教室の半分もないこじんまりとした部屋にそぐわぬ大枠の窓から、翔真は外を眺めていた。前回の議論の内容だろうか、壁沿いに設置されたホワイトボードには、隅々まで走り書きされた文章が消されずに残っている。中央には大きな長机と、数人分の椅子。他には様々なファイルや資料が収められたガラス張りの書棚が二つあるだけだ。ここの使用用途は会議のみで、備品などは別の部屋にあるのだろう。生徒会室は整然としていて、思いの外殺風景だった。
「ああ、来たね。まあ、とりあえずかけてくれ」
綾人に気付いた翔真は近くの椅子を引き、着席を促した。
「何の用でしょうか?」
反対側の椅子に回り込こうとする翔真の背に、綾人は立ったまま急かすように問いかける。
「せっかちだな。もし君に時間がないなら、後日でも構わないよ」
ちょっとした会話なら廊下でも出来る。こうした場を設けるのは、おそらく込み入った話だからだ。だからあえて迫り立てる態度を取ったが、翔真にはするりと躱されてしまう。適当にあしらうのは難しそうだ。長机で頬杖を突く翔真の前に、綾人はしぶしぶ対席した。
「さっそくだけど、君に聞きたいことがあるんだ」
翔真は両肘を乗せて手を絡め、少し上体を前に倒す。
「ここが地元の同級生から、君の噂を少し耳にしてね。中学の頃、君は少々問題児だったようじゃないか」
察した綾人は見る見るうちに顔が険しくなった。A高に進学を決めた時に想定はしていたが、こうもすぐに表面化してしまうとは。大人しくしている間は大丈夫だろうと高を括っていた綾人には、完全に虚をつかれる形になった。
「しょっちゅう喧嘩ばかりしていたんだってね。中には相手に大怪我をさせた事もあるとか……。生徒会長として、それが見過ごせない案件なのは理解してもらえるだろうか」
翔真の口振りからして、既に一連の流れはほぼ把握されているようである。そう、それが綾人が他者との交友を控える理由の一つでもあった。
短絡的に言えば、手を出してきた奴ら全てに報復した、というだけのことで、根掘り葉掘り問いつめられるべきは普通なら相手側の方だ。ただ、一切手加減しなかったというのがまずかった。初めの方のされるがままだった時期はともかく、負け続けの奴らが次々に評判の悪い知り合いを呼びつけてきた辺りから、腕っぷしの差は歴然としていたというのに、その都度相手が降参の意思を示すまで躊躇なく痛めつけてしまった。そんな過剰防衛のおかげでそもそもの発端と経緯は無視されがちになってゆき、いつしか周囲には喧嘩両成敗といった具合に同罪とみなされてしまう始末だった。
「そういうものなんですかね」
綾人は気の無い返事をする。どうせこの翔真も、いかにもな講釈を垂れるのだろうと思ったからだ。
「はっきり言おうか。君が我が校の風紀を乱す危険分子なのかどうか、僕は見定める必要があるんだよ。だから君をここへ呼んだんだ。……粗方の事情は知っているが、君の主張も聞いておきたい。話しては貰えないか?」
意外にも一方的な注意喚起ではなく、翔真は綾人の心情を汲む構えのようだった。尾ひれがついて歪曲しているだろう噂に疑問を持ち、情状酌量の余地が有るとでも判断したのだろうか。その姿勢は有難いが、同じ立場にならなければ真の共感には至れない。綾人は当の昔に自身の境遇を誰かに理解してもらうことを諦めていた。
「主張も何も、噂のままだと思いますよ」
「やり返しただけ、ということかな。それにしてはやり過ぎな部分もあったんじゃないか?」
「徹底的に叩き潰さなければ、またしつこく絡んでくるような連中です。俺はただ奴らの心を完膚なきまでにへし折ったまでだ」
強い口調で、綾人は言い放った。
「そうか……」
落胆か哀憫か、翔真はそのどちらとも取れぬ複雑な表情を見せた。
「……君は、なぜ火傷を?」
少しの沈黙の後、翔真は綾人の反応を伺うように、ゆっくりと尋ねた。プライバシーに対する気遣いとも取れるが、それにしてもどこか妙に慎重である。加えて、翔真の眼に微かに覗かせる探求心。どうやら今までの会話は前置きで、翔真にとってはこちらが本命だったようだ。
「答える義務はないと感じますが」
「教えてくれ。それ次第で、もし何かあった時学校側に少しは擁護出来るかもしれない」
「俺は別に望んでいませんが。まあ隠しているわけでもないし、話してもいいでしょう。これは家族を失うことになった家の火事で、炎に巻かれた時に負ったものです」
「不慮の事故で、か。その上ご両親も……。それはとても災難だったね」
不憫そうに、翔真は顔を歪める。
「いえ、俺がわざと引き起こしたんです。当時誰も信じてくれませんでしたが、両親を殺したのは紛れもなく俺です」
「待ってくれ。わざとだって?理解が追い付かない。君は両親を憎んでいたのか?」
「全く。結果的に両親が巻き込まれて死んでしまっただけです」
「それが真実なら大変な事だ。警察はちゃんと調べなかったのか」
「助かった子供は5歳で、現場の状況を精査するにも全焼でしたからね。ただの火の不始末で落ち着いて、疑われることはありませんでした」
翔真は黙ったまま呆気にとられていた。己が犯した重大な罪をこうも淡々と語られては、言葉に詰まってしまうのも無理もない。
「……君が火事を起こした本当の理由は何だ?」
犯罪者への尋問のように、翔真は問いかけた。
「そう言われても。そんな物心がついているのかも分からない子供に、明確な動機なんてあったと思いますか?強いて言うなら、悪戯のつもりだったんじゃないですかね」
「確かに、そうかもしれない。いや、しかし……」
再び翔真は返答を窮した。そろそろ頃合いかと、綾人は席を立つ。
「少ししゃべり過ぎました。まあ、そういうことです。俺にとってあんまり蒸し返されたくない過去なんですよ」
「僕にはあまりにも受け入れがたい話だ。……今のは聞き流して、とりあえず君は幼少期の記憶が錯綜しているということにしておくよ」
翔真は出口へと向かう綾人を目で追いながら、折り合いをつける。綾人はドアを開こうとした手を止めて、振り返った。
「俺への懸念は晴れましたか?」
去り際に分かりきった質問を投げかけてみる。
「勿論保留に決まってる」
だろうな、と綾人は思った。
「心配しなくても俺は自分から問題を起こすつもりはありませんよ。……じゃあ、これで」
綾人は翔真に軽く頭を下げて、ドアを開けた。
「わっ!」
驚きの声と共に、突然目の前に琴音の顔が飛び込んでくる。綾人は面を食らってのけ反った。
「園原……、盗み聞きしていたのか?」
「たっ、たまたま通りかかっただけっ!本当に偶然!」
これ程嘘をつくのが下手な人間は、そうそういないだろう。なんとも安直な言い訳だった。
「はあ……。なんで俺なんかに纏わりつくんだ」
「仲良いね。そういう関係なのかな?」
そう言いながら、興味を引かれた様に翔真は歩み寄ってくる。翔真の不意な一面に、綾人は意表をつかれた。話してみた限り、真面目で堅物という印象を受けたが、案外そういう感じなのか……?少なくとも、このやりとりを見て、そんな俗的な発想が出てくる風には見えなかった。
「どうしたらそう見えるんですか。特に関わりの無い、ただのクラスメイトです」
「え?嘘でしょ?友達だよね?」
琴音は縋る様に綾人の学ランの袖を引っ張った。
「……気安く触るな」
反射的に綾人は琴音を突き飛ばす。琴音は体勢を崩しながら、廊下の壁にぶつかった。
「痛っ」
はっと、綾人は我に返る。咄嗟に手が出てしまった。他人に触れられるのは、苦手だった。
「悪い。つい……」
反省する綾人を強引に押し退けて、翔真は一目散に琴音に駆け寄った。
「……怪我はないかい?」
「はっ、はい。大丈夫です」
翔真は琴音の具合を確認して、大事が無いことにほっと胸を撫で下ろした様子を見せる。
「周防君、いくらなんでもそれはないんじゃないか」
非は全面的に自分にある。綾人もそれを認めて、翔真の言葉に何も言い返せなかった。だが、なぜだろう。さっきから翔真には違和感があった。綾人は一度見極めた人物像を大きく外したことはない。それなのに翔真の態度は、どこか変だ。
「とにかく、今日はこれで解散だ。周防君、彼女にしっかりと謝っておくように」
翔真は綾人にそう忠告すると、三年の教室へと去っていった。
「本当に悪かった。そういうの、色々あって駄目なんだ」
「ううん、あたしこそ馴れ馴れしくてごめん」
琴音は責める事もせずに謝った。なんとなくばつが悪くなり、綾人は琴音から視線を逸らす。
「……それはそうと、園原。お前生徒会長と面識があったりするか?」
「生徒会長って、さっきの人だよね?今日が初めて。あたしの事何か言ってたの?」
「いいや、そういうわけじゃないんだ。ただ、少しな……」
……気のせいか?綾人はすっきりしないまま、琴音と共に生徒会室を後にした。