ソードアート・オンライン 儚き虚夢のラスベリー 作:神矢レイラ
そうでない方はお久しぶりです。
神矢レイラです。
今回から、ソードアート・オンラインの二次創作小説を書かせていただきます。
何分初めての試みなので原作との相違などがあるかもしれませんが、どうかご容赦くださいませ(汗)
なお、今回だいぶ長いですが、恐らく次回以降は短くなると思います。
それでは、リンク・スタート!
第1話『覚醒=二人の閃光/00』
お前の現実に存在する人物・思想・事象とは無関係……
すぐにでも取り掛かりたいと思う。
>……頼む
従順な有象無象こそが讃えられる歪んだ牢獄……
もはや居場所はない。
俺たちの世界を見つける必要がある。
ともに新たな居場所へ――!
上擦った少年のような声が、ずっと脳裏に小さく響いている。
一つ一つの意味は判らなかったが、不思議と頭の中に残り続ける言葉の数々。
いつ聞いたのかは思い出せないが、そう遠くない気もする。
気を抜けば今にも鼓膜を打ちそうな、その音を掻き消すようにして右手を振り下ろす。
瞬間、針のように鋭く細い一振りの刃が光とともに現れる。
直後その男は灰色混じりの漆黒の衣服をたなびかせ、‘飛んだ’。
曲刀とバックラーを携えた竜人族、厳つい鎧を装備した骸骨の騎士、そして狼のような姿をした巨大な獣。
それらの魔物たちは、次々に出現する直線状の光に貫かれて塵と化してしまった。
彼らが存在した場所から10メートルほどはあろう場所に漆黒色のコートをまとった男が着地し、手にしていた剣が放っていた光が徐々に弱っていく。
先程放たれたのは単なる光ではない。
すべてがこの男の振るう戦技、その軌跡なのだ。
たった一突きのみで、一切例外なく。
背後で魔物たちがガラスが砕け散るようにして完全に消滅したことを確認すると、男は前に向き直りその得物を腰に収める。
この間一切息を切らすことはなく、それどころか散り様を鼻で笑う余裕さえ見せる彼は赤みがかった黒髪を搔き上げる。
一方その瞳は、正面に広がる異質な光景を見つめていた。
迷いなくその先へ進む男の目に映ったのは、仄暗く無機質な空間がどこまでも広がる様だった。
外にいたような魔物も一切見当たらず、ただこの場所に吹く風の音が不気味に響くのみ。
このような異様を目の当たりにするのは彼自身初めてで、身の震えを覚えてしまうほどの気味悪さを感じていた。
果たしてそれがこの場所がもたらす恐怖感によるものか、それとも何かが起こることを恐れているのか。
理由の見えない不気味さを気にするでもなく、男は静かに歩を進め始める。
変わり映えのしない景色を散策すること数分。
向かい側から黒衣を身にまとった黒髪の少年が姿を現したことで、その足は止まった。
「よぅ、お前も来たのか」
「そっちこそ、相変わらず早ぇな。
一番乗りだって思ったのに、もう迷宮区に辿り着いてるとはなァ」
後ろ髪を掻き毟りつつ、赤黒髪の男がそう言う。
迷宮区と呼ばれるこの空間は、彼ら以外にも多くの人々が探し続けていた場所。
それ故に多少の情報ですら誰もが欲しがるのだ。
それほどまでに重要な場所に来れた事実に内心喜んでいたのだが、先を越されていたとあっては嬉しさも半減というものだ。
「俺もさっき来たところだよ。
もしかして、ここの情報が?」
「いや、完全に偶然だぜ。
本当は頼まれて素材収集をしてたんだが……
ま、好奇心ってヤツだ」
「判るよその気持ち。
せっかく自分で見つけたダンジョンなら、真っ先に探索してみたいよな。
……そうだ。
探索がてら、どっちが先にボス部屋を見つけるか競争でもするか?」
いたずらっぽく笑うその表情を見るのは果たして何度目だろうか。
実際に目にするのは片手の指で足りるほどなのだが。
この提案は正直、無謀と言う他ないものだ。
だが赤黒髪の男はこの少年の実力をよく知っている。
彼ならばこのまま放っておいたとしても、この未開拓の暗所など容易に突破してしまうだろう。
そんな根拠のない安心感を覚えるほどだ。
彼からの申し出を受ける理由はないが、断る理由も特にない。
競争するのなら、他に誰もいない今しかないだろう。
「へっ、良いねぇ。
なら俺は右から行かせてもらうぜ」
「なら俺は左側かな。
あ、なんならモンスターを倒した数も競うか?」
「それは止めとくぜ。
お前は最前線で、俺は無名……
話になんねぇだろうからな」
《まぁ、ここに来る前に最低でも十体近くは倒してるけどな》
滑り落ちそうな言葉に封をして、今度はこちらが自嘲混じりの笑みを浮かべる。
黒髪の少年は彼の実力を知った上でさらなる提案をしてみたのだが、半ば予想通りの反応に肩を落とした。
尤も本題ではなかったため、そこまで残念がってはいない。
「判った。
万が一にもないだろうけど、死ぬなよ」
「どうかな、案外ポックリ行くかもしれねぇぜ。
でもまぁ、今日ばっかは逝きたくねぇかな」
「へぇ、珍しいな。
お前がそんな顔するなんて」
「理由はたった一つ!
女の子のためなら、お兄さんは頑張れる!」
聞いたこっちがバカだったとでも言わんばかりに、黒髪の少年は呆れた顔をした。
だが今の発言で赤黒髪の男に依頼した人物に察しがついた様子で、どこか安堵したように息を吐く。
何気ない会話もこの辺りに、二人はお互いに背を向けた。
それと同時に冷たい風の通う虚空に、右の人差し指を軽く振るう。
真正面に現れた光をその手一つで操り、両者が握ったのはこの世界で戦うための力。
それはお互いに黒い刀身をしていたが、男の持つ得物は少年のものと比べて細く鋭い。
目に見えて歪な形ではあるが、赤いラインをあしらったその武器は
「さぁて、そろそろ始めるとしようぜ!
負けた方が今日のメシを奢るってのはどうだ?」
「はは、良いなそれ。
じゃあ準備は出来てるか?
……ゲーム、スタートだ!」
少年の掛け声とともに、二人はそれぞれの向く道へと勢いよく駆け出した。
頭一つほど身長の高い自分か、それとも小柄ゆえに身軽な彼が先を越すか。
実力面では劣っていても、これは先にゴールを見つけ出すための競争。
勝利の女神が微笑むのは誰か、見抜ける者はいない。
少年の足音が聞こえなくなってきた頃、青白い星が広間に出た男を出迎える。
三つ同時に開かれたそれは甲冑を装備した獣を生み出し、魔物たちは一斉に鋭い眼光を向けた。
「さっきから出て来ねぇと思ったら、
待ち伏せかよ。
だがまぁ、上等だ。
突破させてもらうぜ!」
男の視界に映る魔物たちのちょうど真上に浮かんでいる英語表記の文字列は、彼らの名前を示している。
その隣に見える数字は72。
それに対して
多少上回っている程度でしかないが、襲い来る獣たちの動きは揃って単調なもの。
まるでダンスでも踊っているかのように繊細な動きを続け、時には中を華麗に舞うことですべての攻撃を完璧に避けきる。
再び飛び上がったところ再び光を放ち、小さな瓶を召喚した。
彼はそれを、着地の寸前で飲み干して見せる。
「終わりだ、カドラプル・ペイン!!」
瞬間、獣たちが一瞬で切り裂かれた。
放たれたのは連続攻撃。
そのはずだが、刹那の間に立ちふさがる敵を空へと還してみせた。
まるで黒い流星。
直前に翻弄されていたとはいえ魔物たちが一切視認しきれない速度の刃を、この男は余裕の表情で振るったのである。
彼は周囲に気配がないことを確認すると、再び足を進め始めた。
「焦る必要はないとはいえ、時間をかけすぎたかね。
……しかし」
ふと、背後に見た。
自分がここまで歩いてきた、あまりに無機質で寂しい空洞。
そしてこれから、多くの人々が通ることになるであろう試練の路。
先ほども確認したが、魔物の気配などは一切ない。
しかし、この男は何かを気にしているようだった。
「もう少しってとこだな」
向こう側から微かに聞こえる風の音から、少しずつではあるがゴールが近づいて来ていることを理解する。
それは同時に、彼の言う『もう少し』が達せられる何かにも迫りつつあることを意味していた。
確信を得て走り出した彼がたどり着いたのは、先に獣たちと戦いを繰り広げた場所よりも広々とした空間。
円を作るようにして配置された松明が、この迷宮の雰囲気を冷たく不気味に彩るようだった。
「いかにもってところに出たが……
大抵こういう場合だと」
最大限に警戒心を高め、視線を頭上へと移す。
吸い込まれそうなほどの暗闇。
その奥から巨大なものが轟音を立てて落下し、ダンジョン全体を震わせる。
男が臨戦態勢になるのと同時に姿を現したそれは、青い炎に燃える顔を持った岩の人形。
魔導のゴーレムといった風貌だった。
「やっぱ中ボスか。
にしても、魔法ねぇんじゃなかったか?」
呆れ気味に小言を言いつつも、男はすぐに笑みを戻す。
「んまいいや、こっちは人を待たせてんだ。
容赦しねぇぜ!」
宣言とともに駆け出した剣士を出迎えたのは、容赦のない拳。
地面を蹴って飛び上がることでそれを回避し、そのまま腕を伝い燃える顔面へと迫る。
ゴーレムが彼を近づかせまいと身体を揺らし、その灼熱の頭部から無数の炎を発射した。
細身な得物ではこれを弾き返すことは困難。
だからこそ彼は、ギリギリのところでそれを避けてみせた。
不安定な足場の上で側転を繰り返し、時には紙一重で弾丸の行く末を見届ける。
それを繰り返しゴーレムの肩にまで到着した男は迷いなく飛び降り、丁度お互いの視線が重なろうというところで刃にエネルギーをまとわせた。
「リニアー!」
弾丸のような鋭く重い一閃が、岩石で出来た胸を貫く。
さらにゴーレムの背後に足をついた直後、振り返り様に横薙ぎを1つ。
そして真っ直ぐに突きを加え、最初のものと同じ攻撃をもう一度繰り出した。
元の位置に着地し矛を収めるのとほぼ同時に、ゴーレムの胸にある蒼玉はひび割れて消滅。
やがて本体もバラバラに砕け散り天へと昇ることとなった。
これにより、男の持つ数値に変化が生じる。
直前までの値から1つ繰り上がり、80となったのだ。
自身の成長を確認した男は小さくガッツポーズを取る。
「あと半分ってところだな。
……だが、今は」
また何かを操作するようにして右手を動かし、目の前に映し出された文字列を見て男は首を振る。
神妙な面持ちの彼には、もはや黒髪の少年との競争などどうでも良かった。
何故なら、その時がやって来たのだから。
「……ここなら邪魔は入らねぇ。
そろそろ良いだろ?」
「えぇ」
少しだけ怒気を孕んだような、それ以上に悲しそうな女の子の声が静まり返った空間に響く。
直後にコツコツと聞こえてくる自分ではない足音。
男はその正体を、振り返らずとも認識していた。
何故なら彼は、その人物をここまで誘導していたのだ。
尤も、迷宮区を見つけられたことは嬉しい誤算だったが。
静寂が訪れたことを認識し、男はようやく目的の少女へと振り向く。
視界にあったのは、赤い差し色のよく似合う白い騎士服に身を包んだ少女。
栗色のロングストレートが真っ先に目に入る、優しげな雰囲気のある顔立ち。
だがその榛色の瞳は、明らかに怒りの感情を宿していた。
一方で男の暗い瞳は苦しさを孕んでおり、それを見抜かれないように必死に無を演じている。
そして今、二人の目が合った。
「……久しぶり、だな」
「ずっと、ずっと会いたかった。
どれだけメッセージを送っても反応してくれないし、会いに行ってもすぐ逃げられちゃうし。
……けど、やっと会えた」
語る内容そのものは嬉しそうな印象を受けるが、肝心の中身は全く真逆のもの。
どこまでも辛そうに、答えが見つからなくて苦しんでいるかのように。
震える身体を片腕で支える彼女の表情は、悲しみと怒りが混じった複雑なものに変わって行った。
肩から手を離し、少女は彼の目を真っ直ぐに見つめる。
瞬間口にしたのは、目の前にいる男の名前。
「今まで何をしていたのか……
全部話してもらうわよ、ラスベリー!」
白亜の街によく似た、中世の都市の記憶
半分を越えて、少し経った頃の記憶
最強と呼ばれる騎士団が、その強さを確立させた瞬間の記憶
初めて番人を乗り越え、希望を知らしめた記憶
カウントとともに景色が、時間が巻き戻っていく。
暗くなっていく視界、遠のく意識。
遂には音さえも消えていき、入れ替わるようにして何か別の声が聞こえてくる。
耳に入ってくる言葉を認識しきれない。
だがそれらが、少なからず自らに向けられたものであることは判った。
朦朧とする意識がやがてハッキリしてくると、重かった瞼がだんだん上がっていく。
最初はぼやけていた視界が徐々に鮮明になってくると、目の前に誰かがいるのが見えた。
直前に聞こえた声の主だろうか、とても可憐な印象を受ける少女だった。
夢でも見ているのだろうか、あっさりとそう断じて目を閉じる。
「もぅ、いい加減起きなさいっ!」
「うおぉっ!?」
ところがその微睡みは、一瞬にして刈り取られた。
布団が勢いよく吹き飛び、身体が飛び起きる。
完全覚醒した意識を灰色の瞳に宿らせ、赤黒髪の男は眼前の少女を見た。
夢に出てきた騎士服の人物――
いや、少し髪形は違うだろうか。
どこかの学校の制服に身を包んだ栗色の長い髪の少女が、自分の目の前で腰に手をついていたのだ。
「な、なんだ!?
アンタいったい誰だ!?」
「何寝ぼけてるのよ
私よ、明日奈。
「はぁっ?
結城明日奈って……っ」
途中まで出かかったその言葉を、咄嗟に呑み込んだ。
そうしなければならないと、何かが警告してきたような気がしたから。
その出処を探ろうと視線を巡らせ、目についたのは枕元の写真立て。
映っていたのはたった今自分を叩き起こした
周囲にまだ何人かいるが、彼女の家族や友人たちだろうか。
何にせよこの写真の少年、つまり晴輝はとても気持ちのいい笑顔をしている。
このことから、ある程度の親交があるのと見て良いだろう。
なんとか思考をまとめた彼の判断は早かった。
「どうしたの?」
「いや、大丈夫だ。
それで、その。
……結城さんは、わざわざ起こしに来てくれたってのか」
「なんで急にそっちなのよ?
いつも明日奈って呼んでくれるじゃない」
警戒しすぎたことで、逆に不信感を抱かせてしまったようだ。
だが文字通り手探りの状況である今、打つ一手が間違いであっても問題はない。
それに対する返しから、自分が今どのような状況に置かれているのかを分析することが出来るからだ。
姓を呼んだ途端、明日奈は一気に不機嫌になった。
少なくとも、名前で呼ぶことを許す程度には慕ってくれているようだ。
まだ情報が足りない。
もう少し会話を続ける必要があるだろう。
「お、おう。
悪ぃな、明日奈。
……っつか、なんでうちにいんだよ」
「昨日お兄ちゃんに誘われて、うちに来たでしょ?
その時に鍵を忘れてたのよ、ほら」
右の人差し指に吊るされたそれは、ディスクシリンダー式の鍵。
なんとも言えない顔をした猫のキーホルダーも、一緒にぶら下がっている。
思わず彼が目を丸くしている間に、明日奈が空いた左手でマスコットの人形をツンツンと突いている。
その様がどこか微笑ましい。
「ほほぅ、つまり届けに来てみたら俺が
……いやいや!
だとしたらなんで俺、ここにいるんだよ」
「スペアでも使ったんじゃない?
って、そんなことよりも晴輝さん!
早く支度しないと仕事に遅れるよ!」
「……は?
仕事?」
自分でも笑ってしまうほどの素っ頓狂な声が出た。
それに対する明日奈の表情は、さらに不信感を抱いたようだが。
「晴輝さん、今日色々変だよ?
総合電子機器メーカー『レクト・プログレス』。
……お兄ちゃんの推薦で、今年自分で入社したじゃない」
さっきから話に出てきていたが、どうやら兄弟揃ってある程度深い交友関係にあるらしい。
自分は明日奈の兄から推薦を受け、レクトという会社に新たに入ってきた新卒社員だという。
あまりピンとは来ていないが、なんとなくは理解した。
部屋にかけられた時計は、間もなく7時40分を迎える。
出勤時間がいつなのかは判らないが、少なくとも良くない状況ではあるだろう。
「私も学校に間に合うかどうかって感じだし、早くしてよね!」
「んなギリギリのタイミングでわざわざ来んじゃねぇっての!
ってオイ待てって!
……あー、行っちまった」
もう少し引き伸ばしたかったところだが、時間が来てしまったようだ。
幸い最後に聞こえた足音の大きさは、明日奈がまだこの家にいることを伝えてくれたが。
律儀にも待っていてくれる、ということだろうか。
何にせよ今は少しでも情報がほしい。
そのためにもまずはクローゼットの中からグレーのスーツを取り出し、慣れない手付きでそれに着替えた。
駆け足気味にネクタイを巻き、鏡に目をやる。
そこで改めて自分自身を、
「俺は俺、か。
けど、この状況に……
あの娘」
結城明日奈。
その名前を頭の中で復唱した途端、脳裏にノイズ混じりの映像が痛みを連れて浮かび上がる。
広々とした空間の中。
そこで赤い外套に身を包んだ華奢な剣士が、巨大な怪物を相手に対峙している。
黒い髪の小柄な少年も一緒になって、二人で魔物を倒す。
アニメのラストシーンのように、映像はその瞬間途切れる。
ある程度の荷物を整えたところで階段を降り、明日奈の姿を探す。
微かに冷えた廊下の中、真っ先に反応を示したのは視覚ではなく嗅覚。
鼻の奥をくすぐる美味な香りは、右側の部屋から漂っているようだ。
ゆっくりと扉を開けた先にあったのは、テーブルの上に並べられた一人前の食事。
白米に味噌汁に焼き魚に卵焼き――
いずれも朝食の定番だが、晴輝の目にはとてつもなく魅力的に映っていた。
思わず感心している彼の元に、それを作った主が声をかける。
「ごめんね晴輝さん。
台所、勝手に使っちゃった」
「もしかして、これお前さんが?」
「少し前にね。
冷めちゃってるけど、良かったらどうぞ」
明日奈が作ってくれた料理。
それだけで期待に胸を踊らせる晴輝は、自分でもビックリするほどの速さで席についた。
あまり悠長に出来ないのは判っているが、可能ならじっくりと味わいたい。
そう懇願したくなるほど、過去最高の朝食を堪能していた。
名残惜しさを覚えつつ手早く食事を終え、『ごちそうさま』を告げるのだった。
「いやすげぇな、また腕上げたんじゃねぇのか」
「そんなことないよ、簡単なものだったし。
けど凄い食べっぷりだったね、全然止まらなかった」
「これで冷めちまってるってのが驚きだな。
にしても……
起こしてもらった上に朝飯まで世話んなってちゃ、さすがに申し訳ねぇな」
「あら、そう思ってくれる?
じゃあ車に乗せてってもらおうかしら」
いたずらっ子のように笑う明日奈の顔を見て、最初からその前提で来たのだろうと晴輝は理解する。
それも絶対断れないこの状況で言ってくるので、非常に質が悪い。
とはいえ、これは晴輝にとってチャンスでもある。
明日奈を学校まで送るまでの短い間とはいえ、彼女と話せる時間が増えるのだ。
これを逃すわけにはいかない。
「まぁ、それぐらいならお安いご用だ。
つっても、場所がなぁ」
「そう言えば晴輝さん、私の学校来たことなかったね。
今の晴輝さんちょっと心配だし、ついでにレクトの場所も案内するよ」
「何から何まで悪ぃな。
んじゃあ、とっとと食器片付けちまおうぜ」
先ほどまで自分が手を付けていた食器をせっせと重ねつつ、晴輝は明日奈の様子を疑う。
今のこの状況を一切疑っていない、かといって何か邪念があるわけでもない。
ごく普通の日常風景。
そう認識している彼女は、純粋な好意を自分に向けてくる。
単なる自惚れではなく、恐らくは言葉通りの意味のものか。
「どうかしたの?
私の顔じーっと見ちゃって」
「え?
あぁ、気にすんな。
お前みたいな美人な上にメシも美味ぇヤツなら、いい嫁さんになるんだろうなって思っただけだよ」
「あ、ならもらってみる?」
なんでこの娘は、ごく自然にこんなことを口にしてしまえるのか。
幸か不幸か、晴輝はその意味が判らないほど鈍感ではない。
その上こんなにいい笑顔を見せられては、冗談なのか本気なのか判断に困るというものだ。
重ねた食器を洗面台に置きつつ、晴輝は呆れ気味に答える。
「止めとくぜ、親父さんになんて言われるか判んねぇし。
まぁ、あの朝メシは魅力的だがな」
「お父さんなら許してくれそうだけどなぁ……
けど、なんで?」
「理由はたった一つ。
お前のメシは確かに美味いが、毎日は食べたくない。
それ無しだと生きられなくなるだろうしな」
「またそういうこと言う!
……けどまぁ、今はそれでいいかな。
そうだ晴輝さん、これ」
表情が二転三転する明日奈から手渡されたのは、自室でも見せられた鍵。
そう言えば彼女は先ほど、早く支度するようにとだけ告げて部屋をあとにしていた。
今この瞬間に至るまで、ずっとその手にあったのだ。
状況的に考えればスペアがあるので問題はなさそうだが、肝心の晴輝がそれをどこにやったのか覚えていない。
というか、倫理的にそういう問題ではない。
「晴輝さん一人暮らしなんだから、大事にしてよね。
じゃないと今日みたいに勝手に入っちゃうんだから」
「なんで楽しそうなんだよ、ったく。
んじゃまぁ、そろそろ行きますか」
「うん!」
お互いに気持ちのいい笑顔を浮かべ、二人は家の外へと踏み出した。
東京都、世田谷区のとある一角。
晴れ晴れとした青空が二人の男女を出迎え、柔らかな風が頬を撫でる。
そよ風を追って歩くと、脇に少々小振りな赤色の乗り物が見えた。
状況からして自らの車であろうそれの右側から乗り込み、流れるようにエンジンをかける。
それと同じタイミングで、隣の席が速攻で埋まる音も聞こえたが。
「いや爆速だなオイ」
「当たり前じゃない。
ほら、急いだ急いだ」
「へいへい。
そっちこそ、ちゃんとシートベルトしろよ?
あと案内もよろしくな」
ほとんど初めての道を明日奈の案内を受けつつ、そして彼女から可能な限りの情報を引き出しながら車を運転する。
文字に起こすだけならこんなにも簡単だが、想像するだけでかなりハードなミッションである。
明日奈という存在に関しては比較的早く呑み込むことが出来たものの、何故自分は彼女とその家族とある程度の親交があるのか。
ここまでの信頼を向けられているのか。
ここまでのすべてが夢なら考える必要はないのだが、ついさっき食べた朝食の味は嘘をついていなかった。
思考を巡らせつつ明日奈の指示に従って運転していると、交差点を見下ろす信号が赤く光った。
「ここを右に曲がってしばらく行くと、私の学校。
逆側がレクトだよ」
「サンキュー、もう一人でも大丈夫そうだぜ」
「一応聞いておくけど、一人で帰れそう?」
「俺はガキか!
来た道ぐらい覚えてるっての。
学生は学生らしく、将来の心配でもしてな」
彼女に心配をさせまいと発したその言葉だったが、ふと助手席に目をやった時明日奈は曇ったような表情をしていた。
両親と何かあったのだろうか。
そう考えた晴輝は溜め息を吐きつつ、伸ばした左手で彼女の頭を優しく撫でていた。
「悪ぃ、今のは失言だったか」
「……ううん、大丈夫。
けど安易にこういうことはしないでほしいな。
いくら歳上だからって、私もう十五歳だよ?」
「まだ中坊だろ、俺から見たら全然ガキだ。
少なくともお前より、七つは生きてるんだからな?」
とは言いつつも、内心ではあまり彼女の顔を直視出来ていない事実にもどかしさを感じているのはここだけの話である。
明日奈に向かって言い放った『中坊』という言葉だが、恐らく年齢さえ聞いていなければそんな発言は出ていない。
何せ晴輝からすれば、彼女の容姿はとても中学生とは思えないくらい優れたものだったからだ。
だがこれで、一つ判ったことがある。
今が‘どの時点’なのか、ということが
「晴輝さんの場合、あまり目上に見えないんだけどね。
深澄もそう言ってたよ」
「みすみ……?」
「はぁ……
兎沢深澄、もう何度も会ってるでしょ?
その度に一緒にゲームやって、いつも晴輝さん負けてるじゃない」
明日奈の発言だけを鵜呑みにするなら、相当ゲームの上手い友だちということになる。
だがそんなことよりも晴輝が面食らったのは、突然全く知らない名前が彼女の口から出てきたことだ。
何故か目が覚めたら明日奈と名乗る少女がいて、かなり親しい仲ということになっている。
ここまではまだ理解出来る。
だが、晴輝は兎沢深澄という名前を全く知らない。
「お、おう。
……そうだったか?」
「はーるーきーさん?
ボケるにはまだ早いよ。
いつも負ける度にもう一回だって言って、それで日が暮れちゃう時だってあったんだから。
その当の本人が忘れるわけないじゃない」
「あ、あぁ悪ぃ。
な、なんかホントに俺、今日変みたいだな。
あ、アハハ……」
いずれ限界が来るとは思っていたが、まさかこんなにも早くその時が訪れるとは正直予想外だった。
ここまで来るともう誤魔化せないかもしれない、彼女の友だちの話題で大きすぎるミスをしてしまったのだ。
もはや言葉にすらならない声で引きつった笑いをあげていると、信号が青に変わった。
「お、おし青だ!
さぁ早く行こうぜ明日奈!」
「あ、誤魔化した!
……もぅ、仕方ないんだから」
内心穏やかではないながらも、安全運転で車を走らせる。
それから数分もしないうちに晴輝たちは、明日奈の通う学校――私立エテルナ女子学院にたどり着いた。
とは言っても、少し離れた雑貨屋の前だが。
晴輝曰く、『変に噂されても困るだろうし』とのことらしい。
明日奈を見送ることにした晴輝は、彼女とともに車を出た。
「ありがとう晴輝さん、おかげでだいぶ早く着いちゃった」
「気にすんな、今朝のお礼だ。
確かレクトは逆側を真っ直ぐで良かったよな?」
「うん、それで間違いないよ。
行けばすぐに判ると思うから、くれぐれも寄り道しないようにね?」
「心配しすぎだっての、むしろ俺がする側だろうが。
へへっ……
んじゃあ、頑張れよ」
軽く手を振って、笑って歩き出す明日奈の背中を見送る。
数秒ぐらい経過したところで身を翻し、自分の車に戻ろうとした時だった。
学校へ向けて歩き出していたはずの明日奈の声が、大きく晴輝の背にぶつけられたのだ。
それも律儀にも、彼の名前をハッキリと。
「晴輝さん、来月のクリスマスどう!?」
「……あぁ、大丈夫だと思うぜ!」
「そう、判った!」
――やれやれ、と。
そう言いたそうに頭を掻いた。
これではせっかく配慮して校舎から離れた位置に停めた意味がないではないか。
だが逆に言えば、まわりの目など気にならないぐらい晴輝の存在を大事に思っていると取ることも出来る。
違うのなら自惚れも良いところだが、事実なら嬉しい反面どうにも罪悪感がある。
明日奈の姿が見えなくなったので車へと戻ろうとした際、晴輝は一人の女の子とすれ違った。
歳は明日奈と同じぐらいだろうか、彼女よりは少し身長は低いか。
短めの焦げ茶色髪に、頬にそばかすのある童顔と。
着ているピンク色のセーターも相まって可愛らしい印象を与えるのに、表情はかなり沈んでいるようだった。
「公共の場でよくあんなこと出来るわね、アンタら。
遠くまで聞こえてた」
「そうかぃ、そいつぁ悪かったなお嬢ちゃん。
俺のツレでな、すっげぇ良い子なんだがなぁ」
「……そう。
随分幸せなんだね、お兄さん」
なんの感情も感じられないか細い声で、そんな皮肉を言われた。
そのまま晴輝のことなど最初からいなかったかのように過ぎ去っていく後ろ姿は、どこか弱々しく寂しそうなものだった。
もしかしたら先ほどの言葉は、自分への皮肉でもあったのかもしれない。
だがそれをぶつけられた晴輝はと言うと、今のこの状況をまったく把握出来ていない。
よって本当に幸せなのかどうかすら判らない。
確かに明日奈と話している時は楽しかったのだが、何故そのような関係性になれたのか。
そこに至るまでの過程を知らない。
そろそろ周囲の視線が痛くなってきた。
停めてあった車のエンジンをかけ、道路の状況を確認しつつ発進させる。
道中何度か赤信号に捕まったが、その合間を利用して晴輝は携帯の上で指を踊らせていた。
レクトについて少しでも知るためだ。
調べていて判ったのが、CEOがよりにもよって明日奈の父親――結城彰三であるということ。
そして娘の発言から、息子の方も社員であることが想像出来る。
しかもその息子――つまり明日奈の兄から推薦で入社し、CEOである父親もそれを認めているともなれば、いっそ家族ぐるみの付き合いなのかもしれない。
大手IT企業、レクト。
今晴輝の目の前にあるのがその子会社、レクト・プログレス。
それまでイマイチピンときていなかった晴輝だが、ここまで来るとさすがに身が引き締まるというものだ。
時刻は丁度八時半といったところか、多少戸惑いはしたものの出迎えてくれた受付の女性に手伝ってもらう形で、なんとか自分の持ち場――らしき階層へと到着した。
すぐに彼を出迎えたのは、自身よりも少し背の高い穏やかな雰囲気の男性だった。
「晴輝、やっと来たか。
お前にしては遅いけど、何かあったのか?」
「えっ、ぇえと」
「フフッ、なんてな。
実は事前に明日奈から連絡をもらってて、ある程度は判ってるんだ。
上手くフォローしてやるから、今日も仕事頑張ろうな」
「……は、はい!」
さすがというべきか、それとも準備が良すぎだと戦慄するべきか。
というか、いつそんなことをしていたのか。
そんな風に思考してすぐに、一回だけチャンスがあったことに気がつく。
目が覚めてから学校へ送り届けるまで、ずっと一緒にいた明日奈がこの男――兄に連絡出来る瞬間。
恐らくそれは晴輝と明日奈が別れた直後、だいたい丁度そばかすの少女と話していた頃で間違いないだろう。
なんというか明日奈には助けられてばかりだと多少申し訳無さを覚えつつ、彼に着いていくのだった。
仕事中に判ったことだが、彼の名前は結城浩一郎というらしい。
聞けば中学時代からの付き合いらしい。
当時やんちゃだった晴輝に妹ともどもしつこく勉強を教えた結果、最終的にここへ入社出来るまでに至ったのだとか。
なんていうか俺、この兄妹に助けられすぎてないか――
晴輝は心の中で頭を抱えているのだった。
おぼつかない手でタイピングに苦戦しながらもなんとか業務をこなしていき、あっという間に昼休憩の時間となった。
各々が持参した弁当や自販機から購入したパンなどを持って部屋をあとにしていき、晴輝と浩一郎もそれぞれの食事を机に置いたところだ。
尤も晴輝のそれは、浩一郎の顔を微妙に歪ませるような代物だったのだが。
「晴輝、お前またコンビニか。
確かに楽だけど、栄養とか大丈夫か」
「仕方ねぇでしょ、準備する暇なかったんだし。
それにコンビニ弁当も日々進化してるんス。
実際美味いっすよ、この肉」
「ほぅどれどれ、試しに一つ……
じゃなくて、どうせなら作ってもらえば良かったじゃないか。
明日奈のやつ、来てたんだろ?」
「俺は鬼畜か!
さすがに中坊をこき使う真似はしませんって。
ただでさえ朝メシ作ってもらってんですから」
この男、どこまでも中坊扱いである。
よく言えば配慮を欠かさない出来た人物ではあるが、悪く言えば歳の差だけの距離を作りすぎなのだ。
口調などは一貫して砕けてはいるものの、浩一郎の語ったやんちゃだった頃の名残だとすれば違和感はあまりない。
尤も晴輝自身、その時の記憶すら知らないわけなのだが。
「まったく。
お前は昔から律儀というか、遠慮しすぎなんだよ。
あ、そうだ晴輝。
ソードアート・オンラインって知ってるよな」
「えっ、はい。
明後日の昼頃にサービス開始するっつぅ、あれですよね」
声色こそは普通だが、その名前が出た途端晴輝の表情がわずかに曇った。
同時に再び脳裏を支配する、ノイズ混じりの景色。
真紅に染まった空から赤いローブをまとった顔の見えない巨体が飛来し、集められた大衆に向かって一方的な演説を始める場面だ。
その内容に誰もが阿鼻叫喚し、混沌とした恐怖がすべてを包む。
そんな光景が、静かにフェードアウトしていった。
「そう!
全百層で構成された浮遊城アインクラッドを、プレイヤーたちが自らの剣と力で切り拓いていくVRMMO!
聞けば千人のベータテスターたちは、10層までしか行けなかったらしい。
それが今回、初回ロット分の一万人がいるんだ。
もっと楽しくなるぞ!」
「……わ、判ったから浩一郎さん。
少し落ち着いてくれ。
んで何か?
その一万のうちの一つをゲットしたから、自慢したいってやつですかぃ?」
「いや、二つだ。
単刀直入に聞く……
晴輝、SAOやってみないか?」
予想以上にはしゃぐ浩一郎と、彼から飛び出た言葉に思わず虚を突かれる晴輝。
ソードアート・オンライン――通称SAOは、完全なる仮想世界を構築する機器『ナーヴギア』の性能を活かした世界初のVRMMORPG。
(ちなみにVirtual Reality Massively Multiplayer Online Role-Playing Gameの略称である)
誰もが一度は夢見た完全なる異世界がそこにある、それだけで心躍らない人間はいないかもしれない。
事実この世界は今、SAOの話題で持ちきりなのだ。
だがその話を聞く晴輝の目は、浩一郎を哀れんでいるかのようだった。
「実は明日奈と一緒にやろうと思って買ったんだが。
生憎アイツ、それどころじゃないみたいでさ。
お前さえ良ければ、一緒にどうかと思って」
「……はぁ」
「どうした、なんか上の空だぞ?
……まぁ、とりあえず考えといてくれ。
今日のうちに一式送らせるからさ」
――なんだか、面倒なことになってしまった。
心の中でそう呟く晴輝は、その後の仕事にまったく集中出来なかった。
世界的にも注目される仮想世界への誘い。
そして何度も晴輝が目にする謎の映像に、今朝に見た夢。
本当に、あの世界へ行くべきなのだろうか。
考えているうちに、いつの間にか退勤時間がやって来た。
結局その後は浩一郎と一切会話出来ず、うつむいたまま一人廊下を歩く。
思考の渦に囚われた晴輝を正気に戻したのは、携帯の通知音。
どうやら、明日奈からのメッセージのようだ。
『もう仕事終わったでしょ?
良かったら迎えに来てくれないかな』
「はぁ、人使い荒ェよ。
まぁ、断る理由もねぇし。
……良いよっと」
『ありがとう!
校門前で待ってるね』
「いや返信はやァッ!
……しゃーねェ、とっとと行ってやりますかね」
携帯をしまい歩き出そうとした直後、軽く打つような痛みがその足を止めた。
どうやらいつの間にか眼前にいた眼鏡の男とぶつかってしまったらしい。
「す、すみません!
お怪我はないですか……!?」
「いや、構わない。
残光君は、今帰りかな」
「は、はい」
「そうか、くれぐれも気をつけて真っ直ぐ帰りたまえ。
君に何かあっては、CEOも心配するからね」
ありがとうございます、という一言とともに一礼した後にお互いその場を立ち去った。
一瞬のことだったのであまり顔は見ていなかったが、眼鏡の奥の瞳はどこか歪で濁った色をしていた。
まるで自分への敵意のような、途方もない野心や劣等感を抱いているかのような。
声色は優しかっただけに、なんとも言えない不気味さに寒気を覚えたのだ。
それから車に乗り込み、移動すること数十分。
空はすっかり黄昏に呑み込まれ、辺りも暗闇に染まりかけている時刻。
私立エテルナ女子学院――通称ルナ女の前に再訪した晴輝だったが、そこで待っていると言ったはずの明日奈の姿はなかった。
仕方ないと頭を掻きつつ、晴輝は門を通ってすぐのところにある受付で手続きを済ませる。
女子校に成人男性がいる、正直それだけでも目立つ。
それ自体は明日奈を探す以上仕方ないことだと、気にしないつもりだった。
だが彼は自身に向けられる視線と声にウンザリしていた。
イロモノを見るようなものならまだいい、だがそのどれもが好奇なものばかり。
途中明日奈のことを聞こうとして話しかけた生徒も、晴輝が立ち去ったあとに小さく喜びの混じった咆哮をあげていた。
――なんというか、やりづらい。
自身の容姿に関心など無いが、素直にそう思っていた。
そんな時、彼は聞き覚えのある声を耳にする。
「あ、いたいた!」
「いたはこっちのセリフだっての。
校門で待ってるっつってたじゃねぇか」
「あ……
それは、その」
「ごめんなさい、晴輝さん。
私が明日奈を借りてたのよ」
少し髪型が変化した明日奈とやっと合流出来たと思った矢先、彼女の隣りにいた少女が明るい声で現れる。
濃紫混じりの黒い長髪で、背丈はだいたい明日奈と同じぐらいだろうか。
一回見れば忘れないと豪語出来るほど、顔立ちも整っている。
どこか儚い雰囲気をまとう彼女が、どうして自分の名前を気安く呼ぶのか。
晴輝はまるで理解出来ず、困惑する他なかった。
「えっと、君は……?」
「晴輝さん、さすがに冗談キツイよ?
今朝も言ったでしょ?
深澄よ、みすみ」
「そう。
何度も挑んでくる大人げない大人を、その度に打ち負かしてる兎沢深澄。
どう、思い出した?」
「……あ、あぁ!
悪ぃな、何度も負けたのが悔しすぎて現実逃避してたみてぇだ。
あ、アハハ」
思い出す以前の問題ではあるが、なんとか話を合わせようとぎこちなく笑う。
最初に聞いた限りでは単にゲームが上手い子程度の認識しかなかったが、まさかこんなにも可愛らしい少女だとは思わなかった。
先程から目を反らしまくっているのは気恥ずかしさか、それとも別の理由か。
幸い周囲に誰もいないからまだいいのだが、女子校で自分は何をやっているのだろうか。
そんな風に、心の中で軽く自嘲していた。
「再挑戦ならいつでも良いよ。
何なら次は、SAOでもいいし」
「っ……
兎沢さんも、やるのか」
「いや急に改まらないでよ、深澄でいいわよ。
さっき明日奈も誘ったんだけど、受験を理由に断られちゃって。
晴輝さん、予定はどう?
良かったら一緒にやらない?」
浩一郎に続き、またしてもソードアート・オンラインの話だ。
しかも断られたとはいえ、明日奈をこれに誘っているという。
考えを巡らせている最中、再び見えてきたノイズがかった映像には赤いローブに身を包んだ剣士がいた。
その人物が大勢の戦士たちとともに、巨大な扉の先に広がる空間へと足を踏み入れて――
そこで映像が途切れ、晴輝の視線は深澄へと向けられていた。
――まさか、彼女がきっかけなのか?
「そ、そんな真剣な顔で見ないでよ。
……恥ずかしいじゃない」
「はーるーきーさん?」
「あ、いや。
悪ぃ、驚かすつもりはなかったんだが。
……判った、やるよSAO。
色々教えてくれや、深澄ちゃん」
「っ……
ありがとう、晴輝さん!」
さっきまで照れて顔を反らしていたのに、一緒にやれると判ると深澄は晴輝を手を取って飛び上がる。
不覚にもそんな様子が可愛いと思ってしまい頬が熱くなる晴輝と、あからさまに不機嫌な顔で彼を見ている明日奈。
あまり確証はないものの、自分たちの日常はこんな感じなんだろうか。
だとすれば、なんともありふれた楽しいものだ。
表情に出さないように、晴輝は小さく微笑んだ。
「さて明日奈、そろそろ行くとしようぜ。
正直いつまでもここにいちゃ、俺の精神が持たねぇよ」
「うん、判った。
深澄はどうする?」
「ごめん、私は寄るところがあるから。
あっ、そうだ晴輝さん」
学校を後にしようとした寸前、晴輝の元に深澄が寄ってくる。
何を言うのかと考えた矢先、彼女は何を思ったのかその顔を耳元に近づけてきた。
突然のことに戸惑いを隠せない晴輝に、その隣で開いた口が塞がらない様子の明日奈。
そんな二人を気にするでもなく、深澄は彼にしか聞こえない声量で呟く。
「あとで連絡するからね」
「ぁ、あぁ……」
どんなラブコメだよとツッコむまでもなく、深澄は先に行ってしまった。
ふと明日奈の方に目をやると、素晴らしいほど満面の笑みを浮かべていた。
だが背後に黒い炎が燃え上がっているようにも見え、組んでいる腕が今にも飛びかかってきそうなほど震えている。
重苦しい効果音が聞こえてきてしまう前に、彼女を連れて車へと急ぐのだった。
運転中、晴輝の携帯が何度か音を鳴らした。
深澄が複数回メッセージを送ってきたのだ。
内容をざっくりまとめると、彼女は『ミト』という名前でSAOに登録しているということ。
曰くとてもビックリする格好で現れるということ、そして晴輝はどんな名前とアバターで始めるのかという質問だった。
赤信号に止められたタイミングで『まだ決めてないよ』とメッセージを返し、その後車を再発進させる。
「随分とお熱いね、お二人さん」
「悪かったって、頼むから機嫌直してくれねぇか」
「まぁ、別にいいけど。
ねぇ、このまま晴輝さんの家寄っていいかな」
ある程度は予想していたが、まさか本当に提案してくるとは。
そんな感想を抱き、苦笑する。
先程のやり取りの際に見せた不機嫌さといい、明日奈が自分に向ける感情は予想とそう遠くないのだろう。
そのことを理解しつつ、晴輝はふと彼女のこの先を考える。
漆黒の英雄が彼女を導いて、1つの世界を救う――
そんな光景が、晴輝の脳裏にはあった。
「構わねぇけど、来たところで面白いことなんてねぇぞ?
男の一人暮らしなんざ、女子からしたら殺風景だろうし」
「ゲームは置いてあるでしょ?
今度こそ深澄に勝ちたいの、一緒に練習しよ」
「……それでいいのか受験生」
「大丈夫、お父さんから許可はもらってるから」
そういう問題ではないのだが、最早言う気力さえなくした晴輝は渋々了承する。
この少女は浩一郎の件といい、どうして一瞬のうちに連絡を行っているのだろうか。
それもまったく気が付かないうちにである。
その上聞けば定期テストにおいて学年上位だというのだから、色んな意味で敵わない。
ちなみに、首位の人物はたった今また連絡を入れてきた深澄だったりする。
返ってきたメッセージは『じゃあ一緒に考えようよ』、だそうだ。
――時刻は間もなく八時を回る頃。
その手のゲーマーなら誰でも知っているほど有名らしい格闘ゲームで数回勝負し、僅差で敗北したことで撃沈する少女の姿がそこにはあった。
画面を見れば晴輝側のキャラクターのHPはミリ単位しか残っておらず、本当にギリギリの勝負だったようだ。
だからこそ、こんな状態になってしまうほどショックが強いのだろう。
「あ、あの……
結城さーん?」
「明日奈って呼んで」
「あっ、はい」
さっきまで意気消沈していたのに何故そこだけは早口で迷いなく言えるのか、よく判らない上になんなら軽い恐怖さえ感じる。
しかし何故この子はここまで自分に懐いているのか、あの深澄という少女も慕ってくれていたが。
探りを入れつつ一日を過ごしてみたが、晴輝にとっては疑問符が増えるばかりだった。
夢にしてはあまりに長い上に、感触もすべて本物――
受け入れ難いが、これは現実なのだ。
「とりあえず、そろそろメシにしようや。
朝は作ってもらってるし、俺がやるぜ」
「それはダメ。
晴輝さんの料理、鉄の味するから」
「いやどんな味だよ」
――結局、晩御飯も明日奈が作ることになった。
自分はいったいどんな料理を作っていたんだと気にしつつ、テーブルに並べられたのは和食だった。
朝の時といい、彼女の知る残光晴輝という男は和食が好きなのだろうか。
それよりも彼にとっては、明日奈の作る料理をもう一度口に出来るのはこの上ない幸福だった。
「いやホント悪ぃな、朝に続いて作ってもらっちまってよ。
今日お前ん家に足向けて寝られねぇわ」
「フフン、結婚すればそんなこと気にせず毎日作ってあげられるけど?」
「そりゃ無理だ、年齢差開きすぎてんだ。
第一、中坊に恋しちまうほど追い詰められてねぇっての」
「年齢差ってねぇ……
じゃあ須郷さんはどうなるのよ」
明日奈が何か言っているようだったが、晴輝には一切聞こえていなかった。
何故ならその思考は今、まったく別のことに支配されているからだ。
これから多くの人が入り込むことになるSAOの世界、そして今日のうちに度々見た謎の映像。
深澄からの誘いを承諾した以上自分も向かうことにはなるが、晴輝自身あの映像の正体は実は知っている。
だからこそ思考は囚われる、誰もが夢想する仮想世界に。
「晴輝さん?」
「……なんでもねぇよ。
それよかもういい時間だろ、中坊がいつまでも男の家にいるんじゃねぇよ」
「大丈夫よ、晴輝さん私を襲う勇気ないもの」
「余計なお世話だッ!!」
お互いに食事を終えてすぐ明日奈を強制連行した晴輝は、彼女を結城家の前へと連れてきた。
幸いにもご近所さんだったこともあって数分程度しかかからないが、さすがに女の子一人に夜道を歩かせるワケにもいかないので送ってきたわけである。
尤も、半ば強制的に連れてきたのだが。
「今日はありがとうね、晴輝さん。
お仕事と、SAOだっけ……
とにかく頑張って」
「おう、そっちも受験失敗すんじゃねーぞ?
お前なら心配ねぇだろうが、愚痴くらいなら聞いてやれるからよ」
「なんで愚痴る前提なのよ。
でも、嬉しい。
じゃあ晴輝さん、おやすみ」
「あぁ、おやすみ」
振り返ると同時に手を振り、背を向けてゆっくりと歩き出す。
そう言えば家に届いていた段ボール箱を確認していなかった。
恐らく浩一郎が言っていたSAOとナーヴギア一式だろうか、兄妹揃って仕事が早いものである。
深澄からまたメッセージが来ているかもしれないし、何なら洗濯物なんかもまだ放ったらかしだ。
帰ってからやることが多いことに溜め息を吐き、重い足を動かす晴輝であった。
「……」
その後ろ姿を、憂いを帯びた目で見送る少女がいることに気が付かずに。
――2日後、正午を過ぎてだいぶ時間が経過していた頃。
ベッドの上にはすでに頭をすっぽりと覆えるほどの大きさの機器――ナーヴギアが置かれていて、すでにソフトもセットされている状態だった。
あとはこれを被ってゲームをスタートさせるだけの段階、だがサービス開始時間にはギリギリ至っていない。
そんなもどかしさの中、当の晴輝は携帯の画面を困ったような表情で見ていた。
「浩一郎さん、反応ねぇな。
けどまぁ、当然か。
本当なら、そうなってほしくねぇっつうのは……
ワガママかな」
端末をスリープモードにしてデスクの上に置き、枕元のナーヴギアをじっと見つめる。
瞬間、またしても浮かび上がるノイズがかった映像。
たくさんの人々が倒れ伏したその場所の中央で、赤い甲冑をまとった戦士が黒い服の剣士と一対一の勝負を繰り広げている。
黒の剣士が二つの得物を操り果敢に挑むも、赤の戦士にはまるで届かない。
そんな圧倒的な戦力差を見せつけられている状況のまま映像は途切れ、再び視界にナーヴギアが映る。
「よくわかんねぇことだらけだが、行くしかねぇな。
それに、内心嬉しくもある。
その理由はたった一つ……
あの言葉を、実際に言えるからだ!」
ようやく浮かんだ心からの笑顔は黒い外殻に覆われ、身体はベッドの上で横たわる。
時刻はすでに十二時五十九分、サービス開始直前。
心の中で一秒一秒を数え、やがて画面内に表示された時計が丁度十三時を示す。
今なら、あの魔法を唱えることが出来る。
「リンク……スタートっ!」
この瞬間より、残光晴輝はまったく別の存在としてこの世界に降り立つことになる。
黒く塗り潰された視界にまず最初に映されたのは、パソコンの画面でもよく見るような入力画面。
そして耳に届くのは案内人の声。
ここからすでに、プレイヤー登録は始まっているというワケだ。
結局深澄の申し出は断ってしまったため、あれから名前は決まっていない。
どうしたものかと途方にくれていると、突然入力欄が勝手にに文字を刻み出した。
「あっ、オイ!」
浮かび上がったその名前は『Lasbelly』。
なんとも言えない変な名前だというのが最初の感想だが、次に気づいたのは違和感のある名称だということ。
シンプルに読むならこれはラズベリーとなるが、正確な綴りは『Raspberry』。
並べてみると判るが、ハッキリ言って全然違う。
差別化のため、『ラスベリー』と読むことにした。
しかし何故こんな名前になったのだろうか、というかそもそもどうして勝手に入力されてしまったのか。
一切理解が追いつかないままアバターの姿までも決定されてしまい、そのまま意識は未知なる異世界へと吸い込まれていく。
目を覚ました時、そこがすでに自分部屋ではないことを理解する。
視界に広がっていたのはどこまでも続く白亜の都――
世界中の注目を集めたSAO、そのPVの中にも出てきた街そのものだった。
思わず圧倒される晴輝――いや、ラスベリー。
あまりに魅了されすぎて、彼の近くにいつの間にか現れていた女性にも気づいていない。
「……なんつーか、本物とんでもねぇな。
そうか、これが。
はじまりの街か」
「ようこそ、剣士様。
何かお困りですか?」
「うわぁあい!?
お、驚かすんじゃねぇよ」
剣士様。
どうやらこの世界において、プレイヤーはそういう設定になっているようだ。
ソードアート・オンラインというタイトルである以上全員揃って剣士でも違和感はないのだが、ラスベリー自身この世界で戦っていくための武器をまだ決めていなかった。
せっかく投げられた質問に、素直に甘えることにした。
「実は武器を見ようと思ってるんだがよ、お店がどっちにあるか教えてくれねぇかぃ?」
「あぁ、武器屋でしたらあちらですよ」
案内役らしき女性が指差す方向へ、ラスベリーは迷いなく舵を切った。
武器を決めないといけないのは本当だが、彼はそれよりもこの世界を早く冒険したくて仕方なかったのだ。
この世界に魅了された大衆とそう変わらないといえばその通りではあるのだが、ラスベリーがここまで童心に帰っているのは別の理由もあった。
「にしてもさっきの人、頭の上に黄色いカーソルがあったな。
ってことはアレがNPC?
……っつか武器、真面目にどうしようかね」
「――友だちを探してるんです!」
「……ぁん?」
もうすぐ武器屋に着くかどうかというところで、先程までいた中央広場の方角から聞こえてきた馴染みのある声が足を止める。
‘彼女’がこちらにやって来ること自体知ってはいたが、まさかこんなにも早いとはラスベリー自身思ってもみなかった。
そしてこれは直感だが、このまま放っておくと良くないことになる――
そう考えた途端、全速力で走り出していた。
「ぁんのバカ!」
超がつくほど本気で足を動かし、アスリート顔負けの速さで走る。
なんとかすぐに中央広場へと戻って来ると、そこにあったのはある意味予想通りの光景。
ついさっき自分が話していたNPCの女性と、明日奈が何やら会話しているではないか。
周囲のプレイヤーたちの注目が集まっている、完全に駄目な状況だ。
仕方なくラスベリーは、一つ芝居を打つことにした。
「だーかーらー、ざ・ん・こ・う――」
「ちょっとそこのお嬢ちゃん、少しいいかなぁ?」
「ぇ……?」
ギリギリセーフ、なんとかフルネームを吐かせることは防げた。
だがそのための手段というのが、なんと明らかに露骨すぎるチャラい男の振りというものだった。
リアルの時だと絶対考えられないような満面の笑みで鼻歌を歌いつつ彼女に近づき、その手をスッと取った。
「めちゃくちゃ可愛いじゃんキミぃ、ちょっとお兄さんに付き合ってよー」
「えっ、あの……
ちょっと!?」
「ほらほら、いいからいいからー」
驚きと喜びと困惑の入り混じった彼女の顔と言葉を完全に遮りつつ、なんとかラスベリーは人混みの中を抜け出した。
どうやら人通りのない裏路地に出たらしく、ここならもう三文芝居をする必要もないと安堵の息を吐く。
直後に無理矢理連れ出した少女から、文句の声が浴びせられる。
「ちょっと、いきなり何するんですか!?」
「いきなり何するんですか、じゃねーよ!!
お前明日奈だろ、な~に人の名前暴露しようとしてくれてんだ!?
仮にもIT企業のご令嬢様が、ネットリテラシー皆無すぎんだろ!!」
「ご、ごめんなさい。
……って、え。
その顔、よく見たら晴輝さん!?」
「バカ声がでけぇ。
こっちじゃラスベリーな、変な名前って覚えとけ」
咄嗟に彼女の口を塞ぎつつ、こちらでの名前をやたら自嘲気味に名乗るラスベリー。
今のでさすがに懲りたはずなので、すぐに口から手を離す。
容姿がリアルとまったく同じなのですぐ判ったから良かったものの、仮に盛りに盛られたアバターだったらどうしようもなかった。
まぁ当のラスベリー自身も、外見だけはただの残光晴輝本人なのだが。
「っつか、なんでいんだお前。
受験が大事だから断ったんじゃねぇのか?」
「そうなんだけど、その。
お兄ちゃん出張で、部屋に行ったらナーヴギアが置いてあって。
……それで」
「つまり興味本位で来ちまったってワケ?」
「それもあるけど!
その、晴輝さんと深澄がいるし」
若干照れ気味に顔を反らす彼女の姿に、思わずドキッとしてしまうラスベリー。
とはいえそれを見透かされるわけにもいかず、なんとか平静を装い咳払いをする。
右手を軽く振って目の前に真っ白な画面のようなもの――メニューウインドウを呼び出し、軽く所持アイテムなどを確認した上でニヤリと笑みを浮かべた。
「だったらよ、行くか」
「え?
行くって、どこに」
「せっかく来たんだ。
ゲーム、楽しんで行こうぜ?」
今ラスベリーたちがいるのはいわゆる安全圏内、基本的に何があってもプレイヤーたちが何らかの被害に遭うことはない。
だが彼が今指差している方角は圏外、そこではあらゆる事象が起こり得る。
しかし、このゲームの大きな醍醐味の一つもそこにある。
真剣に取り組んでいくなら、避けては通れない場所だ。
「判った、しっかりリードしてよね。
それと、さっきはごめんね。
ラスベリー、でいいんだよね」
「おう、そっちは?」
「あー、そのね?
名前、そのまま打っちゃった」
「……アスナか」
やや苦笑気味に明日奈――もといアスナが頷く。
いくらIT企業のご令嬢とはいえネットゲームに疎い例をあげるとするなら、間違いなく彼女が最も参考になるだろう。
というかそんな条件に当てはまる人物は他にそうはいない。
そういった意味ではいくら勝手に決められた変な名前とはいえ、本名に一切かすっていないものになって良かったと思うラスベリーであった。
「そういやアスナ、武器なに使うか決めたか?」
「あ、うんそこは大丈夫。
うちに飾り物のレイピアがあるから、せっかくだしこっちで使ってみようかなって」
「なるほどな、まぁ良いんじゃねぇか?
うし、なら俺も……」
再びウインドウを開き、武器メニューを操作して自らの背に収まっている剣を消滅させる。
直後に別の得物を選択することで、ラスベリーの左腰に先のものと比べて細身な剣が鞘とともに出現する。
すぐにそれを引き抜いて見せた時、アスナが表情を変えた。
そう、たった今彼女が言っていた武器種だった。
「ラスベリーも、それを?」
「その方が教えやすいだろ?」
「そうかもしれないけど、いいの?」
「気にすんな、元々何使うか決めかねてたからな。
せっかくだし、こいつで頑張ってみるさ」
こうしてこのソードアート・オンラインの――
浮遊城アインクラッド第1層のはじまりの街で、二人の細剣使いが生まれた。
まだお互いに初期配布のスモールレイピアではあるものの、ともに駆け出しの立場ならばその方が様になるだろう。
そんな二人の最初の舞台となる場所は、どこまでも広がる緑の大地。
初めてプレイヤーたちが冒険することになるフィールドということもあり、初級クラスのモンスターが出現する。
そして今二人が対峙しているのもその内の一体、フレンジーボアだ。
「ぜぇりゃあッ!!」
ラスベリーの繰り出した鋭い一閃が青い身体を切り裂き、イノシシの姿はガラス片のように砕け散って天へと昇っていく。
細剣ながら力強い一撃と彼自身の気迫も相まって、それを見ていたアスナは思わず圧倒されていた。
普段の彼を知っているからというのもあるが、あまりに手際よく倒してしまうものだから見入ってしまっていたのだ。
「よし次!
アスナ、やってみろ」
「う、うん!」
続けてやって来た2体目のボアに対し今度はアスナが戦ってみるも、終始足元が震えている。
剣筋もキレがないし、何より全然前に出れていない。
あれでは勝つためというより自分が負けないように戦っているだけで、決め手など何もない受け身の姿勢だ。
攻撃を外した隙を突いてボアが突進を繰り出し、手痛い一撃をもらってしまったタイミングでラスベリーがアスナを受け止めた。
「大丈夫かよ?」
「へ、平気。
けど……」
「良いか?
お前の短所は踏み込みの甘さと、その臆病さだ。
勇気を持って、一歩を踏み出してみろ」
「勇気……
うん、やってみる」
ラスベリーの助言を受け、アスナの剣を握る手に確かな意志が宿る。
彼女の友人として生きてみて判ったことだが、結城明日奈という人間は大なり小なり残光晴輝のことを好いている。
そんな彼から励ましの言葉をもらえれば闘志に火がつくのではと考えたのだが、予想以上だった。
何せ今の一言だけで、アスナの動きをまったく異なる凄まじいものにしてしまうのだから。
好意を利用したことに関して罪悪感を覚えつつも、そのまま速攻でボアを葬った彼女に惜しみない拍手を送った。
「良いねェ!
んじゃあ身体も温まってきたところで、ソードスキル行ってみますか!」
「ソードスキル?」
「いわゆる必殺技みてぇなもんさ!
しっかり見てろよ?
行くぜ、リニアーっ!」
所定の動作を行うことで発動し強力な攻撃を行うソードスキル。
この二人の場合は細剣スキルが使用可能なのだが、まだまだ始まったばかりなので行使出来る力は限られている。
つまりたった今ラスベリーが放ったリニアーと言うのは、細剣ソードスキルの中でも初歩的な位置にあるもの。
やろうと思えば誰でも最初から使えるものだ。
しかしだからといって使いこなせるかは別問題であり、勢いが凄すぎて思いっきり攻撃を外してしまう者もいる。
たった今盛大に転けたラスベリーのように。
「ら、ラスベリー……
大丈夫?」
「い、今のは悪ぃ例だ!
ちゃんっと見てやがれ、今度こそ……!」
ソードスキルは準備動作さえ取ってしまえば、あとはシステムが勝手に身体を動かしてくれる。
だがそこに加えて自身の運動能力を生かすことで、ある程度ブーストしてやることが出来る。
きっとさっきのはそれが過剰だっただけだと判断し、力加減を調節してしっかり目の前のモンスターに狙いを定める。
今だと決めて駆け出し、今度こそソードスキルをカッコよく決めようとした時だった。
突如として割って入ってきた巨体に遮られたのだ。
その大男は持っていた大きな鎌を振るい、人間並みに大きな蜂のモンスターを真っ二つにする。
リザルト画面の表示と寸分違わぬタイミングで、彼は二人を見た。
悪役としか思えない顔つきをしたオールバックの男性アバターがラスベリーの方を見て軽くウィンクをしたかと思えば、次にアスナの顔を見て柔らかな口調で話す。
「これが良い例だよ、明日奈」
「えっ……
あ、はぃ。
えっと、あなたは」
「深澄ちゃん……
いや、ミトだろ?
ったく、美味しいところ持っていきやがって」
直前に合図してくれなかったら絶対判らなかったからなと笑いながら愚痴を溢すラスベリーと、彼女の衝撃のアバターに判りやすく驚くアスナ。
確かにとてもビックリする格好で来るとは言っていたが、まさかここまで厳つい風貌だとは思うまい。
とはいえ、自由にキャラメイクが出来るのもこういったゲームならではなのだろう。
「ごめんね、たまたま姿が見えたもんだから。
二人揃ってリアルと同じだから、すぐに判ったよ。
……ちょっと聞こえていたけど、ラスベリーって言うんだね」
「変な名前だろ?
何故か勝手にこうなっちまってよ」
「え、私の時は何もなかったけど。
深澄……
あ、ミトは?」
「いや、何も問題なくキャラメイク出来たよ。
……というか明日奈、なんでいるのかな」
まぁ普通にそう思うよなと内心苦笑しつつ、ラスベリーはここに至るまでの経緯をざっくりではあるがミトに説明する。
はじまりの街を探索しようとしたら中央広場で自分たちのリアル暴露大会が始まる寸前であったことや、出張に行ってしまった兄に無断で明日奈がログインしてきたこと。
そしてその決め手は自分たちであること。
話し終えた時、ミトは複雑そうしつつも納得した様子を見せた。
「なるほどね、それでラスベリーがアスナに指導していたんだ。
……派手にすっ転んでたけど」
「ほ、ほっとけやぃ!
実際やんのは初めてなんだよ」
「まぁ、ニュービーが背伸びした結果ってことで。
あぁそうそう、ソードスキルを使う時なんだけど。
別にスキル名を言う必要ないよ?」
「あぁ知ってるぜ?
けど、せっかくこの世界に来たんならカッコつけてぇじゃん」
――なんなんだろう、この光景は。
アスナはそう思わずにはいられなかった。
いつもなら晴輝が歳上かつ身長が高くて、深澄がその下なのに。
ことラスベリーとミトになると完全に真逆に見え、しかもそのやり取りがなんとも微笑ましいものである。
まるで仲のいい兄弟にも思える二人に、無意識に笑みが溢れた。
「あぁ、アスナ!
今笑ったか?
やっぱお前もカッコつけだって思うのか!」
「べ、別にそんなこと言ってないよ!?
私は、その……
気にしないし!」
「いやちょっとは思ったんじゃねぇか!」
「はいはいその辺で。
ところで良い狩り場を知ってるんだけど、どうする?」
――ある程度戦闘のチュートリアルを終えた二人にとって、その提案に乗らない理由はなかった。
一同がやって来たのは、先程の場所から歩いて15分ほどの距離にある小規模な森エリア。
空を覆い隠すほどの木々が立ち並ぶ閉鎖的な場所。
そこに三人が足を踏み入れて早々、数体の魔物がお出迎えしてきた。
「わっ、もういる。
ミト、ここがそうなの?」
「あぁ、そうだよ。
ここは街から離れた場所にあって、比較的狭いから集中的にモンスターがポップしやすい。
出てくるのも初級クラスばかりだから、みんなで戦えば大したことはないよ」
「だいぶ歩いたしな。
普通に考えりゃ、面倒くせぇ場所だって思うが。
逆に言えば、他のプレイヤーを気にするこたぁねぇってワケだ」
「そういうこと!」
ラスベリーのコメントのおかげで上手くまとまったこともあり、三人は即座に戦闘を開始する。
参考までに状況を確認しておくと、まずラスベリーのLvは2。
何気にアスナより僅かに多くボアを倒していたことでレベルが上がっていたのだ。
それに対してミトの方は3つもあるのは、さすがと言うべきか。
とはいえここで頑張っていけば理論上は彼女を超えることだって出来る。
だが今何より優先すべきは、まだレベルの上がっていないアスナだろう。
そう考えたラスベリーは、出来るだけそちらのフォローに回ることにした。
ようやく命中したラスベリーのソードスキル《リニアー》に、圧倒的なまでのミトの実力。
そしてアスナの目覚ましい成長によって、森のモンスターたちは次々と倒されていく。
その甲斐もあってラスベリーともども、アスナのレベルが一つ上がった。
ミトの様子を見るに彼女も同様のようで、やはりすぐには超えられないのだろうと思い知る。
だが、この経験は得難いものだった。
「サンキューなミト。
おかげで思ったより早く強くなれたよ」
「私は案内しただけで、頑張ったのはラスベリーとアスナだよ。
二人とも、凄く筋がいい。
なんなら、こっちの方が向いてるんじゃない?」
「確かに身体を動かす方がやりやすいっていうのはあるかな。
けど、やっぱりミトは凄いなぁ。
ラスベリーもなんの問題もなく合わせられてるし。
今の私じゃ、二人に着いていくので精一杯かも」
「バーカ、お前には伸びしろがあんだよ。
実際一番成長してんのはお前だっての。
この調子なら……っ」
――その時、ラスベリーは気づいた。
たくさんの木々に遮られていて判りにくいが、空がとっくに黄昏に支配されていることに。
焼けた色のそれが告げる意味を、彼は知っている。
もうすぐ、その時が来てしまうのだと。
途端にフラッシュバックするいくつもの光景。
それは、これまでに何度も見てきたノイズ混じりの映像。
立ち止まり考え込むラスベリーを不審がる二人に、彼は気がついていない。
「ラスベリー、どうしたの?」
「……あ、いや。
なんでもねぇよ。
それよか気をつけな、なんかデカいこと起こるかもしれねぇぜ。
あと、ウインドウの確認とかもな」
「う、うん」
心配そうに顔を覗き込んで来るアスナに忠告を促しつつ先に進んでいくラスベリーに、ミトは初めて違和感を覚えた。
正確にはリアルで苗字を呼ばれた時から薄々は感じていたのだが、ハッキリとそう思ったのはこの森で一緒に狩りを始めた時からだ。
さっきも発言した通り、彼は筋がいい。
いや、良すぎるといった方が適切か。
自分の知る限り、残光晴輝は多少ゲームは遊んでいてもVRMMOでは完全にニュービーのはず。
ところが彼はラスベリーとして、アスナに戦闘の基礎を教えていた。
それもシステム外スキル――
ソードスキルに自身の運動能力をブースト出来る行為などを知っていたことに関しても、ミトの疑惑に拍車をかけていた。
結果的には失敗していたとはいえ最初からソードスキルの使用に迷いがなかったし、アスナのフォローも完璧とは行かないまでも上手すぎた。
その上で今度は『何か大きなことが起こる、システムウインドウを確認しろ』と、率先して忠告までしている。
ラスベリーは知らないことだが、ミトは浩一郎が語っていた千人いるうちのベータテスターの一人だ。
そんな彼女だからこそ判るが、この森に大きなイベントなんかは存在しない。
クエストは一応あるにはあるが、難易度が低く知っていても彼が警戒する理由にはなり得ないだろう。
ならば何故こんなことを言い出したのか、その答えは直接確かめる他ない。
「ラスベリー、どういうことなのか聞かせてくれるかな。
このあと、何が起こるんだ?」
「み、ミト……?」
「……なぁ、ミト。
ログアウトってのはさ、ここからでも出来るのかい?」
「あぁ、実際に今やってみるといい」
ミトの声音は、明らかに疑念が宿っている。
しかしここまで時間が経過してしまっている以上、誤魔化すことはしない。
言われるがままにシステムウインドウを展開し、そのまま何もせず放置する。
その様子をさすがにおかしく思ったアスナも同じように右手を振るい、あることに気がついた。
「ね、ねぇミト。
ログアウトボタンって、どこにあるの?」
「それは、メニューの下側に……ッ!?
ない、そんなはずは」
「……頃合い、だな」
ラスベリーが告げると同時に、三人の視界は漂白される。
次に色を取り戻した時にはいつの間にかはじまりの街にいて、この場所に集まったプレイヤーたちを不気味なほど真っ赤に染まった空が見下ろしていた。
突然のことに困惑する有象無象、そして何がなんだか判らないアスナとミト。
しかしこんな中で唯一、ラスベリーは肝の据わった表情で空を真っ直ぐ見上げていた。
やがてその瞳に映る一つの存在が、すべての始まりを告げるのだった。
【現在のラスベリーたちのレベル】
ラスベリー Lv3
アスナ Lv2
ミト Lv4