湊也
淡い街灯とヘッドライトが照らす薄暗い路地を、川上湊也の運転する車は走行していた。古い民家が立ち並ぶ狭い道を抜けて国道と交わる十字路が目前に迫った時、前方車のブレーキランプが赤く点灯する。湊也はそれに合わせて右足を左にずらし、少しばかり前へ押し出した。
信号待ちの時間を持て余した湊也は体勢を傾けて手を伸ばし、収納スペースに置かれている見慣れたロゴの入った小さなボックスを掴む。フロントガラスに目線を残しながら、片手で強引に上部を押し開けて指を中へ突っ込んだ。そうして届く範囲を何度も引っ掻き回したが、感触は何も無い。縦に振ってみても音のしないボックスに苛立ちを覚え、感情のままにくしゃりと握りつぶした。
「ちっ……クソが」
湊也は虚勢じみた弱々しい舌打ちをする。言葉の汚さの割に声量はか細く、覇気はない。その自身の情けなさに抗うように、縁に隈が色濃く目立ち、真っ赤に充血した眼をおろむろにしかめた。
……買ったばかりだと言うのに、いつの間にかすぐ無くなっていやがる。
一日に一箱空かなかった吸い始めの時に比べると、いまや消費量が三倍に近い。……いや、正確には直近一か月の間か。
原型を失ったただの紙くずを助手席の足元にあるゴミ箱に放り投げて、湊也は進路の先を見やる。もう少し走ればコンビニはある。しかし、ここはまだ職場付近の地域であり、私用で車を下りるのは特に避けたい所だった。
かといって、地元まで我慢するとなると数十分はかかりそうだ。いい加減、慣れなければならない。何をするにも支障をきたしてしまうようでは、この先が本当に思いやられる。
ハンドルを握った左手の指をトントンと鳴らし、手持ち無沙汰に歩道者用の信号の点滅をぼぉっと眺めていると、どこからか窓を締め切った車内にすら届く大きな笑い声が聞こえてくる。遅れて脇道からさも楽しそうに談笑しながら自転車を引く、若い男女達が姿を現した。
湊也は思わずピクリと僅かに肩を上げる。普段着なので学生では無い。自然と漏れた安堵の息は、我に返った後に呆れた溜息へと変わった。
学生がどうとかそういう問題ではないのは分かっている。こういった思慮を巡らす事自体が不味いのだ。ただの風景だと思えばいい。なぜ、いつまで経ってもそれが出来ないのか。
あの悪夢からもう一月。長いようで短く、短いようで長い日々が過ぎていた。時間感覚は狂い、ちゃんと日常生活を送れているのかも怪しい。他者から見て、自分は今真面であるだろうか。まあ少なくとも、仕事に復帰した点だけでも良い変化に映っているだろう。
……そんなのは、見せかけである。何処も変わってはいない。人が生命維持の為、当たり前に息を吸うのと同じく、そこに感情は無い。
やがて信号は青へと変わり、前方車はゆるりと動き始める。湊也は現実を分かち合う男女に羨望の眼差しを向けながら、交差点を後にした。