早朝、微かに開けた窓から冬の風が吹き込んで来た。
朝の風が、石造りの部屋の換気を促す。外気に揺れ動くカーテンを開き、窓を半分ほどに開く。
冬の風が、少しばかり酒の残る体を、良い具合に覚ましてくれる──クレイドルは、一つ、二つと深呼吸をした。
すでに陽は上がっている──今日は少々寝過ごしたせいで、ほぼ日課となっている、“魔力制御”をする事が出来なかった……。
昨日、ラーディスさんとアルバートさんに付き合ったのが、よくなかったな……取り合えず『浄化』を行い、寝起きの体を身綺麗にする。顔は後で洗うか……。
煙管の用意をしながら、俺は昨夜の事を思い出す──
とにかく食べるラーディスさんに、とにかく飲むアルバートさん。
大量のフライ盛り合わせと豚肉のキャベツ炒めを口に運び、水の様にエールや黒ワインを胃に流し込む二人に、俺達“碧水の翼”は呆れた──
レンディアだけが、「兄上は、食べる時はとことん、食べるから」と気にする事も無く、杯を傾けていた。
「良い魔術師は、大概が健啖家でね。魔術を使うと腹が減る。魔力を充分に回復するために、腹一杯食べるんだよ」
フライと、豚肉のキャベツ炒めを口に運ぶラーディスさん。
「その通りだ……いやあ、面倒事が片付いた後の酒はうめえなあ」
目を細めながら、美味そうにエールを呷り続けるアルバートさん。
呆れ顔の俺達に、ラーディスさんが云った。
「冒険者は体が資本だ。食える内に食っておいた方が良いぞ……明日には、ろくに食えなくなるかもしれないからな」
ラーディスさんは、ニヤリと笑い、追加の料理を注文する。
せっかくの奢りだからと、シェーミィも後追いで料理を注文しだす。おう、頼め頼めとアルバートさん。
まあ、お言葉に甘えよう、とグランさんが苦笑する──にわかに忙しくなる厨房。
リーライやラーシアさん達従業員が、パタパタと忙しなく動き回る姿がここからでも見えた──
昨日の事を思い出しながら、ゆっくりと煙管を吹かす──
さて、今日の予定は昼頃に冒険者ギルドに行き、ロングスウォード伯から直々に“ヒルダ”関連の報酬を受ける事──まずは、それが最優先だろう……確かロングスウォード伯は、俺には追加報酬があると言っていたっけか?
「起きていたか」
昼の予定の事を、煙管を吹かしながら考えていると、タオルを肩掛けにしたグランさんが戻って来た。
シャワーでも浴びてきたのか、髪が少しばかり濡れている。
朝食の時間までもう少し──食堂に降りるか。
「先に降りていてくれ。もう少し、髪を乾かしてから行く」
タオルで、髪を拭きながらグランさんが云う。ならお言葉に甘えて、先に降りる事にするか。
「では、お先に」
ああ、とグランさんの声を背に、煙草盆を持って部屋から出る。
さて、今日の朝食は何だろうか。ドワーフ経営の店だから、肉類が多いんだよな……野菜とのバランスもけっして、悪くないが。
いつもの“専用席”に座り、煙管を吹かす──食堂内は明るくなっており、宿泊客や朝食を求める客が、テーブルに着いている……ん? ガーランドさん達が、席に着くのが見えた。
ヒルデガルド嬢の姿は無し……だな。彼女は今、どうしているのだろう?
新しい宿舎暮らしは、まだ始まったばかりだからな。
今、初級訓練を受けている冒険者は何人いるのだろうか……?
俺の時は同期は誰も居ず、少しばかり寂しい気分になった事もあったな。
だが、その分腕利きの先輩達に鍛えられる時間があったんだよな……ジャンさん、レンケインさん、ミルデアさん──いずれは顔を見せないと。
「クレイドルさん、お早うございます!」
ラーシアさんが早くもやって来た。元気良く、尻尾が揺れている。
朝食までは少し早いので、炭酸水を頼んだ──「今日の朝食は、何かな?」
「はい、今日は鶏玉葱炒めに、茸のスープです。パンかライスを選べますよ!」
うん、なかなか良い朝食だな──皆が揃ってから、改めて注文するよと伝える。
「分かりました。じゃ炭酸水、直ぐお持ちしますねー!」
尻尾を振りながら、厨房に戻って行くラーシアさん。その姿を見送りながら、煙管を吹かす──ふわり、と煙が食堂の天井に向かって行った。
食堂内の喧騒が普段通りになる頃。
“碧水の翼”の面子が揃った──いつもより遅めなのは、やはり昨日のラーディスさんとアルバートさんの 宴会が響いていたのだろう。
さすがに、身だしなみはきちんとしていた。
「ちょっと遅れたねー」
あくびをしながら、席に着くシェーミィ。柑橘色の厚手のシャツを着込んでいる。
「朝食のメニュー聞いた?」
珍しく、銀色の髪を高く結い上げているレンディア。
髪型一つで雰囲気変わるものだな……。
今日は、鶏玉葱炒めに茸のスープだと告げる。
「ふむ、茸のスープか。悪くないな」
いつもと変わらぬ、黒ずくめのグランさん──全員が席に着いたのを見計らったかの様に、リーライがやって来た。
「おはよー。朝食の用意していい?」
リーライの明るい声に、俺達は頷く。
レンディアは、スープに卵を落として頂戴と追加注文をした──
少し遅い朝食後、改めて午後の予定を確認する──昼頃に、冒険者ギルドに出向いて、対
それとは別件の、ロングスウォード伯の依頼の報酬と、俺に対しての追加報酬を受け取る……追加報酬は何だろうな。想像もつかないが……?
「ふん。今日の予定はこんなとこね」
茶を啜り、レンディアが云う。
昼までは、多少時間はある。街をぶらつくには中途半端な時間だな。
昼食前には、冒険者ギルドに向かう事に決まる。ロングスウォード伯との用事が済んだ後に、昼食を取る事になった。
誘えるなら、ロングスウォード伯とアルバートさんと共に食事をしようと、レンディアが云う。
うん、それも良いな……さて、それまでどう時間を過ごすか。
グランさんは、“
双方から誘われたが、のんびりしたい気持ちだったので、レンディア達の誘いを断り、部屋で過ごす事にした──
半分開け放した窓から吹き込んで来る風に、カーテンがふわりと揺らめいている。
窓を正面に見ながら座り、煙管に煙草を詰める──“深風”。苦味と甘味を同時に味わる、爽やかな香りを持つ煙草葉だ──煙管に火をつけ、ゆっくりと吸いながら吹かす。
甘味と苦味が混じり合い、爽やかな香りが口の中を通り抜けて行く──吐き出した“深風”の煙が、開け放した窓からふわりと流れ去って行く。
冬の外気が心地良い、ぼんやりとした時間……こういう時間こそ、大事にしたいものだ──おっと、この気配は……。
煙草盆に吸い殻を落とし、煙管を吹く。もう一度、吸い殻を落とす。
煙草盆と煙管を仕舞う。あの人の前で、煙管を吸うのは、どうもな……最も、本人は気にはしないだろうが。
軽く身だしなみを整え、食堂に降りる準備をする──
碧水の翼の“専用席”に、違和感無く着席しているラーディスさん。
いつもの様に、金縁の漆黒のローブ姿。
チーズと一口大のクラッカーが乗った皿を前に、黒ワインのグラスを傾けている。
「一人か?」
席に着くと、ラーディスさんが尋ねてきた。
「ええ、珍しく皆、別行動です」
ふむ、とラーディスさんが微笑み、グラスを干す。
いつの間にかテーブル側に待機していたラーシアさんに、果実酒炭酸割りを頼む……というか、ラーディスさんが一人の時は居なかったな。
「……黒ワインのお代わりも頼む」
「はい、果実酒炭酸割りと黒ワインですね!」
ラーディスさんに対して、清々しいまでの愛想笑いを浮かべ、ラーシアさんが厨房に向かって行った。
「……大分、私と態度違うな」
尻尾を振りながら厨房に向かうラーシアさんを見送りながら、苦笑するラーディスさん。
「どうかね。“武門街”、ロングスウォード領には慣れたかね」
チーズを口に運び、ラーディスさんが尋ねてきた。
う~ん。どうかな? 街の雰囲気には慣れたが、
「ふむ。今、君が何を考えているか何となく分かるな。
ラーディスさんは、薄塩味のクラッカーの上にチーズを乗せながら、俺の心を読んだように云う……というか、クラッカーとチーズ、そんな感じで食べるのか。真似しよう……。
「はい。どうも、互いに良くない感じで意識しあっているというか……上手く言えませんが」
ふむ、とラーディスさんが黒ワインを傾ける。
「まあ……どっちもどっちなんだ。武芸者連中から見れば、冒険者達は“武”を切り売りして日銭稼ぎをしている連中。冒険者達から見れば、武芸者は日銭も稼ごうともせず、各道場に食わせて貰っている──と思っているんだよ」
チーズ乗せのクラッカーを、さくりと口にして、黒ワインを傾けるラーディスさん──さすが貴族の出自。立ち振舞いが様になっているな……武芸者も冒険者達も、どっちもどっちか。
うん? ちょっと気になる事を言っていたな。
「各道場に、食わせて貰っているというのは何です?」
ラーシアさんに、黒ワインと果実酒炭酸割りのお代わりを頼むラーディスさんに尋ねる。
「あと、酢漬け野菜を──うん? 武芸者の事か。皆がという訳ではないが、武門街に来る武芸者の中には、伝を頼って各道場を訪れ、そこで剣客として世話になる者がいるんだ」
ラーディスさんが云うには、剣客は道場で生活の面倒を見て貰う代わりに、道場生に稽古をつけ、場合によっては、挑んでくる他流の武芸者の相手をする事で、いくばくかの報酬を得るそうだ。
「そういう連中は、なかなか腕が立つんだ。私の知り合いにも──ああ、ありがとう。剣客を生業にしている連中がいる……世間で云う、剣客商売というやつだ」
ラーシアさんが運んで来た黒ワインのグラスと、酢漬け野菜を受け取りながら、ラーディスさんが剣客の説明をしてくれた……剣客商売ねえ。うん? 確か、前世で聞いた事があるような──「クレイドル君、君に客らしいぞ?」
果実酒炭酸割りを、ラーシアさんから受け取る俺に、ラーディスさんが云う。
客? 心当たりは無いが──ラーディスさんの視線を追い背後に目をやると、髪を短く刈り込んだ厳つい顔付きの、がっしりとした体格の剣士が立っていた。
年齢は……二十歳ちょっとくらいだろうか?
その背後には、それなりの体格の剣士が一人。何となくだが、この一人は仲間というより従者っぽい感じがした。
「クレイドル殿……だな?」
厳つい顔の剣士が尋ねてきた。何だろうな、この言葉足らずの不躾感。まあいいけど。
「そちらは?」
肯定を兼ねて、名を聞き返す。一瞬、眉をしかめたな……何ぞ?
「名乗りが先だったな……俺はロイド。一介の剣士だ」
眉をしかめたのは、自分の不躾さに気付いての事だったか。剣士ね……用件は何となく分かったな。
「
「立ち合い希望という事ですか……」
『一騎討ちで
ラーディスさんが言っていたな……ラーディスさんをチラリと見る──前に、言ったろ?
と云う様に、ワイングラスを掲げる。
「いかにも。どうだろうか?」
やや興奮ぎみの厳つい剣士。どうだろうか、じゃないんだがなあ……。
「断る」
俺には、というより冒険者には何の意味も無いからな、剣士との立ち合いなんて。
「まあ、そうだろうな」
断固たるクレイドルの答えに微笑みを浮かべ、黒ワインを干すラーディス。