彼は最上部に到着するや否や、
朝の風に
「せ、
ハンフリーは真っ青な顔で唾を散らしながら兵士に怒鳴った。
「相手は
「愚かなッ!
そして、胃を押さえる。キリキリとしてきたので。
「わ、儂はなっ。禁軍を城に迎え入れたのだぞっ。万が一にも負ける事など許されぬっ。城が落ちれば、き、金で
「ご安心を。二師では城は落ちませぬ。戦は数にございます。城落とすには一軍(12500人)は必要かと」
「だ、大丈夫なのだなっ? 万が一にも負けることは無いのだなっ?」
「無傷で勝てまする」
「ああ、貴殿らを城に入れてから
そう言った時、双眼鏡で丘を見ていたハンフリーが気がついた。ずらりと並んだ敵兵らの壁の前、何かがひょっこりと出てきたようだ。
「あ、あれは何だ……?」
どうやら、
「あれは裁判で被告に被せられる帽子か?」
ハンフリーはその文字を読み取ろうと、目を細める。
「な、なに? 『私は
□□
「俺を殺せーッ! 頼むから殺してくれえッ!」
リューデン公爵家の次男、禁軍の将フィン・ダーフは
「こんな屈辱はないッ! 死んだ方がましだッ! 殺してくれーッ‼︎」
伯爵領軍の兵達がぎゃあぎゃあと奇声を上げ、『城に籠ってないで出てこい』と挑発する。何人かの
横陣の中央、ソロモンに跨るクララは御祭り騒ぎの中、
(怖い怖い怖い怖い……)
隣で老兵ネイサンが言う。これだけ騒がしければ周囲に声は届かないから、普段のクララとして接した。
「凄まじい挑発ですな。我が軍にはない発想にございまする」
「しょ、正直に言えば、不憫に思います。あの禁軍の将が」
ぽつんと原の真ん中で泣き喚くフィンを見て、クララは眉を
「ですが効果はあったようですぞ」
ネイサンは正面、1
「あの城にはリューデン公爵領軍が詰めていますからな。
城門から出てきたのは、馬に乗った騎士であった。仰々しい装備であるから、恐らく将だとクララは思う。その騎士は城の方面に向き直って、槍を天に掲げた。
「……城に向かって、何か叫んでる?」
「城内に詰める兵達に
そして城からおーっと野太い掛け声が上がり、山々にこだました。
「どうやら、攻撃に転じるようですぞ。
「良薬ではなく、苦いだけの薬ですが……」
「
戦闘の気配に味方の意気は
城からは微かに
「さあ、ご指示を。城からの砲撃と一緒に、
クララはごくりと生唾を飲み込んで、ゆっくりと深呼吸をした。ソロモンはクララの緊張を感じ取り「自信を持て」と尻尾をぶんと振って励ます。
意を決し、クララは右手を高く上げる。手信号、五指を伸ばして掌を
「盾を構えよ! 砲撃が来るぞ! 魔導隊は
魔導隊が詠唱を初め、兵も盾を構える。しかし伯爵領の兵士たちの内、約6割は未だに猿が如く奇声を上げ続け、守備体制に入らない。中には腰を振って挑発を続ける、度を超えた阿呆もいた。興奮しすぎて、すぐに止めることが出来ないらしい。
城の各所から、カッと激しい光が放たれた。次いでドンと発砲音が聞こえて、弾がひゅんと飛んで来た。兵達は急いで大盾を構え、しゃがみ込む。
防護壁が砲弾を防ぎ、上空で爆発。しかし幾つかは壁を貫いて着弾、各所で兵馬を吹き飛ばした。
リューデン公爵領軍は大砲で相手が怯んだと見込んだのだろう、
「ネイサンさん」
「はい」
「一番槍は狙われていますよね?」
「勿論に御座います。ソフィア殿下の兵、それから、伯爵領の血気盛んな騎士達が仕掛けようとしている模様」
クララは離れた場所、陣の
「一番槍を取り逃がしますと兵達が増長し、士気に関わると存じます。将たる無限の威光をお示しなさいませ」
「分かりました。では、
ネイサンが手に持っていた
すると、原の
最前線を走っていた敵兵が1人落馬する。8発の内、1発のみが命中。一番槍はピピン公爵領軍所属、猟師のヒースであった。齢46。軍務は今回で4度目、合戦は初。
落馬した敵兵が、他騎馬を巻き込んだのを見てソフィアが声を上げた。
「──なにっ!」
ぽかんと口を開けて続ける。
「一番槍を取られた? ま、まさか斯様な手段で……! ふ、
いの一番に突っ込むつもりだった近習パウエルも、目を丸くして驚く。
「ええい、まさか伏兵を用いてまで一番槍に
パウエルが顔を真っ赤にして怒る一方、横陣
「はははは! とんでもない女だ! ああまでして自軍に一番槍が欲しいか!」
隣、赤黒い馬に乗る騎士も思わず
「面白い女に御座いまするな。そうした卑怯者が出ぬように、目の玉ひん剥いて兵どもを見張っておりましたが、さては罠を仕掛けている時には既に忍ばせておりましたな? いや、違う。ピピン公爵領軍の兵の数は変わってないように見えますから、おそらく、野営地に入れずに忍ばせておいた兵がおったのやも知れませぬ。良い策士! 気に入った!」
「
しかし敵騎馬隊なおも猛進。先頭を走る騎士が辺りの灌木に注意せよと叫ぶ。後から追いかける騎馬は灌木を槍で薙ぎながら進む。
「ふん! この程度の罠で我が騎馬の軍団が止められると思うてか!
騎士は正面にクララを見据えた。
「装備を見るにあれが将だな。
そして、頭上で槍を振り回す。
「リューデン公爵のご子息を
突如、体が沈んだ。原が下に抜けたのだ。
「──る?」
その様子を見た騎馬隊の1部が急停止。急に動きを止めたので、体勢を保てず倒れる騎馬もあった。だが、
それを見て、クララが手を上げた。手信号、拳を握って2回手前に引き『射撃準備』。
「火を放てッ!」
五指を伸ばして、勢いよく振り下ろす。横陣の背後に構える弓隊が火矢を一斉発射。魔導隊も火の魔法で追撃。
「クララ殿。最大の機会です。輝聖に
クララは再び手を挙げ、振り下ろす。
「──全軍突撃ッ!」
後方、バグパイプ隊が爆音で愛国歌を
伯爵領軍騎馬隊が突撃。迫る騎馬隊に
騎馬隊は怒涛の勢いで
「……殿下?」
ここでクララは気がつく。黒い馬に乗ったソフィアが騎馬隊に混じり、
「お待ちくだされ、殿下ッ!」
近習のパウエルがソフィアを追いかけている。それを見て、衝動で
ソフィアは一心不乱に馬に鞭を入れ、陥穽を跳び越える。
──悔しかった。
クララに
「ぬっ! 殿下がいま煙の中に……!」
老兵ネイサンも気がつく。危険だ。最前線は矢が飛び交い、人がもみくちゃになって、上下左右どこから攻撃が来るかわからない。危険すぎる。
「私が行きます」
クララが手綱をぎゅうと握って言った。
「危険ですぞ。なりませぬっ!」
だが、心優しきクララに黙って見ていることなど出来るはずもなかった。王女だからとか、そういうのではない。自分が彼女を傷つけてしまったことで、
助けなくては。そして、謝らなくてはならない。
「ソロモン、お願いッ!」
賢馬ソロモンは首を低くし、ぐんと地を踏み込む。颯のように走りで、あっという間に陥穽を跳び超え、煙の中に飛び込んだ。もうネイサンの声は聞こえない。
「くっ……!」
熱い。鎧が体を覆っていない部分が、ジリジリと焼ける。だが、熱に気を取られている場合ではない。正面、煙の中、槍を持った敵兵が必死の表情で襲いかかってくる。
クララは背負っていた
「聖女さまが強化してくれたこの杖でッ!」
えいっ、と振り上げる。象限儀の刃は敵の体を両断。股から避けて真っ二つとなった。クララに血飛沫がかかり、髪も顔も赤く染まった。
──殺してしまったの?
「私だって、人を殺してしまうくらいの覚悟はしているんだ!」
目の色が変わった。そこに
そのまま勢いよく煙の壁を抜ける。すると、そこは乱戦状態、血で血を洗う地獄の戦場であった。ファルコニア伯爵領軍の騎馬、後から突撃してきたリューデン公爵領軍の騎馬、それから歩兵達が血飛沫を上げながら戦っている。
「殿下は……⁉︎」
クララは辺りを見回す。ソフィアの黒いドレスは目立つから、すぐに見つかった。クララにとって目立つということは、敵にとっても目立つ。彼女は2人の敵兵から攻撃を受けている。剣を振るい、何とか防いでいるようだが、危うい。近習のパウエルは敵将の一人であろう
その時、馬に乗った大柄な騎士がやってきて、ソフィアの馬の首を切り落とした。それでソフィアは落馬し、馬の血を浴びながらごろりと転がる。尻をついた彼女に、敵兵2人が走り寄る。
「来るなッ!」
落とした剣を拾い、振り上げるが、もう手に力が入らなかった。手から剣がすぽんと抜けて、飛んでいく。
「来るなッ! お願い、来ないでッ! やめてッ!」
ソフィアは涙を流した。……こんなにも自分は無力なのか。
何も出来ない、何もさせてもらえない。いざやってみようとすれば、こうして
無様だった。何が王族だ。自分に腹が立つ。クララの言う通り、浅瀬に
敵兵2人が槍を持って突っ込んでくる。もうだめだ、とソフィアは思った。1つの矛先は胸に吸い込まれるだろう。そしてもう1つの矛先は喉元を貫くだろう。
──お父様、無様な私をお許しください。
死を覚悟をして目を瞑った時だった。ソロモンに跨るクララが駆けつけ、2人の兵の背中を裂いた。
「殿下……ッ!」
ソフィアは目を見開く。クララが、助けに来てくれた。しかし──。
「──クララ、後ろだ!」
背後から、馬の首を落とした騎士がクララに迫る。その手に持つのは、
「ソロモンッ!」
ソロモンが咄嗟に反応し、後ろ蹴りをかました。
「クララ・ドーソン……」
クララは巨馬から降り、呆然とするソフィアに寄る。
「殿下、お怪我は!」
「お前、肩に……」
クララの肩には矢が刺さっていた。煙の中で射られたらしい。興奮していて気が付かなかった。
次いで、ソフィアは気がつく。クララの目には涙が溜まっていた。
「すみません、殿下。私、ずっと胸の奥でつっかえてて」
「え……?」
「軍議の場で、あのような無礼な態度を取った事、お許しください。殿下の気持ちを考えることも出来ず、ただ私の都合だけで
「クララ、お前……」
ソフィアはしおらしいクララに面食らった。声色も違うし、その眼差しも優しげだ。肩に触れる手は暖かくて、心安い。今までクララに抱いていた印象とはまるで違う、優しい乙女が目の前にいた。だが、不思議とその姿こそが真実であるような気がした。
「良いんだ、クララ。お前の言っていることは間違えていない。私は……」
言ったところで、急に空が暗くなった。何事かと、ソフィアもクララも見上げる。どうやら巨大な影に入ったようで、影は東からやってきて太陽を
「
影の正体は翼を広げた巨大な竜であった。大きさは頭から尾の先まで35
クララは杭と杭の間に、少女の姿を見た。美しい祭服に身を包み、赤い髪は朝焼けに燃えている。──間違いない。あれはデュダで出会った赤髪の少女。焔聖ニスモ・フランベルジュだ。
「行かなきゃ」
クララは再びソロモンに跨る。肩に力を入れると、矢傷からしゅうと血飛沫が散った。
「クララ、どこへ行く。まずは魔法で肩を治してやる! 待て! 危険だ、1人で行くな! パウエルを待て! あれは腕が立つ! 行くなら連れて行け!」
ソフィアの声は耳に届かない。クララはソロモンの首を押し、竜を追う。たった1人で行ってしまう。
「クララ、行くな! クララッ!」
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