天に
焔聖は馬宿で借りた
ニスモはまた1人で旅に出た。だけれど、今までとは心持ちが違う。運命に
──正教会を離反して輝聖と共に世界を救うか。もしくは教皇の味方をし、輝聖と
決めた。答えは、そのどちらでもない。
まず初めにやらなければならないのは、エリカとかいう少女に、心からの
それから、輝聖と対話をしてみるつもりだ。たとえ彼女の強さを前に自分の弱さが際立っても、堪えたい。手を取り合える部分を探して、そうするよう努力する。そして、聖女としての役目を果たす。クララの為に、優しい世界を作る聖女の1人でありたい。
新しい教えを作ろうとする王の考えは危険だ。だから正教会は離反しない。でも、輝聖を理解しようと挑戦はする。これが答えだ。
恐らく、輝聖は既に大白亜に到着しているだろうと思う。急ぎ、聖都アルジャンナに向かおう。早く、風よりも早く。
(──クララが笑って過ごせる世界を作りたい。心から幸せだと思える世界を)
世界から瘴気が消えたら、クララと会うんだ。そして祭りへと繰り出して、今日のように楽しい1日を過ごす。次の日も、その次の日も、自由な日々が続いている。心穏やかなまま楽しく暮らそう。
実は、やってみたい事が沢山がある。例えば魚釣りをしてみたい。船で沖まで出て、釣れなければ波に揺られて
そして、クララには話そう。子供の頃から踊りが好きで、本当は踊り子になりたかった事を。姉と見た劇は今でも覚えている。あれは、恐らくはリュカが生まれる前から存在する演目だ。まだ神が複数いると信じられた時代、古代の女王が葡萄酒の神に
とにかく、クララと過ごす世界には瘴気も魔物も必要ない。そして私には、それを消し去る力が備わっている。やる事は明白だった。
芽生えた希望。止まっていた時が動き出した。僅か、自分に変化の
□□
教皇領
門の前に門番がいない。普段であれば門の前には2人か3人か居て、多少の問答があった後に開門、だが、誰1人としていない。
妙な気がしたので近づくべきか迷っていると、門扉の上、
「どういう事……?」
第一聖女隊と共に大白亜へと向かった時は何の問題もなく領に入れたものだが。こうした封鎖は戦乱の最中か、もしくは大罪人が逃亡した時くらいにしか、例がないものと思う。
「私が倒れている間に、何があった……?」
ニスモは関所を避け、森を経由して教皇領に忍び込んだ。そこからはまた馬に跨り、原を駆ける。闇に紛れて大白亜へと向かう。
(何故、門を固く閉ざしていたのだろう。アルベルト二世が何者も入れるなと命じたのか)
手綱を
(関所にいるはずの正教軍も王の命令に従って教皇領を閉ざしたのか。いや、流石に兵も疑問に思うはず)
正教軍は
(──何かがおかしい)
ニスモは頭の中で状況を振り返る。
(ヴィルヘルムは『大白亜を護れ』と第一聖女隊に命を出した。私とセルピコはその命を『大白亜を占拠しようとするアルベルト二世を近づかせるな』という意味だと捉えた。そして、私たちは間に合わなかったのだと思った)
それは本当に正しいのか。他の線は考えられないか。
(でも、第一聖女隊は
ヴィルヘルムが王を警戒して第一聖女隊を動かしたのであれば、
(ヴィルヘルムは既にアルベルト二世が大白亜に入ったと分かった上で、私たちにそこを護れと命じた?)
不可解だ。何故だろう。
(可能性があるとしたら、何か別の敵が大白亜に対して攻撃を──)
(王だ。王に対して、何らかの敵意が向けられていた。それを教皇が知っていたんだ)
ヴィルヘルムは私に王を護らせたかった? しかし、王は輝聖を
(何にせよ、詳しく文に記してくれれば──)
いや、違う。書けなかった理由があると考えた方が自然だ。
ヴィルヘルムはアルベルト二世の命により南方へ説法に行った。王はヴィルヘルムを疑っているから、禁軍も同行させているだろう。書簡にも
(禁軍に王が狙われている事が知られるとまずかった?)
教皇が大白亜や
だが、大白亜に王がいて、命が狙われていると単刀直入に書いてしまえば、それは大事。一兵卒も焦り、上官に報告するだろう。その後、この勅書が何者かに握り潰されてしまう可能性がある事を、ヴィルヘルムは
つまりニスモが思うに、王に
(──王族)
「急ぐよ、シュリ!」
馬の首を押し、さらに加速する。馬は力強く地を蹴り、土の塊を弾きながら闇を駆けた。
□□
聖都アルジャンナの程近く、緑の芽が出たばかりの麦畑、その古い小屋に馬を隠した。泡を吹く馬の頬を優しく撫でて、ニスモは言う。
「よく頑張って走ってくれた。ここで待ってて。必ず戻るから」
顔を抱きしめ、鼻に口付けをして別れる。
聖都に入り、忍んだ。前に来た時と同じで禁軍兵士が
思っていた通り『大山門』も閉ざされていた。崖を登り、門を経由せずに大白亜へと入る。そして王がいるであろう、カレーディア大聖堂の裏へと回った。
降り立ったのは2階、ニスモに与えられていた客室であった。セルピコが綺麗さっぱり片付けて部屋には何1つない。
(──香に混ざって、血の臭いがする)
そっと、扉を開ける。廊下、まず目に飛び込んできたのは
ニスモは軽く十字を切り、兵の側に転がっていた剣を手にする。そして、物音を立てぬよう、王の座していた礼拝堂へ続く
降り立ってすぐの
ニスモは巨大な祭壇へと目を
「アルベルト二世」
血溜まりに、王冠。微動だにしない体。
──死んでいる。
ニスモは青い顔で祭壇に寄る。すると、礼拝者用の長椅子に座っていた男が
「……そうだな。やはり人ではない。お前達は
男は長身であった。ニスモが見るところ、6
──誰?
ニスモは肩の傷を魔法で治しながら、眉間に皺を寄せてその者をよく見る。
瞳の色は氷のように澄んだ
ニスモは記憶を掘り起こす。この男を見た事がある気がしてきた。確か、何度か王城に呼ばれた際に、謁見室に同席していたはず。王とは離れて立ち、時折、
「──エリック。第一王子、エリック」
「そうだ。覚えていてくれたとは光栄だな、火の聖女ニスモ・フランベルジュ」
エリックは
「まさか、王はあなたが」
「うん、
弾を詰め終わると銃を構えて、何の
「……!」
ニスモは掌に
それを見て、直感した。この奇妙な弾は、川辺で撃ち込まれた弾と同じだと。
「お前ら聖女は人ではない。魔物なのだ。全てを狂わせ、破滅に追いやる。俺は、聖女をそういうものとして
エリックは氷のように冷えた瞳で、焔聖の赤い瞳をじっと見ていた。ニスモはその静かな圧に
「聖女はこの世界にとって、
ニスモも決意を固めた。王族とは言え、向かってくるなら容赦はしない。どの道、王を殺したのであれば倒さねばならぬのだ。
さて、
エリックは武芸に秀でると聞く。王城で行われた武芸試合では負けを知らないらしい。
「焔聖」
銃はもう長椅子に置いていて、剣は腰に下げている。短剣などは忍ばせているか、投げ
「先程から、俺を倒す事だけを考えているようだな。──俺はお前の話をしているのだぞ」
エリックの見透かしたような発言と、その
「お前は破滅を作っている自覚がないのか? お前は、お前の運命に巻き込まれて死んだ人間を、忘れてしまったのか?」
「何……?」
「姉であるジャンヌ・フランベルジュも忘れたのか?」
ニスモは目を見開く。
「王都に来てからも、お前は
──私は、周りを不幸にしている。
胸に傷を負い、街道で倒れた時に、確かにそう思った。私は炎だから、周りの全てを焼いて傷つけてしまう。だから、死んでしまった方が良いのだと。
「違う……」
今は認めたくなかった。確かに人を傷つけて来たかも知れないけれど、私はクララに出会って変わろうとしている。上手く表現出来ないが、それがたまらなく嬉しい。嫌いな自分から脱せられる気がして。
「何が違う。王家には常に正しい情報がある。学園からも
ニスモは怯えた目で首を横に振った。
「違うっ。わ、私は、そんな自分から変わりたい。変わろうと思っているんだ!」
「変わりたい? 変わって、他人に好まれる人間になるのか? まさか、人に愛されたいのか? そうだとしたら、
「え……?」
「お前などはこの世で最も穢れた女だ。いいや、お前だけではない。聖女全員が穢れた人間だ。俺は、全てを知っているぞ」
氷の瞳が、ゆらりと揺れた気がした。動揺から鼓動で体が振れて、そう見せた。
「
ニスモは震える手で、もう1度剣の
「これらの犠牲は、全て聖女の為だ。聖女の運命に巻き込まれて、1人1人の人生は
こんな話、聞いてはいけない。
「──聖女は全てを不幸にさせる。友も、肉親さえも。そして、愛する姉さえもだ」
「違う! 私は、バーダー家に命令されて、仕方なく姉さんを……」
「命令されて仕方がなかった? 王家には常に正しい情報があると言っているだろう。俺は真実を知っているんだよ」
エリックは冷たい顔で続ける。
「アッテンボロー家の処刑は正教会によって
ニスモは表情を崩す。今にも泣きそうな顔だった。
「午前5時。ジャンヌ・フランベルジュが断頭台の上で言ったことを、お前は覚えていないのか?」
「言わないで……」
「確か、記録にはこう書いてあった」
「お願いだから、言わないで……」
「『どうか神様。お願いです。アッテンボロー家もバーダー家も、みんな殺してしまって下さい。私はどうなってもいいので、地獄に堕としてください』。民と
「ねえ、やめて……。お願い……」
景色が蘇る。掠れた姉の声。歓声、風の音。転がる死体、血と糞尿の臭い。曝け出された姉の脚には、股から血の伝った跡があった。
「記録によると、お前はジャンヌを
「嫌だ……」
細い首に斧を下した時の、骨を断ち切る感触が手に、そして腕に
「彼女が断頭台に上がっても、2人で逃げ仰る事も出来たろう。混乱の最中だからな。手に持つ斧を振るい、魔法を使い、周りを振り切れば逃げられた。でも、お前はそれをしなかった」
「お願いだから、もう……」
視界が滲む。何とか涙を噛み殺してみようと努力してみる。喉に力を入れて、声を潰す。鼻がつんと痛むが、堪える。
「──お前は、愛する姉が穢されたのを認められなくて、自分の意思で殺したんだろう?」
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