フォルティスの真名はスカーレット。その紅の記憶に過る、朧げな悲しき親友の骸。葬ったはずの思い出は、怪異と共に蘇る。陰る少女に迫りくる、どす黒い影は誰だ?
クラースナヤがどこにもいない。フォルティスが目を覚ました時にその姿が見えない時点で少し嫌な予感はしていた。
イライザが死んだ日も、ちょうどこんな眩しい朝日が昇っている日だった。そんな縁起でもない考えが浮かんでしまうくらいには動揺していたのだ。どうして自分のまわりの人は唐突に消えてしまうのだろうかと、自身の運命に苛立ちを覚えて。
外に飛び出したフォルティスは近隣住民に聞き込みを始める。銀髪で赤い瞳の少女を見ていないか。だがどの人々も首を横に振るばかり。有力な情報が何一つ得られない。
あの少女は最初から存在していなかったのでは? 精神的にまいったフォルティスが生み出した幻影……。
いや、そんなはずは無い。あの温もりも体の重みも、確かに存在していた。それすらも偽りだったのか。
途方に暮れて俯いていると、人影がやってくる。
「君が銀髪の女の子を探している人?」
「知っているの!?」
猫が獲物を狩るが如く速さで食いついてくるフォルティス。その気迫に気圧された女性は後ずさりしつつも、知っていることを全て吐く。
「え、えぇ……そうよ。君より少し年下の子とふたりだけで車に乗るのを早朝に見たの……」
子供二人で車に乗るということは、その"年下の子"はウィッチで確定だ。そうなればクラースナヤは軍関連の施設に連れられた可能性が高い。
「それはどこへ?」
「北よ、キロヴォグラードの方面に向かっていったの……」
そう言いて女性は北の方角へ指さす。吸い寄せられるようにフォルティスもそちらへと目を移した。北側は数年間、放浪していた彼女でも未踏。どんな町や村があって、どこに軍事施設があるかわからない。しらみつぶしに探すしかないが、それでもフォルティスは進むだろう。
「ありがとう……さっきの無礼は許して欲しい」
「別にいいの……私も娘の事だと同じ様になっていたから……」
女性は俯きがちに、そう言う。まるで彼女の近くには、その娘はいないかの様な口ぶり。フォルティスはそれに気づきながらも問おうとはしない。力になってやりたいのは山々だが今は目の前の事に集中しなくてはならないのだ。
「失礼ですが、あなたの名前は?」
フォルティスの喉でつっかえていた言葉が突如として飛び出した。やってしまった、と自身の浅はかさに嫌気が差すも、名前くらいなら、と気分を切り替える。既に去ろうと踵を返していた女性は顔だけを向けて「アンジェリーカ・スラクシナよ」と返した。フォルティスはその名を心に刻み、アンジェリーカと別れる。
宿に戻ったフォルティスは出発の準備を進める。ジャケットにM1887を忍ばせて黒い外套を羽織る。この姿は亡霊としてネウロイを狩る時にしか見せない。立ちはだかる者は人であろうとなかろうと打ち倒す、それくらいの覚悟でクラースナヤを助けに行くのだ。
***
どれだけ時間が経っただろうか。クラースナヤが空を見上げるとすっかり茜色。横でハンドルを握り続ける少女とは、この間まで一言も口を利いていない。いや、利く必要がないのだ。何しろこの運転手の少女はクラースナヤにとって忌むべき人物のひとりなのだから。
両親が家に帰らなくなってから数日経った頃。運転手の少女と数人の兵士が彼女を引き取りに来た。なんでも両親のもとに連れて行ってくれるとのこと。それを信じたクラースナヤは運転手達に連れられて無機質な建物に連れられる。そこでは同じ年齢くらいの少女たちが四、五人ほどいたが、その全員の表情は暗く、瞳からは光が消えていた。その時にクラースナヤはやっと気づく。自分は騙されたのだと。
それからの生活は酷いなんてものではなかった。ここに集められた少女たちは皆ウィッチだった。故に通常の人間との違いを調べる為の人体実験が繰り返される。それは人としての尊厳を踏みにじる行為であり、とても幼い子供が耐えられるものではなかった。
その代価として用意されたのは最低限の衣食住。反抗する者は"おしおき"と称して丸一日どこかへ連れていかれてしまう。クラースナヤは受けたことは無いが、それがどれだけ辛いものなのかは、帰ってきた少女の顔や体が物語っていた。
そんなことが続き精神は鉛筆のように少しずつ削られていった。限界が刻一刻と近づく中、転機となる事件が起こる。他の被検体が脱走したことで施設全体がパニックに陥ったのだ。それに乗じて逃走を試みる少女達。クラースナヤもその一人だった。
しかし脱出まであと一歩の所で施設の責任者、カプトリナ・ラキーシン少佐が直々に少女達を捕えにやってきたではないか。例え人数が多くても瘦せこけた少女達が彼女から逃げられるはずもなく、ことごとく捕まえられてしまう。絶望の中でクラースナヤは抵抗すら諦める。だが少女達の一人が、ラキーシンに噛みつき、一瞬の隙を生み出した。こんな状況でもまだ抵抗することに驚いたクラースナヤ。抵抗した少女はこう言った。
「生きている限り、諦めないで!」
その言葉を聞いたクラースナヤは衝動的に駆け出した。真っ直ぐ不俱戴天の敵へと向かって、その体にぎこちない拳を入れる。だが軍人に敵うはずもなく、とりついたアリを払うが如く吹き飛ばされてしまう。だが諦めない、立ち上がって視線を上げると先ほどの少女が首を絞められていた。絶体絶命の状況に、再び立ち向かうも結果は同じ。もう何も手段は無いのかと、ただその様子を見ていることしかできないクラースナヤ。そんな時。
「に……げ……て……」
締め付けられた喉から弱々しい言葉が紡がれている。そんなことできない、という顔を向けるが少女はクラースナヤに向かって微笑みかけたのだ。次の瞬間、グキャッという鈍い音が響く。首を絞められていた少女の腕や首がだらんと、力なく揺れる。それを目撃した後、クラースナヤは反射的に走っていた。背後では追いかけてくる激しい足音がしたが、振り返ることはしない。後ろでどんな顔をした化け物がいるか分からないからだ。
そんな緊迫した状況で、やっと建物の外に出るが見えた景色は足元いっぱいに広がる森林。施設は高地に建てられていたのだ。ザクザクと軍靴の音がゆっくりと近づいてくる。選択肢は留まって捕まるか、落ちて逃げるか。だが生存確率は五分五分。クラースナヤは滑るようにして崖を降りるが、途中で岩の出っ張りにつまづいて宙へと投げ出されてしまう。叫び声すら出ぬまま彼女は緑の中に消え去っていく。ラキーシンはそれを確認したのちに踵を返していった。
クラースナヤはというと服が木の枝に引っかかったお陰で地面への激突は免れた。そして行く当てもなく、ただ、施設から離れるためによろよろと歩き出す。その間ずっと抵抗した少女が何故、微笑んだのかを考えていた。その答えは今でも出ていない。
「降りろ」
肩を叩かれてクラースナヤは我に返る。辺りを見回すと少し見慣れていた景色……あの施設だった。もう二度と戻りたくはないと願っていたが、現実は残酷にも彼女を忌地へと引き戻す。
運転手に連れられて施設内へと連れられる。軍人や白衣を着た人が闊歩するその様は、クラースナヤがいた頃と何ら変わりがない。今もまだ子供達がひどい目に遭っているのだと確信できる。
そうしているうちに扉の前にまでたどり着くと、運転手はノックをして入室許可を得る。部屋の中に入ると真っ先に目に入ったのは椅子に座るラキーシンだった。まるでここが自分の国で、腰を下ろす椅子は玉座とでも言いたげな顔。
「ゴルドヴァ少尉、ご苦労様です」
「被検体を連れ戻しました」
ラキーシンは一瞬だけ辺りを見回すと「はて……」と何か不満足そうな顔を見せる。その様子にゴルドヴァ少尉は息を吞む。
「フォルティスはどこでしょうか?」
意外な人間から見知った名前が放たれてクラースナヤは目を見開いた。何故だか、この細目の女はフォルティスを知っている。そして理由は定かではないが、ここに連れてこようとしているのだ。
「彼女との交渉は難しいと判断しました。ですから餌となりうる被検体を連れてきました」
「……なるほど。少しはその足りない頭を使おうと努力した訳ですか」
ラキーシンはゆっくりとゴルドヴァ少尉に近づきながら「ですが」と言葉を追加する。緩慢とした動作で震える耳元に銃口を当てるかのように口元を近づけて囁く。
「フォルティスがここに来られないという可能性……。勿論それも考慮して、何か他の策も用意しましたよね?」
耳の中を生温かい吐息が往来する。それをくすぐったいなんて言ってられるほどの余裕はゴルドヴァ少尉にはない。彼女にとってこれは甘いものではなく、苦痛へと誘う囁き。体に循環するのは恐怖という名の毒なのだ。
「……は、はい。追跡ができるよう痕跡を……残しました」
咄嗟に返答をする声は震えており、視線は乱れている。冷や汗が全身を這いずり回る感覚。標的ではないクラースナヤでさえ、その嫌な感触が伝わってくる程だ。
「オラーシャは広い。例えわかりやすい目印で誘導したとしても素通りされる可能性がありますよね? それに、あからさまな誘導にのってくれるほど彼女は馬鹿ではありませんよ」
「すみません……」
「まぁ、あなたの底が見えたということで、今回は多めに見ておきましょう」
そう言うと彼女は手をひらひらと振って、下がれ、と合図を送る。それを見たゴルドヴァ少尉は一礼を挟んですぐさま部屋を後にした。こうして残されたのは小さな少女と蛇目の女。無音な空気はクラースナヤには、まるで凍ったように冷たく感じた。緊張がじわじわと彼女の体内に蔓延し、筋肉を麻痺させる。
「フォルティスが来ないと思っていますか?」
突然の言葉にクラースナヤは体を跳ね上がらせる。それを見たラキーシンはニヤリと笑みを浮かべると、物凄い速度で顔を近づける。まるで反応が追いつかないと、言わんばかりにクラースナヤは体を強ばらせる。
「彼女は執念深い女です、必ず来ますよ。フフフッ……」
彼女の目は潤む瞳をじっと見つめる。そうして掌を顔の前にばっ、と出して脅かすのだ。そんな一挙手一投足にクラースナヤは怯えて、涙を流すことしか出来ない。
こんな様じゃダメだと分かっているのに、どうしても恐怖には勝てない。目の前の女はネウロイを撃滅できるウィッチという人種。得体の知れない怪物達と銃を持って戦う、強い存在なのだ。恐怖など克服しているに違いない。だと言うのに、ラキーシンは他人の恐怖すらもコントロール出来るときた。真の化け物とは彼女のことを言うのだろう。
けれども、フォルティスだってそんな化け物と同じウィッチなのだ。いずれ相対するのは目に見えている。もし彼女なら、どうやってこの女と戦う?どうやって恐怖を克服する?クラースナヤは考えた。
「どうして……そんなことが言えるの?」
彼女の答えは"勇気"だった。多くの人が見捨てる中、助け出す勇気。まともな武器が無いまま、戦う勇気。様々な勇気を見ていたが故の答えだった。
「知りたいですか?」
またあの時の囁きだ。毒針から甘苦しい毒が注がれ、体の至るところをめぐる。だがクラースナヤは負けじと相手を睨みつけて、反抗の意志を見せる。そんな姿勢を以外に思ったのか、ラキーシンは少し驚いた表情を見せた。
「彼女から聞いていると思っていましたが………。ああ、そうでした、私はまだ自己紹介していませんでしたね」
何を今更と、クラースナヤは邪険な態度を目線で示す。それを浴びて心地が良いのか、ラキーシンは更に口角を上げる。
「私はカプトリナ・ラキーシンではありません。本名はイライザ・ゴドルフィン……」
その名を聞いたときにハッとした。そういえばラキーシンの顔をあまりしっかりと認識していなかった。今、よく見れば見る程わかる。この顔は、フォルティスが持っていたロケットに似たものがあったのだ。フォルティスの横に立っていた、特徴的な細目の少女。それが今目の前の女と姿が重なる。あの刃物のような眼力を持った人間はそうそういないだろう。
「もしかして……」
「ええ、私はフォルティス……いやスカーレット・ブラックの幼馴染ですよ」
頭ではその事実を否定したかったが、どうしても心が納得してしまう。あんなに優しいフォルティスが大切にしていた友人が、この残忍な化け物と同一人物だと。
「ゴルドヴァ少尉の代わりに私が代替案を用意します。場所を変えましょう」
そう言って連れられたのは格納庫。だが普通のそれとはどこかが違う。兵器と思われる類のものがどこにもない。代わりに鎮座しているのは謎の機械類。その中にクラースナヤの覚えのあるものが一つあった。
それは鉄格子の中に拘束されている頭無しの人型のネウロイ。オデッサへの道中に襲ってきたのと同型のように見える。
「こちらです」
そう言って指さした先には電気椅子の様なもの。だが簡素な構造のそれとは違い、目の前のものは成人男性程の高さをした機械が隣接している。
「あなたには"固有魔法"なるものがあります」
固有魔法。それはウィッチの中でも一部の者だけが持つ、シールドなどとは違う特殊な魔法。クラースナヤには『生体探知』というものが備わっているという。
「その能力を強化すれば、あなたはフォルティスの居場所を探知することができるはずです」
断固として拒否……だとしてもラキーシンは無理にでも決行するだろう。勇気を出し、覚悟を決めて前へと歩き出す。
「まぁ、それができないにしても、逆探知はされるでしょう。さぁ」
促されるままにクラースナヤは椅子の装置に座る。鉄のひんやりとした感触と肌にや服にまとわりつく埃。鬱陶しく付着するゴミを払っていると頭に複数のアンテナのついた冠を被せられる。そうして全身を拘束ベルトできつく締められるクラースナヤ。傍から見れば、本当にこのまま処刑されるのではないかといった風貌。それを影から伺う者が一人、ブレンダ・エンフィールドだった。
「さて、始めましょう」
同時に手元のボタンが押される……のだが何も起こらない。拍子抜けしてクラースナヤは強張った体の緊張を解く。……その判断が間違いだった。突如として彼女の全身に情報という名の電流が走る。それは誰かの痛み、苦しみ、憎しみ、そして恐怖。しかも一人のものではない。複数人の確かに存在した記憶。ある者の凌辱の痛み。ある者の喪失の苦しみ。ある者の世界への憎しみ。そして、ある者の切り刻まれる恐怖。
そんなおぞましいものをクラースナヤは脳内に何度も何度も押印されているのだ。あまりのことに叫ぶことも、もがくことも許されない。彼女はただ目を乾くほど見開き、声にならない嗚咽を漏らすことしかできない。
「これでフォルティスの位置を割り出せるでしょう? 彼女はどこです?」
ラキーシンが尋問を開始するが、目の前の少女はうんともすんとも言わない。少々強すぎたかと出力を弱めると、ぐったりとして反応がなくなる。取り付けられたレーダーも無反応。仕方なく技術者を呼ぶが、わからない、の一点張りで頼りにならない。
「ブレンダさん」
突然名前を呼ばれたブレンダはびくりと体を跳ねさせる。その拍子に近くの道具が机から落ち、音を響かせた。それに反応したラキーシンはそちらへと顔を向けて、ニッコリ笑いだす。それがたまらなく怖いのだ。
「あ、ブレンダさん。どうにかなりませんか、これ」
「あぁ、わかった……」
少しこうべを垂らしながらブレンダは電気椅子の前に、のそのそとやってくる。そうして機械を少しいじるが、先ほどの技術者と同じく首を横に振った。しょうがない、とラキーシンは物言わぬ少女の頬をペチペチと叩いて、意識の有無を確認する。予想通り人形の様に微動だにしないので諦めたその時だった。チャンスを狙ったクラースナヤは目を見開いて意識を覚醒させる。そして目の前の女めがけて頭突きをかますのであった。
「くっ!」
「あなたなんかに、フォルティスは渡さない!」
油断していたのか、思いの外、効いたようで一瞬ふらつくラキーシン。視界が一瞬だけ歪み、次に視界に見えたのは、憎たらしい少女の顔。
「あなたに彼女の何が解る!」
激情に駆られたのかラキーシンは反射的に装置の出力を上げた。声では冷静を装っているようだが、特徴的な切れ目はカッと見開かれており、血走っている。対してクラースナヤはじっと前を見据え、装置の負荷に耐えており、うめき声すら上げない。その姿勢がまた、怒れる眼差しの神経を逆撫でするのだ。
「リミッターを解除、出力最大」
「だが……」
「逆探知されれば無問題です」
それを信じてブレンダは言葉通りに実行する。流れてくる情報の量は数倍にまで跳ね上がり、その鮮明さも強くなっていくのだ。ここまでくると常人では数秒で発狂する域にまで達する。だがクラースナヤは十秒ほど耐えた後、嗚咽と共に吐瀉物をまき散らして気絶した。
その様を見下ろしてラキーシンはふん、と鼻を鳴らして踵を返すと「掃除しておいてください」と言い残し、ブレンダを連れて去っていく。
その後、二人は執務室で資料を広げながら今後の計画について相談を始めるのだった。
「もっと優秀な人材が必要です。人間は頭にある大きな知恵を維持するために、体の構造を数万年もかけて進化させました。それを有効活用できない人類には足も手も必要ないでしょう?」
そう言ってラキーシンは紙の一枚を手に取って見せびらかす。それは『魔女融合型怪異・試作型』と書かれた設計図面。そこにはあの頭無しのネウロイが描かれており、その内部にはコア以外のものが入る仕組みとなっている。その中身というのが、四肢を切断したウィッチなりたての少女の肉体。つまりネウロイの外装の中に人間が入っていることになる。
それを知っていて、既に二体も生み出しているブレンダはラキーシンの言葉の意味を理解しているのだ。
「えぇ」
ブレンダが小さく唸りつつも同意するが、相手はクスリと噴出した。
「冗談ですよ、本気で同意しました?」
「あまり、からかわないでください……」
「ですが本気でそう思っているお方はいるそうですよ」
「お知り合いに……?」
反射的にそう返すがラキーシンはどこか遠くを眺めており、質問に答えようとしない。まるで心ここにあらずといった様子だが、その瞳はどこか怒りや悲しみが含まれている。
「私はそういった考えの愚か者こそ、排除されるべきだと思います」
そう言って向き直った時には感情の混じった眼は煙のように消え去っていた。そしてまた制作中の兵器について喋り出す。まるでさっきのことなど、なかったと言わんばかりの饒舌っぷりだった。
排除されるべきは──。そう考えながらもブレンダは目の前の悪魔との話に集中する。どっちみち、彼女には"切り札"が残されていたから……。
***
すっかり辺りは暗闇に包まれた。残された僅かな痕跡と感じた魔法力を頼りにフォルティスが辿り着いたのは白塗りの建物。パッと見るとオラーシャ軍の設計局のようだが、彼女がざっと周囲を観察しても歩哨のような人間が誰一人いない。放棄されたものを再利用しているのだとフォルティスは踏んでみるが、近づくと人の会話や物音が良く聞こえてくる。
「どっかの組織なのか……?」
「その認識で間違いない」
突然、背後から声がしてフォルティスは振り返る。衝動的にソードオフのウィンチェスターに手を伸ばすが、目の前にいるのが少女だとわかって、やめる。
「なんだ、もう……脅かしてくれるなよぉ」
「なんだ、とは失礼な。これでもウィッチなんだから」
そう言われて少女の服装に目を通す。オラーシャ陸軍の制服にズボン、これはれっきとした正装。つまりフォルティスにとって脅威になりうる存在であることの証明でもある。なによりクラースナヤを攫ったのもウィッチの可能性もあるのだ。それが目の前の少女である可能性も。
「あなたが"黒の亡霊"……スカーレット・ブラックでしょ?」
その言葉を聞いた途端、フォルティスは咄嗟にウィンチェスターの銃口を少女に向ける。自分の本名を知っているということは本国ブリタニアの人間、もしくは数年前のタイフーン作戦の関係者しかない。そうなれば消去法で前者だとわかる。タイフーン作戦ではフォルティスは戦死扱いだからわざわざ探しに来る人間はいないからだ。
「あんたは誰!」
「さぁ……? 誰でしょうねぇ」
少女はへらへらと笑って視線を逸らした。その態度に苛ついたフォルティスは銃口を相手の喉元に突き付けて脅す。
「ふざけるのもいい加減にして。じゃないとお前の体に蜂が住むことになるけど」
「ふざけてるのはそっちだよ。何でそんな偽名まで名乗って、ネウロイ倒しの慈善活動じみたことをしてるのさ。それが強さの源っていうなら、私が悪かったよ」
そう問われてフォルティスは何も答えられなかった。確かに少女の言う通りわざわざ偽名を名乗ることの意味や有用性などほとんどない。名前を隠したのは、もっと精神面での理由だった。それは親友を死なせた、スカーレット・ブラックという人間から目を背けたかった。ただそれだけだった。
「まぁいい。上官に案内するように言われてるんだ、ついてきてよ」
少女の言われるままにフォルティスはついていくが、その間もウィンチェスターは向けたままだ。そんな状態でも動じずにいられる、この少女は並みの人間でないと誰でもわかる。だがフォルティスが施設内を歩いていると気づいたのは、並ではないのはここの人間全員だということだ。研究員や兵士、背広姿の男の誰もが異様な雰囲気を醸し出している。
「狂人の集い……さしずめサバトだね」
フォルティスがそう吐き捨てていると目的地に辿り着いた。そこは広い格納庫で色んな機械類が広がる探究の園。導かれるままに奥に進むと、見覚えのある少女が大掛かりな椅子に拘束されている。クラースナヤだった。
「クラースナヤ!」
「フォルティス……来ちゃ……だめ……」
そのひどい有り様に居ても立っても居られなくなったフォルティスは駆け出していく。だが椅子の後ろから、幽霊のように女がぬっと現れる。その女は前に進む足を止めるに値する程の存在であった。
「ゴルドヴァ少尉、ご苦労様です」
ゴルドヴァ少尉と呼ばれたウィッチの少女は一礼して後ずさる。反対にフォルティスはまた、ゆっくりと歩みを進める。
「お久しぶりです、スカーレット」
「うそ……」
その声を聞いた瞬間、フォルティスの目は大きく見開かれた。少し記憶より大人びているが、目の前の女は紛れもなくイライザ・ゴドルフィンだった。栗色の髪の毛、刃物のような鋭い眼光にサファイアのうような瞳。他人の空似にしては良く出来すぎている。故に本物としか言えない。
だがフォルティスはあの日、確かに彼女の骸を抱いた。その冷たい肌の感触、虚ろな瞳、魂の消えた体の重さ。その全てが偽りだったのか?
「また会えて嬉しく思います。あなた、随分と変わりましたね」
ラキーシン──イライザはゆっくりと歩み寄ってくる。そして互いの息遣いが伝わるほどの距離まで近づくと、彼女が本当に生きているのだと感じるフォルティス。親友の肩に手を触れる。温かい。息をして、こうして立っている。その事実がたまらなく嬉しくて、嬉しくて、声にならない叫びが掠れて漏れていく。自分はずっと悪い夢を見ていたんだ。もう苦しまなくていい、戦わなくていい。そう思えた時、フォルティスの瞳から水滴が流れ落ちた。その瞬間、今までの記憶が走馬灯のように蘇る。街の至る場所を駆け巡ったこと、消灯時間を超えて夜更かししたこと……。そのすべてが大切な一瞬で、かけがえのないもの。そのどれもにイライザがいた。
またこうして彼女と同じ時間を歩める、そう思えただけで失った時間が無駄ではないと思えた。けれども今は、目の前の親友が生きているという証拠が一つでも欲しい。そう感じてその体を抱きしめる……がその背に違和感を覚えた。明らかに異様に出っ張っていて硬い。手でまさぐると、それは首からずっと下まで続いているようだった。
「これが気になりますか?」
イライザはそう言うと少し離れて、おもむろに制服のジャケットを脱ぎだした。そうするとその違和感はさらに強くなる。やはり背中に何かある、そう思える程シャツが歪な伸び方をしている。フォルティスはその様子を息を飲んで見つめる。最後にシャツを脱ぎ、上半身が下着だけになると全貌が明らかになった……。
背骨に連続した黒い背びれのようなものがあるのだ。それは微かに赤く、怪しい光を放っている。
「イライザ……? これは……?」
「コア・スパインといいます。ネウロイのコアで生命維持を可能にしているのですよ。まぁ、ウィッチにしか出来ませんが」
まさか親友がそんなことで生きているとは夢にも思わなかった。これこそ悪夢というものではないだろうか。
生きていることは喜ばしい出来事でも、ネウロイという人類の敵の力を利用することで生命維持をしていることは理解が出来なかった。そもそも、そんなことが可能なのかとフォルティスは疑問に思うが、現に目の前にやってのけている人間がいる。
シャツを着直し、軍のジャケットを羽織ったイライザは、仕切り直しと言わんばかりに襟を正して向き直った。
「さて、感動の再会も果たしたことで本題といきましょう。スカーレット、私と共に来てくれませんか? 人類の進化、発展。そして不要な人類の排除。それを成すことで世界はより良い方向へ進みます。ネウロイとの戦いにも決着をつけるべく、相互理解の研究。ゆくゆくは共生を考えています」
唐突な情報の濁流にフォルティスの思考が追い付かない。傍から見れば虚無を見つめて突っ立っているだけの存在だ。
しかし、彼女の中にはある一つの答えが出ていた。それは、今のイライザはもう昔の彼女ではなく、あれはネウロイの力で動いているだけの生ける屍に過ぎないということ。その時、彼女の中で何かが、音を立てて壊れた。それはイライザとの思い出、再会の喜び、そして抱えていた幾つもの他の感情。
「答えを急ぐ必要はありません。じっくりと施設を見学して、考えてくれれば……」
「どうしてクラースナヤを連れ去ったの……?」
低い声でぼそりと呟かれるが、イライザはそれを聞き逃さずに答える。
「それはもう、あなたを連れてくるために決まっているでしょう。ずっと会えるのを──」
「嘘をつけ!」
フォルティスは格納庫全体に響くくらいの怒鳴り声をあげた。その気迫に近くのゴルドヴァ少尉は勿論、付近の研究員のブレンダも体をびくりとさせる。
「何が人類の進化さ! ネウロイとの共生さ! そんなことの為に一人の人間を拷問していいことにはならない!」
声を張り上げて椅子に縛り付けられたクラースナヤを指さす。服は吐瀉物で汚れ、前身は汗でびっしょり。そしてその精神は憔悴しきっており、目を開けているのがやっと。
フォルティスは目の前の女を突き飛ばしてクラースナヤの元へ向かう。それを見てイライザはクスリと笑った。
「フォル……ティス……こないで……」
その言葉にフォルティスは立ち止まって驚いた。どうして助けを拒むのか、わからなかった。迷惑になると思っているのか、はたまた別の何かか。
そうしているとクラースナヤの傍にイライザが寄ってきては、細く小さな肩をがっしり掴んで口を開いた。
「クラースナヤでしたよね。あなたがスカーレットをここに連れてきてしまったんですよ。あなたがこの世に生まれてしまったから、こんな善人がこんな目に遭って……あぁ。なんと嘆かわしい」
「黙れ!」
「誠意をもって死ぬべきです。そうすればあなたは赦されます」
「黙れ!」
「役立たずに生きている意味はありません。はっきり言って迷惑です」
「だまれぇ!」
激昂したフォルティスはイライザの胸倉を掴んで壁にまで押し付ける。もはやこの化け物を生かしておけないと、魔法力を使って首を絞めるが全く歯が立たない。まさかと思い、頭部へと目をやるとやはり狐の耳が生えている。イライザもまた魔法力で対応しているのだ。しかも彼女の固有魔法は『身体能力強化』で並大抵の力ではどうにもならない。
細い首を絞める手はいともたやすく解かれて、その体ごと飛ばされる。もはやイライザには正攻法は通用しない。フォルティスは逃げることを最優先とするため、もう一度クラースナヤの傍へと駆け寄った。拘束具を外そうと手を動かしていると、小さな声が漏れ出していることに気づき、耳を澄ました。
「私……嬉しかった……フォルティスが……優しくしてくれて……」
「しっかりして! 私にはクラースナヤが必要なの。役に立つとか立たないとか、そんなんじゃない。ただ傍にいてくれれば……」
握る手は次第に温かさを失っていく。瞳からも光が次第に消えていき、呼吸も浅くなる。体には外傷などはないため、体の機能が低下しているのは精神的な問題だ。それはクラースナヤが生きようとすることを放棄しているからだろう。
「辛いなら助けを求めて。迷惑になんか思わない。私達はもう他人同士じゃないんだから……」
助けを求める、そんな勇気をクラースナヤは持ち合わせていなかった。一人で誰かに立ち向かうために勇気を出した結果、自分だけが被害を被るならそれでいい。だが自分の勇気で、誰かが迷惑を受けるのは嫌だった。だからフォルティスに助けられる前のあの時も、周りに人がいてもクラースナヤは決して助けを求めなかった。
「私は……誰かに頼られるのが、たまらなく嬉しいかった……」
そうなのか、とクラースナヤはその言葉を聞いて納得した。フォルティスに戦う理由を聞いた時、それしか残っていない、と答えていた。だが本心は違った。彼女は頼られたかったんだ。誰かの役に立とうとした。彼女にできることで、できるだけのことをした。
フォルティスだって戦いを昔から出来たわけではない。後から憶えてできるようになったのだ。今は何もできなくとも、これからできるようになればいい。そう思えた時、クラースナヤを魔法力の光が包んだ!
「何です!」
「クラースナヤ!」
拘束ベルトは魔法力で千切れ飛び、アンテナが並んだ冠も弾けていた。当のクラースナヤは先ほどとは打って変わって力強い表情で立っている。その姿を見てフォルティスは自然と涙と笑みが零れた。
「まさか覚醒したのですか?!」
ゴルドヴァ少尉は青い光に魅了され、腰が抜けてその場に膝をついてしまう。同じく近くで見ていたブレンダはこれを好機と見て、準備を始めるためにその場を離れた。
「フォルティス、逃げよう!」
今まで見せてくれたことの無い満面の笑みで手を差し伸べるので、フォルティスは「よし!」と応えてその手を取った。
「逃がしませんよ!」
声の方向へ目をやるとイライザが布を被された何かの前に立っている。あれはブレンダの部屋に置かれていた"試作品"そのものだった。それに傍には、一対の航空用ストライカーユニットのようなものもある。
「刮目しなさい! これが人類の進化、そしてネウロイとの共生の第一歩であると!」
仰々しく叫んだ後に、勢いよく布を取り払うと大きめのコア・スパインが姿を現す。これはイライザ様にセッティングされたコア・スパインの強化外装。ブレンダは弐号機と名付けている。
こうして日の目を浴びたコア・スパイン弐号機。イライザが両手を上げて、後ろ向きで弐号機に近づくと、それは磁石のようにくっついて固定される。その時の合体で生じたエネルギーの衝撃波が辺りを襲い、格納庫は散らかされた子供部屋のような状態になった。付近の人間達はガラクタの下敷きだ。
フォルティス達はというと、運よく格納庫の窓から外に放り出されて一命を取り留める。
「クラースナヤ、大丈夫!?」
「う、うん。フォルティスは?」
大丈夫、と答えながら格納庫の様子を伺う。そのひどい有様に言葉を失うが、今はそんな暇はない。ネウロイとの融合を果たしたイライザがすぐにでも追ってくるはずなのだ。フォルティスはもう話さないと言わんばかりに、小さな掌をぎゅっと掴んで走り出す。乗ってきたトラックを止めた、正面の入り口までノンストップで向かう。
「見えた!」
二人の目にトラックが映る。もう少しで乗り込める、そんな距離まで来た時だった。目の前に誰かが飛び出してくる。フォルティスは思わずウィンチェスターを取り出すが、相手は「や、やめておくれぇ」と両手をぴんと天へと伸ばしたので、引き金は引かないことにした。
「あんた誰!」
「私はブレンダ・エンフィールド。ここの研究員だ!」
「乗せて欲しいなら後ろね!」
「違うんだ、話を聞いておくれ」
食い下がるブレンダに「じゃあ手短に」と折れるフォルティス。彼女によると研究は不本意で、いつかイライザが暴走するのは目に見えていた。だからいずれ息の根は止めなければならないと用意をしていたそうだ。
「そのためのこれだ」
そうして持ってきたのは移動式ハンガーに搭載された陸戦ストライカーユニット。だが通常よりも少しばかり大きく、様々な武装が取り付けられている。似たようなストライカーユニットではカールスラントのティーガーを挙げられるだろう。
「これでやり合えっていうの……私に出来る?」
「出力、火力共に同等なら文句はないだろう!?」
ブレンダが説明していると、施設内から赤い光線が迸る。そうして壁を突き破って出てきたのは、両腕に腕の形をした機械を身に着けたイライザだった。燃え盛る炎を背にしている様は本当に地獄の使いと言っても差し支えない。あの様子じゃどこまでも追ってくるのだろう。
「やるしか……ないの!?」
「あれは君を殺しはしない。第一目標だって常々言っていたからね。戦いようはあるさ!」
ブレンダは迫りくる化け物を指さして言うと、逃げるようにしてトラックの荷台に飛び込んだ。
「スカーレット!!! 私の覚悟をその身で受け止めて下さい!!」
「悪夢との決着はここでつける!!」
覚悟を決めたフォルティスはストライカーを履き、武器を手にする。相手と違って飛び道具があるだけマシかとグリップを握った。砲は携行性をよくするために半分に折り畳まれている。
「面倒な仕様にしちゃって……」
畳まれた砲身を展開して薬室を確認すると、いくらかの37mm砲弾が装填されている。ただの人間相手なら一発で木端微塵に出来るが、相手はシールドを持つウィッチだ。ネウロイのビームをも弾くシールドにこれが通用するとはフォルティスは思いもしていない。
「牽制になりはする!」
狙いを定めて彼女は引き金を絞ると轟音が響き渡った。弾丸は真っすぐイライザへと飛ぶが魔法力のシールドがそれを許さない。こうなるのは目に見えていたフォルティスは次弾を放つ。だが狙いはイライザの足元だ。大口径弾が地面に着弾する時に巻き起こる土煙は、視界を奪うには十分だった。
「今!」
フォルティスは砲を捨て去り、もう一つの武装を手にする。それはブレンダが生み出した鉄の釘を火薬で撃ち出す近接兵器──パイルバンカーだ。肉薄して攻撃するそれならばシールドなど問題ではない。土煙の中へとフォルティスは駆ける。ユニットが大きくても動きに支障はなかった。それどころか、今まで彼女が使ったストライカーの中で最も機敏に動けた。
「ごめん! イライザ!」
パイルバンカーをイライザに押し付けて撃ち放つ……が、おかしなことに引き金を引いているのに釘は射出されていない。確かに押し当てているのにと、フォルティスが顔を上げると、そこにはニタリと笑うイライザの顔が。
「スカーレット……パワーに如何ともしがたい差があるのですよ。あなたユニット一つで一倍。私は固有魔法、コア・スパインとユニットで三倍です」
そう言う彼女の腕にはパイルバンカーの先端部分が握られている。腕型ストライカーで受け止めていたのだ。
「手厳しいなぁ……」
フォルティスがそう呟いたと同時に、胸倉を掴まれて高く上へと投げ飛ばされた。空中で上下が解らなくなり、足を地面と水平にしようにもできず、そのまま重力に従って落ちていった。
「猫が使い魔なら、今のはちゃんと着地出来ていましたよ」
「フォルティス!」
一方的にいたぶられるフォルティスを見ていられない。そう思ったクラースナヤは何かできないかとトラックの荷台に移動する。何かないかと辺りを見回すと、目に入ったのはPTRD対戦車ライフルとその弾薬。意を決して小さな体で物干し竿を構えるが、ふらふらと揺れて狙いが定まらない。
「こうして、寝そべって撃つんだ」
ブレンダがバイポットを展開させ、伏せで撃つことを教えてあげる。そうすると手振れも無くなり、しっかりと狙いをつけられるようになる。
「味方に当たらないようにしっかり狙うんだ、落ち着いてゆっくりと呼吸して……」
「当たって!」
引き金を絞ると、強烈な音と反動が襲い掛かる。だがそんなのは戦っているフォルティスが受けた痛みに比べれば、大したことないと思えた。
放たれた弾丸は真っすぐイライザに吸い込まれるように飛んでいき、胴体中心に命中し内臓がはじけ飛んだ。だが何故だか彼女は笑っている。それもそのはず、ネウロイの力で失われた部分が再生しているのだ。
「マジかよ!」
そう言いはするが、フォルティスはその隙にもう一度、37㎜砲を手にする。備え付けの予備マガジンを差し込むと、ありったけの弾丸を撃ちこんだ。
「もう無駄な抵抗は止めて下さい、スカーレット」
イライザは右腕で地面を抉って石礫を投げつけた。と、同時に空いた左腕でかつての親友を叩き潰そうとする。投げられた砂や石に怯んだフォルティスは避ける間もなく、砲身で攻撃を受け止めることを余儀なくされた。
「あなたの優しさで人が死ぬということを知りなさい!」
「確かに優しさは人を生かしもするし、殺しもする……。だが憎しみは人を生かすことはない!」
「私は復讐と憎しみに生きている!! 子供を都合よく利用する大人たちへの恨みを糧に生きている!!」
フォルティスがじわじわと押されていくのを見て、クラースナヤはライフルで狙撃を続行する。だがそれは魔法力のシールドによって阻まれることとなった。見た目の薄さとは裏腹に、凶悪な強度を誇るそれを破るには火力がいる。それでも弾がある限り、諦めずに打ち続ける。
シールドと弾丸が耳元でぶつかり合う音が、頻繁にイライザの耳の中をこだまする。それを鬱陶しく感じたのか、前蹴りでフォルティスを吹き飛ばすと、クラースナヤへと目標を変える。
「フォルティス!」
「その意思、くみ取った!」
態勢を立て直したフォルティスはジャケットに隠したウィンチェスターに持ち替えて構える。狙いはイライザのコア・スパインだ。
「しまった!」
自分の判断にミスが生じたと理解したイライザは、背後にシールドを展開しようとする。だが時すでに遅し、漆黒の背骨には数発の散弾が撃ち込まれ、赤黒い液体が流れると同時に機能の低下が起こり始めた。腕型ストライカーが鈍重の動きしか出来ない程に。
「スカーレット……よくも!!」
「イライザァ!!」
フォルティスはすぐさま追撃を加えるために相手の懐に突っ込んだ。次こそはコア・スパインごを完全に破壊する、そう思った矢先、今度は正面にシールドが張られた。ウィンチェスターの弾は弾かれたが、こうなれば背後に盾はない。
「クラースナヤ! 今だ!」
「フォルティス! 後ろにも!」
ふと視線をイライザの後ろにやると、言葉通り背後にもシールドがあった。今まで一緒に居て彼女が前後同時にシールドを張れるなんて見たことも聞いたこともなかった。こうなることを予測して、隠していたのか。将又コア・スパインの力のお陰か。
強力なシールドを前に成す術がないように思えるがフォルティスは諦めない。一パーセントでも勝機があるのならそれに賭ける。それでもイチかバチか、という言葉は嫌いなのだが。
「今度こそ、これで!」
フォルティスはパイルバンカーを構え、イライザめがけて叩きつける。ストライカーユニットの無いイライザに防ぐ術はもうない。千載一遇のチャンスにフォルティスは引き金へと指をかけた。その途端、イライザはクスリと笑った。
(まだ何か隠し玉が!?)
「憶えていますかスカーレット? 私達が始めた会った日のこと」
突然何を言い出したかと思えば、とても他愛のないことだった。関係ないと指先に意識を集中させる。だがどうしてだが、体は引き金を引くことを拒んでいた。ここまで争ったというのにイライザの顔が視界に映る度に、昔の記憶が溢れ出てくる。
多くの人を傷つけたイライザを活かしては置けないと思うフォルティス・ブラックと、まだやり直せるかもしれないと思ってしまうスカーレット・ブラックが一つの体に混在していた。
「あの日、私はあなたという光に魅入られた……あなたなら……」
***
イライザは子供が生まれない金持ちのゴドルフィン家に200ポンドで売られた子供だ。売られるまでは愛されず、言葉も教えられなかった。あるのは最低限の衣食住。そのせいでイライザは心を閉ざしてしまっていた。売られた後も愛想が無く、言葉を話せない子供として愛されることはなかった。父親は後継ぎとして育てるために教育をこれでもかと施し、小学校に上がるころには同年代の子供よりも賢くなっていた。
そして小学校、彼女にとっては初めて同年代の子供と接する機会。だが愛想が良くないのは治らなかったようで、友達は誰一人出来ない。クラスでは喋らない変な奴と、レッテルを張られ孤立する。そんな灰色の日常を送っていた。転機が訪れたのはそれから半年が経った時。転校生がやってきたのだ。名のある家の子供、スカーレット・ブラックだった。彼女はイライザとは真反対で、愛想がよく誰からも好かれるような人間で、常に周りを人で囲まれていた。当然の如く、スカーレットは孤立するイライザにも眩しい笑顔で愛想を振りまく。当初はそんな姿を疎ましく思っていたのだ。
だがある日の事、イライザが売られた子供だということが発覚し、クラスで晒し者にされることが起こる。彼女が通うのは名門校。下層階級では天地がひっくり返らない限り、足を踏み入れることすら許されないというのに、イライザというどこの馬の骨とも知れない子供は平然とそこに居る。それを分かっていたクラスメイトはこぞって彼女を馬鹿にする日々。それを事実と受け流すことはできても、限度があった。
けれどもスカーレットは違い、相手を馬鹿にする態度を悪しとした。イライザを守るために、自分から遊びに誘ったりして悪いクラスメイトから遠ざけた。しかしその行動をイライザは素直に受け入れられなかった。それは名声のための行動だと踏んだからだ。
だがイジメが無くなってもスカーレットはイライザと一緒に居続けた。大した評価も得られなかったというのに。理解が及ばず、混乱したイライザはつい聞いてしまったのだ。
「ブラックさん、あなたは何故私に関わるのですか?」
「え? 友達と一緒にいるのはいけない?」
友達。イライザとは程遠い言葉だと思っていたのに、今目の前の少女は自分のことを友達だと認めてくれた。沸き上がった嬉しいという感情を、スカーレットが初めて与えてくれたこと。この瞬間イライザは生まれて初めて、自分が生まれてよかったと感じられた。空が青く見えた。花が鮮やかだと知った。そしてその喜びは涙となって表れたのだ。そんなイライザの涙を拭いてスカーレットはこう言った。
「もう一人で泣かなくていいんだよ」
こうしてイライザは自分を闇から救い出してくれたスカーレット・ブラックという光に魅入られたのだ。
***
次にフォルティスが目を開けた時、パイルバンカーはイライザの胴体とコア・スパインを丸ごと貫いていた。ゆるやかな川のように流れ出す鮮やかな血が、フォルティスの白いシャツを赤く染め上げる。自己再生は起こっていないようだった。貫かれた釘を引き抜き、ふらつく体をフォルティスは抱きとめる。
「イラ……イザ……」
「スカーレット……」
お互い違う理由で力が抜けていき、抱き合ってその場に膝をつく。辺りは血だけでなく千切れた内臓や砕けた骨、そしてコア・スパインの残骸が散っていた。その凄惨な様子にクラースナヤとブレンダは言葉を失っている。
フォルティス──スカーレットはもう一度、自分の手を確かめた。それは真っ赤を越えて黒一色で染まっている。今度こそ自分が殺した、その事実が心をきつく締めあげる。同時にこみ上げる感情が抑えきれずに、涙となって現れる。
「どうして……こうなったの……どうして……」
するとおもむろにスカーレットの頬を白い指が這い、涙を拭いとった。顔を上げると虚ろな瞳が見つめ返している。
「もう……一人で……泣かなくて……いい……あなた……私のために……」
「もういい、喋らないで!」
掠れた声で話すイライザを抱きしめると、その体から半分に砕けたロケットペンダントが落ちる。それはスカーレットが持っているものと同じものだった。イライザもずっと肌身離さず持っていたのだ。
「ありがとう……スカーレット……私と……友達に……なって……」
どんどんと支えている体が重くなっていくのを感じた。そしてスカーレットにあの日の光景、感情が蘇り出す。また親友を亡くした痛みを負わなければならないのかと。だが今回は自分が手を下したのだ。それを悔やんだところで後の祭り。スカーレットは覚悟を決め、イライザを横に寝かした。
「勇敢なる者、フォルティス……黒より闇く染まろうとも、祝福され……」
ウィンチェスターに弾を込めたスカーレットはその銃口を、親友の頭部へと向ける。もうこんな悲しみを生まないために。また生ける屍として悪い人間に利用されないように。今度こそ、眠らせてやらなければならないと。
それを理解したのか、イライザは初めて柔和な笑顔を見せた。
「さよなら……私の大好きな、スカーレット」
引き金を引くと銃声が鳴り響く。そしてスカーレットはかつて親友だったものを抱え、燃え盛る施設へと投げ入れた。
「さよなら……もう一人にはしないよ。今度こそ一緒にいてあげるからね」
割れたペンダントを握りしめてスカーレットは踵を返す。クラースナヤ達の元へ戻ると、彼女はフォルティスに戻ることにした。
「フォルティス……大丈夫?」
「うん、もうお別れは済んだから」
「これからどうするんだい?」
すぐ横のブレンダが訪ねてくるので、フォルティスは当初の予定通りブリタニア行きの航空機が来るというオデッサに向かうことを伝えた。乗客が一人増えるくらい問題ないことも伝えたが、ブレンダは贖罪のためにオラーシャに残ることを決めていたので断った。朝日が昇り、三人を照らし出す。その時に、暗黒の一幕は終わったのだと悟らせる。
それから黒い亡霊の噂がオラーシャで語られることはなくなった。一部の人が疲労や緊張で見た幻覚だと結論づけられたのだ。
けれども確かに彼女は生きていた。心優しきウィッチ、装甲歩兵フォルティス。
これを読んだ後にIn This MomentのScarletという曲を聞くといいでしょう