変化はじわじわと起こった。
地下広間に絶叫が木霊した翌日、前日に広間にいたパーティのうちの一人が声をかけてきたのだ。
「コーヒーってある?」
「あるよ」
「缶ですけど、ブラック? 微糖? カフェオレもありますよ」
マーズに続けて俺がそう言うと、金色の拵えの日本刀を二本差しした若い冒険者はちょっと悩んで「カフェオレで」と答えた。
「三百円です。すいませんけど、地面に置いてください」
「観光地価格だなぁ」
彼は苦笑しながら百円玉三枚を取り出し、地面に置いた。
俺も三百円からちょっと離れた所の地面にカフェオレの缶コーヒーを置き、さっと離れる。
「これって手渡しはできないの?」
「すいません、バリア張ってるんで……」
「そっちの
彼はカフェオレを拾い上げ「おお! 温かいじゃん!」と感激して帰っていった。
たしかにこの受け渡しは不便だよなぁ。
明日は何か、受け渡し台みたいなのを持ってくるか。
翌日、素直な俺は激安の
物干し竿も買い直さなきゃいけなかったしな。
いつもの場所に陣取り、机を前にして椅子に座っていると、昨日と同じぐらいの時間に二本差しの兄さんが現れた。
今日は後ろに女性を二人伴っているようだ。
二人とも同じパーティなんだろうか?
ハーレム冒険者物の主人公みたいな人だな。
「おっ、机!」
「たしかに不便だったんで、調達してきました」
「アイテムボックス持ちはいいなぁ……あ、コーヒーね。カフェオレ二本とブラック一本で」
「ありがとねー」
マーズが招き猫のように手を振ると、それを見た二人の女性が「可愛い~」と声を上げた。
「怜奈さん! 梅田さん! 失礼ですよ!」
二本差しの兄さんはギョッとした様子ですぐに振り返り、大声で二人を諌めた。
いや、そらそうだわ。
姿から文化まで違う移民だらけのこの日本で、他人の見た目を揶揄していると捉えられかねない言葉を口に出すのは、正直言って迂闊という他なかった。
「あ、そっか……」
「ごめんなさい、つい……」
「いいよいいよ」
「すんません」
マーズの許しの言葉に、二本差しの兄さんも頭を下げた。
実はマーズはあんまりこういうのを気にしないのだ。
相手が大人だからこういう対応になっただけで、マーズは近所の幼稚園児とかにも「猫ちゃん」と呼ばれて抱きつかれたりしてるからな。
本人曰く「気持ち悪がられないだけ得してるよね」との事だ。
実際、地球どころか宇宙中どこまで行っても見た目での差別はなくならないそうだ。
違うのは当たり前なんだから、敬意さえあればいいんだよ、と猫のマーズは言っていた。
「じゃあこれ、千円」
「あ、どうも!」
机の上の千円と引き換えに、缶コーヒー三本と百円玉一枚を置く。
いちいち椅子から立ち上がらなくていいし、こりゃ楽だ。
「兄さん、タバコは吸わないの?」
「荷物になるし、地下に吸い殻落としたりしたら
「あー、吸い殻か……たしかに」
よく創作にある死体やゴミが消えるマジカルなダンジョンと違って、ここはリアルだからな。
三ヶ月に一度は
もちろん犯人の特定は難しいが、犯人探しは行われる。
深くて暗い穴の中に潜る、狭い世界の危険な稼業だ。
みんな変な噂が出るのだけは避けようとしていて、そういう所にはことさらに気を使っていた。
「兄さん、吸い殻ぐらい引き取るよ。うちの商品から出るゴミだしね」
「え、ほんと? じゃあパーラメントある?」
「えー、パーラメントはなくて、マルボロ、セッタ、エコーです」
「じゃあマルメンの強い方で」
「一本百円だよ~」
「うっ! ぼったくり!」
「嗜好品ってそんなもんさ」
文句を言いつつも吸うのをやめる気はないようで、二本差しは登山用品ブランドの小銭入れから取り出した百円を差し出した。
ライターとタバコ一本を出し、百円を受け取る。
「ライターは後で返してね」
「いたれりつくせりで嬉しいよ、はは……」
コーヒーのプルタブを開けながら、二本差しは力なく笑った。
「あのぉ、タバコあるって?」
そんなやり取りを見ていたのだろうか……
別のパーティの、顔をグレーのバラクラバで覆った男が声をかけてきた。
「あるよ」
「セッタメンの十二ミリある?」
「ありますよ。一本百円です。ライターは貸し出しですんで、後で吸い殻と一緒に返してください」
「高ぇ~」
高いといいつつも、男はしっかりと百円を差し出した。
まあ入り口から十キロ近くもある広間まで来て冒険もして、そりゃあ一服もしたくなるだろう。
俺は吸い殻を入れる用に、椅子からちょっと離れた所にあられの空き缶を置いた。
椅子に戻ると、また客が来ていた。
目の下に濃い隈のある、スコープ付きの迷彩柄のクロスボウをかついだ女性だ。
「なんか甘いものってありますか?」
「あ、和系がいいですか? 洋系がいいですか?」
「えっ!? 選べるの? じゃあ、あんこ
お姉さんはちょっと独特な語尾が伸びる感じの喋り方でそう言った。
あんこ系ね、用務スーパーのデザートコーナーを総浚いしてきた甲斐があったな。
「じゃあ大福、三百円です」
「高~! ……ま~いいか~……」
「姉さん、一緒に温かいお茶はどう?」
「近くなっちゃうから、水分は少なめにしてるの」
女性はブランド物の財布から千円を取り出し、七百円のお釣りと大福を持って去っていった。
そうか、地の底だからトイレ事情もあるか……
そんなアイデアをゆっくりと温める暇もなく、目の前にまた別の客がやって来た。
「カップ麺とお湯ある?」
「あ、ありますよ!」
味の説明をしようとしたら、横から二本差しの手がニュッと伸びてきた。
「あ、これライターと空き缶、ありがとね」
「ありがとうございます!」
「セッタメンもう一本くれる?」
バラクラバも隣から話しかけてくる。
「あ、ちょっと待ってくださいね! 順番で!」
「やっぱお茶もらおっかな~」
大福のお姉さんも帰ってきた、急にてんてこまいだ!
「並んで並んで! すいませんが順番でお願いします!」
「商品はたっぷりあるからね~、ちょっと待ってね~」
これまでの苦戦はなんだったのだろうかという勢いで、広間中のパーティがうちの店に押しかけてきているようだ。
この日、俺達は昨日の売上の五十倍、一万五千円を売り上げて帰る事になったのだった。
「いやー今日は儲かったな」
「いや、全然だよ。弁当が売れだしたらもっと儲かるさ」
朝に行ったダンジョンを昼過ぎに切り上げ、夜はピザ屋のバイトに行って帰ってくるというルーチンワークをこなした俺は、食べ終わったカレーの皿をそのままにしてコタツでマーズと喋っていた。
テレビでは年末特番で豪華メンバーのバラエティ番組が放送されていて、俺は年末特有のそわそわした空気を楽しんでいた。
「年末年始はピザ屋のバイト休めないのがキツいなぁ」
「もう辞めちゃったら?」
「いや、俺ピザ屋のバイト好きなんだ。ゲームみたいで」
「トンボはゲームが好きだよな」
「好きだね、就職もゲームの会社に入りたかったけど……日本も迷宮不況が二十年も続いて『失われた二十年』なんて言われてるんだよな。ゲーム会社どころか普通の会社でも就職厳しいよ」
そんな事を愚痴る俺を、マーズは不思議そうな顔で見つめた。
「なんで就職するの?」
「え? そりゃあ……俺だって、安定した暮らしがしたいからさ」
「いや、普通に会社立てりゃいいじゃん。せっかくジャンクヤードなんて強力なスキルがあるんだからさ」
「えぇ? 起業? ないない、俺そういうのできないよ。経済学部だし」
「おいおい、経済の勉強してるならなおさら起業向けだろ」
コタツの上のミカンを剥きながらそう言ってマーズは笑った。
「日本の上流大学以外の経済学部は『パラダイス経済』って言われてるの。楽勝で単位取れて、就職にもそこそこ強いってね。経済の勉強なんか基礎の基礎しかやってないよ」
「ふぅん。ま、でもダンジョンでもっともっと稼げば気も変わるんじゃない? なんなら稼いだ金でゲーム会社でも作っちゃいなよ」
「え!? ゲーム会社? それは……いいかも」
「そんで部下に商売任せてさ、トンボはピザの宅配やればいいよ」
「えぇ~、そこまで行ったらピザの宅配はもういいかなぁ」
意地の悪い顔でこっちを見ているマーズに苦笑を返すと、ふぁっとあくびが出た。
時計を見るともう深夜一時だ。
もう月曜日になってしまったが、定例会をやってしまおう。
「マーズ、机の上拭いといて」
「はいはい」
カレーの皿を流しに置いて、コップとコーラを持って戻る。
「ここ二週間ぐらいお金はだいたい仕入れに使ってたし、あんまりジャンクヤードの動きはないんだよね」
「そのお金を稼ぐために頑張ってるんだからね」
「とりあえず、今日交換されてたのがこれ」
俺が取り出したのは、胴の部分がメッシュになったペットボトルのような物だった。
これは
いちご
↓
背負い紐が四本ある宇宙のブランド品のリュック
↓
地球人には飲めない成分のお酒
↓
『キュー 空気環境測定機能付きポータブル組成変換器』
と交換されてきたものだ。
「あ、これ結構凄い! ……ていうかこんなのあったんだ」
「何に使うやつ?」
「空気の組成を変える機械だよ。この星じゃ二酸化炭素って言うんだっけ? 増えて困ってるっていうあれを酸素に直接変換したりできる物」
「え、それって凄いじゃん!」
「宇宙船には普通に組み込まれてる機械だけど、こんな持ち運びできるサイズの物は初めて見たね」
まあたしかに、宇宙船にはこういうのがついてなきゃしんどいか。
植物いっぱい置いて二酸化炭素吸ってもらうってのは無理があるもんな。
「これで二酸化炭素を酸素に変えたら地球環境良くなったりするかな?」
「それ、良くなるまでにはトンボ死んでると思う」
「やっぱそう……?」
とりあえず、確保だ。
家の中で換気扇代わりに使ってもいいしね。
「それでトンボ、あと今週は何があったっけ?」
「今週は多分他に何もないよ、先週手に入ったのはアイドルの直筆ホロサインだっけ」
「人気絶頂の中忽然と消えた伝説のアイドルだよ? あれは持っておけば絶対に歴史的価値が出てくるから!」
歴史よりも宇宙船だと思うが、まぁ本人がいいと言うならそれでもいいんだろう。
俺はジャンクヤードの中にある『ユーリ・ヴァラク・ユーリ』と読めない文字でサインされているらしいホログラフを見つめながら、ため息と共にコーラを飲み干したのだった。