ボーダレス ホルダー   作:紅野生成

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39 情報を運ぶ者

 誰も口をきかなかった。

 シュイが異物を使って和平を引き摺る音だけが、狭い横道に木霊する。

 傷口の痛みは、冷えた汗となってヤタカのこめかみを流れていた。和平が元気なら、ヤタカに新たな薬を与えてくれていただろう。だが今はそれさえ望めない。手足をだらりと開き地面を引き摺られるままの和平。せめて楽に運んでやりたかったが、自分の足を引き摺るのがやっとのヤタカに、その力は残っていない。

 落ちた体力は気力をも奪う。一歩足を進めるごとに、イリスが遠く手の届かない場所へ風のように去って行く気がして、指先の血が熱を失っていく。

 

 かん かんかん

 

 下駄を打ち鳴らされて、ヤタカは立ち止まった。

 

「なにぼっとしてんだよ荷物持ち。着いたぜ?」

 

 気付けば、宿屋あな籠もりの前で立ち止まったシュイを追い越していた。

 

「和平は、生きているか?」

 

「うん、大丈夫。ちゃんと息してる」

 

 そうか……口の中で呟いて、ヤタカの体が崩れ落ちる。

 

「おい、荷物持ち!?」

 

 駆け寄ったシュイが体を揺さぶっている。

 

「おまえが倒れてどうすんだよ、アホ……ゲッ、血ィ!?」

 

 蹴り飛ばさんばかりの勢いでヤタカをどついていたシュイの手が、必死にヤタカの傷口を押さえる温かな動きへ変わった。

 

――根は優しいガキなんだよな

 

 そんな自分の思考をくだらないと思いながら、痛みの果てにある無痛の深淵へと落ちて意識を失った。

 

 

 

 嫌な夢を見ながら目を覚ました。

 崖を転がり落ちて脛と腰骨を大木や突き出た岩に、これでもかというほど打ちつけられる夢だった。

 

「おまえか、クソ下駄」

 

 ぼんやりと開けた瞼の向こうに見えたは、壁に預けて持ち上げられた足の脛に全力で体当たりを繰り返すゲン太の姿。どうりで痛み一色の夢を見るはずだ。

 

「大丈夫? また流血していたから止血しなおした」

 

 穏やかな笑顔で顔を覗き込んできたのは和平だった。

 

「おまえ、平気なのか?」

 

「あぁ、少なくともヤタカの兄ちゃんよりはね」

 

 何事もなかったかのように、いらずらっぽい笑みを浮かべる和平の目をじっと見た。

 くりくりと良く動く黒い眼は人の物。ヤタカはほっと安堵の息を吐く。

 

「ゲン太を責めちゃだめだぜ? 最高に痛く蹴りをいれてくれって、頼んだのはオレだから」

 

「気絶した人間に追い打ちをかけるなよ……」

 

「ヤタカ兄ちゃんさ、一瞬イリス姉ちゃんのことを失念するくらい、心が萎えただろ? だから痛みと疲れで気絶したんだ。心が弱っているときはまずいんだよ」

 

「何がだ?」

 

「戻って来られなくなることがある。沈んだ心のまま気力を削がれている人間は、痛みの向こう側に広がる闇から戻れなくなる。痛みや苦しみから閉ざされた、深淵の闇に取り込まれる。かりそめの安息が招くのは死。だから、ゲン太に頼んだ」

 

「痛さを重ねてどうするんだか」

 

「痛みの質が違う。ゲン太の蹴りの痛みは、ヤタカ兄ちゃんに生きていることを思い出させてくれるだろ……違うかい?」

 

 床で歯を上にして転がり、ぜーぜーと音がしそうなほど鼻緒を上下させているゲン太をちらりと見た。和平にいわれて、必死に蹴り続けていたのだろう。口の端だけで笑いながら、ヤタカはくいっと顎を背けた。

 

「あぁ、十分に思い出したよ。俺はアホに囲まれて生きてたってな」

 

 素直じゃないねぇ、と笑いを含んだ和平の声が静かに響く。

 

「蹴られすぎて馬鹿が移っただけだ」

 

 腹を上にしていたゲン太がころりと体勢を戻し、むっき~! と鼻緒を三角に立てたが反撃もそこまでだった。ヤタカを蹴ろうとした片下駄は、くるりと空回りして再び歯を上にころりと転がった。

 

「なぁ、和平。イリスは無事でいるよな?」

 

「うん。無事だと思う。イリス姉ちゃんに何かあれば、山が騒ぐ。大地の底を流れる水が泣く」

 

 和平が感じるもの全てを実感することは不可能だ。それでもヤタカは床土に耳を当て、声なき囁きに耳を澄ます。

 和平には、意味を持ってこの声が聞こえるのだろうか。

 ヤタカには、ちりちりと遠くで虫の羽が擦れるような音が、微かに耳の奥に届くだけだった。

 

「心配でも、数日は動けないよ。今回で懲りただろう? 今動けば、イリス姉ちゃんを助ける前に命を落とすよ?」

 

「あぁ。そうだな」

 

 襲ってきた連中の影を思い返す。森の闇に殺気が張り詰め、僅かにでも糸を弾いたなら無差別な戦いが起こってもおかしくなかった。

 万全な体調でも互角以下。いまのヤタカに歯が立つような相手ではないことは、言われなくても身に染みて解っている。

 

あの時、そう言いかけてヤタカが口を噤むと、和平はくったくのない笑みを浮かべて肩を竦めた。

 

「姉さんがいたね。イリス姉ちゃんを最後にさらったのは、誰?」

 

「わたるだ」

 

「そう、っか」

 

 それ以上和平は何も訊かなかった。攫ったのがせめて姉であったことに安堵しているのか、畏怖しているのかさえ静かに伏せた睫に隠されて伺えない。

 

 しゃらしゃらと音を立て、岩壁をくぐり抜けてきたのはこの宿の主人。

 

「おぉ、大丈夫かの?」

 

 抱えた籠には薬草が山になっている。

 

「あとはシュイに任せて少し休むがいい」

 

「ありがとうございます」

 

 シュイは和平の巣へ戻っていった蜘蛛のことを、爺ちゃんと慕うこの老人に伝えるのだろうか、そう考えると、どこまで話して良いものか戸惑いが口を噤ませる。まるでヤタカの心を覗き見たかのように、宿の主人は柔らかく微笑み長く伸びた白髭を撫でた。

 

「張り巡る横道は人を運び情報を運ぶもの。シュイが知り得たことは、すでに横道を駆け巡りわしの耳にも入っておるでの」

 

 気にするな、そういって主人は水瓶の方へと歩いていった。 

 話しをしたい思いにかられたが、今は休むべきだろうと瞼を閉じたヤタカの鼻孔を、嗅いだことのない異臭がかすめた。

 

「おい、これを喰ってから寝ろよ」

 

 シュイが差しだした葉っぱの皿には、黒と緑と茶の入り混じった丸い物体が二つ乗っていた。正体不明の毒々しい赤い粒も所々に顔を見せている。

 

「薬草を煮だしてもこんなに臭くないぞ? 人の食うものじゃない」

 

 唇を引き結んだヤタカのこめかみを、小さな手がべしりと張り飛ばす。

 

「痛いって!」

 

「いまのおまえに必要なものが全て入ってんだ。オレ様特製の肉団子に、文句があるとはいわせねえぞ……コラ」

 

 片眉を吊り上げるシュイと負けじとにらみ返すヤタカの間に、くすくすと笑いながら和平が割って入った。

 

「ヤタカの兄ちゃん、素直に食べた方がいいぜ? 材料が手元にあったなら、オレも同じものをつくる。痛みはすぐには消えないけれど、目覚めたら頭はすっきりしているはずだ。体の疲れも芯から癒してくれる。早く治して、イリス姉ちゃんを助けにいくんだろ?」

 

 その一言をいわれるとぐうの音もでない。和平の隣で一緒になってからかおうとしていたゲン太が、イリスの名を聞いてしゅんと鼻緒を萎ませたを見て、ヤタカは溜息と共に天を仰ぐ。

 

「ほんとに体調がすっきりするだろうな?」

 

「保証する」

 

 和平が静かに頷いた。

 

「なら食って……やらないこともない」

 

 恨めしそうに周囲を睨め付け、ヤタカは皿から一気に肉団子を口に放り込んだ。

 一口噛んだヤタカは、あれっと首を捻る。塩気が絶妙で肉の旨みが鼻から抜ける。

 

「以外と旨い……な…な……ウェ!」

 

 吐きかけたヤタカの口を和平が押さえると同時に、シュイの蹴りが背中にはいった。

 

 ごくり

 

 ヤタカは必死に息を止めていた。

 意識が薄らいでいく。

 

「言い忘れた」

 

 のんびりとシュイが耳元で囁いた。

 

「ちょっとでも薬草の繊維を嚙み切ると、激的に臭いんだよね、どの薬草も」

 

 これなら肥溜めに首を突っ込んだ方がマシだ、と心の中で毒づいても、生きている以上肺は酸素を求めて暴れるもの。

 顔を真っ赤にして息を止めていたヤタカの胸が大きく膨らむと同時に、目がかっと見開かれ瞳孔が開いた。どさりと倒れた体を支える者は誰も居ない。

 

「逝ったな」

 

「死んでないって」

 

 シュイが鼻をならし、和平が笑う。半開きのヤタカの口に身を寄せたゲン太は、弾かれたように飛び退り、ぷるぷると鼻緒を痙攣させたかと思うと、ころりと転がり気絶した。

 

「あれ、ゲン太?」

 

 戻ろうとした和平の袖をシュイが引く。

 

「放っておきなよ。二人ともただの馬鹿なんだからさ。それに近寄ると臭いだろ?」

 

「そうだな、やめておくよ」

 

くすくすと和平が笑う。

 それに、といってシュイは顔を少し背けて握った手を差しだした。

 

「これはなんだい?」

 

 和平の手に小さな紙包みを押しつけたシュイは、照れたようにさっと手を後ろ手に隠し、更に顔を背けてつっけんどんに言い放つ。

 

「やるよ。あんたがつくるのよりは、効き目は薄いだろうけれど。弱ってるやつに調剤させるのもどうかと思うし」

 

 紙を開くと、黒い丸薬が三粒入っていた。それを見て嬉しそうに肩を竦めた和平は、さっとシュイの背中から抱きついた。

 

「面白い奴だな! 友達になろうぜ!」

 

 楽しげにシュイの肩を叩いて離れていった和平だったが、石のように体を固めたままのシュイは頬を真っ赤に染めていた。

 

「何が友達だよ!? 人の心配ばっかりしてないで、自分の体を労れっての!」

 

「はい、はい」

 

 拳を握りしめ、杭のように立ちんぼだったシュイの肩から力が抜けていく。

 

「友達なんか、いらねぇや……」

 

 目一杯に吊り上げられた片眉のしたで、口元がほころんでいく。

 緩む口元を無理矢理ぐいっと引き絞り、シュイは手に掴んだ毛布をヤタカの体にばさりとかけてやった。

 つり上がった眉と真一文字の口の間で目が笑う。

 気づけば誰にも見られることなく、白い歯が零れていた。

 

 

 

 骨をも振るわせる銅鑼の音で、ヤタカははっと目を覚ました。

 

「寝坊助起きろよ? 朝飯だ」

 

 シュイに毛布を剥がされしぶしぶ起き上がったヤタカは、垂れ下がった前髪を掻き上げた手を止め、おや? っというように首を傾げる。

 

「体が軽い」

 

 目覚めと同時に傷は痛んだが、傷だけを置き去りにして脳も体もすっきりしている。一欠片の疲れも残さずに回復した体力が、同時に気力を押し上げていた。

 

「はぁ~」

 

 恐る恐る息を吐いてみたが、悶絶するほどの異臭は消えている。

 

「すごいな、あの肉団子」

 

 素で感心するヤタカの尻に、皿を抱えたシュイの足がげしりと食い込む。

 

「なに呆けてんの? 働かざる者食うべからず。朝飯を運べよ」

 

「あぁ、すまない」

 

 素直に皿を受け取り机の上に並べいく。和平は木べらで鍋の中身を掻き回し、味見をすると満足そうに頷いていた。

 

――まともな料理を作れない奴は、雑用係ってか

 

 イリスと訪れた日と変わらない部屋の風景。運ばれる料理を並べ直しながら、剥き出しの丸太に腰を下ろした。新鮮な肉を使ったスープが、湯気と共に良い香りを立ちのぼらせている。

 

――イリスにも食わせたかったな

 

 焦ってもことは好転しない。イリスは大丈夫だという和平の言葉を信じて、いまは策を練り体勢を整える時なのだから。

 シュイも和平も何もいわない。いわずに穏やかな表情を保っている。ヤタカも無駄な心配は口にしない。三者三様に平穏な仮面の下にマグマのような不安と怒りを隠している。

 それを表にしないのは、たとえ仮初めであっても、今は凪いだ感情が必要だから。たとえまやかしでも、朱に交われば人は染まる。落ち着きと思考を取り戻す。

 

 主人の挨拶に続き匙を持ったヤタカは、隣に座る和平の皿の中身に目を見開き、交互に自分の皿と見比べた。折れんばかりに匙を握りしめ、全力の不満を込めて犯人を睨み付ける。

 

「シュイ! 前は女性への気遣いかと思って百歩引いたが、今回はおかしいだろ? どうして俺の肉は三つなのに、和平の皿のスープには肉が折り重なってるんだ!?」

 

 伸びすぎた白髪と髭の隙間から見える目を細め、主人が笑う。

 隣の和平は何食わぬ顔で、さっさと匙を口に運んでいる。

 シュイにいたっては、憎らしいことに表情一つ変えていない。

 

「商売の前に人であれ、だ。それとも何か? 大人の男でしかも治りかけの荷物持ちより、まだ子供の体力しかない、疲れ切った少年を厚遇するのは間違っているとでも? 自分のダメージをさておいて、荷物持ちの治療に当たった和平は疲れるんだよ? 回復していないんだよ?」

 

「まぁ、そういわれると……」

 

 どうしてシュイの講釈に弱いのかと、奥歯を噛みながらヤタカは口を尖らせる。

 

「食事の多さ少なさで、男が文句をいうものではない! じっちゃんの教えだ!」

 

「すみません」

 

 じっちゃんを持ち出されては、謝る以外に道はない。

 楽しそうに声を立てて笑う主人を尻目に、ヤタカも黙って少ない肉に口を付けた。  

 

 

 

 少々の剣を孕みながらも和やかに過ぎた朝食の時を終え、ヤタカは和平と向き合いすわっていた。

 主人とシュイは、背を向けて後片付けをしている。シュイも生意気だが無粋な人間ではない。二人の空気を察してか、手伝えとはいわなかった。

 

「和平、自分の身に起きたことは、記憶にあるのか?」

 

「うん。背中の感覚が、起きていることを伝えてくれた。気絶していたわけじゃない。呼吸以外は何一つ、自分の体が思うようにならなかっただけさ。あいつらが来てくれなかったら、オレは死んでいた」

 

 あいつら、とは光る砂のことだろう。

 

「砂に見えたが、あれは異種だろう? 見たことも聞いたこともない。おそらくこの世の文献には残っていない。極小とはいえ、あれほど大量に存在しているなんて、あいつらは何者だ?」

 

「彼らは異種……なのかな。正直わからない。巣に潜む蜘蛛が暴れたのは初めてじゃないんだ。幼い頃に一度、何が起きているか解らなくて死にそうだったオレを、あの日も助けてくれたのは彼らだった。どこからともなく大地を流れて現れ、ぼくを守って命を失っていく。どうしてかな……」

 

 悲しいとも悔しいとも取れる眉間の皺に、まだ少年の和平がどれほどのものを抱えて生きてきたのか、その苦悩が伺えた。

 

「和平、わたるの持つ蜘蛛と、巣は本来一対であるべきものだろ? なら、あの蜘蛛はなんだ? メスとオスじゃないかと思ったが、まさか仲良く夫婦で暮らすってわけじゃないだろうしな」

 

 メスがオスを喰い殺す、という仮説までは口にできなかった。蜘蛛の話しだというのに、和平がわたるを喰い殺すような錯覚陥って、口に出すのが嫌だった。

 

「想像することはあるけれど、どうなるかなんて正直わからない。分けられた蜘蛛と蜘蛛の巣は一緒になりたがっている。姉さんと近付くと、爆発的な反応を示すんだ。だから多分、オレと姉さんは幼い頃から離された。二度と会うことのないようにね」

 

「だが、目論見は外れた。周りが思う以上に、お前達二人は利口だった。全てを詰め込んでなお余るほどの頭だと知っていたら、親爺さんも子供達が安易に資料や書物を読めるような環境にはしておかなかったろうよ」

 

「そうなのか? とにかく不意打ちを食らう形で姉さんと近付いちまった。構えがなかったから、オレは自分を守れなかった。姉さんは準備していたはずだよ。だからきっと平気だ。大丈夫」

 

「そうか」

 

 イリスや周りを気遣うせいで、大丈夫という言葉が尻窄みになっていく。どうしてこんなに優しい奴らが巻き込まれるのだろう。理不尽だと、ヤタカは思う。

 

「和平、体に宿す蜘蛛、そのまま飼っていても大丈夫なんだな? 気構えさえしていたなら、害は受けないんだな?」

 

 真っ直ぐに見つめるヤタカの目を見返した和平が、微笑むふりをしてすっと視線を外す。

 

「心配ない、大丈夫だぜ?」

 

「この先もか? 接触を避けることは難しいぞ」

 

「たぶん……ね。心配ないって。ガキの頃から飼ってるんだからさ」

 

 和平は視線を合わせないまま、白い歯を見せて笑った。

 

「そうか、ならいい」

 

――嘘がへただな

 

 和平は核心を笑顔で隠した。聞いてもヤタカにはどうしてやることもできないかもしれない。それでも、聞いてやりたかった。

 

――本人が口を開くまで、待つしかないか

 

 笑顔に隠された真実は、光を吸い込むほど暗い予感を運ぶ。何もかも背負い込もうとしている和平の肩に手を伸ばしかけ、ヤタカは静かに腕を下ろした。

 

「さてさて、話しも終わったようじゃし、わしの話しを聞いてもらえますかな?」

 

 前掛けで手を拭きながら、主人がにこやかに近づいてきた。

 

「はい、何かありましたか?」

 

 よっこらせ、と主人は丸太に腰を下ろし、額の汗を手ぬぐいで拭う。

 

「何度もいうがの、ここは情報のたまり場。横道は情報を運ぶ。中立地帯といえば聞こえは良いが、良心的な山賊の交易とでも思っていただけるかな」

 

 言葉と裏腹に、主人の目元は柔らかく笑みを模る。

 

「本来はここにシュイが居るなど御法度。だが、シュイの生い立ちを知る者はこの世に僅か三人じゃ。わしと、シュイの祖母。そして、山賊の交易と知りつつ、いや、その裏にある本質を知ってなお、ここへ情報を運ぶ者が一人」

 

 ずっと疑問に思っていた。寺のように名を馳せた力のある組織ならいざ知らず、こんな小さな宿屋に情報を届ける者がだれなのかと。情報を届ける者は無数にいるのだろう。質もピンからキリまでいるはずだ。問題なのは、そのなかでも一番腕の立つ者。縦横無人に野山を廻り、耳をそばだてる技量と力のある者。

 

――存在するなら、もはや腕利きの情報屋などという話しではない。人格はともあれ、ある意味傑物と称するに相応しい

 

「わしが説明しても、口では伝わるまいて」

 

「会えるのですか?」

 

「会ってみなされ。老いたわしには、今の世はややこしい。直接聞けば、絡まった糸も解けるじゃろう」

 

シュイは背を向けたまま、黙々と皿を洗っている。和平は部屋の角に座り込み、主人が昨日摘んできた薬草をすり潰していた。

 その横でゲン太が物珍しそうに鼻緒を伸ばしている。

 話しは聞こえているのだろうに、まるで透明な壁に遮られているように、知らぬ振りをしている。

 

――何も知らないのは、俺だけということか

 

 しゃらしゃらと、縄暖簾を潜る音が響いた。

 滑る速さで瞬時に来訪者の眼が目前にあった。

 刃を剥き出しにした怒りの眼。

 怒りを押し込めた低い声が抑揚なく耳元を掠める。

 

「嬢ちゃんに何かあってみろ……てめぇをぶっ殺す」

 

「おまえ……だったのか」

 

 ゴザ売りが殺気に満ちた視線でヤタカを射る。

 傷口より鋭い痛みを受け止めながら、ヤタカも真っ直ぐに見返していた。

 

 

 

 

 

 




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