である数をぶつけ合っていた。
(この感じ、以前よりもパワーが増してる!)
手数の多さを強味とする者同士、それぞれの特色は大きく異なる。
アスナの場合は異名そのものだが、セヴァのそれは短剣とは思えないほどの剛力。
どれだけ早く打ち込んでも、巨大な鉄の壁にぶつかったかのように弾かれる。
「さすがアスナさん、まったく触れさせてくれませんね」
「セヴァさんこそ、まさか私の剣に着いてくるなんてね!」
剣戟の音は激しさを増す一方で、セヴァの顔色は凍り付いたように変わらない。
それでいて荒々しくも正確無比な刃は、まさしく冷たい凶器。
彼女の二つ名である《白氷》そのものだ。
一方男同士の対決はと言うと、僅かに天秤が傾き始めていた。
いつもなら対応出来ていたであろうカタナの速さに翻弄され、ラスベリーはその身を徐々に削られつつある。
「おおぉぉ!」
それでも尚、必死の特攻。
鋭く光る鉄塊を振り回し、真っ直ぐ頭をかち割りに行く。
だが本来の持ち主と異なり、パワーが足りない。
その一撃は吸い付くようにして現れた刃によって阻まれてしまう。
「ぐ、ぅう……!」
とはいえ、相対する得物は鈍器。
細身な剣とはまったく異なる重みが、ラガットにドッシリと伸し掛かる。
「っ……うぉおらぁ!」
相手の力が微かに途切れたのを見抜き、ラスベリーが渾身のスパート。
丹田に力を込め、空気を切り裂くほどの剛腕でラガットの防御を砕いてみせた。
その勢いのまま鉄の塊が落ちてくるが、紙一重のところでラガットの身体がズレた。
結果的にラスベリーの攻撃は先端がかするのみで、微量のダメージを出すのみに終わった。
「あっぶねぇ……
いきなりメイスを出してきた時は驚いたが、やっぱり強いなラスは。
いつもの剣だったら、一方的に負けてたよ」
「いんや、多分それでもお前さんなら防いでた。
こうして普通の武器で戦ってみると、地力の違いがよく判るよ」
痛く辛そうな笑顔で呟いたのは、誰の目から見ても明らかな自嘲。
これまで自分が勝利を重ねてきたのはメサイアのようなユニークウエポンがあったから、ラスベリーはそのように認識している。
デュエルが始まる直前に言っていた『何かに引っ張られない強さ』とは、ざっくりと言えばそのプレイヤー本来の力のこと。
特別な剣を手放した今、彼は自分の能力の無さを痛感していた。
感覚がユニークウエポンに慣れてしまっているというのもそうだが、そもそもラスベリーは数える程度しか片手棍を使用していない。
しかもその機会は、ほとんど一時的なものばかり。
最初から装備した戦闘という意味では、これが初めてと言っていいだろう。
「そろそろ飛ばそうか……パワー・ストライク!」
目の前の男と一戦交えた日から悩み続けてきた、自分自身の持つ強さ。
未だ扉の奥に隠れたままの答えに少しでも近づくため、前のめりに渾身の技を放つ。
このタッグデュエルにおいてようやく飛び出したそれは、今のラスベリーが放てる唯一のソードスキル。
重々しい音を引き連れて、ラガットの肩目掛けて落下する。
「はあぁっ!」
しかしラガットが即座に反応。
押し上げるようにしてソードスキルを放ち、再び鍔迫り合いに持ち込む。
力の差はほとんどないだけに、明暗を分けるものはお互いの意地のみ。
「……そろそろ良いかな」
「何?」
「セヴァ、こっちだ!」
だがそれは、あくまでも一対一の話。
今行っているのは二人一組の戦い。
ラガットの咆哮を合図に、セヴァが尋常ではない力で地面を蹴った。
「なっ……!?」
「早い!!」
その様には二人揃って目を疑った。
閃光と呼ばれる彼らでさえ狼狽せざるを得ないほどの、圧倒的な速さ。
はじめから距離など無かったかのように、瞬間移動にも匹敵する速度で彼女は現れる。
「もらいました」
色の消えた声の彼女が放った技は、鮮烈の一言。
流星のように降り注ぐとてつもない五連撃の短剣ソードスキル《インフィニット》。
殺意を宿す牙が無防備な身体に食らいつく。
「ぐぅぉお!?」
一つ二つと、大きく身が削られていく。
HPが目に見えて縮んで行き、ちょうど真ん中を示す縦線に近づいていく。
間髪置かず降り注ぐ三撃目によって二の腕をも切り裂かれ、いよいよ敗北が見えたかに思えた時だった。
「ラスベリー!」
細剣ソードスキルの基本形《リニアー》。
瞬き一つ分合流の遅れたアスナが繰り出した一閃が狙ったのは、なんと味方であるラスベリー。
このゲームでは原則として、パーティメンバーにダメージを与えることは出来ない。
しかし当たり判定自体は存在する。
アスナはそれを利用することで、ラスベリーを庇ったのだ。
「チッ、外されたか」
「ですがこれで」
一度発動したソードスキルは、最後のモーションが終わるまで止まらない。
故に残りの攻撃すべてが、眼前に現れたアスナに降り注ぐ。
「ぅう、あぁあ!!」
そこに地雷でも設置されていたかのような爆発により、二人の身体が宙を舞った。
荒々しく床に投げ出され、全員の視線が集中する。
幸いというべきか、ラスベリーのHPはギリギリ残っていた。
だがそれは裏を返せば、あと一つのミスで勝負が決してしまうということ。
部屋全体にこれ以上無いほどの緊張感が走る。
「上手い……!
ラスが隙を見せた瞬間、強烈な一撃を叩き込んだ!」
「俺たちもさっき、あのコンビネーションにやられたんだ。
まずは個別に相手をして、一番攻めやすいと判断したヤツを二人で叩く。
どっちかでも倒れたら負けのルールならではの戦術だな」
「集中放火ってことですね……」
クライマが言及している通り、このルールでは片方でも倒した時点で勝敗が決定する。
言い方は悪いが、弱い方を狙うのは勝ち筋として賢い選択なのだ。
最初から標的を定めていなかったのは、それだけラスベリーとアスナを警戒していたからに他ならない。
本来なら二人は自分たちよりも格上の存在であることを、セヴァたちは重々承知していた。
ところが今回、ラスベリーはリズから借りたメイスを使ってきた。
普段とは異なる得物故に勝手は大きく違うが、ラガットはそこに勝機を見出した。
あとは先ほど繰り広げられた通り。
突然セヴァが対象を変えたことで対応が遅れ、結果的に二人とも深手を負ってしまったということである。
「ラスベリー、大丈夫!?」
「なんとかな。
にしても情けねぇっつか……
護衛頼まれてる俺が、逆に助けてもらうたぁな」
「気にしないで、私はそのために強くなったから。
70層でそう言ったでしょ?」
私はあなたを取り戻し、守るために強くなった。
昨日の言葉が頭の中に蘇る。
その時は対峙していたから判らなかった、アスナの頼もしさ。
味方としての彼女が見せる優しい表情を見て、初めてそれを理解した。
まだ第1層すら攻略されていなかった頃、自分たちの後ろを着いてくるばかりだった少女の成長。
それを間近にして、ラスベリーは思わずその名前を口にしそうになる。
「さぁ、そろそろ反撃よ。
それとも、いつもと違う武器だから難しい?」
溢れ出しそうになる想いを呑み込むと同時に、アスナから投げられた激励。
挑発にも似たそれに鼓舞され、ラスベリーは力強く地面を踏んで立ち上がる。
「アホ抜かせ、一回これでやるって決めたからには貫くさ。
ユニークウエポンも、クロスオーバーも無い……
俺自身の力で!」
「……よく言えました。
百点満点中、九十点ね」
「いや残り十点はなんだよ」
どこか間の抜けたやり取りは、不思議と身体中を熱くする。
残された命は糸のように細く、余力もあまりない。
それでも尚、雷と氷は容赦なく迫って来る。
「来るぞ、どうする閃光」
「ラガット君を攻める、ラスベリーは?」
「ならお前さんが攻めやすいよう立ち回ってやるさ」
長い付き合いだからこそ出来る、あまりにも軽いキャッチボール。
長い間離れていたはずなのに、言葉は勝手に飛び出て来た。
どれだけ仮面を被っていても消えていなかった感覚が、全身を安心感で包む。
次の瞬間、アスナが大きく前進。
文字通り光の速さでラガットに近づく。
しかしその直後、彼の横を走っていたセヴァが躊躇わず飛び出して来た。
「ラガットさん、ここで決めます!」
「あぁ、これで俺たちの勝ちだ!」
「……まぁ、そう来るよね」
たった一人で二人に突っ込めば、例えそれが本来の対象と違ったとしても同時に食いつく。
瞬時に描いた絵の通りになったことに口角を上げ、アスナは瞬間的に方向転換する。
「なっ……!?」
「今だよ、ラスベリー!」
すでに誰もいない領域にラガットたちが入ったのを見て、アスナが叫ぶ。
それを受けたラスベリーはあらゆる神経を隆起させ、一気に駆け出す。
「まさか、あのまま攻撃を!?」
「ラス……!」
一見無謀にも見える特攻。
自ら敗北にダイブしようとするその姿に、当然ギャラリーは騒然となる。
しかしここにいるプレイヤーの中で唯一、アスナは知っている。
今からラスベリーがやろうとしていることを。
「焦ったな、ラス!
その体勢からじゃ、俺たちのどちらかしか狙えない!」
「攻撃の瞬間、残ったほうがあなたを打って勝利です!」
「そいつァ、どうかな!」
アスナの機転によって生まれたこのチャンス。
普通ならここで攻めに走るところだが、彼らの言う通りそれは悪手でしかない。
だからこそラスベリーは、最初から攻撃するつもりなど無かった。
「ワンダー・スライドッ!」
牙を向いたのは大きく振り被った得物ではなく、ラスベリーの身体そのもの。
大きく捻った体勢から繰り出されるスライディングは、対戦相手の二人どころか全員の度肝を抜く。
「な、何!?」
「くっ……!」
突然の出来事にラガットたちは回避に専念せざるを得なくなり、それぞれ逆方向にバックステップ。
だがその直後、力が収束する高い音が耳に届く。
「縦一列、そうなったらもう私の射程よ」
認識した時にはすでに放たれていたそれは、細剣ソードスキルの一つ《スター・スプラッシュ》。
ありえないほどの速さで繰り出されたその連撃は、ラガットとセヴァの身を串刺しにしていた。
「ぐぁっ!?」
「ですが、これで……」
「私に隙が出来ても、彼はどうかしら?」
アスナの言葉が向かう先を追いかけ、二人が目にしたもの。
それはいつの間にか体勢を立て直し、その身一つで突っ込んでくるラスベリーだった。
「んなっ!?」
「もぅコイツで決めるしかねぇ……
アフター……グロウッ!!」
セヴァの前に現れるのと同時に、ラスベリーの手にあるものが落ちてくる。
それは先ほどまで彼が持っていたはずのメイス。
いつの間にか空中に投げ出されていたそれを掴み取り、その勢いのまま容赦なく振り下ろす。
地面に叩き伏せられる形で、セヴァのHPが一メモリだけ半分を下回る。
これによりゲームセット。
ギリギリの攻防の末勝利を収めたのは、ラスベリーとアスナの閃光コンビだ。
「セヴァっ!」
試合終了のブザーが鳴り響くとともに声を上げたラガットが、慌ててセヴァの元まで駆け寄る。
うつ伏せになったその身を優しく起こして確認した彼女の表情は、どこか嬉しそうなものだった。
「えへへ……
すみませんラガットさん、負けちゃいました」
「何言ってんだ、ラスとアスナ相手にあそこまでやれたんだぞ?
俺たち、確実に強くなってるよ」
「……ですね。
けど、それでも。
やっぱり負けは悔しいです」
強くなった喜び、それでも勝てなかった無念。
複雑に入り混じった感情を乗り越えて、若人たちは強くなっていく。
その一端を見届けられたのは、滅多にない経験と言えよう。
互いの成長を確かめ合うラガットたちを見て、ラスベリーが嬉しそうに微笑む。
アスナも同じように穏やかな表情を浮かべていることに気が付き、目の前で小さく手を振った。
それが意味するものはすぐに伝わり、二人の手のひらが明るい音を奏でる。
「お疲れさんだ、閃光。
お前さんがいなきゃ勝てなかった」
「そっちこそね、ラスベリー。
名前を呼んでくれないことだけは残念だけど」
可愛らしい笑顔から繰り出された鋭い皮肉。
だが、これこそが先ほどツッコまれた減点の正体なのだろう。
それまで大きな溝が出来ていたとは思えないほど、その距離感は近かった。
「みんな、お疲れ様。
良き試合だった」
シンプルな拍手とともに労いの言葉をかけてきたのは、ずっと試合を静観していたシオウだった。
彼女に続くようにして観戦席にいた四人も、それぞれのペアの元へと歩み寄って来る。
「っつかラス、さっきの動きはなんなのよ?
思いっきり技名叫んでた辺り、ライジング・ノヴァみたいな戦技とか?」
「まぁ、そんなところだ。
つっても昨日、その場の思いつきで出来たモンなんだが」
顔を合わせて早々にリズが投げかけた疑問に、苦笑しながらもラスベリーが肯定する。
奇襲向けの《ワンダー・スライド》に、特攻用の《アフターグロウ》。
この二つが完成した瞬間の目撃者は、この場にアスナしかいない。
「まさかあれが、ぶっつけ本番とはね。
しかも九の懐相手によくやるわ」
「……九の懐だと?」
アスナが何気なく口にした言葉に、シオウが顔色を変える。
よく見れば側近の二人も、直前までの和やかな雰囲気は完全に消え去っていた。
「アスナよ、その際交戦した者はどのような装いだった?」
「えっと……真っ赤な武装だったわね。
確か、フレア隊って言っていたかな」
「って言うと、カロスの爺さんの部隊じゃねぇか。
あいつら軍隊並みに組織的だし、隙が少なくて相手したくないんだよな」
シオウが率いるギルドこと夜明けの騎士団は、全員が元九の懐の戦闘員で構成されている。
故に組織の恐ろしさをよく知っているのも彼らであり、クライマの引き攣った顔がより説得力を与えている。
「その時はキリトもいて、三人で戦ったんだが……
手下どもはなんとか出来ても、カロスだけはどうしても押しきれなかった。
逃げ出すので精一杯だったよ」
「いえ、寧ろよく離脱出来たものです。
あの者は組織の中でも凄腕の将軍……
並大抵のプレイヤーでは、今頃生きてはいないでしょう」
「そ、そこまでなんですか……」
口頭での説明のみでシリカが怯えてしまうのも無理はないだろう。
直接刃を交えたラスベリーたちは、彼の力を前に一瞬も気を抜けなかったのだから。
セリアンの苦い表情が、よりその事実を裏付けている。
「そこまでの使い手なら、俺たちももっと強くならねぇとな」
力強い声を上げたのは、ラガットだった。
一斉に注目を浴びた彼は、隣にいるセヴァともども闘気に満ちた頼もしい目をしている。
「カロスでそれなら、きっとローラってヤツはもっと強大だ。
それに、正体の判らないボスも。
まだまだこんなところで満足しちゃいられねぇよ!」
「私も同じです。
ラスベリーさんとアスナさんを追い詰めることが出来たのなら、いつか勝てるようにもなれるはず。
ならきっと、九の懐だって。
なのでシオウさん!」
瞬間、ラガットたちの視線が同時にシオウの方を向いた。
ここまでの流れからさすがに二人の言いたいことを判っているようで、彼女は一呼吸置いたあと、
「……仕方ない、もう少し付き合うとしよう。
さらに厳しくするぞ」
笑顔でそう言った。
「上等!」
「よろしくお願いします、ししょー!」
二人とも意気込みはたっぷりだが、セヴァの口から飛び出したその言葉はシオウの目を丸くした。
尤も、直後に満更でもなさそうに笑っていたが。
「その前に腹ごしらえだ、下でヘビマルさんが用意してくれてる。
特訓はそのあとでも良いんじゃあねぇか」
「それもそうだな。
ご馳走になってしまってすまない」
「気にすんな、俺の仲間に付き合ってくれた礼も兼ねてるんだ。
一階の広間に行こうぜ、メシはそこで食ってんだ」
すっかりリラックスしきった態度のラスベリーに連れられ、一同はバトルコートをあとにした。
長針が円を描き切る頃、彼らは各々行動を開始した。
ラガットとセヴァは宣言通り、シオウを伴って訓練を再開。
九の懐の話を聞いて意欲を増した彼女によって、もはや実戦にも近い激闘が繰り広げられている。
一方のラスベリーたちは、今日取り掛かる依頼をようやく決めた。
その内容は、ズバリ『違法トレード犯の捜索』。
滅多にドロップしない素材から造られた強力な装備や、途方もない恩恵が得られるアイテムだと偽り、ガラクタにも等しいものを押し付けられる事件が相次いでいるらしい。
しかもその犯人はたちの悪いことに、トレードが終了してすぐ決まって姿を晦ます。
マップ情報にも一切載らないため、高価なものを騙し取られて泣き寝入りしたプレイヤーがあとを絶たない。
いわゆるシャークトレードという悪質な行為である。
システムの穴を突く形で繰り返され続ける非道な行い。
それを良しとしないラスベリーの判断により、可能な限りの総力を上げて調査に当たることにした。
ちなみにこれは裏解決屋に届いた依頼ではなく、アスナが持ってきたものだったりする。
そう言ったこともあり、彼女は当然同行。
さらにはシオウの厚意により、クライマとセリアンも協力することになった。
そして現在、ラスベリーはアスナとともに下層のとある街を訪れている。
これまでに犯行があった層は合計三つ。
そこで彼らは手勢を三つに分け、各自で調査を進めることにしたのだ。
「リズたち、大丈夫かな。
一応それらしきヤツを見つけたら、招集をかけるようには言ってあるが」
「心配要らないわよ、だってリズだし。
‘相棒’なんでしょ、信じてあげなさいよ」
昼間にはスルーされていたリズとの関係性は、ここに来るまでの道中でみっちり追求されていた。
ラスベリーとしては話すつもりは無かったのだが、アスナの圧に負けて結局‘ある一点’を除くすべてを話すことになり、今に至る。
からかうように言い放った『相棒』という単語には、皮肉や嫉妬がたっぷりと籠もっているように聞こえた。
「しっかし、鮫トレ犯ねぇ……
命のかかったデスゲームだからこそ、強ぇ装備やアイテムに目が眩むのも判るが」
「そんなプレイヤーたちの心理を突いた犯行、絶対に見過ごしちゃいけないよね。
必ず止めよう、ラスベリー」
「ったりめぇだ。
せっかくお前さんが手ェ貸してくれてんだし、失敗はありえねぇ」
戦場に赴く武将を思わせる表情で、歩を進めつつラスベリーが呟く。
その姿は薄暗い路地裏にありながらも、微塵も場違いなどとは感じさせなかった。
「そう言えば閃光。
お前さんの武器、ちょいと性能を見せてもらっても良いか?」
「え?
まぁ、別に良いけど……」
引き抜かれた刃を前に、ラスベリーがその手前で軽く指を動かす。
すると彼の眼前に、スペース一杯に記されたテキストが展開された。
名を『ランベントライト』。
リズがアスナのために造り出した渾身の一作にして、彼女の象徴たる得物。
ウインドウに表示されたその性能に、隈無く目を通す。
(……なるほど、信じられねぇぐらい軽い。
メサイアはもちろん、ディフライダーよりも。
コイツ自身の腕もあるんだろうが、道理で早ェワケだ)
「ねぇ、ラスベリー」
よく通る高い声が、集中しきっていたラスベリーの思考を止めた。
視界に入ってきたのは、何か確信を持った目で見上げてくるアスナの姿。
「どうしてタッグデュエルの時、あの特別な剣を使わなかったの?
あの時リズのメイスを借りたかと思えば、今は私の剣を見ているし……
別に細剣以外の武器に興味があるってワケじゃないよね」
「……あぁ」
「何にも引っ張られない強さ。
それと何か関係あるの?」
胸の内を覗かれたとでも言うのか。
これ以上無いほどの衝撃が胸に突き刺さる。
「ソイツ、は……」
歯切れの悪いなんてものではない。
ラスベリーが強さを求める理由は、アスナに勝利するための力が大多数を占めている。
力付くでも彼女を打ち倒し、本来あるべき未来へと歩ませるためだ。
それを本人を前にして言えるワケがない。
喉が詰まったように言葉が途切れるのも無理はないだろう。
そんな心中を察してか、アスナは溜め息を吐く。
「まぁ、理由は聞かないわ。
今何を聞いたところで、答えてくれるとは思わないもの」
「……悪ぃ」
諦めたようなその声色に、一気に罪悪感が湧き上がる。
互いに顔を見合わせないまま、二人は小さな足音で路地裏を歩き続ける。
「なんていうか、お前は凄いなーって。
そう、思っただけだ」
「ぇ?」
気まずい空気を切り裂いたのは、切なさと憧れが融合したラスベリーの声。
「攻略組として、KoBのサブリーダーとして。
一人のプレイヤーとして、何より……結城明日奈として。
ちゃんと自分の意志を持って、ずっと前を向き続けてる。
……強さに、迷ってねぇんだなって。
思って、さ」
「……そうね、迷う暇なんて無いから」
小さく絞り出された一言に、ラスベリーの視線が引き寄せられる。
瞳を閉じたアスナの表情は、異様に儚いものだった。
「大事な人たちと一緒に、必ず現実世界に帰る。
その想いはずっと変わらない。
……ラスベリー、あとはあなただけなの」
いつの間にか目の前に立っていたその少女は、その細い腕を真っ直ぐ伸ばしていた。
小さな手のひらが待つのは、それを掴む右手。
焔よりも熱い気持ちを宿した表情で彼女が告げるのは、宣戦布告にも似た言葉。
「ラスベリー、改めて言うわ。
私の元に戻って来て。
最後の瞬間まで、私が守ってみせるから」
その時の言葉と表情を、この先もずっと忘れることは無いだろう。
空は顔色を漆黒に染め、時計の針が大きく進んだ頃。
ラスベリーは一人、アルゲードの街並みを眺めていた。
結論から言えば、依頼は次の日以降に持ち越しとなった。
どのペアも犯人らしきプレイヤーを捉えることは出来ず、リズとシリカに至っては途中からショッピングに没頭する始末。
ラスベリーもあの時のアスナの姿が頭から離れず、ずっと集中出来なかった。
結局真面目に取り組んでいたのは彼女と夜明けの騎士団ぐらいで、裏解決屋の仕事としては微妙な上がりだと言う他無い。
だと言うのにこの男は、すでに転移門まで送った少女に言われた言葉をずっと頭の中で反芻させていた。
「……アスナ」
「あれ、ラス?」
夜の闇から現れたのは、この日席を外していた裏解決屋のメンバー。
アスナの親友にして、現在はラスベリーにとってリズと同じぐらい大事な存在。
滅龍の異名を持つ少女、ミトだった。
「ミト……?」
「今から事務所に寄るところだったんだけど、ちょうど良かった。
そっちは今帰りかしら」
「……おぅ」
明らかに覇気のない目に、どこか虚ろな声。
普段とは真逆の口数に、酷く大人しい雰囲気。
ただならぬラスベリーの様子にミトが見せたのは、包み込むような表情。
「ねぇラス、このあと予定ある?
無ければ付き合って欲しいのだけど」
「ぇ……?」
他の人物には絶対に見せないであろう優しい表情と、どこまでも自分に寄り添ってくれる素直な声。
それに対してラスベリーは、大いに虚を突かれることになった。
止まっていた思考を再起動して、このあとのことを思い悩む。
リズたちはすでに全員帰宅し、事務所には管理人であるヘビマルしかいない。
書類関係も含めた諸々を彼に任せている以上、帰ったとしてもやることは食事と睡眠のみ。
その程度なら多少遅らせても問題ないと判断し、ラスベリーは遅れてその首を動かした。
夜の街を歩くことほんの数分。
二人が足を踏み入れたのは、どこかレトロな造りの大きな建物。
その内装は外の無骨な雰囲気とは真逆に、喫茶店のようなお洒落な印象を与えた。
「お、おぉ……」
「凄いでしょ?
ようこそ、私の新しいお店へ」
「新しいお店って……
移転先ってこの層だったのかよ!?」
先ほどまでとは一転して大きな声を上げて驚愕するラスベリーに対し、ミトがいたずらっぽく笑う。
見れば店内には5層を訪れた際に見た防具がズラッと並べられており、中には新作と思しきものもあった。
「その方が何かと都合が良いからね。
事務所が近いし、晴輝さんにいつでも会えるし」
「ちょっ、ミト!?」
一昨日の夜にもぶつけられた不意打ちを食らい、判りやすく慌てるラスベリー。
その様子にミトはクスクスと笑い、カウンターの上に肘を付く。
「ここなら二人きりだし良いでしょ。
それに、この方が話しやすいんじゃない?」
「……まぁ、気付いてるか」
「当たり前よ、だって晴輝さんのことだし。
……そっちのペースで良いから話してみて」
恐らくミトは、初めからこうするつもりでこの場所に連れてきたのだろう。
彼女の温かな優しさに促されるまま、目の前の丸椅子に腰掛ける。
それからラスベリーは、小雨のようにポツポツと語り出した。
アスナとの関係を断ち切るつもりで呼びつけたはずが、寧ろ距離を縮める材料を作ってしまったこと。
夢の中で妙なことを言われたと思えば、昼間にアスナが押しかけてきたこと。
以前から自分だけの強さに悩んでいて、ラガットたちとのデュエルでよりそれが深まったこと。
そして何より、アスナから告げられたあの言葉。
すべてを聞き終えたミトは、神妙な顔をしていた。
「……なるほど、そんなことがあったのね」
「俺さ、判んなくなっちまったよ。
アイツの未来を想えば、俺っていう不純物は消えちまった方が良い……
そのはずなのに、アイツを大事に思っちまってる自分がいる。
結局さ、何が正しいんだろうな」
色々な感情がぐちゃぐちゃになってか細く震えるその声は、明確な沈黙を生む。
この問題はそう簡単に答えを出せるほど簡単ではない、だからこそ返答も慎重さを求められる。
ミトはその時点では、何も言えなかった。
「……今までは、アイツの運命を変えないことが正しいんだって思ってた。
でもアイツは、俺のことを本気で想ってくれている。
それを断ち切るためには、ちゃんとした形に戻すには……
話し合いだけじゃどうにもならないって思ったんだ」
「あの娘は、諦めが悪いからね」
「あぁ……
だから力付くで終わらせようとした。
でもアイツは強くて、とても今の俺じゃ敵わない。
ならいっそのこと、このままアイツの提案を呑むしか無いのか?
……俺はそれが正しいとは思わない」
実力行使で突き放すことも出来ない、アスナの傍にいることも認められない。
矛盾と情けなさしかない自らの言葉に、ラスベリーは震えることしか出来なかった。
「だって、アイツを幸せに出来るのは。
本当のヒーローは……!」
瞳の奥から溢れそうになっていた滴がこぼれ落ちるよりも早く、その身は二本の腕に引き寄せられていた。
そう、ミトだ。
彼女がラスベリーを抱き寄せ、爆発寸前の感情を受け止めようとしているのだ。
「大丈夫、判ってる。
晴輝さんの葛藤は」
「深澄、ちゃ……」
その胸に視界を塞がれたことで、彼女の声をミトとしてではなく兎沢深澄として認識したのだろう。
いつかの時のように、二人の空間は再び現実世界のそれに戻る。
「……私はね、晴輝さん。
あなたと明日奈には、また前みたいに仲良くしてほしい。
だけど、あなたが明日奈の幸せを願う気持ちも判る。
私も、そうだから」
「っ……」
「言ってなかったよね、私があなたに手を貸す理由」
小さく放たれたその一言の直後、二人は顔を見合わせる。
ラスベリーの瞳に映るミトは、今までのどの瞬間よりも優しい目をしていた。
「もちろん、奪われたからっていうのはあるけど……
晴輝さんと明日奈が絶交しなくてもいい、それでいてみんなで笑える未来。
それを諦めていないからよ」
「……第三の道、ってことか」
「うん」
包み込むような温もりを宿したその声を聞いて、ラスベリーの心の中を支配するものが変わっていく。
どうすれば良いのか判らない不安から、前を向こうとする明るい何かに。
「私はあの娘の親友で、あなたのものだから。
二人が納得出来る結末を願うのは当然よ」
「ミト……」
「晴輝さんの言う通り、アスナの未来を正さなければこのゲームはクリアされないのかもしれない。
でも、そうじゃない可能性だってある。
あなたは自分のことを不純物だって言ったけど、そんな人どこにもいない。
少なくともあなたは、私を救ってくれたヒーローなんだから」
ミトの嘘偽りのない素直な気持ち。
肌寒い季節の空を覆う雲の隙間から、眩しい光が差し込むような言葉。
それは冷え切っていた彼の心に温度を取り戻させる。
「またあの娘と戦うつもりなら協力する。
だから、なんでも言って?」
「……判った。
これからも頼りにさせてもらうよ、ミト」
まだ、どう向き合えば良いのか判らない。
だがそれは、いつまでも足踏みをしていて良い理由にはならない。
自らに課せられた運命と、目の前で展開され続ける現実。
天秤にかけられた二つとも異なる道は、この日示唆された。
だがそれでも、決めるのはあくまで彼自身の意志。
鎌使いの少女はその足が進む先を信じて、志を同じくしてくれた。
その想いを受け止め、ラスベリーは明日を迎えた。
【現在のラスベリーたちのレベル】
ラスベリー Lv80
アスナ Lv85
あとがき
どうも皆様、神矢レイラです。
儚き虚夢のラスベリー、第2部の4話目を最後まで読んでくださり、誠にありがとうございます。
珍しく日常回っぽい雰囲気になってたと思います(当社比)。
九の懐も変な介入者もいない、唯一行われた試合は実質仲間との交流戦。
ストーリーとしては色々葛藤がありつつも、様々な人物の想いが交差し合う回となりました。
あまり動きはありませんでしたけどね←
あと、何気にあのキャラクターが初登場しました。
まぁ大方察していらっしゃるでしょうが……
それと、今月でこの作品1周年みたいです。
だからなんだって話ですが←
それでは今回はここまで!
また次回お会いしましょう!
皆様、良いお年を!