あんたの言うとおりだったよ。僕を取り巻く世界ってやつは、嫌になるくらい広くて大きいくせに、強い衝撃が走ると簡単に崩れ始める。憎くて愛おしいその形が壊れちまわないように、僕は走りまわらないといけなかった。開いた穴を埋めるたび、ぽろぽろと大切なものをこぼしながら。
サーベルとブレードが擦れ合う。ときに火花を散らし、幾合も幾合も。僕とハインシュルツは一時とて同じ場所に留まることはなかった。
後悔はあるか? ……答えはYesだし、Noでもある。こんがらがった毛糸玉みたいなものだ。何色も混じった毛玉を指して「この玉は赤色ですか? Yes? No?」なんて聞かれても簡単には答えられない。
でも迷いはない。僕の気持ちはとっくの昔に定まっている。
至近距離で炸裂する銃声。耳慣れた死への招き声に絡み取られぬよう、身を躱す。食らいつくように体をぶつけていく。やがて弾が底を尽き、ハインシュルツの腕が元の形に戻った。代わりとばかりに左の豪腕が僕を盛大に弾き飛ばす。距離が開く。
タイムリミットまであと三十分を切った。縮退炉の暴走を止める手間を考えれば、もうほとんど時間がない。
口元の血を拭い、敵を見据える。消耗で息が荒くなってきた。
――大丈夫。君が私を忘れても、私は君を――
脳裏に閃く言葉の残滓。
「約束してくれたんだ」
呟く。誰にも聞こえない声で。自分を奮い立たせるために。
状況は厳しかった。体はひどく傷つき、心も折れそうなほど削られている。何より時間がない。敵が強い。
なら、どうする? 簡単だ。限界を超えればいい。この壁を壊すためなら、忌み嫌う悪魔に体を捧げたって一向に構わない。
頭の中でカチリと何かが切り替わる音がした。途端に、脳が全身全霊で危険信号を発する。これ以上はだめだ。これ以上はいけない、と泣き言をほざき出す。それを片っ端から無視して払いのけ、潜在能力を引き出せるだけ引き出していく。常人が決して超えられない一線を軽々と飛び越えて、さらにその先へ。鋭く、なお鋭く、神経を研ぎ澄ます。
大事な何かが弾けて消えた音がした。あるいは掌から零れ落ちていく感触か。
自分の息遣いが遠くなっていく。心臓の鼓動が静かに脈を打っている。頭の芯が急速に冷えていき、感じられるのは自分と敵の存在だけになる。
僕の意識が内に向いたのを隙と感じたのだろう、ハインシュルツが弾丸のように突っ込んできた。距離にして十メートル弱。僕らにとっては一息に潰せる間合いだ。軍刀の切っ先は過たず心臓を狙っていた。コンマ数秒で肉を切り裂き骨を断つ致命の一撃。
『殺(と)った!』
ハインシュルツの表情が彼の心情を物語る。狩人が獲物を仕留める瞬間に浮かべる、会心の笑みだった。
敵の刃が届く数瞬前。僕はゆったりと弧を描く彼の口元を見ながら、粘性の液体と化した空気を掻き分けるように動く。時計回りに半身を引き、空を切った敵の腕を下から切り上げる。ぬるりと纏わり付く大気の感触が、彼我の時間間隔の圧倒的な違いを表していた。
肘から先を切り飛ばされたハインシュルツは、しかしそれに気付く間も無く、横薙ぎに振るわれた二撃目によって首と胴を切り離される。
地面へと落ちていく彼の顔には、最後まで笑みが貼り付いたままだった。
人外の者による闘争。そのあまりにも呆気ない幕切れだった。