また四章との関りが非常に深い(実質四章の続き?)のでそちらを先に読んでいただけると幸いです。一度読んだ方もおさらいしてみては?
Ⅰ…黒の顕現
黒の亡霊。それはオラーシャの兵士の間でまことしやかに囁かれている噂。ネウロイと戦っているとどこからともなく現れては消えていく。全身黒ずくめの、陸戦ストライカーを装備したウィッチの霊。戦いの疲労が見せた幻影か、或いは散っていた魔女の怨念か……。情報が錯綜し、嘘と真がブレンドされて、噂は当初とは全く違うものへと変貌を遂げる。
しかし、ただ一つだけ真実と言えるのは彼女は確かに生きていたということ。
今ここに彼女の真実を語ろう。
1945年
オラーシャ帝国南西部にはドニエプル川に面した河港都市がいくつもある。そのうちの一つがここ、ニーコポリ。鉱床が見つかって以来、工業が盛んな場所になり今では重要な産業地区となっている。だからと言ってキエフやオデッサのような都会というわけでもないが辺境の田舎でもない、両方の良さを持ち合わせている場所だ。
その川原の道を、生まれたての小鹿のような足取りで歩く少女が一人。一歩一歩と前に出される、か細い両足は靴を履いておらず、土と血の色が混じり合って赤黒く汚れている。そんな様子の彼女を見ても誰も手を差し伸べることは無い。ネウロイ勢力圏からそう遠くないこの場所で安定した生活ができないなか、赤の他人の面倒を見ていられるほどの余裕がこの町の人々にはないのだ。
少女はおもむろに草木の影に座り込む。すると強烈な腹痛と吐き気が彼女を襲い、冷や汗が滝のように流れ出す。ここ数日、彼女はまともな食事にありつけておらず空腹から残飯や雑草、挙句の果てには虫といったもので命を繋いでいた。そのツケが今更になってやってきたのだ。下から上へとやってくるそれを、少女は抑えようと口を両手で押さえるも無駄だった。生温かい吐瀉物は細い指の間を蚯蚓のように通り抜け、少女の純白の衣服を穢す。
その後、少女の体からふっと力が抜けていき、その場に倒れこむ。冷たく固い地面と草の柔らかな感触に包まれて、不思議な脱力感がやってくる。開いた瞼も次第に閉じていき、虫が体を這いまわる不快感を覚えた。次第に遠くなる意識のなかで彼女は自分の最期を想像する。きっと誰にも気づかれずに、腐っていって大地の一部となるのだと。そんなことを考えながらも少女はまだ死にたくないと、抗うように体を動かそうとするが出来ない。そのうち彼女はねじ巻きが止まった時計のように動かなくなった。
次に少女が目が覚めた時そのやせ細った体は暖かい毛布に包まれていた。永らく忘れていた温もりに彼女は深くまでうずまっているとお腹が鳴りだす。
「目が覚めた?」
少女が声がする方へと目をやると黒髪の女が食事を用意している。それは食べやすいように細かくちぎられたパンとスープ、そしてお茶だ。女がベッドのそばにあるテーブルに食事を置くと、少女の顔をまじまじと覗き込んでくる。
「大丈夫そうだけど、食事はちゃんと摂りなよ……あ、オラーシャ語じゃないと通じないか」
そう言うとぎこちないオラーシャ語で喋り出す女。それを差し置いて少女は一心不乱に食事にありついた。味は薄いがまともな食べ物が喉を通り、体を温めることを思い出した少女は涙をぽろぽろと零す。その様子を見た女は静かに微笑み、少女の涙を拭ってあげた。
「そんなに焦って食べるとだめだよ、もっとゆっくりね」
彼女はフォルティス。帰る場所を持たないはぐれ者であり、様々な場所を渡り歩いては適当に日銭を稼いで暮らしている放浪者。行く当てのないという点では少女と同じであった。
少しして、女は食べ終わった食器を片付けながら少女に話しかける。
「私はフォルティス。あなたの名前くらいは教えて欲しいんだけど~」
フォルティスの質問から暫くたっても少女の小さな口を閉ざされたまま。吐息の音すら聞こえない微かなため息を零すと、フォルティスはどうしたものかとソファーに座りこむ。
少女が何者でどこからやってきたのかを考える。このご時世のことを考えれば身寄りを無くした孤児であるのは間違いない。しかしフォルティスにはこの少女の不可解な点がどうしても気に食わなかった。その不可解とは、ネウロイ占領区から数百キロ離れたここまで少女が誰にも助けられていなかったという点。付近には軍もいたはずなのに、保護されていないのはおかしい。
そこでフォルティスはこう考える。少女は人間を"意図的に避けて"いた。恐らく何らかの理由で他人を信用できなくなってしまったのだろう。だからこそ自分にも口を利かないのだと。
(こんな小さな子が誰にも頼れないなんて……)
フォルティスは少女のことを昔の自分と重ねて見てしまっていた。だからこうやって手を差し伸べてしまったのかもしれない。昔から彼女は困っている人を見過ごすことができない人物だったのだ。
「落ち着いたら話してよ、それまでは好きにしてていいよ」
そう言うと彼女は二階への階段をぎしぎし音を立てて上がっていく。フォルティスが上がっていったのを確認すると、少女は辺りを見回す。フォルティスの素性が分かるものはこれといってない。家族写真の類や他の住人の痕跡もないのだ。若い女性がこんな二階建ての家に一人で住んでいるのか不思議に思う。
暫くするとフォルティスが降りてくるが、先程と服装が違っていた。上下黒のジャケットとジーンズ、右手にはボロボロの外套。さしずめリベリオンの開拓時代のような服装だ。
「ちょっと出かけてくるよ、すぐ戻るから」
その言葉に少女の体はピクリと反応する、以前にも似た言葉を聞いたことがあったからだ。それは数年前、両親が放ったものと全く同じもの。両親はその言葉を最後に二度と帰ってくることはなかった。
そのトラウマ、恐怖が少女の心の中に蛆のように湧いて出てくるのだ。少女はすぐさまドアに向かうフォルティスの袖をぎゅっと掴んでき留める。
「大丈夫、絶対に帰ってくるから」
両親もそう言って帰ってこなかった、細い指達たちに力が更にこもる。フォルティスは膝をついて、少女と目線を合わせると口を開いた。
「私は他の困っている人を助けなきゃいけない。でもそれが終わったらちゃんと戻るから……これ、持ってて」
そう言うとフォルティスは首にかけていたロケットペンダントを少女に手渡した。
「これ、取りに帰るから。無くさないでよ」
少女はペンダントを握りしめて小さく頷く。フォルティスは微笑むと立ち上がり、踵を返して歩き出した。彼女が扉を開けると日の光が差し込み、逆光でその背が黒く埋め尽くされる。その姿に少女は魅入られるが、すぐさま閉じた扉に阻まれた。
フォルティスを見送った後、少女はベッドに横になり、暫く眠ることにした。彼女はここ数日の間、目の下に隈ができるような睡眠を続けていた。しかも冷たく固い土のベッドでだ。だが今はふかふかで温かい布の上で眠ることができる。少女は安心して眠れるということの素晴らしさを噛みしめて深い眠りについた。
次に少女が目覚めた時、辺りは黒一色で塗りつぶされていた。両親が帰らなかった日もこんな夜だったことを思い出す。暗闇の中で永遠にも近い時間を孤独に過ごす感覚。住み慣れた家が突如として未知の空間へと変わる恐怖。心臓が暴れ出し、身が震え、不吉な妄想に囚われる。そんな様子を窓の外から誰かが覗いてるかもわからない。少女は籠の中の鳥に等しい。
ふと首にかけたペンダントのひんやりとした感触が肌にやってくる。フォルティスはこれを取りに必ず戻ると約束してくれた。少女はペンダントを握りしめて、信じて待つことしかできない。
暫くすると暗闇に目が慣れて、奪われた視界が戻ってくる。毛布から顔を出し、恐る恐る周囲を見回す。そこには誰もおらず、黒色に染まった部屋があるだけだ。その時、ベッドの横にランプとマッチがあることに気づく。少女は明かりを灯す。ランプの火は今の少女のようにか細いが、人ひとりを照らして温めるには十分だった。
握りしめたペンダントを少女はまじまじと見つめる。外観はシンプルで何の装飾も刻印もないため、高級品という訳ではない。やはり重要なのは中身だ。好奇心に駆られた細い指は既にペンダントへと延びていた。
ペンダントを開くとそこには四人の少女が映る写真があった。真ん中あたりの黒髪の少女がフォルティスだが、あの落ち着いた雰囲気からは想像もつかないような満面の笑みを浮かべている。助けてくれた時の優しい微笑むとのギャップに少女は驚く。
自分もこんなふう笑えたら、なんて考えて、ランプの反射で笑顔を作ってみるがどうも上手くいかない。どちらかというと自分は、フォルティスの横で真っすぐな木のような姿勢で、ムスッとしているタイプだと感じる。
その時に少女はふと気づく、不愛想な顔の少女に見覚えがあると。小さい写真からでもわかる、氷のような眼差しと刃物のような鋭い瞳。記憶の隅々まで巡り巡るが、どうしても思い出せない。遥か遠い昔の記憶か将又、須臾の記憶なのか。それとも"思い出したくもない"記憶に存在している顔なのか。
少女は強いショックで、ここ数日間の記憶が曖昧だ。もしかしたらその間に出会った顔なのかもしれない、そう少女は結論づける。
***
数時間前、フォルティスは協力者からの通信を聞いてある場所へと向かっていた。オラーシャ製のサイドカー付のバイクで、同乗者はPTRD1941対戦車ライフルとその弾薬、そして無線機。傍から見れば不似合いな組み合わせに見えるが、ウィッチという十代の少女達が前線で戦っているような世の中だ。誰も彼女を見ても疑問にすら思わない。
『あー、あー。こちらヴィネガー、聞こえますか?』
無線機から若い女性の声がノイズと重なり合いながら聞こえきた。フォルティスはズボンのポケットに突っ込んでいた無線機を取り出して応答する。
「こちらカヴェナンター、どうぞ」
『例の作戦開始時刻が一時間繰り上げられた、ネウロイが渡河を試みてるらしい』
「ついてないなぁ、これじゃあサプライズが台無し」
『兎も角、あまり目立たないようにね』
それを最後に協力者からの無線は途絶えるが、フォルティスは疑問を覚えて再度、通信を試みるも繋がらない。軽く舌打ちをして無線を元の場所に戻して、アクセルをいれる。
「水が嫌いなネウロイが渡河とは、一体どう言うこと?」
この期に及んで協力者が嘘をついてるとは思えない。それを彼女はわかっているからこそ尚更、意味が分からないのだ。
「真実は自分の目で確かめろってことかぁ……」
悪態をつきながらも彼女は戦いの理由を思い出し、ハンドルを強く握る。自分のような人がもう二度と生まれない世界にするためにと。フォルティスは目的地へ急ぐ。
数時間ほどバイクを走らせて辿り着いたのは、ニーコポリから離れた河川。川を挟んだ先はネウロイ占領区だ。フォルティスは辺りを警戒しつつ、茂みに隠れる。
「あれか……確かに渡河だなぁ」
視線の先ではネウロイがグンタイアリのように、自らの体で橋をかけていた。これにはフォルティスも驚いて茂みから黒髪を覗かせてしまう。
「さて、さっさと仕事を始めますか」
フォルティスはウィッチだ。魔法力を使用して身体能力を強化できる。およそ15kgもあるPTRDを難なく操れるのだ。
彼女は素早く隠したバイクへと戻り、ライフルを手に取って茂みへとトンボ帰り。バイポッドを立てて射撃姿勢を取ると、狙いを橋ネウロイに定める。呼吸を整え、ゆっくりと息を吐くと同時にフォルティスは引き金を引ききる。瞬間、轟音が響き渡り、撃ち出された弾丸が空を切る。飛翔する14.5mm弾はネウロイ橋のど真ん中に命中、そこを渡っていたネウロイは一気に川の底へと消えていった。
「やった!大漁だ!」
フォルティスは顔を上げて撃破を確認する。だが川を渡りきった数機のネウロイが一斉にフォルティスの方へと体を向け、光線を放つ。
「まずっ!」
フォルティスはすぐにその場を離れるために大地を蹴る。彼女の真後ろでは赤い光が閃いた。その様子を遠くから双眼鏡で見る者がひとり。オラーシャ陸軍の偵察を担うウィッチだった。
(あれは……?)
ウィッチは報告内容を頭の中でまとめるとインカムを使う。
「こちらゴルトヴァ少尉、ネウロイの渡河を確認、しかし既に交戦状態にある模様」
『少尉、ネウロイとの交戦対象を報告せよ』
「交戦対象は……他国のウィッチの模様。単独です」
『了解した。そのまま待機を維持し、本隊と合流せよ』
ゴルトヴァ少尉は通信を終えるとすぐさま、もう一度インカムで報告をいれる。
「コード、R201。彼女を発見、オーバー」
『コード、R201。了解、監視を続けろ。アウト』
視界に映る女をゴルトヴァ少尉はしかめっ面で観察する。"あの人"が何故この女に執着しているのか分からなかったのだ。あんな意味もないことを続けているような人間の何が特別なのかと。お手並み拝見と少尉は腕を組み、静観を続けた。
フォルティスは背後に迫る異形達から逃れ続ける。ストライカーを持たない彼女には真っ向から戦闘する手段が何も無い。シールドも複数の敵に対しては防御性能が心もとない……ならば逃げるのが得策。フォルティスはバイクへと駆け、飛び乗り、エンジンをかけるとすぐにバイクを走らせた。のそのそ歩くネウロイと次第に距離が離れていく。その間にも敵の攻撃は止むことはないが、それをフォルティスは縫うように躱す。
「これなら……」
ゴルトヴァ少尉は「逃げる、か……」と呟いた瞬間、フォルティスはハンドルを切って横滑りをして停車する。彼女はその体勢のまま、肩にかけたPTRDを即座に構えて敵を撃つ。先頭のネウロイが体勢を崩して、その場に倒れた。フォルティスは追撃を入れるため、排莢、再装填。そして弾丸を撃ちこむ。倒れたネウロイは塵と化す。
「まだやるのか!」
双眼鏡越しにゴルトヴァ少尉は孤軍奮闘するフォルティスへと熱い視線を送る。もし自分ならあの状況でなら逃げる判断をするだろうと考えていた。故に驚きだった、彼女が逃げないということに。
その後もフォルティスはネウロイと距離を置きながら、一機ずつ正確に倒していく。その雄姿にゴルトヴァ少尉は魅入られてしまっていた。"あの人"が拘るわけだと、頭だけでなく、心で理解できたのだ。その時に彼女は無性に涙を流していた。
「これが……黒の亡霊!!」
***
暖かな日差しが地平線から溢れ出し、少しづつ世界に色をつけていく。そんな鮮やかな世界の中で、少女の瞳は開かれる。微睡みの中、彼女は温かな息吹を感じる。それは微かな人の寝息、すぐ傍で座りながら眠るフォルティスのものだった。彼女はちゃんと帰ってきた、その事実が少女にとって何よりも嬉しく思えた。
深い眠りに落ちているフォルティス、今の様からは大人びた彼女は想像できない。きっとどこかで頑張っていたのだろうと、少女はそっと艶やかな黒髪を撫でる。こうしていると、なんだかお姉さんになったようで気分が良く、自然と笑みが零れる。
そうしているとフォルティスの瞼が開き、琥珀色の瞳が覗く。
「あ……起こしちゃった……」
小さな口から言葉が零れると、フォルティスは首をもたげて「初めて話してくれた」と微笑む。そうして重たい体で立ち上がると「朝ごはん食べようか」とキッチンへと足を向けた。少女はペンダントを片手に、すぐさま彼女を追いかけ、それを差し出す。
「あ、これね。ありがとう」
フォルティスは受け取ったペンダントを首にかけると、少女が突っ立ったまま、もじもじとしているのが目に入る。口を開き、聞き取れないような微かな声で何かを話そうとする。フォルティスはしゃがみ込んで耳を欹てる。
「わ、私は……クラースナヤ……」
「いい名前だね」
[公開情報]黒の亡霊
オラーシャの一部の兵士の間で噂になっている存在。全身黒ずくめで、どこからともなく現れては消えることから、そう呼ばれている。
その正体を知る者はおらず、目撃者の情報もまばらなため、幻覚の類だとされている。