「婚約を破棄する」
パーティー会場に響き渡った声に、楽団の指揮者として参加していたハナガタは何事かと振り返った。
パーティー会場にいた平民の楽団員たちが、婚約破棄された令嬢を守るために立ち上がる。暴力ではない、彼らが持つ音楽の力を使って。

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平民が王子に立ち向かうひとつの方法

「エンシェル・アリシア、貴様との婚約を破棄する」

 

 指揮者ハナガタはパーティー会場に広がるざわめきにタクトを振る腕を止め、肩越しに振り返った。楽団のメンバーも、各々驚きの表情で演奏を止め、固まっている。

 振り返った先には会場の全員の衆目を浴びながら、よく知る二人の男女が向かい合って立っていた。一人は、キンケード第一王子。誰もが知るこの国の王位継承権に最も近い人物である。噂に違わず息をのむほどのイケメンで、遠くからでもその存在感が伝わってくる。

 もう一人はハナガタにとっては大恩人でもある、エンシェル・アリシア公爵令嬢。ハナガタを含め、この楽団員が住む街の領主の一人娘である。

 彼女の父のバルオ・アリシア公爵は聡明な領主貴族で、常に平民の立場で物事を考え政策に反映するため、多くの領民から慕われている。その娘のエンシェル令嬢も例に漏れず、温和で優しい性格をしていた。誰に対しても分け隔てなく笑顔で話しかけるため、全ての領民から彼女の名前エンシェルにちなんで「エンジェル様」と天使のように愛されている。

 創設時からこの楽団に運営資金を提供してくれるのも彼女であり、人々の希望や楽しみになるならと協力を惜しまなかった。おかげでハナガタ率いる市民楽団は王国催しのパーティーにも呼ばれるぐらい有名になれた。

 王子と婚約が発表された時は、街をあげて盛大に祝いが行われた。ハナガタも祝いの曲を指揮しながら、涙と鼻水で顔をグシャグシャにして「我が天使さまに乾杯!」と指揮棒を高く天に突き上げたものだ。 

 そんな我が街の天使エンシェルに対し、婚約者であるはずのキンケード王子は顔を顰め刺すような眼差しを向ける。キンケード王子に睨まれたエンシェルはいつもの笑顔はなく、俯きながら体を小さく震わせていた。

 

「おいハナガタ、これどういうことだよ。今婚約破棄って……」

 

 コントラバスの友人が、彼に戸惑った表情を向けた。

 

「わ、分からん。しかしエンシェル様にとって良くないことが起きかけているのは確かだ」

 

 ハナガタは張り詰めてゆく会場の重さに、額に汗が滲むのを感じた。周りを見ればパーティー会場の誰もが皆固唾を飲んで見守っている。

 キンケード王子はそんな聴衆の戸惑いをよそに、エンシェルを見つめると吐き捨てるように言った。

 

「よくも今まで本性を隠し通してきたものだ。貴様のような性悪な女は僕の婚約者として相応しくない!」

 

 王子の発言を聞こえるや否や、後列にすわる金管楽器隊がホルンやトランペットを振りかぶって立ち上がろうとした。

 

「や、やめろ! 落ち着け、こんなところで暴れてみろ、俺たち全員処刑ものだぞ!」

 

 この楽隊のリーダーとしてハナガタは猛る金管楽器隊を必死で宥める。ここにいる楽団の全員がスラムの出身であり、エンシェル様を心の底から慕っている連中ばかりである。

 キンケード王子の悪言に怒りを抱く気持ちは分かるが、だからと言ってこの国の王子に飛びかかるのは無謀でしかない。ハナガタが両手で落ち着くように金管楽器隊を元の場所に座らせた時、会場に甲高い声が響いた。

 

「キンケード様、エンシェル様って本当に悪女なんですぅ〜」

 

 しゃなりしゃなりと衆目の中から出てきたのは、艶やかな亜麻色の巻き髪を持つ一人の少女。彼女はキンケード王子の右腕に豊満な双丘を押し当てて甘えた声を出した。

 

「あ、私たちのエンシェル様を悪女呼ばわりだぁ? なんだあのちんちくりんは」

 

 前列にすわる弦楽器隊の女性陣が修羅の形相で飛び出そうとしたので、これも全力で抑える。

 

「だから、落ち着け!! こら、そこ! コントラバスを振り上げるな!」

 

 ハナガタが女性陣たちを全力で抑えている間、キンケード王子と亜麻色の少女は視線を交じり合いながら二人だけの世界に入っていた。亜麻色の少女が吐息を漏らすのに合わせて、キンケード王子は静かに顔をあげ会場全体を見渡した。

 

「みんなに聞いてほしい。僕から皆に重大な発表をしたい」

 

 そう言うと、キンケード王子は亜麻色の少女を抱き寄せ、二人して頷く。

 

「私はエンシェルに代わって、ここにいるキャンベル・カリオストロ男爵令嬢と正式に婚約を結ぼうと思う。どうか祝福してほしい」

 

 会場にどよめきが起こると同時に、木管楽器隊がクラリネットの先端を王子にむけて駆け出そうするのを、ハナガタは両手を広げてそれを制した。

 

「やめろ! 気持ちは分かる。だけど、みんな落ち着くんだ! ここで暴力を振るえば、またエンシェル様を悲しませる事になるんだぞ」

 

 皆、ハナガタの言葉にハッとした表情で動きを止めた。木管楽器隊も悔しそうにクラリネット握ってその場に佇んだ。

 そうエンシェル様は暴力を最も嫌う。エンシェル様がこの楽団を設立した目的も、治安対策に加えて元ゴロツキだったハナガタ達に暴力から離れ、音楽を奏でる楽しさを教えるためだ。

 彼女の父バルオ・アリシア公爵が善政を敷いているとはいえ、街が発展すれば貧富の差は必ず生じる。ハナガタも含め楽団のメンバーはスラム出身だ。団員達は音楽に出会う前は、生き延びるため、はたまた貧しさからくる不安や鬱積を晴らすように毎日暴力に明け暮れていた。ハナガタも黒いバットを片手に徒党組んでは犯罪まがいのことばかりしていた。

 そんな空虚な毎日から彼らを救ってくれたのがエンシェルだった。ある日、エンシェルは日々の配給と一緒に数本の楽器をもってきたのだ。

 

「弾けたら、きっと楽しいわよ」

 

 そう言って微笑むエンシェルにハナガタ達は当初は馬鹿にして反発した。楽器を粉々に叩き割ったこともあった。それでもエンシェルは諦めなかった。彼女は毎日にやってきて、説得し、ゴロツキだったハナガタ達に辛抱強く楽器を教えたのだ。練習を重ねるにつれ、音楽に生きる希望を見出したハナガタ達は、日々の荒んだ生き方から抜け出し、演奏する楽しさを知ることが出来た。

 

「今の俺たちがこうして堂々と楽器が演奏出来るのも、エンシェル様のおかげだろ! また闇の中に戻りたいのか? やっとお日様の下に出られたんじゃないか!」

 

 ハナガタの言葉に、楽器隊のメンバーは皆、顔を歪めて下を向いた。女性陣からはすすり泣く声も聞こえる。

 

「し、しかしハナガタ、お前はあんな発言許していいのかよ。お前が一番エンシェルさまに……」

 

 楽団の創設当初から知るドラムの友人の言葉に、ハナガタは鋭い視線を向けた。ドラムの友人はハナガタの鋭い視線に怯えたように顔を逸らす。

 許せないことだった。エンシェル様が素晴らしい女性であることは誰よりも知っている。ハナガタは右手に持っている黒いタクトをシャンデリアの光に照らした。このタクトはハナガタの誕生日に、エンシェルからプレゼントとされたものだ。

 

『ハナガタ、これは私からよ。これからはこの楽団を貴方が引っ張るの。今まで学んだ音楽の楽しさと素晴らしさを、今度は貴方が多くの人達に教えてあげてね。約束よ』

 

 あの日以来、胸の高鳴りともに、黒いタクトはハナガタにとって宝物になった。自分が道を逸れそうになった時はいつもこのタクトを握って、エンシェルの言葉を思い出した。

 ハナガタはタクトをもう一度握ると、不安そうにこちらも見つめる楽団員をしっかりと見渡した。そしてゆっくりと息を吸うと、ハナガタは言った。

 

「俺たちが出来ることは、楽器を奏でることだよ」

 

 皆が目を見開く。ハナガタは噛みしめるように言葉を紡ぐ。

 

「俺たちの楽団にしか出来ない戦い方があるってことだよ」

 

 皆がお互いに顔を見合わせて、不思議そうな顔をしたが、ハナガタが静かに頷くと、誰ともなくそれぞれが楽器を演奏する準備をしはじめた。先ほどの怒りが剥き出したままの表情ではない、どの表情も音楽家の顔に戻ってゆく。

 

「面白れぇじゃないか」

 

 声に驚いて、ハナガタが横を見ると、純白のドレスを身にまとった令嬢がテーブルに突っ伏しながらこちらを見ている。女性は酔っているが、その容姿は女神のように美しく、艶やかに輝く金髪を後ろに束ね、キンケード王子とは違った意味で圧倒的なオーラを纏っていた。

 

「おい、指揮者さんよ、見せてもらいたいもんだな。剣も拳も使わない戦いってやつを」

 

 金髪の令嬢は、切れ長の目で面白そうにハナガタを見ると、グラスで乾杯の仕草を作った。

 

「ああ、見せてあげますよ」

 

 ハナガタはそういうと、楽団に向き直り、タクトを大きくあげた。

 

 

 会場の中心ではキンケード王子のエンシェルへの断罪が、公衆の面前で行われようとしていた。

 

「さて、元婚約者のエンシェルよ。キャンベルに対し行なった非道の数々をここにいる紳士淑女諸君にも知ってもらおうと思う。これはキャンベルたっての願いだ」

 

 エンシェルは未だ俯いたまま、何も言えないでいる。彼女の左手は震えながら悔しそうに胸元をつかんでいた。元より彼女は強い性格ではない。彼女は潰れるような深い悲しみを必死で耐えているのが、楽団員たちには見てとれた。

 怒りを瞳の奥に内包したままハナガタはタクトを振り高く上げる。それを合図に、皆がそれぞれの楽器を持ち上げ演奏の準備に入った。

 

「貴様が、キャンベルに行った悪行の一つに……」

 

 声を張り上げたと同時に、ハナガタは思いっきりタクトを振り下ろした。それを合図にして会場に一斉に流れる軽快で陽気な大音量。コミカルでどこか馬鹿馬鹿しいアップテンポの曲が会場全体を包むこんだ。

 

「キャンベルが出かけている隙を見て、貴様は制服を切り裂き……」

 

 キンケード王子の言葉の抑揚に合わせて、曲をさらにコミカルに刻んでゆく。

 

「放課後に階段を背中から思いっきり突き落として……」

 

 トランペット隊が一斉に唇を高く吹きつけ、馬のいななきのような音を作り出す。ポップな音をここぞと挟み込み、さらにコメディ調に仕上げていく。

 キンケード王子が幕を開けた断罪劇が、ハナガタの指揮によって喜劇色に書きかえられてゆく。キンケード王子の必死の訴えにもかかわらず、何人かの観客は声を押し殺して笑いだした。王子の身振り手振りに合わせて流れる軽快な曲調に、誰もがクスクスと笑う。やがて笑いのさざ波は会場全体を包み込んで、我慢の限界とばかり誰もが声を出して笑いはじめた。普段物静かな淑女達も、扇子で口を隠すことも忘れ、涙を溜めながら笑っている。

 王子は羞恥と怒りで顔を真っ赤にして、とうとう何も言えなくなってしまった。そんなキンケード王子を庇うように、今度はキャンベルが前に出ると、エンシェルを指差して甲高い声で叫んだ。

 

「みんな、聞いてください〜。エンシェル様は嫉妬に駆られて、私を脅迫したこともあるんですよ!」

 

 ハナガタはキャンベルの登場するタイミングでゆっくりとタクトを揺らし、陽気な音楽から今度は不気味でダーク調な音色を変えてゆく。まるで悪の帝王がこの場に現れたように。ダンダダダダン、ダンダダダンと彼女が動くたびに、彼女のキャラとは全く正反対の曲調を奏でてゆく。

 

「私を中庭に呼び出して〜エンシェル様は〜公爵家の力を使って私を学園から追放するとまで……」

 

 今度はキャンベルの間延びする言葉に合わせて、「猫踏んじゃった♩」の変奏曲を演奏する。彼女が語尾を伸ばすたびに、楽器に最も熟達している団員がヴァイオリンで猫の声をなんども作り出す。

 

「いつの日だったか〜 頬をエンシェル様に殴られたにゃ〜。痛かったにゃ〜、あれ?」

 

 ついにはキャンベルも曲につられてか、猫の鳴き声を言いはじめた。

 ダークな曲の演出から、「猫踏んじゃった」の急転換に、観客は腹を抱えて笑った。キャンベルが喋るたびにポワポワ動く巻いた亜麻色の髪も曲調とぴったりと合い、それを見た紳士の中には床に伏せながら笑っている者もいる。

 ハナガタの指揮のもと楽団員達はいま起こっている情景を、全く違った形で面白おかしく塗り替えてゆく。先ほどの張り詰めた空気感から一転、会場全体に大きな笑いが生まれはじめた。

 汗をふきだしながら、タクトを振るハナガタの姿を、金髪の令嬢はワインを煽りながら、面白そうに見つめる。

 

「いやー、こんな戦い方もあるとはな。気に入ったぞ、お前」

 

 二人して恥辱で真っ赤な顔をして、体を小刻みに震わせながら俯いてしまう。

 ドラム隊がゆっくりとドラムロールを鳴らすのに合わせて、ハナガタ達は次の曲の準備に移る。この楽団の誰もが期待している、エンシェル様の反撃を。どうかエンシェル様、いってくれ、あなたの思いのたけを。俺たちはいつでもあなたのそばにいる。

 その願いを胸に楽団は、彼らのメインの曲を奏ではじめた。この曲はハナガタがエンシェルと一緒に初めて作った曲であり、エンシェルが最も好きな曲でもある。

 会場に全体に美しい曲の音色が流れて行く。小鳥のさえずりのような弦楽器隊の音色と共に、木管楽器隊が音の輪郭をつくり、金管楽器隊が優しくどこか感傷的で美しい旋律を奏でてゆく。

 この曲が流れ始めると、エンシェルは驚いたように顔を上げ、楽団をじっと見つめた。そして静かに微笑むとゆっくり目を閉じ、曲に聴き入った。目をつぶる彼女の目から一筋の光がつたった。

 

「さっきから何なんだ! この曲は何だ! 全員捕まえろ!」

 

 激高する王子の命令とともに、剣を持った衛兵たちが駆け寄ってハナガタたち楽団を取り囲んだ。ひときわ立派なヒゲをした衛兵隊長が前に出て、居丈高に叫んだ。

 

「貴様ら! 今すぐ演奏を止めろ! 王子の命令であるぞ」

 

 しかし、ハナガタの指揮のもと楽器隊は演奏を止めない。今が最も大事なときなのだ。意を決したエンシェル様が王子のもとへゆっくり歩を進めると同時に、曲調を高めていく。

 

「貴様ら!! 反抗するつもりか」

 

 衛兵隊長は怒りではげた頭に血管を浮き立たせると、腰の鞘から剣を抜いた。

 

「この平民が、すぐに曲を止めろ!」

 

 ハナガタに向けて剣を振り下ろした瞬間、鈍い音が響いた。驚く衛兵隊長が振り下ろした剣を見ると、小さな火花と共にガチガチ揺れながら防がれている。

 

「邪魔をしないでくれるかな。せっかくいい曲のところでさ」

 

 金髪を揺らしながら、口角を上げる令嬢を見てさらに隊長は目を丸くする。

 

「あ、あなたは……シルビア嬢」

 

 シルビア公爵令嬢、この国の由緒正しき名門公爵家の令嬢でありながら冒険者をする変わりもの。しかもこの国唯一のSランクの称号までもつ。ついた二つ名は『黄金の獅子姫』

 

「し、シルビア嬢。王子に逆らうおつもりですか」

「は、あんなヤツ知らねえよ。それよりも今一番いいところなんだからさ」

 

 シルビアはワインボトルを横薙ぎに振った。

 

「こいつらの戦いを邪魔すれば、今度はアタシが斬る」

 

 鋭い眼光を向けるシルビアの気迫に、衛兵達は怯んで後ずさった。

 

「何をしている、早く捕らえんか!」

「そうよ!」

 

 キンケード王子とキャンベルは全く鳴り止まない音楽に焦りと、苛立ちを覚えていた。最初この会場の空気を支配していたのは、自分たちだった。エンシェルを退けて、キャンベルとの盛大な婚約発表の場になるはずだったのに、あの楽団によって優越感も高揚感も全て吹き飛んでしまった。

 舌打ちするキンケード王子が気配を感じ、振り向くと、目の前にエンシェルの顔があった。

 

「なっ、なんだ」

「キンケード様、王家と公爵家の間で取り決められた婚姻を、あなたの勝手な判断で一方的に取り消しにされたこと、またありもしない罪を着せて、公衆の面前で公爵令嬢である私を辱めたこと。このたびのことは父上と陛下にしっかりと報告させていただきます」

 

 キンケード王子を見据えるエンシェルの表情には、先ほどあった怯えの色が一切ない。

 

「な、何だと!」

「心外ですわ〜、エンシェル様が散々私をバカにし罵ったこと、階段から突き落としたことも含め、全て本当のことですわ」

 

 キンケード王子はエンシェルの胆力に若干腰が引けていたが、キャンベルの援護射撃でなんとか持ち直す。

 

「そ、そうだ! 正義は我らにある。今お前がここで罪を認め謝罪をすれば、元婚約者のよしみで減刑を考えてやらんでもない」

「そうよ、ここで土下座したら私も許してあげるわ」

「エンシェル! キャンベルの優しさに感謝するんだな」

 

 ハナガタは聞こえてくる王子とキャンベルの戯れ言に怒りを覚えながら、楽団を見渡す。皆気持ちは同じのようだ。

 ハナガタがタクトを振り上げると、この国で最も有名な曲『英雄の進軍』が会場に流れだした。

 『英雄の進軍』この国の誰もが知る英雄メッセンジャー将軍が、たった百人程の部隊で、数万の敵を打ち破った史実を曲にしたものだ。しかもこの部隊は全て弱い立場である貧しい民や下級貴族から召集されたものであったと聞く。

 ハナガタ楽団員の指揮のもと楽団は力強く、壮大に曲を演奏してゆく。

 

 ー立ち上がれ王国の民よー

 

「待ってください! 発言をお許しください」

 

 聴衆の中から一人の紳士がエンシェルの横に立った。

 

「私は、ランディ子爵の次男ヘイグと言います。エンシェル嬢がキャンベル嬢を学園の回廊の階段で突き落としたとおっしゃった日、彼女が王国図書館で勉強をしていたのを私は見ております」

 

 そういって、ヘイグはエンシェルにウィンクをする。

 

「私も発言をお許しください、殿下」

 

 今度は燃えるような赤髪を持った、美しい女性がエンシェルの横にたつ。

 

「私はアルトリア男爵の長女、キャロルと言います。恐れながら申し上げます。キャンベル様が破かれたとおっしゃった制服ですが、校庭の裏でキャンベル様がご自身で破かれていたのを、私は目撃しております」

 

 キャロルはそう言うと、エンシェルの手をとって頭を下げた。

 

「申し訳ありません、今まで黙っていて。私が言ったことで、王族に睨まれることが恐ろしかったのです」

「……キャロル様、ありがとう」

 

 エンシェルは目を潤ませてキャロル令嬢を優しく抱きよせた。

 

「私も発言をお許しください、殿下」

「私も発言を許してくださいませんか」

「私も」

 

 次々、エンシェルの横に立つ紳士淑女たち。その数はどんどん増えていった。ハナガタはその光景をみながら、目を真っ赤にしながらタクトを振った。他の楽団員たちも同じである。皆が目を潤ませながら、『英雄の進軍』を演奏する。

 

「お、お前たち。誰に逆らおうとしているのか分かっているのか!」

「そ、そうよ! 下がりなさい!」

 

 キンケード王子とキャンベルの叫びに誰一人怯む様子がない。皆エンシェルを守るように、キンケード王子の前に立ちはだかった。引くどころか、誰もその場から動こうとしない。

 

 

「おい、お前の出番じゃないのか。起きろ」

 

 衛兵をすべて倒したシルビアが、ワイン瓶を抱きかかえて床に寝ている男性を足で小突く。

 

「もうちょっと寝てたいけどなぁ」

 

 男は起き上がると、大きく背伸びをした。

 

「ほら、寝ている場合じゃないぞ。見てみろよあれ、お前が最後にケリをつけてこい」

 

 シルビアの言葉に、男は面倒臭そうに頭を掻くと、会場の中央へと歩き出した。

 

「お前たち覚悟は出来ているんだろうな!」

 

 キンケード王子がそう叫んだ時、透き通った声が響いた。

 

「覚悟決めるのはあんただよ」

 

 振り向いたキンケード王子は驚愕する。

 

「お、お前……ルーカス」

「こんなことをしてタダで済むと思っているのか。やはりあんたは王の器じゃないよ、兄貴」

 

 ルーカス第二王子。キンケード王子の弟に当たる。キンケード以上の高貴なオーラを身に纏い、深い翡翠色の瞳が兄であるキンケードを見据える。

 

「高位貴族であるエンシェル嬢との婚約を、父上がどれだけ苦労して取り付けたか分かってるの? 王命だったんだよこれ。あんたはそれを全部ダメにしたんだよ」

「い、いや、俺は……」

「しかも法すら無視してこんな大勢の前で勝手に断罪しちゃってさ。父上も絶対に許さないよ。どうするのさ」

 

 ルーカス王子に追い詰められ崩れ落ちるキンケード王子の様子を見ながら、ハナガタはクライマックスに向けてタクトをさらに高く振ってゆく。

 キンケード王子の元からゆっくりと離れ逃げようとするキャンベルを、他の淑女たちが行く手を阻む。最初はもがきながら暴れていたキャンベルに、ルーカス王子が何か耳打ちすると、顔色が青白くかわり首を垂れておとなしくなった。

 キンケード王子とキャンベルは会場の隅に連れて行かれ、その場で正座させられた。抜け殻のようになった二人のそばでルーカス第二王子直属の衛兵が睨みをきかす。後日彼らにはしかるべき場所で裁きが下されるだろう。

 

 

 二人が退場したことでゆっくりとパーティの賑わいが戻ってきた。皆が先ほどの時間を取り戻すように、音楽に合わせてダンスを踊り始めた。

 中央に立つエンシェルにルーカス王子が近づき右手を差し伸べた。エンシェルが差し伸べた手を握りかえすのを見届けて、ハナガタは今日で一番の最高の曲を奏でてゆく。

 手を取り合った二人のダンスを会場全体が優しく見守った。二人の呼吸はぴったりで、軽やかにそして優雅に舞ってゆく。シャンデリアの明かりを浴びながら、二人はとても楽しそうに、そして幸せそうに見えた。

 踊っているエンシェルとハナガタの目があった。エンシェルはハナガタを見て嬉しそうに微笑んだ。あの天使の微笑みだった。

 二人のダンスが終わると同時に、ハナガタはタクトをゆっくりと置いた。そして、天井にむけて静かに息をつく。

 演奏を終えた楽団員の表情は明るい。額に光る汗を浮かべ、誰もがやりきった満足感に包まれていた。会場のどこからともなく拍手が聞こえた。やがてそれは喝采になり、しばらく拍手は鳴り止まなかった。

 

 

「おーい、帰るぞ」

 

 会場の外でコントラバスの友人が呼んでいる。ハナガタは誰もいなくなったパーティー会場をもう一度見渡す。

 

(エンシェル様、あなたが言われた音楽の楽しさと素晴らしさを今日も伝えられたでしょうか?)

 

 ハナガタはいつものように心の中で自問すると、会場に一礼してタクトが入ったケースを肩にかけた。会場の外に出ようとした時、後ろの方で追いかけてくる声が聞こえた。艶やかな金色の髪をたなびかせた『黄金の獅子姫』シルビアだった。

 

「今から、打ち上げに行くんだろ。アタシも連れていけよ」

「え、来られるんですか」

「悪いか?」

 

 シルビアはいたずらっぽい表情を浮かべながら豊満な胸を押し付け、ハナガタの腕をとった。

 

「よし! 行くぞ! ハナガタ」

 

 シルビアに強引に引っ張られてゆくハナガタを楽団員たちはニヤニヤして見ている。団員の一人がトランペットを取り出した。清らかな風とともにファンファーレが流れた。




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