ロングスウォード領の中心に位置する、武門街の周囲──北西、北東、西、東の四方に位置する四つの村(かつての砦は、今は人口二千人ほどの中規模の村になっている)の一つ──北西に位置するノースヒルの村。その周囲は、頑丈な壁で囲まれ、櫓等はそのまま残されており、砦としての機能を今だ充分に残している。
他の三つの村も、ほぼ同じだ──
衛兵が一人、ノースヒルの外を巡回している。
村の規模にもよるが、巡回は通常三名から五名の一組で、五組から六組、十五~三十名ほどの人数で各組、巡回地点を決め、午前と午後に分けて行う。
一人巡回している衛兵は、四十を越えたベテランの衛兵隊長の一人だ。
髪に少しばかり灰色が混じっているが、頑健な体と体力は二十代の頃とほとんど変わらず、今もって若手に力負けする事は無い。
早くに目が覚めてしまい、散歩がてらに少し村の周囲を巡回しようと、身支度を整え外に出たのだ──
日の出まではもう少しの時間。夜から深夜にかけて、静かに雪が降っていたが、今はもう止んでいる。
風は無いので、寒さはそれほど感じない……冬の空気を胸に吸い込み、ゆっくりと吐く。
冬の大気が身体に染み渡り、少しばかりの眠気は消えた。
村の周囲を巡回していると、街道から少し離れた田畑近辺まで来ていた。
「……ん?」
雪が多少積もっている田畑に、妙な起伏が出来ているのを確認した──経験上、その起伏が何かを直ぐに理解出来た……。
(
田畑を、もう一度横目で確認し、足早に村に戻る衛兵隊長。
(まずは、村長に報告。そして
ノースヒル衛兵隊長ジェローム──その顔には、衛兵というよりも、歴戦の戦士独特の強かな笑みが浮かんでいる──もう、陽が出ていた。
「……なぜ、私は威嚇されている?」
ラーディスさんは、ラーシアさんに牙を向けられていた──
ラーシアさんの耳がピンと立ち、毛がやや逆立っている……唸り声こそ上げていないものの、ラーシアさんは敵意に近い気配をラーディスさんに向けていた──それを受けているラーディスさんは、ただ困惑している……。
体術の稽古後、遅い昼食をとるためラーディスさんと一緒に“
すでに昼食を終え、茶の時間を過ごしていたレンディア達と合流した……のだが。
なぜか、ラーディスさんを見たラーシアさんが威嚇を始めたのだ。
「ああ、ええとね、ちょっとした誤解よ。誤解──」
レンディアが、ラーシアさんの態度の説明をする──体術の稽古をつけてもらうため、ラーディスさんの下に出向いた俺が昼食の場にいなかった事で、ラーシアさんに心配をさせてしまったらしい。
それで、レンディア達がラーシアさんを安心させるために稽古の話をしたのだが、シェーミィが余計な事を云ったそうだ──
『ラーディスさんの訓練だとか稽古って、厳しいみたいだよねー。魔術だとか体術だとかー。クレイドル今頃、半殺しにされてるかもねー』
そう云って、にっしし、と笑うシェーミィ。ラーシアさんはそれを聞いて、愕然としたらしい……結果、それがラーディスさんに対してへの威嚇に繋がってしまったらしい。
半殺しって……それもう稽古じゃねえよ。
いや……まてよ……?
確か“城塞都市”でラーディスさんから体術の訓練を受けた時、腕を折られたな……確か──『折れた痛みを覚えておくんだな。二度と折られたくない、と思っただろ?』──と。
あと、点穴とやらを突かれて呼吸停止にされ、絞め落とされたり、一時的な失明やら平衡感覚を狂わされたりしたな……。
この事、言わない方がいいな……うん。
「……誤解は解けた様で何よりだが、な」
今だ、己をジト目で見つめている狼族のラーシアさんを横目で見やる、まだ困惑気味のラーディスさん。
さて、だいぶ遅くなったが昼食を頼むとするか……。
ちなみに、誤解を招く発言をしたシェーミィはこの場にはいない。
昼食を終えたあと、昼寝のために部屋に戻ったそうだ……猫め!
「やはり、北……北西のノースヒルからの報告が最初ね」
ノースヒルからの、早馬での注進を受けたネイ・ロングスウォード伯。
ウェーブがかった深紅の髪を高く結い上げ、その装いは普段着。薄手の白い長袖のシャツを、肘まで捲り上げている。
女性らしい体付きよりも、鍛え上げた歴戦の肉体の線が、シャツに浮き上がっている──
場所は執務室。外気を取り入れるため、窓は半分ほど開けられているが、カーテンで覆われている。
時折、カーテンが外からの風でふわりと揺れていた──
私室と同じ様に武骨な部屋の中は、暖炉と“魔導卿”印の冷温陣でほどよく暖まっているので、薄着で充分なのだ。
報告を受けた、ロングスウォードの美麗な顔に、強い笑みが浮かんでいる。
執務室でロングスウォードと向かい合っているのは、衛兵団長のガイル。
衛兵というよりは、“戦士”といった雰囲気の偉丈夫だ。
短く刈り込まれ、整えられた金髪と厳つい顔立ちからは、真面目さと勇敢さが見てとれる──三十前の若手だが、皆から認められた実力と人望で、団長としてロングスウォードの副官となっている。
以前、
帯びている剣は特別製の業物で、ロングスウォード領衛兵団長が帯剣を認められている、逸品だ──
「各村の備えは整っているので、今頃は防衛の準備で慌ただしいでしょうな」
ガイルの横に控えていた、淡い青色のスーツ姿の男が、のんびりと云う。
五十をいくつか越えているであろう、灰色の髪を丁寧に撫で付けた、穏やかな雰囲気の壮年だ。
「冒険者ギルドでも、既に
変わらず、のんびりと云う壮年の男に、ロングスウォード伯が応える。
「領内への、
もちろん、と壮年の男。ふむ、とロングスウォードは頷き、ガイルと壮年の男に改めて指示を出す。
「なら、例年通りでいいわ。ただ今年は、“魔導卿”が領内に留まっているという事を心掛けておいて……以上よ。何か質問は?」
ガイルと壮年の男が、ふと顔を見合わせた。
では私から一つ、と壮年の男が云う──
「“魔導卿”は動きますかな?」
壮年の男の質問に、ロングスウォードは思い出す──“
少し考え、ロングスウォードは壮年の男に応える。
「そう、ねえ。状況次第だと思うけれど、“魔導卿”は動かないと思っていた方がいいわ。もし、滅甲虫が出現した場合の事を話したのだけれど……」
滅甲虫と聞いた壮年の男の顔付きが変わった。
穏やかな雰囲気は消え、その目に鋭さが浮き上がっている──
「……して、その時は?」
突如の豹変を受け流す様に、ロングスウォードは軽く肩を竦め、云った。
「“魔導卿”が云うには、今の武門街には『腕に覚えあり』の連中がいるだろうから、そいつらに任せてみたらどうか? との事だったわ」
ふん、と鼻を鳴らし、椅子に持たれ掛けるロングスウォード。
「腕に覚えあり、の連中ですか……色々、居ますなあ。例えば──」
ふむ、と呆れた様に云う壮年の男。顔に、穏やかさが戻っていた。
自称──大陸随一の槍術士。
自称──左右に並ぶ者無き、双剣使い。
自称──岩断ちの剛剣。
「……選り取りみどり、というやつですなあ」
壮年の男の、呆れた様な笑う様な物言いに、苦笑を浮かべるロングスウォードとガイル。
「今年はどうも、ね……何にしろ、滅甲虫はただの腕自慢がどうこうできる相手では無いわよ。まあ、“魔導卿”の冗談でしょ」
「まあ、それはそうですな。滅甲虫の事ですが、出現した場合に備え、冒険者ギルドに討伐依頼を出すというのは?」
壮年の男の言葉に、そうね──と言いかけたロングスウォード。と同時に、執務室のドアがノックされた。
壮年の男がロングスウォードを見ると、それに応える様に、ロングスウォードが頷く。
そのやり取りを見ていたガイルが、どうぞとばかりにドアを開いた──
“魔導卿”からの依頼を、冒険者ギルドは既に受けていた。
訪ねて来たギルド職員によると、その内容は以下の通り──
“
魔石はどんな状態でも高値で引き取るが、無傷に近いほど報酬は高額。
滅甲虫の素材は自由にして構わない。
仔細はギルドで確認の事。
※追記──“
“魔導卿”の依頼内容の通達後、ギルド職員は、冒険者ギルドとロングスウォード領の衛兵隊との連携。それに伴う冒険者達の配置等の話し合いをしたいので、早い内に会いたいと伝えてきた──
ロングスウォードはギルド職員に、夕方にはギルドに向かうと返事をした。
時刻は、昼を少し過ぎた頃。昼食にはほど良い時間だ──
「……さて、昼食にしましょうか。冒険者ギルドに向かうのはその後ね」
椅子から立ち上がり、伸びをするロングスウォード。その体が、小気味良い音を立てた。
直ぐに準備をさせましょう、とガイルが執務室から出て行こうとする。
「食堂で取るわ。そう伝えて」
ロングスウォードの言葉に頷くガイル。静かにドアが閉まった。
「……さて、と。今季の
「そうなれば、いいですが……どうも、ちと胸騒ぎがしますなあ」
壮年の男がのんびりと応える。
ふふん、とロングスウォードが笑う──強い、笑みだった。