PARADOX   作:柊@

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週末

 

 トンネルを描くように左右からしな垂れる桜の木々の合間を、人々は行き交う。道沿いには等間隔で設置された木造の古びたベンチと、錆びて赤茶けた鉄製の街灯。季節が違えばどこか物悲しく映るこの路地も、春には途端に様変わりする。ひらひら舞い落ちる薄紅色の花びらが、建造物に乏しく閑散とした通学路に彩りを添えていた。

 

 A校唯一の特典といえば、なんといってもこの景色だろう。連なる結晶の如く優雅に咲き誇る桜花が頭上を覆い尽くす様は、この世のものとは思えぬ程に美しく、酷く幻想的だ。環境の変化が伴う始まりの季節に相応しい、日本ならではの風情があった。

 

 最近天候も穏やかで、雨風が運ぶ臭味に汚染されることなく空気が澄んでいる。そうした日の静かでほんのりと暖かな早朝のベッドは心地よく、耐え難い睡魔を再度呼び寄せてしまう。春眠暁を覚えずとはよく言ったものだ。

 

 犇めきながら揺れ動く群衆に溶け込みながら、綾人は深い溜息を吐いた。瞬間的な密度の高さによる圧迫感で多少の息苦しさはあったが、それがこの鬱々とした気分の原因ではない。

 

 二度寝してしまった己の怠慢が招いた結果なのだ。だから、半月過ぎても未だ止まない周囲の忌避の所作は、甘んじて受け入れている。だが、そこにいつものようなねちっこさはなく、どちらかというとただ偶然目に入っただけといった様相だった。まあ、皆頭の中で明日からの予定を立てる事に忙しいのだろう。そのように週末の登校風景は朗らかで、学校へ向かう生徒達の足取りが幾分軽い様に思えた。

 

 HRの開始まで残り20分程度。この時間帯は警戒せねばならない。部活の朝練などの特別な活動が無い限り、地元外の生徒は必ず先程駅に到着したばかりの電車を利用している。既に何人かのクラスメイトをちらほら見かけていた。綾人は余計な動作を避け、辺りと一体化する。しかし、行動に移すのが遅かったのか、良からぬ気配を放ちながら駆け寄る足音が、後方から一気に近づいてきた。

 

「綾人君、おはよー」

 

「……」

 

 綾人は返事をせず、肩を並べた琴音にただ渋面だけを向けた。無言で見つめ合ったまま、二人はしばらく歩いてゆく。返ってくるはずの挨拶がいつまで経っても返って来ずに、琴音は笑顔のまま固まっていた。あれ私まずい事したかなと、ひくつく表情が語りかけてくる。

 

「さ、先に行ってるね?」

 

 気まずさに耐えきれなくなったのか、琴音は逃げるように速足で前へ進み、先行く生徒達の中に紛れて消えて行った。

 

 見送った綾人は、その一部始終に対して露骨に項垂れる。肺を目一杯押し潰す勢いで、再び大きく嘆息した。

 

 ……おかしい。どうしてこうなってしまったのか。非常に由々しき事態に陥っている。

 

 半ば力づくではあったが立場を覆し、形勢逆転したはずだった。なのに、琴音は何事もなかったかのようにあれから普通に話しかけてくる。その度に無視しているというのに、校内を合わせてもう何度目になるのだろうか。

 

 これは暗黙の脅しとも言える。よくよく思い返せば、あんなあからさまな口止めは瑞希の件を自ら肯定してしまっているようなものだ。琴音もそれを察して態度を一変させ、弱みを盾に堂々とちょっかいを出してきている……?

 

 いやないな、と綾人はすぐさま考えを改めた。あの性格にそんな悪巧みは縁遠い。琴音は何の気もなくあたかも友達の一人のように接しているだけなのだ。

 

 だとしたら、最早やりようがない。いくら威圧しようと次の日にはケロっとしているだろうし、言葉巧みに上手く丸め込もうとしても琴音の理解力では難がある。打つ手無しだ。綾人はこの先の琴音との関わり合いを思うと、この上なく気が重くなった。 

 

 最悪ばらされる、なんてことにはまずならないとしても、周りとの干渉を避けたい綾人にとって厄介な状況には変わりないのである。

 

 そうして綾人の思い描く平穏な暮らしは、琴音の存在によって早くも脅かされようとしていた。

 

 

 

 

 

                  ◇

 

 

 

 

 

 綾人が教室に着いた頃には、既に大半のクラスメイト達が揃っていた。目の端に窓際の席の瑞希が映ったが、綾人はあえて直視を避けた。代わりに冷めた視線をおもむろに琴音の席の方へ向ける。予想通りばっちりと目が合い、琴音は慌てふためきながら、物凄い速度で首を逆方向に旋回させた。綾人は棒立ちのまま構わず凝視する。案の定、もう大丈夫だろうと、ゆっくりと恐る恐るこちらに向き直ろうとしてくる琴音にさらに睨みを効かせ、再度その興味のベクトルを無理矢理捻じ曲げてやった。

 

 そんなやり取りを何回か繰り返した後、琴音は諦めたかのように両手を枕にして机に寝そべった。その様子に、綾人は侮蔑を込めて鼻で笑う。席に着き、さも授業の準備とばかりに鞄の中身を机に移し替える仕草を見せて、ご期待通りに琴音に関心を無くした素振りをする。勿論気づかれない程度に監視は続行中だ。するとどういうわけか琴音の脇が徐々に上がって、視界を確保するような不穏な動きが見受けられた。

 

 

 ……これはもう宣戦布告とみなして良いだろうか。

 

 直接言質を取れなかったから、琴音は今一度確証を得ようとしているのだ。無論、綾人はこれ以上簡単にボロを出すつもりなどない。徒労に終わるのは目に見えてはいるが、非常に鬱陶しい限りである。

 

 しかし、困ったものだ。琴音の読み通りに瑞希が気になってしまうのは事実で、気を緩めれば本能的にそちらの方へ意識がいってしまう。これからこんなせめぎ合いをいつまで続けなければならないのだろうか。琴音に勘付かれたのは取り返しのつかない致命的なミスであったのだと、綾人は今更ながらに思い知った。

 

「おい、周防」

 

 そう綾人に声をかけたのは隣の席の竹中だった。あの踊り場で集っていた不良グループの一人である。心ここに非ずの綾人の目の前に、竹中は手をぱたぱたとさせて注意を引く。思いがけぬ横槍に綾人の身体が僅かに力んだ。今まで特に会話もなかった相手だが、ここに来て難癖でもつけるつもりだろうか。

 

「なんか生徒会長がお呼びみたいだぜ」

 

 どう穏便に切り抜けようかと策を練っていた綾人だったが、全くの見当違いに肩透かしを食らう。竹中の指が差す廊下には、見た覚えのある顔。あれは確か、入学式の時に新入生へ歓迎の言葉を贈っていた上級生だ。

 

 怪訝に思いながらも席を立ち、綾人は生徒会長の待つ廊下へと出た。

 

「周防君だね?HRも間近だというのに、突然すまない。僕は三年で生徒会長をしている今庄という者だけど、ちょっと君と話がしたいんだ」

 

 今庄はにこやかに、綾人にそう告げた。

 

「生徒会長が、俺に?」

 

 綾人の疑念はさらに深まる。あくまで生徒の中ではあるが、学校のトップである人間がわざわざ他クラスに出向き、名指しで呼びかけるというだけでただ事とは思えなかった。火傷の事なら、何か学校側に迷惑をかけているわけでもなく、詮索されるような問題でもないはずだ。いずれにせよ、自分にとって望ましくない話には変わりないだろう。

 

「名前は翔真だ。翔真と呼び捨てにしてくれても構わない。放課後に生徒会室で待ってるよ。場所は三階だけど、階段に隣接しているから来ればすぐ分かると思う」

 

 本来なら御免被りたいが、学校組織が絡んでいるとなれば、そう易々と受け流すことは出来ない。おそらく初めから断る権限などないのだ。綾人は翔真の申し出を仕方なしに承諾した。

 

 


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