ソードアート・オンライン 儚き虚夢のラスベリー 作:神矢レイラ
今年初の投稿は外伝として、作中登場したとあるキャラクターを主役にした回をお送りします。
普段とはまた違ったSAO'Lをどうかお楽しみくださいませ
※当然のように自己解釈・独自設定がございます。
予めご理解ください。
第0話『誕生=怨恨の悪魔』
無味無臭のガムを無心で噛み続けることほど、つまらないことはない。
何不自由なく生きてきた普通の人なら、そう表現するのだろう。
でも僕は、その味すら知らない。
個性の無くなったそれがどのような感触で、口の中をどれだけ侵食するのかさえ。
最後に美味しいものを食べたのはいつだったか、いやそもそも、それが食べ物だったのかすら覚えていない。
僕が――
四月十四日。
桜が咲き切って散り始める頃、僕は生まれたらしい。
というのも、最後に誕生日を祝ってもらったのが小学生となった前後であり、それ以来誰に言及されることも無くなったからだ。
何故、祝福が突然途絶えたのかと問われれば――
そう、在り来りな平穏の崩壊だ。
男がいて、女がいて、その二人の愛の結晶とも言える子どもがいる。
そんなどこの家庭にも有り触れた、極めて平凡な光景。
しかし世の中には、それすら享受出来ない者たちも一定数いる。
幼くして母を失った僕もまた、その一人だ。
当たり前のことだが、父は僕よりも母との付き合いが長い。
そんな彼が、突然愛する人を失ってしまえばどうなるか。
答えは簡単、暴走だ。
奴はあろうことか、その矛先を僕に向けてきたのだ。
一介の草食動物が百獣の王に襲われるのと同様、小さな身体が壊されるのはあまりに容易かった。
こんなことをされるために僕は生まれてきたのかと、当時は言えなかった。
仮に言葉が浮かんだとしても、父親の真っ赤な顔に萎縮していたことだろう。
たったの六歳にして全身重傷。
当然、学校にはろくに通えなかった。
おかげで入学とともに出来た友だちとの縁は時計が回る度に薄れ、話し相手になってくれるのは病院の人たちのみになってしまった。
父親――いや、あんな獣とのやりとりはもはや会話などではないだろう。
僕が何か言えば拳が飛び、空腹に苛まれれば足を入れられ、物欲しそうに視線を向ければ殺意が返ってくる。
家族の居場所であるはずの我が家は、すでに僕の安らげる空間ではなくなっていたのだ。
首輪のない怪物をどうにかしなければ、僕は確実に死んでしまうだろう。
しかし、それは出来ないと本能的に判っていた。
例えこの世のすべてが認めずとも、奴は間違いなく僕の父親。
母を亡くした自分にとって、唯一の肉親。
それを檻の中に放り込めば、寄生するしかない子どもは拠り所を失う。
この時『施設』などという概念を知らなかった僕にとって、奴の存在は皮肉にも最後の生命線だったのだ。
その後僕はなんとか登校を再開出来たのだが、すでに僕の友だちは人間ではなく、全身を覆う傷に入れ替わっていた。
先生たちは形式上声をかけてくれるが、子どもたちは一切寄り付きもしない。
そう、僕は孤独になった。
でも独りぼっちになったからこそ、他人のことがよく見えた。
その中でも特に僕の目に留まったのが、ごく普通の幸せを謳歌する子どもたち。
傷もなく、自由を失ってもいない。
楽しそうに笑う少年たちに嫉妬し、憧れた。
誰かに愛されて、求められて。
そういった感情を向けられる姿に、何度も自分自身を投影した。
そうしていくうちに、僕は一つ理解したことがある。
有象無象に成り下がらない、周囲よりも優れた一部の特別な人間は、誰からも愛されるのだと。
優秀であればたったそれだけで羨望の目を向けられ、本人がそれを願わずとも、あらゆる幸福が勝手にやって来る。
『もし僕が優秀なら、またお父さんに愛してもらえるのかな』
そう思わずにはいられなかった。
だが僕は無力な子どもだった。
特に成績が良いワケでもなければ、運動神経など下から数えたほうが早い程度の、何も無い存在。
そんな僕が無償の愛なんて高尚なもの、受け取れるはずがなかった。
ヤツからの暴力、病院、年に数えるぐらいしか通えなかった学校。
結局僕は孤独なまま、十二歳を終えるのだった。
そう、あれは確か二千二十二年の春だった。
「ねぇ蒼銀君、ちょっと良いかな?」
その声が落ちてきたのは、一つ歳を重ねて少し経った頃だった。
僕のことを呼んだのは、勝ち気な目をした黒髪の女の子。
他者との関わりが皆無な僕でも、コイツのことは知っていた。
剣道部に入って早々上級生たちの追随を一切許さず、教員たちも一目置く新入生。
名前はそう、直葉。桐ヶ谷直葉だ。
同じクラスなのは知っていたが、こちらの名前を覚えてくれているとは思っていなかった。
入学してすぐに行われた点呼や、全生徒がやらされたであろう自己紹介の内容をわざわざ記憶してくれたのだろうか。
「……何」
数秒の間を置いてようやく返したのは、我ながら愛想のない声。
そもそも感情なんてものもないんだ、こういう風にしかならない。
向こうからすれば不機嫌なようにしか映らないだろう。
それでもこの女は一切物怖じせず、優しく笑いかけてくる。
「えっと……珍しい苗字だなぁって思って。
蒼銀なんて人、初めて会ったから。
それで話しかけてみたの」
それっぽく言っているようだが、僅かに言い淀んでいた。
多分口にしたのは後付けで、本当の理由は別にあるんだろう。
けど、そんなことはどうでもいい。
背景はどうであれコイツは、今まで腫れ物扱いされてきた僕に声をかけてきた。
そんなヤツ、小学生の時はいなかった。
だからこの女と、会話をしてみたくなった。
「……アンタも、珍しい」
「ぇ?」
熱の籠もらないか細い声。
それが相当意外だったのだろう。
僕の前にいる女は虚を突かれて目を丸くする。
「桐ヶ谷、でしょ?
アンタも大概レアだよ。
……まぁ、僕ほどじゃないけどね」
今までろくに対話をしてこなかった僕にとって、それだけでもかなりの長文だった。
何故か胸のあたりがうるさい、落ち着かない。
元々目を向けてすらいなかったが、目の前にいるコイツの顔を見ることも出来ない。
「あたしの名前、覚えててくれたんだ。
ねぇ、よかったら君のこと『刀弥君』って呼んでもいいかな?」
「……」
刀弥。そうだ、僕の名前だ。
長い間ずっと、怪物にすら呼ばれてこなかった、僕自身を示す記号。
本来両親から愛情の証として授けられたはずの、頭の中から出て行こうとしていたもの。
それを口に出されて、耳に届いた時、僕はようやく彼女の顔を見た。
その微笑みはどこか、朧気な思い出の中に生きる母と重なった。
「……勝手にすれば」
それが僕と桐ヶ谷の、初めての会話だった。
世間が『友だち』と呼ぶその関係になったのは、コイツが『強い存在』だからに他ならない。
僕にとっての強さとは、誰にも負けない優秀さを持っているということ。
誰の目から見てもその一人である桐ヶ谷は、間違いなく羨望と嫉妬の対象。
近くにいることで学べるものがあると、そう踏んだのだ。
第一、僕は怪物の子だ。
そんなヤツに話しかけてくる者など、腹の中に何かを潜ませたクズかただのバカしかいない。
ならいっそのこと利用してやろうというのが、僕の考えである。
そうとは知らずこの女は、僕のことを人間として扱ってくれた。
制服の中に潜んでいた傷を目にすれば心配し、授業で他者と組む必要があれば毎回のように声をかけ、昼食を共にする機会も多かった。
その間桐ヶ谷は周囲から訝しげな視線を向けられていたが、まるで意に介さない。
自分が何をしているのか判っていないのか、それとも理解した上での愚行か。
少なくとも読み取れたのは、コイツに悪意が無いということのみ。
結局何が目的かは判らなかった。
普通を知らない僕にとって形容し難い日常が梅雨時まで続けば、相応に変化が生じてくるものだ。
教室の席で肘をついて退屈そうにしていると、決まってアイツがやって来る。
強さを得るためには何が必要かを探ろうとしている僕にとって、その習慣は最初鬱陶しかった。
だがこの頃になってくると、灰色のページを捲る毎日の密かな楽しみになっていた。
まだ自分から声をかけたことは無いが、彼女と話せるだけで心に虹がかかるようで、その間は時間の流れを止めたいとさえ思った。
いや、それ以上に僕は求め始めていたのかもしれない。
桐ヶ谷の笑顔、声、細やかな仕草、いつも向けてくれるものからそうでないものまで、すべての感情。
そのすべてを知りたいと、無意識に願っていたのかもしれない。
でも僕は彼女とは違う。
何も持たない、何者でもない。
それどころか、人間の心すら持っていない。
そんなヤツにどうして、遥か雲の上にいる女神が手を差し伸べてくれるというのか。
自分の弱さと無力さを知っている僕は、『その先』を求めないことにした。
その矢先に直面したのが、僕とはまた別の変化だった。
「……桐ヶ谷、来ない」
血の通わない化け物からの暴力に耐えながら、僕はなんとか週に三回は学校に通っていた。
その時には決まっていつもアイツは来てくれたのに、この日に限ってはそれが無かった。
時計の針はまだ半分には遠く、空も青く澄んでいる。
僕のほうが早く教室に来てしまったのかもしれないと思ったが、いつもこの時間には必ずいるのでそれはない。
そもそもアイツは剣道部で、朝練があるんだ。
遅刻なんてしようものならどうなるか、本人が一番判っているだろう。
「……ねぇ」
僕はその時、初めて桐ヶ谷以外のクラスメイトに声をかけた。
どうしてもアイツのことが気になって、手がかりを得ようとしたからだ。
その対象となったのは、眼鏡をかけた地味な印象の男子。
名前は――覚えてない。
「桐ヶ谷、知らない?」
「えっ……いや、見てないけど。
まだ部の方にいるんじゃないかな」
やたら挙動不審気味に放たれた言葉を頭の中に反芻させながら、僕は勢い任せに席を立つ。
普段自分から声を発しない僕がクラスメイトに話しかけたのが相当珍しかったのか、教室は早朝だと言うのにざわついている。
が、そんなことどうでもいい。
なんの部活にも入っていない僕が通るのは、校門から教室までの道程のみ。
だが校舎の構造自体は頭に入れていたこともあり、迷わず歩を進めることが出来た。
「だぁかぁらぁ、その態度が気に食わないってェのよ!」
しかしその足は、突如響いた怒声に止められる。
同時に聞こえてきた壁を打つ音に嫌な予感を覚えた僕は、らしくもなく走り出していた。
回り階段近くの隅。
影のみが支配する薄暗い場所に、桐ヶ谷はいた。
彼女を取り囲む女生徒たちのオマケ付きだが。
身なりからして、同じ部の先輩だろうか。
「こっち来たばっかの癖に私らより目立って、挙げ句に先輩に色目使っちゃってさぁ。
調子乗ってンじゃないよ」
「それにウチ知ってんだァ、こいつクラスメイトの陰キャにも良い顔してんの!
実力だけの地味女が生意気なんだよ」
なんだ、これは。
醜悪という言葉に失礼なほど穢れきった罵倒に、絶句するしかなかった。
直接その現場を見ていたワケではないからなんとも言えないが、奴らの歪みきった顔を見るに全部言いがかりだろう。
それと左側の女は僕のことを言ったのか。
カースト上位の者たちから見れば、確かに僕は『陰キャ』と呼ばれる括りに入るのだろう。
別に否定はしないが、その陰キャにとって声をかけてくれる人がどんな存在か、コイツらはまるで判っていない。
それ以上に桐ヶ谷という人間を何も理解していない。
見れば右側のメスは竹刀を持っている。
なるほど、さっきの音はそれか。
幸い桐ヶ谷に外傷は無いようだが、それは奴らも同じ。
アイツの性格上、抵抗出来なかったのだろう。
でもそれじゃあ、アンタが痛い目見るのは時間の問題なんだよ。
「おい」
そう思った時には、すでに飛び出していた。
これまで空っぽだと思っていた声に怒気が籠もり、自分でも少し驚く。
「誰かと思ったら、噂の陰キャクン!
なになに、まさか王子様気取りって感じィ?」
「……刀弥君」
女どもが嘲笑っているようだが、生憎と聞こえない。
今僕に見えているのは、潤んだ瞳で何かを訴えてくる桐ヶ谷だけだ。
「何か言ったらどうだよ後輩、それとも私ら怖くて声も出ねぇか?」
これほど綺麗なブーメランが他にあるだろうか。
一番調子に乗っているのはコイツらだ。
相手が何も言わないのを良いことに、自分たちの都合の良いように解釈しやがる。
けど僕は、その幻想をぶち壊す方法を知っているんだ。
「別に……
あまりにも知能が低い言葉ばっかりで、呆れてものも言えなかったんですよ。
ねぇ、せ・ん・ぱ・い」
自分こそが有利だと思い込んでいる奴らに対し、真っ向から刃物を突き刺してやる。
これが最も有効かつ、人の神経を逆撫でする剣。
僕はそれを、最大限の皮肉たっぷりに言ってやった。
「テメェ……痛い目に遭わなきゃ判らねぇか」
「殺してやるよ」
奴らは竹刀を振り被り、僕に襲いかかってくる。
おいおい、どうなっているんだこの学校の剣道部は。
まさかこんな奴らばかりじゃないよな。
そうではないなら、今までよく猫を被ってきたものだ。
剣道のことなど微塵も知らないし、特別興味があるワケでもない。
誰の目から見ても素人である僕だが、これだけは判る。
「シッ……!」
「なぁっ!?」
感情任せの暴力を日頃から受けている僕からすれば、その軌道は車椅子よりも遅い。
三人が順番に斬りかかって来るが、そのすべてを皮一枚で躱してみせる。
「それちょっと貸して」
「うっ……!?」
奴らが虚を突かれている隙に、一番背の低い――と言っても僕よりは高い――女子から竹刀を掠め取る。
その遠心力を利用し、長物の先端が持ち主の頭部に直撃。
電池が切れたように、ソイツは崩れ落ちた。
「な、テメェ……何してくれんだ!?」
お仲間が何かほざいているようだが、僕はそれよりも手元の竹刀が気になった。
というのも、振るった直後にようやくその重みを認識したのだ。
想像の二倍はズッシリとしていて、片手のみではとても支え切れない。
だから僕は能面を貼り付けたまま、両手でそれを握る。
「素人が……ふざけんじゃねェぞ!」
「っ、刀弥君逃げてぇ!!」
桐ヶ谷の泣きそうな叫びを背に浴び、二人の女生徒が怒りのままに走る。
恐らく僕が剣道の真似事をしたことが、相当頭に来たのだろう。
なんとも無様なものだ。
自分たちの素行を棚に上げ、他人には横柄な態度を取る。
少なくともこの場においては、僕のほうが剣道部らしいと言えるかもしれない。
「ぐぁっ……!」
「刀弥君ッ……!」
バツ印を描くようにして落ちてくる二つの竹刀が、吸い寄せられるようにして僕の両肩を叩く。
腐っているとはいえ剣道部、その一撃は人身を砕きかねない。
「……捉えた」
でも、だったらどうした。
僕は痛みには慣れてる、身体はまったく悲鳴を上げない。
ただ奴らをバカにしたくて、薄ら笑いを浮かべてみせた。
女どもがそれに恐怖している一瞬の隙に、僕は奴らの腹を横一文字に切り裂く。
「ぎゃあああ!!」
「いてぇええ!!」
情けない叫び声を上げながら、奴らの身体は地面に放り出される。
まだ意識があるな、ならもう少し教えてやろうか。
そう思い立ち、もう一度両手に得物を構えた時だった。
「止めてっ!!」
桐ヶ谷だ。
どうしてか彼女は、自分に嫌がらせをしていた奴らを守るようにして立ち塞がっている。
「これ以上は止めて刀弥君!
もう、もう大丈夫だから……だからっ」
表情をぐちゃぐちゃにして必死に訴える彼女の言葉に、僕の中に燃えていた何かが静かに受けていく。
手中から竹刀が転がり落ち、力の抜けた身体が倒れかける。
それを桐ヶ谷が受け止めた。
抱き締められたことで初めて気づいたことだが、僕たちの体格にそこまで差は無かった。
「ありがとう、助けてくれて」
なんでもないはずのその言葉を聞いた途端、僕の中に何かが芽生えたような気がした。
それまで無いと思っていたはずの、人の心だ。
ほどなくして、騒ぎを聞きつけた先生たちが駆けつけてきた。
地獄と見紛うような惨状を目にした大人たちは、当然僕に視線を飛ばす。
誰の目から見ても判る傷害事件。
必死に庇ってくれる桐ヶ谷に罪悪感を覚えながらも、あくまで冷酷な狂人を演じた。
そのほうが後腐れが無いと思ったから。
彼らも大事にしたくはなかったのか、指導室で過ごした時間は想像よりも短かった。
だが教師たちの思惑とは裏腹に、この件が生徒たちに広まるのはあまりに早すぎた。
おかげで僕は入学して僅か二ヶ月ちょっとで問題児扱い。
元々声をかけて来るヤツは桐ヶ谷以外いなかったが、それに加えて畏怖の目を向けられるようになった。
全身の傷跡や鋭く釣り上がったナイフのような瞳が、より一層僕を危険人物に見せているのだろう。
幸いあの女たちが軽傷で済んだとはいえ、人を殺しかけたのは事実だし、わざわざ否定はしない。
寧ろ少年院送りにならなかった事実に、内心困惑している。
ともかくこれで、この学校に僕の居場所は完全に無くなった。
どこにいても何をしても、周囲にいるのは怯えたモブか敵意を向けるヤツだけ。
「おはよ、刀弥君」
だと言うのに、それでもこの女は変わらず接してくる。
いや寧ろ、前よりも明らかに距離が近くなっている。
元々有効的だった声色も、一段と明るい。
「ちょ、ちょっと桐ヶ谷さん危ないよ!
だってその人、例の……」
昨日の朝話しかけた眼鏡のヤツが、狼狽えた様子で割って入ってくる。
見れば周りにいるクラスメイトも、同じような顔をしていた。
そりゃそうだ。
中学一年にして問題児である危険人物に、笑顔で話しかけに行くヤツがいるのだから。
端から見れば自殺行為も同然だ。
ヒソヒソ声で何かを言いながら、野次馬たちは汚いものを見るような目を向け続ける。
だが桐ヶ谷はそれに対し、驚愕の行動に出た。
「この人は、刀弥君は何も悪いことはしてない!
確かに方法を間違えちゃったかもしれないけど、あたしを助けてくれたの!
凄く、凄く良い人なの!!
だから、お願い……そんな目で見ないであげて」
決して信じろとは言わない。
桐ヶ谷は一頻り叫んだあと、震える声で懇願した。
その様子を見届けた奴らは、何も言わなくなった。
ほとんどの生徒が視線を逸らし、教室が静寂に包まれる。
音が無くなった世界で、僕の瞳はずっと彼女の姿を映していた。
「……刀弥君」
秒針のような速度で表情を変えた桐ヶ谷が、柔らかな声色で名前を呼ぶ。
「お昼、時間もらえる?」
黙りを決め込んだその空間の中で、彼女の言葉はよく通った。
学校で最も空に近い場所は、文字通り屋上しかないだろう。
昔から生徒たちの溜まり場になる機会が多い場所ではあるが、そのほとんどは立ち入りを禁止されている。
理由は様々だが、一番判りやすいのは事故防止のためだ。
転落や投身自殺。
特にイジメが従来よりも問題視されている昨今では、後者を恐れている学校が圧倒的に多い。
だからこそ目立つように、『立入禁止』の文字を置いておく。
にも関わらず足を踏み入れるヤツは、周囲から不良のレッテルを貼られることになる。
そう、今の僕たちのことだ。
「その……
昨日はありがとね、助けてくれて」
少しだけ歯切れ悪く、桐ヶ谷がそう言った。
屋上に二人きりで、かつ罪悪感を宿した瞳を向けられるというシチュエーションのせいで、逆にこっちが申し訳なくなって来る。
「……少し前からね、あんな風に嫌がらせされるようになったの。
最初は軽いものだったんだけど、日に日にエスカレートしていって。
刀弥君がいなかったら、どうなってたか」
僕の言葉を待たずして、桐ヶ谷は辛そうに続ける。
コイツのことだ、きっと理由が判らずとも謝罪していたのだろう。
尤もしたところで、相手は一報的な嫉妬を向けて来る身勝手な女。
火に油を注ぐ結果にしかならないのは言うまでもない。
「……いつも寄ってくる物好きがいつまでも来なかったから、気になっただけだ。
別に礼なんて要らない」
本心とは真逆に、温度のない皮肉をぶつけてしまう自分が憎らしい。
感情が表に出にくいことでその苦渋を悟られないのは、果たして幸か不幸か。
そんな僕の素直じゃない言葉に対し、彼女は真っ向から切り込んでくる。
「ううん、そういうワケにはいかないよ。
あたしのために刀弥君が危ない人みたいに扱われて、どこにも居場所が無いなんて認められない。
せめて、何かお礼をさせて」
「要らないって言ってるだろ」
「お願い、あたしに出来ることならなんでもするから!」
周囲の目が無いのを良いことに、あろうことかこの女は躊躇いなく頭を下げてきた。
お手本のようなその姿勢には彼女の気持ちが100%表れていて、もはや迫力さえ感じる。
それに気圧されたせいなのか、気がついた時には僕の口は動いていた。
「……じゃあ、一つ聞かせろ。
四月のあの日、なんで僕に近付いた」
「ぇ?」
こぼれ落ちるようにして桐ヶ谷が発した素っ頓狂な声。
そこまで意外だったのかと内心驚く。
だが僕の死んだ表情筋はその気持ちを読み取らず、淡々と続きを吐き出す。
「あの時は珍しい苗字だから、なんて言っていたけど。
アレは即興で考えた後付けだろ?」
「……うん」
肯定か。
僅かだが眉が沈んだあたり、このことでも申し訳なく思っているというのか。
「今日までアンタと接してきたが、何もやましいところは無かった。
寧ろ本心から僕に笑顔を見せてくれたようにも思う。
……まぁ、僕の自意識過剰じゃ無ければだけどね」
「ううん、合ってるよ」
そこでようやく、桐ヶ谷の声色が聞き慣れたものに戻った。
「そっかぁ、判ってたんだね。
まぁ在り来りだったし、結構無理があるよね」
「僕に声をかけて来るヤツなんて、形式上必要な教師たちだけだ。
そんなちっぽけな理由で話しかけて来るなんてあり得ない、そう断言してもいい。
……教えてよ、本当の理由を」
自分が表現出来る限りの想いを質問に乗せ、桐ヶ谷にぶつける。
しばらく無言が続いたが、この距離で聞こえていないということは無い。
それだけ言いづらいことなのだろうか。
それが一分だったのか、十分だったのかは判らない。
ようやく顔を上げた桐ヶ谷は、それまで続いた沈黙を破った。
「……笑わないで、聞いてくれる?」
罪悪感か、照れくささか。
色々なものが混ざって複雑なその問いに、僕は小さく首肯する。
「……あなたが、お兄ちゃんに似てたから」
ようやく正体を表した衝撃の真実に、僕は思わず絶句した。
巨大な槍で胸を貫かれたような感覚が抜けないまま、彼女は話を継続する。
「剣道を始めたのは、お兄ちゃんがきっかけ。
小さい頃からずっと一緒にやっていたけど、いつの間にかあたしだけになってて……
気がついた時には疎遠になってたの」
「……その兄貴と、僕が?」
「どこか遠いところを見ているっていうか、人との接し方に疑問を持ってるって言えば良いのかな。
あなたのことを見ていたら、放っておけなくなって」
僕は桐ヶ谷の兄貴がどんなヤツか知らないし、興味もない。
だがコイツが言うには、どことなく雰囲気が似ているようだ。
それだけ。
本当にたったそれだけだ。
だと言うのにその一点のみで、僕のことを一切恐れずに寄り添って来たというのか。
僕は、なんとも言えない気持ちになった。
「……やっぱり、おかしいよね。
ごめん、急にこんなこと」
「いや、言えって言ったのは僕だ。
何も、何も文句は無い。
……言う権利も無い」
疎遠になった兄貴の姿を僕に重ねて、放っておけなくなった。
このことから察するに桐ヶ谷は、彼との関係を後悔しているのだろう。
どうにかまた仲良くしたくて、でもその方法が不明瞭で。
心の不安を埋めたくて、僕という代替品を見つけた。
そう解釈する僕は他人から見れば捻くれているだろうか。
だが背景はどうであれ、コイツの存在は紛れもなく白紙だった日記に絵の具をぶちまけた。
それを嬉しく思う部分を隠しきれなかったのだろう、僕はいつの間にか語り出していた。
「……初めてだよ、アンタみたいなヤツ」
「刀弥君……?」
「僕の味方は、この世にはいない。
ずっと全員敵だと思っていた。
そう思わざるを得ないような人生を、ずっと歩いてきたんだよ」
そこで僕は初めて、今まで誰にも話したことのない内容を話した。
大好きだった母が死んで、父が獣と化したこと。
心無い暴力と病院の往復で、友だちがまったく出来なかったこと。
他の子どもたちと違って個性も無く、親からの愛情も知らないこと。
常に孤独とともにあった物語をすべて話し終えた時、桐ヶ谷は目尻を潤ませていた。
「そんなの、酷いよ……
あんまりだよ」
「なんでアンタが泣くんだ、赤の他人のことだろ」
「他人なんかじゃないよ!
刀弥君はあたしにとって……」
そこまで言って、桐ヶ谷はハッとなる。
目の前にいる少女はどうして顔をリンゴみたいに真っ赤にしているのか。
必死に首をブンブン振って、とっさに僕の両手を掴んできた。
「刀弥君、もう大丈夫だからね!
これからはあたしが傍にいるから!」
そして、こんなことを言ってきた。
頬を染めた状態のまま、勢い任せに。
これにはさすがに面食らったが、僕はなんとかポーカーフェイスを維持してみせる。
「……僕が、兄貴に似てるからか?」
「最初はそうだったけど、今は違うよ。
一人の人間として、あなたを見てる」
よくもまぁ、そんなクサいセリフを面と向かって言えるもんだ。
そう皮肉をぶつけてやろうかと思ったが、見れば桐ヶ谷の表情は酷く緊張していた。
彼女の性格からして嘘ではないのだろうが、ここまで声が震えていては格好もつかない。
付き合いはまだ短いが、まさかこんな一面を見られるとは思わなかった。
だがコイツの言っていることは、自らの立場を不利にするものだ。
そのことをハッキリと自覚させてやらなきゃならない。
「……僕と関わる以上、アンタも白い目を向けられることになる。
後ろ指を差されて生きるっていうのは、普通の人間には……」
「全然気にしないよ。
それに刀弥君の傍にいれば、また先輩たちが寄ってくることは無いだろうし。
みんなからすれば、危険な人だからね」
その発言は最大限の皮肉なようで、桐ヶ谷にとって大きなメリットの一つ。
しかし背中合わせのデメリットがあまりにも大きい。
「アンタ、判ってるのか?
これから仲良く出来たはずの奴らも含めて、友だちなんて一人残らずいなくなる。
将来のことだって、どうなるか判ったもんじゃない……!
不良とつるむっていうのはそういうことなんだよ!!」
自分でも信じられないくらい声が荒くなっている。
理由は多分、桐ヶ谷のことを心配しているから。
高々二ヶ月ちょっとの付き合いでここまで絆されてしまったと言うのか。
こんなに感情を表に出せたのは赤ん坊の頃以来だろうか。
空気を切り裂かんばかりの怒声を受けてなお、この女は意志を曲げなかった。
「……教室でも、言ったよね。
刀弥君は、何も悪いことはしてないって」
いつの間にか彼女の身体は震えることを止め、堂々と僕の前に立っていた。
真っ直ぐ澄んだ瞳は、濁りなく僕の姿を映している。
「だから大丈夫、君は不良なんかじゃない。
あたしが保証する。
何があっても隣にいるよ」
「ぁ……」
何も言えなかった。
それまで桐ヶ谷の未来を案じて、本気で怒っていたはずなのに。
感情など無いと思っていた僕の、心からの叫びだったはずなのに。
たった今放たれた言葉が、亡くなった母に言ってほしかったものだったせいで。
僕は、桐ヶ谷を拒絶する理由を失った。
「……なら、桐ヶ谷。
もう一つだけ聞いていいかな」
だからなのかな。
僕はふと、こんなことを吐き出した。
「アンタと話すようになってから、僕はおかしくなった。
他人と関わらないことが、当たり前だったのに……。
アンタとの会話が楽しくなっていって、また声を聞きたいなって思った。
また笑って欲しいって思って、また会いたいって何度も思った。
……桐ヶ谷のいない日常が、判んなくなった」
「刀弥君……」
一呼吸分間を置いて、じっとその瞳を見つめる。
ようやく正面から見ることの出来た黒色は、かすかに緑がかって見えた。
そこから煩くなってきた胸の音を掻き消すようにして、僕は覚悟を決める。
「これは……いったいなんなの?」
声が震えて、頬を何かが伝う。
その名前を知らない僕は、その感情の温もりだけを先に知ることとなった。
「……ふふっ、そっか」
今までに見てきた奴らとは明確に異なる、何よりも優しい微笑み。
また赤く染まったその頬はどこか嬉しそうで、彼女の表情をより綺麗なものにする。
「ねぇ、刀弥君。
どうせなら……付き合ってみる?」
「えっ?」
飛び出したのは我ながら少年らしい声。
桐ヶ谷の出した提案の意味が、一瞬判らなかった。
「気に入らなければ途中で辞めても良いからさ。
君のこと、あたしに支えさせて?」
「……!」
そっか、それが答えなんだ。
僕はこの女の子が、桐ヶ谷直葉が好きなんだ。
これこそが、ずっと僕が欲しいと願っている『愛』なんだ。
まさか、誰にも愛されていない僕がそれを向ける側になるとは思ってもみなかったが。
自分の気持ちを自覚して、彼女の優しさに触れて。
僕の顔は、自然と柔らかなものを作り出していた。
「……うん、僕で良ければ。
僕と――」
「――ちょちょちょ、ちょっと待ってぇー!!」
精一杯の気持ちを遮ったのは、なんとも情けない少年の声。
酷く慌てた様子で乱入してきたのは、今朝も割って入ってきた眼鏡の男子だった。
ソイツの姿を見て、当然桐ヶ谷は驚く。
「な、長田君!?」
あぁ、そうだった。
長田慎一だ。
今のでようやく記憶の奥底からコイツの名前が掘り起こされた。
そうとは知らず、その長田は顔を真っ赤にしているが。
「直葉ちゃん本気なの!?
その……ソイツと付き合うとかって!」
「ちょっと、声でかいよ。
というか馴れ馴れしいから」
桐ヶ谷の反応からするに、普段コイツはこんな呼び方をしないのだろう。
本人からすれば信じ難い光景を目の当たりして、思わず素が出てしまったといったところだろうか。
「それで、いつから聞いてたの?」
「えっと、そのですね……
最初からって言ったら、怒ります?」
「……つまり刀弥君がなんで悪者扱いされてるのか、判ってるってことよね?」
詰め寄るような桐ヶ谷の言葉に、長田はブンブンと首を振って肯定する。
おそらくだがコイツは僕と桐ヶ谷が屋上へ向かうところを目撃し、彼女の身を案じて追ってきたのだろう。
その理由は多分、僕と同じで桐ヶ谷に好意があるからだ。
それならば事情を知った上でも先ほどの言葉が出てきたのも納得がいく。
「ね、ねぇ蒼銀……
君は本当に、桐ヶ谷さんを助けるために?」
「……結果的に、だけどね。
運が悪ければ、僕自身どうなっていたか判らないよ。
そもそも、少年院行きになってないのが不思議なくらいだよ」
それだけ言うと、長田が意外そうな表情をしていることに気がついた。
どうしてかそれが癇に障った僕は、少しだけ声を低くして問う。
「なんだよ……」
「あ、いや……その、ごめん。
蒼銀がそんなに喋ってるところ、初めて見たから。
……うん、確かに悪い人じゃなさそうだね」
初めて長田が向けてくれた笑顔は、桐ヶ谷のものとはまた違った眩しさがあった。
ちなみにその本人は、彼の言葉にうんうんと頷いている。
「でもだからって、付き合うとかは認められないからね!
君が桐ヶ谷さんに相応しいかどうか、僕が――!」
「はいそこまで」
「あぶばッ!?」
何かを言おうとした長田が、桐ヶ谷の素早い手刀によって討たれる。
それも最近の漫画でも滅多に見ないであろう、独特の寄生を発しながら。
その一連の流れにドン引きすることになった僕は、くの字になって地面に這いつくばる長田に微妙な感情の籠もった視線を向けることしか出来なかった。
「他人がどう言うかは関係ない。
決めるのは君だよ、刀弥君」
「……じゃあ、改めて」
長田に申し訳無さを覚えながらも、僕は今一度心を決める。
しっかりと彼女のことを見据えて、視界から逃さないように。
「桐ヶ谷直葉。
僕は、アンタが好きだ。
僕に、恋っていうのを教えてほしい」
「……判ったよ、蒼銀刀弥君。
色々、たくさんのことを伝えていくから。
改めてよろしくね」
こうして僕と桐ヶ谷は、世間様の言う彼氏と彼女――
つまり、恋人同士となった。
所詮は中学生同士のオママゴトかもしれないが、当時の僕にとっては形容し難いほど大きな出来事だったのは言うまでもない。
それからは、あっという間に時間が過ぎて行ったように思う。
以降僕は桐ヶ谷や長田と行動をともにするようになり、勉強から遊びまでなんでも一緒にやった。
その甲斐あって、今までろくに勉強をする機会の無かった僕は数多くの知識を蓄えていくことになり、三人の中では夏休みの宿題を片付けるのが一番早かった。
それから少し経った頃に桐ヶ谷の家へ招待され、敷地内の東側にある道場で剣道を教わった。
さすが剣道部の新星なだけあって、僕の彼女は凄く丁寧に指導してくれた。
僕はその際桐ヶ谷の祖父が使っていたという防具を着せてもらったのだが、想像以上に重かったのを今でも覚えている。
以降も何度か道場にて竹刀を振るわせてもらったが、結局例の兄貴の姿を見ることは無かった。
桐ヶ谷が似ているというくらいだから、どんな人なのか確かめてみたかっただけに残念だった。
尤も、僕なんかが妹の交際相手だと知られたくない気持ちもあったので、内心ホッとしたのも事実だが。
それ以外にも、桐ヶ谷とは色んなところに出掛けたりした。
時には長田も一緒に、また別の機会には二人きりで。
もちろん全部楽しかったし、神様がかけてくれた魔法なんじゃないかと疑ったりした。
それほど眩しすぎたのだ。
でもね、光が強いほど同じだけ大きくなるのが影なんだ。
そもそも愛って言うのは、その人が強いから向けられるものだ。
僕が桐ヶ谷を好きになったのは、彼女が強い人間だからに他ならない。
もちろんそれだけではないことは判っている。
桐ヶ谷にも弱味はあるし、否定する気は無い。
だが彼女の持つチカラを羨ましく思っているのも事実だ。
だから僕は、強者である桐ヶ谷直葉が好きなんだ。
そのはずなんだ。
だからこんなにも辛くて、悔しいんだ。
そりゃそうだろう、だって僕は彼女のような強さを何も持っていないのだから。
なのに恋人として無償の愛を向けられ、対等な関係でいるなど耐えられるはずもなかった。
そもそも僕は、果たして本当に好意を向けてもらっていたのだろうか。
恋を、愛するとはどういうことか教えてほしいと頼んだのは確かに僕だ。
だがこんな気持ちになるくらいなら、付き合うんじゃなかった。
僕のような無価値な男には、彼女の存在はあまりに大きすぎる。
誰からも求められず、世の中を無駄遣いするだけ。
いなくても問題のない人間、犯罪者よりも救いようのない存在。
生まれる意味すら無く、同時に生きる価値も無い虚構。
僕の存在はきっと、桐ヶ谷にとって有害だ。
そんなこと、あの日から判りきっていたはずなのに。
なんで自分は、あの優しさに甘えてしまったんだ。
そんな僕の苦悩は日に日に大きくなる。
桐ヶ谷に会うのも億劫になっていって、彼女が遊びに来ても居留守を決め込む日々が続いた。
深い闇の中、唯一心が安らいだのが長田と過ごす時間だった。
コイツとは、いつの間にか仲良くなっていた。
長田は色んなゲームのことを教えてくれた。
それまでろくに機械に触れてこなかった僕にとって、どれも宝石みたいにキラキラしていた。
中でも僕の興味を引いたのは、ソードアート・オンラインというゲーム話だ。
曰く、完全なる仮想世界を構築するヘッドギア型のマシン『ナーヴギア』の性能を生かした世界初のVRMMORPGで、アインクラッドという浮遊城を舞台に、各階層にいるモンスターを倒して全100層の攻略を目指すというものらしい。
この頃まさにそのベータテストが行われているとのことで、抽選に落ちた長田自身相当やりたがっていた。
発売自体はもう少し先だそうだが、あまりの人気故に入手困難は確実だという。
それだけに、僕はその話を自分には無縁だろうと切り捨てた。
それはそうと、桐ヶ谷のことでこっ酷く叱られたが。
長田に喝を入れてもらったこともあり、僕は桐ヶ谷と再会。
でも、やはり心は曇っていく一方だった。
けど不安を吐き出すことも出来なくて、そのまま夏休みが終わってしまう。
中学生になってから初めての二学期は、最初のうちは学校に顔を出していた。
だが桐ヶ谷の顔を見る度に言い表せない感情が溢れ出そうになって、彼女を避けることが増えた。
酷い時には、一切会話しなかったことさえある。
でも、それで良いんだ。
僕なんかと一緒にいたら、桐ヶ谷はきっと駄目になる。
このまま、自然消滅を待つんだ。
そんな願いとは裏腹に、桐ヶ谷も長田もしつこく迫って来る。
差し伸べられる手に甘えてしまいそうな自分にムチを打ち、僕は遂に不登校の身となった。
携帯など持たされていないし、住所も一切教えていない。
知っているのは教師たちくらいだが、果たして表面上のことしか見ないあいつらが僕の居場所を吐くだろうか。
答えはノーだ。
だからあの二人は、絶対にここへはたどり着けない。
自宅に引き籠もるようになって、判ったことがある。
それは例の化け物、父親が見違えるほど大人しくなったということだ。
桐ヶ谷と付き合うことになって以来、奴が起き出すよりも早く家を出るようになった。
帰りも就寝後を狙っていたこともあり、その様子を知る機会は無かったのだ。
会話が無いのは相変わらずだが、アイツは不登校となった僕を責めるどころか、申し訳無さそうな目を向けて来る。
まさか、今さらこれまでのことを後悔しているとでも言うのか。
バカバカしい、そんなんで現状が変わるワケじゃないんだ。
でも、冷静に考えればおかしなこともある。
そもそも何故僕はこれまで学校に通い、問題なく食事にありつけていたのかということだ。
親の義務と言えばそれまでだが、奴の暴走っぷりを思えばろくな手続きをしてくれるとは思えない。
難しいことはよく判らないが、奴が学校側と取り合わなければ本来あり得ないのが、これまでの状況だ。
その答えは、ある日突然突きつけられることになる。
父が逮捕された。
仕事中に起きたほんのアクシデントにより不祥事を起こし、アッサリと連行されていったのだ。
結局最後まで会話をすることは無かったが、どうしてか心にポッカリと穴が空いたような感覚に陥った。
これから施設の人間たちが僕を引き取りに来る。
そう自宅の電話越しに告げられた直後、何かに導かれるようにして家内を漁った。
その時見つけた大きな箱の中を覗くと、少し前に長田から聞いた話の内容がすべて詰まっていた。
ナーヴギアと、ソードアート・オンラインのソフトだ。
同封されていた紙には僕の名前が刻まれている。
父さんだ。
こんな高価なもの、僕如きでは手に入れられるはずもない。
ならば奴が買ったか、盗んだかのどちらかだろう。
どうしてこれがこんなところにあるのか、何故僕の名前があるのかは判らない。
だが、それは間違いなく天啓だった。
もう施設に連れて行かれるしか未来のなかった僕にとって、唯一の逃げ道に他ならないのだから。
しかもなんの因果か、その日がまさに話に聞いたサービス開始予定日。
時計の針も、すでにその時刻を差していた。
ならばもう、やることは一つしか無いだろう。
「……ふ、フフフ。
あっ……は、はは、は、ハハハ」
この時にはもう、僕の中の何かが壊れていたんだと思う。
自室で一通り準備を済ませた後、頭をすっぽりと覆ってから横になる。
あとはマニュアル通り、合言葉を言うだけだ。
「リンク・スタート」
あまりに狂気的な声が、僕の意識を夢世界へと誘う。
Lagrath。
開始早々、僕は自身のアバターにラグラスと名前を付けた。
理由は特にない、ただ教科書で見たことのあるちょうど良さそうなものを引用しただけだ。
視界いっぱいに広がるのは、どんな本やゲームでも見たことのないような光景。
そのすべてを表現する術を持たない僕からすれば、それ自体が夢の中みたいだった。
そのまま僕は童心のままに街を駆け抜け、緑一色の大地に足を踏み入れた。
直後に出迎えてきたのは、動物園でも見ないような青い獣。
「……相手してもらうよ。
これでも剣技は少し出来る方なんだ。
こっちでも通用するか、試させてもらう!」
無邪気さと狂気の入り混じった笑みを浮かべたまま、僕は剣を大きく振り被った。
雷のように落ちたその刃は容赦なくモンスターを切断し、頭上に展開されたHPバーを減らしていく。
間髪入れず攻撃を繰り返し、あっという間に奴の命脈は途絶えた。
だがそれで終わりじゃない。
今の騒ぎを聞きつけたのか、同じ姿をしたモンスターが数体集まっていた。
「そう言えば、ソードスキルってのがあったっけ?」
でも、だったらどうした。
今度はそいつらを、この世界特有の必殺技の練習台にしてやる。
リアルでは身体能力に恵まれない僕だが、こちらではある程度システムがカバーしてくれる。
それに、桐ヶ谷から教えてもらった剣道だってある。
僕にとっては皮肉でしかないが、戦う術になってくれるのなら使わない理由はない。
あっという間に蹂躙された骸たちはポリゴンとなって散っていき、僕の経験値になった。
文字通りの意味で。
「ぁ……!」
そう、レベルだ。
初めて僕のレベルが上がった。
各種ステータスに振り分けられるポイントが与えられ、自由に自分を強化することが出来る。
ゲームであれば当然のことだが、そんな当たり前のことが僕にとっては嬉しかった。
「そうか……これだ」
身体中が高揚で震え、形容し難い喜びが思考を満たす。
「そうだよ、ここでなら僕だって強くなれる。
誰よりもレベルを上げて、誰よりも早く強力なモンスターを倒して!
……最強になれば、愛してもらえるじゃないか」
桐ヶ谷の時は、僕が弱かったから引き下がるしか無かった。
無償の愛なんてあるはずもない、まして世界のガンである存在が与えられるはずもない。
強くなる手段すらも知らなかった、だから諦めるしか無かった。
だがこの世界ならどうだ、こんな僕でも強くなれる。
モンスターを倒す限り、強力な武器や防具を手に入れ続ける限り、無限に強くなることが出来る。
愛って言うのは、その人が強いから向けられるものだ。
ならこの世界で一番強いプレイヤーになれば、それが叶う。
もう僕は、このゲームに取り憑かれていた。
「デスゲーム?
ログアウト不可?
だったらどうした。
この世界は僕の望みを叶えてくれる……
強さのためならば、僕は何者にでもなろう!
天使にも、悪魔にもだ!
最強の存在こそが愛されるんだ、誰にも負けない僕なら桐ヶ谷は愛してくれた!
……もう後悔はしない。
茅場晶彦、教えてやるよ。
最強は、このラグラスだ」
終着点はアインクラッドの第百層。
良いじゃないか、ならそれまで思う存分暴れてやる。
すべてのプレイヤーがラグラスの名前を知り、恐れ、崇めるようになる。
その願望を抱き、僕は蒼銀刀弥であることを捨てた。
僕の名前はラグラス。
アインクラッドで一番強いプレイヤーとなることを目指す、片手剣使いのソロプレイヤーだ。
To be continued.
あとがき
どうも皆様、神矢レイラです。
儚き虚夢のラスベリーの知られざる物語、蒼銀刀弥/ラグラス伝説を最後まで読んでくださり、誠にありがとうございます。
本編でもちょいちょい登場こそしていた彼ですが、ぶっちゃけどんなキャラか掴みかねている方がほとんどだと思います。
そこで今回、ラグラスのことをより深く知ってもらうべくこのようなお話を今年初の投稿として作らせていただきました。
こう言うことをこのタイミングでするということは、つまり本編でもそろそろということです(微ネタバレ)
ある意味で主人公の一人でもあるラグラスが今後どのような活躍を見せるのか、果たしてまた過去が明かされる日は来るのか、どうかお楽しみに。
それでは今回はここまで!
お次は本編でお会いしましょう!
初めてのラスベリー以外が主人公のお話、ぶっちゃけどうだった?
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どちゃくそダークすぎひん???
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まさか直葉が出てくるとは
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続きは、続きはどうなるんですか!?
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初見じゃあ蒼銀は読めん
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とうやぁぁぁぁあああ