紫色の曼珠沙華をあなた達に   作:猫又提督

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どうか私を許して欲しい

 暁はふと真っ暗な空間にいることに気づいた。この空間には見覚えがある。以前寝た時に来た夢の中、というか自身の内面だ。以前と違うのは人形がいないことと、自分の上に存在する中枢を覆う結界に大きな亀裂が一本入っていることだ。亀裂からはドス黒いものが染み出していた。暁は少し前の戦闘を思い出した。胸に痛みが走ったのはこの亀裂が入った瞬間ではないのだろうか。前々から不定期に痛みが走っていたのは結界に亀裂が入り始めたから、そして痛みが治っていったのはあのドス黒い何かなのだろう。あれがいつ完全に割れるのか分からないと人形は言っていた。その日は明日かもしれないし一週間後かもしれない。だが暁はその日が近いのではないだろうかと思った。あの大きな亀裂を見ればそう思うのも仕方ないだろう。

 

 夢はそこで覚めた。背伸びをしてベッドから体を起こすと最近よくみていた光景があった。だが音は静かだった。海中を進んでいるおかげで敵には一切見つからない。代わりに場所や時間は分かりにくいし、進むのが遅いが。窓を見ても真っ暗で何も見えない。もしこの部屋の電気がなければまさに真っ暗闇だろう。

 暁は部屋を出て廊下を歩いた。時折黒い影とすれ違うが、みんな軽く挨拶をするので暁もそれに答えた。外へ出る扉を開けると海水が真っ暗な壁のようにあった。艦内との明暗さの関係で水面に自身の姿が映った。前にも見た一部変色した自分の顔だ。しばらく自分の姿を見てなかったので、ああそういえばこんな顔だっけと思った。扉の先へ手を伸ばすと海水は簡単に手を受け入れた。水に流れを手のひらに感じる。手を引き抜くと飛沫が少し艦内に飛び散った。しかし抜いた手から水が滴ることはなく、そもそも濡れた形跡もなかった。

「ほんと都合のいい体」

 今度は全身で扉を潜る。水に潜った感触がした。だが息苦しさは全くなかった。水中でも地上と同じように息ができるし歩くこともできる。外は真っ暗で扉から漏れる光が届くまでの距離しか見えなかった。暁が扉を閉めると完全に闇に包まれてしまった。手探りで柵を見つけるとそれを手繰って艦首の方へ歩いていった。

 艦首は艦橋から漏れた光で比較的明るく、そこに立つ二人目の姿もうっすらと見えていた。彼女は駆逐艦の進路の先を見つめていた。暁が声をかけようとしたがそれよりも前に気づいてこちらに振り返った。

「ん、どうしたの?」

「起きたからなんとなく」

「あ、そう」

「着くの遅くなるのよね」

「うん。でもなるべく早く進むようにしてるから言ってもあと二日かな」

「あら思ったより早いのね」

「潜水艦じゃないしね、深海棲艦だから少しは融通がきくのよ」

「この艦隊って貴方が指示を出してるのよね」

「そうだけど?」

「方角って分かってるの?見た感じ真っ暗で全然分からないのだけど」

「なんとなくだけど分かるわ」

「へえ、すごい」

「艦橋行けば羅針盤あるわよ」

「あれ機能してたんだ」

「そりゃしてるわよ。完全に動く状態で引き上げたんだから」

「ふーん、因みに今どっち向いているの?」

「……北北西」

「そうなの」

 話題が切れてしまったので暁はなんとなく彼女の隣に立った。彼女は少し横にずれて暁を招いた。暁は艦首のポールにもたれ、進む先を見た。やはり真っ暗で何も見えない。下を見ても同じだった。二人は話題がなくなったのでしばらく黙っていた。ふと暁の胸に痛みが走った。ミシミシと軋む音も聞こえる。痛みは徐々に増し、とうとう暁は胸を押さえて蹲ってしまった。彼女は慌てた様子で暁によりそう。

「ど、どうしたの」

 彼女の声に応える余裕はなかった。彼女はオロオロしながら暁の背中をさすったりして様子を見ていた。やがて痛みは弱まり、立ち上がれるほどまで回復した。しかし、まだ余韻が残るかのように、胸に痛みが残っていた。

「大丈夫?さっきので怪我してたの?」

「いや、違うの。えっと、実はね」

 暁は彼女に、自身が夢で見たことを伝えた。

「なるほど。そういえばそんなことしてたわね。でも今の私はどうにもできないわ」

「どうして?」

「私の体はもう定着しちゃったから、前みたいにあなたの体に入ることができないの。どうしてもあなたがどうにかして欲しいっていうなら方法を考えてあげてもいいわよ」

「遠慮しておくわ」

「えー、どうして」

「なんで自分の目標から離れなきゃいけないの」

「ふん、生きるのはいいことよ。そう簡単に投げ出すようなものじゃないわ」

「私は、私はもう十分だと思うわ。あなたのおかげで今日まで生きられたし、あなたのおかげでしばらくの間強い自分を感じられた……私って弱かったのね」

「あなたがっていうよりかは、ただ私の人格が全ての戦闘を仕切ってたから、今のあなたの中には戦いの動きが残ってないの。まあつまりそういうことね。あなたの主人格は戦えないわ。それでも、雑魚とは言ったけど気持ちは十分強いと思うわよ。そこまで妹のことを思えるなら」

「ふーん、もっと否定してくるかと思った」

「私は戦闘しか能がないから、あなたみたいな姉としての何かは持ち合わせてないの」

「寂しい?」

「まさか、私は戦闘しかない人格だからそういうのに同情はできないわ。認めるしかできない」

「あっそ」

 暁はもたれていたポールから手を離し、艦首に背を向けた。戻るの?と声をかけた。暁はうん、と返事をして艦内に戻っていった。

 暁は艦内をブラブラしていた。もう何度か同じとこを回っているので既に目新しさはない。別の船に行けば多少はあるだろうが、外の暗さを見ると迷ってしまいそうで離れる勇気がなかった。一通りブラブラしたあと、結局暁は自分の部屋に戻ってベッドに転がった。天井を見つめているうちに眠気が湧いてきたので暁はそのまま目を閉じた。

 次に目を開けた時、暁は自分の体が地味に火照っていることに気づいた。多分眠ったせいだ。しかし眠気は以前あるのでまた目を閉じた。そうして何度か寝ては起きてを繰り返していると、突然ドアが開けられて暁はその音で目が覚めた。暁が体を起こすとドアの前には彼女が立っていた。 

「どうしたの」

「もうすぐ着くわ」

「……分かった」

 すぐに眠気は引込み、多少の緊張感が湧いてきた。すぐには理解できなかったがいつの間にか二日経っていたらしい。暁は彼女の後ろをついていきながら、どうしようかと考えた。あの日の惨劇の現場に立ったとして私は一体何をすればいいのだろう。墓参りだから挨拶だろうか。それとも謝罪だろうか。

 あまり考える時間もなく外に出た。てっきり海面に出ているものだと思ったがまだ暗い海の底だった。

「上がってないのね」

「ええ、そっちの方がいいから」

 彼女がなぜ海底の方がいいと言うのか分からなかったが、暁がそれを尋ねることはしなかった。艦首までやって来て彼女はここで待つように言った。

「あともう少しで見えてくるはず」

「見えるって何が」

「三人の艤装」

「艤装?」

「艦娘の艤装は船と同じように残り続けるから。死体も腐りはしないけど多分深海棲艦に変わっちゃってる……ああ、ほら多分ここら辺」

 駆逐艦がゆっくりと速度を落としていった。探照灯が正面を向いて暗い海底を照らした。横に別の船もやって来て同じように探照灯で照らし出した。少しの間ウロウロしていると、一隻が何かを見つけた。海底に横たわっている一つの艤装だった。

「あった。あれが響の艤装」

「……本当にあれが響の艤装なの?私の妹の?」

「うん、間違い無いわ。響のがあそこにあるなら雷と電のも近くにあるはず」

 二人の艤装を見つけるのにそう時間はかからなかった。海底に鎮座する艤装を暁はじっと見つめていたが、二人目はそんな彼女に、近くに行かない、と声をかけ暁も静かに頷いた。彼女は暁の手を取り、ゆっくりと降り立った。砂が巻き上がるがそれもすぐに収まる。一歩が重たく感じた。さらに踏み出すたびにそれは増していくような気がした。

 響の艤装の前で二人は立ち止まった。暁は呆然と艤装を眺める。一つ大きな傷が見えた。きっと彼女が誤射した砲弾が当たったのだ。そう思った途端また胸に大きな痛みを感じた。今までと違ってすでに軋む音が大きくなっており、大きすぎてそれ以外の音が聞こえなくなった。その痛みの激しさに暁は跪くどころか倒れ込んだ。過呼吸になり、強い吐き気を感じた。えずいても何も出てこず痛みはますます増していくばかり。痛みに耐えるように叫ぶが、自分の声すらも聞こえなかった。

 亀裂が入る音がした。中であの結界が割られようとしている。もう止められない。一際大きな音が鳴った。割れた、ついに割れた。何かが濁流となって彼女の中を満たしていく。暁は倒れ込んだ状態から立ち上がり、座り込んだ。二人目が暁の顔を心配そうに覗くと、彼女は涙を流していた。だがそれは普通の涙では無い。海中だと言うのに地上と変わらない様子で流れているし、色も黒い。黒い涙が無表情の暁の顔をドロドロと流れている。二人目はその様相にギョッとしたが、次いで暁の服が何かモゾモゾとしていることに気づく。服を掴もうとすると、裾からニュッと触手が二本のぞいた。二本の触手はそれぞれ雷と電の艤装に絡みつき響の艤装のそばまで引っ張ってきた。三つの艤装を前に暁はか細い声で呟く。

「ごめんなさい、私が悪いの」

 謝罪を求める声だった。暁は三つの艤装を抱えるようにした。手には彼女から流れる黒い涙が泥のように張り付いていたが、艤装にもかかった。二人目は一連の様子をただ黙って見ていた。どうすればいいのか分からなかったからだ。なんだか下手に邪魔しては行けないような気がした。だが、暁の様子がおかしいのは明らかだしどうにかした方がいいんじゃ無いかと思った。でもさっきから声をかけても何も返事がない。声が聞こえていないようだった。かと言って体を揺らしても止まらない。もう一度顔を覗き込んだ時、思わず彼女はうわっ、と声を漏らしてしまった。

 暁の両目はその涙のせいなのか白目の部分が真っ黒に染まっていた。流れる涙の量も増えて、海底はすでに小さな黒い水たまりができているかのようだった。いや、泥の堆積物と言った方がいいかもしれない。3つの艤装がその物体に浸かり始めている。しまいには、二本だけだった触手ももう何本が生えていて、艤装に巻き付いていた。暁は依然涙を流しながら謝り続けている。声が泣き声ではないので、少し不自然な感じがした。泥に浸かっていた艤装は触手と合わさってどんどん見えなくなっていた。そして全てが飲み込まれた頃、暁の服と泥から幾本もの触手が暁もろとも取り囲んだ。彼女の裾を掴んでいた二人目の手も巻き込まれそうだったか、すんでのところで引っ込めた。

 二人目は数秒混乱していたがその間に触手は一つの大きな球体を生み出した。彼女はゆっくりと手を伸ばしその球体に触れてみた。ブヨブヨしたその感触は泥ではなく、軟体動物のようだった。

「こ、これ、どうしたら」

 暁が球体に巻き込まれてしまったので引っ張り出そうとするが、弾力のせいで全く手が入らない。錨で刺してみても深くへこむだけで穴が開きそうもなかった。

 

 

 

 謝ることに夢中で周りの様子を全く見ていなかった。異変に気づいたのは雨音が聞こえたからだった。次第に風の音も聞こえてきた。波が荒れ、空が真っ黒になっているのが見えた。

 私は海上に立っていた。物資を積み込み、後ろに妹三人を連れて鎮守府に向かっていた。砲弾が着弾し、敵の存在を知らせる。艦隊は迎撃体制を取りあっという間に戦闘が始まった。大荒れの波のせいでまともに照準ができない。魚雷を放ったあと、主砲を撃とうとした。雷が鳴って暁は目を瞑ってしまった。腕が少し動いた。砲弾が発射される。その瞬間暁はこの砲弾が響に当たると直感した。目を開けると世界が少し遅く動いていた。スローモーションというには少し早すぎて、砲弾の軌跡が目で追えるぐらいだった。

「だめ、だめだめだめ」

 砲弾の行く先にはやっぱり響がいて、暁は響の元へ行こうとするが体が動かない。厳密にいえば動いているが酷くゆっくりで到底追いつけるとは思えなかった。まともに動けない体で非情にも響に向かう砲弾を見ていた。やがて砲弾の弾頭が響に触れ爆発を起こす。駄目だった、そう思ったのも束の間、前を向いていたはずの響は暁の方を向き、ゆっくりと動く時間の中至って通常の速さで言った。

「よくも撃ってくれたね」

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