「ああ、油断してしまったのね。あの砲撃で倒せたと思った? 海面に何もなかったから倒せたと思った? 所詮私は駆逐艦だと、そう思った?」
彼女は微笑みながら言った。彼女の面前で倒れる空母の周辺は赤く濁り、その体は沈もうとしていた。空母は死んだ。
「呉ってもっと強いと思っていたわ。私には対峙した記憶はないけども暁から聞いた見分でそう思っていた。でも思ったより甘々さんなのね」
呆然とした中秋月が最速で動いた。二人目に向けて主砲を撃つ。しかし彼女はそれを避けてしまった。なおも彼女は口を開く。
「懲罰部隊の皆ならきっと違和感を抱いたわ。そうよね?」
「なん、で」
誰かがそうつぶやいた。蚊ほどにも小さい声だったが彼女はそれを聞いてそちらを向き、数歩動いた。
「なんで? そうね、幸い今は気分がいいから教えてあげ……るとでも思った? 私は簡単に手札を明かしたりしないわ。明かすとするなら、それは相手をすべて殺すとき。知った人が生きてないならそれは誰も知らないのと同義。だから喜んでいいわ。私はあなたたちを全員殺そうとは思ってない」
彼女には一切の感情の起伏がない。淡々とほほ笑んで話を続けている。その話し方は相手の動きを制限する力でも持っているのか誰も動こうとしなかった。秋月も主砲で狙っていたが先ほど彼女が動いた際に秋月も数歩動く必要が出た。先委のように不意打ちができない。撃とうとすれば確実に気づかれる。そう思って手をこまねいていた。
彼女は秋月を見ていった。
「そうね、もしあなたたちが私に勝ちたいというならたとえ当たらなくとも話す暇を与えるべきではないと思うわ」
秋月は少しだけ目を見開いた。それが彼女にばれようと変わりはないことだが、あまり敵に内心を晒すべきではないという先入観から来たものだ。そして秋月は彼女のアドバイスを素直に受け入れた。
秋月は主砲を撃ち続ける。彼女はやはりそれを避け続ける。ほほ笑む余裕はあるが少なくとも悠長に話す暇は奪った。
「いつまでぼーっとしてるんですか、早く動いてください!」
秋月は全員に向けて叫んだ。その声でようやく懲罰部隊の面々が動き出し、それから刹那遅れて大和たちも動き出した。全員が自分のタイミングで砲撃をする。彼女はようやく大きく回避を始めた。
夕立が飛び出した。その手には持ち込んだナイフが握られていた。
「夕立、行くな!」
グラーフが叫んだ。夕立は急停止しグラーフの方を振り向いた。そこには焦っている顔が見えた。
「お前が行くとみんなが下手に撃てなくなる」
夕立は興奮していた。そのためグラーフの言葉をすぐに理解できなかった。何度か彼女と全員を見返してようやく戻ってきた。
一先ず彼女たちは二人目に向けて撃ち続けていた。しかしその一発も当たりやしない。このままでは彼女たちの砲弾が無くなるほうが先だろう。なにか打開策が必要だ。秋月が必死にその打開策を考えていると、突然二人目が踵を返し突撃していた。一体何のつもりだ、自分から弾幕に突っ込むなんて。そして気づいた、自分たちの弾幕が薄くなっていることに。
思い思いのタイミングで撃っていたために、今この瞬間多くの艦娘が再装填に入った。このチャンスを逃さなかった。彼女の狙いは、さっき前に出かけた夕立だ。彼女は何のためらいもなく夕立にその鎌を振りぬく。
「夕立!」
しかしそれはグラーフに庇われてしまった。グラーフの左側のひときわ大きな飛行甲板で彼女の鎌を受けた。しかしそんな薄い盾では防ぎきれない。飛行甲板はいともたやすく叩き割られ、腰に着いた甲板にまで刺さった。幸いにもグラーフの体に鎌がつきささることはなかった。さらに腰の飛行甲板は彼女の鎌半分に食いつき、離さない。一時的に彼女の動きをとどめることができた。
今度は夕立がその隙を見逃さなかった。彼女とグラーフが面前にいる現状味方のだれも迂闊に撃つことができない。そしていま奴に一番近いのは自分だ。夕立はグラーフの腕から抜き出し、彼女から見て右側に飛び出した。彼女の右手は依然として突き刺さった鎌を握っている。ほぼ無防備、行ける。
彼女は鎌の刃の部分の分解した。刃は黒い靄となって霧散し、ただの錨に戻る。食い込んだ刃が無くなったので錨は自由に動く。彼女は錨を横に振った。右腕が捕まった夕立は艦隊から引き離されるように滑った。彼女はすかさず夕立に近づき羽交い絞めにした。夕立は彼女の盾となった。
「捕まえた」
「くっ!」
夕立は彼女の拘束から逃げ出そうとするが掴んだ腕が外れることはない。同じ駆逐艦だとは思えない、むしろ馬力で言えば本来夕立のほうが上のはずだ。
「逃げない、逃げないの。ほらあなたのおかげで私は撃たれないわ」
夕立が見ればみんな苦虫をつぶしたような顔をしている。理由は彼女が言った通り夕立に当たるのを恐れて撃てないでいるからだ。
「あー、あなたたちって味方がこうなった時ってどうするの?」
彼女は夕立の横から問うた。誰も答えない。なるほど味方を人質にされたときのマニュアルはないわけか。まあ彼女がまだ暁だったときからそんなものはないが。
今私の目の前では以前の同僚、今は仲間が捕らわれている。彼女は強い。出自は一緒で境遇も一緒だったのに一体どこで差がついたのだろう。環境が一緒だったならそれはきっと個人の差だ。私と彼女は違う。でもここに入ったのは一緒、同時にスタートを切ったのに彼女はどんどん先に進んでいく。彼女は師を見つけ、師に引っ張ってもらって、または背中を押し続けられている。私にはどちらもしてもらえない。
彼女は強い。最初は同じ強さだった。でも今は明確な差がある。彼女は近接戦を極めようとしている。他の仲間や師に比べれば月とすっぽんぐらいの差があるが、それが私との比較になればすっぽんは私だ。私は弱い、だが彼女を助けたいという思いは劣ってはいないはずだろう。
私に勇気があればすぐにでも助けに行くのにそれができない。それもそうだ、私よりも強い皆が手を出せずにいるのだ。私が動けるわけがない。いや……待てよ。この中で一番弱いのは私だろう。それならば奴から一番警戒されてないのも私じゃないか? 私が今突撃すれば奴の意表を突けるんじゃないか? 私は弱い、何もできない。さっきの演習でもそうだ。彼女は戦艦二隻相手に戦い続けた。一方で私はどうだろうか。のうのうと敵を逃がした。傷一つ付けられなかった。今こそ活躍すべきだ。今しなくてどうする。今だからこそ、私が、私が夕立を救って見せる!
「…ぁぁああああああ!」
睦月が叫びながら突撃した。手には主砲を握り、それは二人目に向けられている。ひどくおびえた顔だった。目には涙も浮かべている。きっと恐怖が抑えられないのだろう。でもそれを必死に抑えて突撃している。突然のことだったし、誰も彼女が行動するなんて思ってもいなかった。だから制止しようと伸ばした手は彼女に届かなかった。
二人目は確かに意表を突かれた。睦月の行動を予想してなかったのは彼女も一緒だった。だがそれも一瞬のこと。睦月は馬鹿正直に正面からまっすぐに突っ込んでいる。両腕は夕立を掴んでいて使えない。仕方なく彼女は自身の艤装を展開し主砲で狙った。一発、二発、砲弾は睦月に当たるが彼女が止まる気配はない。
「ああクソ、やっぱり弱い」
深海棲艦なのに主砲の威力は艦娘のころから据え置き、全く使えない。睦月の後ろからさらに摩耶と秋月が飛び出した。睦月はともかく、後ろの二人が加勢するとさすがにやばい。仕方なく彼女は拘束が解かれることを承知で、片腕で鎌を投げた。円を描いて飛んでいった鎌は見事睦月の脳天に深々と突き刺さった。勢いで睦月は仰向けに倒れたが、慣性で未だ進み続けた。しばらく滑走した睦月の体が止まったのは何ということか、夕立の眼前だった。
夕立は無残な睦月の死体を呆然と見つめていた。それは他の皆も同じことだ。数秒の間、沈黙が広がった。
「ぁ……あ」
沈黙を破ったのは夕立の息を漏らしたかのような声だった。だがそれはすぐに絶叫に変わる。
「ああああああ!」
今までよりもずっと強くもがいた。しかし二人目の腕はさっきの数秒の間に再び夕立の腰に回されていた。夕立は諦めようとしない。もがきながら睨みつけるその顔は般若よりもずっと憎悪が満ち溢れていた。
「殺す!」
夕立は叫ぶがきっと、彼女の中にある憎悪はその一言では表せられないほどだろう。なおももがき続ける夕立に対し彼女は何の反応も見せず艦隊の様子をうかがっていた。誰も彼も悲哀に満ちている。睦月の死に呆気に取られているのか、睦月の二の舞になるのが嫌で二の足を踏んでいるのか。ともかくこの人質を取るという行為はひどく有効的だという結論を出した。
それにしてもこの人質は動きすぎだ。扱いにくいから少し大人しくしてもらおう。そう思った彼女は主砲を夕立に向けた。鎌で腹を刺そうと思ったが鎌を持った瞬間に抜け出されそうだったのでやめた。砲口を向けられても夕立は全くひるまない。彼女が主砲を撃とうとしたその時別の方向から彼女に砲弾が飛んできた。彼女は間一髪それを避けた。一体誰が撃ったのかとみてみると秋月の主砲から硝煙が伸びていた。
まだ睦月の死を受け止めきれたわけじゃない。内側ではまだ混乱しているし、睦月が死んだと思いたくない。そう思い込むので精いっぱいのはずだが、目の前で夕立が撃たれようとしてるのを見た時体が勝手に動いた。正直危ない撃ち方だったと思う。少しずれれば砲弾は夕立に当たっていた。秋月はたまらず飛び出した。睦月のように馬鹿正直に突っ込むのではなくジグザグに動きながら、かつ狙いはしっかりと彼女に向けた。彼女の砲弾を秋月は避けるが、一方で秋月の砲弾も避けられた。そのままぐるっと回りこみ、秋月は艦隊の反対に位置した。彼女も秋月に正面を向けた。何にも伝えることなく飛び出してしまったため自分の狙いを伝えることができなかった。誰かが気付いてくれることを祈り、秋月は彼女の気を引き付け続けた。
後ろから飛んできた砲弾を彼女は少々大げさに躱した。まあ、こういうことをやってくるだろうとは思った。秋月回り込む前に倒せなかったのが悪い。夕立を盾にしようにも暴れるせいで全然動かせない。ああ後ろから撃ってくるのは誰だろう。それすら確認できない。うーん返って人質が邪魔だ。彼女は夕立を蹴り飛ばし、引いた。その際に確認したが後ろから撃ってきたのはグラーフらしい。
拘束を解かれた夕立は体制をすぐに直し、彼女に襲い掛かった。切り払いや突きをするが彼女はそれを避け、受け流す。
「これじゃああなた以外の人が攻撃できないわ。グラーフがそう言ってたじゃないの」
「うるさい!」
「そもそもあなたと睦月ってそんなに仲良かった? 見ていた限り特別仲がいいとは思えなかったけど」
「うるさいうるさいうるさい! お前には分からない!」
決めつけてくるばかりで理由を話してくれない。困ったものだ。一度頭を冷やさないと。
夕立と二人目の一騎打ちが始まり、彼女の心配通り誰も手を出すことができなくなった。しばらくその様子を見ていたが、ふとグラーフが一歩前に出た。
「出るんですか」
秋月が聞いた。グラーフは顔を向けることなく答える。
「ああ、夕立が心配だ」
「信じてないんですか? 夕立さんのことを」
「お前はあれが夕立一人にどうにかなると思っているのか」
秋月は少し間を空けて言った。
「いいえ。思っていません。そうですね、私も出ましょう。初雪さんも来てください」
初雪は無言でうなづく。グラーフは予備をナイフを二人に渡した。摩耶が私は、と言いかけた。
「摩耶さんはここに居てください。正直あなたは足を引っ張る。気を悪くしないでください。あくまでもこの場面では、ということです」
三人は艦隊から離れ、夕立の元まで行った。一見夕立の猛攻に彼女は防戦一方に見えるが、そもそも彼女には反撃する気がないようだ。顔に余裕が見える。秋月たちはそれぞれ三方向から攻撃を入れた。だが彼女は夕立の腕をからめとり背中に背負って対峙した。秋月の攻撃は鎌で以て受け止め、グラーフは夕立を盾にされたことで攻撃することができなかった。初雪も若干グラーフに寄っていたため同じように攻撃が躊躇われた。すぐに夕立を突き放し、彼女たちは正面で向き合った。何も話すことはない。再び彼女たちは衝突する。タイマンで比較すれば差がある両者の白兵戦能力も三人合わせれば彼女をしのぐ。彼女は少しずつ、少しずつ追い込まれ、ついに夕立の放った切り払いが彼女の左腕を捉えた。