【歴史】
以下の問いに答えなさい。
『冠位十二階が制定されたのは西暦( )年である』
木下優子の答え
『603』
教師のコメント
正解です。
谷村誠二の答え
『700くらい!!』
教師のコメント
気合は認めます。
召喚大会のコートへ向かう足を止め、覗き込んだ図書館の床。
そこに、見覚えのある水色のヘアピンが落ちていた。
「これ……もしかして、木下さんの……?」
拾い上げてよく見てみれば、それは確かに俺が彼女にプレゼントした細身のヘアピンだった。
しかし、これが木下さんの物である証拠はない。誰にでも手に入れられるものではあるから、他の人が落とした可能性もある。しかし……。
いや、というか、それ以前に。
「このドア……連中の仕業か?」
図書室のドア、その鍵部分が破壊されている。犯人の心当たりとして思い至るのは、昨日目撃した他校生たちの姿だ。俺を追い払おうとしてまでこの図書室の鍵を壊そうとしていたのだ。今日になってもう一度試みた可能性はある。
しかし、そもそもどうして図書室に?
わざわざ他校の図書室に忍び込む目的がさっぱりわからない。
「まさか、黒魔術の本が欲しいわけでもないだろうし……」
かつて橋本から教えてもらった学園伝説を思い出す。けれど、あんな眉唾物の与太話を一体誰が信じるというのか。そう考えながら、橋本とともに忍び込んだあの夜を思い出して、書庫へつながる司書室へ目を向けた。
「……おいおい、嘘だろ?」
地下の書庫へ続く階段が隠された、司書室の床。その書庫への扉の上にあったはずの観葉植物はどかされ、南京錠も破壊されていた。これ以上ない、連中が書庫に入っていった証拠だった。
「まさか、本気で?」
口をついて出るのは、そんな現実味のない言葉。文月学園に伝わる学園伝説を信じ込んで、黒魔術の本を手に入れるために忍び込んだ……あり得ないと言い切れはしないが、やはりどこか不自然だ。
そうでないとしたら。思い至るのは、例の教頭の裏工作だった。何をしようとしているのかはわからないが、全員の意識が召喚大会の決勝に向けられている今、この人気のない図書室の書庫で何かをしでかす大チャンスなのは間違いない。
「…………」
愛子や橋本を探しにいくのはやめだ。そんなことをしている場合じゃない。
司書室の壁に備え付けてあった小さな懐中電灯をひっつかんで、書庫へつながる床扉を開ける。古い電灯から出るか細い光が、地下へ続く暗闇を照らしていた。
誰か先生を……それこそ鉄人でも呼んでくれば良いと思った。けれど、そんな事をする時間は残っていないかもしれない、とも思った。
暗闇の怖さ故に、足が震える。その震えを止めるように、パシンと太ももを叩いて気合を入れる。行かなくちゃあならない。そこに、彼女がいるかもしれないんだから。
そして、俺は地下へ足を踏み入れた。水色のヘアピンを握りしめながら。
書庫へ続く階段には、埃が積もっていたおかげでついさっきつけられたような足跡がはっきりと残っていた。乱れているせいで人数はわからないが、少なくとも一人ではないようだった。
階段を降りきって、書庫へたどり着くと、そこには相変わらず淀んだ空気が漂っていた。電気も消えている。
「……本当に暗いな」
地下だから、明かりをつけなければ完全な暗闇になる。俺の持つ懐中電灯以外に光源が見当たらないから、連中は書庫の中にはいないらしい。
書庫にいないということは……。
「確か、もう一つ部屋があったっけ」
前に書庫にやってきた時のことを思い返す。はっきりとは覚えていないが、確かこの先に部屋があったはずだ。そう、大きな機械があったあの部屋だ。
そう思いながら床を照らして足跡を追えば、確かに足跡は書庫の奥へと向かっていた。
「…………」
扉の前までやってくる。すると。
『――――』
『――――――』
扉の奥から声が聞こえた。その声色も内容もわからないけれど、まさに今、誰かがこの先にいる。
ごくりと唾をのむ。ヘアピンをズボンのポケットにしまう。
覚悟を決めて、その扉をそっと押し開いた。
『このデカいのが話にあった機械か』
『そうみたいだな。早くすましちまおうぜ』
薄暗く、広い部屋。相変わらず蛍光灯こそ点いていないものの、記憶の中にあるあの夜と違って、光るモニターが淡く部屋の中を照らしていた。
教室二個分の広さを持ったその空間の、壁際に設置されている巨大な機械のすぐそばに、三つの人影があった。
うち二つは、例の図書室前にいた他校生の金髪と刈り上げ。案の上彼らが下手人だったらしい。
そして、その片割れに両手首を後ろ手になる形でつかまれているもう一つの人影は。
『アンタ達、何をする気よ?』
見間違うはずもない。木下さんに他ならなかった。
『鍵を壊して校舎の地下に忍び込んで……見つかったらただじゃすまないわよ!』
制服姿の木下さんの口調にいつもの優等生らしさはなく、怒気交じりの少し荒れたものに聞こえる。正義感故、かもしれない。
『お前には関係ねえよ。大人しくしてりゃお前にはなんもしねえから静かにしてろ』
『……っ』
「……!」
……ここに至るまでの三人の経緯はわからない。少なくとも、話を聞く限り連中の目的は彼女ではないらしい。
けれど、連中の片割れ……金髪に片腕を捻り上げられて、木下さんが悲鳴を上げた。それだけで、俺が飛び出していく理由には十分だった。
「動くな、お前達!」
部屋の中に飛び込んで、懐中電灯でカッと連中の顔を照らした。
「ああ!?」
「た、谷村君!?」
急に現れた光源に顔をしかめる連中。隙を見せた、と思ったのも一瞬で、刈り上げがすぐさま携帯のライトを俺に向けてきた。
「……っ!」
お互いに目くらましを喰らう。
不意打ちは失敗。互いに光を少し降ろして、いくらかの距離を置いて互いににらみあうような形になった。
「ちっ。また邪魔が入ったか」
「木下さんを離してとっととここから出て行け!」
「あーあー、うるせえな……てめえ、昨日の運営委員か。また絡んできやがって」
ダルそうに頭をかく刈り上げ。俺の言葉は全く響いていないらしい。
「……こんなところに入り込んで、ただじゃすまないぞ。監視カメラが見えないのか」
と、天井の隅からこちらをにらむ監視カメラを示してみても、
「アレは止まってるっつー話だ。じゃなきゃこんなのこのこ顔晒してこねえよ。てめえらが後で証言しても、映像が無けりゃ伝手を頼ればどうにでもなる」
そうあっさりと一蹴された。伝手……というのが何かは知らないが、おそらくこいつらはただの実行犯なんだろう。監視カメラを止めたというのも、その裏で糸を引く誰かかもしれない。
「おい、ケイゴ! 無駄話してんじゃねえ! とっとと終わらせてずらかるぞ!」
金髪が怒鳴る。木下さんを捕らえる手は緩めない。……多分、木下さんは偶然巻き込まれたんだろう。最初からここに連れてくるつもりなら、手首を縛るロープくらい用意しているはずだ。
「とっととっつってもよ……こうスイッチが多いと何が何やらわかんねえんだよ」
一方、金髪に名を呼ばれた
『とっとと終わらせる』。どうやらこの機械をどうにかするのが連中の目的のようだが、そもそもこの機械は……と、ここで初めて俺はモニターの中身を見た。
映し出されていた映像の一つは、もはやおなじみの場所となった召喚大会の試合コートだった。決勝戦の参加者である吉井達と常夏コンビの姿もある。
別のモニターに目を向ければ、よくわからない数字と文字の羅列……しかしその中には、いくつかの科目名や俺の見知った生徒の名前があった。
……この機械、もしかして試験召喚システムのメインサーバーなのか!?
そう思い至れば、連中の狙いも見えてくる。
今朝、坂本は言っていた。やり返されるのが目に見えてるのにこれ以上Fクラスにちょっかいは出してこないと。裏を返せば、坂本や吉井の手の届かないところからならまだ妨害ができるということだ!
連中の……教頭の目的は、試験召喚システムの暴走によるこの学園の信頼の低下だったはず。ここまで注目を集めた召喚大会の決勝戦でシステムエラーを引き起こしてしまえば、吉井達の結果に関わらずその決着の前に召喚大会を台無しにできる!
これは……かなりまずい!
「クソ、いっそ水でも持ってくりゃぶっこわせたか。まあいい、適当にいじりゃ動かなくなるだろ!」
やけになった刈り上げが、そう叫んで勢いよく機械のスイッチに手を伸ばした。
「やめろ!」
叫ぶ。間に合うわけがない。走って止めるには遠すぎる。ならば。
わざわざ頭を回す必要もない。俺はいつだって、俺の召喚獣でどう勝つかを考えてきたんだから。
「俺達の学校から……出て行け!」
右手で握りしめた懐中電灯を、ヤツめがけてぶん投げる。
くるくるくると、サーチライトのように部屋中を照らしながら宙を舞った懐中電灯。
日々のFクラスの喧嘩のおかげか、あるいは木下さんという女神の加護か。懐中電灯は、見事に刈り上げの後頭部に命中した。
「がっ!?」
いきなり後頭部に衝撃を受け、悲鳴を上げる刈り上げ。けれどその手は止まらず、いくつかのスイッチが叩かれた。くそっ!
「……ってえな! 何しやがる!」
しかし、刈り上げの意識はこちらへ向いた。その顔面を殴りつけるべく、拳を握り締めて全力で走り寄る。これ以上余計なことをされる前に、コイツらを止めないと!
「文句があるなら出ていきやがれ! ここは部外者立ち入り禁止だ!」
「邪魔すんじゃねえ! てめえらこそお呼びじゃねえんだよ!」
勢いよく叩きつけようとした俺の拳は躱され、刈り上げにカウンターのボディーブローを喰らった。ゲホ、と何かを吐き出しそうになりながら、しかし、それでも気絶するまいと奴の腕をひっつかむ。
そしてその先は、泥仕合のような取っ組み合いだった。ひっかき傷を作りながら相手を気絶させようと、俺と刈上げは至近距離で拳を振るい合う。
くそっ……俺は坂本みたいに喧嘩慣れなんかしていない。普段の喧嘩を思い返す限り、まだ吉井の方がうまくやれる。こんなことになるなら俺もムッツリーニからスタンガンをもらっておけばよかった!
「そこまでだ。こっちを見ろ、運営委員」
「ちょっと……きゃあっ!」
突如、金髪の声、そして木下さんの悲鳴が聞こえた。とっさに、そちらを見る。
「この女がどうなっても良いのかよ? お前ら、知り合いなんだろ?」
木下さんの可憐な腕が、金髪に捻り上げられている。彼女の顔が苦痛にゆがんでいた。
「……っ……木下さん! おい! 木下さんに手を出すな!」
「なら暴れんじゃねえ。じっとしてやがれ」
「くっ……ぐあっ!」
木下さんを人質にとられて無茶できるわけもない。そう思って動きを止めたところで、背後から刈り上げに蹴飛ばされた。
「谷村君!」
「そうそう、最初からそうしてりゃいいんだよ。別にオレだって女をいたぶる趣味なんかねえよ。けど、これ以上邪魔するってんならこの女には痛い目を見てもらうこと……に…………」
そこで、異変が起きた。
「……?」
揚々としゃべり続ける金髪が、急にその口を止めた。パクパクと口を動かしてはいるが、声が出なくなっていた。
「どうしたタイガ、ふざけてる場合じゃねえだろ」
俺の背後の刈り上げからもそんな声が聞こえた。そう問われてもなお、
二人とも、視線が何かをとらえている。
「あ、あ、あ……」
震える指で、金髪は俺達の方を……いや、俺達の背後を指し示す。ハテナマークを浮かべながら俺と刈り上げが振り返ると、そこには。
「――ァ――――――」
女がいた。
恨み声ともノイズとも取れない声を出しながらたたずんでいる。
あの夜、旧校舎のトイレで目撃したのとまったく同じ、黒い長髪の女が白装束姿でそこに立っていた。
「「うわああああああああああああっっ!!!」」
叫び声が破裂する。
つんのめりながら俺は飛びのいた。結果、床を転がるようにしてなんとか距離を取ろうとする。
急に音もなく現れたこいつはなんだ。正体はわからない。けれど、ほのかに全身が淡く光を放っている。それが、こいつが人間でない事をはっきりと示していた。
「まさか……お化け……?」
木下さんの怪訝な声が聞こえる。
なんでこいつが、こんな時にこんなところで出てくるんだ!
「お、おいケイゴ! なんなんだこいつは! 聞いてねえぞ!」
「俺だって知らねえよ!」
「――――」
叫ぶ連中の声をきいてか、ゆらりと、ろうそくの火が揺れるように女の体が動いた。
「な、なんだよ。やる気か!?」
それを敵意と受け取ったか、刈り上げが拳を構える。
「テメエがお化けだろうが何だろうが、女に負けるほど俺はヤワじゃ――」
ヒュン、と何かが飛んだ。何かが刈り上げの脇を通り過ぎていった。
――ガシャン!
金属とガラスの破壊音が室内に響く。パソコンのブラウン管モニターが壁に
……俺達は見た。
部屋の隅に積み上げられていた、もう使われていない古いブラウン管モニター。
あの女が、10キロ以上はあるはずのそのブラウン管を片手で刈り上げへと投げつけたのを。
「な、なんだよ、今の……」
首を回して、ひしゃげたブラウン管を呆然と見つめる刈り上げ。あの軌道がもう少しずれていれば、刈り上げは大ケガどころでは済まなかったはずだ。
もはや、奴にさっきの威勢は残っていない。そんな奴の様子を知ってか知らずか、白装束の女は、再び積み上げられたブラウン管の一つを手に取った。
「……ひっ!」
あれが、もう一度。ヤツはそう思い至った瞬間、血の気の引いた顔で叫ぶ。
「う、うわあああああああああああ!!!!!」
まさに半狂乱といった様子で、走り出す。目指す先は、書庫へつながる扉だった。
息が苦しい。めまいのするような感覚を覚えて、ようやく俺の体が無意識に震えていたことに気づく。あの白装束の女が、恐ろしくてたまらない。
そうだ。俺も早く逃げないと。
そう思って俺も扉の方を見て……この場に、置き去りにしてはいけない彼女がいることを思い出す。ダメだ。木下さんも連れて逃げないと。
「……チッ! おら、いつまでくっついてんだ! 邪魔だ、どけっ!」
次に動いたのは金髪だった。
「きゃっ!」
「き、木下さん!」
乱暴な叫び声の後、金髪に捕まえていた木下さんが用済みと言わんばかりに突き飛ばされる。床に転がった彼女の元へ駆け寄った。
「木下さん、大丈夫か!」
「ええ…………っ! ……やっぱり大丈夫じゃないかも。足をくじいたみたい」
木下さんが、左の足首にそっと手を当てる。ソックス越しで肌は見えないが、腫れているのかもしれない。
「あの野郎……!」
「こっそり機械にちょっかい出すだけの楽なバイトだと思ったのによ! こんなもん付き合ってられるか!」
そんな木下さんを傷つけた金髪を睨みつければ、奴は彼女には目もくれず刈り上げを追って扉へと駆け出すところだった。
その背中めがけて、女はブラウン管を振りかぶった。
「ざけんじゃねえ! 化け物女!」
そんな捨て台詞を残して、ヤツは扉の先へ消える。
「おい! 逃がすか――」
と、叫ぼうとした俺の声を遮って、豪快な破壊音が部屋の中に響く。ブラウン管が扉のすぐそばに立つスチール棚に激突して、ぐらりと棚がゆれて金具が外れる。ガシャガシャガシャン! と耳障りな轟音が耳をつんざいた。
「……マジかよ」
棚の中に押しこまれていた埃まみれの機器類が、扉の前に崩れ落ちている。あの扉はこちらに開く。あの見るからに重そうな機器類をどうにかしなければ、あの扉はもう開けられない。くそっ!
「あんな連中、今は放っておきましょう! まだあっちに階段があるわ。そっちからアタシ達も逃げるわよ!」
お化けを前にしてもなお冷静な木下さんの声が聞こえてくる。確かに、今は俺達もあのお化けから逃げ出すのが最優先だ。
彼女の指さす方……書庫の反対側の方には、確かに上へ続く階段があった。
……名案だ。あそこから本当に逃げられるのなら、だけど。
「逃げたいのは山々だけど……それは無理だ。あっちの階段の先の扉にはカギがかかってる。階段を上っても、袋のたぬきになるだけだ」
あの夜の記憶が甦る。あの階段の先は袋小路になっていた。当然、開ける手段なんて知りようもない。
「『袋のネズミ』、ね……って。どうしてそんなこと知ってるの?」
「え? ……あ―、ま、色々と……」
夜中に橋本とともに侵入したなんて言えるわけがない。
怪訝な目つきの木下さん(そんな顔もかわいらしい)の追及をどうごまかそうかと考えたところで、視界の端で白い影が揺らめいた。白装束の女が、ゆっくりとこちらを見た。
「……悠長に話している時間はないようね」
「そうみたいだな。木下さん、立てるか?」
左足首をさする彼女に肩を貸そうとすると、彼女は素直にそれを受け入れてくれた。自力で立ち上がるのは苦しいのだろう。
「……谷村君、震えてるの?」
「え?」
お化けに対する恐怖で体が震えているのがバレたらしい。
「あ、ああ……苦手なんだよ、こういう、お化けとかそういうの……」
「…………」
そもそも、木下さんがいなかったら、一目散に逃げだしていたくらいなのだ。今も怖くて仕方がない。
くそ、木下さんにみっともないところを見せた。情けない。幻滅されただろうな。
けれど、いくら怖いからってこんなの嘘だと目をそらすわけにもいかない。だって、目の前にヤツは存在していて、ヤツをなんとかして木下さんと一緒にここから逃げ出さないといけないんだから。
「けど、こんなのどうすれば……」
お化けの退治の仕方なんて、俺は知らない。もしも本当にそんなものがあるとして、俺はそういう怪談は避けてきたから知りようがないのだ。
それに、ヤツに「敵意なんてない」と伝えたところで無駄だろう。なんせ相手はお化けなのだ。理不尽な動機で人間を襲うそのあいまいな存在に、足が震えが大きくなったような気がした。
「お化け?」
と、そこで自分で自分の思考に待ったをかけた。
よく考えてみたら、こいつは本当にお化けなのか。いや、白装束なんてお化けしか身に着けないだろうし、人間は発光なんかしない。音もなくいきなりこの地下室に現れたのだって、お化けだからとしか言いようがない。
けれど、お化けってもっとこう……半透明だったりあやふやな雰囲気だったりするんじゃないのか? こんな、ずっとはっきり見えるのだってお化けらしくないし……ポルターガイストという話はあるけれど、こんな重いブラウン管を片手で放り投げるなんて怪力をもっているなんて、それじゃお化けというより……。
「……!」
そこで、とあるひらめきが舞い降りた。
あたりを見渡す。俺が持ってきた懐中電灯は壁際に転がって電池が抜けているから、頼りになるのはモニターの明かりと女が放つ淡い光だけ。そんな薄暗い部屋の中で目を凝らした。
そして、今まで気づかなかった事実に気づいた。
「そうか……!」
俺がそうつぶやくのと同時に、すぐそばから、可憐な彼女がはっと息をのんだ音がきこえた。
「木下さんも気づいた?」
「ええ。さっきまで暗くて見過ごしてたけど、この部屋、
木下さんの言う通り。パッと見では暗くて見えないが、よく目を凝らせば、なじみ深い幾何学模様が壁や床をさまよっていた。見間違うはずもない。散々目にした召喚フィールドだ。
だとすれば。
「あの機械って試験召喚システムの機械なのよね? それっぽい数字や坂本君達の名前もあるし」
「多分。それに、思い返せば、あの女が出てきたのは刈り上げがスイッチを叩いた直後だった」
召喚フィールドは原則として天井や床は突き抜けないから、この上で誰か先生が召喚フィールドを展開しているわけでもないはずだ。
だから、この召喚フィールドはこの機械によって無人で展開されていると考える方が自然だ。きっと、あの時刈り上げが押したスイッチで偶然召喚フィールドが展開されたんだろう。
「じゃあ、もしかしたら……あの女の正体は……」
二人で、白装束の女を見る。
「NPCの召喚獣だ。物理干渉つきで、人間サイズの特別製のな」
試験召喚システムは、科学とオカルトと偶然により完成したシステムだ。精神の波長とかどうとか……詳しいことは知らないが、システムの不具合の結果として白装束の黒髪の女という一番ポピュラーな姿のお化けが召喚獣として現れることは、あり得るのかもしれないと思った。
「……なら、やることは一つね」
「ああ」
具体的な案はない。けれど、ヤツに対抗するならこれしかない。木下さんも、同じことを思いついたようだった。
「「
学園の存亡をかけた決勝戦の裏で、誰も知らない戦いが始まった。
召喚獣のロード中。お化け召喚獣がゆっくりとこちらに歩いてくる。それに合わせて、俺は木下さんを連れて後ずさる。暗闇で何があるのかわからないから、慎重に。
幸いなのは、今はヤツの周りに放り投げられそうな武器がないことと、走って攻撃しに来る様子がないことだった。目的を見失ってさ迷い歩く亡霊というイメージが、その動きに反映されているのだと思う。……これがゾンビじゃなくて良かった。肉を求めて人間に襲い掛かる動きになっていただろうから。
そうこうしているうちに召喚獣のロードが終わり、二体の召喚獣が顕現する。得点は背後のモニターに表示されていた。
『【日本史】
-クラス UNKNOWN
XXXXXXXXXX点
VS
Fクラス 谷村誠二 & Aクラス 木下優子
47点 378点』
選択されていた科目は日本史。決勝の科目と同じだ。文系科目は苦手だから、俺にとってはあまり喜ばしくはない。木下さんの方は、順当にAクラストップ層の点数だ。
「谷村君……やっぱりFクラスなのね」
そんなことを考えていたら、すぐそばから憐れむような声が聞こえてきた。そういえば、昨日は木下さんに古典の点数を見られたんだった。
「いや、違うんだ! 文系が苦手なだけなんだって!」
これは実際にそうで、数学じゃなくても物理化学なら100点くらいは何とか取れる。英語や生物は大体こんなもんなのは内緒だ。
というか、今回は英語Wと現代社会をかなり頑張ったのでそれで許してほしいところだ。木下さんは知る由もないだろうが……。
「まあいいわ。それより、これからどうするか考えないと」
俺の弁明は聞き入れてもらえなかったようだが、こんなことにこだわっている場合ではない。俺もお化け召喚獣の対策を考えないと。
「思ったんだけど、あの機械がおかしくなってあのお化けが出てきてるんだから、機械を壊せばお化けも消えるんじゃないかしら?」
「……いや、それはダメだ。ほら」
と、俺が指さすのはモニターの一つ、今まさに決勝で戦う吉井達の姿だ。
「あれだけの大観衆の前で召喚獣が消えたら大失態だ。スポンサーの目の前でそんなことになったら、学園の経営も怪しくなる」
というより、それが教頭の狙いだったのだ。せっかくそれをすんでのところで阻止したのに、俺達がその手段を取るわけにはいかない。
「そっか……試験校だものね、ここ」
「ああ。もちろん、どうしようもなくなったら最終手段としてアリだとは思うけど……」
「なら、別の方法を考えましょう。……谷村君は、何か策はある?」
「う~ん……」
と、悩む間、とりあえず俺達は召喚獣をぴょんぴょん跳ねさせてお化け召喚獣の気を引いていた。俺達の召喚獣は物理干渉の対象外だから、ブラウン管や機器類をぶん投げられても無傷で済む。
このままお茶を濁しながら助けを待つというのもアリだが、お化け召喚獣の動きが読めないのが怖い。直接攻撃に方針が変わらないうちにどうにかしたほうがいい。
「よし。手っ取り早く、アイツの点数を削り切ってしまおう」
「点数のわりに自信があるのね。……でも、あのお化け、相当高得点じゃない? 見たでしょう、あのブラウン管の速度」
「ああ。バグってるから点数は見えないけど、多分生徒達の誰より上だ。最悪、千点以上になっている可能性もある」
「そんな相手……!」
「けど、点数があるだけだ! 露骨な攻撃の意思もなければ、防御する意思もない相手なんて、おそるるに足らない! 木下さんの点数なら十分ダメージも通るだろうし!」
怪訝そうな木下さんにそう告げて、まずは景気よく一発、と俺は召喚獣を走らせる。シャーペンをお化け召喚獣にぶん投げさせて、一気に距離を詰めた。
いくら相手の点数が高く設定されていようと、当たらなければどうということはない!
ヒュッ カーン
情けない音が部屋に響く。シャーペンがお化け召喚獣に当たった音だ。点が減った気配はない。まあいい、それは点数差から予測していたことだ。
本命は、隙だらけの脇腹に一撃を――
「なっ!?」
構えたカッターナイフとともに跳躍させようとした瞬間、お化け召喚獣の上半身が腰から折れるようにぐるりと回る。目にもとまらぬ速さで迫る腕が俺の召喚獣めがけてたたきつけられようとして――すんでのところで俺は召喚獣を飛びのかせた。俺の召喚獣がいた床がへこんで無数に亀裂が走る。
に、人間ができる動きじゃない! ビビるわ、あんなの!
「撤退! 撤退!」
「はあ……」
慌てふためいて召喚獣をさっきの位置までもどしてお化け召喚獣から距離を取らせる。木下さんのため息が聞こえた。
「あのね、谷村君。バグの結晶みたいな相手なのよ? 敵意はちゃんとあるんだし、迂闊に近づけるわけないじゃない」
「ぐっ……正論!」
こちらがどううまく立ち回ったとしても、あれだけ俊敏に防御行動をとってくるのなら点数を削り切るのは難しい。木下さんの召喚獣の点数でも、いつかどこかで一撃を喰らって負けるだろう。普段相手にしているサイズじゃないから、そういう意味でもやりづらさがある。
ええい、倒せるか! あんな奴!
「召喚フィールドを消せたら楽なんだけど……」
と、つぶやく木下さん。確かに、ヤツが召喚獣なら召喚フィールドの中でしか存在できないはずだから、フィールドを消せればもろともヤツも消える。
けれど。
「でも、召喚フィールドを制御してるあの機械の操作方法もわからないし、干渉のために新しく召喚フィールドを展開することもできない。現実的じゃないわね」
その考えは、木下さん自身に切って捨てられる。俺も同意見だ。
「なら、やっぱりどうにかして逃げるしかない」
「どこから? あの扉は開きそうにないし、向こうの階段は袋小路なんでしょう?」
「ああ。カギのかかった扉があるはずだ。誰かがカギを開けてくれた可能性にかけて逃げ込んでもいいけど……」
「……もし本当にカギがかかったままなら、追い詰められておしまいね。その扉の前まで召喚フィールドが展開されてる可能性も十分あるし」
分の悪い賭けだ。とても乗る気にはなれない。
くそっ! いっそ、俺が観察処分者だったら良かったのに! そうすれば、物理干渉で扉なんかぶっ壊せたはずだ! かつて、試召戦争で吉井が壁を壊したみたいに!
「……あ」
と、そこまで内心で叫んで、閃いた。
「谷村君、もしかして何か思いついた?」
期待半分、呆れ半分で木下さんが尋ねてくる。安心してほしい。今度は本当に名案だ。
「扉を壊してもらえばいいんだよ! あのお化けに!」
「……じゃあ、その作戦で行くわよ」
木下さんといくつかの言葉を交わして、作戦が決まった。必要なのは、確実に叩き込まれる破壊力。それも、物理干渉設定になっているお化け召喚獣を介したものだ。
「召喚フィールドの切り替えができない以上、点数がゼロになったら終わりよ。良いわね?」
「ああ。分かってる」
俺の召喚獣とお化け召喚獣とに限れば、おそらく十数倍以上の差が開いている。かすっただけでも致命傷。しかし、気にすることはない。そんな試合だって勝ってきたんだから。
「なら、お化けの誘導、よろしくね。……点数はともかく、谷村君の操作技術は信用してるわ。期待してるわよ」
「……! ああ!」
なんて素敵な活力剤だ。どんな薬よりも力になる。
深呼吸。
「……よし」
覚悟を決めて、俺は召喚獣を動かし始めた。
最初の目的はお化け召喚獣を階段の上までおびき寄せる事だ。最終的な目的は一直線に伸びた階段の先にある扉を破壊することだが、さっきから見てわかる通りあのお化け召喚獣はコントロールが非常に悪い。どう誘導したところで、ブラウン管の投擲では扉に届く確率は相当低いだろう。
だから、お化け召喚獣本体をどうにか階段の上の扉の側まで連れてくる必要がある。
まず、適当にペンを取りだしてお化け召喚獣の頭めがけて投げつける。ダメージが通らないとバレているせいか避ける様子はないが、ちゃんと俺の召喚獣の方を向いてくれた。
が。
「……くそっ」
首を回しただけで、そこから動く気配はない。どうも雑魚だと思われているようで、その意識は木下さんの召喚獣の方へ向いているように見えた。すなわち、階段とは全くの別方向だ。
人間相手なら挑発が効く。けど、お化け相手にそれは無理だ。ならば、俺の取る行動は一つしかない。
ペンの投擲をやめて、タッと召喚獣を動かしてお化け召喚獣へと近づける。そして、お化け召喚獣の間合いに入った。
その瞬間、さっきと同じ光景が繰り返される。ぐるりと上半身が回って攻撃が飛んでくる。それをジャンプでぎりぎりかわす。
けれど一連の行動によって、お化け召喚獣の体は攻撃の勢いで数歩動いていた。
これを繰り返して、お化け召喚獣を階段の上まで連れていく。それが俺の役割だった。
正直なところ、この作戦にはいくつかの問題がある。その最大の問題は俺の集中力が持つかということだった。
「……集中しろ」
攻撃をすべて諦めたおかげで、多少召喚獣の操作はしやすくなっている。けれど、少しでも操作がもたつけばそこで終わりなのだ。
俺の召喚獣の点数は47点。Fクラスでもせいぜい中位に収まる強さの召喚獣は、動きにどこかキレが無い。だから、お化け召喚獣の動きを読み違えると、反射神経で避けきれるかは分からない。つまり、一瞬のミスでおじゃんになる可能性があるということだ。
二度、三度、四度と、お化け召喚獣の攻撃をかわしてその立ち位置をずらしていく。頭が痛くなってきた。集中のしすぎだろうか。気が、緩みかける。
「頑張って、谷村君」
「……っ」
突如届いた木下さんの声で、もう一度集中を取り戻す。もう階段の下まで来た。
あと、少しだ。
階段を召喚獣に登らせて、お化け召喚獣を階段の上へと誘導する。階段がすべて見通せるよう、お化け召喚獣の背後に木下さんとともに移動した。
「後は、上まで登るだけ……やりづらいな」
お化け召喚獣越しの召喚獣の操作に苦労しつつ、召喚獣に階段を上らせる。そして、またお化け召喚獣が同じ攻撃をしてくるのだろうと、そう思った時だった。
「……っ!? なんだ、その動き!」
お化け召喚獣のパターンが変わった。まるで跳躍するように、腕を伸ばして俺の召喚獣を捕らえようとしているようだった……そうか、俺の召喚獣がお化け召喚獣よりも上になったせいで位置関係が変わったから、攻撃方法も変わるのか!
その新手の攻撃をよけようとしたが……暗くて良く見えない! 今召喚獣はどっちを向いてるんだ!?
「くっ……とりあえずこっちもジャンプ!」
高く高く飛べば躱せるはず! 俺の召喚獣がいるはずの場所へ、お化け召喚獣が跳躍するのとほぼ同時、俺も慌てて召喚獣を真上に跳躍させた。
階段の先に広がる暗闇に、お化け召喚獣がミサイルのように突っ込んでいった。
ズン……
重いものがコンクリートに当たったような、そんな鈍い振動が伝わってくる。
……どうなった?
「うまく、躱せたみたいね。やるじゃない」
そう告げる木下さんが視線を向けていたのはモニターの得点表示。
『【日本史】
-クラス UNKNOWN
XXXXXXXXXX点
VS
Fクラス 谷村誠二 & Aクラス 木下優子
47点→32点 378点』
「まだ耐えてるのか」
俺の召喚獣もお化け召喚獣も。こっちの点数が減っているのは……ジャンプさせたときに天井にぶつかったか着地に失敗したかだろうな。お化け召喚獣の一撃が当たっていれば点数が残っているはずがないし。
慎重に階段に近づきながら階段の様子を伺う。俺の召喚獣は五段ほど登ったところで倒れていた。
召喚獣を起き上がらせながら階段の先をのぞき込む。その先にあるはずの暗闇は、お化け召喚獣自身の光によって消え去っている。予想通り扉の前まで展開されていた召喚フィールドの中に、コンクリートでできた階段を削り取りながらお化け召喚獣が上昇した痕跡が見えた。とんでもない威力だ。
けれど、確かにお化け召喚獣はそこにいる。扉のすぐそばではないが、そこから五、六段降りたところに倒れ伏していた。
点数が削れた様子はない。それでも、これで俺の使命は果たされた。
「……よし」
「ありがとう、谷村君。ここからは私の仕事ね」
足の痛みを感じさせないような声で木下さんが告げる。階段の下に木下さんの召喚獣が陣取り、ランスを構えてタイミングをうかがっている。
階段の上から音がする。コンクリートの破片をこぼしながら、お化け召喚獣がこちらを向きながら立ち上がろうとした。
それが、絶対的な隙だった。
「今!」
木下さんの叫びとともに、彼女の召喚獣が走り出す。ランスを真正面に構えたまま、階段へと猛進する。ランスをいつもよりも上に……階段の上にいるお化け召喚獣を仕留めるように掲げると、そのまま階段を駆け上っていった。人間用の階段は召喚獣からすればそれなりの高さがあるが、召喚獣の脚力なら駆け上るくらいたやすいことだった。
それに何より、この状況なら召喚獣の特性が活きる。
俺の召喚獣が投擲を得意とするように、木下さんの召喚獣にも当然得意な動きがある。
それは、ランスを活かした……突撃だ。
他の誰より速度の乗った突撃が、立ち上がっている途中で重心が不安定な状態のお化け召喚獣へ向かっていく。
木下さんの召喚獣が、俺の召喚獣の側をすり抜けようとした。その瞬間、本当に一瞬だけだけれど、木下さんの召喚獣の背中に俺の召喚獣の腕を回させた。
「いけえっ!」
昨日鈴木の召喚獣を放り投げたときのように腕を振るわせる。ほんのわずかだけれど、木下さんの召喚獣の背中を押してその速度を加速させる。少しでも、彼女の力になりたいと思って。
かくして、猛突進する木下さんの召喚獣が、お化け召喚獣を襲う。お化け召喚獣は腕を(人間ではありえない関節の向きで)曲げて手を前に出した。けれど、防御態勢までは間に合わず――
今や砲弾となった木下さんの召喚獣が、お化け召喚獣に激突する。そしてそのまま、お化け召喚獣ごと、一番上の扉へと突っ込んだ。
轟音と振動が、地下に響いた。思わず目をつぶる。
数秒が経って、静寂が訪れた。
「……どうなった?」
ゆっくりと、目を開ける。
階段の上、登り切った一番上から、光が差し込んでいた。
「まぶしっ!」
そしてまた目をつぶってしまった。
「さっきまであれだけ薄暗い部屋にいたんだもの。そうなるのも無理ないわね」
そんな声が聞こえて、薄く目を開ける。木下さんも、同じように薄く目を開けて様子を伺っていた。
けど、まあ、こうして光が差し込んでいるということは。
「うまく、行ったのか」
「そのようね。見て、扉の外には召喚フィールドが展開されてないわ。あのお化けも、フィールド外判定で消えたみたい」
目を向けてみれば、ちょうど扉があったところに召喚フィールドの壁が見える。お化け召喚獣の体の物理干渉によって扉をぶち破ると同時に、その壁を越えたお化け召喚獣の姿も消えたのだ。
「はあ、よかった……」
何とかなった、と理解した瞬間、全身から力が抜けて倒れそうになる。けど、今俺は足をくじいた木下さんに肩を貸しているのだ。耐えなくては。
「扉が開いたなら、早く出よう。階段が崩れてる場所があるから、気を付けて」
「ええ、わかったわ」
そんな会話をして、俺達は忌々しい地下室を出る。肩を貸しているから俺達は寄り添うような形になっていて……その理由が木下さんが足を怪我しているからだから変な事は考えるべきじゃないが、それでも、意識はしてしまう。お化け召喚獣を消して気を張る理由がなくなったから、余計に。だって、ほら、木下さんの体温だって伝わってくるのだし。
「考えるな考えるな考えるな……南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏大安仏滅吉日大凶……」
「……? 小声で何をつぶやいてるの?」
「何でもない。急にお経を唱えたくなっただけだ」
「お経でもなかったような気がするけど……」
ともあれ、木下さんに怪訝な顔をされつつも階段を登り切る。そして、あの扉の先を初めて目にすることになった。
やけに高そうな巨大デスクに、よく整理されたファイルが並んだ棚、そして生き生きと育った観葉植物がその部屋に並んでいた。ふかふかの絨毯まで敷き詰められている。
「……随分派手な部屋だな。こんな部屋あったか?」
「ここ、学園長室ね」
「知ってるのか?」
「ええ、何度か呼ばれたこともあるし」
「学園長に呼ばれるなんて、どんな悪いことを……?」
「アタシが説教されるわけないでしょ!」
そっか、違うのか。木下さんだもんな、そりゃそうか。成績も学習態度も優秀だから、先生や学園長からも信頼は厚いはずだし。すっかり俺が鉄人に呼び出されるのと同じノリで考えてしまった。
「それにしても、学園長室につながってたのか……」
そうつぶやきながら、歪んで床に倒れ伏した金属製の扉を踏みつつ学園長室の中に入る。
「というより、そもそもあの地下室と学園長室がセットで用意されたのかもしれないわね。召喚システムの調整は学園長が一人で行っているはずだから」
「なるほど……」
木下さんの考えに納得しながらあたりを見渡す。地下室は脱出したし、人の気配もないから脅威はもう去ったようだ。
あの金髪と刈り上げを逃がしてしまった事は残念……というより無念だ。木下さんを痛めつけたことを許せるはずもないし。けれど、今はこうして地上に脱出できたことを喜ぶべきだろう。木下さんが怪我をしているから、無事と言うことはできないけれど。
「これからどうする? 俺が一人で保健室に行って、ここに先生を呼んでこようか?」
脅威が去ったのなら、気がかりなのは木下さんの足の怪我だ。
そう尋ねると、木下さんは少し悩んでから、
「……いや、アタシも行くわ。それくらいなら歩けると思うから。先生が保健室にいないかもしれないし、ね」
だから、と彼女は言葉を継いだ。
「もう少しだけ、肩を貸してくれないかしら?」
……不安げな表情とともにそう言われてしまうと、彼女の事が好きな俺の答えなんて一つしかない。
「もちろん。好きなだけ使ってくれ」
よかった、と小さくつぶやいて、木下さんが微笑んだ。その表情があまりに素敵だったものだから、直視できずに顔をそらしてしまう。
そらした先の窓の向こうから、景気のいいアナウンスが聞こえてきた。
『――坂本・吉井ペアの勝利です!』
向こうもどうやらケリがついたらしい。これで万事解決だ。
召喚大会の決勝が直前まで行われていたということもあり、保健室までの道のりにさほど人はいなかった。木下さんに寄り添って歩いているところを見られると気恥ずかしいし、それがFクラスの連中相手だと命の危機があるので助かった。
保健室の扉を開けると、長い前髪で目元を隠した女性が先客の手当てを終えたところだった。先客と入れ違いながら保健室に入る。
彼女は浅野先生……一見してよく言えばダウナー、悪く言えば暗い雰囲気を纏っている保健室の主だ。けれど、話してみると案外気さくで、生徒達のお姉さん的立ち位置として静かな人気を誇っている。年齢は若くも見えるし人生経験が豊富なお年とも見えて判然としない。けれど、船越先生(45歳)が前に嫉妬していたのを見たので、多分船越先生よりは若いんだと思う。
そんな彼女が絆創膏を薬箱にしまいながらこちらを向いた。
「あら、谷村君。またFクラスの子たちで喧嘩?」
「ああいや、今日はそういうのじゃないんです」
ちなみに、俺達Fクラスは例によって互いに襲い合っているから、すでに全員浅野先生とは顔見知りだ。もっとも、そうでなくても浅野先生は学園全員の顔と名前を憶えているらしいのだけれど。
「木下さんが足をくじいてしまって……手当てしてもらえますか」
「そうなの……うん、わかったわ」
浅野先生が椅子を開け、木下さんに腰を下ろすよう手で促した。それに素直に従ったので、木下さんに肩を貸すのもここまでだ。名残惜しいが、仕方がない。
「それで、足をくじいたって、何があったの?」
「あー……ええと」
「……階段を踏み外してしまって。人が多かったものですから」
地下の件をどう説明したもんか、と思って口ごもっていたら、木下さんがしれっと嘘をついてくれた。頭が回るなあ。
「そう、じゃあ、ちょっと見せてね」
浅野先生が木下さんに向き直る。
うーん、あとは先生に任せて俺はもう立ち去るべきかな。木下さんも手当を受けてるところをわざわざ見られたくないだろうし。
と、木下さんの表情を伺って、何もついていない前髪を見て、思い出した。
「あ、そうだ」
二人の視線が集まる。
「谷村君、どうしたの?」
「いや、木下さんに渡しておかないといけないものがあって」
地下の騒ぎですっかり忘れていた。木下さんのヘアピンを渡してあげないといけない。
と、ヘアピンの存在を思い出してズボンのポケットをまさぐって、異変に気付いた。
「……?」
ポケットの中に、細長い固形物の感触がない。おかしいな、と思って丹念にまさぐってみると、
「あ」
指が、ポケットの底を突き抜けた。……穴が開いている!
「谷村君?」
「ごめん、ちょっと待っててくれ! 浅野先生、その間に手当お願いします!」
そう叫んで、返事も待たずに保健室を飛び出した。
地下に入る時にはヘアピンを握りしめていたのを覚えている。その後、連中の前に出るときに、確か俺はヘアピンをポケットに入れて……なら、地下室だ! あの地下室でヘアピンを落としたのかもしれない!
そう結論付けた俺は、徐々に人の増えてきた廊下を駆け抜けていく。あのヘアピンは、何にも代えられないものだと思ったから。
『まったく、2-Fの子たちはいつも騒々しいわね』
『……すみません、浅野先生』
『木下さんが謝ることじゃないでしょ。……あら?』
『どうかしたんですか?』
『足をくじいたって言ってたけど……ちょっとひねっただけみたいね。痛みも少しはあるだろうだけど、これなら少し冷やしてれば大丈夫よ』
『ありがとうございます』
『……ねえ、もしかしてだけど……この感じなら……本当は、一人で歩いてこれたんじゃない?』
『…………大怪我してたら大変ですから、念のために付き添ってもらっただけです』
『うんうん、念のためね。そういうことにしておいてあげる』
『ほ、本当の事ですからね! アタシ、嘘なんて吐きませんから!』
息を切らしながら廊下を駆けて、学園長室へとたどり着く。学園長室には相変わらず人がいなかった。
学園長室の中を軽く見渡す。ヘアピンは見つからない。まあ、落ちている可能性が高いのは散々動きまわった地下室の方だ。
いつの間にか、地下へ続く階段の先に展開されていた召喚フィールドが消えていた。多分、決勝が終わってそっちの召喚フィールドが消えたから、こっちもまとめて消えたんだろう。これなら、お化け召喚獣におびえる必要もない。
階段を駆け下りる。地下室は相変わらず薄暗かったから、先に壁際に転がっていた懐中電灯と電池を探して明かりを付けた。
そうして室内を照らしてヘアピンを探すこと数分。棚の下に向けた懐中電灯の光が、眩しく何かに反射する。手を伸ばして拾ってみれば、それは確かに俺の探し求めていた水色のヘアピンだった。
「……良かった」
ヘアピンが見つかればもう用はない。懐中電灯を適当に棚に置いて、地上を目指して階段を登り始めた。
埃がついているからこのまま渡すわけにはいかない。ひびの入った階段を登りながらハンカチで丁寧に埃をふき取っていく。
良い感じに埃も取れたかな、というところでちょうど学園長室まで戻ってくる。
壊れた扉に足を乗せて体重をかけた、その時だった。
ギィ~~…………
学園長室の、重厚な扉から音がする。それは確かめるまでもなく、扉が開く音であった。
……扉が開く音? なんかこんなん前にもあったぞ……。
「どうでしたか、皆さん。私の研究の成果は」
「お見事でしたよ、学園長。生徒起点の特殊な効果をああも安定させるとは。恐れ入りました」
「スポンサー殿にそう言ってもらえるなら、苦労した甲斐がありましたよ」
聞こえてきたのは、老人たちの会話。その一方は、昨日話した時の傲慢不遜な態度からは想像もできないほど、丁重な言葉づかいで話す学園長の声だった。
「ぜひ今後とも良い付き合いを…………は?」
「あ」
その学園長と、目が合った。自然とその会話も止まる。
そして学園長は、部屋の中の惨状を眺め、そしてその象徴たる壊れた扉の上に立つ俺を見た。
「……アンタ、谷村だったかい。この有様はなんだい?」
怒りを押し殺すような低い声で、そう尋ねられる。学園長の後ろに立っている五人の老人たちも、厳しい目つきで俺を見つめていた。さっき聞こえてきた会話からすると、この老人たちはスポンサー達なのだろう。きれいなスーツや高級そうなネクタイピンからもそれは察せられた。
「え、ええっと……」
本当にこの爺さんたちがスポンサーなのだとすれば、バカ正直にさっきの事を言えるわけがないことは俺にもわかる。教頭の差し金とはいえ、トラブルで物理干渉付きのお化け召喚獣が暴れまわった挙句こうして扉をぶっ壊すことになりました、なんてことを聞いたスポンサーがどんな顔をするかは想像に難くない。
だから、今俺がすべきなのは、この状況を召喚システムとは全く関係ない理由で説明することなのだ。
……そんなことができればの話だけどな!
「この場にいて無関係、ってこともないだろう。それとも、これをやったのはアンタじゃないとでも?」
「え? あー、まあ確かにほとんど俺は関係ないと言いますか、いやでも、全く関係ないとは言えないような……」
木下さんの召喚獣による突撃も扉をぶっ壊す案も俺のアイデアだし、最後の最後で俺(の召喚獣)の手で加速もさせているから、まったくの無関係というとウソになってしまう。
あ、いや、別にウソついても良いのか?
「なんだい、煮え切らないね。一言で言ってみな」
けれど、一度口にしてしまった以上はそれを引っ込めることはできず、関係者として話が進む。
鋭く光る蛇のような学園長の視線とともに、背後のスポンサー達の疑るような……いや、不良を見るような蔑みの視線が突き刺さる。
ち、違う! やりたくてやったわけじゃないのに! 悪いのはここに忍び込んだあの連中と指示を出した教頭だ!
そう言えたらどれほど良かったことか。けれどもホントの事を言うわけにもいかず、猛スピードで頭を回す。スポンサーの学園への評判を落とすことなく、地下の出来事を表現できるような説明を必死に探す。
そして、最終的に俺から出てきた言葉は。
「愛と青春の秘密の大活劇、みたいな!?」
そこから先の事は、あまり覚えていない。
バカを見るような六人の老人の目だけが、ひどく記憶に残っていた。
Q.お化け召喚獣なんてあり得るの?
A.原作でも怪談モードになることはあったし、無意識を読み取って自動制御したりすることはあったので、こういうバグも起こりえるはず。きっと。おそらく。そういうことでお願いします。