ドーナツホール   作:海月大和

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8.あなたの名前は

「頑張った君たちに良いことを教えてあげよう」

 

 ハインシュルツの笑みがいっそう深くなった。

 

 映像の乱れ具合で分かる。これはライブ放送じゃない。あらかじめ記録しておいたものだ。特定の条件が満たされると自動的に流れるよう仕込まれていたのだろう。

 

 条件とはなにか? 決まっている。『縮退炉の暴走を止めること』だ。

 

 迂闊だった。解除プロセスのどこかにトラップの起動トリガーが隠されていたはずだ。それを見逃した。なんて単純なミスを。僕は悔しさに唇を噛み締めた。

 

 灰色の石壁を背に、ハインシュルツは人差し指を立てる。

 

「まずひとつ。世界が滅亡することはもうなくなった。すごいぞ! 任務完了だ!」

 

 演技くさい、大仰な仕草で褒め称える男。内心は画面の前の人間を馬鹿にしているに違いなかった。

 

「晴れて君たちは世界の救世主となったわけだ。実にめでたい! さて、ではここでもうひとつのお知らせだが……」

 

 そこでハインシュルツは意味ありげに言葉を切る。いまさらもったいぶる必要もなかろうに、と思うが、あちらとしては少しでも僕をイラつかせたいのだろう。せめてもの仕返しというやつだ。

 

「残念ながら、君たちがここを生きて出ることはない」

「だろうね」

 

 半ば以上予想できた答えに意味の無い相槌を返す。世界を道連れにしようとした奴らだ。自分を殺した相手を地獄に引き込もうとしたってなにも不思議じゃない。

 

「施設の地下に爆弾を仕掛けておいた。周囲十キロを残らず塵にする特製のをな。一瞬で分子レベルにまで分解されて苦痛なく逝ける。安らかな死だ。良いプレゼントだろう? このカウントが見えるか? それがお前らが過ごす最後の時間だ」

 

 画面右上に追いやられた『3:00』を指差し、亡霊は愉快そうに口角を上げる。

 

「せいぜい有意義に過ごしたまえ」

 

 嫌味ったらしい台詞を残し、ハインシュルツは画面から消えた。そしてカウントがディスプレイに大写しになり、タイムリミットを知らせはじめる。

 

 数秒、画面を見つめていた僕は、司令部との通信チャンネルを開いた。ノイズと意味を持たない雑音ばかりが聞こえる。次に、施設内部の見取り図を呼び出した。現在地から最も近い脱出地点へ繋がる最短ルートを算出、現在のコンディションを加味して離脱にかかる時間を計算する。

 

 弾き出された数字は『5:33』。さらに施設から十キロ圏外へ退避する時間を考えると、とてもじゃないが間に合わない。

 

「まいったな……」

 

 すっと肩の力が抜けた。体に残っていた緊張が溶けて抜け落ちていくようだった。心が不自然なほど落ち着いている。カウントは残り二分四十五秒。

 

 まんまとしてやられたのは腹が立つ。しかし、幸いにしてこの建物は数百キロの面積を有する森林の中。爆発による人的被害は最小限に抑えられる。

 

 制御ユニットから少し離れ、パワードスーツの着脱コマンドを操作する。何段かに分かれたプロセスを全てクリア、最終確認の問いへYESを返す。ふしゅう、と排気音を発して身体を締め付けていた各部パーツが緩み、肌と装甲の間に親指二つ分ほどの隙間が出来た。慣れて感じなくなっていた軽い圧迫感が消える。時間差で背面の装甲が全て開くと、ヘッドギアを外し、脱皮するようにスーツを脱いだ。

 

 補助を失った体は鉛のように重い。膝が震え、立っているのが辛くなった僕はたまらず座り込んだ。制御ユニットを視界に入れ、パワードスーツに寄りかかる。

 

 残り時間が二分を切った。

 

 傍らに立つ人形は粛々と僕を支えていた。悪魔なんてニックネームを付けられているくせに、なんて殊勝な態度だろう。少し笑える。

 

 僕がこのアンバランスな機械のための生贄だというのは変わりない。その事実は忘れていない。けれど、嫌い続けるには長く共にいすぎた。

 

「最後に横にいるのがお前だなんてな……」

 

 思えば、苦しいとき、辛いとき、死にそうな目に遭うときはいつもこいつと一緒だった。それを引き寄せるのがこの悪魔なのだから当然のことなのだけど、ボロボロになった装甲や歪んだフレームを見ると、こいつがいなかったら死んでるだろうな、なんて考えも浮かんでくる。

 

 だから、今のこの状態も当たり前のことなのかもしれない。こいつが死ぬ。そして僕も一緒に死ぬ。残念だが、道連れがいるのは少しだけありがたい。たとえそれが無愛想な死神でも。

 

 カウントが一分を切った。

 

 ふと思い立って、僕はパワードスーツの内部収納スペースを開けた。任務に必要な重要物などを入れる場所だ。手帳サイズの小さな収納部から苦労して目的のものを取り出す。

 

 飾り気のまったくない銀色のリングだ。細いチェーンを通して首にかけられるようにしてある。チェーンを頭に通し、リングを手のひらに乗せた。

 

 しばらく指先で転がしてから、リングを顔の前に持ってくる。光沢のある表面には、短い文が彫られていた。

 

『Never forget you.(あなたをけして忘れない)』

 

 不意に、目頭に熱いものが込み上げた。温かい涙が瞳を濡らして、気付いたときには目尻から溢れていた。そんなつもりは全然なかったはずなのに。

 

 僕を繋ぎ止める約束の言葉だった。これに縋り付いて戦ってきた。僕がいなくなっても、この約束は生き続けるだろう。だけど・・・・・・。

 

 リングを握り締め、胸に押し当てる。視界が滲んでカウントはもう見れない。

 

 死なない想いがあるとするなら、それで僕らは安心なのか?

 

 過ぎたことは仕方ないし、失くしたものを取り戻すことなんてもう望んではいない。

 

 ただ……そうか。僕は、僕だった穴が残るための確かな形(世界)が欲しかったんだな。

 

 静かに泣きながら、目をそっと閉じる。暗闇にあなたの顔を思い浮かべる。

 

 失った感情ばかり数えていたら、あなたがくれた声も忘れてしまった。

 

 簡単な感情ばかり数えていたら、あなたがくれた体温まで忘れてしまった。

 

 この胸に空いた穴が今、あなたを確かめるただ一つの証明。思い出せないことを忘れない限り、存在し続ける証拠なんだ。そうだ。大事なものはちゃんと持ってる。失くしてなんかいない。

 

 それでも何故か、どうしようもないくらい虚しくて、心が千切れそうになる。

 

 瞼の裏のあなたが、ゆっくりと唇を動かした。声は聞こえない。でも、気遣わしげなまなざしが、何を言っているのかを伝えてくる。

 

『大丈夫?』

 

 喉が詰まって声が出なかった。搾り出すように僕は。

 

「……大丈夫だよ」

 

 呟いた言葉のその先が、ぱっと脳裏に閃いた。

 

 最後に思い出した、その小さな言葉。

 

 静かに呼吸を合わせ、目を見開く。

 

 あなたの名前は。

 

 あえぐ様に口を開いたその瞬間、真っ白な光が全てを呑み込んでいった。




ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。以降は番外・後日譚となります。もう少しだけお付き合いいただけると嬉しいです。
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