「断る」
一考だにせず、クレイドル殿は即座に断った。
男とは思えないほどの妖艶な顔立ちと表情からは、私達に何ら興味も無いという事が伺えた──クレイドル殿はテーブル側に向き直り、従業員に酒を注文した。
「貴様……若が頼んでいるのだぞ!」
背後に控えていた従者のゼランが、止める間もなく怒りの言葉をクレイドル殿に投げつけ、前に出る。
ゼランの声など聞こえていないかの様に、テーブル側に控えている従業員に声をかけるクレイドル殿。
「……無礼者め!」
ゼランが剣の柄に手をかけると同時に、冷たい声が響いた──「おい」
その声は、クレイドル殿の正面に腰掛けている、漆黒のローブ姿の魔術師が放ったものだ。
「柄から手を離せ。刃傷沙汰はご法度だぞ」
静かに、冷たく通る魔術師の声。食堂内の空気が一変する。
柄に手をかけたままのゼラン……早く止めなければ危険だ──「ゼラン、手を離せ!」
ロイドの、悲鳴にも似た叫びに被さる様に、ラーディスが言った。
「ふむ。離したくないか……ならば」
漆黒の魔術師が言ったと同時に、ゼランの手が凍り付く──「そのまま、掴んでいろ」
柄にかけたゼランの手がたちまちに凍り付き、肘まで凍結し始める──
「ちょいと、“魔導卿”! あんたの方がよほど刃傷沙汰にしようとしてるよ!?」
宿の女将、イーライさんがやって来て、ラーディスさんに声をかける。
「ふむ。少しやり過ぎか……?」
ラーディスさんがパチンと指を鳴らすと、ゼランと呼ばれた剣士の凍り付いた腕が、一瞬で解凍された。
腕を凍り付かせていた氷が解け、ぱしゃり、と床に水溜まりが出来た……と見えた瞬間には、水溜まりは消えていた──食堂内に、どよめきが起きる。
「ほらほら、あんたらも頭を冷やしな。一杯奢ってやるよ」
イーライが、剣士二人をラーディス達から引き離す様に、カウンター席に案内する。
「あ、ああ……すまない」
ロイドと名乗った剣士は、やや未練を残す様にクレイドルを一瞥するも、大人しくイーライに従う。
ロイドの従者らしきゼランは、さっき凍り付かされていた腕を、恐々と擦りながらロイドに付いて行く。
すでに、食堂内の雰囲気は元に戻っていた。いつもの喧騒が、先ほどの出来事を無かった事にしている──
「やっぱり。兄上来てたのね」
レンディアとシェーミイが戻って来た。レンディアは片手に紙袋を下げている。
「邪魔しているぞ。そういえば──」
ラーディスさんは煙草盆を取り出し、煙管の準備をしながら話を続ける。
「朝方、冒険者ギルドに寄った時、アルバートさんに伝言を頼まれた。昼食を一緒に取ろう、との事だ。それと、ロングスウォード伯も来ると言っていたな」
生活魔法で煙管に火をつけ、パッと吹かすラーディスさん……煙草盆、どこから取り出しているのだろう?
「丁度良かったねー。ロングスウォード伯を昼食に誘いやすくなって」
席に着いたシェーミイが、待機しているラーシアさんに果実水を頼む。
「ふん。そうね」
レンディアが頷き、炭酸水を注文した。食堂内の壁時計を見ると、すでに昼近く。いい時間だな。
「グランさんが戻り次第、ギルドに向かおう」
残った果実酒炭酸割りを飲み干し、炭酸水を頼んだ。
少しして戻って来たグランさんと合流。早速冒険者ギルドに向かう。
ラーディスさんも昼食に誘うつもりだったが、夕方まで所用があるという事なので、今日のところは別れる。
ラーディスさんもしばらくはロングスウォード領に留まるそうだから、一緒に食事をする機会はあるだろう──
冒険者ギルドに入ると、正面カウンターで書類仕事をしている、副ギルドマスターのセリオスさんが目に入った。
髪を丁寧に整えた、清潔感のある身だしなみと穏やかな雰囲気。シワ一つ無いスーツ姿と相まって、企業の重役の様に見える──確か、セリオスさんは腕利きの治癒士であり、先の対
セリオスさんが、書類から顔を上げるのとレンディアが声をかけるのとが、ほぼ同時だった。
「ギルドマスターがお待ちです。直にロングスウォード伯もお越しになるでしょう」
あとの仕事を職員に任せ、マスター室に案内をしてくれるセリオスさん。
アルバートさんは、お茶の準備をしていた。部屋に入ってきた俺達を肩越しにチラリと見る。
「よう、来たか……ちぃっと待っててくれ」
湯をポットに注ぐ音が、何か気持ちを落ち着かせる。
セリオスさんに席を勧められたので、俺達は革張りのソファに座る……おお、座り心地良いな。
「待たせたな。まあ、飲んでくれや」
ゴツいテーブルに、アルバートさんが人数分のティーカップを置く。
何ともいえない良い薫りが、湯気と共に立ち上っている。
いただきます、とアルバートさんが入れてくれた茶を啜る──おお、これ……。
「ふうん……ディエンシのお茶ね。うん、美味しいわね」
レンディアが目を細めながら、ゆっくりと茶を味わう。
「おう、やっぱり分かるか。
アルバートさんが嬉しそうに云う。何でも、このディエンシの茶は、一般にはほとんど出回らない最上の高級茶葉だそうだ。
高級なだけあり、本当に美味い。これほどの物はそう味わえないだろうな……少しの酸味が、口の中でまろやかな甘味に変わり、爽やかな喉ごしを感じさせてくれる……美味い。
しばし、俺達は逸品の茶を味わう。
「さてと、まずは先の対
アルバートさんが、セリオスさんに頷く。
「どうぞ、報酬です。お改め下さい」
セリオスさんが、俺達の前に金貨十二枚ずつを並べる。計四十八枚──対
金貨十二枚はかなりの大金だ。市民なら、金貨一枚でも簡単にお目にかかる金額ではないからな。
対悪魔戦というのは、金の問題では無いのだ……。
この世界に生きとし生けるもの。人だけではなく、魔獣、魔物含む、全ての命の敵。それが“悪魔”だ……ただ、どう言ったらいいだろうか。上手く考えがまとまらないが、
レンディアに声をかけられ、ん? と我に返る。
ふと気付くと、グランさんとシェーミイが心配そうに俺を見ていた。
「……ああ、いや。何でもない」
首を振り、ふう、と一息吐く。少しばかり、考え事をしていたみたいだ……。
「深く考える事は、何にも無いわよ。報酬受け取りなさいよ」
レンディアの、何か慈愛を感じさせる様な物言いに安堵する。
一人当たり金貨十二枚の報酬の内、五枚ずつをそれぞれパーティー口座と個人口座に入金する事にして、自分達が直接受け取る額は、金貨二枚となった。所持金はこれくらいで充分だ。
入金の手続きは、この場でセリオスさんが済ませてくれた。
ギルドマスター室のドアがノックされる。アルバートさんが応えると、受付嬢がロングスウォード伯の来訪を告げてきた。
「おう、入ってもらいな」
アルバートさんが云うとドアが開き、受付嬢の案内を受けたロングスウォード伯が入ってきた。
書類を抱えたセリオスさんが、ロングスウォード伯に会釈をし、入れ違いに部屋から出て行く。
「“碧水の翼”とは、何か久し振りのような気がするな」
明るく挨拶するも、やや疲れぎみの様に見えるロングスウォード伯。片腕に荷を抱えている。
波打つ深紅の髪を後ろに結っているので、顔立ちがはっきりと分かる。
「お疲れだな。まあ、座れや。茶を入れ直すから待ってな」
アルバートさんがティーポットを持って立ち上がる。
ふうっ、とソファに腰を下ろすロングスウォード伯。
「もう後処理は済んだの?」
レンディアが尋ねる。
「……ええ、全部ね。対
ロングスウォード伯の整った美麗な顔に、疲れが浮かんでいるのがはっきりと見えた。前に感じた不敵さと強かさが、影を潜めている。
「おう、飲みな。ちっとは元気が出るぜ」
アルバートさんがカップを差し出す。
ロングスウォード伯が礼を云い、カップを受け取った。
俺達のカップにもお代わりを注いでくれる……お、丁度いい温さだ。うん、温くても美味いな。
茶を啜りながら、ロングスウォード伯は戦死した部下の遺族や身内に向け、感謝状と弔慰金の手配を済ませた事を教えてくれた。
支払われる弔慰金は金貨十枚に加え、今までの給与から差し引かれた積み立て金の一部から、約金貨五~十枚が追加されるという。
「戦死者を出したのは初めてではないけど……難儀よね」
カップを両手で包み込む様に持ち、ロングスウォード伯が沈んだ声で呟く。その美麗な顔立ちからは、何の感情も伺えない──
「ロングスウォード卿、ヒルデガルドが昨日、冒険者ギルドに登録したわよ。初級訓練もちゃんと受ける事になったわ」
レンディアが茶を啜りながら云う。
レンディアの言葉にカップから顔を上げるロングスウォード伯。
「ふうん……何か、心境の変化でも……ああ、クレイドルとの
ふふっ、と嬉しそうに笑い、茶を飲み干す。
「うん?……これ、普通のお茶じゃないわね」
驚くロングスウォード伯のカップに、お代わりを注ぐアルバートさん。
「ディエンシの茶だよ。美味いだろ。今の時期になると、南都の知り合いの商人が送ってくれるんだ。後で屋敷に届けさせるからよ」
自慢気に云うアルバートさん。美味い物を分け合うのが嬉しいんだろうな……。
少し明るさを取り戻したロングスウォード伯と、談笑する。
この人はこうでないとな……女傑に暗さは似合わない。普段の不敵さと強かさは、やがて戻るだろう──
「さて、用件を済ませましょうか。ヒルデガルドの件での報酬を渡しに来たのよ」
ロングスウォード伯が、約束の金貨十二枚をギルドマスターのアルバートさんの立ち会いの下、“碧水の翼”のリーダー、レンディアに渡す。
「おう。しかと見届けた。依頼書はこちらで処理しとくぜ」
本来ならば、依頼人と達成者両名のサインが必要なのだが、ギルドマスターか副ギルドマスターが立ち会ったのならば、必ずしもそれは必要ではなく、ギルドマスターらのサインで済む。
最も、依頼人と引き受けた側の信用は必要だが。
「それと、これがクレイドルへの追加報酬よ」
ロングスウォード伯が、持ち込んできた荷物を広げて取り出したのは──艶のある、灰色の長袖のシャツ。
「これは……
レンディアが、灰色のシャツをまじまじと見つめた。