雨雲から漏れる光ではステンドグラスは
王はゆっくりと話し始める。口内に詰め物でもしているかのように、声がこもっていた。
「
ニスモは床を見つめながら、ただ静かに話を聞いている。余程集中しなければ、王の声は聞き取れなかった。
(駆けつけてくれた? 聖女達の絆……?)
「焔聖よ。──お主もこの大白亜で輝聖を迎えようと考えているのだろう」
ここでニスモは初めて、キャロルが大白亜に向かっている事を知る。
「儂はな、光の聖女が
王はぷるぷると震えながら立ち上がった。
「ああ。我ら人類が長きに渡り夢見てきた、完全なる平和が訪れるのだ。儂が王である内に訪れるのだ。何と素晴らしいことかっ!」
「
死人のような
「こうも気分が晴れやかなのは、子供の頃に見た
ニスモは
「
「何なりと申せ」
「教皇は、どちらへ……」
王は微笑み、言う。
「儂の命により南方の領で説法を行っておる」
この
王はニスモの強張った顔を見下ろし、彼女の
「
「はっ……?」
「聖女には意地悪な質問だったかの……」
どう答えるべきかニスモは悩んで、
「……どちらも同じと、存じます」
「
ニスモの前に立ち、見下ろしながら続ける。王の脚は震え続けている。
「そして王が命ぜば教皇は聞かざるを得ぬ。しかし教皇の命は、王は必ずしも聞かぬでよい。たとえ軍の規模が正教軍の方が大きかろうと、威光の強さは王にある。それが世の
ニスモは深く
「教皇は何かを隠しておる。怪しい。なぜ
「それは……」
「輝聖顕現の噂が流れ、正教会は
ニスモは僅かに
「そこで決まったのは、輝聖の存在に対し沈黙を貫く事である。教皇も正教会の坊主共も、儂の意見を聞く耳持たぬ。王である儂は、その場にいて、その場にいないものとして扱われた」
王は震える脚を折り、ニスモと目線を合わせようとした。それでニスモはゆっくりと顔を上げ、床から王へと目を移した。
「
王は震えながら焔聖の肩に手をやった。
「──教皇は王に
王族の
「焔聖」
「はっ」
「聖女は5人
教えからすれば否定は出来ない。が、心情的には肯定出来ない。だから、何かを言おうとした。だけれど、何も出てくることがなかった。ただ小さく、気づかれないくらいに小さく、口をぴくぴくと動かしたに過ぎなかった。
「──ただちに正教会を離反せよ。今後は儂が神の名の下に、新たなる教えを
王は続ける。
「瞳の色が異なろうが、お主は我が妹の子。正教会などにいて良いものではない。焔聖がまず初めに大白亜に来たのも、天命なり」
皺枯れた手で、焔聖の
一体、恨みの正体は何か。『妹の子』というのが、そうなのだろうか。バーダー家か、アッテンボロー家か、或いはそれ以外に葬られた妹の──母の無念を思ってか。
「輝聖は既に大白亜へと向かっている。輝聖の
□□
それから、ニスモは聖堂内の客室に通された。寝台と机、それからいくつかの
(正教会を離反しろ? 輝聖を迎え入れろ?)
無慈悲な
(王が新たなる教えを
血迷ったとしか思えない。
(私にキャロルを受け入れろと?)
それが天命だと言うのか。
(神はなんて残酷なことかッ!)
姉の
(王は、なんて残酷なことか……ッ!)
王の勅命となれば、無視する事は出来ない。
(そして、何よりも──)
──何よりも残酷に感じたのは、怨みの
王は何も言わないが、きっと、心の奥底ではフランベルジュ家を恨んでいる。その恨みは真っ赤な炭の如くじりじりとした火を宿して、ずっと心の中にあり続けるのだろう。
妹を失って10年以上の時が経っても、フランベルジュ家の人間は未だに憎い。だが、当時幼かったニスモには関係のない事だから、それをあえて口には出さない。頬を撫でたあの手は、王の優しさでもあり、残酷さでもあった。他人の
ニスモは脂汗に塗れた顔で、
「リトル・キャロルなんていなければ……」
鏡の中の自分を強く睨む。そして、手の届く場所にあった
「王も王だ。輝聖が顕現して、急に色気付くなどっ!」
机のもの全てを
「クソッ……!」
物に当たる自分が無様に思えて、天井を仰ぎ見ながら、床に座り込む。そして心を落ち着けるために目を
「これまた随分と荒らしましたな。ここは神の座する大白亜にございまするぞ」
セルピコは盆を持っていた。
「まるで赤ん坊ですな」
ニスモはキッとセルピコを睨む。だがセルピコは特に気にする様子もなく、綺麗になった机の上に盆を置き、紅茶を
「少し腹にものを入れてはいかがか。ここに来るまでに何も食べていない」
セルピコが金の器を差し出す。
中には薄い焼き菓子のようなものが入っている。これは
「どこから持って来たの」
「
「盗んだのね」
セルピコはかつて盗賊の
「神官に言えば貰えるものです。教会のしきたりに
「わざわざ教会に行って祈る習慣がなかった」
言って、胸に下げたロザリオを握る。バーダー家は信仰が浅かった。
「ただ、神官も下働きも見当たらなかったので、今回は勝手に
「じゃあやっぱり盗んだのね。罰当たりな」
「リュカも盗みを働いたと多数の文献に記しておりまする」
「それは
「とにかく、罰は当たりますまい。腹を空かせた者には
ニスモは
「さて、留守を預かっているはずの
「なら、王に
「或いは殺害されたか……」
セルピコも
「……ヴィルヘルムはこの事態に気づいているの? あなたはどう思う」
「予期していたものと推察いたしまする。王が大白亜を占拠する
「第一聖女隊の道程に
「それでも間に合わなかったのでございます。ヴィルヘルムが思うよりも禁軍の速さが優ったと考えましょう」
ニスモは、ふうとため息をついた。
「大白亜の正教軍も、教皇の
セルピコは徐に、鏡や陶器の破片を拾い始めた。
「さて、もう1つの線がございます」
「もう1つの線?」
「第一聖女隊を大白亜に向かわせた理由です。ヴィルヘルムは輝聖が大白亜に向かっている事を知っていて、それを止めるためにあなたを向かわせた、とも考えられましょう」
ニスモは
「ヴィルヘルムが光の聖女を認めていない事は、王の言う通りです。自身が神となろうとしているとさえ噂されます」
「そうね」
「さてさて、どうされますか。正教会を離反し輝聖と手を取るか。それとも、教えを曲げる教皇に味方し輝聖と
「……あなたも選択を強いるの?」
「人は選択を強いられて大人になるものです。あなたはまだ青い」
言われて、つきんと心が痛んだ。時折、セルピコはこのように核心をついた物言いをした。
「あなたの好きにしたらよろしい。王も教皇も正教会も関係ありません。もはや聖女はこの世において絶対的な存在。自信を持って、お心のままに決断なさいませ。神はあなたを守ってくださる」
「神は守ってはくれないわ。少なくとも私の味方ではない」
セルピコは破片を拾い集め続けている。
「左様ですか。それもまた良し」
ニスモはどうしたら良いか分からず、目を伏せ5分ほど黙った。答えを見つけ出そうとしたが、沈黙の中にそれは見つからなかった。あったのは、キャロルの
口をきゅっと結んで、ニスモは唐突に立ち上がる。そして祭服を脱ぎ始め、肌を露わにした。
「決まりましたか。長考でしたな」
「……やはり輝聖がいるからこんな事になる。あれは世界にとって毒だ。私にとっても」
そして、床に落ちた細長い箱を拾い上げた。これはニスモの持ち物で、机の上の調度品を払った時に一緒に落ちた。
中には火の聖女に与えられた聖具が入っていた。それは真っ白で、細長く、鋭く、長さは40
この矢は必殺必中の矢。放てば必ず敵に命中する。目を隠していても、あらぬ方に放っても、結果は同じである。念じずとも矢が敵を見定めて、そこへと向かってゆき、急所を貫く。
不思議な事に、放った矢は何故か矢筒に戻ってくる。矢が爆ぜても、燃えても、川に流されようとも、
──そして聖墓矢には『二つ存在しない』という妙な
ニスモはこの矢を目の前で燃やした事があった。いつ、どの瞬間に、どのようにして矢が矢筒に戻るのかを確かめたい意図があった。しかしニスモが瞬きをした瞬間、炎の中の矢は
今度は
奇妙で不気味な聖具であった。新たなる矢が生まれた瞬間、古い矢は決まって雄鹿の頭となる。雄鹿の首、角は立派で、目は
この矢はリュカが死罪となった際に
「ねえ。輝聖がいなくなったら、この世界は破滅するかしら」
ニスモは矢を矢筒に入れ、名のある職人に特別に作らせた
「すると存じます」
「信仰が厚いのね。あなたはこの世界が好き?」
「それなりには。と言ったところですかな」
「そう。私はね、滅んでも良いと思っている。こんな間違った世界は無い方が良い。すべてめちゃめちゃにしてしまえば、きっと、誰も苦しまなくて済むのにね」
言って、鼻を
「それがあなたの選択ですかな」
「分からないわ。私がどうしたいのか。どうなりたいのか。何も分からない。とにかく、何処にも居たくないの」
「宜しい。迷うたまま行きなされ。それがあなたを強く、美しくなさる」
「私を
少しの間を置いて、言う。
「……キャロルの顔を見て、選択するから」
ニスモは部屋を出る。1人取り残されたセルピコは立ち上がり、腰を反って伸ばした。手には割れた飾り皿。見事な模様が描かれている。
「ふう……。同情はするが、物に当たるのはまったく良くない」
机の上、ニスモが一度も口をつけなかった器から、湯気が立っていた。
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