され竜転生 〜竜に転生して勝ち組と思ったら、され竜の世界だった〜 作:ホイナン三兄弟
第四十二話 残念竜
エニンギルゥドに〈反咒禍界絶陣〉を習い始めて十日が過ぎた。日が傾きそろそろ夜となる。
『よし、今日はこれぐらいにしよう』
教師役のエニンギルゥドが勉強の終わりを告げる。その声を聞き、俺は倒れ込む様に寝転がった。
『あーしんどい。脳が焼きつきそうだ』
俺は大きく息を吐いた。ずっと頭を使ってばかりで、脳みそから湯気が出そうだった。
『数法系は特に演算力を使うからな、こればかりは慣れるしかない』
エニンギルゥドが話しながら、指先に小さな咒式を灯す。するとそこから冷風が吹き出し、俺の頭を冷やしてくれた。うん、気持ちいい。
『演算力か……』
頭を冷やしながら俺は呟いた。
咒式とは本来組成式を必要とせず、イメージだけでも発動が可能だ。だがイメージといった曖昧模糊としたものでは、常に一定の効果を出すことができない。そのため組成式で補って、咒式を方向づけている。
だが組成式を丸暗記しただけでは、強い効果は発揮できない。なぜこの様な現象が起きるのか? この組成式はどういった意味を持っているのか? 化学式や物質の変化、物理法則を正しく理解して思考すること咒式はより強力になる。
この思考する力を演算力と言い、数法系は特にこの力が重要とされていた。
『ジョジ爺が作った補助式は優秀だ。これに咒力を注ぐだけでもある程度のまでは無効化できる。でも強力な咒式を無効化するとなると、補助式の使い方が重要だからね』
エニンギルゥドが冷風を止め、ポンと俺の肩に手を置く。
俺が今挑んでいる〈反咒禍界絶陣〉は咒式を分解、無効化するものだ。ただ咒式は種類によって組成式が異なる。咒式を効率よく防ぐには、咒式を受けた瞬間に膨大な補助式から必要とされるものだけを取捨選択し、使い分けて計算する演算力が必要となる。だがこれが難しい。言ってみれば戦いながら、数学の難問を瞬時に解く様なものだからだ。
竜は人間を遥かに超える頭脳を持ち、スーパーコンピューター並みの演算を可能とする。しかしどれほど素晴らしい脳を持っていても、使いこなせなければ意味がない。
『これまであまり咒式を使ってこなかったせいだな。だからその方は演算力が弱い。これを機会に演算力を高めるのだな』
俺とエニンギルゥドから少し離れたところには、漆黒の竜ニドヴォルクがいた。
俺はこれまで体術に重きを置いてきた。そのせいで咒式がおざなりとなり演算力が低い。それが足を引っ張っている。ニドヴォルクの言う通り、これを機会とするほかない。
『……そういえば、そろそろだな』
ニドヴォルクが呟く。俺とエニンギルゥドは視線を合わせた。そしてそれから何も言わず、何もしなかった。
奇妙な無言の空白が、俺たちの間を訪れた。だがしばらくすると、エニンギルゥドの左後方から足音が聞こえてくる。
俺もエニンギルゥドも、当然ニドヴォルクも足音に気づく。しかし俺たちは足音がした方向に目を向けない。
俺の視界には、足音がする方向が含まれている。一見するとそこには何もなかった。だが空間には奇妙な歪みが見てとれた。俺は空間の歪みを無視していると、そこから声が聞こえてきた。
『頑張っている様だな、幼き竜達よ』
何もない空間に紫電が走ると、七つの目を持つ緑竜が姿を表す。七眼のビオガラドだ。
姿を消す〈光陰身〉の咒式を使用して俺たちに近づいてきたのだ。
『おおっ』
姿を現したビオガラドに、俺は驚いたふりをした。しかしもちろん本心ではない。
『ふふん、〈光陰身〉の咒式である。咒式を併用すれば、この様なことも可能なのだ』
ビオガラドは自慢げに語る。どうも彼は俺たちを驚かせたいらしい。だが上手く行ってはいなかった。
以前ニドヴォルクがビオガラドと同じことをしたが、彼女は足音を重力咒式で完璧に消し去っていた。
一方ビオガラドはというと、足音は消せていないし、また〈光陰身〉の咒式も完璧ではない。そのため空間に歪みが出ておりバレバレだった。
ビオガラドは俺たちに対して、いいところを見せたいのだろう。しかしどこか抜けていて、残念なところがある。
側で一部始終を見ていたニドヴォルクも、つまらなそうに欠伸をしていた。
『寝床に獲物を獲ってきてある。今日はゆっくり食べて休むがよい』
ビオガラドが鷹揚に告げる。俺たちはビオガラドと共に、ゆっくりと歩いて寝床へと戻った。
ビオガラドの寝床の前では、確かに四体の巨大な馬が横たわっている。
どの馬も外傷はなく、綺麗に仕留められていた。
『いつもありがとうございます』
『何、かまわぬ。しっかりと食うが良い』
俺が頭を下げると、ビオガラドは嬉しそうに頷く。
いい格好をしたいビオガラドは、毎日こうして獲物をとってきてくれる。
だが獲物を自分たちで獲るのも、試練の目的である。正直に言うと、ビオガラドの好意は邪魔と言えた。しかし好意は好意であるし、年上におごられた場合は、遠慮せずに綺麗に平らげるのが作法だ。
俺は傷ひとつない馬にかぶりついた。
食いついた端から血が溢れ出す。仕留めたばかりなのか、いきがいい。
隣ではエニンギルゥドも、口の周りを真っ赤にして食べていた。
もぐもぐと食べながら、俺は今回の試練について考えた。
このままいけば、あと三十日もあれば〈反咒禍界絶陣〉の習得は可能だろう。そうなれば試練は完了だ。俺は次の目的地をすでに考え始めていた。
正直、今回の試練は得るものが少なかった。〈反咒禍界絶陣〉はいつか習得しなければいけない咒式だった。しかし今である必要はない。そもそも教師役がエニンギルゥドなので、ビオガラドに教わることがない。
早めにここを切り上げて次の試練に向かおうと、口についた血を舐め取りながら考える。おそらくエニンギルゥドも同じことを考えているだろう。
黙々と食事をしていると、俺たちと同じように口の周りを赤く染めたニドヴォルクが食事の手を止めた。
『相変わらず見事だな。ビオガラドよ。ヨギルググもそう思わぬか?』
ニドヴォルクに問われるが、意味がわからない。俺はエニンギルゥドに目線を送るが、彼もわからないと視線で答える。
わからない俺たちに対し、ニドヴォルクが非難の目を向ける。そこに当のビオガラドが尋ねる。
『一体何のことだ?』
褒められたビオガラド自身、ニドヴォルクの言葉が理解できていなかった。
『この獲物だが、脳は完全に死んでいるのに心臓はわずかだが動いている。どうやったのか私にもわからぬ』
ニドヴォルクに指摘され、慌てて俺は自分が食べた獲物を見た。
すでに大半を食べてしまっているので、真偽の程がわからない。だが周りにこぼれている血が、異常であることを教えてくれていた。
仕留めたばかりだと思っていたが、よくよく考えればおかしい。ビオガラドが獲物を仕留めたあとこの寝床に運び、そして俺たちを迎えにきて戻っているのだ。
ビオガラドが急いだとしても、獲物を仕留めてから軽く小一時間は経過している計算になる。そうなれば心臓は止まり、血は固まり始める。当然ここまで血が流れ出すことはない。
『これは毒を使って仕留めたのか?』
『ああ、そうだ。脳を死滅させる毒だ。脳を完全に破壊したあと、毒が心臓を動かす神経に作用して拍動を続ける。だから死んでも鮮度が保たれる』
ビオガラドが説明するが、その意味の半分も俺は理解できなかった。
脳を死滅させる毒はいいとして、その後心臓を動かし続けるとはどう言うことか。
俺は驚きながらエニンギルゥドを見た。しかし彼もそんな毒は初耳だったらしく目を丸めている。
『見事なものだな。毒の研究は今も続けているのか?』
『ああ、ぼちぼちやっているよ』
ビオガラドは気楽に答える。そういえばビオガラドは緑竜だ。彼らは化学系や生体系を得意とし、主に毒物を操る。
『百歳の頃は一万種類の毒物を扱っていたが、今はどうだ? 数は増えたか?』
『ああ、十万種以上は合成できるよ』
ビオガラドの言葉を、俺とエニンギルゥドはどう受け止めていいのかわからなかった。
竜は通常ではあり得ない巨体を誇っている。この巨体を成立させるため、竜はさまざまな薬品や化学物質を合成している。だがその数はせいぜい千種類ほどだ。それで事足りるし、それ以上は必要ない。
毒に長けた緑竜であれば、通常よりも多くの毒や薬品を扱えるだろう。しかしそれでも倍の二千種類ほどのはずだ。
だと言うのにビオガラドは百歳の時点で一万の毒を操り、現在は十万を超えているという。
いつもの調子のいい冗談かと思ったが、ビオガラドの七つある眼は落ち着いている。
ビオガラドの内心は七つの眼に如実に出る。嘘をついたり動揺していたりすると、目が泳ぐのだ。今はその様なところは見られないので、ビオガラドは嘘をついていないことになる。
『あの、その話は本当ですか?』
俺はたまらず確かめた。とても本当だとは思えなかったからだ。もし事実だとすれば、ビオガラドは毒や薬品のエキスパートということになる。
『ああ、本当だぞ』
ビオガラドはこともなげに言う。その七つの目はやはり動いていない。
『なぜそのことを、最初に言ってくれないのです!』
俺はつい言葉を荒げた。ビオガラドは会った時から残念な部分ばかりが目立ち、俺たちも期待していなかった。しかし十万もの毒物を扱えると言うのであれば、話は違ってくる。
『いや、これは趣味でやっているだけだし、自慢する様なことじゃぁ』
ビオガラドは言葉を濁す。何とまぁと俺は呆れていると、ニドヴォルクが喉を鳴らして笑っていた。
『その方は相変わらずだな』
ニドヴォルクが笑うが、ビオガラドは意味がわからず首を傾げる。
俺としては納得がいかない。ニドヴォルクはビオガラドの凄さを知っていたはずだ。最初に教えてくれればいいのにと睨む。すると逆に睨み返された。
『言っておくが、気づかなかったその方が悪いのだぞ。ビオガラドは毎日食事を用意してくれた。気づく手がかりは毎晩提示されていたはずだ』
指摘され、俺とエニンギルゥドは唸った。
『ヨギ、これは確かにニドヴォルクの言うとおりだ』
『ああ、わかっている。不覚だった』
エニンギルゥドが唸り、俺も頷く。
獲物に火傷や外傷がない時点で、何らかの毒物であることは予想できる。流れ出る血のことを考えれば、未知の毒物が使用されているところまでは辿り着けたはずだ。だが俺たちは何も考えず、用意された獲物を貪り食うだけだった。
不覚、まさに不覚だった。
俺とエニンギルゥドは、改めて七眼のビオガラドを見た。ビオガラドは注目されている理由がわからず、首を傾げている。
『あの、毒物に関することを、できれば教えていただけませんか?』
俺は頭を低く尋ねた。十万種を超える毒を操る竜から、教えを受ける機会はそうない。
『え? それはいいけど……そんなのが知りたいの?』
ビオガラドは本当にいいのかと、俺たちを二度見する。
『はい。ぜひ教えを乞いたく』
エニンギルゥドも居住まいを正して頭を下げた。
『そんなことでいいなら教えるけど……』
『ありがとう御座います』
『よろしくお願いします』
呟くビオガラドに対し、俺たちは揃って頭を下げた。
ビオガラドは格好をつけようとして、失敗する残念な竜だ。残念竜だ。だが彼の一番残念なところは、自分の美点とも言える部分を、全く理解していないところにある。
『この旅は本当に、予想外の連続だな』
エニンギルゥドはしみじみと呟く。
『本当、いい経験になっているよ』
俺も笑うしかなかった。
ビオガラド「残念竜だと馬鹿にされてたけれど、実は俺天才でして~」
ヨギストラ「なろう系やな」