深海棲艦を呼び出すのは簡単だ。呼び出したい深海棲艦を思い浮かべ、来いとでも念じればいい。難しいのは呼び出したとして合図が無いので呼び出したとして本当に来てくれるかわからないことだ。数日前、彼女は空母を呼び出すことができなかった。しかし戦艦を呼び出すことはできたので一応戦艦のレ級も呼び出せるはずだ。いや、呼び出せないと負ける。暁が死んだら自分は生きる意味を失う。そうなれば死ぬしかない。自分が死ぬのは暁を守りきれなかった時がいい。勿論そのつもりはない。
彼女が呼び出してから数秒後、二つの影が甲板に現れた。幼い体型に特徴的な尻尾、レ級だ。
「こいつら殺って」
レ級は彼女の指示に従って、彼女が飛び蹴りで止めた二体に攻撃を開始した。彼女は残りの一体に相対する。髪型からしてそれは響であるが髪色と髪型以外に彼女だと分かる特徴はない。錨は響の近くに放り出され、彼女がそれを利用する様子はない。響は威嚇のつもりか彼女に向けて奇妙な唸り声を上げている。対して彼女は黙って響を見据えた。響は両手を突き出してとびかかってきた。受け止めるものが無いため二人目はその攻撃をよける。錨を拾おうとしたがそれを許さないかのように響は攻撃を続ける。まだ人間味があった時と違って近接攻撃だけを繰り出してくるが雷や電のように錨を使うことはなく、肥大化した腕を使ってひっかくような攻撃ばかりしている。さっきまでの動きがうそのように俊敏で彼女もなかなか手が出せず、まるで攻守が逆転したようだった。
加えて甲板上は戦うのに非常に狭い。そこで六人がまともに戦いあえるはずがないし、現に何度も互いにぶつかりそうになっている。
「海上に落として、ここじゃ狭い!」
レ級にそう指示すると、尻尾を器用に使って雷と電を派手にかちあげた。二体はそれを追って船を降りて行った。一方で彼女はレ級のような尻尾がないのであんな風にかちあげることができない。腕をつかもうとしても太すぎてつかむことができない。自分は姫級と同等のはずではないのか、どうして理不尽な有利を取ることができないのだ。
「ああもう……!」
愚痴を言うのも許されないほどの苛烈さに彼女のイライラはますます募る。そしてそのせいで正常な判断も鈍っていく。ついに彼女は響の攻撃をかわし切れず腕に裂傷を負った。
「いっ!?……くそ!くそくそくそ!」
彼女の怒りは頂点に察した。同時に奴を殺すいい方法が思いついた。響は爪を突き刺そうと突き出しながら突進している。彼女は響の攻撃を前にして避けようともしなかった。響の腕を掴むが、太いのでうまく力が入らず滑って彼女の腹に深く突き刺さった。彼女は苦悶に喘ぐが、そのまま振り返った。彼女の背後には壁がある。響は腕が深く突き刺さったせいで、引っ張られる形で前につんのめった。眼前に壁が迫ったかと思うと彼女に後頭部を掴まれそのまま叩きつけられた。鈍い音が響くが、彼女は一度では止めず何度も何度も叩きつけた。
やがて壁が少し凹んだ頃、ようやく彼女は叩きつける手を止めた。すでに響はグッタリとしており、彼女が手を離すとそのまま倒れた。響の顔のあたりを中心に血よりもドス黒い液体が広がる。まだ響の腕が腹に刺さったままだったので引き抜くと、響の腕は血溜まりに落ち小さな水飛沫を上げ、彼女の腹からは血のかわりに黒い靄が溢れ出た。
響は倒れたまま動かないが痙攣をしている。まだ生きている証拠だ。とどめを刺すには錨が必要だ。放り出された錨は彼女からわずか十歩程度の場所に落ちている。しかし、腹に受けた傷は非常に重い。彼女は腹を押さえたまま壁にもたれずるずると座った。響の隣で落ちた錨に手を伸ばすが、そこからは絶対に届かない距離だ。そのまま意識が遠ざかり、やがて完全に意識が飛んだ。
意識が戻ったのはまだ空が暗い頃で、あまり時間が経っていないことが伺えた。彼女は誰かの鳴き声で目が覚めた。試しに目を開けると、血溜まりを気にせずまだ倒れている響の頭に縋りつき啜り泣いている暁の姿が見えた。彼女はすぐに離れるように言ったが暁はまるで聞こえていないかのようだった。彼女は暁を無理に引き剥がそうとしたが手足があまり言うことを聞かない。動かそうとしてもピクピクと震えるだけだ。
時間が経つにつれてだんだん動くようになってきた。踏ん張れるようになって彼女は壁に手をついて危なげな様子で立ち上がるがふらふらとしていて、今にも倒れそうだった。暁のこともさながら雷と電を任せたレ級の様子も気になった。響は痙攣すらしてないので多分大丈夫だろうと思い、柵を手すりに艦首へと向かった。
海上は暗くレ級の姿も雷と電の姿も見えなかったので、彼女は駆逐艦に探照灯を点灯させた。一筋の強烈な光が海上に差し込む。しばらくウロウロさせると仰向けに倒れるレ級の姿が見えた。呼吸している様子がないので多分死んだか、いや、深海棲艦は死んだら沈むのだからまだ生きている。さらにウロウロしていると雷がうつ伏せに倒れて浮かんでいた。少し離れたところでは電が同じように倒れている。こいつらは死んでも浮かんでいるかもしれないので生死は不明だ。もう一体のレ級はいくら探しても見つからなかった。沈んだのかもしれない。ノーマルとはいえレ級にすら打ち勝つ戦闘力は恐ろしい。
響もそうだが雷と電の姿が元に戻っている。あの姿は殺したと思った後に変わったものだから瀕死の時限定なのかもしれない。こう、最後の力を振り絞る的なものなのだろう。
彼女は雷と電にはっきりととどめを刺そうと落ちていた錨を拾った。すると、後ろから暁が「殺さないで」と声をかけた。
「え?」
「二人を殺さないで」
「あいつらはあなたを殺そうとしたのよ。見逃すわけにはいかないわ」
「私がそう願ったから……」
「は?」
「私が言ったの。私を殺して欲しいって。そうしたら私は許されるの」
「……それは響たちが許すって言ったの?」
「うん」
「違うわ。それはあなたの思い込みよ」
「違う!響たちがそう言ったの!私は響たちを殺した。だから私も死なないと不平等だって!」
「響がそんなこと言うわけないでしょ。だってもう死んでるのよ。死人に口なしって知らない?」
「で、でも……」
「まさか、あなたが今抱いてるのを響って言うんじゃないでしょうね。それは響のコスプレした化け物よ。そんなのが艦娘なわけないでしょ」
「で、でも、殺さないで……響は響なの。もちろん雷や電だって」
暁はだんだんと涙目になって今にも泣きそうだ。彼女は仕方なくため息をつきながら「分かった殺さない」と言った。
せめてまだ生きてるレ級は回収しておこうと彼女は海上に降り立った。後ろから暁が何か言おうと声を出した。
「殺さないって。レ級を回収するだけよ」
約束を早々に破らないっての、と文句を言いながら倒れているレ級を担いだ。見た目の割に結構重い、あいや、尻尾が尻尾だから思った通りだろうか。ともかく、彼女はレ級を担いで乗艦した。深海棲艦は無限みたいなものだが、そのまま使えるなら直し直しで使ったほうが都合がいい。そういえば、と彼女は思った。レ級は跳躍で海上から甲板に登った。自分にもあれができればこうしていちいちカッターを介して乗艦しなくてもいいのにな、と。今度練習してみよう。やろうと思ったことは案外やってみると何とかなるものだ。
彼女はレ級を暁の隣に投げ置いた。レ級は体を仰向けにして着地した。その際に顔が見えたが暁はその顔を見て怯えた顔をした。レ級の顔はぐちゃぐちゃにつぶれていた。目は片方飛び出て、もう片方は無くなって真っ暗な眼窩が見えている。口は歯がむき出しで舌も垂れていた。部分部分は骨が見えており、控えめに言ってひどい。本当にこれで生きているのか怪しいところだが、多分まだ生きている。
彼女は暁の隣に座り込んだ。響たち然り、レ級然り待たないとどうにもならない。なので暁と一緒に彼女たちが起き上がるのを待つことにした二人の間に会話はなかった。彼女は何もない水平線を眺めるばかりで、暁も響にずっと寄り添って時折頭を撫でていた。たまに謝罪の声が聞こえていたが彼女はそれを無視した。幸か不幸か彼女たちが起き上がるまでに深海棲艦も艦娘にも襲撃されなかった。
外が明るくなって太陽が水平線から離れたころ、暁が声を漏らすのを聞いた。彼女が振り返ると響が揺れていた。多分起き上がるのだろう。彼女は錨をもって立ち上がった。暁が心配そうな目を彼女に見せる。心配ないと目で言うが暁に伝わったのかは分からなかった。響が上半身を起こしたところで「動かないで」と錨を差し向けた。響は上半身を起こしたまま顔を彼女に向けたまま動かない。言葉は理解できるようだ。
「本当は今すぐにあなたの首を刎ねたい」
暁が何かを言いたそうな顔を向ける。
「……でもここは暁に免じて我慢してあげる。でも、すぐに暁の元から離れなさい。不安要素を手元に置いておくほど私も馬鹿じゃないわ。雷と電が起きるまでは待ってあげるから二人が起きたらすぐに離れること。いいわね」
「そ、そんな……」
狼狽えたのは意外にも暁だった。響は特に反応を示すわけでもなくただのっぺらぼうな顔を向けたままだ。
「何であなたが狼狽えるのよ」
「そんなことしたら私を殺せないじゃない」
「はぁ、いや私がそれを許すわけないじゃない。私はあなたを死なせないために生まれたのよ」
「響たちだって、私を殺すために生まれたんだから」
「公平じゃないとでも言いたいの?」
「うん……」
「スポーツじゃないんだから」
「でも……」
「あーはいはい。分かった分かった」
彼女はとうとう面倒になった。自分の意思を貫くより相手の主張をある程度汲んだ方が滑りがいいとこの瞬間に学んだ。
「じゃあ、深海棲艦とか艦娘が私たちに攻撃する時にでも混ざりなさいな。それならまだマシね。これならチャンスはいくらでもあるでしょ」
暁はそれならと渋々了解した。と言うか何故響たちに対する提案を暁が応対しているのだろうか。
二人が起きるまでの間、三人はそれぞれ何も話さなかった。暁は響が起きない間あれだけ愛おしそうに扱っていたのに、今はずっとよそよそしくしている。距離も離れていて若干二人目の方に寄っていた。響は二人に寄り添う形で座っていた。暁を襲う様子はないので、一応あの提案に同意したのだろう。思ったより理性があるようで彼女は驚いた。
彼女は響たちのことを考えていた。彼女たちが一体どう言う生命体なのか、明らかに深海棲艦や艦娘とは違う存在だ。何せ彼女は三人が生まれる過程を見た。恐らくだが彼女たちは暁の罪悪感を纏って生まれた存在だろう。何せあんなに黒いし、何より暁から湧いてきたものだからだ。今暁の中に罪悪感は残っているのだろうか。もしかしたら何も残っていないのか。いやでもあのまるで宇宙のような真っ黒な空間にどれだけの罪悪感が潜んでいるのかわからないし、あれだけの量で全て出てきたとも考えにくい。どちらにしろあれはきっと、暁の中枢を守っていた最後の置き土産が割れたが故に起こった出来事なのだろう。となれば暁の中枢はすでに罪悪感に浸食されており、自身の命を投げ出せる場面があれば躊躇なく投げ出すような危険な状態だろう。今は一つでも危険を遠ざけたかった。もちろんただ遠ざけるだけでなく、自分が危険を弾き返せるようにならないといけない。いくら遠ざけても危険は必ずどこかからやってくる。
雷と電が起き上がると彼女はすぐに甲板から降りるように言った。雷と電はまるで話を最初から知っていたかのようにすんなりと従った。そして駆逐艦から少し離れたところで、横一列に並び、顔と体をこちらに向けゆっくりと沈んでいった。その様子はひどく不気味で彼女は思わず身震いしてしまった。
三人が見えなくなって数分経ってからようやく空気が晴れたような気がした。今が朝でよかった。もし深夜だったらもう少し不気味な空気が続いていただろう。
結局三人が起きるまでずっと意識を失っていたレ級はいつの間にか顔が元に戻っていた。もうしばらくすれば起きるだろう。さて、これにて最後の小目標が終わった。これから彼女は永遠に近い任務に就く。暁が死なないように護衛する。その任務が終了する時、同時に失敗を意味する。今後を考えると酷く気が遠くなりそうだが、それを考えてはいけない。ただ目の前のことに集中するのだ。今彼女の目の前で寂しそうに海を眺めている命を守るだけだ。