ヒスイ地方に転生したら、人間じゃなかった。   作:ハートフル大好きちゃん

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全て神様のせい

『クソがよ』

 

 モクローは悪態をついた。

 目の前には巨大なカマキリが、鎌を構えながら背中の羽をぞわりとする音ではためかせている。

 

『おい、俺は美味しくないぞ』

 

 モクローがチープな命乞いをすると、ストライクは馬鹿にしたように笑った。

 

『ストゥーライク』

『クソみたいな鳴き声やめろ!』

『ライライライッ』

『ライチュウかよお前はっ、このアホボケカス』

 

 とりあえず命乞いは聞き届けられそうにないらしい。ストライクが鎌を振りかぶった。

 

 ポケモン同士は種族関係なく会話が成立するんじゃなかったのかよ。話が違うぞ。

 

 今すぐ神に中指を立てたい。

 ポケモン界の神といえばアルセウス。

 つまりアルセウスが全部悪い。

 ファッキン・アルセウス。

 

 モクローに中指はなかった。

 

 

 

 

 数日前。

 

 鬱蒼とした暗い森の中で目が覚めた。

 

『何なんだ。ここは何処だ』

 

 体がうまく動かない。手足が縮んだように言うことを聞かない。

 手を広げれば翼のようなもの。足を見れば鉤爪。

 

 土に溜まった水たまりを覗く。梟の巨大な瞳がこちらを見据えている。ポケットモンスター。モクロー。

 

『夢だよな』

 

 嘴を開くと出るのは確かに人間の言葉だ。

 

『なあっ、誰か、俺の言葉がわからないか』

 

 モクローが叫んでも何の反応もない。風で木が揺れる音だけが聞こえる。

 

 いや、気配は感じる。遠巻きにこちらを観察している視線がいくつもある。おかしい、なぜただの人間の俺にそんな気配がわかる?

 

 気味が悪い。

 

 何もわからない。

 だから、ここから離れたかった。

 この気持ち悪い夢が覚めてほしい。

 それだけを、考えていた。

 

 

 

 

 水たまりや川で水を飲み、食べられそうな木の実を探し、草むらの中でひたすら啄む。

 

 あれから何日経ったのか。夢が覚める気配はない。

 いや、もはやこれは夢ではないとモクローは理解していた。

 

 ここはポケモンの世界だ。

 

 あれから何度か無害そうなポケモンにモクローは話しかけたが、帰ってくる言葉は全て要領を得ない鳴き声だけだった。

 

『なんだってんだよ』

 

 何が起きているのか教えてほしい。いや、そうでなくてもせめて誰かと話したい。このままでは、孤独に押しつぶされそうになる。

 

 木の実を食べ終わり、今日も会話の成り立ちそうなポケモンを探そうと草むらの外に出た。

 

 たった今、明らかに周囲の生き物の気配が減っていたことにモクローは気づかなかった。

 

 背後に巨大なカマキリが迫っていた。

 

 

 

 

 こうして今までの道程を思い返しながら、モクローは自分の身体に鎌が振り下ろされるのを待っていた。

 

 異常にストライクの動きがスローモーションに見える。ポケモンにも走馬灯があるんだな、とモクローは呑気に考えていた。

 

 ストライクの顔を見た。変な表情だった。

 まるで動かないものを無理やり動かそうとしているような……。

 

 あれ。

 

『こっちに来なさい!』

『!?』

 

 バカでかい声が脳に叩きつけられると、突然モクローの体が勝手に動いた。

 瞬間、早送りのように動き出したストライクの鎌がモクローの身体スレスレを通過する。

 

『う、うおおおおおお』

 

 現実に引き戻されたモクローは何が何だかわからないまま咆哮して、翼を広げて声のした方に突撃した。

 藪を貫通し、やがて見えたのは岩場。そしてちょうどモクローが入れそうに口を開けた小さな洞穴だった。

 

 無我夢中で頭から突っ込む。一瞬の後にガキン! と金属で岩を叩く音。

 

 首を反転させて背後を見ると、鬼の形相をしストライクと目が合った。

 

『ハァッ、喰えなくて残念だったなクソ虫がよ』

『ラァァァァイク!』

 

 伝わってんじゃん悪口。

 

 虫の咆哮を尻目に細い洞穴を少し進むと、ちょうど小型のポケモンが数匹暮らせそうなささやかな空間に行き着いた。

 

 そこには青色をした人型のポケモンがいた。

 モクローはそのポケモンの名前を知っている。

 

『……さっきの声は君が?』

『ええ』

『ッ、やっぱりわかるのか、俺の言葉』

『わかるわよ。そんなに驚くこと?』

『今まで通じたことがなかったからな。正直ビビったぜ』

『何言ってるのかよくわからないけど、死ななくてよかったわね』

 

 どことなく呆れたような声音だった。

 瞳は青い髪の毛のようなもので隠れて見えないが、きっとそういう目をしているんだろう。

 

 きもちポケモン、ラルトス。

 ゲームの中で、この生き物はそう呼ばれている。

 

『どうして助けてくれたんだ?』

『だって、今から食べられるっていうのにクソみたいな鳴き声とか、アホボケカスだなんて……ふふ、ちょっと面白くて。そのままアイツの餌にするのも勿体無いと思って、ついね。久しぶりに楽しい気分になったわ』

 

 ラルトスはひどく愉快そうだった。

 

『俺はあの悪口のおかげで助かったってわけか……』

『そういうこと。お礼は別にいらないわ。私が勝手にやったことだもの』

『それでもいいさ。本当にありがとうな。えーっと、その……君のことはなんて呼べばいい?』

『なんて……?』

 

 ラルトスは伺うように顔をあげた。隠れていた赤い瞳が怪訝にモクローを見やる。

 

『いや、仲間からは何で呼ばれてたんだ?』

『……? 呼ばれたことなんてないわ。昔いた群れからはわたしはいないものだと思われていたもの。強いて言えば「おい」とか「出来損ない」かしら』

 

 ラルトスのその言葉に絶望はなかった。当然のことだとでも言うように、何の感情もこもっていない。それは人間が理解し得ない野生の世界の理だった。

 

『名前がないのか……』

『群れの中で個体を識別する必要がなければそうなるわ。見ての通りこんな身体の色だから、不気味だったんでしょうね』

 

 このラルトスは外見の違いで排斥されていたらしい。

 野生の世界において体色が違う個体がそうなるのはよくあることなのだと、モクローは人間だった頃に耳にしたことがある。

 

『……青い』

『アオイ?』

『いや。綺麗な青だなって思って』

 

 ふと口から出た言葉だった。それなのに、ラルトスは虚をつかれたような顔をした。

 

『……ホントに、そう思う?』

『お、おう。おだててるわけじゃなくて素直にそう思う、ぞ』

 

 ラルトスが剣呑な雰囲気を纏ったので、モクローはややたじろぎながらそう答えた。そしてすぐに後悔する。

 色違いは綺麗で貴重。それは人間がペットを愛でるような身勝手な感情なのかもしれないと思ったのだ。

 このラルトスはその色の違いで苦しんできただろうに、考えの足りない言い方をしてしまった。

 

 モクローが謝ろうと口を開こうとしたその時だった。

 

『青い、ね。いいわ。これからわたしは貴方に対してアオイと名乗ることにしましょう』

『えっ』

『ダメかしら?』

 

 怒っているようにも見えない、なんとも楽しげな声音だった。

 予想していた反応ではなかったので、モクローは思わずしどろもどろになる。

 

『いや、その。ダメじゃないけど、ほら。名前ってそんな適当に決めるものでもないだろ……』

『ふうん、適当ね。貴方はそう思うのね。まあいいけど』

『なんか含みがあるな……』

『別に? ところで貴方の名前は?』

『え? うーん、その……無い、な』

 

 目覚めてからというもの、自分が何者だったのかあまり思い出せない。

 ただ、人間として生きていたことは覚えている。

 

『アハ、なにそれ。聞いてきておいて自分の名前が無いだなんておかしいわ』

 

 アオイはくすりと笑った。

 

『じゃあ首の下の模様が双葉みたいだから、あなたのことはフタバって呼ぶわね』

『やっぱりテキトーじゃねーか!』

 

 こうしてちっぽけなポケモンたちは、お互いをフタバとアオイと名付けることにした。

 

 

 

 

 フタバとアオイは数ヶ月間森の中で共に過ごした。

 エスパーによる探索能力が高いアオイと、狩りに適した脚力と飛行能力を持つフタバは協力することで効率的に日々の糧を集めることができた。

 

 ある日、巣にしている洞穴で木の実を食べながら、意を決したようにフタバが口を開いた。

 

『なあアオイ。俺がもともと人間だったって言ったら信じるか?』

『信じるかもね』

 

 アオイはにべもなく答えた。

 フタバはまず信じられないと思っていたので呆気にとられた。少なくとも自分がアオイの立場ならただの冗談としか思わないだろう。

 

『……マジで?』

『自分のことをどう思ってるか知らないけど……あなたみたいな小さな鳥は普通そんなに賢くないわ。だからその理由があるなら、そうかもしれないと思う』

 

 そしてアオイの口元がわずかに緩んだ。

 

『それにまあ、貴方のことはできるだけ信じてあげたいからね』

 

 野生のポケモンの死生観は現代の人間のそれとは逸脱している。

 群れの仲間が次の日には食べられていたり、病気や怪我で死ぬなど普通のことだ。数ヶ月という時間はフタバとアオイの間に深い信頼を築くには十分すぎる時間だった。

 

『……人間に会いに行こうと思ってる』

『そう』

『止めないのか』

『やめた方がいいわ……って言っても、止まらないんでしょう。貴方がしてるのは相談じゃあない。ただの宣言よ』

 

 アオイは食事を止めて小さく息を吐いた。

 きっと呆れているのだろうとフタバは申し訳ない気持ちになる。

 

 人間はけして強くはないが、高度な知能により集団で狩りをする狡猾な生き物であるらしい。

 フタバはアオイからそう聞いていた。

 

 少なくともこの地における人間とポケモンの関係は、ゲームやアニメで見るような優しいものではないということをフタバはなんとなく察している。

 

 人が食らう肉や魚はもちろんポケモンのものなのだろう。

 大きく獰猛なポケモンならば恐れられもする。だがフタバはまだ小さく弱いポケモンでしかなく、コミュニケーションを取る以前に食料として見られる可能性が高い。

 

『すまない』

『……理由くらいはちゃんと教えて頂戴』

『さっき言っただろ、俺は人間なんだよ』

『それだけ?』

 

 青い髪の隙間から刺すような視線が覗く。種族の特性で相手の気持ちを感じ取れるアオイは異常な察しの良さがあった。ごまかしは効かない。

 

『……どうして俺がこの姿になったのか、それが知りたい。たぶん今のままじゃ、それはわからないと思う。だから行くんだ』

『根拠が乏しいわね』

『それでも何もしなきゃもっと後悔する。何もわからないまま死ぬのはごめんだ』

 

 今の自分たちは弱きものが肩を寄せ合っているに過ぎない。それではいつまでも世界の片隅で震えながら生きるだけだ。

 

 それを受け入れて、獣として生きて死ぬ。フタバはきっとそういうふうにはできていない。

 

 アオイはじっとフタバの目を見つめていたが、やがて諦めたように視線を落とした。

 

『……わかったわ。でも今の貴方はヒトから見たらただのちっぽけな小鳥よ。それだけは忘れないで』

『ああ、わかってる。ありがとう』

 

 会話はそれだけだった。その日、最後までアオイはフタバを引き止めることはなかった。

 

 

 

 

 次の日。

 太陽が出ていることと、周囲に捕食者がいないこと確認すると、蔓を編み込んだ袋の中にそれなりの量のきのみを詰めて背負い、洞窟の外へ出た。 

 

 フタバの一歩下がった隣にアオイはいた。

 

『行くのね』

『ああ』

『生きてたらまた会いましょう』

『生きてるさ』

『あなたはそうでしょうけど、わたしはか弱いからね』

『…………』

 

 お前はそんなにか弱くないだろ。とフタバは言いたくなったが、この場で言うにはあまりに無責任すぎることもわかっていた。

 

 フタバはアオイに向き直った。

 

「ありがとう。アオイ、お前は友達だ。必ずまた会おう」

「ええ」

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 

 それだけのやり取りをして、フタバは高木の間を縫い、大空に飛び上がった。

 

 もはや森の中からでは樹冠に隠れてフタバの姿は見えない。

 それでも、しばらくアオイはフタバが飛び去った跡を眺めていた。

 

『貴方と一緒に行きたい、くらいのワガママは言っても良かったのかしら』

 

 それはきっとフタバが困ってしまうし、後悔のような痛みを残してしまうだろうと思ったから言わなかったことだ。

 

 人間に接触したら容赦なく殺されるかもしれぬ。それはフタバ本人が1番わかっていた。

それでもそうせずにはいられなかった。だってフタバは人間だから。

 

 フタバは友達をそんな命を捨てるようなワガママに付き合わせるわけにはいかないと思っていたし、アオイは友達の覚悟を鈍らせるようなことはあまり言いたくなかった。

 

 小鳥とは思えない知能の高さ。フタバが普通のポケモンではないことはアオイも共に過ごす中で理解していた。

 だからこそ元は人間だと言われても驚くこともなかったし、なんとなくずっと一緒にいられるとも思っていなかったけれど、いざその時が来ると寂しさはある。

 

 アオイはおかしくなってほんの少しだけ笑った。群れからもいないものにされて、命へ執着していなかったわたしが、誰かと一緒に生きたいと思うようになるなんて。

 

 生きる理由ができた。今はそれだけで十分かもしれない。

 

『わたしも強くなろうと思うわ。そうすればきっとあなたの見ている景色に追いついて、一緒に生きていける未来があると信じたいから。だからどうか生きていてよ、フタバ』

 

 アオイは過酷な運命に祈った。

 明日も、明後日も、きっとその次も、また再会するまで2人とも生きていられますように。

 

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