ボトルを二人で一本空け、もう一本出そうとしたリンベルさんを、バルドルさんが止めた。
「明日に差し支えますので、そのくらいで。明日の腕試しは、昼過ぎほどでよろしいですか?」
「構わないよ。クレイドル、それでいいかい?」
「構いません」
ふむ、とバルドルが頷く。クレイドルの顔を何となく、見る……最初に目に付いたのは、整った薄紅色の唇。酒が入ったからか、白磁の様な肌は、ほんのりと
「では、明日昼過ぎに、ギルドにお越しください」
今日は御馳走様でした。と一礼して、クレイドルは部屋から、出ていった。
「お送りします!」
職員が慌てて、後を追っていった……ドアくらい閉めて行きなさい、とバルドルは呟き、ドアをきちんと閉めた。
「どう、見たね? あの二枚目……いや、二枚目なんて言葉は陳腐だねえ。空恐ろしいよ」
リンベルは、煙草盆を引き寄せ、煙管に葉を詰めて火種で火をつける。
「手強いでしょうね、彼は。紹介状にあった、冷静に無茶をする。という評価の意味が何となく分かるような気がします……明日の腕試しは誰を当てますか?」
煙管を吹かしながら、宙を見るリンベル。
「そうだね……うん、私がやるよ」
ほう、とバルドルが目を開く。
「私がやろうと思ってましたが」
「ま、それも考えたがねえ、私がやるよ」
ふむ、と頷くバルドル。その顔に穏やかな笑みが浮かんでいた。
「お、今帰りかい。少し遅いが、夕食にするかい?」
宿の亭主さんが声をかけてきた。カウンター席に座る。
「はい、お願いします。メニューは何です?」
「卵が残っているからな。ハムと目玉焼きに丸パンと、玉葱と鳥出汁のスープってとこだな。あと酢漬け野菜だ」
「それで頼みます。目玉焼きは、固めでお願いします」
「すぐに準備させるよ。そういえば、娘に心付け、ありがとな」
あの子、亭主さんの娘だったのか。
「そういや、名乗ってなかったな。僕の名前は、ラルフっていうんだ」
引き締まった細身の体。綺麗に整えられた、清潔感のある髪型。人好きのする、爽やかな顔付きと物腰をしている、四十前の男。
「これから、よろしくお願いします。ラルフさん」
こちらこそ、といい、ラルフがクレイドルの注文を厨房に告げる。
早朝に目が覚める。夜明け前……陽が上がるまでには時間はある。
うん、魔力制御にはいい時間だ──窓を開け、外気を取り入れる。ひんやりとした空気が、心地いい。
ベッドに胡座をかき、座禅の様に座る──深呼吸を、一つ、二つ。全身に魔力を循環させる……。
宿は、明るく賑やかだ。なかなかに繁昌しているらしい。早速、カウンターに座り、朝食を頼む。
卵を落とした米粥。刻んだ香草と、塩をまぶした素揚げの小エビに酢漬け野菜。
朝食は、こんなものだろうな、うん──小エビは、湖の恩恵なのだろう。
さて、昼まではまだ時間はある……そういえば、メルデオさんとストルムハンドさんから、紹介状をもらっていたんだよな。
「ラルフさん。ええと、カリエラ商会と鍛冶屋ブレイズハンドの、場所を知りたいのですが?」
「カリエラ商会は、噴水広場の西側、商店通りにあるよ。黒い看板に、銀色の店名だから、すぐ分かる。ブレイズハンドは、同じく西側の少し奥、燃える金槌の看板だよ」
西側、商店通りか。今日の試しが終わったら、街を見て回ろう……無事に済んだらな……。
「よかったら、街を娘に案内させようか?」
ラルフさんがいう……気持ちは嬉しいが、今日の試し合いがどうなるか、分からないからなあ。
「それは……明日頼みます。今日はどうなるか分からないので」
何かを感じ取ったのか、ラルフさんは頷き、言った。
「気を付けてな」
「はい。取り合えず、カリエラ商会とブレイズハンドに行って来ます」
中央噴水広場の西側か……やはり、少し冷えるな。フードを目深に被る。
さてと、メルデオさんの紹介状の、カリエラ商会に出向いて、挨拶を済ませておこうか。
商店通りを少し進んだら、すぐに大きな黒看板が見えた。達筆の銀文字で、カリエラ商会と記されている──この看板って、メルデオさんとこの看板に似ているな──
店に入り、店内を見回す。賑わっているなあ。
何となくだが、観光客が多い気がする。グレイオウル領は、観光地としても有名だったっけか。
「何か、お探しですか?」
青色のスーツ、というか店の制服を着た店員さんが話し掛けてきた。
「メルデオさんから、紹介状を預かっているんです」
紹介状を差し出す。店員さんが受け取り、少々お待ち下さい、と去って行く。
さて、少し店を見て回るか……。
「先輩からの紹介状だなんて、珍しいわね。どんな人?」
紹介状を広げながら、カリエラが店員に尋ねる。
「何と言っていいか、その……」
言い淀む店員を見上げるカリエラ。店員の顔は微かに、赤くなっていた。
「マーティ。何よ、美人さん?」
堅物が珍しい事だと、カリエラは思う。
「いえ……美人というか、その……取り合えず、お会いする事をお勧めします」
「ふうん。分かったわ。案内して差し上げて」
「分かりました!」
いつになく、興奮している店員は速やかに、応接室から出て行った……ドアも閉めずに。
品揃えは様々だ。生活雑貨から日用品。観光地らしく、梟の彫刻。小さな額縁に納められた絵画。湖畔や月夜の梟等々。少し欲しくなるな、こういうの──「お待たせしました。会長がお会いになります」
さっきの店員さんが、やって来た。妙に緊張しているのか、顔が少し赤い……何ぞ?
カリエラ商会の応接室。少しばかり派手に見えるが、悪趣味さは感じない。
吟味して、美術品で部屋を飾っている感じだ。メルデオさんとは、違った感性を持っているんだろうな──看板の趣味は同じだが。
「初めまして、カリエラと申します。先輩の紹介だなんて、珍しい事なので少しばかり、驚いているのです」
艶のある肩までの髪。薄化粧の整った顔立ち。カリエラ会長。二十代後半、て感じだな。すらりとした体付き。
芯の強そうな顔立ちだ。美人ではあるが、その前に、強かな雰囲気が先に立つ。遣り手の若社長て感じだ。
「メルデオさんから、探索で得た品はここに納めるといいと言われてましてね。それと、取り扱っている品物は、間違いないとも言われましたから」
出された茶を飲む。いいお茶だな……ここの特産品かな?
色々、話をした。グレイオウル領の特産品や湖の事。名物料理、ミスリル鉱山、ダンジョンの事等──「そろそろ、お暇します。まだ回らないといけない場所がありますので」
「もう、行かれますか……また、いらして下さいね」
ニコリ、と微笑むカリエラ。ではまた、と別れる……。
クレイドルさんを見送った後、しばらく動けなかった……フードを下げたその顔は、到底直視してはいけないものだった。先輩の紹介状に、〈顔を直視しないように、特に唇〉と記されていた。
何の事やらと、思ったが──正に、その忠告通りだった。男ですら、魅了する容貌。マーティが、ちょっとおかしくなるのも無理はない──怖いお人ですね……気を付けないと──クレイドルさんの顔立ちを思いだすと、ぶるり、と体が震えた。
時刻は丁度、昼。さて、どうするか。約束は昼過ぎ。
感覚として、約束の時間は、午後三時くらいだろうか。
時間の指定は、はっきりしてないからなあ……よし、ブレイズハンドに行くか。
ギルドには遅くても、夕方近くになる前に行けばいいだろう。宿に戻って、武具を身に付ける時間は、ある……うん。
ブレイズハンドの看板。金槌を握る手の周囲に炎が渦巻いている──まさに、ブレイズハンド。
店に入る。時間帯のせいなのか、客は少ない。棚やガラスケースに飾られている、様々な武具。
値段も、ピンキリだ。お手軽価格から、金貨数十枚クラスのものまで……スティールハンドとは少しばかり違うな。どちらかというと、初級者からベテランまで、幅広く扱っているという感じだ。
客も、明らかに冒険者の気配を纏っている。
カウンターに向かい、紹介状を差し出す。
「ストルムハンドさんの紹介状です。親方に、お願いします」
「……はい、分かりました。少々お待ちを」
カウンターに座っていた、見習いらしき少年が紹介状を受け取り、慌てて奥に引っ込んで行った……。
「うん? 兄弟子からの紹介状だと……ふうん」
立ったまま、ストルムハンドの紹介状を読む、ドルヴィス──魔族。尖った様に生える赤い短髪の間から、短い黒角が覗いている。
がっしりとした体格。肩、胴、背中、腕回りともに引き締まり、太い。歳は四十後半。
身長は百九十はあり、体重は百二、三十は越えているだろう──「赤闇の兇殻の素材を、加工したか……さすがだな、貴重素材だぞ」
兄弟子の、紹介状の最後には、〈面を直視するなよ。えらい事になるぞ〉の一文。
何だ、そりゃあ? まあ、いいか……せっかく紹介状を持って来たんだ。会ってみるか。
ガラスケース内に飾られている武器。幅広のブロードソード、反りのある片刃の剣、等。値札がついていない……いかにもな高級品だ。居並ぶ鎧も、値段関係無く、中々な物が揃っている……いいな、この品揃え。
「よう、俺はドルヴィス。クレイドルさんかい? 兄弟子からの紹介状何ぞ、初めてでなあ。ちっと驚いてんだ──」
振り返る、濃い灰色のマント姿。フードを下げ、こちらを見る──ああ、これは危ない。兄弟子のいう通りだ。
二枚目? 美貌? そんな言葉では、到底計れんだろうな、これは──鍛冶師の美意識は、芸術家の美意識と通じるものがあるという──鍛え上げた武具と、キャンバスに書き上げた美は、等しいとは、誰の言葉だったか──今、その意味が分かった。目の前の美──見るな。直視するな。耐えろ、耐えろ──「来な、部屋で話そうか」
応接室、というには殺風景な部屋。何の飾り気もない、最低限、必要な物しかない部屋。
小さなテーブル、向かい合うように配置された二脚の椅子。
「ストルムハンドさんの店とは、違ったやり方をしているみたいですね」
出された茶を啜りながら、クレイドルがいう……その口元に見惚れながら、ドルヴィスが答える。
「まあな。兄弟子は、客を選ぶやり方をしているが、俺のとこは初級、中級関係無い品揃えをしている……まあ、どのやり方が正しいかという事は分からないがな」
ドルヴィスさんが、はっははは、と笑う。
似てるな、ストルムハンドさんと、奥さんのスウィンさんに──城塞都市での経験。各ダンジョンで入手した素材の話をした──少し遅くなったが、昼食を一緒にどうだ? と言われたが、ギルドに用があるので、と丁重に断った。
残念そうな顔付きのドルヴィスさんに、今度飲みましょうと答えた。
「フラれましたねえ」
少年が、沁々とドルヴィスに言った。
「やかましい。カウンターに戻れ」
ドルヴィスの叱責に、少年は笑いながら、仕事場に戻って行った。
足早に、灰月亭に戻るクレイドル。時間は、とうに昼過ぎの午後二時前……。
「クレイドル、昼食はどうする?」
「いえ、大丈夫です。また、少し出掛けます」
ラルフに手を振り、自分の部屋に戻るクレイドル。
手早く、赤闇の鎧と籠手を身に付け、ブーツに履き変える。バトルアクス、スケルトンキラー(鋼作りのショートソード)、手斧、ラウンドシールドは置いていく。肩掛けの鞄に、腰回りのポーチも。小銭入れは身に付ける。
身に付けるのは、それだけ。武器やらは、訓練用のものがあるだろう──よし、出向くか。
「少し、遅れましたかね……ギルドマスターと昼過ぎに約束していた、クレイドルです」
黒鷲の頭部を模した兜。濃い灰色のマントに、赤黒い胸鎧姿の男──ギルドマスターから聞いていた──「少し、お待ち下さい」受付嬢が、慌てながら二階に駆け上がって行った。
ぼんやりと、依頼掲示板を眺める──常設依頼の採取と採掘を除き、変わった採掘依頼──異世界知識発動──注意事項は、鉱石採掘の際、ロックリザードの巣窟近くに立ち入らない事。ロックリザードを攻撃しない事、等──ロックリザードは温厚で、人を恐れず好奇心旺盛。だが、戦闘能力は相当に強力。土属性の魔術は並の魔術師を凌駕し、近接戦闘は重量を使った体当たりに、強靭な顎の噛み付きに、尾の薙ぎ払い。
さらには、同族に呼び掛け、ロックリザードを増やす、という……なかなかに手強い、魔獣らしいな。好奇心旺盛というのが、気になるな──
「おうクレイドル、来たかい。いい頃合いだね。昼飯は?」
「いえ、腹は減ってません。このままで大丈夫ですよ」
ふふん、と笑うリンベル。バルドルが、笑みを浮かべる。
「早速、始めましょう。さて、訓練場に行きましょうか。皆、待ってますよ」
皆? どういう事だ? クレイドルは思った。先を行くリンベルとバルドルの後を追う……喧騒が早くも聞こえてきた──冒険者達が、訓練場を取り囲んでいる。まるで、闘技場だ──
「まあ、せっかく試し合いをするんだ。少々賑やかにやってもいいだろうさ」
リンベルさんが、周囲の冒険者達に手を振る。
それだけで場内が賑わう──凄いな、これは……。