それを見たグランが、即座に駆け寄って行く──全く……と呆れた様な呟きを聞いたのは、間近にいた“
衛兵や冒険者達は、勝利に湧くというよりも
(皆、良くやったよ。成すべき事を、やった……)
己もまた、座り込みたい気持ちをジェロームは何とか抑え、魔術兵達に目をやる。
冒険者達の治癒を引き続き行なっている魔術兵以外は、
前線で、直接戦闘には加わってはいなかったものの、冒険者達の補佐で駆け回っていた魔術兵達。
ほぼ非戦闘員とは云えそれなりの疲れもあるはずだが、魔術兵達は滅甲虫の死骸を興味深く調査している。
(……連中は好きにさせておくか。よし、ロングスウォード伯に
「ロングスウォード伯へ伝令頼む」
ジェロームの声に、衛兵が駆けて来る。
グランに担がれているクレイドルを見た冒険者達。
皆が皆、クレイドルを心配したが、そんな冒険者達に“碧水の翼”のリーダー、レンディアは──
「寝ているだけよ。対悪魔戦の後は大概こうなるのよ」
と、いつもの事の様に云う。その手にクレイドルの剣である
「蟲相手だと、こんな風にはならないんだけどね〜」
のんびりと云うシェーミィは、クレイドルのラウンドシールドを肩担ぎにしていた。
クレイドルがこういう
グランの肩に担がれたクレイドルは、すやすやと寝息を立てている。先程まで血塗れで戦っていた面影はもう無かった──ちなみに、全身から滴っていた血はすでに止まり、その身には血の跡も無い。レンディアが強めの“浄化”をかけたからだ。
「さあて──」
レンディアが冒険者達を見渡しながら云った。
「
その言葉に、冒険者達が笑みを浮かべた──
ジェロームは、帰還の準備を始めている冒険者達を見ながら一抹の物悲しさを感じていた。
(……いかんなあ、いかん)
頭を振り、感傷的になりかけた気持ちを払い落とす。これからやる事は多い。
ノースヒル村の被害状況と、衛兵連中の状態確認。そして、
(魔術兵達に任せるとするか……ロングスウォード伯からは、ここらの指示は出てないからな)
滅甲虫の死骸を調べている魔術兵達を見ながら、ジェロームはこの後の処理を考える。
「ジェローム隊長」
声を掛けられ振り向くと、“碧水の翼”のリーダー、レンディアがいた。
その後ろには、クレイドルを肩担ぎにしている暗黒騎士のグラン。横に猫族のシェーミィ。“碧水の翼”の面々だ。何か妙な光景だとジェロームは思った──
「ご苦労だったな……あんたら冒険者達には頭が下がるよ」
ジェロームの言葉に、レンディアはひらひらと手を振る。
「仕事よ、仕事」
レンディアの応えに、ジェロームが苦笑する。それより──と言いかけたジェロームに、レンディアが云う。
「ああ、クレイドルの事? 疲れて寝ているだけよ」
顎で、グランに担がれているクレイドルを指し示す。ダラリと、グランに身を委ねているクレイドルを、半ばジェロームは呆れ顔で見る。
微かに、クレイドルの寝息が聞こえた気がした──
「クレイドルがこんな状態だから、ノースヒルで一泊するつもりなのよ。明日の昼頃までこんな感じでしょうね」
レンディアが、グランに担がれたまま寝入っているクレイドルを横目で見ながら云った。
「それなら宿舎に泊まればいい。部屋は空いてるからな」
ジェロームの言葉にレンディアが仲間を見回す。グラン、シェーミィ共に頷いた。
「そう? なら、お言葉に甘えさせてもらうわよ」
「今夜の宿舎内の食堂は、だいぶ騒がしくなると思うがな」
苦笑交じりにジェロームが云う。
ジェロームの言葉を受け、レンディアは構わないとばかりに、ひらひらと手を振る。
「今案内させよう」
ジェロームが衛兵を呼ぶ。レンディアとの会話の間、クレイドルは微かな寝息を立て続けていた──
何処かから、賑やかな声が聞こえて来る──ここ、どこだっけか……?
ふと目を覚まし、ベッドから身を起こしたクレイドルは、ぼんやりと周囲を見回す。何の飾り気も無い部屋。
だが、殺風景という程でも無い。質実剛健な雰囲気を持つ部屋だ……ノースヒル村の宿舎だ。グランさんに担がれて、この一室に来たんだっけか──クレイドルは、数時間前の事を思い出す。
「俺達は朝食にするが……お前はどうする?」
武装を解き、普段着に替えたクレイドルにグランが尋ねる。答えは分かっていたが──
「……疲れて……何だかとても、眠たいんです」
虚ろな瞳で、ぽつぽつ語るクレイドルを前に、グランは吹き出しそうになるのを何とか堪える。
クレイドルが、あまりにも悲壮な雰囲気をまとっていたからだ──(疲れて眠たいだけで、こんな雰囲気をするかね……?)
「分かった。水はたっぷりと置いてあるからな」
グランの言葉に、クレイドルは頷く。ベッドサイドのテーブルに水差し二つ。グランが特に頼んだ物だ。
「水分くらいは充分に取っておけよ──」
水差しから目を離し、改めてクレイドルを見ると、すでに寝入っていた。
毛布を胸元まで引き上げ、仰向けに寝ているクレイドル。その顔は穏やかだった──静かな寝息が、静かに部屋に響く。
その寝顔にしばし見惚れ、グランは微かにため息を吐いた。
「……ゆっくり休むんだな」
グランは、クレイドルの頬にそっと触れた。
ふと、目を開ける──一度目が覚めて、今の状況を確認した後、二度寝したらしい。
外からの灯りが射し込んでいるので、部屋は薄暗い。
ベッドサイドのテーブルに置かれている水差しに手を伸ばす。
たっぷり水が入った二つの水差し。コップに注ぎ、一息に飲み干す──美味い。
疲れ切った身体に沁み込む様な、何とも堪えられない美味さだ。もう一杯は、ゆっくりと飲む──やはり、美味い。
ふう、と一息付くと、微かな喧騒が聞こえて来た。宿舎内の食堂からだろうか。
一人呟く。空腹は感じない。渇きを癒やした今、また眠気を感じ始めた……時刻は、夕方くらいだろうか?
もう一眠りするか……眠い。たっぷり眠ろう。疲労回復には、睡眠が──ベッドに深々と身を沈め、毛布で身を包む様に横たわるクレイドル。
直ぐに、静かな寝息が薄暗い部屋に響いた。
ロングスウォードは、ラーディスから預けられた魔術兵を各村に先行させた後、騎兵隊を指揮しながら領内を巡った。
状況に応じて陣頭指揮を取り、その地を守る衛兵と冒険者達と共に、群れ成す
ノースヒルに出現した
滅甲虫とロングスウォード家には因縁がある。先々代の祖父、そして先代の父からの因縁が──が、今はその事を想う時では無い。
執務室に戻り、
椅子に深々と沈み込むロングスウォードを横目に、茶の準備をする穏やかな雰囲気を持つ、壮年の男性。
淡い青のスーツに身を包んだ、丁寧に整えられた灰色の髪をした五十越えの男──執事のルフォート。ロングスウォードの養育係をも勤めていた。
その関係もあり、ロングスウォードとは長の付き合いだ──ロングスウォード家の、
「……いい程の温さでございます」
大ぶりの、灰色がかった銀色のカップ。茶器、といった感じのティーカップを丁寧な所作で主に渡すルフォート。ティーカップには取っ手は無く、ソーサーも付いていない。
正式な(貴族等の)社交の場でのテーブルマナーという観点で見れば、眉を顰める様な代物である。
ロングスウォードは一切気にしていない。自分の家の中であるし、この大ぶりなカップはお気に入りの一品だ。
カップを両手のひらで包む様に持ち、ゆっくりと飲む。微かな苦味の中にも、甘みを感じる茶。ロングスウォードが好きな銘柄の茶だ。
「
茶のお代わりを注ぎながら、ルフォートが主を気遣う様に云う。
「……そうね。
ゆっくりと茶を啜るロングスウォード。二杯目は、少々熱めだった。
「各村の被害状況の確認ですが、報告を聞く限りは軽微だと聞いておりますな。防衛用の柵が破壊され、多少は雪甲虫の侵入を許したものの、衛兵や冒険者達の働きで被害無く撃退。各村からはその様な報告が入っていますな」
ルフォートの報告に頷きながら、熱めの茶を啜るロングスウォード。
その表情には安らぎが浮かんでいる──
「大事無くて良かったけれど、それなりの被害の補填は必要でしょうね」
カップを置き、一息付きながらロングスウォードが云う。
「はい。民に被害無く、家畜も皆無事だとの報告も受けていますので、金銭や物資等の補填は大したものにはならないでしょうな」
ルフォートの言葉に頷き、背伸びをするロングスウォード。軽く湯浴みをして、それから夕食を取ろうと考え、ルフォートにその事を告げようとした所──妙な慌ただしさが聞こえてきた。
「……ちと、失礼します」
ルフォートが一礼し、音も無く執務室から出て行った。
「厄介事じゃなければ良いけどね……」
ロングスウォードは立ち上がり、茶のお代わりを手ずから淹れる。茶は今だ熱かった。
ルフォートが伴って来たのは、ロングスウォード領の北側、ダーンシルヴァス神王国と帝国の国境線近くの、
「……到底、信じられない事なのだけれど……全く」
ロングスウォード伯は苦笑を浮かべながら、伝令の簡単な報告を聞いた。傍に控えているルフォートも、僅かに目を見開いている。
「直接目にした我々ですら、あれは──」
ベテランの雰囲気を持つ、四十半ばに見える伝令は、一息付き続けた。
「今だ、信じ難い出来事でした……」
その語尾が、微かに震えていた。ルフォートが、詳しい報告を促すために伝令に椅子を勧める。
ロングスウォードとルフォートに頭を下げ、椅子にかける伝令。ルフォートが伝令に水が入ったコップを差し出す。
冷えた水。伝令はロングスウォード邸に早馬で急ぎ駆けて来たのだ。今は茶よりも、水の方がいいだろうとの気遣いだった。
ちなみに、馬は今厩舎で休息を取っている──
ルフォートに一礼し、水を一息に飲み干すと、伝令が云う。
「何が起き、何を見たのかを報告します。少々長くなりますが、取り合えず最後まで聞いて下さい」
「分かったわ……話して頂戴」
ロングスウォードがルフォートを見やり、伝令に云う。
では、と伝令が改めて報告を始めた──
始まりは、“魔導卿”殿が夜明けの少し前にやって来た事でした。ダーンシルヴァスの者達、特に
その方が先触れ無く、唐突に拠点を訪れた事に我々は少々困惑しましたが、困惑をよそに“魔導卿”殿が言いました──
はい。駐留している暗黒騎士、帝都騎士達と共に、住民と
冒険者達は、我々よりも機敏でした。彼等からしたなら、“魔導卿”殿は上級冒険者。直接指示無くとも成すべき事を成すといった感じで動きました。避難指示を出す我々衛兵と騎士達の前面に位置したのです──
そうです。迎撃の構えを取りました……ですが、“魔導卿”殿は、引け、と冒険者達に云いました。下がれ、巻き込まれるぞ、と。
お前等のやる事は、
伝令は、ふう、と一息付く。伝令の前に、ルフォートがカップが差し出す。温めの茶が入ったカップだ。礼を云い、口を付ける伝令。
非戦闘員の避難が終わる頃……北側に、吹雪が見えました。はい、局地的な猛吹雪です。遠目から見てもかなり大きな吹雪でした。話に聞いていた、
“魔導卿”殿は、我々に対して云いました。何が起きるか見届けろ、と……そして、何のためらいも無く吹雪に向かって行きました。慌てるでも無く。焦るでも無く、悠然と歩を進めて行ったのです。
“魔導卿”殿の姿が遠くなるにつれ、吹雪も強くなっていく様に見受けられました……“魔導卿”殿の姿が何とか視認出来る距離になる頃には、吹雪も収まっていました。不自然なほどに。
あの吹雪は自然のものでは無く、
吹雪が止み、私どもから見えたのは無数の
話には聞いていましたが、あれ程巨大な物とは思っていませんでした……堅牢な砦に例えられる、虫と見るには無理のある禍々しい姿形。悪魔属性とは聞いていましたが、正直そういう事はどうでもよくなっていました──ああ、“魔導卿”殿が、
最初に云った通り、見た事と起きた事を云います。我々の見ている前で、
ふん……同時期に、二体の
魔術兵達も送った事だしな……ああ、
さて。目の前に迫るは滅甲虫に……そして、お供は八百程度の雪甲虫、か。半端だな。
千は連れて来ればいいものを……まあ、そうなった場合、ここ境目の拠点は一時的に放棄しなければならなかったかもな……まあ、いい。
“魔導卿”である俺が、何の損害無く、
吹雪は止み、巨大な
滅甲虫と雪甲虫は、すでにラーディスの魔術の範囲に入ろうとしている──
「今から……
前方の滅甲虫と雪甲虫を見据えるラーディス。その瞳が、金色に輝いた。
群れ成す蟲の、悍ましい蠢きが耳障りな音となって迫って来る。
その悍ましい蠢きを前に、ラーディスは何ら臆する事無く、胸の内──心──で詠唱を始めた。
術師は、術を形にする際には必ず詠唱をする。無詠唱で放たれる術は、基本的なもの。初歩中の初歩の術くらいだ(生活魔法等)。
それ以上の効果と威力を望むならば、言葉を紡ぎ、詠唱する必要があるのだが──当代無双の魔導士。“魔導卿”ラーディスは、別である。
術を使うと判断したならば、どの様な術であれ(例外はあるが)短時間、もしくはごく短い詠唱で発動する事が可能であり、その短い詠唱を更に縮める為、“心の内”で詠唱を終え言葉少なく発動する。
異常な魔力量と、冒険者としての実戦の経験があってこそ出来る事であり、それが“魔導卿”たる所以だ──ちなみに、『魔導卿を手本とするな』とは他の魔導士や魔術士の言葉だ。
──静かなる時が訪れ全ての動きは止まる 何一つとて例外無く止まる 生命 大気 刻さえ止まる そして永遠の別れが訪れる──
ラーディスの、朗々とした詠唱が終わると同時に
群れ成す蟲が蹂躙しつつあった大地が完全に凍てつき、蟲達の身体は青白くなっていた──それを見たラーディスは、云った。
「お別れだ。蟲けら共」
そして、無造作に杖を振る──ラーディスの魔力が衝撃波となり、完全に活動停止をした滅甲虫と八百を越える雪甲虫を砕いた──その破片が、夜明け前の空に大きく散った。
薄暗い空に、
「この広範囲魔術、名付けるなら……『
そして、
長らくかかりました──書きたい事が積みすぎた結果です。
( ´ー`)y-~~