「もうやめてッ──‼︎」
叫んで、両の目から涙が溢れた。
あの時と同じように、もう手に力は入らない。立っているのもやっとだった。呼吸もままならない。──ニスモは剣を下ろした。
「そしてお前は神に代わって、姉の願いを叶えた。それがお前の罪滅ぼしだ。その為に罪のない赤子が
エリックは腰に下げた剣に、手を添える。
「運命の力だ。これが聖女の運命の力だよ。死んで行った罪のない彼ら彼女らは、お前のために存在して、お前のために不幸になり、お前のために命を奪われた。それがこれからも続く。お前達が聖女として覚醒するまでに、何人もの人間が不幸になり、死んでいく。お前にとって近しく、大切に想っている者からだ」
エリックはゆっくりとニスモへと近寄る。
「やがてお前らの運命は全土を巻き込む。全てが貴様ら聖女のせいで破滅していく。──俺はその運命を断とうと思う。聖女と密接に関わった全ての者を
聖女と関わった全てを抹消する。混乱の脳内でも、クララとの日々が蘇った。
──私のせいで、クララが死んでしまう。
どうしよう。まだ、涙が止まらない。
「世界を綺麗に戻そう。聖女などは初めからいなかったことにして、正教会の作り話ということにしよう。聖女などはいなくとも、瘴気は払える。俺は人間の可能性を信じる」
エリックは剣を抜いた。その刃は青く澄んでいた。聖女の体を
「聖女こそ真の悪なのだ。悪は己を悪だと気付けない。だから悪であり続ける。不幸の連鎖はもうここで終わりにしよう」
キュッと
「丁度良い。貴様らリンカーンシャー公爵領には汚名を被って貰おうと計画していた。奴らは
エリックは地を蹴り、ぐんと迫った。
「さあ、ここに首を置いていけ。王殺しは俺が始末した事にする」
倒れたニスモに青い刃が降りかかる。それを転がって避けるが、ロザリオの
「……ッ!」
その時、奇跡的に熱された
ニスモは逃走した。とても戦闘を継続できる精神状態では無かった。
エリックは左目を押さえながらその割れた窓に寄ったが、すでに焔聖の姿は無かった。
───
──
―
□□
―
──
───
白山聖エルダーの中腹には、岩肌をくり抜いて作られた
暗く寒い廟の一室、ずらりと並ぶ
「
声が岩屋の中で反射して響いた。セルピコは本を閉じて、振り向く。
入ってきたのは無骨な男だった。艶のない黒髪は後ろで
男の名はコナー・スタッブスと言う。後から合流した第一聖女隊の兵で、普段は王国南部、特に沿岸地域にて正教軍の将として働く。元は冒険者であり、その為か
「到着したか、スタッブス。久しいな。茶でも
「質問に答えろ、セルピコ。馴れ合いに来たわけじゃない」
スタッブスは呆れ気味にため息をつく。
「首尾か。そうさね……。王都では、暗に焔聖が王を
「それはマズいんじゃねえのか」
「
セルピコは聖書を棺の上に戻して、十字を切った。この本の所有者が
「機だと? 状況は悪くなっているように思えるが?」
「良く考えてみよ。焔聖を犯人にするつもりなら、初めから
「確かに。何故だ?」
「奴らは
スタッブスは寄って、セルピコに1本の煙草を渡す。
「で、簒奪者の正体は分かったのか」
そして呪文を唱え、魔法で火をつけてやる。
「焔聖は大白亜で第一王子エリックと戦った
「何? 押して聞き出せ。重要だろう」
「話したがらないのだから仕方あるまい」
「またそれか。あの
スタッブスは焔聖に良い印象を抱いていない。愛想がなく、可愛げもなく、いつも不機嫌なように見えた。戦闘でも仲間と助け合おうとしない。
仲間と協力して危険な仕事をこなしてきたスタッブスには、それは我慢ならなかった。特に幼少の頃に魔物に襲われた事で
「さて、簒奪も
「その準備とやらも王子一人では厳しいな。味方はどれだけいる?」
「某が調べた所、リューデン公爵らが大いに関わっている。特に、海聖の首を持ち上げたモラン卿などは勇んで関わろうとしているらしい」
スタッブスは眉根を寄せた。
かつてスタッブスは、正教軍としてモラン子爵領の魔物を討伐した事がある。そこで何人かの仲間が犠牲になったが、
「公爵が関わる目的としては……、まあ、利が大きいと言うことか」
己らの唾がついた者が王になれば、当然
「あと1つは、
スタッブスは目を丸くした。
「恨んでいたのか? 何故?」
「所領を奪われたからと存ずる。どこぞの騎士が魔物相手に手柄を立てて、南部沿岸がサウスダナンとかいう領になった」
「ああ……。確か、海聖の故郷だな」
「騎士が手柄を立てたからと、ほいほい土地を切り分けられたら、とても敵わぬ」
スタッブスは話を聞きながら、モラン卿が公爵にそう吹き込んだ可能性もあるとも思った。あれはどうも下品が過ぎるし、自身の利益の為なら何でもする。
元々リューデン公爵は素朴で知的な貴族だと聞いた。だがモラン卿を迎え入れた日を境に、
「──で、どうすんだ?」
「はて?」
「火の聖女だよ。さっき顔を出したが、崖の上でベソをかきながら占ってやがった。あんな腑抜けた面で、大白亜を奪還出来るのか?」
セルピコは答えず、遊ぶように煙を輪っかにして吐き出す。
「輝聖に会いに行かせたと聞いたぞ。それが失敗だったんじゃねえか。心が乱れたんだ。俺ならば絶対に近づけない。セルピコ、これはお前の手抜かりだ」
「失敗ということはあるまい」
「何故そう言い切れる?」
「──光の聖女であれば全てを受け止め、焔聖を混沌から救い出す。それが出来ねば光の聖女ではない。或いは光の聖女として未熟である」
「他の聖女も同じく。聖女が聖女同士を
「良い哲学だが、今はそんな悠長な事を言ってる場合じゃねえ。ピピン公爵領軍やマール伯爵領軍は、既に動き始めてるんだろう。それに乗じるのが得策だ。とっととあの赤ん坊をシャキッとさせて、俺たちも大白亜に向かおう」
「行くか行かぬかは焔聖が決めるべし。彼女は大人にならねばならない」
「大人だと?」
「大人になるには、己の考えで、勇気をもって、様々な選択をしなくてはならぬ。その選択を間違え、それで挫けようとも、歯を食いしばって立ち上がらなくてはならぬ。焔聖に必要なのは、そうした経験である」
「あの赤ん坊が大人になる姿が思いつかん」
「思いつかんでも、そうなって貰うしかあるまい。──まず我ら人類が見るべきは、瘴気のない平和な世界に
スタッブスは少しのため息をついて、2本目の煙草に火をつけた。かつては第一聖女隊に配属されて神のために働けると喜んだが、蓋を開けてみれば3年前からずっと赤ん坊のお守りである。
□□
太陽が西の
──全てが裏返った。
クララのために変わろうとした事も、クララが教えてくれた道筋も、喜びも、希望も、全てが黒く塗りつぶされてしまった。
──聖女のせいで不幸になってしまう。
認めたくないのに、認めざるを得なかった。
エリカという子も、私のせいで怪我を負った。いや、少し違う。私と関わる以前に、輝聖と関わったから、怪我を負ってしまった。何故なら、聖女は周りを不幸にしていくのだから。
──罪のない人が聖女の運命に巻き込まれる。
これからどうすれば良いのか。このまま塞ぎ込んでいて良いわけはないけれど、何をしたら良いか分らない。全てが怖くて、金縛りにあったように動けなくなった。
きっと、どんな哲学書を読もうとも、1歩の踏み出し方も、前を向く方法も、書かれていないだろう。書いてあったとしても、
どうしたらいい。弱くて
──聖女がいなければ誰もが幸せになれるのだろうか。クララは幸せになれるのだろうか。
ニスモは聖女を殺める銃弾を
「神さま……」
再び箱のようになって、ロザリオを握って祈る。
陽が完全に沈み、地平線が
その時、とんとんとニスモの肩を叩く者があった。セルピコかと思い、無視をする。放っておいてくれという意思表示だった。
だが、もう1度肩を叩かれる。しつこい、と思いながらゆっくりと顔を上げた。
すると目の前、失ったはずの聖具『夏の聖墓矢』が
矢の先には、転がした青い弾丸が刺さっている。不思議なことにそれは、布が水を吸うようにしてジワリと聖墓矢に吸収されていった。瞬きを2回した時には、矢の先は青く石化し、妙な煌めきを放ち始めた。
──夏の聖墓矢は焔聖の敵を
ニスモは辺りを見回す。誰もいない。静けさだけがそこにあった。
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