「いらっしゃい」
一人の客が入ってきた。その客が席に座るのを確認して、私はその席に向かった。
「注文は?」
「えーっと…定食セット1つで」
「かしこまりっ。月城ちゃん、定食1つよろしくっ!」
「承知した」
月城ちゃんは予め作っておいた豚汁を茶碗に注ぎ始めた。私もご飯を鍋から少々取り出して、5つおにぎりを握り、主菜にとんかつを作ってお盆の上に置く。そして、出来立てのうちにさっさと客の元に届けた。
「はい、お待たせ。定食セットだよ」
「ありがとうございます。…って、え!? おにぎりなんですかここ⁉」
「あら、ここに来るの初めて?」
「まぁ、そうですけど」
「あたいらが作る定食はただ茶碗にご飯を[[rb:装 > よそ]]うんじゃなくて、おにぎりにして提供してるの。まあ、食べてみてごらん、美味しいから」
「はい、いただきます…」
彼はおにぎりを1つ、箸で挟んで、一口頬張った。しばらくすると、すぐに彼の顔がほころんだ。
「めっちゃ美味い…!」
「でしょ? これがあたいの『売り』だよ」
「ふっくらして美味しい…!」
私はお客さんの美味しくご飯を食べる姿が大好きだ。一人の青年がどんどん口に物を運んでいるのをじっと見ていると、次の客が来た。金髪の長髪で、スーツを着ているあの姿。白河ちゃんに違いない。白河ちゃんとは、私とは小学生以来の友達でいつもクールで、カッコいい。私は小走りで白河ちゃんの所に向かった。
「白河ちゃん今日も来てくれたのかい?」
「ああ。昼ご飯を食べるのはここって決めている」
「そうかい、とっても嬉しいよ」
「最中、いつもの、頼めるか?」
「…エスプレッソか?」
「あら、白河ちゃん、昼ご飯エスプレッソだったかしら」
「最中…昼ご飯にエスプレッソは…」
「ん? …! ああ、そうだった…カツ丼、だったな。すまない」
月城ちゃんは大きなどんぶりを取り出すと、そこにご飯を沢山詰め込んだ。だけど、さっきの会話が少し気になる。私は白河ちゃんに話を聞いてみた。
「なんでエスプレッソなんだい?」
白河ちゃんは額に手を当てて少し困った顔をした。
「…バレたか…」
「月城ちゃん、どういうことだい?」
「…里美が寝ている早朝から白河は仕事が始まる。だから我が秘密で早朝に店を開いていたのだが…バレたか」
「なっ⁉ あたい、そんな事知らなかったよ⁉」
「5時に店を開けると、必ず10分後には白河がやってくる。そこでいつもエスプレッソを頼むのだ。20分ほど話をして、そのまま仕事へ向かう。蔵が起きるのは6時位だから、気づかれないと思ったが…」
「白河ちゃんが来てるなら言っておくれよ!! 起きたよ、寝癖ついたまま話してたよ…」
「いや、無理に起こすのも悪いと思ってな…」
「あたい、明日は早く起きるからね…!」
早起きして白河ちゃんと朝から話せるとワクワクしていると、白河ちゃんの元にカツ丼がやってきた。
「はい、お待たせ」
白河ちゃんは両手でカツ丼を受け取ると、大きな口で食べ始めた。こんなスリムな体をしているのに、どうしてカツ丼をガツガツ食えるのだろうかと不思議てたまらない。
「白河ちゃんは本っ当に肉が好きなんだねぇ」
そういうと、白河ちゃんは食べるのをやめて、ナフキンで口を拭くと私の方を向いた。
「ああ、肉はとても大好きだ。特に、最中の作るカツ丼は最高だ」
「あたいも何か肉料理を作ろうかねぇ…」
「里美が作る肉料理も食べてみたいな」
「あたい、基本魚料理が好きだからねぇ…特に焼き魚」
「ふふっ、里美らしいな」
白河ちゃんはまたカツ丼を食べ始めた。白河ちゃんの食べる姿を見るのは特に好きだ。可愛い。それとしか言いようがなかった。
こんな感じで、少し忙しいけど、友達と一緒に話せる私の定食屋は私の誇りだった。
時刻は夜の9時。私の定食屋の看板に書かれている時間帯だと、もう閉店する時間帯だ。あたいは目瀬の玄関にある「OPEN」の看板を「CLOSE」になるようにひっくり返した。だけど、まだ閉めない。今日も柳ちゃんがやってくる。柳ちゃんも小学生以来の完璧美人であり、医者だ。全く、私の周りには「完璧○○」が多すぎる気がする。玄関をじっと見ながら待っていると、遠くから足音が聞こえてきた。私は柳ちゃんが玄関を開ける前にドアを開けた。
「いらっしゃい」
そこには柳ちゃんと、柳ちゃんの子供の丸山ちゃんがいた。柳ちゃんは結婚していて、父は海外に転勤中だという。
「すみません、少々遅れました」
「待ってないよ、さ、早く上がって!」
私はカウンター席に柳ちゃんと丸山ちゃんを案内した。柳ちゃんはカウンター席に座ると、まず最初に丸山ちゃんにメニュー表を渡した。
「お嬢様、今日は何を召し上がりますか」
柳ちゃんは丸山ちゃんの事を「お嬢様」と呼ぶ。反対に丸山ちゃんは柳ちゃんの事を「柳」と呼び捨てにする。この場面見ると、主従関係が凄い家計だなって思う。
「そうだなーっ…いつもの」
「…月城ちゃん、丸山ちゃんの『いつもの』って何かしら」
「奏多、お前、2回以上同じメニュー頼んだことないだろ」
「そうか? 柳?」
「いえ、『カレーライス甘口』を2日前から2回連続で頼んでおられます」
「あら、2日前は確か…」
私が何か言いかけようとした時、柳ちゃんは私の方を向いて、申し訳なさそうに人差し指を口の前に立てて、しーっ、の合図を送った。
「あっ、そうだったねぇ。って事は、『いつもの』はカレーライス甘口でいいかい?」
「うん、それにするっ!!」
「かしこまりっ」
私は鍋からご飯を取り出して、ささっと皿の上に盛り付けて、夜のピークの時に作っておいた甘口のカレールーをご飯の上にかけた。丸山ちゃんの元にカレーライスを置くと、始めて見たかのように笑顔になった。
「ふふん、いただきますっ」
「お嬢様っ」
「え?」
柳ちゃんはスマホを準備して、シャッターチャンスを狙っていた。案の定、柳ちゃんが呼んだから丸山ちゃんがそっちを向いた、その瞬間に写真を撮った。
「うわっ⁉ 柳!! また写真撮った!! 今日で18枚目だぞっ!!」
「いいじゃないですか、写真くらい」
「柳はボクの写真を撮りすぎたっ!!」
「…しかしお嬢様。今のお嬢様を見られるのは今後一切ありません。私はお嬢様の姿を、なるべく沢山撮りたいのです」
「そ、そうか…」
「ほら。早く食べな、カレーが冷めちまうよ」
「うん、いただきます!! …うん、美味しい!!」
丸山ちゃんの笑顔は誰よりもニコニコしていて、本当に可愛い。見ているこっちも幸せな気持ちになる。…ところで、柳ちゃんはまだ何も注文していないで、丸山ちゃんをただ見つめているだけだった。
「柳ちゃんは何か食べないのかい?」
「そうですね…では、カレーライス、辛口で」
「えっ⁉ 柳、辛口なのか…?」
「はい、辛口でございます」
「ボクの上をいくのか…」
柳ちゃんと丸山ちゃんの会話を聞きながら、テキパキとカレーライスを作って、柳ちゃんの所にそっと置いた。すると、柳ちゃんはスプーンでご飯にカレールーのかかった所をすくい取って、それを丸山ちゃんの方に向けた。
「お嬢様、一口お召し上がりになりますか?」
「へっ⁉ い、いや…いい…」
「おや、まだ辛口は早かったでしょうか」
私は笑いをこらえて見ていた。
「う、うるさいぞ柳っ!! ボ、ボクだって、中辛くらいなら…」
「ふむ、ならば、中辛のカレーもあるが、一口食べるか?」
「や、やっぱりあるのか…」
「当然。メニューに甘口、中辛、辛口があるんだから」
「…じゃあ、一口だけ…」
月城ちゃんはきっと食べるだろうと思っていたそうで、既に中辛のカレールーを一口分、お玉ですくっていた。丸山ちゃんが不安になりながら頼んでいる所を見ながら、月城ちゃんはそのカレールーを皿の端っこに少しずつ注いだ。
「ちょ、ちょっとだけだぞっ!!」
「分かっている。…これでいいか?」
(月城ちゃん、全然ちょっとじゃないけど…)
「おいっ!! 一口分どころか、お玉1杯分かけたな⁉」
「なんだ、丸山の一口はこれくらいじゃないのか」
「いくら何でも多すぎるぞっ!!」
「そうか…『センス』の塊だから、これ位何ともないかと思ったが…」
「えっ…そ、そうだ。これ位、何ともない…」
丸山ちゃんはスプーンでご飯と中辛のカレールーのかかった所を素早くすくって、そのまま口に入れた。
「お嬢様、どうですか、お味は?」
「…」
「お嬢様?」
「…柳ぃ…辛いよぅ…」
結局、一口目でスプーンが止まってしまった。私は月城ちゃんの方を向いテ、丸山ちゃんには聞こえないように月城ちゃんに話しかけた。
「丸山ちゃんには中辛は早かったね」
「そうか…丸山なら、『センス』で乗り越えられると思ったが…」
「ほら、一応小学生だし…」
私がそういった途端、月城ちゃんは素早く後ろを向いた。不思議に思って、近づくと、肩が少し震えていた。もしかしてと思って、月城ちゃんの顔を覗くと、笑いをこらえている表情だった。その表情が私にも伝染して、私も笑ってしまいそうになった。
「ほら、わざとやったのでしょ、月城ちゃん?」
「…いや、『センス』で乗り越えられると思ってだな…ふっ…」
丸山ちゃんの方を笑いをこらえながら見ると、柳ちゃんが中辛のカレールーがかかった所をスプーンですくって、食べていた。丸山ちゃんは取り除かれている所をじっと見ていた。
「では、また来ます」
「ご馳走様っ」
柳ちゃんと丸山ちゃんは一緒に店を出て行った。これで今日の営業は終了。私たちは店の片づけをして、片づけが終わると、私は2階のリビングに倒れこんだ。私たちが住んでいる所は1階が店で、2階と3階が家になっている店舗併用住宅に住んでいる。月城ちゃんはというと、夜ご飯を作ってくれている。夜ご飯は毎日当番制で作っていて、今日は月城ちゃんがご飯を作る当番だった。私はテレビを見ながら、携帯をいじって、友達と話をしていた。しばらくすると、月城ちゃんがご飯が出来たと合図をしてくれた。テーブルに向かうと、焼き魚に豚汁、白ご飯が用意してあった。月城ちゃんが当番の時はいつも、必ず1品は魚料理を作ってくれる。私はいただきますをして、焼き魚から食べ始めた。
ご飯を食べていると、月城ちゃんが何かを思い出したかのように、私に声をかけてきた。
「そういえば、冷蔵庫の牛乳がもうすぐで無くなるな」
「なら、あたいが買ってきてあげるよ」
「いいのか、寒いぞ?」
「いいんだよ、だって、月城ちゃんはお風呂あがったら必ず牛乳飲むもんね」
「…じゃあ、よろしく頼む」
私は急いで夜ご飯を食べ終わると、身支度を済ませて、買い物に出かけた。ここから一番近いコンビニは徒歩3分程度の所にある。私は月城ちゃんに頼まれた牛乳を最初に買って、ついでに自分のためにスイーツも買った。店から出ると、風が気持ちよかったから、遠回りして、家に帰ることにした。今日も白河ちゃんと柳ちゃん、丸山ちゃんと一緒に話せてよかったな…と遠くを見ながら歩いていた。
しばらく歩いていると、道の横に黒影が見えた。最初、私はまったく気にしなかったが、気になって、その黒影を確認しに行った。その黒影の前に立って、静かに、少しだけしゃがんだ。
私は、絶句した。今までの幸せな気持ちが全部どこかに消えた。
黒影は全く動かなくて、何か大きな荷物か何かと思った。しかし、その黒影は荷物なんかじゃなかった。
その黒影は、小さな少女だった。
服が汚れていて、傷だらけの少女だった。私はびっくりして、硬直した。どうすればいいのかすぐに判断できなかった。硬直が少し溶けても、私は震えながら月城ちゃんに電話した。
「どうした、牛乳が売り切れなら、買わなくて…」
「つ、月城、ちゃん…ど、どうしよう…」
「…? どうした、蔵。何かあったか…?」
「…お、女の子が…傷だらけで…」
「何? どういうことだ、説明しろ」
「か、帰っている途中に、道端に、お、女の子が…」
「こんな時間にか…⁉ おい、その子と話せるか?」
私ははっとして、その少女の方を向いた。その少女は動かなかった。恐る恐る、私はその少女の肩をトントンとたたいた。すると、その少女はゆっくりと顔を上げて、私の方を向いた。
「ねぇ…あんた、ここで何してるの…?」
「…」
「どこから来たの…?」
「…」
「聞こえ…る…?」
「…あ」
「あ、だ、大丈夫かい…?」
「…!!」
その少女は私から逃げようとした。私は、この少女を決して逃がしちゃだめだと思って、咄嗟に待ってと叫んだ。けれど、その少女はすぐに走るのをやめて、壁に寄っかかった。私は急いで、その少女の前に立った。
「あんた、どうしたの⁉ 逃げてるの⁉」
その少女は静かに頷いた。
「誰から…?」
その質問をしようとした瞬間、少女は壁に背中を擦りつけながら、静かにしゃがみこんだ。私は泣きそうになった。けれど、泣くよりも、まずこの子を助けることが優先だと思った。私は持っている携帯に今思っている気持ちを叫んだ。
「月城ちゃんっ!! あたい、この子家に持って帰るからっ!!」
「なっ⁉ どういうことだ、説明をしろっ…」
月城ちゃんに反論される前に私は携帯の電話を切った。そして、自分のマイバッグをその場に置いて、少女を抱っこした。
「…どこに…連れて行くん…ですか…?」
「家。あたいの。急いで帰るからねっ」
私は助ける事だけに集中して、それ以外の事は考えなかった。走って、走って、出来るだけ急いで走った。
家に着くと、玄関に月城ちゃんが立っていた。月城ちゃんは私に気が付くと、こっちに走ってきた。
「蔵っ!! いったい何が…」
「話はあとで話すから、柳ちゃんに電話してっ、医者だから」
「わ、分かった」
私は2階に上がって、リビングにあるベットにそっと、少女を寝かせた。少女は不思議そうな顔で私をじっと見ていた。
「大丈夫、すぐ柳ちゃん呼ぶからねっ」
「柳…さんって…?」
「医者だよ、私の友達の」
私は他に何かできないかと考えようとしたが、あまりのハプニングに頭が回らない。私はリビングを歩き回った。
「あの」
少女の声がして、私は咄嗟に振り返った。
「なんで…助けてくれたんですか…?」
私は、呆然とした。こんな簡単な質問があるのだろうかと。
「何でって…助けたかったからだよ。あんたを」
「でも、あたし、汚いし…」
「そんなことはどうでもいいの。 ただ、あたいがあんたを助けたかった。それだけさ」
「…」
少女は黙ってしまった。その時、私は聞きたいことを思い出した。
「あんた、名前は?」
少女は私の方を向いて、静かに言った。
「月歌。茅森、月歌です」