年が開けて一ヶ月、大学の授業が再開して学業と金策とバイトの掛け持ちで大変な今日この頃……
地の底は大変な事になっていた。
「トイレ借りまーす」
「はぁい」
五つに増えたトイレにはひっきりなしに人が出入りし、入り口の横に置いた料金徴収箱にもどんどん硬貨が溜まっていっている。
音対策にアプリ経由でラジオが流され、そのためのタブレットやスピーカーの入った鍵付きの備品ボックスの中では、一緒に入れた空気組成変換器がフル稼働で脱臭作業中だ。
トイレだけではなく俺が用意した段ボールの休憩所も大好評、というか場所の取り合いのような状況になっていて、探索に疲れ切った人達がすし詰めになって死んだように眠っていた。
去年までは割と閑散としていたはずの十キロ地点の広間には数え切れないほどの人が集まり、装備のチェックや獲物の血抜き解体、雑談に情報交換と、もう騒がしいを通り越してうるさいぐらいの状況だった。
もちろんそんな状況だから、うちの店も大繁盛だ。
「えー、アルミ矢尻カーボン矢二十本、単四電池二本、それとマルゲリータピザね」
「猫の旦那、よく焼きで頼むぜ!」
背中にコンパウンドボウを吊った禿頭の岡さんが、人差し指を立てながらそんな事を言う。
この人は毎回マルゲリータを頼んではこんな事を言うのだが、実際よく焼きにすると「焼きすぎ」と文句を言うめんどくさい人だからピザは普通焼きだ。
「ここで調理するんじゃないんだから無理だよ。えー、一万二千五百円だね」
「あ、あと今度企業から
「あ、じゃあSNSの
「悪いね」
お金を受け取り、円形のスペーサーで纏められた矢と電池、それとホカホカと湯気を立てるマルゲリータピザをオーブンにかけた時のアルミ箔のついたまま引き渡す。
「賞金首は見つかりそうなんですか?」
「かなり奥に逃げたんじゃないかなとは言われてる。もう真剣に追ってるのも二、三組ぐらいじゃないか?」
二つ折りにしたピザに齧り付きながら、岡さんは去っていった。
この賑わいをうちの店が呼び込んだと言えれば誇らしいのだが、実際の所は全然関係がない。
実は一月の初旬にこの広間から五キロほど奥で、ほぼ炭化した人の死体が出たのだ。
そんな強力な火炎を扱う魔物は限られているから、
その賞金目当てに東京中の
もちろん賞金目当てに集まってきた人達ばかりでなく、前からここにいた人も普通に通ってきている。
「弁当
「六千百円~」
「あいよ」
気無さんのパーティは全員が四十代男性の五人パーティだ。
元水道屋さんで、会社の倒産を機に同僚を集めて水道管と金属バットを持って冒険者になったらしい。
そんな始まりでもこれまで誰一人死んでないのだから、とても才能があったのだと思う。
「調達屋さぁ、いつも温かいもん出してるけど、もしかして氷もいけんの?」
「いけますよ」
「じゃあさ、今度
「わかりました、調達しときます。あ、トロ箱もいりますか?」
「気利くじゃん。頼りになるねぇ」
「あざっす」
気無さんは金を置いてタバコを胸ポケットに仕舞い、弁当を持って去っていった。
「頼りになる」か。
ここ一ヶ月ぐらい、よく言われるようになった言葉だが、悪い気はしなかった。
バイトでも同じ言葉を言われる事はあったが。
地の底で言われるそれには、なんだか実感が籠もっているような気がしたからだ。
自分で色々考えて行動した事が、直接人の役に立っている。
俺はただそれだけの事に、なんだか抜け出せそうにない面白さを感じていた。
「アー、アノ……メシ? ……アー、フード? パン? ゴハン? アリマスカ?」
最初、その声はどこから聞こえてきたのかわからなかった。
机の向こうから聞こえたはずだが、姿は見えず。
ただ机の上に、ピコピコと耳が揺れていた。
「あれ?」
俺が椅子から立ち上がると、机の影になる場所に二足歩行のサバトラ猫が立っていた。
俺のへそぐらいの背丈の、ピック付きのハンマーを背負った手足がちょっと大きな猫。
実は宇宙人なマーズとは違う、本物のケット・シー族だった。
「ココ……ゴハン? カエル、キイタ」
「あー、オーケーオーケー。ユーキャンバイゴハン」
「オ……オケ?」
「トンボ、英語じゃ余計にわからないって。英語にしても間違ってるし」
マーズがそう言うと、ケット・シーは目を輝かせて両手を上げた。
彼? はマーズに向けてフニャフニャニャゴニャゴと話しかけ、マーズは同じ言葉で何か返事を返した。
さすが
「何か食べ物が欲しいんだって」
「さすがだね、何か食べられない物ない?」
「タブーがないかって方向で聞いてみるよ」
マーズがニャゴニャゴ言うと、ケット・シーはウニャウニャと答える。
なんかもう、スマホで録画して実家に送ってやりたいぐらいの光景だな。
「別に食べられない物ないけど、辛いのが苦手だってさ。三人分欲しいって」
「じゃあチャーハンで」
「ニャンニャ」
マーズが何事かを伝えると……ケット・シーは首からかけた布袋から五千円を取り出し、人と猫の中間ぐらいの形をした指でそれをこちらに渡した。
千四百円のお釣りを返し、スプーン付きのチャーハンを三つ手渡す。
「チャーハンです」
「ニャッ!」
ケット・シーは温かいチャーハンに驚きながらも、俺の事を見てペコリと頭を下げた。
そして視線を下げてマーズに何事かをニャンニャンと話しかけ、マーズもそれに付き合ってフニャフニャと話し始めた。
「何何? この子、マーズ君のご家族?」
「違いますよ、お客さんです」
ライムグリーンのクロスボウを背負った、目の下に濃い隈のあるお姉さん、阿武隈さんが面白そうな顔で猫達の会話を見ながら話しかけてきた。
「最近は東三も色んな人来てるけど、マーズ君以外の異人種の人は初めて見たな~」
「あ、僕
「レアだ~、いいな~」
阿武隈さんはそう言って歯を見せながら笑い、開いた手の指を胸の前で合わせた。
なんか前にちょろっと言っていたが、彼女は大の猫党らしい。
「あ、そうだトンボ君、二月も月火木と来ないんだよね~?」
「いや二月はだいたい毎日来ると思いますよ」
うちの大学は期末テストが終われば二月上旬から春休みだ。
去年は一ヶ月半ほどをかけてしこたま積みゲーを崩した覚えがあるが、今年は目標もあるしダンジョンで金稼ぎをする事になるだろう。
「あれ? ああ、大学って春休みあるんだっけ」
「大学マジで休み長いっすから」
「ちゃんと卒業しなよ~? 冒険者になんかなりたくないでしょ?」
「いや、もうなってますけど……」
なんとも反応しづらい冗談だ。
中に入ってみれば冒険者は割としっかりした人ばかりだったし……というかしっかりしてない人はだいたい死ぬか怪我で引退するし。
大物を狩ったり上手く企業と提携すれば、二十代で年収三千万も可能な夢のある仕事だというのもよくわかったのだが……
東京では特にその傾向が強いのだが、世間ではバリバリの3K職で、武装した犯罪者予備軍と見られているのも事実だった。
「別に本腰入れてるわけじゃないでしょ? 大体そんな事言ってたらさ~親に泣かれちゃうよ~? 冒険者なんか社会でツーアウト貰ってからでも全然遅くないんだから」
俺は目が全然笑ってない阿武隈さんの言葉に、「はぁ」とか「まぁ」とか曖昧な言葉しか返す事ができなかった。
この人も多分、冒険者になるまでに色々あったんだろうなぁ……
「で、何の話でしたっけ?」
「あ、そ~そ~、実は来週ちょっと荷物の輸送を頼みたくて~」
「輸送ですか?」
何かを仕入れといてくれと言われる事はよくあったが、直接物の輸送を頼まれるのは初めてだった。
まぁ必要な物しか持っていかないダンジョンで人に荷物を預けるのって、命を預けるようなもんだからな。
「うちのリーダーが本気で賞金首をハントしたいんだって~」
「えっ!? マジすか?」
阿武隈さんのチームは遠距離戦を主体に堅実な狩りをする女性四人組だが、東三の冒険者の中では中堅ぐらいの扱いだったはずだ。
「マジマジ~、東三の問題は東三で解決したいんだってさ」
「え~、でも
「
火吹きトカゲというのは翼のないドラゴン……というよりは火を吹くオオサンショウウオだ。
たまに腹の調子を整えるために獲物を炭になるまで焼いてボリボリ食べる習性があるため、今回の下手人の有力候補になっていた。
「こっからもっと先にキャンプ張って奥まで行くからさ。この広間まででいいからうちの物資の輸送を頼みたいんだよね~」
「まあ、それぐらいなら……」
阿武隈さんに了承の意を伝えようとした俺の口の前に、猫の手がニュッと出てきた。
「一キロ一万円だね」
「あれっ? マーズ、さっきのケット・シーの
「とっくに帰ったよ」
阿武隈さんはマーズの言葉にべっと下唇を出して、栗色の頭をぽりぽり掻いた。
「逆に言えば~、一キロ一万払えばどれだけ頼んでもいい
「お姉さん、お得意さんだしね。うちも誰にでも同じ事やるとは言わないよ」
「じゃあ、
「あ、詳しくはSNSのDMで」
「り」
阿武隈さんはくるっと背中を向け、ちょっと首を傾げてからもう一度こちらを向いた。
「忘れてた、ドーナツください」
「あ、はい……」
彼女は三百円とチョコがけのドーナツを交換し、今度こそ帰っていった。
竜狩りか……怪我なく終わればいいんだけどな。
「……あ、そういえばマーズ。さっきはケット・シーの人と何の話してたの?」
「どこ出身かって聞かれたよ」
「ああ、世間話だったのか」
「あと、彼女いるのかって」
「えっ!?」
あの人メスだったの!?
マーズって意外とモテるのかな。
羨まし……くはないか、猫だし。
「なんて答えたんだよ?」
「ナイショ」
マーズはクールにそう言った後「でも……」と続けた。
「あんま背の高い人って好きじゃないんだよね」
そこ気になるんだ! とは思いつつも、猫の感覚はイマイチわからず……
それ以上突っ込んでは聞けない俺なのだった。