第〇問 初夏の訪れは噂と共に
文月学園へと続く坂道を彩る桜の木は、淡い桃色から鮮やかな緑色へと変化していた。季節は初夏。じわじわと暑くなり始めた朝に鬱陶しさと少しの情緒を感じながら、俺は坂道を上っていた。
今日は特に須川や秀吉たちと出会うこともなく一人で登校している。大体週の半分くらいは一人の登校だから別に気にすることでもないが、純粋に暇なのが煩わしい。この長い坂道を上る間、誰とも話さずに黙々と上り続けるのは気がめいってしまう。
そんなことを考えながら足を学園に向けて進めていると、
「もしかして、谷村誠二さんではありませんか?」
背後からそう声をかけられた。
妙な話しかけられ方だな、と思いながら足を止めて振り返ると、そこには小柄な男子生徒がメモ帳とペンを携えて立っていた。茶色い髪の毛はあっちこっちに跳ねているが、大きな丸メガネやダボダボの男子制服に身を包んだ彼は、中学生くらいのように見える。とは言え、その制服を着ているという事は少なくとも高校生ではあるのだが。
「そうだけど……誰だ?」
「あ、急にすいません。僕はですね、こういう者です」
そう言いながら、彼は俺に名刺を手渡してくる。男にしては高い声だが、中性的というよりも声変わりの前の声に近い。もしかしたら本当に中学生なのかもしれないと思い始めてきた。
ともかく、名刺に目を落とす。
「えーと……『文月学園新聞部 2-E
中学生どころかまさか同い年だったとは……。
「歳なんかどうでもいいんですよ。大事なのはここです」
唖然とする俺を気にも留めず、横から名刺の一部分を指し示す橋本。
「『新聞部』?」
「はい、そうです」
いや、そうですって言われても、だから何だというのか。
「新聞部が校内新聞を作って掲示しているのはご存知ですか?」
「まあ、一応な」
事情を説明し始めた橋本にそう答えを返す。
生徒玄関から教室へ向かうまでの途中に、掲示板がある。そこで『文月新聞』というものが月替わりか週替わりかで掲示されていたはずだ。おそらく橋本はそのことを言っているのだろう。
「その校内新聞に載せる記事の為に、ぜひとも谷村さんにお話を伺いたいと思っていたところなんですよ」
「俺に?」
「ええ。最近校内での知名度をグングン上げている谷村さんにです」
知名度……いつの間にか俺はそんな有名人になってしまったらしい。
「そうか? なんか照れるな。俺に話って、どんな記事なんだ?」
「えっと、『文月学園の噂を一斉調査!(仮)』ってタイトルの記事ですね。谷村さんに関する噂は殆ど恋愛事情関連です。吉井明久さんとラブラブカップルだとかそういった感じの」
「返せ。照れるとか言ってしまった数秒前の俺の純情を返せ」
というか、聞くたびに噂が悪化してるのは俺の気のせいじゃないだろう。
「どうしたんですか? 急に怖い顔をして」
「どうしたもこうしたもない! 多分その噂のほとんどはガセだぞ」
「?」
「なんだそのキョトンとした顔は……」
キョトンとする要素があったか?
「まあ何でもいいですけど。今から一つずつ噂を挙げていくので、詳細を教えてもらえますか?」
「人の話を……まあいいか」
校内新聞の記事にしてくれるという事は、この噂を否定するチャンスでもある。噂がすべてガセだと校内新聞に書いてもらえば、俺の妙な噂もなくせるかもしれない。これを逃す手はない。
「まずは一つ目です。『谷村誠二さんは男が好きだ』」
「グハッ」
「どうしたんですか? 急に吐血して地べたにへたり込んだりなんかして」
「い、いや、その噂にはうすうす感づいていたんだが、いざ口にされるとショックでな……」
先日の騒動が発端になったんだろうが……これはきついなあ……。
「よくわかりませんけど、この噂は本当ってことですね?」
「どうしてそうなる! 嘘だ、嘘!」
「それでは、二つ目行きますね」
「お前、俺の話を聞く気はあるのか!?」
橋本は手帳のページを一枚めくる。
「『谷村誠二さんは女の子に手あたり次第に手を出している』」
「その噂、一つ目の噂と矛盾してることに気づいてないのか?」
「そういう人もいるじゃないですか」
「いや、いるけども……とにかく、俺はそんな不誠実な男じゃないって。というか、女の子と付き合ったことすらないんだから」
自分で言ってて悲しくなるが、手当たり次第に手を出すような女の敵になるよりはましだ。
そんな俺の話を聞いて、橋本はペンを走らせていた。
「『などと答えているが実際のところはわからない』っと……」
「ちょっと待て、お前今なんて書いた」
「三つ目は、『谷村誠二さんはナース服が大好きだ』っていう噂なんですけど」
「人の話を聞け! そしてその噂は初耳だぞ! 別にナース服に思い入れは無い!」
その噂、どこから湧いて出たんだ!
「別にそんな恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか。誰にでも好きな格好の一つや二つありますよ」
「恥ずかしがってるわけじゃない! 大体、俺が好きなのはナース服じゃなくてメイド服だ! おっと、勘違いするなよ! メイド服と言ってもミニスカートのチャラチャラしたようなやつじゃないぞ! ロングスカートの
「なるほど、『谷村さんはメイド服が好き』、と」
「………………ハッ! カマをかけたな、お前!」
「いや、谷村さんが勝手に自爆したと思うんですけど」
我ながらうかつだった。相手の巧みな話術に乗せられてしまうとは……。
「まあいいです。次の噂は、『谷村誠二さんと吉井明久さんは結婚を前提に付き合っている』っていうもので」
「俺と吉井は男同士だぞ!? 前提も何も結婚自体ができないからな!?」
「では、付き合ってるって部分は本当なんですか?」
「そこも嘘だ! 俺には今付き合ってる人はいない!」
「そうなんですか。という事は、最後の『谷村誠二さんは頻繁に吉井明久さんにナース服を着せている』という噂もガセだと主張するつもりですね?」
「当たり前だ! なんだその噂!」
その噂、吉井が聞いたらきっとさめざめと声を殺して泣くことだろう。せめてこの噂だけは否定しておかなければならない。
「ふむふむ、そうですか……実際はメイド服だったと……」
すまない吉井。せめて俺も一緒に泣いてやる。
その後しばらく手帳を眺めていた橋本は満足げに手帳を閉じた。
「取材にご協力ありがとうございました。今回の記事は、うまくすれば数日のうちに新聞になると思うので、その時はぜひ読んでくださいね」
「ありがとうございましたって言うか、俺の主張が通った気が全くしないんだが……」
「あ、でも、この記事は清涼祭までの繋ぎの記事なんです。他に面白い記事が入ったりしたらこの記事は没になるので、掲載されなくても怒らないでくださいね」
むしろ、今の会話を振り返ると掲載されない方が良い気がしてきた。何か緊急の記事でも入ればいいのに。
「って、清涼祭?」
「ええ。もう何日かしたら授業も特別編成になって、準備が始まるじゃないですか」
清涼祭。
俺達の通う文月学園で、新学年になって最初に行われるイベントである学園祭の事だ。お化け屋敷だったり、フリーマーケットだったりといった店や企画がクラス単位で行われる。
見どころは、なんといっても3-Aや2-Aの膨大な資金を投入したお店だろうか。クラスごとの格差はこういったイベントでも存在するのだ。我らがFクラスは予算もあまりもらえないだろうし、模擬店を経営する側としては大変だろう。
「そうか、もうそんな時期なのか」
「そうですよ。それでは、僕はもう行きますね。この記事が載っても載らなくても校内新聞は面白い出来になるので、ぜひ読んでくださいね!」
そう言って、自信満々な顔を見せた橋本は坂を上っていった。腕時計を見ると、既にいい時間だ。
今年の清涼祭はどうなる事かと思いを馳せながら、俺も文月学園へ足を踏み出した。
プロローグなので短めです。
今回登場した橋本君を含めて、オリキャラが何名か登場する予定です。
よろしくお願いします。