階下から、賑やかな喧騒が聞こえて来る──戻った冒険者達は、約束通りアルガドさんから酒を振る舞われているのだろう。
グランさんに担がれ、部屋に戻ったらしいが、気を失う様に眠っていたらしく、全く覚えていない。
“
ふう、と一息吐き、ベッドに腰掛ける。
ベッド近くのサイドテーブルに置いてある水差しを取る。
コップに注ぎ、ゆっくりと飲み干す──染み渡るな……コンコン、とノック音。レイナさんかな?
「どうぞー」声をかける──顔を覗かせたのは、グランさんだった。
「……体調はどうだ? 夕方には宴会だそうだが……出られそうか?」
部屋に入って来たグランさんが、向かいあう様に、ベッドに腰掛ける。
「いえ、宴会には出ません……ゆっくり休むつもりです。下の騒ぎが一段落着いたら、アルガドさんに軽食を頼もうと思っています。その後は、たっぷり寝るつもりです」
無理はするなよと、グランさん。
宴会場は、貸し切りで
今のコンディンションだと、ますます疲れそうだ。パスだな、パス。
「レンディア達には伝えておく。何か入り用なものはあるか?」
「……そうですね。お湯を頼んでもらえますか」
シャワーでも浴びたいが、しんどい。体を拭うくらいにしておこう。
「よし、分かった……まあ、ゆっくり休め」
手を振り、グランさんは下に降りて行った──さっきから、気になっている事があるんだよなあ……机の上に置いてある、
“
外殻の発動中は、常時痛みを伴う出血状態となり、出血の量によって身体強化がもたらされる(長期使用は危険)。
解除には「血と苦痛は去った」と唱えればいい──
能力追加──“
良い効果なのだろうが、妙に嬉しくない。呪物は成長するものなのだろうか?
少しすると、レイナさんがお湯とタオル二枚を持ってやって来た。
礼を言って受け取り、いつも通りに銅貨五枚を心付けとして渡す。
「いつも、ありがとう、ございます」
ポッ、と顔を赤らめながらも、受け取ってくれた。
ついでに、昼過ぎくらいに起こしてくれる様、頼む。軽く食べた後に、ゆっくり休む事にするつもりだ。
たっぷりと湯を含ませたタオルで、顔と体を拭う。湯気立つほどの熱さが心地好い──良い気持ちだな……浄化とはまるで違う、心地好さ。
よし、充分だ──乾いたタオルで体を拭き、さっぱりとする。
たらいとタオルを部屋の端に置き、改めてベッドに横たわる。
昼過ぎまで、充分に眠る時間はあるな……毛布を引き上げ、目を閉じる。
すう、と一息吐くと、眠気はすぐにやって来た……眠ろう。
とにかく、疲労回復だ──それには睡眠が一番だ……夢を見る事も無い、暗く深い眠りの底に、クレイドルは沈んでいった───
アルガドの奢り酒を楽しんだ後、冒険者達はそれぞれの部屋に戻るか、冒険者ギルドへと足を運んでいった。
行商人達は、皆安心した表情を浮かべている。
討伐が済んだ事で、街道封鎖が解除された事が伝えられていたからだ。
夕方には、
ギルドの貸し切りで、食べ飲み放題。参加しない手は無いだろう。
「クレイドルの調子はどうだった?」
香辛料入りの茶を啜りながら、グランに尋ねるレンディア。
「かなり疲れている様子だったな。一眠りした後、軽く食事を済ませてから、ゆっくり休むと言っていた。宴会には出ないとも言ってたな」
「ふうん……分かったわ。昼までまだ時間あるけど……早めに昼食でも取る?」
レンディアが宿の時計を見る。つられて、グランとシェーミィも時計を見た。
「そーだねー。ここで済ませてもいいけど……何か食べに行かない?」
「そうだな。夕方の宴会でたらふく食べられるだろうから、軽く済ませるくらいがいいか?」
シェーミィとグランの言葉に、頷くレンディア。
「じゃ、屋台で済ませましょうか。露店通りでもいいし、港区に行くのも悪くないわね……お茶代置くわよ」
銀貨を置き、席を立つレンディアとグラン。シェーミィは、一足先に素早く宿から出ていった。
「いってらっしゃい」
レンディア達に、頭を下げるレイナ。
その言葉に答える様に、レンディアがひらりと手を振った。
レイナさんが起こしてくれた、昼過ぎ。
食堂に降りると人はまばらだった。
遅い昼食を取っている市民や、商人らしき人達──いつもの奥のテーブル席に着く。あくび混じりに、用意してくれていた煙草盆を引き寄せる。
煙管に“深風”を詰め、生活魔法で火をつける……すう、と一吸い──深風独特の、苦味と甘味が口の中に広がっていく。
ふう、とゆっくり煙を吐いた。爽やかな香りが心地好いな……。
当たり前の様に、テーブル近くに待機するレイナさんに炭酸水を注文し、何か軽く食事が出来ないか聞いた。
「そうですね……夕食の仕込みが始まっていますから、雑炊かスープ、簡単な物ならすぐに出せると思いますよ?」
との事だ……だったら、そうだな。
「雑炊をお願いします。酢漬け野菜も一緒に」
「はい! 少々お待ちくださいね!」
妙に嬉しそうに云うと、レイナさんは身をひるがえし、厨房へと駆けて行った……何ぞ?
ふう~、と煙管を吹かす。煙が、ふうわりと宙に溶けていく──
「おう。白身魚と青菜の雑炊お待ち。今日の酢漬け野菜は、玉葱だ」
アルガドさんが、遅い昼食を持って来てくれた。
「ずいぶん、疲れている感じだな。オーク狩りは、相当にしんどかったか?」
「はい……想像以上でしたよ。ハイオーガともやり合いました」
「ハイオーガが出たか……そりゃあ、
アルガドさんが、驚いた様に呟く。
「はい……あれは、尋常ではなかったですね。いい経験になりましたよ」
あの力強さ、速さ、戦闘技術──あれ以上の存在は、考えたくないな。
ハイオーガ戦を思い出しながら、雑炊に口を付ける──熱く、美味い。
鶏出汁が充分効いていて美味い。口の中でホロリと崩れていく白身魚と、煮込まれた青菜が何とも堪らない。
「……美味しいです」
アルガドさんに云う。弱った体に、染々と染みるなあ……うん、美味い。
「そうかい。ゆっくりと食べろ。酢漬け野菜もな」
嬉しそうに微笑むアルガドさんが、厨房に戻って行った。
酢漬けの玉葱を摘まむ。酢が、疲れた体に染み渡る──玉葱の歯触りが心地好い……。
雑炊と酢漬け野菜を平らげ、〆の炭酸水を飲み干す。良い具合に、腹八分に治まった。
さて、食後は再び睡眠だ──昼をとうに過ぎ、もう少しで陽が暮れるだろう。
皆が宴会中、俺は眠りの中だ。目覚めは、明日早朝になればいいかな──たっぷりと、眠らせて貰おう。
レイナさんとアルガドさんに礼を云い、部屋に戻る。
ベッドに横たわり、ふう、と一息吐く。毛布を引き上げ、目を閉じる──すぐに眠気がやって来る……深い眠りの中に入る前に、微かな声が響いて来た──〈混沌に身を沈めよ。我が甥よ……そなたの安らぎは、混沌の中にある……休め。混沌に身を委ねるがよい…… 〉
頭の中に、静かに響いて来る声──聞き覚えのあるこの声は──深淵の女王だ。
〈ゆるりと、休むがいい……〉
深淵の女王の声は、柔らかで優しく響いて来る──言葉に甘えておくか……今はただ、眠りたいだけ。再び、夢を見ないほどの深い眠りを──クレイドルの意識は、深淵に沈んでいく───
「うん? クレイドルは……来ていないのか?」
「ああ、相当に疲れたらしい。ゆっくり休みたいと言っていたよ」
黒ワインを口に運ぶグラン。なるほどな、とレイナルドが頷き、蜂蜜酒をグビリと呷る。
「すいませーん! 鶏むね肉味噌焼きと、果実酒くーださい!」
シェーミィの注文に、はーい、と腹筋バキバキの店員が明るく応える。
「……クレイドルが気を引いてくれたから、かなり助かったが……あの血塗れは何だ?」
「あれね……後から説明してもらう事になってるのよ。まあ、何となく分かるけどね」
レイナルドの質問に、レンディアが答える。ふうむ……と唸るレイナルド。
「あれ? クレイドル、やっぱり来てないんだ」
エールのジョッキ片手に、リリンがレンディア達の席にやって来た。
花柄の装飾がなされた髭輪でまとめられている、三つ編みにされた栗色の髭が揺れている。
「まーた、血塗れになってたよね。よくあんなの使えるね」
ぐびり、とエールを流し込むように呷るリリン。
「……リリン? あんなのって何?」
果実酒を片手に、レンディアが尋ねる。
「あー……まだ聞いてないんだ。あれは、本人から直接聞いた方がいいよー」
リリンの言葉に、ふむ、と頷くレンディア達。
「鶏むね肉味噌焼きと果実酒、お待たせしました。他に注文ありましたらどうぞ!」
腹筋店員が、注文の品を運んできた。食欲をそそる、味噌の薫りがテーブルに広がる。
「そうねえ……鶏の根菜煮込みとチキンサラダに、ささみ照り焼きをそれぞれ、四人前。それと、果実酒炭酸割りお願いよ」
レンディアの注文の後、それぞれが酒の注文をする──
賑わう
ふと、目が覚める──暗い部屋の中、少し開け放した窓から仄かな灯りが射し込んでいる。
街灯の灯りか──街に並べられた街灯が消えるのは、朝陽が上ってから……という事は、まだ夜明け前か。
グランさんもまだ、戻っていない様だ。というか──ミザリアスさん? 部屋の隅にひっそりと佇むのは、止めて頂きたいのですけど?
「ええと……姉さん。お願いがあるんだけど?」
「何でも言って頂戴?」
枕元に椅子を運び、腰掛けながらミザリアスさんが微笑みを浮かべて云う。
聞いてくれるかなあ……?
眠気が再び寄って来る──ベッドに改めて横たわり、はっきりと云う。
「……何だかとても、眠いんだ。姉さん……また、後で」
ただ、深淵に沈む──夢見る事なき深い眠りがあるだけ。クレイドルは、再び、深淵に沈んでいった。
「お休みなさい。クレイ……」
ミザリアスはクレイドルの手を握り、頬を優しく撫でた──
天使は迎えに来ません。