時を
日が暮れて馬にも疲れが見え始めたので、森の中に潜み、最初で最後の休憩を取る。兵らが腰を下ろし、何人かがうたた寝をする中、クララは乾燥させた
筒状に丸められたそれをじっと見つめ、リアンの言葉を思い出す。
『これは海聖が書いた
クララは心配そうに頭を寄せて来た
──私にとっての原典。
意を決したように紐を解き、書簡を開く。果たして、これには何が書いてあるのか。そして、書いてある事に従えるのか。緊張した。
「あれ……。意外と……」
開いてまず思ったのは、想像していたよりも文量が少ないこと。『覚え』から始まるマリアベルの書には、
『一、
クララは力強く頷き、次に目をやる。
『一、決して弱みを見せぬ事。背筋を張り、常に不機嫌な
(じ、自分を王と思え? 出来るのかな、私に、そんな事……)
『一、主導権は必ず握る事。この戦において
クララは心優しい女子であるから、怒りで声を上げた経験などはない。
『一、何か言葉を発する時は、5秒程待つ事。沈黙を恐れぬ事』
(これには何の意味があるのだろう?)
『一、一番槍は絶対に譲らぬ事。銃での威嚇でも良いから、敵に対する始めの攻撃はクララが率いる兵である事』
約束事は以上のようである。次に記されるのは、マスター・アーノルド、即ち『四の城』を釘付けにする具体的な策。
『一、事前に
以上である。
(それ、だけ……? 落とし穴って、あの子供が
となると、荷にあった大量の土色の布は穴を隠すためのものだろうか。その他にも、
「城攻めについては本当にこれで終わりなんだ。
具体的な策は一つのみ。というよりも、策なんかよりも身の振り方に気をつけろ、とでも言いたげである。
そして末文、
『万が一、敵兵に青い髪の
クララは呟く。
「青い髪の隻眼の戦士……」
腕につけた乳白色の
□□
クララは鏡片手に『不機嫌な面』の練習をし、その答えが何となく見つかった頃に隊は再出発した。移動中、クララは老齢の兵にマリアベルの文について相談をする。
「なるほど。策については簡単に記してあるだけで、己の在り方が殆どであったと……」
老兵はネイサン・デイビーズと言い、ロック卿が信を置く男で、元は文官であった。齢50で
「人の上に立つ者、人の上に立つ器量がなくば、人の上に立てぬ……、という事ですかな。
「ハッタリ、という事でしょうか」
「
クララは馬上、不機嫌そうな面構えをもう1度練習する。上手くできているだろうか。
「やれやれ。しかしファルコニアの
「あー……、あはは……」
不機嫌な面を崩して、愛想笑いをする。
「して、クララ殿はファルコニア伯爵領軍について、どれ程ご存知か」
「実はあんまり……」
「ファルコニア伯爵領軍は、それはそれは野蛮な軍団でありまする。顔に自らの血を塗りたくり、戦場を駆け回るのです。
クララは目を丸くした。そんな野蛮人達を率いて戦えと言うのか、聖女は!
「そして彼らの主人、ファルコニア伯爵は素手で敵を引きちぎり、脳を喰らって、その
「わっ、私もそういう事をするべきなのですか⁉︎」
「いやいや、流石に
クララは恐ろしくなって来て、また不機嫌な面構えの練習に励んだ。ムッとしてみたり、キッとしてみたり、馬上でひたすらに表情を変え続ける。付け焼き刃でも良いから、今できる最大をやらねば、頭蓋に葡萄酒を注ぎ込まれるかも……、知れない。
午後9時。練習のしすぎで頬に痛みを伴ってきた時、ファルコニア伯爵領軍の野営地を目視。山と山の間、比較的開けた場所にそれは存在した。奇襲のために潜んでいるから、篝火はなく、静かに、ひっそりとしている。
クララは坂の上から野営地を見下ろし、胸に手を当てて深呼吸をする。この中に入れば、もうクララはただの少女ではない。
「さて、準備は宜しいですかな?」
「はい。行きましょう」
坂を下り、丸太で簡易的に作られた門の前で停止。老兵ネイサンが声を上げる。
「門を開けよ! 神に祝福されしピピン公爵領軍である! 貴殿らと合流しに参った!」
門番がじろりとクララを見た。クララは鋭い目つきを作り『早く開けろ』とでも言うように睨めつける。それで門番はようやく動き出し、門を開けた。
(普段の私だったら舐められて、開けて貰えなかったのかも)
クララはソロモンの腹を軽く蹴り、前進。その後をぞろぞろと兵達が続いた。
野営地内、
クララは不安に思ったが、決してそれを顔には出さないよう努力した。ソロモンだけはクララの苦労を察して『頑張れ』と尾っぽをぶんぶんと振った。
進んでいると、1人の兵がにちゃにちゃと下品な笑みを浮かべて付き纏ってきた。その男、随分と本数の少ない歯と、腐って黒くなった歯茎を剥き出しに笑いながら、クララの顔を覗き見る。
(え……。怖い……)
クララ、気づく。その男、どうやら
(あー、無理かも。怖い怖い怖い)
それでもクララは物怖じする事はなかった。一応、表面上は。
(──聖女さま、ここはとんでもない所ですッ! リアンさん、本当に私が適任なのですかッ⁉︎ 聖女さま、リアンさんッ! 代わってくださいっ! 今すぐに代わってくださいッ‼︎)
クララ・ドーソン齢16歳。未だかつてない最大の試練、その幕が開けた瞬間であった。
□□
「ここが本陣にございますな」
本陣の前で下馬。クララと老兵ネイサンのみで
中は眩しい。火が焚かれていて、むわっとして暑い。酒の臭いと男の臭いが強烈。
中央の机を男達が囲んでいた。それらが一斉にクララを睨みつける。心の内では
男達の中の1人が静かに立ち上がる。そして歓迎するようにして腕を広げながらクララに近寄った。
「やあやあ。もしや聖──、いや、マリアンヌ・ネヴィルの
仮面のように笑顔を貼り付けた男であった。にまにまと笑んでいるが、その黒く塗りつぶされたような瞳は一切笑っていない。灰色の髪に白い肌。歳は少なくともクララよりは上で、もしかしたらマリアベルよりも上かも知れない。他兵士に比べて
「クララ・ドーソンです」
「ドーソン……?」
男は笑みのまま固まる。
「ふぅん、海聖め。面白い」
周囲に聞こえないくらいの声で呟くと、彼は右足を下げ、右手を体に添え、丁寧に頭を下げる。
「僕がウィリアム・ヴァン=ローゼスです。お見知り置き下さいませ」
クララはやはりこの男が、と思う。マリアベルから聞いていた通りの雰囲気だ。どうやらマリアンヌの事を聖女と言いかけた気がしたから、内情もある程度は知っているようである。
「
クララは机に目を映す。が、クララとネイサンの分の
(多分これ、余所者は立って見ておけっていう
じっとウィリアムを見つめ、5秒待って口を開く。
「椅子を用意なさい。我々に立ち聞きせよと言うのですか」
「はて……?」
また5秒待って、言う。
「もう一度言います。椅子を用意なさい」
ウィリアムはクララの妙な間に言いようのない圧を感じた。
「おっと。これは
「今一度、心得て頂きたい。
老兵ネイサンはクララが言い過ぎたような気がして肝を冷やした。それで、ちらりと彼女の顔を見るが、その
騎士の1人が立ち上がり、クララに詰め寄る。
「なんたる物言い。
「まあまあ」
ウィリアムはぬるりと瞳だけを動かし、騎士を見遣ってそれを制し、笑みを貼り付けたまま続ける。
「クララ殿の仰る通りだ。我々に
その時、天幕の入り口が開いた。
そこには美しい女性が立っていた。歳はウィリアムと同程度か。ややうねりのある明るい金の髪は腰までと長い。真っ黒なドレスに身を包んでいて、それは
(リアンさんの瞳の色に似ている……)
そう感じたと同時、ウィリアムが言う。
「これはこれはソフィア
クララの中で時が止まった。
(──ソフィア?)
蘇る記憶。それは聖フォーク城の謁見室。ロック卿の報告、太く大きな声。
『王族の動向は以下の通り。第一王子エリック、不明。一節前より姿を現さず。第二王子アンドルー、不明。第一王女リリ、不明。
一語一句思い出した。
(聞いてないですって、聖女さま……)
クララは澄ました顔のままであったが、顔から下は汗が吹き出て、風呂にでも入ったかのようになっていた。老兵ネイサンも目を丸くし、動揺を隠せない。
「当然、私も出陣する。父上を殺した
(聞いてない聞いてない聞いてない……)
「
(──王女が居るのは聞いてないですって、聖女さまっ!)
クララは腹が痛くなって来た。
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