頭文字D プリティーステージ   作:サラダ味

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第七十二話 それでも

『ほら、やっぱり私走れなくなっちゃったんですよ。』

 

頭の中で、鮮明に聞こえてくる。あたかも実際にトレノちゃんがそう言っているように。…違う、これは幻覚だ!トレノちゃんはそんなこと言わない!

 

「………ッ、……ハァ……あぐッ、!」

 

過呼吸を抑えようとしても、どんどんと悪化していく。負けるな、負けるな!まだだ、まだ終わってない!

 

胸の辺りを一発強く叩く。折れているからか、強烈な痛みが襲う。でもそれでいい。そのお陰で、過呼吸は収まった。迷っている暇は…ない!

 

「せ、先生、待ってください!つま先だけだったら動くんですよね?それだったら今後のリハビリ次第で走れるようになりますよね?」

 

先生を呼び止めて恐る恐る聞いてみる。苦い顔をして答える。

 

「断定はできません。神経が無事ならリハビリ次第で走ることも出来るはずです。ですが、仮に一部がやられているとなれば、厳しいでしょう。」

 

「ですが、入院した時の検査じゃ問題無かったんですよね?」

 

「はい。ですが、前回は内科での検診だったので、今回は神経科での検診になります。本当なら入院された時にやるべき検診でしたが、対応が遅れ、申し訳ございません。」

 

それだけ言って準備の為か病室を後にする。そこには静寂だけが残った。池谷さんに手伝ってもらいながらトレノちゃんのそばに行く。

 

うな垂れた顔を覗くと、不安に包まれているのが分かった。それもそうだよね。この先、もう走れないかもしれないんだから。

 

正直私も、不安しかない。これから先、トレノちゃんが走る姿を見ることが出来ないのかもしれない。ひょっとしたら、夢で見たことが現実になってしまうのかもしれない。

 

「……トレノちゃん、不安だよね。」

 

「…はい。これから先、永遠に走れなくなるんじゃないかって。…私、走れますよね?」

 

その質問に、すぐに答えることは出来なかった。何を言おうとしても喉でつっかえて声にならない。それでも声を絞り出す。

 

「大丈夫、絶対に走れるようになるよ。頑張って頑張ってリハビリしていけば必ず。何か月、何年って掛かるかもしれないけど、それでも、走れるようになるって信じてる。」

 

私はもう諦めない。諦めたくない。どんな結果であっても逃げないで受け止めて見せる。たとえ走れない現実だとしても、トレノちゃんに嫌われても。

 

 

 

 

 

「渋川さん、トレノさんの検査が終わりました。」

 

「そ、それで、どうだったんですか?」

 

その翌日、先生が私の病室に検査結果を伝えに来た。どうか、いい結果でありますように!

 

「まず結果から申しますと、異常は見られませんでした。」

 

「よっ良かったぁ~。」

 

「ですが、それがかえって私たちを混乱させています。下半身不随の可能性もなくなってしまったので原因が分からなくなってしまいました。」

 

「原因不明って事ですか?」

 

「はい、トレノさんには長期的な昏睡状態になることを予測して筋力維持の電気治療を施していました。ですが4日という短期間で起きたことを考えると筋力的な問題でもないと考えています。 もしかすると、精神的な問題なのかもしれません。」

 

そうなると、リハビリしていくしか打つ手はない。とは言え、異常が無いというのはいい結果だと思える。どんなに長くなっても、私はトレノちゃんを支え続ける。

 

 

 

「…という訳なんだ。」

 

「そうですか、希望はない訳ではないんですね…。」

 

「今は、どんな感じ?」

 

「あまり変わりませんね…。全然動かないです。」

 

俯いたトレノちゃんに何も言えなくなる。トレノちゃんの不安が私にも伝播してくる。どれだけ怖い思いをしているのかも分かる気がする。

 

「私…このまま走れなくなると思うと怖いんです。今まで自由に動いてたのに、急に動かなくなるのが、こんなに怖いなんて思いませんでした。」

 

毛布を握る手には力が入っている。そこに涙がポツリポツリと落ちる。その肩は震えていた。

 

「これからリハビリしても、前みたいに走れる確証はない。このまま走れないなら…もう」

 

「言わないで!」

 

言い終わる前に言葉を遮る。言わせてしまったら後に戻れなくなってしまう。トレノちゃんの事を思うなら、…引退も考えないといけない。

 

でも、これは私のエゴだ。世間が私の事を何と言おうが関係ない。1人の人間として、走り屋として、走る姿を見たい。

 

「今、トレノちゃんには走りたい理由とかある?」

 

「分かりません…そもそも、何で走るのか自問自答してるくらいです。」

 

「…それなら、ゴメン。これから見舞いに来れる回数減るかもしれない。」

 

「どういう…ことですか?」

 

言い方は悪いけど、走る理由を失ってる子に何を言ってもどうにもならない。そもそも私は説明が下手だから、走りで示すしかない。

 

「6月下旬、MFG第2戦芦ノ湖GT。私は何も言わない、感じて。私が走り屋やってる理由、教えてあげる。」

 

それだけ言って、トレノちゃんの病室を後にする。肋骨の痛みはまだ残ってるけど、そんなのは関係ない。4日のブランクを無くす、それにインプ自体を仕上げることを考えれば、時間はない。今すぐ学園に戻ってやるべきことをやる。

 

 

 

渋川さんの背中を何も言わずに見送る。脚が動かない今、走る理由なんかもう無い。ナナや地元の皆、応援してくれてたファンの皆さんには申し訳ないけど、引退なのかもしれない。

 

でも、渋川さんが言ったことも気になる。走り屋っていうのもそうだけど走る理由…。いったい私に何を見せるというのだろう。

 

判断するのは、それからでも遅くないかな…。

 

 

 

 

 

病室で置いてあったスーツに着替えてトレーナー寮にインプを飛ばす。戻ってる時に無断で抜け出すのはまずいかなとも思ったけど、時間が惜しい。

 

インプを止めてそのままトレーナー室に行って休暇届を作ろうとパソコンを立ち上げると同時に扉が乱暴に開けられた。

 

「お前、病院抜け出したのか!?骨折もそうだけど…トレノの事はどうしたんだ!?」

 

沖野さんが息を切らしながら部屋に入ってくる。何も言ってないから驚くのも無理もないか。

 

「トレノちゃん、脚が動かなくって不安になっています。そのせいで走る理由すら見失っています。だから、私が示します。」

 

「示すって、何をだ?」

 

「私が走る理由を…トレーナーとしてではなく、走り屋として。」

 

「走り屋としてって…今そんな単語聞かねえぞ…。それで、どうするんだ。助手席に乗せて公道を走るのか?」

 

「それでもいいですけど、脚が動かないとなるとコーナーの横Gに対応する力もないことになるのでそんなこと出来ません。ですけどちょうど、走れる機会があるんです。」

 

「はぁ?走れる機会って…公道だぞ?そんなのラリーって奴ぐらいしか知らないぞ?」

 

やっぱり知らないか…今回大会が3回目だけど、それなりには知名度があると思ってたけど分野が違うと流石にか。

 

「MFGってカーレース知ってますか?舞台は公道、6月下旬に第2戦が始まるんです。その予選に出ます。」

 

「MFG…なんかニュースで聞いたことがあるな。出るのはいいけどよ、今お前への世間の風当たりは強いんだ。もっと他の方法ってのは無かったのか?」

 

「少しは考えたんですけどね…でも、これ以外方法が見つかりませんでした。私の取柄ですから。」

 

そう言い終えてると同時にコピー機が唸りだす。そこから休暇届が吐き出される。椅子から立ち上がってそれを手に取る。

 

「すいません、色々やることがあって忙しいので失礼します。」

 

「あ、おい!」

 

 

 

渋川の勢いに負けてそのまま行かせてしまったが、やっぱり止めるべきだったか?

 

6月下旬だったら騒ぎは下火になってるかも知れないが、それでもテレビに映るとなるとリスクが高すぎる。

 

「MFG…ちょいと調べてみるか。」

 

スマホを出して検索してみる。この時俺は、国内規模の大会だろうと踏んでいた。

 

「おいおい、全世界に配信されてるのか?有料配信で…契約者は3000万以上かよ…。それに決勝で最大賞金…1億!?」

 

とんでもない規模のレースじゃねえか…。アイツ大丈夫なのか?

 




最近、ここには暗い事しか書いてませんね。でも、この流れでおちゃらけた話なんかできませんから。

次回から本格的にMFGに向けて話が進んでいきますかね。お願いしますね、榛名さん。

トレノさんの運命は貴方が握っていると言っても過言じゃありません。

僕も、1人の走り屋として応援します。
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