「あそこよ」
「ああ、ここですか」
「来たことあるの?」
「いや、来たことは無いんですけど、名前だけは」
「まあ、駅前だし、見かけることくらいあるわよね」
木下さんが指さした喫茶店は、地元でも人気が高いらしい『ラ・ペディス』だった。それが何語かはよくわからないが、雑誌やらで特集を組まれているのを何度か見たことがある。雰囲気や料理のおいしさなども高評価だったはずだ。唯一、店長の性格に対してだけケチがつけられていたのは気にすることではないだろう。
「木下さんは?」
「何度か来たことあるわね。代表や愛子と一緒にね」
代表というのは、Aクラス代表――つまり、学年主席の霧島さんの事だろう。今の口ぶりからして工藤の姉貴とも仲がいいようだし、優等生同士引き寄せあうのだろうか。いや、同じAクラスなんだから引き寄せあうも何もないか。
とにかく中に入ろうと『ラ・ペディス』に近づくと、
バン!
という音とともにそのドアが開いたかと思うと、中から見覚えのあるバカが飛び出してきた。
「僕の貴重なカロリーを奪われてたまるか!」
白い皿をもっている吉井は、そんな台詞を吐き捨てる。皿の上には二切れのクレープ。
なんでそんなものを、と思う間もなく、
「お姉さまの食べかけを豚野郎なんかに渡しません!」
という暴言とともにフォークを数本構えた女の子が飛び出してきた。全速力で喫茶店を後にする二人に少し遅れて、島田さんと姫路さんも喫茶店から出てきた。
「待ちなさい! アキ! 美春!」
「待ってください!」
そして、先に出た二人を追いかけていく。
「「…………」」
呆然とする俺と木下さん。
さっきのフォークの女の子、どこかで見たことがあるような……あ、そうだ。島田さんの近くでたまに見かけてたんだ。
いつもどこからか現れる彼女は、島田さんを「お姉さま」と呼んで慕っているDクラスの人だったはずだ。いや、『慕っている』という言葉で表すにはすこし想いが強すぎる気もするが……。
今のひと悶着を見るに、きっと、島田さんと吉井が一緒にいるのに嫉妬したのだろう。いつものFクラスの光景と考えたら特に気にすることでもない。
「……今の、吉井君だったわよね? 観察処分者の」
「ええ、そうですけど」
眉間にしわを寄せる木下さん。
「観察処分者って知ってたんですか? 顔を覚えてるのは、試召戦争の時に見たからだと思いますけど」
「知ってるも何も、学園中の噂じゃない。また観察処分者がバカやってるぞ、って」
なるほど。確かにそれはそうだ。
「それに、この前はFクラス総出で授業中に鬼ごっこしてたらしいじゃない。ホントにバカなクラスよね……あ、ごめんなさい」
呆れた顔でそう言葉を紡いだ木下さんは、途中で俺の事に気づいて申し訳なさそうな顔になった。
木下さんの言ってるのは、この前のラブレター騒動の事だろう。あの後、結局鉄人に殴られたんだよなあ……。
まあ、それはともかく、そんな顔をしないでほしい。
「ああ、いや、大丈夫ですよ。…………ホントにバカなクラスなんで」
別に成績の話だけじゃない。Fクラスの皆がやってることがまともなクラスとは違う事くらいわかる。
俺? いやいや、俺をあんな、授業中に走り回るようなバカ達と一緒にしないでほしい。俺は、その……そう、ちょっとユニークなだけだ。
「……そう? でも、ごめんなさい。じゃあ、中に入りましょうか」
「そうですね」
『ラ・ペディス』の中は、想像していたよりも広かった。喫茶店のはずだが、ファミレスくらいの大きさがある。
時間帯のおかげか、店内はあまり混んでいない。営業スマイルを絶やさないウェイトレスに促されて席に着く。
「結構いい雰囲気ですね」
「でしょ? 落ち着けるから気に入ってるのよね」
照明もギラギラすることなく、店内にかかるBGMも何かのクラシックのようだ。普段騒々しい教室で過ごしているから、余計に新鮮だ。
「とりあえず、注文しましょうか」
木下さんが傍にあったメニューを取る。
「お昼食べてないし、クレープだけじゃなくてちゃんとしたものも頼んでもいいわよ。今日はアタシのおごりだから」
「じゃあ……お言葉に甘えて」
そもそも、この喫茶店にきたのは、この前の諍いのお詫びを木下さんがしたいという事だ。だから、この喫茶店の食事は木下さんのおごりという事になる。俺としては悪いのは俺の方だと思うのだが、召喚獣バトルで勝ったのは木下さんだ。だから、木下さんに従うことにしよう。
どんな料理があるかなとメニューをめくってみると、なるほど確かに軽食だけでなくボリュームのある料理も載っている。このメニューの豊富さも人気の理由の一つなのかもしれない。
「じゃあ、このペペロンチーノで」
「アタシは……カルボナーラにしようかしら。デザートはどうする? クレープをお勧めするけど」
「なら、クレープで……あ、このリンゴのやつにします」
「わかったわ。店員さーん」
俺の注文を聞いた木下さんが店員さんを呼ぶ。すると、やってきたのは、
「……はい」
さっきのウェイトレスではなく、やけに元気のない男性だった。接客できるような精神状態じゃなさそうだと思っていると、胸の部分についている名札が目に入った。
……『店長』?
「ええと、このペペロンチーノを一つと……あの、聞いてますか?」
「……君たちは文月学園の生徒かい?」
木下さんの質問に、店長らしき男性はてんで関係ない質問で返した。
一応俺が返事をする。
「ええ、まあそうですけど……」
「……なら、ボクの娘をたぶらかすクソ野郎の事も知っているかな!?」
「はい?」
なんだ、ますますわけのわからない質問が返ってきたぞ。
思考が止まる俺と木下さんを気にすることなく、店長はさらに口を開く。
「このところ娘はおかしいんだ! 君たちも見たんじゃないのか、さっきの娘の痴態を! そう、あれはまさに悪魔にたぶらかされたことによる弊害なんだろ! そうだ、そうじゃなかったら娘がボクに向かって『お父さんなんか大っ嫌い!』なんて言うわけないんだ! だから早くそのクソ野郎の情報を――」
――ガン
さっぱり理解できない文章を羅列する店長の後頭部に、先ほどの営業スマイルのウェイトレスからお盆の一撃が加えられる。その一撃で気を失った店長はその場に崩れ落ちた。
「黒崎、これ奥に捨てといて」
「はーい」
『黒崎』という名札をつけたウェイターはこちらに近づくと、店長の亡骸を持って店の奥へと向かっていった。
それを見届けることもなく、ウェイトレスは俺達の方に向き直り、
「申し訳ありませんお客様。少々頭の回線がズレておりますうちの店長が、ご迷惑をおかけしました。私が注文を承ります」
と、やはり営業スマイルで告げた。
「は、はい……ええと、このペペロンチーノを一つと――」
少し引き気味の木下さんが注文をすると、
「では、クレープはお食事の後にお持ちいたしますので、その際はもう一度お呼び付けください」
ウェイトレスはそう言い残し店の奥へと消えていった。
「……」
「……なんか、個性的な店長でしたね」
「そうね……初めて見たわ、あんな人……」
この喫茶店に何度か来ているという木下さんも初めて見たとなると、あの店長はなかなかのレア度のようだ。
なるほど、これが『ラ・ペディス』唯一の欠点か。
しばらくして、料理が運ばれてきた。
ペペロンチーノもカルボナーラも見た目からして非常に食欲を誘う。
いただきますをして一口食べると、絶妙な辛みと芳醇な香りが俺の味覚と嗅覚を刺激した。
「美味しいですね、これ」
「でしょ? 値段も手ごろだし、学生の味方よね」
「ええ。噂通りの良いお店です」
雰囲気が良くて、料理がおいしい。しかも、値段もリーズナブルと、店長以外はまさに非の打ち所がない。
「噂と言えば……ねえ、谷村君」
ペペロンチーノを堪能していると、フォークを持ちながら木下さんが話を切り出した。
「なんですか?」
「ちょっと小耳に挟んだんだけど、あの噂って本当なの?」
どうして木下さんはそんなわくわくした表情をしているのだろう。
「噂って、何のことですか?」
「ほら、あの、観察処分者の吉井君とすっごく仲がいいっていう」
「ああ……まあ確かに、吉井とは二年になってからの知り合いですけど、最近は割と仲良くしてると……」
そこまで喋って慌てて口をつぐむ。ちょっと待て、俺。あの噂はそういう話じゃなかったはずだ!
「……その噂、正確に教えてくれますか?」
「えーと、愛子が言ってたのは……確か、『谷村君は吉井君と付き合ってる』って」
「ガセです! その噂は誤解です!」
おかしい! てっきり『俺の好きな人は吉井明久』って噂の事かと思ったら、想像の数倍も尾ひれがつきすぎてる! いつの間にそこまで噂が進展したんだ!
「え? でも吉井君のことを『ダーリン』だなんて呼んでたらしいじゃない」
「ぐっ……」
まずいな……。初日のあの出来事が相当影響している。噂が悪化したのもこれが関わっているのだろう。クソ、吉井のヤツが『気軽にダーリンと呼んでくださいね♪』なんて言うからだぞ!
「……それ自体は事実なんですけど」
「事実なのね!」
「いや! 『ダーリン』って呼んだのは、冗談みたいなものです。ジョークです、ジョーク」
正直あの時は冗談のつもりはなかったけどな。吉井の名前も覚えてなかったし。
「とにかく、あの噂は……というか、多分他に流れてる噂も全部ガセです」
「…………そう」
どうして木下さんはそんな悲しそうな表情をしているのだろう。
「根も葉もない噂ですよ。ほら、よく言うじゃないですか。人の噂も質に入れよって」
「…………それって、もしかして人の噂も七十五日って言いたいの? だとしても意味が少しおかしいと思うけど」
あれ、そうだったっけ。
「たまたま勘違いして覚えちゃったみたいですね」
「いや、勘違いとかそういうレベルじゃ……」
「勘違いですよ。千里の道も一本道ってこともありますし」
「……それは千里の道も一歩からね。それも意味が違うわ」
「…………もしかして、石の上にも三日天下って言葉も間違ってますか?」
「それを言うなら石の上にも三年よ。三日しか頑張ってないじゃないの」
おかしいな。これで合ってるはずなのに。
「…………」
俺が首をかしげたのを見て、木下さんは少し考え込んでから口を開いた。
「……今からアタシがことわざの前半を言うから、後半を答えてくれる?」
「? いいですけど」
「馬の耳に」
「豆腐を詰め込む」
「かわいい子には」
「足袋を履かせよ」
「二兎を追う者は」
「新渡戸稲造」
「急がば」
「全力疾走」
「三つ子の魂」
「百人一首」
「……………………」
苦々しい表情の木下さん。
「……これがFクラスなのね」
「あれ、どれか間違えました?」
「全部ハズレよ」
えっ嘘だ。
「ちょっと自信あったんですけど」
「本気で言ってるの?」
「はい」
「………………」
今度はあきれ顔になる木下さん。こんな表情もかわいいなあ。
「……そういえば、谷村君は数学の点は結構取れてたわよね?」
「そうですね。木下さんには遠く及ばないですけど、数学は得意科目ですから」
先日の試召戦争の事を思い出したようだ。
「じゃあ……球の体積の公式は?」
「3分の4π×rの3乗」
「log2の27」
「えーと…………3log2の3」
「cos(A+B)」
「cosAcosB-sinAsinB」
「(A+B)の3乗の展開公式」
「
「……………………」
木下さんが今度は驚いた表情をした。さっきから、表情が豊かな人だ。
「また間違ってました?」
「全部合ってるから驚いてるの……なんでこれは覚えてるのにことわざを覚えてないのよ」
「……さあ?」
「さあって……」
覚えてないものは覚えてないんだからしょうがない。
俺からすると、木下さんの点数の方が不思議で仕方ない。俺がいくら勉強したところで、得意な数学ですら350点を取れる気はしない。
「まあ、それを覚えてたってことは、別に記憶力自体は悪くないのよ……多分。ちゃんと勉強したら点数もとれるようになるんじゃないかしら?」
「そうですかね?」
「そうよ。勉強ってそういうものだもの」
そう言って、木下さんはカルボナーラを口に運んだ。
その勉強が大変だと思うが……せっかく木下さんがこう言ってくれたんだ。せめて今週の宿題くらいはやろうかな。
「クレープもおいしかったですね」
「そうね。喜んでもらえたみたいで何よりだわ」
その後運ばれてきたクレープもおいしく完食し、俺達は喫茶店を後にした。
クレープだし、『あーん』なんてことがあるかもしれないと思っていたが、現実はそこまで甘くなかった。
そんな甘いイベントは起きず、甘いのはクレープと俺の考えだけだった。ぐぐぐ……。
とはいえ。
ちらりと横目で木下さんを見ると、満足げな表情をしている。多分それは俺と一緒にクレープを食べられたからじゃなく、俺へのお詫びをようやく果たせたからだと思うのだが、それでもその顔を見れたから、良しとしよう。
「……さて、これからどうする?」
「そうですね……」
当初の予定である喫茶店での食事は済んだ。この後の予定はまだない。このまま解散だけはしたくないし、どうしようか……と考えていると、
「おや、姉上と谷村ではないか」
という声が聞こえた。
この声は秀吉だな、と思って声が聞こえてきた方向に目をやる。
「……お前、なんでそんな格好してるんだ?」
そこに立っていたのは、ピンク色のフリフリのメイド服を着た秀吉だった。
「似合ってないかのう……?」
「似合ってるから余計困るんだよ」
秀吉は男のはずなのに、そのメイド服が秀吉のかわいらしさをより引き立てている。うん、おかしな文になってるのは自覚してる。
その秀吉は男な上に木下さんと似た顔だから、なんというか、精神衛生面上非常によろしくない。
「正直すごく可愛いけど、そういうことは――痛っ」
? 誰かに頭を叩かれた。そこそこ痛い。
頭をさすりながら周りを見渡すが、特に怪しい人は誰もいない。いるのは木下さんだけだ。
「木下さん、今俺の事叩きました?」
「なんの事かしら?」
不機嫌そうな木下さん。そりゃそうだよな。叩く理由もないし。
気のせいだったのだろうか。
「それで? どうしてそんな格好をしてるのよ?」
木下さんが、低い声色で秀吉にそう尋ねた。
「実は、この服は今度の演劇で使う衣装らしいのじゃが」
「だからって、こんな街中で着る必要はないと思うんだけど?」
「それは……その、成り行きなのじゃ」
街中でメイド服を着る成り行きというのをぜひ説明してほしい。
「谷村君、ちょっと秀吉とお話してくるから、ちょっと待っててくれる?」
「あ、はい」
「別にワシは話すことはないのじゃが……」
「ア・タ・シ・が・あるの」
そう言いながら、木下さんは秀吉を路地へと引っ張っていった。
『ねえ秀吉? アタシ何度も言ってるわよね? アンタが非常識な行動するたびにアタシの評判が下がっていくのよ。優等生であるアタシの評判が!』
『非常識な行動なんて取っておらぬが……』
『メイド服で街中を闊歩することのどこが常識的なのよ!』
『しかし、姉上はいつも家で下着姿なんじゃから、むしろこっちの方が常識的じゃと――姉上っ! 肘はそちらには曲がらぬ! 人体の構造を間違えておるぞ!』
『うるさい! 家は家、外は外よ! 今すぐその服を脱ぎなさい!』
『姉上! 分かった! 分かったのじゃ! じゃから早く右肘を放して――!』
路地からはそんな喧騒が聞こえてくる。なんか、下着がどうとかいうすごい魅力的な話が聞こえてきた気がするが、多分気のせいだろう。それにしても、秀吉の悲鳴に交じって木下さんの元気な声も聞こえてくる。そのどちらも普段耳にしないものなので、とても新鮮だ。
なんてことを考えながら待っていると、その路地に向けてカメラを構えるクラスメイトが現れた。
「何やってるんだ、土屋」
俺がそう声をかけると、土屋はカメラから顔を放して、
「……自主トレ」
と答えた。何のトレーニングだ。
「そういえば、お前よく写真撮ってるけどその写真はどうしてるんだ?」
「……一枚200円」
「売ってるのかよ……それ、許可取ってないんだろ? 色々と大丈夫なのか?」
「……今日の木下優子の写真もある」
「10枚頼む」
「……まいどあり。初回サービスでツーショットも同額」
「2ダース」
「……まいどあり。お代は明日で結構」
土屋はそう告げると、俺に34枚の写真を押し付けてどこかへと消えていった。
……めちゃくちゃきれいに撮れてる……。これからは俺も敬意をこめて『ムッツリーニ』というあだ名で呼ぼうか……。
写真をかばんにしまってさらに待つこと数分。
「お待たせ、谷村君」
「うう……ひどいのじゃ……」
笑顔の木下さんと、無理やり着せられたせいでよれよれの服を着てうなだれている秀吉が路地から出てきた。
いや、メイド服ではなく普通の男物の服なんだが、かなり乱れてるせいでこっちはこっちで秀吉から色気を感じる。
木下さんの前で何を考えてるんだ、とそんな煩悩を頭を振って追い払う。
「それじゃ、ワシはもう行くからの」
そのまま、秀吉は肩を落として歩いて行った。
「まったく、あのバカは……」
木下さんが、腕を組んで秀吉の背中をにらみつける。
「まあ、秀吉も悪気はなかったみたいですし……」
「悪気があったらあれぐらいじゃ済まないわよ」
あれでもだいぶ慈悲が加えられていたらしい。
「まあ秀吉の事はもういいわ。それで、この後は?」
「そうですね……」
木下さんに言われて、辺りを見渡す。遊びたい場所も思いつかないし……。
「あそこ、どうですか?」
そう言いながら俺が指さしたのは、『ラ・ペディス』から少し離れたところにある雑貨屋だ。
「俺も入ったことは無いんですけど、腹ごなしとしてウィンドウショッピング、的な」
「いいわよ。行きましょうか」
そして、俺達はその雑貨屋、『
店内は想像していたよりもずっと狭かった。暖かい色の照明が店内を照らしているが、その中は所狭しと様々な小物が並んでいる。
「へえ、面白いお店ね」
「そうですね」
その小物に統一性は無い。輸入品の民族的なアクセサリー類や西洋をイメージさせるガラス製のコップが隣同士に並べられているくらいだ。ただ、全体の7割程度は店名から連想する和風の商品のようだった。
個人的には物に囲まれる生活というのは割と好きな方なので、この雑多に物が置かれた空間は好きだ。それに、いろんな商品を眺めているだけで時間を過ごすことができそうだ。
商品の棚をなんとなく眺めて……ある商品で視線の動きを止める。
これいいかも。
「木下さんはこういう空間好きですか?」
その商品を眺めたままそう話しかけてみたが、返事が返ってこない。
おや? と思って顔をあげて木下さんを探すと、
「……これ新刊出てたんだ……今度ネットで注文しておかないと」
いた。
木下さんは、とある棚を凝視しながらなにやらぶつぶつと呟いていた。あの棚にあるのは……。
「小説ですか」
「ひゃ!」
後ろからそう声をかけると、木下さんはそんな声を上げて飛び上がった。
なんだ今の声。めちゃくちゃかわいい。
ともかく、棚に目を移すと、そこは小説類がまとまって並んでいた。雑貨屋に小説とは珍しい……。とは言え、他の商品と同じくそのラインナップは独特だ。やけにタイトルの長いライトノベルや実験小説といった、少し王道からはズレた小説が並んでいる。他にも、半裸の男たちが表紙になっている『伝説の木の下で貴様を待つ(Vol.14)』なんていうよくわからないものもある。14巻もでてるという事は、結構人気があるという事なのか。
「木下さんはやっぱり小説読むんですか?」
「え! ええ、まあ、そうね」
「へえ……」
うん、いかにも優等生っぽい。
「どんな小説を読んでるんですか? 純文学とかですかね?」
『純文学』がどんな小説を差すのかは知らない。走れメロスとかだろうか。
「あー、えと、その、そうね! そんな感じよ!」
「やっぱりすごいですね……俺なんか小説は読み始めたらすぐに眠くなっちゃって」
「ははは……そうね……」
なぜか乾いた笑いの木下さん。また何か変な事を言ってしまっただろうか?
「それはそうと! 何か買いたいものは見つかったの?」
木下さんは、そうやって強引に話題を変えた。何か引っかかるが……まあいいか。
「あ、はい。木下さんは?」
「いや、アタシはここでは買わないから」
「『ここでは』?」
「……いえ、何でもないわ」
なんだろう。さっきから木下さんの様子がおかしい気がする。
「じゃあ、ちょっと会計してくるので木下さんは先にお店を出ててください」
「分かったわ。お店の前で待ってるから」
そう言って、木下さんは小走りで入口へと向かっていった。本当にどうしたんだろう。
まあ、考えても仕方ないか。
そう考えて、さっき見つけた商品をレジへと持っていった。
会計を済ませた商品をバッグに入れて、店外へでる。木下さんはどこかなと探してみると、
「……なんだ、あいつら」
木下さんはいたのだが、その前に二人ガラの悪い男たちがいた。
『だからさ、オレ達と遊ぼうぜって言ってんの』
『こんなところで突っ立ってるよりよっぽど楽しいぜ?』
……ナンパか。
木下さんの居る場所は自販機の前なので、何か買おうとしたところで絡まれたのだろう。
『結構よ』
『そんなこと言わずにさあ』
『知り合いと遊びに来てるから、アンタ達と遊ばなくても十分楽しいもの』
『いやいや、キミみたいなかわいい子を待たせてる時点でそいつはダメだよ』
木下さんが明らかな仏頂面で拒絶しているにもかかわらず、二人は食い下がる。
どうしよう。どうにかしてあの不良達から木下さんを助けに行きたいが……。
俺一人なら逃げ出せるが、木下さんがいるんだ。できるだけ荒事になるのは避けたい。しかし、横から下手に口を出したところで、あの二人が素直に身を引くとは考えにくい。
色々考えるが、
「……これしかないか」
現実的な案は一つだけだった。この作戦、木下さんが嫌がるだろうから使いたくないけど……できるだけ早く助けないといけないしな。
できるだけ不愉快な顔を作りながら、男たちに近づく。
「だから、そんなやつほっといてオレ達と――」
「おい、俺の
そして、端的に声をかける。
「あ? 誰だてめえ」
「お前らが絡んでた女の子の彼氏だよ」
「彼氏? てめえが? ギャハハハッ!!」
突然、不良たちの一人が笑い出した。
「冴えねえ顔しやがって! そんなんで彼氏面するつもりかよ!」
ほっとけ。顔は関係ないだろ。
大きくため息をついてから、
「行くぞ、
俺は木下さんの手を取って早歩きで自販機から離れていく。
「あ、ちょっと!」
木下さんがそんな声を上げる。ごめんなさい。この方法しか思いつかなかったです。
不自然なそぶりを見せれば、あの不良達はきっとそれをネタにまた絡んでくるだろう。今、この瞬間だけは、木下さんの彼氏だと思い込むんだ。
『ちっ』
『行こうぜ、ったく』
背後から、そんな声が聞こえるが、安心はできない。
俺は、木下さんの手を握ったまま、近くの公園へと入っていく。
握りしめた木下さんの掌は、とても温かかった。
公園の中央にある大きな池の傍までやってくると、ようやく俺は木下さんの手を放して足を止めた。ベンチに腰を下ろす。
「こ、怖かった……!」
元々木下さんにナンパ目的で絡んでいた連中だ。急にキレて殴りかかってくるかもしれなかったことを考えると、急に恐怖が押し寄せてきた。
「ねえ……その……」
木下さんが、真っ赤な顔で何かを言いたげにしている。
……そうだよな。
「木下さん、ごめんなさい!」
「……え?」
「助けるためとはいえ、彼氏だなんて言っちゃってすいませんでした!」
そう言って、俺は頭を下げる。
俺なんかに彼氏面されて、木下さんは嫌だっただろう。逃げるときに手まで握っちゃった上に、俺は木下さんのタイプでも何でもないのに。
きっと、かなり怒っているからそんな真っ赤になっているのだろう。
「ちょっと、顔をあげてよ」
と、思っていたのだが。
「謝らなくてもいいわよ。あいつらしつこかったから、どう追い払おうか思ってたところだったし、多分あれが一番簡単な方法だっただろうし」
「でも……」
「でもじゃないわ。謝るのはアタシの方よ。そんな役回りを谷村君に任せちゃってごめんなさい」
そう言って、木下さんまで頭を下げる。
「木下さんは悪くないですって! 悪いのは、絡んできたあいつらと、自己判断で……その、木下さんの事を彼女だなんて言った俺なんですから。いくら木下さんでも、こればっかりは譲れません」
「…………じゃあ、そのお詫びにひとつお願いしてもいい?」
俺の言葉を聞いた木下さんは、頭をあげてそんなことを言い出した。
「いや、正直自分でも図々しいとは思うけど。谷村君が譲らないなら、せっかくだから……」
「……? なんですか?」
「それよ」
なんだ?
「谷村君、どうしてアタシに対して敬語なのよ? 同学年なんだから敬語を使う必要ないじゃない」
「あー……その、癖みたいなものですね」
「癖?」
「はい。男子相手だとそんなことないんですけど、女子相手だと敬語になっちゃうんですよね」
敬語じゃなくなるのは、よほど気持ちが昂った時が多い。島田さん相手だと前に敬語が取れたこともある気がする。
「……そういえば、秀吉相手には普通に話してたわね」
「ええまあ。同じクラスってのもありますけど」
「とにかく、アタシだけため口で谷村君は敬語ってなんか気持ち悪いから、アタシに対してもため口でいいわよ」
ため口でいいって言われても、急に変えられるだろうか。
……でも、これがお詫びになるんだったら、こっちからしたら願ってもないことだ。
「わかりました」
「それ敬語よ」
「……あー……分かったよ」
「うん、それでいいわ」
そう言って、木下さんはニコリと笑った。
「そうだ。せっかくだから、このタイミングで渡しちゃいますね。――じゃない、渡すよ」
「ん? 何かしら」
木下さんにそう言ってから、バッグから二つの物を取り出す。っと、あぶない。ムッツリーニの写真まで出てくるところだった。
「一つ目が、振り分け試験の日のお礼の、ハンカチだ」
新学期早々に、根本のせいで渡せなくなってしまっていたアレだ。改めて包装しなおしたものを、ずっと引き出しに入れておいたのだ。
「いいの?」
「はい……ああ。開けてもいいぞ」
ため口でいいと言われても、急に敬語は取れない。うう、慣れない……。
ガサゴソと包装を広げ箱の中身を確認する木下さん。
「あ、可愛いわね」
「……良かった」
ワンポイントとして赤い華の刺繍がしてある薄いピンク色のハンカチだ。木下さんの気に入ってくれそうなものを選んだが、当たったようだ。
「それと、これも」
そう言って、もう一つ手にしていた、きれいにラッピングされた小袋を木下さんに渡す。
「……これは?」
「さっきの雑貨屋さんで買ったんです……買ったんだよ。木下さんに似合うと思ったからな」
木下さんはハンカチをかばんにしまい、小袋のラッピングをはがしていく。中から現れたのは、
「ああ、ヘアピンね」
水色のヘアピンだった。細い棒状のものではなく数ミリ程度幅がある物で、単色ではなく白くグラデーションがかかっている。確か、極端に派手な装飾具は校則で禁止されていたはずだが、このヘアピンなら問題ないはずだ。
「これも、お礼なの?」
「いや、これはお礼とは関係ない俺からのプレゼントだよ。……ダメだったかな」
すると、木下さんは数秒間そのヘアピンを見つめたかと思うと、今まで自分の前髪についていた黒い細身のヘアピンを外した。そして、その代わりに俺のプレゼントしたヘアピンをつける。
「……似合うかしら?」
少し不安そうに、上目遣いで俺に尋ねる木下さん。
「もちろん。とっても似合ってるぞ」
それ以外の答えなんか、あるわけがない。
「今日はとても楽しかったわ」
そう告げる木下さんと俺がいるのは、木下さんの家の前だ。太陽はもう大きく西に傾いている。
あの後、もう少し街を巡ってから解散という事になり、せっかくなので家まで送らせてもらったのだ。
「なら、良かった」
「谷村君は、どう?」
「俺も楽しかったよ」
お世辞でも何でもない、本心からの台詞。これまで、木下さんとは学校で一つ二つ話すだけだった。こんなにたくさん話して、木下さんのいろんな表情を見れて、本当に楽しかった。
「そう。良かったわ」
そう言って笑う木下さんの前髪は、俺のプレゼントしたヘアピンで留められている。
「…………」
多分、今の俺の顔は緩み切っているだろう。鏡で見ないでも分かるくらい、ニヤニヤしているはずだ。
今日、一日一緒に木下さんと過ごして、改めて確信した。
俺は、木下さんが好きだ。
俺が木下さんのタイプじゃなくても、今は木下さんに似合うような男じゃなくても、そんなことは関係ない。俺は、木下さんが好きなんだ。
だから、せめて木下さんの隣に胸を張って立てるような男になろう。
「じゃあ、木下さん。秀吉に街中で変な恰好はするなって言っといてくれ、それじゃ」
「……ねえ、谷村君」
そう決意して別れの挨拶をしようとすると、木下さんが口を開いた。
「どうしたんだ? 木下さん」
「その……秀吉だけじゃなくて、アタシの事も名前で――」
『――谷村ァ! 死にさらせッ!』
怒号が聞こえてきた。
「ゲェッ! 須川に工藤!」
「なんかおかしいと思ったらこういうことだったか!」
通りの向こうから須川達が走ってくる。
まずい、このままだとつかまる!
「じゃあ、木下さん! また明日!」
「あっ、ちょっと!」
強引に別れを告げて須川達から逃げる。
「女の子と過ごした休日はさぞかし楽しかっただろうなあ!」
「この後は俺達と熱い夜を過ごそうぜ! なァ!」
「全力で拒否する!」
そして始まる鬼ごっこ。
チクショー、せっかくいい気分で締めようとしたのに!
「「待ちやがれ!」」
「誰が待つか!」
三人の叫びが、赤くなり始めた西の空に消えていった。
『………………バカ』
「ゼェ……ゼェ……なんとか撒いたか……」
町中を巡り巡って、二人を引き離して駅前に舞い戻ってきた。太陽はもうとっくに沈んでいる。
「こういう時は……足が速いんだから、アイツら、クソっ……」
先日のラブレター騒動の時とは違って、追手こそ二人だったもののその妬みは計り知れない。想いは人を強くするのは事実だった。それでも、二人という人数の少なさが、今回は逃げる側に有利に働いたおかげで逃げ切れた。これで追手がクラスメイトほぼ全員だったら逃げ切るのは不可能だったな。
息を整えるために路地に身を隠してへたり込むと、
「谷村じゃないか!」
と、背後から声が聞こえた。
やばい、須川達に見つかったかと思って振り返ると、
「た、助けてくれ! 俺はまだこんなところで死ねないんだ!」
と叫びながら路地を駆けてくる坂本がいた。
…………全身ズタボロになって、木製の板でできた
「な、なにやってるんだ、坂本!」
「いいから早く俺をかくまってグギャァアアアアア!!!」
バチバチというスタンガンの音とともに、坂本がその場に崩れ落ちる。
「雄二……浮気は許さない」
その背後に立っていたのは、Aクラス代表、すなわち学年主席の霧島さんだった。
先の試召戦争がもたらした結果の一つとして、この二人は付き合いだしたはずだ。
「これは浮気じゃなくて生きるためのガアアアアアアアア!!!!」
再びのスタンガン。
動かなくなった坂本を、霧島さんは手枷につけられた鎖をもって引きずっていった。
そんな一人と一体をその場に残された俺は呆然と見送った。
「これがhurt full rough storyか……」
白い街灯に照らされた坂本の身体は、とてもちっぽけに見えた。
喫茶店に行くだけのはずが思ったよりしっかりデートになってしまいました。
次回から清涼祭編ですが、オリジナル展開があるのでよろしくお願いします。
(追記)ごめんなさい!
本文中の数学知識が複数個所間違っていました!
指摘してくださった方、ありがとうございました。