「榛名がいなくなって1週間、どこへ行ったのかしらね。」
ふと独り言が出てくる。何の連絡もなく1週間も居なくなれば心配にもなる。でも仕事を疎かにしてもいけない。ロータリーの菊花賞のメニューを組んでいるとノックが聞こえる。
「入っ」
「やあおハナさん。行方不明の奴、帰って来てたぜ。」
「せめて最後まで聞いてから入ってちょうだい…。それで、榛名が帰ってきたのね。」
「ああ、さっきまでアスファルトで寝てた。この1週間、寝ないでサーキットとか攻めてたと…。」
「MFGに向けてって所かしらね。トレノの事ことを思っての事なのは分かるけれど大丈夫かしらね。」
榛名だって肋骨を骨折して精神まで病んでいた病み上がりだ。そんな状態から寝不足になるくらい気を張り詰めたらまたおかしくなってしまうかも知れない。
どこか知らない場所で倒れてないといいけれど。
「さて、やるか。」
1時間半、とにかく走り込む。コースアウトは論外。タイヤを温存する走り方でどれだけのタイムが出るのか。
コース全体をある程度覚える。ペースを上げて決めに行くセクションのレコードラインをなぞれるようにする。MFGまであと2週間、時間が無い。さっさと始めよう。
「なぁ、あの女の人凄くねえか?」
「かなりのハイペースだぞ…。下手したら神フィフティーン並みかも知れないぞ?」
「開幕戦で惜しかった北原望のいいライバルになるかもしれないな。」
「なるほど…。大体わかったかな。」
1時間半走って大体のコースレイアウトは覚えた。それでも細部までは覚えきれてないから寮に帰ってもデモ走行を見て覚えないと。
明日は予定はないし箱根に籠って細かいところまで煮詰めよう。
「何だこりゃ、機械にでも運転させたのか?」
シミュレーターで練習しようとしてここに来たのはいいが、前回ドライバーの記録があまりにも不自然で、気持ち悪い位に揃っている。
「神フィフティーンの中にこんなことが出来るやつなんて言ったら沢渡か?」
「おい瞬!何ボケッとしてんだ?さっさと始めるぞ。」
「あぁ、キッチリ仕上げるさ。」
遂に明日か…。準備していた時はそれなりに時間あるかもとは思ったけどやっぱり短かった。ともあれ明日に備えて神奈川に行こう。
…大丈夫、出来る事は全部やってきた。インプだってこれまでにない位の完成度になった。
「行ってきます。」
トレセンに向かって挨拶してエンジンを掛ける。いよいよ明日なんだ。緊張するな、平常心だ。
そう思って落ち着けようとしてもそれに逆らうように心臓はうるさくなる。落ち着け…落ち着け!
「あれ…沖野さんに東条さん?他にも沢山いる?」
よく見たらスピカにリギルが集合していた。出発しようとしてたけど車を降りてそちらに向かう。
「間に合ったか。トレセンから応援してるぜ。」
「まさかあなたに言うとはね、無事に帰ってきなさい。」
「はい、ありがとうございます。…行ってきます!」
車に乗り込んで出発する。トレセンが見えなくなった辺りで電話が掛かる。
「もしもし、渋川です。」
『よう、遂に明日だな。俺たちも群馬から応援してるからな。トレノちゃんの事もあるからな。無事に完走してくれ。それと…楽しんでくれよな。』
「はい、全力を尽くします。」
応援してくれる人がいるんだ。それに一番見て欲しい人もいる。つまらない走りは出来ないな。
「トレノちゃん、久しぶり。明日ようやく走るから。お願い見ててね。」
「頑張ってください。応援してますから。絶対無事で戻ってきてください。戻ってこなかったら、私はそのまま引退するつもりですから。」
「アハハ、責任重大だね…。大丈夫、絶対に帰ってくるから。トレノちゃんも、私が無事に戻ってきたら意地でも復帰してもらうから。」
「それは…約束できませんね。とにかく、頑張ってください。」
「うん、頑張ってくるよ。」
『全世界のMFGファンの皆さん、こんにちは。本日の実況中継も私、田中洋二がお送りします。第2戦、予選3日目となりまして暫定順位はジャクソン・テイラーが首位に付けています。
相葉瞬も今日出走ですが、興味深い人が一人います。渋川榛名、ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、トレノスプリンターのトレーナーです。出走者の名簿が公開されてからネットでは少し話題になりました。悪い方にですが…。
日本ダービーの悲劇と呼ばれる事件から1カ月、どのような経緯で今日走るのか、走り終えたらインタビューしてみようと思います。』
携帯をテレビに繋いで大画面でスピカとリギルで集まってMFGを見ているが、今から心配になる。
「本当に大丈夫なのかしらね。いくら榛名が車好きだったとして、どれだけテクニックがあるのか疑問ね。」
「この3週間、倒れるくらいまで練習してたんだ。榛名を信じるしかない。」
だが渋川が車を走らせるテクニックがあったとしても調べた限りじゃMFGは世界レベルだ。神フィフティーンって呼ばれる存在はおろか、30位以内に入れるかどうかすら分からない。だが重要なのはそこじゃない。
「重要なのはこのレースでトレノが走る理由を見つけられるかどうかだ。勝ち負けはこの際関係ないのかもな。」
「…そうね。黙って見ていましょうか。」
…ヤバい、緊張してきた。今まで走る前に緊張したことは一回もない。私の出走は10分後。その間に簡単に車をチェックしておく。昨日念入りになったけどどうにも落ち着かない。
何かしてないとどうにかなってしまいそうだ。
『3,2,1…相葉瞬、出ました!』
「100号車、車検テーブルに進んでください!」
「あ、はい!」
いつの間にか出走時間が近づいていた。お願いインプ、私に力を貸して。
『さあ皆さん、注目かとも思います、トゥインクルシリーズからの刺客、渋川榛名選手。10秒前!』
落ち着け…落ち着け…私なら…やれる!
『3、2、1…スタート!』
ギャアアァアァァァァ パパパン!
『アクセル全開で駆けていきます!車はインプレッサWRX STI。後期型のGDBFです。参戦車の中ではどうしても見劣りしてしまう車ですが、どう攻めていくんでしょうか。』
第1セクションは高速コーナーが多いハイアベレージ区間。グリップで流してどれだけタイヤを残せるかがカギ。
ガオ ガオォォォ
くっそ、思ったラインを外した。それもただの突っ込みすぎという初歩的なミスで。ヤバい。自分でも分かるくらいに乗れてない…。なんてざまだ。
『100号車、予想以上の突っ込みを見せます!ミスファイヤリングシステムが吠えています!快調に滑り出しています!』
「榛名ちゃん、ノれてないわね。」
「マルゼンスキー?そうなのか?俺たちの目にも、実況も快調に飛ばしてるって言ってるわよ?」
「いえ、ノれてないわ。多分ルドルフもなんとなく気付いてるんじゃないかしら?」
「ああ…専門ではないから細かいところまでは分からないが、気持ちの問題かもしれないな。」
成程、レースに生きるものとして、分かることがあるのかもしれない。
「マルゼンスキー、榛名の速さがどれくらいのものかは知ってるの?」
「知ってるわよ。私、群馬の赤城山が好きでよく走ってるのだけど…。」
少しためて、真剣な顔になって話す。
「私とタっちゃんが全力で走ってようやく相手になるって所かしら。他じゃ絶対に勝てないわ。それに、群馬じゃ最速だったらしいわよ。」
タっちゃん…確かランボルギーニだったわね。そうなると、榛名はランボルギーニに勝てるって事?それに他じゃ相手にならないって…。ダメ押しに群馬最速?
「本人も自覚してるんじゃないかしら。ノれてないこと。」
「いつもの走りじゃない…楽しそうに走る榛名ちゃんの走りじゃない。」
「でもタイムは出てるんですよ?気のせいじゃないですか?」
「榛名ちゃんはタイムを正確に揃えてしまう能力がある。いくらノれてなくてもこれ位造作もないことかもしれないな。」
『いい感じだ瞬!油温、水温異常なし、そのまま攻めろ!』
マージンは取ってあるとはいえ、かなり攻めてるからな。今年こそ大和魂見せてやるぜ!だが少し気がかりなことがある。シミュレーターの異様に揃ったタイムだ。絶対に出走しているはずだ。
今の所その気配はない。ブースにもそれらしい車がいたら報告してくれとは言ってあるがそれらしい報告はない。
『相葉瞬、まもなくセクター1を通過します。トップに迫るタイムをマークして暫定3位につけています!ですがとんでもないことが起きています。1分前に出走した100号車が相葉瞬に匹敵する速さを見せつけています!
素晴らしいルーキーが現れました!100号車、渋川榛名!』
ヤバい、マジでノれてない。かろうじてタイムを揃える走りは出来ているけど勝てる走りとは到底言えない。
ここまでふざけた走りなんて今まで一度もしたことが無い。こんなタイミングでスランプ?いや、気負い過ぎなのかもしれない。
分かっていて治そうとすればするほど動きが固くなる。このまま何もできずに終わるのか?
勝てないのか…?
「渋川さん…。」
大丈夫かなぁ榛名さん。かなり緊張してたみたいですし、引きずってそのままコースアウトみたいなことにならなければいいのですが…。
あ、どうも。MFGのアーケードゲームが出たら多分通い詰める男です。
ついにMFGタグを回収できました。ようやくタグ詐欺だとか言われずに済みそうです。
…頭文字D?池谷さんとか出てるじゃないですかヤダ~。
また次回!