空間の揺れは続く。前にいる人形は何もしていないように見えるが、実際に動いているのは彼女から漏れている靄だろう。いつこの空間に穴をあけたのだろうか。また、その穴はどこに開けたのだろうか。靄のせいかたどろうとしても途中で薄くなって先を見つけられない。いや、それよりも空間の破壊を止めなければならない。
暁は艤装を召喚し、すぐに彼女に向けて撃ち込んだ。しかし、現実のように人形の体が砕け散ることはなく、砲弾が当たったところを中心に黒い靄と化し貫通した。暁は舌打ちをし、今度は錨で殴りつけるがさっきと同じように手ごたえを感じず、すり抜けてしまった。
「無駄だよ。今の私は実体を持っていない。物理的な攻撃は何も効かない」
暁は仕方がなく攻撃での阻止をあきらめ、防衛に徹することにした。この空間を創造した暁は当然そのすべてを把握している。ふと集中すれば開いた穴の場所が分かるはずだった。意識を空間に向けると、下方向に違和感を感じた。それはつまり海の中、そのことを意識してもう一度人形に向き合うと、靄が海の中に入っているのが見て分かった。暁は空間の修復に入った。それは簡単なことでただ元の空間の情景を想像すればいい。人形の方も暁が空間の修復に入ったことが分かったのか、一瞬目線を足元へ向けた。すると人形は暁へ腕を片方突き出した。靄がすぐさま一本の大きな針へと姿を変え暁へ飛んでいく。暁は錨で以て軌道を変えた。そして一つのドアを空中に呼び出した。下向きに展開したドアはひとりでに開き、そこから人形が落ちてきた。
「やっぱり。何が実体がないよ。物理的も何も私もあなたも意識下での存在なんだからそんなの関係ない。あなた外から壊そうとしてたのね。あれはあなたのその靄を使って生み出した偽物、どうあってる?」
「正解、まさかこんなに早くばれるとは思わなかった」
暁は再び照準を定め、主砲を撃った。流石に今度は人形も避けた。これが本体に違いない。人形も自身からも武器を形成し暁に攻撃を行う。
「あなた、てっきり自分じゃ何もできないのかと思ってたわ。深海棲艦を使ってでしか攻撃してこないから」
「あの体は靄を完全に抑えてしまうから何もできないの」
「ふーん。最後に教えてくれてありがと」
「それはこっちのセリフ、冥途の土産に教えただけ」
暁は主砲や魚雷、錨で以て人形に攻撃を仕掛ける。一方で人形の方も靄で以て攻撃を仕掛け、また暁の攻撃を防いでいる。しばらく拮抗していた両者であったがそのうちだんだん人形が守りに入っていった。彼女の目的はこの空間の破壊なので、暁にばかり意識を割いていられないからだ。暁は今のうちに人形を消し去ろうとしているが守りに入った人形を崩せないでいた。加えて暁もまた破壊されていく空間の補修を行わなければならなかった。
人形が空間を壊すより暁が空間を保守するスピードが速い。空間を壊しきるには暁が補修できないようにするしかなかった。しかし現状人形の攻撃で暁がひるむことはなく、もし攻撃に注力したとしても修復を終えた暁に圧倒される確率が高い。つまりこの拮抗している状態が人形にとって一番勝率が高い状態だった。人形は考えた、どうすれば暁を止められるだろうかと、もしくは破壊するスピードを上げられるだろうかと。前者後者ともに確率は低い、だが後者に置いていえば方法はある。簡単なことで暁への攻撃を弱め、その分破壊につぎ込むというもの。防御も弱めることになるので危険は高くなるが、これしか現状を打開するすべはないと人形は確信した。そしてもう一つ、彼女はこの空間の破壊を加速させる術を思いついた。
人形は数点に集中させていた靄を拡散させ、それぞれに小さな穴をあけた。そして先ほどと同じように靄で分身を形成させながら本体を穴から脱出させる。きっとすぐに暁はばれるはずだ。だから迅速にことを進めなければならない。
ここは意識下の世界。意識下の情報は漏らそうと思えば、そのすべてがあっという間に浸透する。だからこそ人形は自身の記憶を外側の世界に対して見せた、そう妹を殺す瞬間の記憶を。
暁にとって妹の死がたとえそれが別個体であってもその違いを認識できないほどのトラウマであることは現実でのやり取りで察することができた。それほどに暁の心はすでにボロボロなのだ。大部分を占める罪悪感はその気になれば極小の正気をいつでも飲み込むことができる。それができないのはその気を起こすための原動力が現状弱いから。だからその力を彼女は今再び強めようとしているのだ。
人形の記憶を見た暁の罪悪感が大きく脈打つのを感じた。だがそれと同時に、ドアによって再び空間内に落とされてしまった。
「同じ小芝居は通じないわよ。そんなバレバレな方法で二度も私をだませると思った?」
「いや、流石に私でも二度同じ技が通じるとは思っていない。でも、この方法が一番だった」
「なにを訳の分からないことを……」
その時、空間から聞いたことのない叫び声のようなものを両者は聞いた。ひどく低く、まるで深海深くに潜む怪物が発するような不気味な声だった。
「今のは一体……」
暁は何の声なのか分からずに辺りを見回した。人形はこの瞬間勝利を確信した。力をすべて破壊につぎ込み、一つの穴をあけた。そして、暁も人形が一体何をしたのか見当がついた。
「あなた……とんでもないことをっ!」
空いた穴から罪悪感が流入する。その勢いはすさまじく暁にふさぐ時間を全く与えなかった。海の底に空いた穴から入った罪悪感は海水を押しのけ海面に姿を現した。それはまるで真っ黒な泥のようで、一匹の竜のように長かった。そしてたえず暁の声で恨みつらみを発していた。
「これできっと暁は解放されるはずだ」
人形は笑みを浮かべ暁に言った。
「最悪な方法をとってきたわね。たとえこれで暁が解放されるとしてもその過程は彼女にとってとても辛いものになるわ。暁が苦しみながら死んでいいわけ」
「本音を言うのならあまり苦しみを与えたくはなかった。でもあなたが邪魔をするから私はこの方法を取らざるを得なかった」
「なにをそんな……どうしてあなたは苦しめるの」
「苦しめる?それはあなたの方じゃないか」
「私は暁を生かしてあげてるの。生きていればいいことが絶対にあるはず。絶望に打ちひしがれて諦めるなんてよくないわ」
「こんな張りぼてで救っているつもりとでも。かえって暁を混乱させるだけだった。自分の気持ちに矛盾を抱かせている……そういえば暁はここでの会話を覚えていないようだった。記憶を消しているのか?」
「ここでの会話は暁にとって無駄なことよ。無駄なことを覚えていたってしょうがないでしょ」
「わざわざ消す必要はないと私は思う。あなたは分かっているんでしょ?本来の暁の気持ちをだまして無理やり生かしていることを」
「生まれたばかりの奴に説教なんて欲しくないわ。あなたは分かってないわ、いえ分かるはずがない。だからこそ介入するべきではなかったのに」
「あなたは暁の生きたいという願いから生まれた。だからそれ以外のことには疎い。でも私にはそれ以外の感情も分かる。あなたみたいに一つの感情をもとにして生まれたわけじゃないから」
「あっそ。もういい。私は暁を生かす、それだけ。そのためなら私だって手段を選ばない」
「どうやってこの状況からまだ暁を引き留めるの?私だってわかる。暁はこのまま自分で自身を解放する」
「そうね。もうここに入られたらどうすることもできない。私はいわば人格だから、本心には何もできない。でもそれは内側の話。外側ならまだどうとでもなる」
「一体何をするつもり?」
「あなたの体壊しても直るのよね。それって深海棲艦の力?だとしたら便利よね。死んでも死んでも生き返る」
「それは違う。私にだって死はある。ただ体を壊されても本体には何のダメージもないから……」
「はいはい、そんなことはどうでもいい。あなたの義体が丈夫なのは分かったわ」
暁はゆっくりと人形に近づいた。そして人形から漏れ出る靄の一部に手を伸ばそうとした。人形は驚きその靄をひっこめ後ろに飛びのいた。
「何をする気」
「あなたの体を拝借してここを出るつもり」
「見捨てるのか」
「あなたが壊したんでしょ。もうここに入られたら私ができることはないわ。むしろ巻き込まれて消滅するかも。それなら脱出して外から生かす。だからそれをよこしなさい」
「……わかった。それじゃあなたをここに閉じ込める。そうすれば私の勝ちだ」
「それ、暁を殺したいっていうのは結局自分のエゴじゃない。暁のことは何にも考えてない」
「それはあなたも同じ。暁の生存が最優先と言っておきながら自分の生存を優先している」
「は?まあ、暁は生かすけど最優先だなんて、だって私がいないとすぐに死んじゃうじゃない。私の生存と暁の生存は同等よ、同等。ごちゃごちゃ言ってないで、さっさとそれよこして、ちょっとだけでいいから。もうここ持たないんだから」
暁は人形の方向を向きながら自身の後ろを指さす。暁の罪悪感は一本どころではなくもう数本が海面から現れており、丁度椅子と机の上で一本に交わり、空に伸びている。人形はその様子を数秒見ていた。暁から視線が外れたのを当然彼女が見逃すことはなく、すぐに距離を詰めた。暁は人形から出ていた靄、実体化しこの空間に大きな穴をあけたものをつかんだ。触手のようになったそれは、靄よりもつかみやすく暁はそれをがっちりとつかんだのだ。
「よそ見しすぎ、これもらってくわ」
暁はそう言って海面から足を離し、人形を蹴りつけた。油断していた人形は蹴りを真正面から受け軽く飛んだ後に暁の投げた錨に当たり、さらに後ろに飛んでいく。触手はつかまれたまま人形から話されちぎれていくのが感触でわかる。自身の力の多くをその触手につぎ込んだためそれを引きちぎられてしまえば、彼女は大きく弱体化してしまう。残った靄で暁を捕縛しようと手を伸ばしたが、その瞬間彼女の視線は上に飛んだ。
何が起こったのか一瞬分からなかった。まるで瞬間移動したかのような体験だった。しかし暁を再度見つけた時に彼女は理解した。暁は消滅させたのだ。暁の罪悪感から中枢を守っていたあの空間を。疑似的に発生していた重力は無くなりまるで宇宙空間、いやこの場合はまるで深海という表現が正しいか、ともかく足場がなくなったことで人形は体制を大きく崩してしまった。流石に暁は慣れているようでまるで泳ぐかのようにこの空間に浮いている。そしてその手には人形から引きちぎった太い触手が握られていた。
「待って」
人形が手を伸ばすも、当然届くはずがなく暁は彼女の元を離れて行ってしまった。それからやがて人形の背後から大きな気配が近づいてきたが、それがまた別の罪悪感だということに気が付く間もなく彼女は吞まれてしまった。
暁は罪悪感が集まる中枢を脱し、出口に向かっていた。奴からはがしたこの力は触手として実体化しているが、さっきからビチビチと跳ねてうざったい。強く握りしめていないとするりと抜けてしまいそうだった。やがてこの真っ暗な空間の脱出口らしき明かりが見え、彼女はそのまま光に向かって真っすぐと進み続けた。
暁の手によって人形が破壊されると、それまで動いていた深海棲艦はすべて行動をやめた。こちらが何をしようと、たとえ攻撃しようとも反応しない。まるで電源の切られたロボットのように固まった深海棲艦の脇を抜け暁の元へと全員が寄った。
暁は意識を失っているだけて息はある。次に彼女の目の前に崩れ落ちる人形の残骸に目を向けた。右腕と胸から上が破壊されておりもしこれが人間や艦娘であれば第三次間違いなしであろう。だからこそ秋月たちは人形が破壊された、故に深海棲艦も行動を停止したのだと認識した。
暁は下半身が完全に沈んでおり、上半身も胸まで浸かってしまっていた。これでは海城航行は不可能であり、また曳航しようにも接続部が海中に没しているのでそれ自体は可能だが移動にはかなり時間がかかるだろう。しかし現状それ以外の方法が思いつかず仕方なく曳航してグラーフたちと合流する方法を取った。
海中に没した接続部とのロープの接続にてこずっていると、暁から何かが飛び出したのが夕立には見えた気がした。それは隣にあった人形の残骸に飛び込んだように見えたが周りを見る限りそれが見えたのは自分だけのようであったので彼女は何かの見間違いと無視した。