「ねぇ……ぼくの花……ぼく、あの花にしてやらなくちゃならないことがあるんだ。ほんとに弱い花なんだよ。ほんとにむじゃきな花なんだよ。身のまもりといったら、四つのちっぽけなトゲしか、もってない花なんだよ……」
『星の王子様』(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ著/内藤濯訳)より
大きな意味を持つ作戦を前にして、緊張をしない未熟者はいない。彼もまたその一人だった。Gジェルに満たされた狭いコックピットの中で貧乏揺すりをし、両手は一方は何度も目を通したミッションプランを呼び出し、もう一方は超兵器/ネクストのアセンブリとチューニングをもう変えられないというのに表示していた。その世話しない弟子の様子にため息をつきながら、セレン・ヘイズはオペレーター席から無線で声をかける。
「いい加減覚悟を決めろ、今更降りる気か?」
『そんなつもりはありません。ただ……』
ネクスト・ストレイドのリンクスは姉であり師匠でもある女性に即答しながら、その語尾を弱めていった。企業のフラッグシップを落とした怪物候補生が何を弱気になっているか、といつもの調子で叱咤しようとして、しかしすぐに今回のミッションの相手、敵対する勢力を思い出し、留める。敵性勢力、といってもそれはネクスト一機だ。対して、ストレイド側、即ちラインアークという地上の揺り籠/掃き溜めに対し攻撃をしかける統治企業連合側の戦力はストレイドを含めて三機。常識的に考えれば、圧倒的に企業連の方が優勢であり、ストレイドは本来もう少し緊張を解いてもよいのである。
だが同時にそれは、ネクストを三機投入せねばいけないという意味の裏返しである。
その大業な意味を持ちうる敵性勢力。その名をホワイト・グリント、かつて国家という世界を打ち壊した企業の勢力の一角を突き崩したシンボルである。
すなわちそれは、過小評価すれば企業のフラッグシップと同等以上、本来の評価であればそれを遙かに上回るという意味である。リンクスたちの大まかな戦力を示すカラードランクでは九番を頂いているが、しかしその実力はランクとはまったく関係ない別次元の領域というものもいる。対抗するには、企業連側も最低でも九番を超えるランクを持ったものを出さなければいけない。
『ふん、臆病風に吹かれるか。ファルスにすらならんぞ、キサマ』
その無線を偶々聞いて口を挟んできた男こそ、そのランク越え、カラードの王と言えるリンクス・オッツダルヴァだった。変わらぬ冷たい皮肉に彼はすぐに反論しようとするが、しかし言葉は口の中で霧散し、声は何も出なかった。そのあからさまな臆病加減をオッツダルヴァはふんっ、と鼻で笑い、輸送用大型ヘリの震動に揺れる愛機ステイシスの中で腕を組んで目を瞑った。セレンは情けない弟にやれやれと顔を仰ぎながら、先ほどから沈黙を維持するもう一人のネクスト/パイロットの様子をモニターする。
フラジール。リンクス名ではCUBEと登録されているが、その名を呼ぶ者は少ない。なぜなら彼はアスピナという気狂いたちの巣で踊り続ける人形なのだ。人形に名前を与えるのは子供しかいない。故にネクスト名の方が有名なのだ。
「フラジール、そちらはいけるか?」
『問題ありません』
機械合成音にも似たイントネーションで返される。モニターの中の青年は痩せこけており、目を凝らせば注射針の跡が数えるのも億劫になるほどに見える。それだけでセレンはもはやフラジールの内臓を見る気を失くし、弟子の方へと視線を戻した。未だその顔には覇気は戻らない。溜息を吐き、口を開く。
「いつまでグチグチしている? 私の教育が足りなかったか?」
『え、違っ……それにセレンさんのは教育じゃなくて拷も……』
「何か言ったか?」
『イエ、ナンデモナイデス』
急にカタコタになって緊張とは別の意味で震えだした弟に、セレンは微笑み、彼ははたと気づいてセレンの顔を通信越しに見た。そして、ありがとう、の言葉と共に頭を下げ、両手の操作と貧乏揺すりを止めた。それでいい、とセレンは思い、ようやく見えてきたラインアークの輪郭へと目を向けた。
ここからが本番だった。
車椅子に乗る男はラインアークにある数少ない花壇を前に、ゆっくりと上体を起こしていた。そのまま重力に従い、体を落とす。車椅子に備え付けられた点滴のチューブが男の半身からはずれ、アラームが鳴り始める。それを気にせず、男は殆ど動かなくなった身体に鞭打ち這い蹲りながら前進し、花壇の花に手を添える。
「う……あ……」
アラームにかき消される、掠れた声。言葉にならない呻き。男はその黄色い花を撫で続ける。痛みを感じぬ、触覚の消えうせたその日々だらけの手で。
「おじさん、どうしたの?」
不意に横から一人の少女が声をかけてくる。クセの強い赤毛の浮浪児だ。その衣服はこのラインアークに相応しく、泥と雨、そして他数えきれない要素によって汚れきっていた。かろうじて胸元が、元々の生地の色らしき緑色が見てとれる。幼子は男の様子に驚いているが、しかしその手が花を撫でているのを見ると、にかり、と八重歯を出して笑った。
「おじさん、お花好きなんだ」
男は答えない。答えられない。声帯が傷つき正常に作動しなくなったのはもはや遙か昔だ。そんな男の、自身に対しての困惑が顔に出ていたのだろう。少女は、仕方ないなぁ、と自分の後ろポケットを漁り、男に差し出した。それは今の娯楽の少ないラインアークにおいて非常に珍しい、花柄の缶バッジだ。少女はそれを、男の手を花から強引に剥がし、代わりにその手の平に乗せて、握らせた。
「ここのお花はオエライサンが取っちゃダメっていうから、代わりにあたしのお古あげる!」
「え、あ……うぁ……」
「ん? ああ、あたしのは大丈夫だよ、ほらっ!」
少女は自分の上着を一気に開くと、そこにつけた色とりどりの缶バッチを見せびらかす。さながらそれは手品師のような一種の派手さがあり、男の目がそれら一つ一つに、そして集合することによって見せる鮮やかな色彩に目を丸くし、ゆっくりと手を伸ばした。だがその手は少女によってぴしゃりと払われる。
「ダメだよ、これはあたしのだから! おじさんのは今あげたでしょっ!」
「え、あ……」
「もう、ダメだって!」
何度も手を伸ばしてくる男に少女は不本意に野良犬に懐かれたような困った顔で手を払い続け、体を捩らせる。男はそれが楽しいのか、途中から少女の缶バッチに向かって身体を何とか動かし、何度も手を伸ばしていた。それはまるで童が見る夢のようだ。大人を動物のように扱う幼子。だが同時にそれは、この世でどこよりも犯しがたい風景でもあった。
だが夢は崩れる。総じて、大人という現実界によって。
「レイヴン、こんなところにいたのですか」
一人の女が現れる。疲れた顔、今にも潰れそうな女、フィオナ・イェルネフェルト。少女はフィオナの顔を見るや、つい数秒前まで自分が遊んでいた男にしがみつき、フィオナの視線から隠れるように体を竦ませた。だが男は表情を変えず、フィオナに手を差し出す。
フィオナは少女と男を交互に見て、最後に花壇に目をやると、顔を歪めた。人間らしい、筋肉の筋が見てとれる、醜い泣き顔。男はそれを感じ取ったのか、そっと、缶バッチを握りしめていた手を差し出し、開いた。花柄のバッジ、太陽の花を模る、鮮やかな黄色。奇しくもそれは、花壇に植えられたダンディ・ライオンに似ていた。
フィオナはその缶バッチに手をやろうとした。しかしそれよりも速く、少女が動いた。フィオナと男の間に立ち、両手を広げ、男を守るようにフィオナを睨み上げる。フィオナはそれに気圧された、ラインアークの下層、スラムに住んでいそうな少女の目は、まるでこれからフィオナが男に何をさせようとするか、見透かしているようだったのだ。
「おじさんに怖い手を近づけないで!」
はたしてほんの数分間前にあったばかりの人間をここまで守ろうとする気概が、ラインアークの人間、いや今の世界に何人いるだろうか。フィオナは己の半生を走馬灯のように振り返り、雫が落ちそうになるのを懸命に堪えた。そんな童女に戻ってしまったような顔つきのフィオナに、男は少女の横から身体を倒して前に出、再び缶バッジをフィオナに差し出した。
二人の少女が怪訝な眼を向ける中、男は危なっかしい手つきで缶バッジの安全ピンをはずすと、それを胸元に近づけ、とんとんと叩いた。それだけで、男が何をしてほしいのか、フィオナにはわかった。
ごめんね、と少女に一言謝ると、男に合わせて屈みこみ、その手にある缶バッジを預かり、震える手つきでバッジを男の服へとつけた。それはラインアークの人工の光の中でさん然と輝き、遠目から見れば白い閃光のようでもあった。
「……おじさん、行っちゃうの?」
その一連のものを見ていた少女が、哀しげに呟く。果たしてそれは気づいた故の問いなのか、それとも気づいていない故の無意識からのものか。どちらにしても関係ないとフィオナは少女に感謝の意味を込めて微笑み、喜色満面の男を車椅子に乗せた。少女もそれを無言で手伝った。
「それじゃ、バイバイ、おじさん」
全てを終えると、少女は手を振って去っていった。やけにあっさりしているのは、子供特有の超感覚的な予感が働いたからだろうか。少女に向かって手を振り返す男を見て、フィオナもまた少女に手を振る。そうして、少女の姿が完全に見えなくなると、フィオナは車椅子の取っ手を持ち、その行く先を定めた。
男は笑う。だがその笑みは先ほどまでの童のようなものではなく、子どもをあやす父親のそれに似ていた。フィオナは一度下を向いて、少しの間歩を止めると、次の瞬間には感情の全てを封印した能面となって、車椅子を押しだした。
その時、ラインアークが揺れた。
フラジールが単機残って通常の防衛戦力・ノーマルAC部隊を足止めする作戦はホワイト・グリントの登場の遅さに痺れを切らしたステイシスによって予定が変わり、レーダーにネクスト反応が出るころには、ホワイト・グリントを残した敵性勢力は全てせん滅されていた。これによって、三体一の状況となるのは、タイムスケジュールとは大きく異なってしまうが、しかし決して悪いことではなかった。万全を期して戦えるというものだ。
その三機がノーマル・MTの残骸が残る中層を抜けラインアーク最上層の整備された道路で主役の出番を待っている時、万を持してそれは現れた。
白い翼から光とコジマ粒子という羽根をまき散らし、両手の銃を油断なく構え、さながら旧世紀の神話に出てくる天使か使途のようなネクスト、ホワイト・グリント。その白い伝説を介して、声が響く。
『こちらホワイト・グリントオペレーター、フィオナ・イェルネフェルトです。貴方達はラインアークの主権領域を侵犯しています、速やかに退去してください』
静かな威圧感を伴う声だ。よほど地の声はよいのか、機体越しでも身体が響くそれに、ストレイドの青年は一瞬気圧されかけた。
『さもなければ、実力で排除します』
『フン、フィオナ・イェルネフェルトか。アナトリア失陥の元凶が、何を偉そうに……』
青年が威圧されたと思える声を、オッツダルヴァは鼻で笑って皮肉を返した。直後に、ステイシスの偏向ノズルに似たオーバード・ブースターが開き、内部のエネルギーを反応させ、機体を覆うプライマル・アーマーがちらちらと輝きだす。
『……どうしても、戦うしかないのですね』
フィオナ、というホワイト・グリントのオペレーターの、独白にも近い呟きが、まるでこの場にそぐわないように感じ得た。本来ならばその言葉は、こちらを見下すようなものであるはずなの、だ。だがそれよりも、とステイシス、フラジールと続き、青年もまたストレイドと身を同一化させる。自分自身がストレイドであり、またストレイドが自分でもあるという、暗示そのものともいえる戦闘意識へ。
『いけるな、フラジール、ストレイド』
『はい、そのつもりです』
「ああ、やってやるさ」
『フン……』
ストレイドの自分に言い聞かせるような反応にオッツダルヴァは鼻を鳴らし、淡々と応えたフラジールにその隻眼を向けた。
『じゃ、行こうか。だが、ストレイド、貴様のような未熟者は空気でも構わん』
「なっ……!?」
青年が噛みつくよりも早く、チャージされていたオーバード・ブースターが火を噴き、ステイシスを音速の世界へと連れていった。それに続いて、フラジールも小さな噴射口に似合わぬ光を軌跡に残しながら、ステイシスの後を追う。一機残されたストレイドは、その身内で呆気にとられ、次いで怒気を放ち始めた主の意思をそのまま現したように、OBハッチを開く。流麗かつ攻撃的なフレームのアリーヤが、その身に流れる空気とコジマ粒子を弾きながら、先行した二機を追う。
「くそ、舐められてたまるか!」
『落ち付け! 何のために訓練を行ってきたと思ってる!』
「けど俺だって一端のリンクスです!」
『まったく、いつからそんな血気盛んになった。まぁいい……』
通信越しにセレンが溜息をつくのを感じるが、しかしストレイドを止めるつもりはない。それをわかっていて、セレンはいつもの調子に戻るよう、いつもの言葉を紡ぐ。
『ミッション開始。ステイシス、フラジールと共同し、ホワイト・グリントを撃破するぞ。ランク1と中堅との三人がかりだ、これ以上は望めん』
「そんなの、わかってるっ」
口調は荒いが、青年の精神は僅かに安定を見せ、冷静さを取り戻していた。セレンのやれやれ、という呟きが聞こえる中、青年はストレイドの残弾を確認させる。ノーマル部隊相手の消費したのは右背のアルドラ製グレネード、および左腕のレイレナード製マシンガンのみ、ホワイト・グリントのものと同じBFF製高精度ライフルとオーメルのスプレッドミサイルはまだ使用していない。ネクスト一機墜とすには十分すぎるほどに残っている。
『……見せてみろ、お前の可能性を』
「何かいった?」
『……さっさといけ!』
確認することに集中していた青年に、セレンの呟きは届かず、次いで怒声によって、青年はネクストの情報処理が一瞬遅れたことに驚きセレンへの内心の恐怖を新たに増やしたが、それを声の主が知ることはなかった。
しかしその直後、前方で最初の銃火が交されたことによって、青年は完全にストレイドの中へと埋没した。ステイシスのレーザーキャノンとホワイト・グリントの高精度ライフルだ。二機はそのまま橋の中央にある背の高い施設で交差すると、OBを止め、まったく同時にクイックターン。互いの突撃ライフルが火を噴き、整波しきれていないプライマル・アーマーの表層を撫でていく。オッツダルヴァがすぐ様兵装を翼のようなフォルムのミサイルポッドに変え、ロック。合わせ、ホワイト・グリントも左のミサイルポッドのハッチを開く。そして両者が三度同時に火器を解放しようとした瞬間、真横に位置取りをしたフラジールの両肩簡易ガトリング/チェーンガンが火を噴く。
その同時発射数・速射性能から展開される弾幕に、PAが剥がされることを危惧した伝説はたまらずクイックブーストで真横へ飛び、ラインアークから落ちていく。そして落ちる間際にフラジールへと、右腕のライフルで苛烈なアプローチに対して、複眼という狙撃に向かない頭部でありながら、精密射撃による返礼を贈る。
三点バースト射撃によるその弾は二発はフラジールの特異なフォルムが幸いし両脇を通り過ぎるが、しかし最後の一発は弾幕を展開するチェーンガンを貫く。内部の発射機構に異常が生じ、フラジールはそれをパージ。ステイシスと共にホワイト・グリントを追う。
だがそれよりも早く、結果として遅れたストレイドが伝説をロックする。
「くらえ!」
スプレッドミサイル射出。フラジールとはまた違う弾幕となったそれに対し、ホワイト・グリントは両背中のミサイルによって対応。事前に渡された資料により、そのミサイルが分裂弾頭であることを知っていた青年はこちらのミサイルが潰されるのを予期しAMSに光を走らせ、自然落下するホワイト・グリントの斜め下を陣取る。右背中のグレネードを展開、ホワイト・グリントがそれをクイックブーストも使わず回避する。
「よしっ!」
読み通りだった。回避されることを前提としたグレネードキャノンは青年の読み通りホワイト・グリントが背にしていたラインアークの支柱の装甲を破壊し、衝撃によってそれが瓦礫となり殆ど動かず回避した伝説の白い装甲に傷をつける。まったく同時に、スプレッドミサイルが分裂したミサイルによって全て撃墜された。
その爆炎を突っ切り、動くの鈍くなったホワイト・グリント目掛けてステイシスが吶喊する。
『ホワイト・グリント……大袈裟な伝説も今日までだ』
ホワイト・グリントがそれに気づき、アサルトライフルを向ける。しかし直後に、事前にステイシスが放っていたPMミサイルが楕円軌道を描いてホワイト・グリントへと直撃する。怯んだそこに、ライールフレームのメインブースターが吠え、肉迫する。それは大企業オーメルの開発者たちが定めた、プライマルアーマーすら関係ない、ライールの領域だった。
『進化の現実って奴を』
銃剣を兼ねたAR−0700がクイックブーストの勢いを乗せて突き出される。ホワイト・グリントはかろうじてそれを身を捩ることで回避する。だがオッツダルヴァ/ステイシスの左腕には、近接適正に優れたレーザーバズーカがまだ残っている。
『教えてやる……!』
レーザーバズーカをホワイト・グリントの胸部目掛けて突き刺す。だがそれすらも、伝説はメインブースターのクイックブーストを使うことによって逃れる。ちっ、と舌打ちをするが早いか、オッツダルヴァはホワイト・グリントが完全に逃れる前にLバズーカの引き金を引いた。カメラアイによって可視化された大出力レーザーは間一髪ホワイト・グリントの背武器であるミサイルポッド一基を貫き、爆散させた。
その爆発に叩き落とされるようにホワイト・グリントは海上に着水。油断なく両サイドの目をちかちかと光らせ、二つの攻勢存在を捉えた。
「まだだ、そこっ!!」
『丸剥がしです』
ストレイドのライフルと汎用マシンガン、フラジールのチェーンガンと特異なマシンガンが同時に発射され、伸びる火線が白い装甲へと殺到する。足止めとPA剥奪に狙いを定めたそれらを前に未だ体勢を立て直しきれていないホワイト・グリントは為す術もなく受ける、ことはない。
各部パーツから円柱の物体が展開される。同時にジェネレーター出力によって直前に再展開されたPAが燐光を発する。二機がそれに気づき、強引に機体を後退させるよりも早く、ホワイト・グリントの周囲が緑色の爆発を起こした。現代のネクストの最終攻撃手段とも言われる、アサルト・アーマーの光だ。強烈な閃光と爆発の衝撃の余波がストレイドとフラジールを襲い、ネクスト/自分の眼を焼かれながら、一時離脱する。
そして中央に残されたホワイト・グリントはAA直前で締め切られたカメラ保護シャッターを開くと、クイックブーストを使う。その銃口が向かう先は、アリーヤよりもカメラ・システム回復の遅いフラジール。極限の軽量をコンセプトに開発されたフラジールのベースフレームは、それ故に機体の立て直しも遅い。フラジールの内臓がそれに気づき、クイックブーストによって離脱を図るが、動作は鈍い。その反応の遅れはコンマ数秒。
だがそれだけあれば、ホワイト・グリントには充分だった。
『プランD、いわゆるピンチですね』
フラジールが遠回しの言葉で淡々と現状を告げるが否や、伝説が握る両腕のライフルが吠える。フラジールはそれに対し、機体を後退させながらも抵抗するが、その途中から光の翼が展開される。同時にホワイト・グリントのPAが整波され、さながらそれは白いマントを持つ死神がまき散らす燐紛のようであり、その鎌がフラジールへと振り下ろされようとした。
『私を忘れるなっ!』
それよりも早く、AAの光から視界を取り戻したステイシスが急迫する。相対速度を合わせた、無防備な側面からのラッシュ、ホワイト・グリントは起動直前だったOBを切り、フラジールに合わせていた照準をステイシスの青いボディへと移す。そのまま両者は、支柱の乱立するラインアークの内部を滑るように飛び、互いをFCSに捉えた瞬間には即座にトリガーを引く。
「フラジール、大丈夫か!?」
『稼働限界まで残り10%……詰めは、お任せということで』
心なしか弱弱しい声音。そのことに青年は、フラジールの内臓、いやCUBEに残された微かな人間性だと感じた。だからこそ、ネクストという超兵器の因子となっている青年もまた、その人間性に応えるように頷き、未だクモの巣のようなラインアーク中層を飛ぶ二機を追う。遠目から見れば、二機は同じコンププトのアセンブリだからか、まったく互角の撃ちあいをしているように見える。だが感度を上げて見れば、ステイシスにつけられた傷の方が多い。
だが、ステイシスが接近でき、かつその間合いを維持できれば、或いは。
「ならっ!」
右腕の高精度ライフルを引き上げ、マシンガンをその銃身の下に添える。更に機体は支柱を背に置き、固定。カメラ、最大望遠。ターゲットロック。シュート。
狙い定められた銃弾はネクストの目にも見えぬ回転をしながら背部を見せるホワイト・グリントを狙う。しかし、果たしてホワイト・グリントは背後にも目が存在するのか、それとも特殊機構の複眼の恩恵なのか、それを避けて見せる。それでも青年はライフルの引き金を引き続ける。ホワイト・グリントは超高速で付いてくるステイシスに対応しながらもそれに反応し、クイックブーストを小刻みに吹かす。
だが二種の攻撃によって周囲の状況が変化していたことに気づかなかった。
ホワイト・グリントが衝撃に揺れる。その眼が一斉に光れば、そこは鉄鋼が集められた角、袋小路であることを理解する。即ちそこは、一瞬では逃げられないという意味でもある。
『ふん……空気ではなかったということか』
それを見過ごす王者ではない。クイックブーストの爆発な加速、ステイシス、銃剣用意。弾数僅かなレーザーバズーカによる足止め。ホワイト・グリント、AA準備。それを確認するよりも早く、ストレイドの支援射撃がホワイト・グリントの残り僅かなプライマル・アーマーを削り切る。結果、アサルト・アーマーは不発、ステイシス、インファイト。
突き出されたAR−0700をホワイト・グリントは左腕のアサルトライフルで捌こうとするが、その動きよりもステイシスのそれは動く。数瞬の斬り結びの後、ステイシスのライフルがホワイト・グリントのそれを貫き、引き抜き、ホワイト・グリント本体へと蹴りつける。怯む伝説。ステイシスは止めとばかりに、ライフルの銃口を向け、乱射。その数発が半壊した063ANARへと叩き込まれ、マガジン・薬室内に残された弾に引火、反応によって内部爆発を起こす。
プライマル・アーマーの内側ではネクストの装甲は企業により分かれるが、概ねノーマルよりも多少硬い程度だ。故に、ネクストの装甲すら穿つBFF社製ライフルの専用弾の至近での暴発は、致命傷となりうる。鮮やかな赤の華が咲いた直後に、ホワイト・グリントの優美とすら言えるボディラインに無粋な銃痕・風穴が開き、その身を無数の鉄工でできた壁へと叩きつける。間髪入れず、ステイシスはライフルの先端をホワイト・グリントのコアに突き刺した。
スタビライザーを焼き切られた頭部が搭乗者の痛みをフィードバックしたように天を仰ぎ、複眼が点滅する。絶命寸前の伝説からライフルを抜くため、ステイシスは片足を乗せ、蹴りの反発力で持って引き抜く。その勢いにホワイト・グリントの背を支えていた壁は崩れ、コックピットを満たすGジェルを噴水のように噴き出しながら、ホワイト・グリントは海中へと落下していった。
レーダーから、ホワイト・グリントの、白い閃光の輝きが消えようとしていた。
『……こんなものか、伝説も所詮は過去の妄念ということか』
『存外、呆気ないものですね』
徐々に機体の稼働率を戦闘モードから通常モードへと変える二機が、何気なしにそう言った。それはおそらく、この場にいる全てのものの感想であろう。セレンも、そして青年もまた、少なくても一機は道連れにされる可能性が高いと思っていたのだから。
それでも、三機のネクストを同時に相手取り、ここまで善戦するのはさすがというべきだったか。だがどこか腑に落ちない感情が、ストレイドの中で青年を焦らしていた。
やはり、だめだったか。フィオナはネクストのオペレーティングルームで心の中に零した。他の人間はいない、ブルック・セラノとの契約の際、作戦中は決して他の人間を入れぬよう言ってあるからだ。万が一、自分の感情が表に出た時、それを他者に見られぬように。
今が正にそうだ。ぼろぼろと、古びた絵の具のように能面で覆いつくした顔が剥がれ、泣き出しそうな少女の表情がコンソールに映っている。
度台、無理だったのだ。以前の、少なくともリンクス戦争時代ならいざ知らず、心身ともに限界寸前であった彼では三機のネクストを相手に勝利を得るなど、万に一つもなかったのだ。そのことなど、初めからわかっていたはずだった。そのはずなのに、自分は彼を行かせてしまった。ここに連れてきてしまった。あの時に全てを終わらせてあげなかった。
常日頃から積み重なり、気づかないフリを、目をそらしていたものが、弱さを見せたに自分という枠/感情/アイデンティティに牙を向き、襲いかかってくる。さながらそれは幼少時に見た大河の氾濫のようであり、フィオナという人間はそれに耐えられるほど強くなかった。一息に流され、溺れ、窒息する。
それは精神のみならず身体にも出、呼吸困難という形をとる。思考すら消えていく。これならばいっそ、死んでしまった方が早いのではなかろうか。僅かに残る感情が、自暴自棄とも言える言葉をフィオナに囁く。あの場所を出てから常に持ち歩いていた銃を懐から取り出す。震える手で、スライドを引く。銃口をこめかみに当てる。
今すぐに死ねば、彼にも追いつけるだろう。引き金を引く指は、軽い。
『……ナ……ィ、ナ……』
通じるはずのない通信が、声を拾った。二度と聞こえぬはずの声。人差し指が、止まった。眼尻で留めていたものが、流れ落ちた。
『フィオ、な……』
「レイ、ヴン……?」
ああ、なぜ自分は彼の本来の名前を言えないのだろう。フィオナは悔やむ。だが同時にこれが、彼自身との契約なのだ。作戦行動中は、彼の名を決して呼んではいけないと。それは意識の切り替えに必要だった儀式のようなものだ。同時にそれは、二人にとっての、もっとも身近な繋がりの一つともなってしまった。
「レイヴン……っ!」
鴉。もはやそう呼ばれるものは、今かろうじて声が聞こえている男しかいないだろう。ネクスト、ホワイト・グリントとリンクしているデータを見る。戦闘不能状態を示す赤い表示はそのままだ。だがしかし、その右下に小さくある、『AMS再接続』の文字が、それらの赤よりも一層強く主張をしていた。
『アナ……トリア……の』
「えっ……?」
『アナトリ、アの……あの花たちは……まだ、咲いてるかな……?』
それはいつの話をしているのだろうか。フィオナは一瞬、ただでさえ鈍くなっていた思考を止めてしまった。故郷アナトリアはとうの昔に滅んでいる。他ならぬ自分たちのせいで。そこはもはやコジマ粒子の汚染によって向こう数十年は草木の生えぬ土地となってしまったいるのだ、花など咲いているはずもない。
ならばなぜ、と彼の滅裂な記憶を疑いかけたが、出撃前にあったあの花壇でのことを思い出した。あの花の中には、壊滅前の自分たちの故郷から種をもって育てたものもあるという。だがそれはやはりアナトリアのものではない、ラインアークの花だ。
だがそれでもそれが、アナトリアのものと同じと感じてしまうのは、あの花の前で出会った、あの少女のせいだろうか。ラインアークという理想の中に溺れ、汚濁の中にあって尚、陽気さを感じた存在。その顔はまるで、アナトリアにた子供たちのようでもあった。
「……貴方の胸に、一輪差してますよ」
だからこそ、フィオナは涙を零しながら、そう答えてしまった。それが男を再び立ち上がらせてしまうとわかっていながらも、そう言わざるをえなかった。もう休んでほしいのに。もう眠って欲しいのに。また、何もかもを捨てて、何処かへ逃げ出したいのに。
だがそれでも、かつての英雄を奮い立たせてしまう。そうしなければ、男はきっと、救われないだろうから。
『AMS再接続』の赤い表示が、青へと変わった。
後編は12/20の朝投稿いたします。